奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

ジュズツナギ展覧会

2017年01月28日 | 色々・モシクハお勉強
正月早々、新潟市の「会津八一記念館」に行ってきましたが、
今度は美濃加茂市文化の森でやっていた
モノを蒐(あつ)めるまなざし 早稲田大学會津八一記念博物館蔵のコレクションとともに
を見に行ってきました。

なんで、美濃加茂市で会津八一なのかというと。

”早稲田大学・美濃加茂市文化交流事業
2007年に、早稲田大学と美濃加茂市は文化交流協定を締結し、
毎年、共催企画を実施しています。
文化交流協定は、美濃加茂市出身で早稲田大学で教鞭を取った坪内逍遙博士、
津田左右吉博士を共通項とし、文化事業について協力し合うこと、
相互発展と地域社会の活性化、学問研究の向上などに寄与することを
目指して締結されました。”

なんですって。
そういえば、そうでしたわね。
八一センセは早稲田の教授だったことがありましたわね。

”早稲田大学には、創立以来の学術研究を物語る膨大な資料が蓄積されています。
そのうち會津八一は、東洋美術史研究や教育のため、
約4,000点に及ぶ実物を蒐集しました。それらは現在、會津コレクションとして
會津八一記念博物館に収蔵されています。また同館には、長年にわたって
研究に携わった人々による様々な分野の貴重な資料や作品が収蔵されています。
また美濃加茂市をフィールドとして地道な調査と記録の蓄積、
資料の蒐集を続けた研究者がおり、それらの成果は
美濃加茂市民ミュージアムに収蔵されています。
本展では、両館が所蔵する貴重な文化遺産(モノ)を通じて、
学術研究に邁進した「蒐集者」の姿や思い、生き様を紹介します。
そして「蒐集者」が注目した社会や文化的背景にも思いを馳せる機会とします。
(主催 早稲田大学文化推進部 美濃加茂市民ミュージアム )”

ちゅうことで、八一センセが収集した「モノ」だけではなく、
他の方の集めた「物」もあって、
八一センセが集めたものは、ごくごく少なかったですが、
その中で興味深いものが出展されていました。

雙柿舎」の扁額…の拓本。

雙柿舎(そうししゃ)は熱海にある、文豪・坪内逍遙の住宅。
その家の門に掲げられた額が、会津八一の手による書を彫ったものなのだな。

坪内センセは八一センセの恩師。
博士論文の審査をして、推挙して下さったのが坪内センセなので、まさに恩師。
そして、坪内センセの出身地は現在の美濃加茂市。
(逍遥センセが生まれた当時は美濃国加茂郡太田村)
ほれ、つながった。

そんな八一センセは熱海の逍遥センセの家に入り浸っていて(をい)、
その家に柿の木が二本あるために「雙柿舎(双柿舎)」と名付けたらしいですけど。
(お宅の内部あちこちはこちらを見られたし

これ、新潟の会津八一記念館でやっていた『会津八一と刻字』
で出ていた『雙柿舎』の額(複製ですけどね)の拓本なのだな。

あら。
こんなところで再会するとは。

その展示の近くに書かれた情報では、

八一はこの額にする文字を書いた紙(彫る前の下書き)に、
・書と空白はこのままにしろ
・バランスを崩してはならぬ
・この通りに彫れ
といった意味を含んだ文章(うろおぼえだ)を、
ゴム印にして(!)ベタベタ押していたそうな。

ああ、ああ、そうそう。
会津八一記念館でもそれ見た。
現物を見たわ。
そして、笑った。大笑い。
誰もいないのをいいことに、ガハガハ笑ってしまいました。

自分の文字バランスを崩すな&このまま彫れという強い意志。
それをわざわざゴム印にして、書をしたためた空白部分に
ベタベタと押して、ものすごい彫り師にプレッシャーを与えたという事実(笑)
それほどまでに、八一センセはこだわりが強い人だったそうです。

まあ、ゲージツカはそういうもんだよね。

会場にあった会津八一の人物紹介の所の写真が、
どーもどこかで見たことがある景色のような気がする。
この写真どこかなあと思って眺めていると、
センセの手元の茶碗には「ものをこそおもへ」と書いてある。
ぴこーん。

おほてら の まろき はしら の つきかげ を 
 つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ
』だな。たぶん。

となるとこの写真、唐招提寺だな、きっと。
後ろに写っている建物は入母屋造りだから、講堂かな。
(唐招提寺の現地建物配置はこちらを参考に

なんか新潟→美濃加茂→奈良とつながって、
奈良行きたくなっちゃったぞ(ははは)←毎度まいどのセリフだけど。

でもって、会津→早稲田もつながっちゃったから、
早稲田大学にも行きたくなっちゃったわさ。

こうなったら、いつか早稲田の會津八一記念博物館にも行ってみたいもんです。

ま、私のことだから、近々のうちに行く気がするけど★
八一センセ・数珠つなぎは、こうしてどんどんリンクされていくのであった。

(追記)
美濃加茂文化の森の展覧会は終わってしまいましたが、
2017年2月8日(水)~3月7日(火)の会期で、
早稲田大学26号館大隈記念タワー125記念室にて、
同内容で展示が行われるそうです。詳細は→こちらから。
関東方面の方は、ぜひそちらへどうぞ。(無料です)
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今日は何の日

2017年01月26日 | 色々・モシクハお勉強
本日は文化財防火デーです。
文化財は大切にね。

それとは全然関係ないけど、
本日は宣伝(のみ)です(ってなんじゃいな)

去年というか、先月マレーシアとブルネイに旅行した時の記録、
『マレブル旅行記』がようやく完結しました。
よかったら読んでください。

わたしが奈良以外の所に行くなんて珍しいし、
ましてや海外に行くなんて、この先あるかどうかわからんし。

旅行に行くまでの逡巡も読みたい方は→こちらから。

旅行記だけでええわって方はさくっとこちらから→こちらから

いずれも楽天ブログ(ココじゃないです)
>お遊び関係なので別ブログでやってます。
※ここ「おべんきょうブログ」だし(え?そーだったの?)

どぞよろしゅう。
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遊びに行きたし足は無し

2017年01月14日 | 色々・モシクハお勉強
1月14日が土曜日ということで、
「茅原のとんど@吉祥草寺」とか「鬼走り@念仏堂」とかに行こうかと、
ひそかに思っていた今週はじめ。

ダンナが「今年は奈良行かないの?」
「はあ?」
「いや、いつも今頃奈良行ってるから、今年は行かないのかなと思って」
恐るべしダンナ。
例年の私の行動パターンを把握している。

例年は奈良検定受験記念ウォークってことで、
奈良検定を受けた後、あちこちを歩いていたけど。

今年は私の周辺の人が奈良検定を受験してないので、
記念ウォークは無し。

ただ、土曜日にそれらの行事がぶつかったので、グッドタイミング!
行こうかどうしようか悩んでいたら…。
この土日は大雪の予報!(悲報)
ということで、今年の火&火行事は無しになりました(涙)

奈良は雪降ってますか?
電車止まったらやばいので行けませんでしたけど。
寒いのは何とかなるけど、電車止まるのはかなわんしなあ。

そこでこの週末はおうちにこもってパソコン三昧。
某たまっていた旅行記の写真を整理したり、書き始めたり。

そうそう、このブログの正月記事に写真を追加したりしてました。
(ガラケーに入っていた写真も取り出してupしたし>岐阜大仏

まだまだのんびり正月気分です。
まあ、明日くらいまではいいか>小正月ってことで。

雪は降る~♪
あなたは来ない>奈良へ。

わーん、行きたかったよお~(T_T)
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いかがでしたか?

2017年01月08日 | 奈良検定お勉強日記
奈良検定受験者の皆様、受験お疲れ様でした。
試験の手ごたえはいかがでしたか?

皆様の受験の感想や情報をお待ちしております。
あちらの掲示板でも結構です)
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初詣もハシゴしまくり

2017年01月07日 | 色々・モシクハお勉強
先日は博物館のハシゴをしましたが、
本日は神社仏閣のハシゴをしてきました。

まずは神社へ初詣。
ダンナの実家は毎年ココ!ってことで「伊奈波神社」へ。

ここのご祭神は「五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)」
なにやら第十一代垂仁天皇の長男で、第十二代景行天皇の兄なんですってよ。
(知らんでお参りしとったんかい!)

お祀りされたのは薨去の翌年(景行天皇14年>2000年くらい前ですよ)
へー、すごく古い。
(まあ伝承ですから、素直に信じる必要はないですが★)

もともとは稲葉山(現在の岐阜城のあるお山)の中腹にあったけど、
山のてっぺんの稲葉山城に斎藤道三(まむし!)が住むことになった際に、
神様の上に住むのはどうかってことで、この地に移されたんだとか。

ここはパワースポットとして人気なんだそうな。
(伊奈波神社自らがそういう看板出してたし)
神社で、パワースポットねえ。
「気」を感じるとかじゃなくて、パワーねえ(うだうだ)

ま、そんなことはいいとして。
本日は神門が開いていて、拝殿にてお参りすることができました。
(あいてないこともあるのでご注意を)

神社でパンパンした後は、同じ敷地にある「善光寺」へ。
最初来た時、「岐阜で善光寺?!」と思ったものの、由緒は正しい(?)らしい。

武田信玄がアノ善光寺からホトケサマを持出して(!)
甲府に新・善光寺を建ててお祀りしていたんだと(!!)
そして信玄が亡くなると、今度は信長によって岐阜に迎えられた(!!!)

で。
信長は本能寺の変であの通り(?)亡くなったらしいので、
信長の次男である織田信雄(←のぶかつ、だよ、奈良検定でお馴染みの)が
尾張の甚目寺に移した(?!)かと思ったら、
秀吉によっては京都の方広寺に移され(?!!)、
次の家康に浜松の鴨江寺に移されて(?!!!)、
あちこち連れまわされたあげく、
元の善光寺にようやく戻ることができたそうです。
(え~その間、信濃の善光寺ってどうしていたの?ご本尊も無くに)

岐阜にはこんな感じで、善光寺さまがお祀りされていた過去があるので、
信長の孫の秀信が稲葉善光寺堂を建立して、
善光寺さんの御分身をお祀りすることになりましたとさ。
めでたしめでたし。
(ってそうなのか?)

ということで、長野の善光寺さんをお参りするのと、
同じご加護があるのではないかと。
わたし、二回ほど長野の善光寺に行っているけど、
そんな因縁(?)あるとは知らんかったなあ。
(ダメじゃん)

伊奈波神社と善光寺詣ではセットなので、これでワンペア。

ささ、ではでは前から行きたかった、
あそこも行きましょってことで、「正法寺」へ。
ここは日本三大仏のひとつ、岐阜大仏があるんですって。


正法寺正面(寺じゃなくて城みたい)

奈良の大仏を見慣れているものとしては、
大きな仏さんってのは別に驚かないのだけど、
ここの仏さんはちょっと変わっている。

日本三大大仏とは、
奈良の大仏、鎌倉の大仏、そして岐阜大仏なんだそうです。

大きさでいえば、
14.98m(奈良)>13.63m(岐阜)>11.35m(鎌倉)
というデータなんですってよ。
ほほー、確かに大きさでいえば、そうかもしれない。

鎌倉の大仏ってあんまり実物を見た体験が少ないから、
記憶を頼りには比較できないけど。
奈良の大仏よりは小さいけど、結構デカい。

「かごの大仏」という名でも呼ばれるそうで。
何故そう呼ばれるかというと…。

大イチョウを真柱として、骨格は木材をもって組み、
その外側は竹で編んで(←これがカゴってことですかね)、
その上に粘土をぬり、さらにその上に経典を張って、
漆をぬり、金箔を貼って完成。
つまりは乾漆造なのだな。
この大きさで乾漆造?!
日本最大級の乾漆像だそうですわ。


こんな風になってますって断面図(大仏様を切るとは…)

横から見ると、ちょっと前のめりの、というか



見上げている人に向かって、
腰をかがめて顔を近づけて下さっているようなお姿に、


よ!って感じの大仏さま

なんだか温かみを感じまして。
顔もにっこりとしているように見えます。



思わず手を振りたくなるような気分(実際手を振ってみたけど)

さて、大仏様にも会えたし、
帰る?となったとき。

そうだ、あそこ行こう!「薬師寺」と思い立ち、立ち寄ることに。

薬師寺といえば、奈良の薬師寺が有名ですが、
あの薬師寺の別院が岐阜にあるのです。
「薬師寺・岐阜別院」
”本家”はちょっと遠いので、それではと、ここにも詣でることに。


各務ヶ原・薬師寺

以前訪問した時は段の下で、ナムナムしただけでしたが、
本日は正月詣でということで、堂の上へあげてもらおうかなっと。
靴を脱いで、階段を上がって、引き戸を開けると…あら、
正面には吉祥天女様がおわしますではないですか!

”本家”でも、東京別院でも、年越し写経をした際に、
お目にかかっていますが、岐阜の地にもお出まし下さるのだとは知らず、
思いがけず吉祥天女さまに会えて感動しました。

正月三が日は国宝の吉祥天画像が薬師三尊さまの前にお祀りされていますが、
これが三日間だけなのでなかなか会えない。
(15日までは平成の写しがお祀りされていますが)

写しとはいえ、本家の写しですからね~。
他に誰もいず、ちょっと寂しい感じですが、
それでも吉祥天さま独り占め~(あ、ダンナもいたけど)

ということで、神社ひとつに、寺みっつ。
はー、本日も満腹満腹でございました。
コメント (2)
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ハシゴといえば

2017年01月05日 | 色々・モシクハお勉強
出初式>時節柄。
しかし、わたしのハシゴは大体、神社仏閣やら博物館やらなもんで。
ということで、本日のハシゴは博物館のハシゴ。

本日帰省最終日ということで、高速バスにてお帰りとなるのですが。
その途中で、博物館のハシゴとは自分のことながらに恐れ入る(汗)
でも、駅から遠い博物館なので、単品でそこを目的地に行くってのは結構大変。
しかし、高速バスで帰る途中ならば、そこ、
立ち寄るのは結構カンタンじゃなかろうかと思い立ち…(←個人の感想です)

ってことで、本日の目的地は「新潟県立歴史博物館」と「長岡市馬高縄文館」です。

新潟県立の歴史博物館が長岡市にあるってのはちょっとびっくりなんだけど。
(まあ私が新潟市の出身ゆえにそんな感想なのかもしれないけど)
県庁所在地に県立の歴史博物館がないってのは、少々驚きでした。

前々から行きたいと思っていたんだけど、なにせ駅から遠いし、足はないし、
帰省していてもなかなかそれだけの時間がとれないし…と、
今までいろいろ制約があってダメでしたが。
今年ならいける!ってことで、喜び勇んでいくことに。

長岡までJRで行って、その先はバス。
バスは終点まで乗ればいいので、乗り間違いさえ気を付けたら安心。
バスは町中、新興住宅地、丘をとおって、丘の上の歴史博物館へ無事到着。
しかし、本日は雪が横なぐり状態だったためか、
ほとんど人がいなくて、展示室はほぼ貸し切り状態でした。
(昨日の会津八一記念館もそうだったっけ。個人的にはうれしいけど、館的にはどうなんだ)


新潟県立歴史博物館

普段行っている奈良県での博物館だと「古墳」だの「土器」だの「矢じり」だの「鏡」だの
が多くて結構そこらへんを見ていると時間がとられる。
しかし、それが他所の土地の博物館だと、そこらへんがはしょられて(というか、
そこらへんの展示が充実せずに、さらっとして)いることが多いので、
見学時間短縮になるのだけど…。

しかし、おっとどっこい新潟県は結構昔から歴史がしっかりしているので、
私の好きな時代(奈良時代まで)で見るべきところがたくさんありました。
「新潟県のあゆみ」の中でも「古代の新潟」あたりが楽しくて。

ほれ、新潟(越後)って『日本書紀』にもいろいろと取り上げられているし。
(燃える水(=石油)の献上とか、渟足柵や磐舟柵とかの記述もありますし)、
現物資料も結構あるしで、ことのほか時間をとられ…。

気が付いたら、タイムリミットまであと30分。
げげげ。ほかにもまだたくさん展示はあるみたいなんだが…。

ということで「雪とくらし」「こめづくり」をさくっと見てまわり、
(雪下ろしのリアル大変さの表現と、雪がなだれ込んでいる雁木の景色と、
雪に閉ざされたミセの暗さがまさに再現されていてGood!)
「縄文人の世界」が駆け足状態になっちゃったのが残念…。
これはもう一度来よう。
今回は常設展だけだったから、特別展があるときにでも、一日仕事で。

ということで、次は馬高縄文館へ、”徒歩で”向かいます。
奈良大学時代の学友いわく「あそこは何もない丘の上。
夏でも歩けないくらい離れているので、車で行かないと…」
と言っていたけど。

「馬高縄文館へ行きたいんですが、歩けますよね?」と尋ねると、
「徒歩で15分くらいです」と受付の人。
「大丈夫です、歩けます!」
ええ、歩けますとも。
飛鳥ウォークなんかでも6キロ、8キロ歩きましたし。

そして、先にこっちの博物館に先に来たのが幸いして、
ここから馬高へは下り道らしいから、なおさら大丈夫!

しかもバス乗っているときは横なぐりの雪でしたが、
現在は晴れているってことで歩き出しましたが…。
誰も歩いてない(笑)
しかも車もほとんど通らない。
まるで暗峠を歩いて超えていた時のようでしたわ。

それでも15分もたたないで長岡市馬高縄文館に到着しました。
ここも、駐車場に車なし。
「開館中」の文字が「閉館中」に見えたくらいですよ(ははは)

ここは「火焔土器」が出土した馬高遺跡にかかわる資料を保存、展示している施設。
新潟県民にとって「火焔土器」ってなじみが深い土器だと思うのだけど、
それって新潟市民だけでしょか。

新潟市の陸上競技場にある聖火台がまさにこの火焔土器の形をしてるのを
中学校の頃から知っているので、新潟市民なら知っていることかなと思いまして。

これは第19回の国民体育大会の競技場としてこの場が作られた時、
聖火台として作られたもので、モデルは中越地方から出土された火焔式土器、
ってのは知っていたのだけど…。
それがこの地の馬高遺跡であるってのは残念ながら知らなかった(白状)

火焔土器といえば、その不思議な形状。
炎がメラメラ燃えているような、太陽フレアのような形状。

しかし「火焔土器」といえば、ああいう形状のものすべてを呼ぶのかと思いきや、
ここで昭和11年(1936)出土した最初の一個にが「火焔土器」であり、
それ以外の類似したものについては「火焔型土器」と呼んで、
明確に区別されているんだそうです。
へーへーへー。
また一つ賢くなっちゃったわ(いや、今でもじゅーぶんアホやと思うけど)

で。
にわかに知り得た知識としては、
火焔型土器には鶏のとさかのような突起が四つあり、
鋸歯状突起なるジョーズの歯のようなギザギザフリルが付くと。

似たような形の王冠型土器には、
火焔型土器にある鋸歯状突起がなく、
土器口縁部には短冊状(山形)の突起が付いていると。

へーへーへー。
また一つ…(以下略)

展示室に並ぶ大小さまざまな火焔型土器を見て圧倒され、
その造形の面白さにドキドキし(洒落もあるけど)、
じっくりじっくり隅々まで見て一時間ちょっと。
ここの見学を楽しみにしていたので、
歴史博物館の見学時間をはしょっちゃったけど、
そのおかげでじっくり、ゆっくり、見学できましたわ。

年が改まってからまだ五日ですが、
これで博物館相当施設4館行ったぞ(笑)

今年はこの調子でガンガン行くぞ>博物館も、あれこれも(カッカッカ)

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アイヅハーって誰ですか?

2017年01月04日 | 色々・モシクハお勉強
珍しく新潟の実家に長居しているので、ちょっと変わったところへ行こうと思い、
普段は滅多に行けない所にあれこれでかけて。

そうだ、ここ(何処?)まで来たんだから、あそこ行こう!
会津八一記念館。
と思って、HPを検索してみたら…。

なななななんと。
転居しておりました。

新居は新潟日報社の5階フロア。
マジすか?
ガーン。

でも、行きましたよ、どうせ帰り道ですから。

で。
行ってよかったです。
面白かった。

今期の展示は『會津八一と刻字』
八一自らが書いた文字を、看板にしたり、歌碑にしたり、新聞の題字にしたりとしたとき、
すごいこだわりがあったとのこと。

・自分が書いた文字を変えたりしないこと。
・自分が書いたとおりに彫ること。
・自分が書いたとおりの空間をあけること。

あと、自分は昨今はやりの「左から右への文字列は嫌いであること」
もし自分に「左から右への文字を書けというのであれば、
あなたの申し出には応えられないし、即これ以降の付き合いを絶つ」ってのもあって…。

センセーったら、ワ・ガ・マ・マ(笑)

展示室冒頭に掲げられていた「私の歌碑」なる文章も爆笑もので。
スーパー意訳(by美嶋)すると…。

私の七十のお祝いに友人たちが銅像を作ってくれるらしい。
それは早稲田大学の記念室へ据え置くらしいのだが、
その他に歌碑を、早大と、奈良と、新潟の三つに建てるらしい。

石碑っていうと漢文!と思われる方も多いだろうが、
私のための歌碑なんだから、私の歌でなくてはならぬ。

墓とか記念碑とかいうものは、亡くなってから建ててもらえるような人物であれば、
黙っていても建ててもらえるが…。
しかし残念なことに残された人が建てたものは、あまりいいものを建てたためしがない(!)

法隆寺にある「柿食えば」の碑などは、正岡子規先生が原稿用紙にちいさく
書き記したものを、うーんと引き延ばして使ったために、
実にお粗末な彫り方になってしまっているし(!!)

「どうせ変なものを後で建てられるくらゐなら、生きてゐるうちに、少しでも
いいものを作っておく方が、自分の芸術に対して忠実というふべきだ。」(原文ママ)

もうっ、八一センセったら。
こだわりの強さに大爆笑です。
これぞ、會津八一、でございます。

会場に入る前からこの調子だったから、
展示室(誰もいなかった>完全貸し切り状態)では大爆笑の連続でした。
別に笑うところではないのだけど。

新潟を代表する菓子店「大阪屋」の看板文字も会津センセの文字。
銘菓「喫茶去」も会津センセの文字。

結構気にせず目にしていたものですが、
そういわれて見ると、結構味わい深い文字です。

そして。
ヤイチセンセは偏屈だ~(←褒めてます)

新潟に生まれ、
早稲田に学び、
奈良のことを学び、
いくつかの歌を詠み、
最後に新潟に住む。
(と自分で書いていた八一センセ)

わたくしも新潟に生まれ、早稲田に学び(エクステンションセンターで、ですがね)
奈良のことを学び、ちょっとは歌も詠み、将来また奈良に住みたい(ははは)ですから、
なんか親近感はあるんですけどね>八一センセに、勝手に、恐れながら。

なかなか面白い内容でした。

で。
ふと思い出したエピソード。
かつて、奈良文化論で聞いたハナシ。

「学生がいうんですよ。センセ~、”あいづは~”って誰ですか?」
「???アイヅヤイチ、ね。は~ではなく、八一」
「どひゃひゃ★」

ちゃんちゃん♪
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年の初めは…

2017年01月02日 | 色々・モシクハお勉強
「さだまさし!」(←わかる人にはわかる)

『ゆく年くる年』で春日大社を拝んだ後は、
毎年恒例の『年の初めはさだまさし』を視聴し、
お屠蘇飲んで、おせち食べて、



年賀状見て、ののたのた過ごし、
元日の深夜高速バスに揺られて一路東京へ。

今年は一般参賀にかけつけましたよ。
いろいろありましたもんでね。

今年は例年よりも多くの人が参賀に駆け付けたようで、
こりゃ二回目になっちゃうか?と危ぶみましたが、
なんとか第一回目の参賀に入れまして。
年の初めは「一般参賀!」を今年も皆様とご一緒できました。


ブレブレですが、写真より肉眼で見てたのでいいのだ。


お堀にボートが…転落した人の救出用?!

で。
お次は『博物館に初もうで』なるイベントをやっているので、神社仏閣よりも先にトーハクへ。


来たぜ、トーハク

調べてみたら、去年の年末までの会期だったはずの、
平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち』がまだやっている!
好評につき会期延長ですって!

門外不出の、しかも33年に一度の御開帳のホトケサマが、
初の出開帳ってことで、いいなあと思っていましたが、
外国行っている間に会期終了ってことだったので残念って思っていたんですが。
それが調べてみたら、まだやっている!これは見逃せない!!
てんでトーハクイン(ホテル名みたい)


表慶館も冬空に映えて綺麗です

平成館方面へ向かうと、何やら見かけない銅像がたっている。
よくよく見てみると…「町田久成像」
ひゃー。初代館長として立っておりまして、ほほーお久しぶりです(謎)



ご子孫の方の発案で、町田氏の業績を顕彰して、トーハクに建立したいということで、
胸像製作は中村晋也先生@薬師寺の釈迦十大弟子の作成者、
正面の「初代 町田久成館長像」の文字は安倍晋三総理、
というとても立派な像ができておりました。



2016年の11月に設置されたそうで出来立てのホヤホヤ。
知らんかったなあ。
そして、そのオカオのあまりにイケメンなことイケメンなこと。
ほほほー。
なんかとっても得した気分(謎)

平成館に入ってみたら、「初詣イベント」で
「曲独楽(きょくごま)と落語」をやっていたので大講堂で体験。
その後、展示を見て回りました。

そこで気が付いたこと。
あれ?新館での展示は無いのね(ははは)
よくよく見てみたら、本館特別5室での展示でしたわ。
(それでも、そこだけ別料金なのね)
まあ私は奈良博パスポート持っているのでスルーパスですけどね。
(ハンコ押してもらう必要がありますが)

まずは考古のコーナーを丹念に見て回り、
大好きなハニワさんたちと再会。

そして5室へ。
5室なんて、もしかして初めて意識して入ったかもしれない(記憶違いかなあ)
本館の”大階段”下の空間にこんなとこがあったなんて(記憶にない)

ま、そんなことはどーでもいいんですが。
入った途端に圧倒されるほどのドデカイホトケサマ。
今回の目玉、十一面観音菩薩坐像でした。

座っているのに「デカい!」
このサイズの仏さまがいるのが、滋賀の櫟野寺(らくやじ)
ゆっちゃなんだが、京都ではない一地方のお寺にこんなドデカイ仏像がおわしますなんて。
滋賀の寺侮れまじ。

お寺で見るホトケサマはもちろん貴いんだけど、
博物館でみる仏様はぐるりと一周360度ながめられるんで、それもまた貴重な体験。
ぐるんぐるんまわって好きなだけ眺めまくりましたわ。

その他にも地蔵菩薩坐像や、薬師如来坐像、観音菩薩立像などもいらしてて、
”櫟野寺所蔵の重要文化財の平安仏20体が、初めてすべて出陳されます”
なのでした。

しかし…お寺からそんだけの仏様をお連れしてしまったら、
現在お寺はガラガラなのか?!
となると、期間延長ってのは地元の人たちにとっては、
オラが寺の仏さまが帰ってこない(涙)だったら申し訳ないなあ。
しかも正月、それこそ「初詣」で拝んでいた人も多かったでしょうに。
ということで、このご縁を思いがけず得られて有難かったです。

あとは博物館でのおたのしみ。
ミュージアムショップをウロウロ。
バーゲン本なるコーナーを覗いたら、うはは、気になる図録がある~。
ってことで「大王と豪族 6世紀の大和と河内」by近つ飛鳥博物館と、
「女性はにわ その装いとしぐさ」by埼玉県立博物館をすかさずキープ。

なにやら2000円以上お買い上げの方には粗品プレゼントってことだったので、
何がもらえるやらと景品交換所を覗くと、壁掛けカレンダーを配っているではありませんか。
うきゃー!カレンダーは粗品ではないわ!
ってことで、不足分をレターセットなど値段合わせのために購入して、めでたくゲット。

図録二冊と、カレンダーと幸せな重みを抱えて実家へ向かうことなりまして…。
その後、この重みが延々続くことになったのは苦行ではありましたが、
それ以上にほくほくできたのでヨシとします。

言うではありませんか。
「はじめ良ければ、終わりよし」

ということで、今年は良い年になるのではないかと、かたくかたく信じております。
「信じる者は救われる」

今年もよい年でありますように♪




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一年の計は…

2017年01月01日 | 色々・モシクハお勉強
あけおめ。ことよろ。

…とかって、リアルでは書いたことがない文章。
今年、(生まれて)初めて書いてみました。
とりあえず新年のあいさつってことで。

2016年はいろいろとグダグダで。
おせち作りも今年こそは紅白の前に終わりたい!(力説)って思っていたのに終わらず。
ついさっきまでやっていたさ。

は~やれやれと思ったものの、年賀状も作ってないし(汗)
「元旦」って文面を入れる予定なんだが、本当に元旦に作る羽目になるとはね。
(これまた毎度のことだけど)

年越そばをダンナが食べるというので、
年を越してから食べて(言い出しっぺのダンナは風呂に入っていてすでに年を越した後)
今現在「年の初めはさだまさし」を見て、年始から夜更かしの予定。

まあ、今年もそんなこんなでズルズル・ぐだぐだでやっていくのでしょう。
人間そうそう変わらないものです。
ええ、わかってますとも。

今年こそはとか思っても、そうはならないことくらい、この何十年、
毎年毎年思っていてもかわんないんだから、わかってますってばっ。

ということで、今年もよろしく。
(トートツ)
コメント (2)
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