先日は博物館のハシゴをしましたが、
本日は神社仏閣のハシゴをしてきました。
まずは神社へ初詣。
ダンナの実家は毎年ココ!ってことで「伊奈波神社」へ。
ここのご祭神は「五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)」
なにやら第十一代垂仁天皇の長男で、第十二代景行天皇の兄なんですってよ。
(知らんでお参りしとったんかい!)
お祀りされたのは薨去の翌年(景行天皇14年>2000年くらい前ですよ)
へー、すごく古い。
(まあ伝承ですから、素直に信じる必要はないですが★)
もともとは稲葉山(現在の岐阜城のあるお山)の中腹にあったけど、
山のてっぺんの稲葉山城に斎藤道三(まむし!)が住むことになった際に、
神様の上に住むのはどうかってことで、この地に移されたんだとか。
ここはパワースポットとして人気なんだそうな。
(伊奈波神社自らがそういう看板出してたし)
神社で、パワースポットねえ。
「気」を感じるとかじゃなくて、パワーねえ(うだうだ)
ま、そんなことはいいとして。
本日は神門が開いていて、拝殿にてお参りすることができました。
(あいてないこともあるのでご注意を)
神社でパンパンした後は、同じ敷地にある「善光寺」へ。
最初来た時、「岐阜で善光寺?!」と思ったものの、由緒は正しい(?)らしい。
武田信玄がアノ善光寺からホトケサマを持出して(!)
甲府に新・善光寺を建ててお祀りしていたんだと(!!)
そして信玄が亡くなると、今度は信長によって岐阜に迎えられた(!!!)
で。
信長は本能寺の変であの通り(?)亡くなったらしいので、
信長の次男である織田信雄(←のぶかつ、だよ、奈良検定でお馴染みの)が
尾張の甚目寺に移した(?!)かと思ったら、
秀吉によっては京都の方広寺に移され(?!!)、
次の家康に浜松の鴨江寺に移されて(?!!!)、
あちこち連れまわされたあげく、
元の善光寺にようやく戻ることができたそうです。
(え~その間、信濃の善光寺ってどうしていたの?ご本尊も無くに)
岐阜にはこんな感じで、善光寺さまがお祀りされていた過去があるので、
信長の孫の秀信が稲葉善光寺堂を建立して、
善光寺さんの御分身をお祀りすることになりましたとさ。
めでたしめでたし。
(ってそうなのか?)
ということで、長野の善光寺さんをお参りするのと、
同じご加護があるのではないかと。
わたし、二回ほど長野の善光寺に行っているけど、
そんな因縁(?)あるとは知らんかったなあ。
(ダメじゃん)
伊奈波神社と善光寺詣ではセットなので、これでワンペア。
ささ、ではでは前から行きたかった、
あそこも行きましょってことで、「正法寺」へ。
ここは日本三大仏のひとつ、岐阜大仏があるんですって。
正法寺正面(寺じゃなくて城みたい)
奈良の大仏を見慣れているものとしては、
大きな仏さんってのは別に驚かないのだけど、
ここの仏さんはちょっと変わっている。
日本三大大仏とは、
奈良の大仏、鎌倉の大仏、そして岐阜大仏なんだそうです。
大きさでいえば、
14.98m(奈良)>13.63m(岐阜)>11.35m(鎌倉)
というデータなんですってよ。
ほほー、確かに大きさでいえば、そうかもしれない。
鎌倉の大仏ってあんまり実物を見た体験が少ないから、
記憶を頼りには比較できないけど。
奈良の大仏よりは小さいけど、結構デカい。
「かごの大仏」という名でも呼ばれるそうで。
何故そう呼ばれるかというと…。
大イチョウを真柱として、骨格は木材をもって組み、
その外側は竹で編んで(←これがカゴってことですかね)、
その上に粘土をぬり、さらにその上に経典を張って、
漆をぬり、金箔を貼って完成。
つまりは乾漆造なのだな。
この大きさで乾漆造?!
日本最大級の乾漆像だそうですわ。
こんな風になってますって断面図(大仏様を切るとは…)
横から見ると、ちょっと前のめりの、というか
見上げている人に向かって、
腰をかがめて顔を近づけて下さっているようなお姿に、
よ!って感じの大仏さま
なんだか温かみを感じまして。
顔もにっこりとしているように見えます。
思わず手を振りたくなるような気分(実際手を振ってみたけど)
さて、大仏様にも会えたし、
帰る?となったとき。
そうだ、あそこ行こう!「薬師寺」と思い立ち、立ち寄ることに。
薬師寺といえば、奈良の薬師寺が有名ですが、
あの薬師寺の別院が岐阜にあるのです。
「薬師寺・岐阜別院」
”本家”はちょっと遠いので、それではと、ここにも詣でることに。
各務ヶ原・薬師寺
以前訪問した時は段の下で、ナムナムしただけでしたが、
本日は正月詣でということで、堂の上へあげてもらおうかなっと。
靴を脱いで、階段を上がって、引き戸を開けると…あら、
正面には吉祥天女様がおわしますではないですか!
”本家”でも、東京別院でも、年越し写経をした際に、
お目にかかっていますが、岐阜の地にもお出まし下さるのだとは知らず、
思いがけず吉祥天女さまに会えて感動しました。
正月三が日は国宝の吉祥天画像が薬師三尊さまの前にお祀りされていますが、
これが三日間だけなのでなかなか会えない。
(15日までは平成の写しがお祀りされていますが)
写しとはいえ、本家の写しですからね~。
他に誰もいず、ちょっと寂しい感じですが、
それでも吉祥天さま独り占め~(あ、ダンナもいたけど)
ということで、神社ひとつに、寺みっつ。
はー、本日も満腹満腹でございました。
本日は神社仏閣のハシゴをしてきました。
まずは神社へ初詣。
ダンナの実家は毎年ココ!ってことで「伊奈波神社」へ。
ここのご祭神は「五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)」
なにやら第十一代垂仁天皇の長男で、第十二代景行天皇の兄なんですってよ。
(知らんでお参りしとったんかい!)
お祀りされたのは薨去の翌年(景行天皇14年>2000年くらい前ですよ)
へー、すごく古い。
(まあ伝承ですから、素直に信じる必要はないですが★)
もともとは稲葉山(現在の岐阜城のあるお山)の中腹にあったけど、
山のてっぺんの稲葉山城に斎藤道三(まむし!)が住むことになった際に、
神様の上に住むのはどうかってことで、この地に移されたんだとか。
ここはパワースポットとして人気なんだそうな。
(伊奈波神社自らがそういう看板出してたし)
神社で、パワースポットねえ。
「気」を感じるとかじゃなくて、パワーねえ(うだうだ)
ま、そんなことはいいとして。
本日は神門が開いていて、拝殿にてお参りすることができました。
(あいてないこともあるのでご注意を)
神社でパンパンした後は、同じ敷地にある「善光寺」へ。
最初来た時、「岐阜で善光寺?!」と思ったものの、由緒は正しい(?)らしい。
武田信玄がアノ善光寺からホトケサマを持出して(!)
甲府に新・善光寺を建ててお祀りしていたんだと(!!)
そして信玄が亡くなると、今度は信長によって岐阜に迎えられた(!!!)
で。
信長は本能寺の変であの通り(?)亡くなったらしいので、
信長の次男である織田信雄(←のぶかつ、だよ、奈良検定でお馴染みの)が
尾張の甚目寺に移した(?!)かと思ったら、
秀吉によっては京都の方広寺に移され(?!!)、
次の家康に浜松の鴨江寺に移されて(?!!!)、
あちこち連れまわされたあげく、
元の善光寺にようやく戻ることができたそうです。
(え~その間、信濃の善光寺ってどうしていたの?ご本尊も無くに)
岐阜にはこんな感じで、善光寺さまがお祀りされていた過去があるので、
信長の孫の秀信が稲葉善光寺堂を建立して、
善光寺さんの御分身をお祀りすることになりましたとさ。
めでたしめでたし。
(ってそうなのか?)
ということで、長野の善光寺さんをお参りするのと、
同じご加護があるのではないかと。
わたし、二回ほど長野の善光寺に行っているけど、
そんな因縁(?)あるとは知らんかったなあ。
(ダメじゃん)
伊奈波神社と善光寺詣ではセットなので、これでワンペア。
ささ、ではでは前から行きたかった、
あそこも行きましょってことで、「正法寺」へ。
ここは日本三大仏のひとつ、岐阜大仏があるんですって。
正法寺正面(寺じゃなくて城みたい)
奈良の大仏を見慣れているものとしては、
大きな仏さんってのは別に驚かないのだけど、
ここの仏さんはちょっと変わっている。
日本三大大仏とは、
奈良の大仏、鎌倉の大仏、そして岐阜大仏なんだそうです。
大きさでいえば、
14.98m(奈良)>13.63m(岐阜)>11.35m(鎌倉)
というデータなんですってよ。
ほほー、確かに大きさでいえば、そうかもしれない。
鎌倉の大仏ってあんまり実物を見た体験が少ないから、
記憶を頼りには比較できないけど。
奈良の大仏よりは小さいけど、結構デカい。
「かごの大仏」という名でも呼ばれるそうで。
何故そう呼ばれるかというと…。
大イチョウを真柱として、骨格は木材をもって組み、
その外側は竹で編んで(←これがカゴってことですかね)、
その上に粘土をぬり、さらにその上に経典を張って、
漆をぬり、金箔を貼って完成。
つまりは乾漆造なのだな。
この大きさで乾漆造?!
日本最大級の乾漆像だそうですわ。
こんな風になってますって断面図(大仏様を切るとは…)
横から見ると、ちょっと前のめりの、というか
見上げている人に向かって、
腰をかがめて顔を近づけて下さっているようなお姿に、
よ!って感じの大仏さま
なんだか温かみを感じまして。
顔もにっこりとしているように見えます。
思わず手を振りたくなるような気分(実際手を振ってみたけど)
さて、大仏様にも会えたし、
帰る?となったとき。
そうだ、あそこ行こう!「薬師寺」と思い立ち、立ち寄ることに。
薬師寺といえば、奈良の薬師寺が有名ですが、
あの薬師寺の別院が岐阜にあるのです。
「薬師寺・岐阜別院」
”本家”はちょっと遠いので、それではと、ここにも詣でることに。
各務ヶ原・薬師寺
以前訪問した時は段の下で、ナムナムしただけでしたが、
本日は正月詣でということで、堂の上へあげてもらおうかなっと。
靴を脱いで、階段を上がって、引き戸を開けると…あら、
正面には吉祥天女様がおわしますではないですか!
”本家”でも、東京別院でも、年越し写経をした際に、
お目にかかっていますが、岐阜の地にもお出まし下さるのだとは知らず、
思いがけず吉祥天女さまに会えて感動しました。
正月三が日は国宝の吉祥天画像が薬師三尊さまの前にお祀りされていますが、
これが三日間だけなのでなかなか会えない。
(15日までは平成の写しがお祀りされていますが)
写しとはいえ、本家の写しですからね~。
他に誰もいず、ちょっと寂しい感じですが、
それでも吉祥天さま独り占め~(あ、ダンナもいたけど)
ということで、神社ひとつに、寺みっつ。
はー、本日も満腹満腹でございました。
知りませんでした。
かまくらはよく見に行きましたが
岐阜も今度見に行きたいです。
みんなのブログからきました。
詩を書いています。
私も三大大仏の一つが岐阜にあるなんて思ってもみませんでした。
まあ、三大でなくてもいいのですが、初詣でよくとおる道沿いのお寺に、
こんなすごいものがあるとはつゆ知らず。
面白い体験をしました。
岐阜市お立ち寄りの際はぜひ体験してみてください。