奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

新講座初受講…のハズが

2015年03月31日 | 中文(普通語)的学習
「テレビで中国語」の新年度講座が始まるっていうので、
まだ旧年度3月31日(年度末日!)にもかかわらず、
視聴するわよ~と思ったら…。

いつもの時間にチャンネルを合わせると…始まらない。
違う番組をやっている…。
なぜだ?何故なんだ?!

ホームペーを見てみたら、
2015年度の「テレビで中国語」は、

”放送 :火曜日 午後11:00~11:25
 再放送:翌週 水曜日 午前5:30~5:55”


だ、そうで…。

知らんかった~!!(絶叫)

明日奈良行きだから、それ見たらサクッと風呂入って寝ようと思っていたのに、
出鼻(?)をくじかれてしまった。

しかも、本放送が火曜日の夜で、
再放送が翌週の水曜日ってなんなんだ、それ?

再放送を見ようと思ったけど、午前五時なんて起きているはずもないし。
(いや、明日は四時起きなんですけどね>奈良行きだから特別で。普段は寝てる時間)

それよりも何よりも、
第一回目の再放送が、
第二回目の本放送よりも後の日程ってどうよ?

3月31日(火)に見逃した第一回の放送を、
4月7日(火)の第二回目の本放送の後(4月8日(水))で見ろってこと??
普通、再放送がある連続ものの番組って、
次回の本放送がある前(直前でも可)までにはやるんじゃないの?>NHK。

ふんがー。
危うし、テレビで中国語。
今年は一年パスかあ~?
(震災の年もテレビで中国語はパスしてたし)

いきなりこれでは、先が思いやられるわ。
まあ、確認してなかった私がいかんのだけど。

時間が変わっていたなんてウカツであった。
トホホ。
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春はまだ会?二日目

2015年03月28日 | 色々・モシクハお勉強
はてさて。
午前五時に興奮冷めやらぬままに寝付いて、途中何度か目が覚めて。
8時半には起床して、宿を飛び出し、本日は春日大社を中心にウロウロの予定です。

その前に、またまた昨日の今日で二月堂へ。
(昨日と今日で、実に三度目の訪問だ)
修ニ会があけた翌朝は、”韃靼帽いただかせ”という行事があるので。

行が明けた翌日に行われる”韃靼帽いただかせ”とは、
練行衆がかぶっていた韃靼帽を子供たちにかぶせてもらうと、
丈夫な子に育つっていうもの。

カメラマンさんたちにとっては良い被写体としては格好の行事。
前からこういうのがあるのは知っていたけど、修ニ会が終わった後に、
これだけを見に来るってのもなあ…って思っていたため体験したことはなく。
(いやーもったいないハナシだ。奈良ケンミンだった頃もあるのに)

昨日と同じく裏参道から登っていくと、いや~に制服姿のお子様が多い。
しかも、自動車通行の制限がかけられているにもかかわらず、
「東大寺幼稚園の保護者の方はこちら」みたいな看板も出ていたりして。
幼稚園って送り迎え用に、駐車スペースが用意されているの?
とかトンチンカンなことを思っていたら。

あ!そうです。本日は日曜日。
普段は学校に行っているであろう幼児・学童・学生たちも、
本日はおやすみですから~。

例年の人出がどれくらいなもんか判らないのですが、
本日は日曜日ということで、すごーくお子様連れの人が多かったです。
まあ、お休みではなかったとしても、東大寺幼稚園の子であれば、
きっと毎年かぶせてもらいに来ているよね。
(お膝元の幼稚園なんだから)

みんなニコニコでかぶせてもらって、入れ替わり立ち代りしてます。






別に大人の人でもかぶせてもらえるようで…私もチャレンジしたかったのですが、
今回は先を急ぐので、次期繰越です。


生駒山が綺麗に見えておりました

ということで、そそくさとその場を離れ、一路春日大社へ。
本日は春日大社の御田植神事もあるというので、そちらへ急ぎます。


水谷神社近くで会った鹿さんファミリー

10時から神事は始まっていたようですが、それらは一般人は見られないのでヨシ。
私のお目当ては11時からの御田植神事ですから。

舞殿にて場所取りで待っていたら、
本殿前で行なわれていた神事が済んだのか、お供物が下げられてくるのを見ました。



そしていよいよ11時より御田植神事です。
本殿前の林檎の庭をたんぼに見立てて、牛を用いて「田起こし」や


「苗代かき」




それが済むといよいよ早乙女が田植え。



早乙女が田植えの所作をした後は「あれ~あれ~」の掛け声。
「生(あ)れ~、生(あ)れ~」は、
生えろ~、育て~という意味なんでしょう。

この神事は場所を移して別の場所でも行われるというので、
巫女さん(否、春日大社では”みかんこ”さん)は移動してゆきます。

この神事の後、蒔いた松苗っていただけるんじゃないっけ?とか思っていたら、
林檎の庭の稲は全部巫女さんによって撤去されていきました。
(一般人は林檎の庭には入れないしねえ)



あと、若宮神社でもあるんだっけ?と思って行ってみたら、人がまばら。
場所取りをしているのか何人かの人がいたけど、先ほどの御一行様の姿は無し。

そのうち、笛がどこからか鳴りはじめて、あ!ここじゃないと猛ダッシュ。
何のことは無い、南門を出てすぐ下の場所で人だかりができていて、
そこで再び御田植え神事が行なわれているようでした。
ここが榎本神社下って場所なのね。
(南回廊の西南の隅、南門の左手隅にあるのが榎本神社です)
どっちかっていうと、到着殿の前(東)といったほうが判りやすい。
場所はこちらの地図を参考に。
(→http://takaoka.zening.info/Nara/Nara/Kasuga_taisha_Shrine/Enomoto_jinja.htm)

ここは参道から数段の階段を登って上がった場所が「田」として見立ててられたので、
写真を撮るのにはよい場所。
カメラマンの皆様は参道からの位置にて、上向きにカシャカシャと写真を撮ってました。

林檎の庭だと、神事が幣殿&舞殿の柱の向こうで行なわれるので、
どうしても柱が入り込んでしまうため、
写真を撮るならば完全野外のこちらの方がいいかもしれません。

こちらでも、田起こしと、田植えの所作が行われるます。
私が駆けつけた(笑)時にはすでに、早乙女の田植えの場面になっておりました。





ここでの神事も無事終了。
しかし先ほどとは違って神事終了後には、
ビニール袋を手にしたおじさんが現れたので、
「あれれ?入っても可?」状態になり、
私も「田」の中にはいって、
それからは見物人によるビーチフラッグ(笑)状態。

ここでも神社の法被を着た方が現れて
「お下がりをいただかないといけないので~(遠慮してー)」
風なことをいいながら松苗を集めていたので、
松苗は避けて、遠慮がちに(←ここ重要)播かれた籾と、
小さく切ったお餅を数粒いただいてきました。


左手から関係者が現れて松苗を回収しにくるんだけど…それを合図にGO!(笑)

そして、再び若宮神社へ。
祭事御一行様は上の道を通ってゆかれたので、
それについていった人たちも上の道を通っています。
そこで私は下った方の道で、奥の方まで、
大黒神社の方へと回り込んだら結構空いていました。
ここでも同じ動作を繰り返して神事終了です。
(あっさりした説明)


カメラマンさんは圧倒的にあちら側からとっていたけど、こっちは人が少なくて快適でしたよ
まあ、音楽隊(?)の人たちは背中しか見えていませんが…

林檎の庭では50分くらいの神事でしたが、
その後の榎本神社下と、若宮神社での神事はそれよりも短く20分くらいで終了したのかな?
コンパクトに終了するので、手短に見学をするのであれば、あとの二つの方がオススメ。
そして、写真を撮るのであれば、やはりあとの二つの方が何かと便利です。

そしてやはり最後には、お下がり争奪戦なのですが…。
ここのお下がりは比較的緩やかに奪われておりました。
(係りの人も撤収にこなかったような…いたのかな)

それをカメラに収めるカメラマンや、報道マン。
なんか、ここでも松苗は手にしちゃいかんのかと思って、
ひたすら、籾ガラとお餅を集めていましたわ。

中にはインタビューを受けている人もいて。
そのわきをそそくさとすり抜けてきました。


お餅&松苗争奪戦(^^)

はー、これにて本日の主要ミッションは終了です。
後は、「浮雲峰遥拝所」での参拝をして、「後殿開扉」を見るというスペシャルイベント。
(トカユウナ)

浮雲峰遥拝所は本殿の東回廊の外にありまして、
そこから武甕槌がこの地に降ったという場所を遥拝する場所。

「後殿御門」は明治以降ずっと閉じられたままになっていた本殿裏の庭に通じる御門。
ここが約140年ぶりに開くというのです。

この二つは特別参拝料が必要ですが、行くでしょ、とりあえず。
ってことで、初穂料をお納めして、GO。

特別参拝受付の小屋からいつもは南回廊を歩いて入る特別参拝ですが、
何故か今回は小屋の左手の入り口から、林檎の木の脇を歩いて本殿前へ向かう階段を登り、
一旦東回廊の奥隅までつきあたってから、南回廊方向へちょっと戻って、
影向門(東の門)から回廊の外へ出るというルート。

んんん?何故こんなルートなんだろう?
どうせだからって私は東回廊を南へ下って、
さらに南回廊まで戻ってきて、
その上、特別参拝受付の小屋の向かって右横(いつもの入り口)の、
桜門から回廊の外に出てみました。
配置図はこちらの図を参考に。
(→http://welcome-nara.jp/kasugataisya05/)


桜門を出た場所の南回廊を東へ向かって眺めるとこんな感じ


東回廊の影向門から出るショートカットルートでもOK


東回廊を北に向かうとこんな感じ


遥拝所を示す立て看板


遥拝所の鳥居

遥拝所にてパンパンしたら、
後ろのグループは外人さんでした。
ここも人気高しですね。

そしてまた回廊の中へ戻り、本殿を近くから参拝して、
左手から捻廊を眺めて、本殿裏手へ。
そこで、二つ目の特別公開・後殿御門が開いているのを眺めました。



ここは明治時代から一度も開いてないとのことなので、
今までここが開いているのは見たことがないのだわな。
へー、そうなんだー。

本殿の後ろには、末社が五つお祀りされているのですが、
いつもは素通りしていたなあ(あらら)

御本殿まわりは一般人は入れないけど、
式年造替の行事である「お砂持ち神事」の時だけは、
一般人も立ち入ることができるんだそうで…。
その時は体験してみたいもんだ。
(神宮の時はできなかったし)

回廊をくるっと回って、直会殿から退出して砂ずりの藤の前に出てきたら、
それを待っていたかのように小雨が降り出しました。
あら、まあ傘は持ってきたし、重要行事は無事終了したからいいでしょう。

お守りや朱印所に並んで、さきほど林檎の庭で撤収したらしき「松の束」が
ヒト束300円で販売されていました(笑)
あれ、300円もするんだ~(@_@;)

まあ、どうしても欲しい人は、
ここで購入することも可能ですよ~という情報として残しておこうと思います(笑)
(うちわまき@唐招提寺のうちわも、どうしても欲しければ販売してますしね)

その後は傘さしながら飛火野をそぞろ歩き。
そして、丸窓亭や浮御堂あたりの梅林を楽しみながら歩いてみました。



ここらへんって、授業で水野センセと歩いたわね…。
鹿にからまれて、持っていたパンレットなどとられそうになった時、
水野センセが自分のプリントをびりびりやぶいて、
鹿がそれに気をとられている間に逃げた(笑)なんてことがあったっけ…。
ちょっとしんみり。

そして、奈良ホテルを横目に、奈良町に突入して珍しくここらへんをウロウロ。
どこで昼ごはん食べようかなと思ったら、そうだ、今日は日曜日!(こればっかり)

ガイドブックに載っているような店はドコもかしこも行列してるし…めぼしいところに入れない!
そうこうしているうちにランチタイムを過ぎかけたところで、
前々から行ってみたかった「ぽくぽく」さんへ。

店内は満席で、それでも入りたかったので席が空いたら電話もらうことにして、
ちょっとそこらへんをプラプラ。
猫グッズを扱う「喫茶まほろば」@ひよりの前のお店を冷やかしたり、
奈良町情報館を覗いてたりしてたら、
電話がかかってきました♪10分くらいしか待ってなかったからラッキー。

大和ポークのお店ってことで、
定番のとんかつをオーダーして、
ようやく二時半過ぎにおいしいとんかつにありつけました。


食前酒ならぬ、食前スープ。めかぶスープだそうです

そしてお膳が登場。
しかも、物凄いボリューミー!
超大量のキャベツが魅力的だ(私はキャベツ大好き)

このとんかつ、一口食べたら「うまーーーーーい!」(宮川大輔風)
ソースではなく、お塩で食べるとんかつなのですが、
衣は体験したことが無いくらいサクサクで、
中の甘い豚の脂と美味い塩がとってもマッチ。
うぎゃー、とんかつってこんなに美味しいもの?!



味噌汁代わりについていたお椀は葛うどん(?)だったようで、
中身がぎっしり入ったもので、これだけでもボリューミー。
ちょっとお高めかなって思いましたが、
これだけ食べられれば満足そのものでした。


食後は黒烏龍茶が出ます
(クロネコちゃんは伝票ホルダーだったのだな)

いやー、次からはここ予約してから来ようっと♪

その後は珍しく奈良町をウロウロしたり、お店をゆっくり冷やかして回ったり。
あと、修ニ会の期間中にだけ販売している「椿のお菓子」も二種類ゲット。

昨日(というか本日早朝)から結構、山と下界を往復していて足もしんどいし、
ってことで、本日の予定はゆる~りと終了と相成りました。

来年は春日祭の時に、「お水取り」と組み合わせて来たいなあ~。
膨らむ妄想&スケジュール設定。
それを楽しみにまた一年がんばりましょっと。
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春はまだ会?一日目

2015年03月26日 | 色々・モシクハお勉強
春だ!修ニ会だ!春日大社だ~!!!(謎)
ってことで、慌てて予定を組んで遠征してきました>奈良。

どうせ行くならお水取りも久しぶりに見るかってことで、
3月14日の最終日に滑り込んだのですが、
久しぶりの土日日程であることに気がついたのは現地についてからであった。
(と毎度まいど、この銚子なワケですが)

とりあえず昼過ぎに奈良に入り、
昼ごはんとショッピングを楽しみに奈良ファミリーへ(何故?)

それからテクテクと歩いて法華寺へ向かいます。
大極殿北の道を東へ向かって歩いていて行き、
途中にあった平城天皇陵をこのたび初めてお参りしましたわ。

ここに限らず、両サイドを住宅街に侵食されている天皇家のオハカって、
どうしてこうも、似通った参道脇の風景なのかしらねとか思いつつ…。
(聖武天皇陵しかり、長屋王の墓しかり)

この古墳は築造年代(5世紀後半くらい)と、
平城天皇の没年代(9世紀はじめ)が合わないので、
もともとココにあった古墳を再利用して(!)平城天皇の陵としたようなのだけど。

京都に奠都したものの「奈良に帰りたいよ~」って思っていた
平城天皇の叫びは、私にはよく判るので(笑)
ココにお墓があるのは正しいのかもしれないけど。
もともとの持ち主(?)はこの暴挙をどんな風に思ったことか、と。





さらに東へ向かい、辿りついた法華寺は、
ただいまの会期は雛人形をお飾りしている時期でして、
東書院でたくさんの雛人形を鑑賞しました。

残念ながら写真撮影禁止だったので写真はありませんが、
香淳皇后から贈られたとか、
貞明皇后拝領の御所人形とか由緒正しい人形が並び、
ここは天皇家ゆかりのお寺なんだよなーと実感。





その後、本堂をお参りして、
久しぶりに「光明皇后の姿に生き写し」っていうご分身の十一面観音像を拝みます。
あと半月もしたら、今は閉じられているお厨子の中の本尊のお顔も拝せるようになるしね。
その頃また来なくちゃ(へへへ)

本堂内をまったりと見て歩いていたら、表の障子に影を映しながら、
猫が「にゃーにゃーにゃにゃー」と鳴き攻撃を開始。
お寺には猫がよく似合う。

すわ、野良猫が本堂に乱入か?って思っていたら、お寺の係りの人が外へ出て、
「スミちゃん(?)」って呼びかけてました。
あらら、飼い猫?

すると庵主さまが現れ「あのースミちゃんが来たんですけど」というと、
「おお、スミちゃん来たの」とひょいと肩に乗せて去ってゆかれました。
どうやら夕方のお食事のようです。
そういえばどこかのお寺でも、庵主さまに懐いて、エサをもらっていた猫がいたっけ。

あんまり猫の様子を見ることはできなかったんだけど、
次回また、夕方に来たら再会出来るかな?

法華寺をおいとまして、新大宮まで歩き、ヒト駅のって近奈良へ。
そしてお宿に荷物を置いてから、慌てて二月堂を目指します。

本日は最終日なので6時半から「おたいまつ」の予定なのに、
ついついのんびりしすぎていて、気がつけば5時半でしたもん。
宿からまっすぐ東へ向かって、NHKの前を通り、天極堂で北上して、急げ急げ。
とりあえず6時前に二月堂の前には出られましたが、もうもの凄い人出。
そうだ、今日、土曜日だ…。

久しぶりに平日じゃないお水取りだったもんで、土日の人出の凄さを忘れておりました。
あげく本日は最終日だもん。
人、多くて当たり前か。

とりあえず、仏餉屋の前には立てたんだけど、
右手の閼伽井屋方向からの広場(?)には行けないようにロープが張ってある。
どうやら手向山八幡宮方面やら、猫段方面から登ってきた人たちとは
区画ワケがなされていて、登ってきたルートによって、留まれる場所が限られているようす。

まあ、私はおたいまつ終了時に登廊から上へ登れればいいので、
この場所はベストポジションだったんですけどね(謎)

では、この待ち時間を利用して(?)お水取りスケジュールについておさらい。

ニュース映像ではこの「松明」ばかりがクローズアップされるため、
何故「火」を扱っているのに、「お水取り」って言われるのか判らんと思いますが、
もともと水を汲み上げて本尊に供えるという行があるため「お水取り」と呼ばれるのであって、
「松明」自体はおまつりの主要なものではない。

松明は、もともと電気のない時代に、二月堂に上堂する練行衆の足元を照らす
明かりとして用いられたもので、なにも高覧から火の粉を落とすために
”アレ”をやっているわけではない。

ってことで、11人の練行衆が二月堂に向かうためにともされるのが「おたいまつ」
このうち「処世界」という役どころの人は、すでに準備のため上堂しているので
おたいまつの必要がない。
ってことで、11-1=10本のお松明が毎日上がる。
ただし、ひときわ大きなお松明である籠松明があがる12日だけは、
この処世界という練行衆も一緒に上堂するため、全部で11本の松明があがるということに。

…ということで。
そうこうしているうちに30分ほど待ち、いよいよおたいまつ10本連続登壇です。
しかし参籠所のかげになって、登廊がまったく見えない場所にいたので、
登壇する人の姿&登っていく松明の絵は全く見えず。

とりあえず二月堂の正面にいるので、松明が登ってくれば見えるようになります。
(それでも左手に参籠所、右手に良弁松。
その間のわずかな”正面”だけが私に見える空間なんですけどね)

一日から13日までの松明は一本一本(ひとりひとり)上がって行きますが、
最終日ばかりは前との間隔を詰めて、一気に上がっていくので、
10本勢ぞろいが短い間に完成します。
(それでも先頭の松明は結構燃えてボトボト落ちてましたけど)





十本全部がグルグルまわされて、火の粉を落とすその光景は、
さしずめ花火の「ナイヤガラの滝」状態。
前の人は歓声を上げてますが、あんなかぶりつきで見てたら、
頭萌える、否、燃えるぜぇ~(ははは)
実際、”下界”に帰ってきて、コートがススだらけとか、
アタマに燃えカスが…ってこともありましたし。

久しぶりに見た「おたいまつ」はそれでもなかなか迫力があって、
ああ、修ニ会だなあとしみじみと感動。

松明が撤退して、「おたいまつは終了です」の奈良県警のアナウンス。
「おたいまつ」の見学者はそこで帰宅するようですが、
本当に面白いのはココからだよ~ん。
(オモシロイとかゆうな>仏教行事なのに)

ということで登廊前の規制線手前に並んで待ち、
すべてのお松明が戻ってきたあとで、警戒態勢が解かれていよいよ登檀再開です。

まずは、お参り…ではなく、本堂向かって左手にある茶屋で腹ごしらえです(をい!)

というのもですね。ここ、参詣うどんなるものがあるのですが、
まだ体験したことがないのですよ、アタクシ。

ということで。
何故か今年はこれを体験せねばならんって気になって(何故なんだ?)
いつぞやも入るには入ったことがあるんだけど、すごい行列で。
狭い店内に人があふれていて、並ぶのも席取りもムリそうだったので諦めた。
そのリベンジですから、とりあえず階段を登りきったら、店内へ入るぞ!!おお!!

狙い通り、登檀が再開したばかりの店内は空いていて、座り放題♪
わーい☆ってことで、うどんと助六をゲットして、まずは腹ごしらえです。



ハフハフしていたら、あれよあれよという間に、店内はごった返してきて、
身動きできない状態に。ふふふ、今回はうまく行ったわ(^^)
ってことで、ツルツルいただいた後は、速やかに撤退して次の人に席を譲りました。

それから参拝(をい)
正面にて、この一年の無事を祈りました。
それも無事済んで、さてこれからどうしましょう。

本日は最終日ということで、行を見学するつもりなんだけど。
明け方まで続くので、しばしの間は下界にて待機していようかなと一旦”下山”。

そこで時間つぶしのために書店に入ったところ。
なんと、そこで、『天上の虹』最終巻が並んでいるのに気がついて…。
買う!買う!!絶対に買う!!!
そして、読む!
ってことでコーヒー片手に早速それを読みました。

『天上の虹』とは副題が、”持統天皇物語”。
里中満智子大先生が30年間に渡って書き続けてきたライフワークとなった作品。
奈良時代マンガの三部作の、時代的には一番最初に位置するものなのに、
最後の最後に完結することになったという作品。

最終回では讃良(持統天皇)の崩御が描かれているのだけど、
なんかそれを読んだら号泣してしまいましたわ。

持統天皇が崩御するなんて1300年前にわかっている事実なのに、
とうとうそれが来たかって感じで、マジ、泣いてしまっている自分に驚愕。
サイン会や、講演会に行くたびに、「里中センセ~早く続き書いて~」
とか茶化していたけど、いざ完結してしまったとなるとホントに寂しい。
いや~無事に完結してよかったです。
里中先生、お疲れ様でした。

さあ、泣いてばかりもいられないよー。
二月堂行かなくちゃってことで、気を取り直して再度二月堂へ。
さっき下山した時は人がイッパイいた道も、今では鹿がいるばかりになっていました。
くらーい道をひたすら鹿の監視の中登っていくと、
二月堂の前は煌々と明るく、ヒトもいて、ほっと一安心。
堂に再度上がると、見物のお客さんはたくさんいて。
あんたも好きねえ~状態。(その物好きの一人なんですがね)

とりあえず南の局にもぐりこんで、「走り」と「韃靼」の行を見学しました。
※局の図解はこちらを参考に。
(→http://www.enyatotto.com/fieldnote/narabonchi/syunie/field100.htm)

あまりスケジュールを押さえていかなかったので、
次に何がくるかってのがわかってないの(ダメじゃん)

「走りの行」とは、練行衆が堂内を走り回って行う行。
『二月堂縁起』によれば、
天平勝宝三年に東大寺の実忠和尚が笠置寺の龍穴を覗き、そこから先に進むと、
なんとそこは都率(とそつ)の内院であった。
そこでは、天衆(てんじゅう)たちが集まり、
十一面観音に悔過(けか)を勤修(ごんしゅ)しておった。
その姿に感動した実忠は、人間界でもこの行をやりたいと思ったが、
聖衆たちは「ここの一日は人間界の400年に当たるから、
同じコトをしても、同じようにはおさめられないであろう」とつれない返事。
しかし引き下がらない実忠は、「さすれば走りながら、その行を行うことにしましょう」
といって認められたとか。(どんな俊足?!)

最初は木沓(差懸・さしかけ)の音が「ガタンガタン」聞こえていたのが、
そのうち沓をぬいで走り出すと、バタバタという音が聞こえてきて、
堂正面(西の局)では五体投地が行われている様子。
体を踏み切り板のような板に打ちつけている
「ダン!ダンダン!!」というリズムが聞こえてきます。

韃靼の前には「後夜」の勤行として、大導師作法、咒師作法などがあったようです(をい)
※だって、「これから○○の行です」とかってアナウンスがあるわけじゃないんだもの★

この時、途中「内閣総理大臣安倍晋三~」の声が聞こえてきて、慌てて耳を澄ますと、
各大臣の名前も読み上げられてました。
(ころころ大臣変わっているから、突然の辞任とかにも対応しなくちゃいけないんだよね、
とかとかくだらないことも考えたりして)
ってことは、これは過去帳読み上げか?
(後鳥羽天皇…という名を聞いたような気もする)

日本語で読まれているんだけど、走りの行のその通り、
とくかく急いでいる様子ってのが、その早口からもうかがい知れます。
ほとんど最後の方は「読み飛ばし」のように早すぎて聞き取れません。

そして「韃靼」
木造建築物の中で、火がついた松明を振り回して歩くという暴挙。
薄暗い堂内が火の明かりで明るくなり、その光が内陣を照らしてゆきます。
いやー、これで火事にならんほうがおかしいでしょ。
(て、毎回これで火事が起こっていたら困るけど)
実際、寛文7年(1667)2月14日未明の「達陀」の残り火で二月堂は全焼。
現在の建物は、寛文9年(1669)に再建されたものだとか。

ほら貝が鳴り響いていたり、焔の明かりで堂内が明るくなったりと、
あまり体験したことがない感じに、行のクライマックスを感じました。

それが終わると練行衆のみなさまは一旦下堂されるので、
私も堂を出てコーヒーなど飲んで暖を取り、再度上堂されるのを待ちます。

例の茶屋はまだまだ営業していて、「お寿司半額です~どうぞぉ」と呼び込みをしていました。
そして、お茶屋の方の内陣入り口で上堂を待っている人が多いので、それにつられて立っていたら、
上堂してきた練行衆が再度堂内へ入るのが見られました。



それから西の局へ行ったんだけど、ここは満員で入れなさそう。
しょうがないので舞台で立っていたら、近くにいたお嬢さんが
「もうすぐ出てくるから、そうしたら南天もらってかえれって(意訳)」
なる謎の言葉を発していたので、とりあえず北の局の前で待っていたら…。

中では行が続いているのでしょうが、
もうそろそろ「お片づけ」の時間なのか、北の扉が開いて、
いろんなものを運び出す東大寺法被のひとたち。
これが「破檀」というものか?

お供えされていたであろうお餅や、法要の道具、そして紙で作った椿>糊こぼしが
法被姿の人によって堂内から取り出され、運び出されています。
おおう、あれ?もう終わりなの?と思いつつ、坊様たちは誰も出てこなくて。

その間もお片づけは着々と進んでいるようで、
韃靼で使用したのか焼け焦げた竹(?)の束を、
法被姿の人が水のはった入れ物にいれた途端、
周囲にいた人たちが群がってそれの争奪戦が開始!

よよよ。
どうやら、檀を飾っていたものは撤去された後は、ゴミ置き場としての
手水の脇のスペースに置かれて、それは自由に持ち帰れるようです。
しかし、黒こげになったのをもらって帰ってもなあ…。
とか思っていたら、登場しました>先ほど話題にしていた南天の枝。

南天と焼けてない竹の束を持った人が出てきたので、
これはねらい目ってことで、これだけもらってきました。


争奪戦の戦利品(^^)
南天はもっと実がついていたけど、持ち帰る際にボロボロ落ちてしまいました

この時ですでに深夜2時をまわっています。
今年はあったかいななんて、思っていたものの、
奈良の深夜をなめるなよって感じで。
この頃から猛然と寒くなってきて、
立って出待ちをしていたら膝がカクカクするようになってきました。
おおお、震えが止まらない。

しゃーないから、待ち時間の間に、足とおなかにカイロを貼ったり、
足にユニクロダウンを巻いたりして対処。
オーバーパンツでもはいてくればよかったかなあとか後悔。

その後、南側で結構人がはっていた(?)ので私もそちら側で待っていたら、
扉が開いて、なにやら法被姿の人が松明を用意し始めまして。
おお、こちら側から出てくるのか…。
(何も判ってないワタクシ★)

そうしたら私が立っていたすぐ前で、松明を持った人たちが横並びになって生垣(?)を作り、
中から出てきた練行衆さんたちを迎えました。
おお、何も考えてなかった割に、いい場所ゲットしたんだわ☆



と思ったら、松明を手にした人と練行衆さんがペアになり、
本堂向かって右側の階段を下りてゆきます。
慌てて階段下が見える舞台まで走り、
見てみると、本堂下にある社に詣出てお参りしておりました。



このお参りは「惣神所」(そうのじんしょ)と呼ばれるそうで、
本堂下の東大寺地主神である興成(こうじょう)神社、
二月堂南の高い場所にある実忠ゆかりの飯道(いいみち)神社、
本堂北側・手水舎の脇にある遠敷(おにゅう)明神、
の三社に詣でて、修ニ会の満行の報告を行うもの。
これで修ニ会が終わりましたよ、ありがとうございましたという報告のようです。
ああ、これで終わったのね。
ほっ。

これが終わると堂をおりてゆく練行衆のみなさま。
どうやらこれで終了らしい。





私の体も限界が来たようなので、そそくさとおいとますることに。
サムサム…と唱えながら、お宿まで戻ってきました。

お宿入ったら、あったかくてほっとした~☆
しかし顔洗って、鼻をかんだら、鼻水が真っ黒だったことにびっくり!
そういえば、鎮守三社に付き添う人のお松明の真後ろ立っていたっけ。
たったあれだけで、鼻水が黒くなるなんて、
ずっと松明持っている人にいたっては…(以下略)あはははは。

眠さと、寒さで限界だったので、もうその後は泥のように眠りました。
(つづく)
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奈良大付属頑張った!

2015年03月23日 | 奈良大学お勉強日記
わが母校、奈良大の付属高等学校が春の選抜野球大会に出場しました。
奈良大学卒業生&もと奈良県民としては応援しなくちゃでしょう!

まあ、結果は……惜しくも初戦突破ならずではありましたが、
頑張って投げて、打って、取ってくれました。

卒業生としてはその校章が全国に映ったってのが、
とっても嬉しかったですよ。
アリガトウ!

校歌は大学のものに似てたけど、
「秋篠」って言葉が入っていたのが超魅力的♪
そうかー、秋篠かあ(ウフフ)

奈良大をゼーゼーしながら卒業して、はや6年(?)
月日の流れるのは早いもんだ。

若人たちよ、ありがとう。
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修ニ会が済んで、春が来て

2015年03月17日 | 色々・モシクハお勉強
「古都奈良に春を呼ぶ行事」との枕とともに語られるお水取り(修ニ会)。
無事終了した途端に、一気に春になった感じです。
(奈良に春が来たのみならず、全国的にも「おすそわけ」だった感がありますけど)

ってことで(?)
行ってきましたよ~修ニ会の最終日♪

今回は食べ物のミッションが多くて(?)
この時期限定の『糊こぼし』をゲットしてきました。


萬々堂通則さんの『糊こぼし(良弁椿)』

一つからのばら売りもありますが、
このレトロな箱にアテられて、
3個入りのものを一つ購入。


もう一つは、萬勝堂さんの『修ニ会の椿』

お上品なお味でした♪


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