今年は令和元年を記念して、トーハクでも”正倉院展”をやるというので行ってきましたよ。
いや、出品されているものは正倉院展通い数十年(←ちょっとふかしてる)のアタクシとしては
出品されているものの殆どは見たことがあるのだけど。
トーハクでもやるってんだから、行かねばならんということで(?)行くことに。
※たんに東京に行きたかったってのもあるんだが(笑)
11月1日は某野暮用があったので(笑)、訪問したのは11月2日(土)
しかし、この日の朝いちばん目は、トーハクより先に上野動物園にパンダを見に行きました(笑)
パンダが朝イチの活動期を終えてお昼寝タイムに突入したのでトーハクへ移動。
10時半すぎくらいから並び始めたため、結構な行列がすでにできてました。
この日は天気がよくて、日差しが気になる日でありました。
途中で周囲の人が黒い傘をさしていることに気が付きまして…。
あれ?傘には「東博」って書いてある…ってことはトーハクの備品か。
かれこれ55分ほど並んで、中へ。
まあまあ、ほどほどの待ち時間でした。
さて、トーハクの正倉院展。
正式名称は、『御即位記念特別展「正倉院の世界ー皇室がまもり伝えた美ー」』
本家本元の正倉院展と同様に正倉院に納められていたお宝も出ていますが、
タイトルにもある通り「宝物が現代まで守られて、伝えられてきた」ということも
見られるようになっていました。
もちろん、正倉院展でもおなじみなお宝
「国家珍宝帳」や「紅牙・紺牙の撥鏤碁石」や「蘭奢待」などなども並んでいましたよ。
ちょっとお久しぶりなものもあれば、あれ?つい最近みたばっかりじゃない?なものまで。
正倉院宝物はもともと聖武天皇の遺愛の品。
光明皇后が聖武天皇ゆかりの品を、大仏に捧げるために献納したもの。
その品々の目録が「国家珍宝帳(東大寺献物帳)」で、
そこには「亡き天皇を思い出しては、その悲しみで崩れそうになる」
といったことを光明皇后がのたまったとの記述がある。
(実際見たけど)
薬師寺が天武天皇と持統天皇の愛の寺であるならば、
東大寺は聖武天皇と光明皇后の意思の寺なのだな。
(とか陳腐な感想で申し訳ない)
第二会場へ入ると、正倉院展でもグルグル並びをするくらいの人気もの、
「螺鈿紫檀五絃琵琶」がドドンと鎮座しておりました。
めちゃピカピカで手入れが行き届いている…?とか思ったら、
それは模造品でした(笑)
チャンチャン。
模造品とはいえ、古代の作り方そのままを引き継いでいるので、すべての行程が手作り。
手間暇もかかって、模造品を作るだけでも8年かかったのだとか。
もちろん「本物」も並んでいましたよ。
「本物」はやはりいぶし銀の美しさでしたけど。
模造品は写真撮影可だったのでパシャパシャとりました★
模造 螺鈿紫檀五絃琵琶を撮影
模造 螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんげんかん)も撮影
びゅーてぃふぉー♪
最後の部屋は「第6章 宝物をまもる」
今回のトーハクの正倉院展は
『ー皇室がまもり伝えた美ー』というタイトルもついていました。
それが最後の部屋で具体的に展示さてていました。
ここでは、例えば『塵芥』という展示物がありました。
わたしには布のきれっぱしや、壊れた金属の破片にしか見えないものが、
大切に大切に箱の中に保管されています。
それをひとつかみ取り出しては、貝殻や、金属、繊維、木材、
ガラスその他の分類にひとつひとつ分けて、
保管するために分類を繰り返すという作業があります。
正倉の中にあったものであれば、繊維一本、金属片ひとかけでも捨てることはあり得ません。
その塵芥の中にも、まだまだどんなお宝と、真実が詰まっているかもしれないのですから。
東大寺正倉に納めらたものは、大仏に捧げられたもの。
そして、それらは天皇の許可が無ければ取り出してはいかんもの。
それが守られ続けて来たことが、あれだけの宝物が残り続けて来たこと。
最終室の会場では、「正倉院そのものの建物模型」があり、これも撮影可能でした。
こういうところが『本家』の展示とは異なっていましたね。
なかなか素敵な試みだと思いました。
(てか、トーハクじゃなきゃ、こんなことできないか。資金の面からしても)
正倉院実物大模型(南倉)
錠前(正倉海老錠)かかっています
箱形の牝金具と板バネをもつ牡金具を麻縄で結んで、要所に勅書を付して竹皮で包む。
さらに竹皮の外には、儀式に立ち合った侍従の方のサインを入れた封が綴じ付けられています。
たとえ権力があっても、天皇の許可がなければ勝手に開けることは絶対に許されませんでした。
この制度によって正倉院の宝物は1260年以上守られてきたのです』
「勅封」とは勅命によって封印すること。 また、その封印。
「勅命」とは天皇の命令。
「勅」の字だけでも、天皇の命令の意味となり、その命令が書いてある文書を「勅書」と言う。
天皇の勅(この倉開けるべからず)が書かれた書面が鍵につけられ、
この鍵を外すときには天皇の許可が必要だった宝物庫。
織田信長が蘭奢待を切り取ったという事実はよく知られていますが、
あの信長といえども、天皇の許可が無ければ正倉を開けることはかなわなかったということ。
中倉正面扉と鍵
これを勝手に外すことは許されませんでした
”正倉院宝物が今もなおまもり伝えられているのは、偶然でも奇跡でもありません。
天皇陛下による勅封という管理制度を中心に、人々の努力によって宝庫と
宝物がまもられてきました。
本展をご覧いただき、これからも未来の人たちに貴重な文化財をまもり
伝えていくことの重要性を少しでも感じていただければ幸いです。”
正倉院宝物は偶然残ってきたものではなく、大切に大切に守られて残ってきたもの。
これからも守っていかなくてはいけない、未来の人への贈り物。
今回の展示は、わざわざ東京まで見に来てよかったです。
そんなまっとうな感想はさておいて。
ここで展示されていた『正倉院御物修理図(しょうそういんぎょぶつしゅうりず)』
がニヤニヤものの一品でした。
正倉院に残された宝物ではなく、明治時代の稲垣蘭圃(いながきらんほ)さんの筆による
正倉院宝物の修理の様子を描いたものなのですが。
明治の22年という時代。
この頃描かれていたであろう風刺画風の画風(ポンチ絵)で、
宝物を修理する人々の奥で、ニヘラニヘラしている上官(?)が
なんかとってもいい味だしている絵なのです。
これが結構気に入ったのですが、図録にも、絵葉書にも、綺麗に出て無くて。
(かの上官の表情が細かく写っていたら、買ったなあ~図録も)
ちょっと残念。
これ、コレクションに加えたかったなあ。
(不鮮明ですが、遠目でこちらから拝めます※正倉院御物修理図(部分)の所の左端のおじさんです)
で。
”東の正倉院展”は大満足のうちに終了。
グッズを見て回り、気に入ったものを購入。
その後もずっとトーハクの中をウロウロして楽しむことに。
平成新館では大好きな埴輪さんたちに再会。
じゃらじゃら体に玉を巻いた巫女さんの埴輪たち・ラブリー♪
法隆寺館では「国宝聖徳太子絵伝」を特別展示していたので見に行きました。
法隆寺の絵殿自体は入ったことあるけど、その建物内に配置された絵は、
なかなか細かい所まで見えない。
それが今回は大型モニターに8kで映し出してくれたり、
鑑賞ツールを使って自分で好きなところを拡大してみたりできるとのこと。
自分で操作してみるブースは常時混んでいたので並ばず、
すべての絵の場面を順に見せてくれるダイジェスト映像は、
8分ほどで一巡するというのでそれを見ていました。
うーん。
絵殿は正月三が日だけ公開だっけ?
なかなか行けないし、法隆寺大学の時にも公開されているけど、
その時は細かく見ている暇はないし。
珍しいものが見れました。
今回の会期中にはその他にもいろいろ盛りだくさんで。
本館の展示品にも御即位記念ってことで「特集 天皇と宮中儀礼」のコーナーや、
「文化財よ、永遠に」という住友財団修復助成30年記念を記念した
この助成によって修復された仏像が並んでいたりしました。
本館も丁寧に見て回ると、トーハクって本当に一日仕事。
特に本日は実質午後からの入館だったので、午後9時まで開館しているとはいえ、
時間が足りない足りない。
そうそう、いつも駆け足になるミュージアムショップでは珍しく、
書籍のコーナーもくまなく見て回り運命の一冊にも出会えました。
そして最後は東洋館で。
いろんなビデオを見ていたら、
「あと10分で閉館です」と言われるまで居座ってました。
いいなあ、東京だと博物館遅くまで開いていて。
(でも、博物館の人は残業お疲れ様ですなわけだけど)
ということで私は金曜&土曜に博物館に来るのが好きなのだ。
今年の秋は、正倉院宝物にたくさん触れられておなか一杯でした。
余は満足じゃ♪
いや、出品されているものは正倉院展通い数十年(←ちょっとふかしてる)のアタクシとしては
出品されているものの殆どは見たことがあるのだけど。
トーハクでもやるってんだから、行かねばならんということで(?)行くことに。
※たんに東京に行きたかったってのもあるんだが(笑)
11月1日は某野暮用があったので(笑)、訪問したのは11月2日(土)
しかし、この日の朝いちばん目は、トーハクより先に上野動物園にパンダを見に行きました(笑)
パンダが朝イチの活動期を終えてお昼寝タイムに突入したのでトーハクへ移動。
10時半すぎくらいから並び始めたため、結構な行列がすでにできてました。
この日は天気がよくて、日差しが気になる日でありました。
途中で周囲の人が黒い傘をさしていることに気が付きまして…。
あれ?傘には「東博」って書いてある…ってことはトーハクの備品か。
かれこれ55分ほど並んで、中へ。
まあまあ、ほどほどの待ち時間でした。
さて、トーハクの正倉院展。
正式名称は、『御即位記念特別展「正倉院の世界ー皇室がまもり伝えた美ー」』
本家本元の正倉院展と同様に正倉院に納められていたお宝も出ていますが、
タイトルにもある通り「宝物が現代まで守られて、伝えられてきた」ということも
見られるようになっていました。
もちろん、正倉院展でもおなじみなお宝
「国家珍宝帳」や「紅牙・紺牙の撥鏤碁石」や「蘭奢待」などなども並んでいましたよ。
ちょっとお久しぶりなものもあれば、あれ?つい最近みたばっかりじゃない?なものまで。
正倉院宝物はもともと聖武天皇の遺愛の品。
光明皇后が聖武天皇ゆかりの品を、大仏に捧げるために献納したもの。
その品々の目録が「国家珍宝帳(東大寺献物帳)」で、
そこには「亡き天皇を思い出しては、その悲しみで崩れそうになる」
といったことを光明皇后がのたまったとの記述がある。
(実際見たけど)
薬師寺が天武天皇と持統天皇の愛の寺であるならば、
東大寺は聖武天皇と光明皇后の意思の寺なのだな。
(とか陳腐な感想で申し訳ない)
第二会場へ入ると、正倉院展でもグルグル並びをするくらいの人気もの、
「螺鈿紫檀五絃琵琶」がドドンと鎮座しておりました。
めちゃピカピカで手入れが行き届いている…?とか思ったら、
それは模造品でした(笑)
チャンチャン。
模造品とはいえ、古代の作り方そのままを引き継いでいるので、すべての行程が手作り。
手間暇もかかって、模造品を作るだけでも8年かかったのだとか。
もちろん「本物」も並んでいましたよ。
「本物」はやはりいぶし銀の美しさでしたけど。
模造品は写真撮影可だったのでパシャパシャとりました★
模造 螺鈿紫檀五絃琵琶を撮影
模造 螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんげんかん)も撮影
びゅーてぃふぉー♪
最後の部屋は「第6章 宝物をまもる」
今回のトーハクの正倉院展は
『ー皇室がまもり伝えた美ー』というタイトルもついていました。
それが最後の部屋で具体的に展示さてていました。
ここでは、例えば『塵芥』という展示物がありました。
わたしには布のきれっぱしや、壊れた金属の破片にしか見えないものが、
大切に大切に箱の中に保管されています。
それをひとつかみ取り出しては、貝殻や、金属、繊維、木材、
ガラスその他の分類にひとつひとつ分けて、
保管するために分類を繰り返すという作業があります。
正倉の中にあったものであれば、繊維一本、金属片ひとかけでも捨てることはあり得ません。
その塵芥の中にも、まだまだどんなお宝と、真実が詰まっているかもしれないのですから。
東大寺正倉に納めらたものは、大仏に捧げられたもの。
そして、それらは天皇の許可が無ければ取り出してはいかんもの。
それが守られ続けて来たことが、あれだけの宝物が残り続けて来たこと。
最終室の会場では、「正倉院そのものの建物模型」があり、これも撮影可能でした。
こういうところが『本家』の展示とは異なっていましたね。
なかなか素敵な試みだと思いました。
(てか、トーハクじゃなきゃ、こんなことできないか。資金の面からしても)
正倉院実物大模型(南倉)
錠前(正倉海老錠)かかっています
箱形の牝金具と板バネをもつ牡金具を麻縄で結んで、要所に勅書を付して竹皮で包む。
さらに竹皮の外には、儀式に立ち合った侍従の方のサインを入れた封が綴じ付けられています。
たとえ権力があっても、天皇の許可がなければ勝手に開けることは絶対に許されませんでした。
この制度によって正倉院の宝物は1260年以上守られてきたのです』
「勅封」とは勅命によって封印すること。 また、その封印。
「勅命」とは天皇の命令。
「勅」の字だけでも、天皇の命令の意味となり、その命令が書いてある文書を「勅書」と言う。
天皇の勅(この倉開けるべからず)が書かれた書面が鍵につけられ、
この鍵を外すときには天皇の許可が必要だった宝物庫。
織田信長が蘭奢待を切り取ったという事実はよく知られていますが、
あの信長といえども、天皇の許可が無ければ正倉を開けることはかなわなかったということ。
中倉正面扉と鍵
これを勝手に外すことは許されませんでした
”正倉院宝物が今もなおまもり伝えられているのは、偶然でも奇跡でもありません。
天皇陛下による勅封という管理制度を中心に、人々の努力によって宝庫と
宝物がまもられてきました。
本展をご覧いただき、これからも未来の人たちに貴重な文化財をまもり
伝えていくことの重要性を少しでも感じていただければ幸いです。”
正倉院宝物は偶然残ってきたものではなく、大切に大切に守られて残ってきたもの。
これからも守っていかなくてはいけない、未来の人への贈り物。
今回の展示は、わざわざ東京まで見に来てよかったです。
そんなまっとうな感想はさておいて。
ここで展示されていた『正倉院御物修理図(しょうそういんぎょぶつしゅうりず)』
がニヤニヤものの一品でした。
正倉院に残された宝物ではなく、明治時代の稲垣蘭圃(いながきらんほ)さんの筆による
正倉院宝物の修理の様子を描いたものなのですが。
明治の22年という時代。
この頃描かれていたであろう風刺画風の画風(ポンチ絵)で、
宝物を修理する人々の奥で、ニヘラニヘラしている上官(?)が
なんかとってもいい味だしている絵なのです。
これが結構気に入ったのですが、図録にも、絵葉書にも、綺麗に出て無くて。
(かの上官の表情が細かく写っていたら、買ったなあ~図録も)
ちょっと残念。
これ、コレクションに加えたかったなあ。
(不鮮明ですが、遠目でこちらから拝めます※正倉院御物修理図(部分)の所の左端のおじさんです)
で。
”東の正倉院展”は大満足のうちに終了。
グッズを見て回り、気に入ったものを購入。
その後もずっとトーハクの中をウロウロして楽しむことに。
平成新館では大好きな埴輪さんたちに再会。
じゃらじゃら体に玉を巻いた巫女さんの埴輪たち・ラブリー♪
法隆寺館では「国宝聖徳太子絵伝」を特別展示していたので見に行きました。
法隆寺の絵殿自体は入ったことあるけど、その建物内に配置された絵は、
なかなか細かい所まで見えない。
それが今回は大型モニターに8kで映し出してくれたり、
鑑賞ツールを使って自分で好きなところを拡大してみたりできるとのこと。
自分で操作してみるブースは常時混んでいたので並ばず、
すべての絵の場面を順に見せてくれるダイジェスト映像は、
8分ほどで一巡するというのでそれを見ていました。
うーん。
絵殿は正月三が日だけ公開だっけ?
なかなか行けないし、法隆寺大学の時にも公開されているけど、
その時は細かく見ている暇はないし。
珍しいものが見れました。
今回の会期中にはその他にもいろいろ盛りだくさんで。
本館の展示品にも御即位記念ってことで「特集 天皇と宮中儀礼」のコーナーや、
「文化財よ、永遠に」という住友財団修復助成30年記念を記念した
この助成によって修復された仏像が並んでいたりしました。
本館も丁寧に見て回ると、トーハクって本当に一日仕事。
特に本日は実質午後からの入館だったので、午後9時まで開館しているとはいえ、
時間が足りない足りない。
そうそう、いつも駆け足になるミュージアムショップでは珍しく、
書籍のコーナーもくまなく見て回り運命の一冊にも出会えました。
そして最後は東洋館で。
いろんなビデオを見ていたら、
「あと10分で閉館です」と言われるまで居座ってました。
いいなあ、東京だと博物館遅くまで開いていて。
(でも、博物館の人は残業お疲れ様ですなわけだけど)
ということで私は金曜&土曜に博物館に来るのが好きなのだ。
今年の秋は、正倉院宝物にたくさん触れられておなか一杯でした。
余は満足じゃ♪