6月25日。
薬師寺の東塔の解体修理の無事を祈る法要が行われるというので
ひろこさんと連れ立って行ってきました。
受付で招待者の証明である封筒を差し出すと、
お土産セットと入場券をもらいます。
受け取ったのは「東2」という整理券。
東塔の真横で中央舞台を向くように座る席。
若干「舞台」よりも遠かったのですが、まあこれが後で功を奏する
ということにはまだまだ気がつかない私でありました。
10時半の式典開始に先立って、進行役の坊様の号令にあわせて
「なむしゃかむにぶー」の発声練習をしてみたり、
「お土産セットの中に入っている手ぬぐいを取り出して、
頭からかぶって日よけにしてくださいね」
といわれたのでそのとおりにしてみたり。
(周囲の人々、たちまち泥棒かぶりか、オコソ頭巾か状態)
あげく「本日熱中症の危険がありますので、ただ今より、お茶をお配りします」
とのことで、急遽お昼のお弁当で手配したと思われる
紙パックのお茶が配られることに。
いやー、それくらい暑かったんですよ、マジで。
こっちも一応、帽子+サングラス+日焼け防止用手袋と三点セットは用意していて、
もちろん水分補給用の水筒も完備していたのだけど。
それでも不安になるくらいの「カンカン照り」でございましたので、
「こりゃ、倒れる人出ても無理からぬ天気だわ」と思っていました。
しかし、前日までは「曇り」だの「時々雨」だのの天気予報でしたのよ。
実際夜中にはものすごい降りの雨音がしたし。
朝起きたときには雨あがって間もない状態だったし。
(まあ、関西と、東海の、地域差はあるにしても)
それが、近鉄電車で西へと移動するにしたがって、天気どんどんよくなり、
雨傘しか持ってこなかったことを悔いるような夏空にげんなり。
せめて、晴雨兼用傘にすべきだった。
無事お茶も配り終わって、法要開始。
まずは天理大学雅楽部による振鉾(えんぶ)。
振鉾とは、舞楽会や祭式、法要の最初に舞台を清めるために演じられる曲。
「厭舞」とも書く。『塵袋』では邪気等を降伏し、災いを消す姿なる故に、
最初に是をなすのであるから、「厭舞」が正しいとある。
おお、『塵袋』か~奈良大のレポートでやったなあ。
(ほとんど覚えてないけど>をい)
舞台のお清めとしての振鉾が終わると、式衆入堂。
金堂から中央に設けられた祭壇に向かって伸びた橋を僧侶がお渡りになります。
その後、奉納の舞。
これが豪華でっせ~の、第十二代・市川團十郎丈。
そう、昨今何かとお騒がせな、海老蔵の父上さまです。
正月や祝儀に上演される「三番叟」を
国宝東塔大修理着工法要特別バージョンとして奉納されました。
舞台からは遠い席でしたが、東塔に向かって正面での奉納だったので、
われわれが座っている席からはまさに正面向きのベストポジション。
西側の席に座っていたら、背中ばかり見えていたけど、
こっちは遠目ながら拝顔叶いましたから。ラッキー。
それが終わると惣礼。
全員起立して、正面の釈迦苦行像さまに向かって三回礼をささげます。
そして村上執事長による唄。
唄といっても、流行歌などではもちろんありません。
唄というかお経なんでしょうが。
知識のない私にはその違いが判りません。
その途中で、案の定(?)散華が撒かれ、争って拾い集める人の姿。
散華マニアのわたくしとしては拾いにいきたかったけど、まあここは我慢です。
その後、東塔大修理のために特別なお写経をした方がその写経を
釈迦苦行像さまの前に奉納をし、東塔が昭和の大修理を受けたときに
掲げられた棟札がこの度一度おろされることになりました。
その札おろしの動作は残念ながら、見ることができなかったのだけど。
その時の画像はみつけましたよ。
(→http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/2011062501000359.htm)
そして、山田法胤管主による表白。
無事に法要が済みますように。
読経が続く中、代表の方による焼香が続き、
久しぶりに門徒総代の塩ジィ見たわ。
締めくくりは回向文を読み上げて、再びみなさんで惣礼。
続きましては元奈文研所長の鈴木嘉吉先生のお話と、山田管主による法話。
管主様の話の中で。
「人には限りというものがございません。
最初は、握り飯ひとつでもありがたかったのが、握り飯よりも弁当。
弁当も毎日続くと飽きてくる…。それが人間です」
何も被災地の人に限ったことではない。
すべての人に、すべての場所で、当てはまること。
人間の欲にはきりがない。
はー物欲にまみれているわたくしには耳の痛い話であります。
「わたしが子供のころ、友達とけんかして帰ったら母親が、
あんたが悪い、っていいました。どんな理由があるにしろ、
人のせいにしない。あんたが悪いんや、と。
そこで、電信柱が高いのも、町のポストが赤いのも、
みんなわたしが悪いのよ、と思っておりました」
いやいや、すべてのことにおいて、他人のせいにしないという
ことなんですけど。誰が悪い、人が悪い、社会が悪いと、
自分以外に責任をなすりつけないってことで。
法話をもって一度全体での法要は終了です。
その後、西側の人は西塔の中を拝観でき、
東側の人は東塔の中を拝観できることに。
きゃー、うそー。ラッキー。東2の威力だあ。
東塔特別公開の時、塔内を合わせ鏡で見せてくださる
という時に見に来たことがありましたが、
東塔の中に入って(!)見せてくださる時には、
震災直後で気力がなくて行けませんでした。
行けばよかったなーと後悔していたので、
この度のはからいは本当に有り難かったです。
おおー、法要に来てよかった~。
この模様、NHKニュースでやったようですよ。
(→http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110625/k10013764461000.html)
とか余韻もそこそこに、参列者に振舞われた弁当をいただいて、
一路「鷽替え神事」が行われる菅原神社へ。
西ノ京駅前からタクシーに乗ろうと思ったら、
本日はぜんぜん車が来ない。
仕方ないので近鉄にて西大寺まで行き、
そこからタクシーに乗ったらすぐ着いちゃいました。
午後一時開始の予定でしたが、なぜか15分ほど過ぎているにもかかわらず
始まってない。あまりに静かな境内なので、もう終了しちゃったのかと
思っちゃったほど。そこで「鷽くださーい」と無事、元手(?)をゲット。
この神事は、まず木彫りの鷽(ウソ)を購入。それに番号がついているので、
太鼓の合図でいっせいに他の人との交換を始めて、太鼓が終わったら、
その番号で抽選会。それを5回ほど繰り返すというのが現在の行事。
さて、ではその、鷽替えとはなんぞや。
時は延喜2年(902)、菅原道真が大宰府へ追いやられたころ。
悪魔祓い(!)の神事をしていたら、蜂がぶーんとやってきてさあ大変。
でもその時、鷽鳥がやってきて蜂をムシャムシャと食べてしまいましたとさ。
これも道真の徳のおかげ。まあ、あやかりたやあやかりたや。
というのが発端らしいのだけど、それがどうしてこのような行事になったかというと。
”一、菅原道真は「嘘」をつかない誠実な人であった。「嘘」に「鷽」をかけている。
二、蜂の大群に襲われそうになった菅原道真を鷽が救った。
三、「鷽」の字の形が「学」の字に似ている。
四、鷽は“幸運を招く鳥”である。
五、「替えましょう、替えましょう」といいながら袋に入れた木彫りの鷽を
交換し合う行事で、積もった嘘を誠にとり替える。
六、知らず知らずのうちについている「嘘」を、天神さまの「まこと」に替えていただき、
正しい幸運を招くために、木彫りの「鷽」を新しい「鷽」と取り替える。
七、神棚に供えておいた前年の「鷽」を「替えましょう」「替えましょう」と呼びかけながら、
お互いに渡しながら、取り替え、凶事をうそにして、幸運に替えることを念願する。
八、神主から金製の鷽を換え当てた者は好運を得る。
九、現在では、凶事をうそにして幸運に替える開運のお守りの意味から、
受験生の受験のお守りとする。
十、一般には、前年の鷽を神社へ返納し、新らしいものととり(鳥)替えることによって
一年の吉運を招き、開運・出世・幸運を得ることができるとするのが多いようである。”
(→http://park2.wakwak.com/~hero/index.html)
ってことらしいですが、蜂の大群→ウソがマコトになる、
のあたりが理解できません(笑)
まあ、難しいことはさておき、「替えましょ、替えましょ」
周囲にいる人と片っ端から交換を繰り返します。
交換すればするほどよいというので、もらったそばからまた違う人に渡します。
で、太鼓が終わると抽選会。
これが実に微妙な数ばかり当たる。
あたしが持っている番号の前の番号とか、後ろの番号とか。
でも、交換を数回繰り返すので、抽選会のたびに違う番号が手元にあるわけで、
何度やっても、自分の番号とのニアミスばかり。
どんどんよい景品になっていく方式なので、
最初のほうで当たってしまってはもったいないわ
とかいっていたものの、結局全部の抽選会には一番違いの連続ではずれ。
ははは、まあそれでも、楽しかったのでよかったですけどね。
短い時間かと思いきや、終了したのは二時も近かった。
終了後は薬師寺でいただいた日の丸弁当にゴマをかけていただき、
日の丸弁当だけじゃ寂しいから何か寄付してやとスーパーにねだって(笑)
ご寄進いただいたバナナも平らげ、いざすぐ裏の(?)喜光寺へ。
以前来たときは池の北側のスペースからひょいっと入れたのに、
そういえば南大門が完成したんだっけ。
となると、あっちから入るのが正解だよねー。
と思いつつ、ぐるっと南に回りこんでの入山はメンドかった(ははは)
しかも、阪奈道路二階建ての高架になっているし。びっくり~。
昔は、喜光寺前のバス停へはフェンスがあって出られなかったけど、
現在は阪奈道路から直接入ってくる道もできてるし。
そんなに長い間来てなかったかなあ。
現在の薬師寺の管主さんが、喜光寺の住職も兼ねていた関係で、
ここもお写経による勧進で南大門が復興されました。
まだ新品ピカピカでなんだか奈良の寺じゃないみたいですけど。
境内も整備されて、一時期のうら寂れた感じがまったくなくなっていました。
それでも唯一残ることができたお堂の中は、静かな時が流れていて、しばし心地よい時間を。
でも、今日は本当に暑かったのよ。
行きはタクシーで楽した道を徒歩にて駅方面まで戻り、
西大寺前のガトー・ド・ボワにてしばし涼をむさぼることに。
冷たいものと、冷たいケーキでヒトゴコチ。
その後の行き先は気の向くままとか思っていましたが、
冷房の効いた店内にいると、もうどこにもいかずとも良い
気分になってしまい、すっかり長居。
結局その後は西大寺で四天王堂と本堂をめぐって
本日の予定数終了となってしまいました。
いやはや、ホントに暑かった。
菅原神社では後ろにいたおヴぁさまに
「えらい暑ぅなったなあ。こげん晴れるくらいなら、
雨がよかったわ~」とか言われる始末。
そうそう、悪ぅございましたわね。どうせ私は晴れ女。
前回の矢田丘陵を歩く会のときも、台風を蹴散らして、
薄日までさして、汗ダラダラしながら山登りしましたっけ。
ふん。まさに、管主さんのいうとおり
「全部アタシが悪いのよ!!」って感じでしたわ。
その後、〆に西大寺駅前でピザ食べながらグビグビ一杯。
プハぁーな一日でございました。
薬師寺の東塔の解体修理の無事を祈る法要が行われるというので
ひろこさんと連れ立って行ってきました。
受付で招待者の証明である封筒を差し出すと、
お土産セットと入場券をもらいます。
受け取ったのは「東2」という整理券。
東塔の真横で中央舞台を向くように座る席。
若干「舞台」よりも遠かったのですが、まあこれが後で功を奏する
ということにはまだまだ気がつかない私でありました。
10時半の式典開始に先立って、進行役の坊様の号令にあわせて
「なむしゃかむにぶー」の発声練習をしてみたり、
「お土産セットの中に入っている手ぬぐいを取り出して、
頭からかぶって日よけにしてくださいね」
といわれたのでそのとおりにしてみたり。
(周囲の人々、たちまち泥棒かぶりか、オコソ頭巾か状態)
あげく「本日熱中症の危険がありますので、ただ今より、お茶をお配りします」
とのことで、急遽お昼のお弁当で手配したと思われる
紙パックのお茶が配られることに。
いやー、それくらい暑かったんですよ、マジで。
こっちも一応、帽子+サングラス+日焼け防止用手袋と三点セットは用意していて、
もちろん水分補給用の水筒も完備していたのだけど。
それでも不安になるくらいの「カンカン照り」でございましたので、
「こりゃ、倒れる人出ても無理からぬ天気だわ」と思っていました。
しかし、前日までは「曇り」だの「時々雨」だのの天気予報でしたのよ。
実際夜中にはものすごい降りの雨音がしたし。
朝起きたときには雨あがって間もない状態だったし。
(まあ、関西と、東海の、地域差はあるにしても)
それが、近鉄電車で西へと移動するにしたがって、天気どんどんよくなり、
雨傘しか持ってこなかったことを悔いるような夏空にげんなり。
せめて、晴雨兼用傘にすべきだった。
無事お茶も配り終わって、法要開始。
まずは天理大学雅楽部による振鉾(えんぶ)。
振鉾とは、舞楽会や祭式、法要の最初に舞台を清めるために演じられる曲。
「厭舞」とも書く。『塵袋』では邪気等を降伏し、災いを消す姿なる故に、
最初に是をなすのであるから、「厭舞」が正しいとある。
おお、『塵袋』か~奈良大のレポートでやったなあ。
(ほとんど覚えてないけど>をい)
舞台のお清めとしての振鉾が終わると、式衆入堂。
金堂から中央に設けられた祭壇に向かって伸びた橋を僧侶がお渡りになります。
その後、奉納の舞。
これが豪華でっせ~の、第十二代・市川團十郎丈。
そう、昨今何かとお騒がせな、海老蔵の父上さまです。
正月や祝儀に上演される「三番叟」を
国宝東塔大修理着工法要特別バージョンとして奉納されました。
舞台からは遠い席でしたが、東塔に向かって正面での奉納だったので、
われわれが座っている席からはまさに正面向きのベストポジション。
西側の席に座っていたら、背中ばかり見えていたけど、
こっちは遠目ながら拝顔叶いましたから。ラッキー。
それが終わると惣礼。
全員起立して、正面の釈迦苦行像さまに向かって三回礼をささげます。
そして村上執事長による唄。
唄といっても、流行歌などではもちろんありません。
唄というかお経なんでしょうが。
知識のない私にはその違いが判りません。
その途中で、案の定(?)散華が撒かれ、争って拾い集める人の姿。
散華マニアのわたくしとしては拾いにいきたかったけど、まあここは我慢です。
その後、東塔大修理のために特別なお写経をした方がその写経を
釈迦苦行像さまの前に奉納をし、東塔が昭和の大修理を受けたときに
掲げられた棟札がこの度一度おろされることになりました。
その札おろしの動作は残念ながら、見ることができなかったのだけど。
その時の画像はみつけましたよ。
(→http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/2011062501000359.htm)
そして、山田法胤管主による表白。
無事に法要が済みますように。
読経が続く中、代表の方による焼香が続き、
久しぶりに門徒総代の塩ジィ見たわ。
締めくくりは回向文を読み上げて、再びみなさんで惣礼。
続きましては元奈文研所長の鈴木嘉吉先生のお話と、山田管主による法話。
管主様の話の中で。
「人には限りというものがございません。
最初は、握り飯ひとつでもありがたかったのが、握り飯よりも弁当。
弁当も毎日続くと飽きてくる…。それが人間です」
何も被災地の人に限ったことではない。
すべての人に、すべての場所で、当てはまること。
人間の欲にはきりがない。
はー物欲にまみれているわたくしには耳の痛い話であります。
「わたしが子供のころ、友達とけんかして帰ったら母親が、
あんたが悪い、っていいました。どんな理由があるにしろ、
人のせいにしない。あんたが悪いんや、と。
そこで、電信柱が高いのも、町のポストが赤いのも、
みんなわたしが悪いのよ、と思っておりました」
いやいや、すべてのことにおいて、他人のせいにしないという
ことなんですけど。誰が悪い、人が悪い、社会が悪いと、
自分以外に責任をなすりつけないってことで。
法話をもって一度全体での法要は終了です。
その後、西側の人は西塔の中を拝観でき、
東側の人は東塔の中を拝観できることに。
きゃー、うそー。ラッキー。東2の威力だあ。
東塔特別公開の時、塔内を合わせ鏡で見せてくださる
という時に見に来たことがありましたが、
東塔の中に入って(!)見せてくださる時には、
震災直後で気力がなくて行けませんでした。
行けばよかったなーと後悔していたので、
この度のはからいは本当に有り難かったです。
おおー、法要に来てよかった~。
この模様、NHKニュースでやったようですよ。
(→http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110625/k10013764461000.html)
とか余韻もそこそこに、参列者に振舞われた弁当をいただいて、
一路「鷽替え神事」が行われる菅原神社へ。
西ノ京駅前からタクシーに乗ろうと思ったら、
本日はぜんぜん車が来ない。
仕方ないので近鉄にて西大寺まで行き、
そこからタクシーに乗ったらすぐ着いちゃいました。
午後一時開始の予定でしたが、なぜか15分ほど過ぎているにもかかわらず
始まってない。あまりに静かな境内なので、もう終了しちゃったのかと
思っちゃったほど。そこで「鷽くださーい」と無事、元手(?)をゲット。
この神事は、まず木彫りの鷽(ウソ)を購入。それに番号がついているので、
太鼓の合図でいっせいに他の人との交換を始めて、太鼓が終わったら、
その番号で抽選会。それを5回ほど繰り返すというのが現在の行事。
さて、ではその、鷽替えとはなんぞや。
時は延喜2年(902)、菅原道真が大宰府へ追いやられたころ。
悪魔祓い(!)の神事をしていたら、蜂がぶーんとやってきてさあ大変。
でもその時、鷽鳥がやってきて蜂をムシャムシャと食べてしまいましたとさ。
これも道真の徳のおかげ。まあ、あやかりたやあやかりたや。
というのが発端らしいのだけど、それがどうしてこのような行事になったかというと。
”一、菅原道真は「嘘」をつかない誠実な人であった。「嘘」に「鷽」をかけている。
二、蜂の大群に襲われそうになった菅原道真を鷽が救った。
三、「鷽」の字の形が「学」の字に似ている。
四、鷽は“幸運を招く鳥”である。
五、「替えましょう、替えましょう」といいながら袋に入れた木彫りの鷽を
交換し合う行事で、積もった嘘を誠にとり替える。
六、知らず知らずのうちについている「嘘」を、天神さまの「まこと」に替えていただき、
正しい幸運を招くために、木彫りの「鷽」を新しい「鷽」と取り替える。
七、神棚に供えておいた前年の「鷽」を「替えましょう」「替えましょう」と呼びかけながら、
お互いに渡しながら、取り替え、凶事をうそにして、幸運に替えることを念願する。
八、神主から金製の鷽を換え当てた者は好運を得る。
九、現在では、凶事をうそにして幸運に替える開運のお守りの意味から、
受験生の受験のお守りとする。
十、一般には、前年の鷽を神社へ返納し、新らしいものととり(鳥)替えることによって
一年の吉運を招き、開運・出世・幸運を得ることができるとするのが多いようである。”
(→http://park2.wakwak.com/~hero/index.html)
ってことらしいですが、蜂の大群→ウソがマコトになる、
のあたりが理解できません(笑)
まあ、難しいことはさておき、「替えましょ、替えましょ」
周囲にいる人と片っ端から交換を繰り返します。
交換すればするほどよいというので、もらったそばからまた違う人に渡します。
で、太鼓が終わると抽選会。
これが実に微妙な数ばかり当たる。
あたしが持っている番号の前の番号とか、後ろの番号とか。
でも、交換を数回繰り返すので、抽選会のたびに違う番号が手元にあるわけで、
何度やっても、自分の番号とのニアミスばかり。
どんどんよい景品になっていく方式なので、
最初のほうで当たってしまってはもったいないわ
とかいっていたものの、結局全部の抽選会には一番違いの連続ではずれ。
ははは、まあそれでも、楽しかったのでよかったですけどね。
短い時間かと思いきや、終了したのは二時も近かった。
終了後は薬師寺でいただいた日の丸弁当にゴマをかけていただき、
日の丸弁当だけじゃ寂しいから何か寄付してやとスーパーにねだって(笑)
ご寄進いただいたバナナも平らげ、いざすぐ裏の(?)喜光寺へ。
以前来たときは池の北側のスペースからひょいっと入れたのに、
そういえば南大門が完成したんだっけ。
となると、あっちから入るのが正解だよねー。
と思いつつ、ぐるっと南に回りこんでの入山はメンドかった(ははは)
しかも、阪奈道路二階建ての高架になっているし。びっくり~。
昔は、喜光寺前のバス停へはフェンスがあって出られなかったけど、
現在は阪奈道路から直接入ってくる道もできてるし。
そんなに長い間来てなかったかなあ。
現在の薬師寺の管主さんが、喜光寺の住職も兼ねていた関係で、
ここもお写経による勧進で南大門が復興されました。
まだ新品ピカピカでなんだか奈良の寺じゃないみたいですけど。
境内も整備されて、一時期のうら寂れた感じがまったくなくなっていました。
それでも唯一残ることができたお堂の中は、静かな時が流れていて、しばし心地よい時間を。
でも、今日は本当に暑かったのよ。
行きはタクシーで楽した道を徒歩にて駅方面まで戻り、
西大寺前のガトー・ド・ボワにてしばし涼をむさぼることに。
冷たいものと、冷たいケーキでヒトゴコチ。
その後の行き先は気の向くままとか思っていましたが、
冷房の効いた店内にいると、もうどこにもいかずとも良い
気分になってしまい、すっかり長居。
結局その後は西大寺で四天王堂と本堂をめぐって
本日の予定数終了となってしまいました。
いやはや、ホントに暑かった。
菅原神社では後ろにいたおヴぁさまに
「えらい暑ぅなったなあ。こげん晴れるくらいなら、
雨がよかったわ~」とか言われる始末。
そうそう、悪ぅございましたわね。どうせ私は晴れ女。
前回の矢田丘陵を歩く会のときも、台風を蹴散らして、
薄日までさして、汗ダラダラしながら山登りしましたっけ。
ふん。まさに、管主さんのいうとおり
「全部アタシが悪いのよ!!」って感じでしたわ。
その後、〆に西大寺駅前でピザ食べながらグビグビ一杯。
プハぁーな一日でございました。