奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

勉強しなさボケ

2007年11月29日 | 奈良大学お勉強日記
そろそろ試験の申し込みしなくちゃいかんのか。
とか思って、ハンドブックを開いたら…。
あぶねーあぶねー。
12月の奈良大での受験申し込みは明日が締め切りじゃないですか。
ぎゃーと思って、慌てて提出しましたよ
>受験申込書。
いやー、久しぶりの試験なもんで、
すっかりそういう手続き忘れていたよ(汗)

とりあえずこれで12月に試験は受けられるぞと。
問題は、これが私にとって今年最後の試験なんだけど、
今年度最初の試験でもあるってことだな(莫迦もん!)
いやー、それでも一月の試験じゃないだけ少しは進歩かも。
去年は必死こいて、去年度・最初で最後の試験を
一月に名古屋まで受けに行ったから。
一ケ月くらいは行動が進んでいるかも(そういうことなんか?)

ちゅうことで、試験勉強しないといかんのね。
すでに大昔に模範解答集(?)は作成済みなので、
その暗記に入ろうかと思うのだけど。
いかんせん、一夜漬けで乗り切ってきた私としては、
こんなに早く勉強を始めてもいいもんかどうか悩むところだ。
※そんなとこで悩むか?

さ、それはともかく。
今月末までに新しいレポートは提出できるんだろうか。
そっちの方に感心が移ってきてますが。
巷はまだまだ紅葉の季節。
京都にも奈良にも行きたいぞ。
12/16のTEN・TEN・CAFEにも行きたいぞ。
んでもって、クリスマス・スク飲み会もやりたいぞ。

って、いつ勉強するねん…。
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歴史を作るという意識

2007年11月25日 | 奈良大学お勉強日記
水野センセの追っかけをしたかと思えば、
今度は上野センセのおっかけを。
私も好きねえ(笑)

ということで、行ってきました
>奈良県社会福祉総合センター大ホール
「歴史の記憶、文学の記憶、大和三山」
一連の藤原京ルネッサンスの催しのラストを飾る講演者は
もちろん我らが上野先生!
よ!日本一!

司会の方が
「上野先生は、あーたら、こーたら、人気上昇中の万葉研究者です。
では上野先生、お願いいたします」
と紹介した後登場してきて一声目に、
「人気上昇中の万葉研究者といわれてはや、7~8年。
ずっと人気上昇中です」
つかみはオッケーです。

お話は、大宝律令が施行された藤原の都を中心に、
歴史は学ぶものであると同時に、
作るものであるという意識があるか、という内容を核にして進められ、
「わが作る日の御門(みかど)」という歌へ。

藤原京を作るために、各地から使役のために集められた人々が、
歌った歌に
「私が作ってるんだよ、この都は。この国は理想郷になるだろう」
という内容があり。(巻一の五○
どうよ、この鼻高々な様子は。
都を作るために労働力としてかき集められた人々というと、
想像としては「無理やり使われている」「嫌々やらされてる」
とかって思いがちだけど。これを歌った人(作者未詳)は、
「おいらの都、おいらが作っているんだ、この都を」
という自負があるんだ、と。

そういえば、エジプトのピラミッドも、奴隷がこき使われて
苦しい労働の上にあの素晴らしい建造物が成り立ったんだという考えが、
「どうやら違っている」らしいことが最近の調査で判ってきたんだとか。
となると、日本の墓、古墳はどうなんだろう?
という疑問もむくむくと湧き上がる。
古墳がどのような行程で、どんな土木建築技術で作られたかってのは
私は全然興味ないんだけど(をい)、それをどんな想いで作っていたのか
ってのは興味大いにあるなあ。家族と、妻と、恋人と離れて、
遠い土地で、新しい都を作るためにかりだされた人が、
どんな気持ちでそれらの工事にあたっていたのかってのは興味、ある。

少なくとも、この歌を歌った人にとって藤原京ってのは、
すごい都で、それを作っている自分も凄いんだぞって感じが
しているってのは、もはや「やらされてる」って感じじゃなくて、
「オレ様が作ったんだぜ>あの建物はさ~」なんて自慢の種。
は~。
確かにこういうことを知っているか知らないかでは、
「藤原京」を見る目も、大和三山を見る目も違ってくるなあ。

流通するもの、
最初はお金、次がモノ、そして今一番大事なのは人と人とのネットワーク。
グローバル化でいろいろな世界標準ができつつある中、
ローカルなことが実は重要なことで、
その場所の歴史や、その場所の風土をどのように学び、
どのように伝えていくことが重要になる。

だからね、奈良のことを学び、
奈良のよさを世界に伝えていくことが重要なんだよ、
という風に私は解釈しました。
はい、勉強します。

大変楽しい講演会でした。

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正倉院展は終わったけど

2007年11月24日 | 奈良大学お勉強日記
「保存科学走る」を聴きに行くついでといっては何だけど、
「正倉院展」展、こと、
明治の正倉院展-奈良大学図書館所蔵品を中心に-も見てきました。
いやはや、なんかすごいお宝を収集、
もとい、蒐集してるんだなあ>奈良大図書館。
それを惜しげもなく披露してくれるとこ、ふとっぱら!
よ!日本一!(←ヨイショしすぎ)

今からしたら考えられないけど、
大仏殿の回廊にずらりと並べられた正倉院御物の展覧会、
なんてものが明治の始め頃あったんだと(ひょえ~!)
ここらへんのことは、われらが先輩、
みくさんの学生時代の研究テーマにどんぴしゃなので、
どうぞご参考に↓
130年前の出来心 -古い日記、あの頃は…-


明治8年の陳列目録なども、
惜しげもなくリーフレットに綴じ込んでくれています。
もうこれは、もらうっきゃないでしょう。
タダですよ、タダ。
まだ見ていない方は、是非来場されたし。
(一般の方でも来場歓迎&入館料無料です&11月30日まで)

で。
江戸時代の奈良の地図とか、正倉院の点検の際に描かれた絵図とか、
めずらしいものが掛かったり、並んだりしていたのですが。
中でも目を引いたのが、「歓古雑帖」
玉箒野生ってのを書いた(描いた)のだと思うのだけど。
その植物を描いた色の素晴らしいこと。
緑の発色がよくて(現在の色でいうとこんな感じ(mediumspringgreenって色)
なんか、さっき描いたみたいな色だな~と保存状態の良さに感動。
あと、その植物の説明があるのだけど、字がキレイなんですよ。
(写真撮影禁止なので、現物をお見せできないのですが)
現代人が書いた、キレイな文字そのもので。

江戸時代の作なんていうと、どうも「崩し字辞典」とか「草書体」とか
思っちゃうのですが、その文章はすんなり読めるもので。
なおかつ、字がキレイ!
天平時代の字は読めるけど、江戸の時代の文字は読みにくいもんだとか
思っていたのは先入観。それこそ、活版で本を作っていた時代もあるんだから、
続き字だらけの文章ばかりの本や読み売りばかりでもなかっただろうに。
反省でゴザイマス(てか、モノ知らなさすぎ)

大学が持っている「博物館」としてはまだまだ新入りの奈良大学博物館ですが、
所蔵しているお宝は国宝級がわんさかとあるんだから、
また出し惜しみせず(をい)並べて見せてほしいもんです。
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午前午後とも水野節

2007年11月23日 | 奈良大学お勉強日記
行ってきました>水野センセおっかけツアー(笑)

午前中は奈良大にて「保存科学走る!」を拝聴。
午後は学園前まで移動して「市民公開フォーラム」を聞く。
うーん。
満足。

「保存科学走る」はダブルブッキングじゃなかったら
午後の分も聞きたかったのだけど、泣く泣く諦めましたが、
その分、学園前行ってよかったな~って内容でした。

午前の部が終了した後で外へ出たら、
大学院生でスクーリング時にお世話になったHさんと遭遇しまして。
現在、東大阪の某所で働いているとか。
その節は本当にお世話になりました。
お仕事頑張ってください。

その後、ゆずさんと電車にて学園前へ移動。
当初はタクシーで移動とか考えていたけど、
なんせ休日のならやま大通りは車だと移動時間が読めない。
幸い一時間以上時間があるので、電車の方が正確だってことで、
近鉄電車を乗り継いで、駅直結のホールに無事到着。
こっちもかなりの盛況ぶりでした。
ほとんどが、水野センセ目当ての「ファン」ってトコでしょうか。

とりあえず、トップバッターは上野センセ。
「万葉集にみる女たちの祭り」
仏壇をお守りするのはその家の年長の女の仕事だってのは納得。
そういえば、ウチも私がやっております。
(夫一人、猫一匹の状態では、私以外適任はおらん)
わたしは生まれたときから家に仏壇があって、
「仏様が一番、あんたが二番」
で育てられましたから、頂き物、美味しいもの、初物、なんでもかんでも、
まずは仏様にあげて「カンカンしてから」(←鐘を鳴らす音)と
育てられましたので、そういうことが身に染み付いております。
そして、仏壇に向かって毎日、ご飯を備えながらブツブツと
「夫の給料があがりますように」
「カンカンしたから、このクッキーもらうよ」
「猫がいうこときかないよ~ばあちゃん怒ってよ」
だのかんだの云ってますから。
すごくよく判るハナシでございました。
(ってそれは、枕の部分だけなのだが。本題はまた別にあります)

続いて和田先生のお話は
「佐紀盾列古墳群をこう考える」
古墳とは…という基本的な事項のおさらいからはじまって、
大王墳の移動と、佐紀盾列古墳群の意味を考える内容。

そして、しんがりは真打登場。
午前中すでに一本こなしてきているはずの水野センセも、
今日はじめての仕事ですって顔をして、
立て板に水で滔滔と話される内容に、
深く深く感動する一同なのでした。
お話は「佐紀盾列古墳群と古代の貴い女性たち」
内容はずばり、女性の力は素晴らしい!ってこと(はしょりすぎ)

シンポジウムでは、司会進行役の水野センセからマイクを奪って、
「私が進行役を奪取します!」
といきなりの十八番役に名乗りを上げた上野センセ。
ビミョウに支持する論が違う、お二人のセンセを前に、
うま~く、その支持内容を引き出してくださいました。
(よ!名司会者!)

ああ、水野センセのおっかけでしたが、
こちら側も参加してよかったな~ってのが本音です。

で、今度は上野センセのおっかけをしようともくろみ中。
もう学校ではスクーリングが受けられないので、
こういう機会でもないとねえ。

自主スク続々受講中です。
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何で同じ日?!

2007年11月20日 | 奈良大学お勉強日記
11月の連休後半戦。
勤労感謝の日は例年だと紅葉を愛でる日なんだけど。
今年はまだまだ紅葉の本番は先でも良い様子。

で、23日は奈良大で「保存科学走る」を聞く予定でした。
(葉書は週末に無事届きました)

でも、でも。
大王様のところでチェックした情報では
23日に、水野&上野、両御大も出演される
歴史を語る皇后たち 佐紀盾列古墳群に眠る
って講演会が学園前であるんだって。
嗚呼!
ダブルブッキング!!(←懐かしい響き、ちょっとね)

しかも、水野センセ、どちらも出てるじゃないですか。
保存科学走るの冒頭でしゃべって、こっちに移動するってこと~?
え~どんだけ~?(←使ってみたかっただけ)

午前中は奈良大で、午後に学園前ホールってのは可能だろうか?
あ、タクシー飛ばせばOK?
ううう。

奈良大の午後の部も聞きたいけど、午後からのこれも気になるし。
ああ、悩む(贅沢な悩み?)

車とバスか、もとい、車飛ばすか。
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お帰り>書誌学

2007年11月16日 | 奈良大学お勉強日記
夏休みの宿題よろしく八月の末に格闘していた書誌学のレポート。
9月頭にメールに添付して送り出したと思っていたら、
二ヶ月たっても帰ってこない。はて、と思って電話で確認したら
「届いてませんよ~」
なぬ?!
どうやら私のミスで、レポート送信専用メール宛に送信してなかったために
届いてなかったようなのですが…。
(違うアドレスに送られてはいたと思うんだけど、一言欲しかったな。
間違いアドレスの方に送ってきてるぞゴルア!って←こんな言い方じゃなくて可)

「もし心配なら、メールで送った後に電話で確認してください」
っていつの時代のFAXなんだ?って思っちゃったのは偽らざる心根。
ま、私の場合、これで卒業がかかっているわけではないので、
全然構わないのだが(ウソ、少しは構え)。
卒業まであと2単位!とかって人の場合、大変な騒ぎになるだろうに。
りぃさんもメールで事務室に問い合わせをしたら、
いつもはすぐ返事が来るのに来ないから電話したら、
「メール?届いてませんよ」
ってことだったらしいし。
あそこのメールはアテにならんかもしれん。
危うし、ポータルサイトメールだな。

ま、そんなこんながあって、10月の末あたりに
「再提出」(というか、初提出した)書誌学がこのたび、
無事に帰ってきてくれました。
おお、おお。帰ってきたかい(てか、ちゃんと届いていたかい)
無事合格してましたんで、これで試験が受けられます。
しかも、初試験ですよ★
>博物館課程以外の本業の方で。
ぎゃははは。困ったもんだ、まったくもお(←全然困った風情じゃない)

今月末にも試験があったはず、と思って手帳をひっくりかえしたら。
東京と名古屋かあ~。
んじゃ、あっさり来月に見送りだな
>急いでるわけでもないし。
来月は本学試験もあるし、スク後試験もあるからね。
それまでになんか一つレポートでも書いてみようかなと、
一つ合格すると、次もやりたくなるという、
貧乏性自転車操業の昔のクセが出てきたようで、
これがいいほうへ作用してくれることをセツに祈る私なのでした。


コメント (8)
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自主学習>古代の福祉

2007年11月15日 | 奈良大学お勉強日記
ちょっと、間があいてしまったけど、
先日おもしれ~と思った「古代の社会保障制度」の話をあれからちょっと
あれこれネットで見てみた。(なんか、勉強の話なんて私らしくないわ^^;;)

正倉院展で見かけた、賑給(しんごう)ってのは、
一般の人々に臨時的に食料を支給する政策だそうで、
1)災害時により食糧不足に陥った地域の住民を対象とするもの
2)国家的な慶事や凶事を契機として、全国的に実施するもの
があったと。
2)のうちの慶事は判るけど、凶事ってときも実施されたのか~。
穢れを祓うためってことでしょうか。慶事に恩赦があるのと似てる?
(まああれは一般の人には全然恩恵はないけど)

賑給対象者は
鰥(かん:妻のない六十歳以上の男性)
寡(か:夫のいない五十歳以上の女性)
ケイ(けい:十六歳以下で父母のないもの)
(漢字は、りっしんべんに、つくりは上が旬、下が子。その字で一人って意味らしい)
独(どく:六十一歳以上で子供のないもの)
不能自存者(ふのうじそんしゃ:一人では生活できないもの)

で、いろいろネットで見ていたら、「鰥寡孤独貧窮老疾(かんかこどくびんぐろうしち)」が
一発で変換できたって人がいたから、マジ?ってやってみたら、
うちのオバカ辞書は「ひんきゅう」が変換できなかったけど(ホントバカだね)
何故か「かんかこどく」なんて四文字が一発変換できていた。
ああ、これって有名な四文字熟語なんだ。知らなかった>一つ賢くなったよ(笑)
※いわゆる、独り者の年寄りの男女と、親のない子と、子のない者ってことらしい。
天涯孤独ってヤツとも似てるか?
そう、いまどきの言葉でいうと
「社会的弱者」にも千三百年前の国家は手を差しのべていたと。

そういえば前の卒論書いているときに、どこかで見かけたけど
80歳(以上)及び篤疾には1人、90歳(以上)には2人、
百歳(!)には5人の給侍をつけると規定もあったらしい。
へ~、老人福祉ってのも案外昔から充実してたんだ。

平均寿命が50年を越えるか越えない時代において、
果たしてそんな対象者がどれほどいたか判らないけど、
お題目としては、年齢別にそういう手厚い(?)取り決めが
されていたってのは、スゴイんじゃないだろうかと。
ま、それがほとんど、中国からの輸入品(唐律令)の真似っこの内容だったとしても、だ。

そんなことから、古代の社会保障制度について調べたら面白いんじゃないかなと
思いつつ放置してはや数年。
このたび、思い出したように(思い出したんだけど)、それ関係のこと
ネットサーフィンで調べてみたら、出るわ出るわ、古代福祉の現状(じゃないか)

そのうち、こんなことは福祉関係の人のうちでは、日本における「福祉政策史」を
勉強すれば基本的に知ってることなんだと知って、逆に目から鱗でした。
(福祉関係の専門学校・大学の人なら常識でしょうが)
古墳とか、寺とか、文化財とかしか興味がない人からすればアウトおぶ眼中分野だもん。
どんな分野にも歴史あり、です。

おもしれーなあ。インターネットで調べてどんどんリンク辿っていると
新しいことがわかって面白い。
こういう脱線はどんどん驀進してしまうんだけど、
何でガッコの勉強は進まないんだろうなあ。
謎だなあ(をい)
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ぬなびが来た

2007年11月13日 | 奈良大学お勉強日記
大学からのブツを待っているのだけど。
待ち人(じゃないか)は来ず。
NU NAVI Vol.143が到着しました。

今回は、通信教育部に関係あることはないかな~と思ったけど。
関係なくもないのが、一件。
聴講生の方が書いた論文が「古代学研究」に載ったという記事。
これって、大王さまの論文と重なる分野?

まだ、通信教育部なんか無い時代から、
ずっと聴講生として学んできて、ご自分の専門分野を活かして
研究された内容とのことで、すごいな、と。
実はこの記事、読売新聞にも過日載っていて、
先日スクラップ新聞の整理をしたときに出てきて、
「おお、聴講生を15年!」と感動したばかり。
わたしの三年目なんてまだまだかなと(そういうことではない。
しかも、私の場合、勉強してなくて三年目だからなあ…論外)

さあ、そろそろ勉学の秋としゃれこんでレポートでもやるかぁ。
(いつも掛け声だけ)
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戸籍あれこれ

2007年11月08日 | 奈良大学お勉強日記
独楽さんのトコでみかけた、賑給や戸籍の話から、
昔そういえば卒論の時ちょっと調べたっけと思った律令下の戸籍の話。

そういえばそんなのあったなあ、と久しぶりに、『律令』の戸令なんて思い出しました。
戸主を筆頭に全員集合の内訳を書いて、その後個別の名前、年、続柄が続く。
続柄は
3歳以下が緑児(りょくじ)、緑女(りょくじょ)(男・女の順。以下同)、
4~16歳が小子(しょうし)、小女(しょうじょ)、
17~20歳が少丁(しょうてい、または中男(ちゅうなん))、次女(または少女)、
21~60歳を正丁(せいてい、正女(せいじょ、または丁女(ていじょ))、
61~65歳を老丁(ろうてい、または次丁(じてい))、老女、
66歳以上が耆老(きろう)、耆女(きじょ)。

そういえば赤ん坊を嬰児(みどりご)などといいますもんね>緑児。
赤ん坊は顔が赤いから赤ちゃんだけど、もしかして緑って緑便から(をい)
かしらん…とか妄想の世界を広げる(笑)

いやいや、緑ってのは勢いのある、みずみずしい生命力の強さを示す言葉ってことだから、
緑児なんだろうけど。(緑の黒髪とかていう、アニメキャラでしかありえないような言葉もあるけど、
あれも、つややかな潤いのある髪の毛を、緑で表現したんじゃないかと)

でも、「小」女と「少」女は、昔も今と同じ音だったのかな。
耳で聞いただけでは区別ができないし。
だから少丁は中男(大人と子供の真ん中の男?)と呼ばれ、
女の子は次女(成年女子に次ぐ年齢範囲の女)って呼ばれ方もあったのかなと。

この中で課税対象となった年齢が正丁、老丁、少丁で、
それ以外の年齢・性別(つまりは女性)は納税の義務が無し。

でもこうしてみると、戸籍制度って昔っから全然変わってないんだなとちょっと感動。
(いい意味でも、悪い意味でも)
一応二十歳以下(今は二十歳「未満」だけど)は子供って区分だし、
66歳以上は年金生活者(≒納税の義務がない人)だし。

今回は、御野国味蜂間郡春部里戸籍(現在の岐阜県安八郡のあたり)が出ていたけど、
わたし個人としては御野国加毛郡半布里戸籍(現在の岐阜県富加町のあたり)の方が親近感。
なぜならば、今の私の本籍地の隣町だからサ。(そんな理由かよ)
ちなみに、ダンナの母校は坪内逍遥の生家跡に建ってます。
はい、奈良文化論です、はいはい。

最近戸籍マミレな生活なので(意味不明)
「戸籍」「戸籍」って言葉に非常に反応してます。
明日は本籍地にて戸籍とって来ますわ。
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奈良大通信11号着

2007年11月07日 | 奈良大学お勉強日記
本日の郵便物の中に大学からのでかい封筒が…。
おっ、『再提出(否、出したと思って届いてなかった)したレポート』
が帰ってきたのかと思ったら、奈良大通信でした。
な~んだ。

もう、スクーリングとも、卒業とも関係がないので(←悲しい)
中身をパラパラと見ても関係する部署が少ないのですが。

初年度10月入学生からも卒業生が出たとのこと。
あら、10月入学生は9月末に卒業式なんですね。
なんか寂しいわ>季節はずれの卒業式って。
やっぱり日本人に生まれたからには、三月の卒業式ってのが
憧れだなあ~。
ってことで、何を思ったか、袴を買っちゃいましたよ(バカ)
これで卒業式の服は決まったさ。
後は、卒業を決めるだけ(オオバカ)
あれ、着るためにも、頑張れ~>ぢぶん(どんな励まし方やねん)

そんな私に追い討ちをかけるのが奈良大通信。
「卒業予定者の方へ、レポートの提出最終期限が近づいています」
だの
「卒業論文合格者で、現在、卒業要件単位数以上を履修登録されている方も
学年末まで卒業予定者から除外されることはありません」
だの、いちいち耳の痛いお言葉です。
はい、判ってますって。
しかし、今年卒業できないのはもう決定済みなので、
年度末まで試験が受けられると有りがたいんだけどなあ。

まだまだ、同窓会には入れてもらえません。
猫さん、りぃさん、葵さん、大王様、さようなら~。
私、なぎさんと楽しく学生生活続けます★
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