奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

ありがとうタンタン

2024年04月01日 | 色々・モシクハお勉強
エイプリルフールだし、何かの冗談だったらいいのにな。

神戸市立王子動物園のパンダ・タンタンが亡くなりました。

日本に来てくれてありがとう。

日本にいてくれてありがとう。

今迄本当に本当にありがとう。

ずっと大好きだよ。













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学ぶは楽しい

2024年03月25日 | 色々・モシクハお勉強
昨日の今日なんだけど。
昨日は歌手の相川七瀬さんが國學院大学をご卒業されたという話題を書きましたが。
今日は歌手の松田聖子さんが中央大学法学部通信教育課程を卒業されたことが発表されました。

ひゃーん。
なんですと?
聖子ちゃん(そういう世代です)が大学を卒業した?
しかも、私のお得意の(?)通信教育課程で卒業?
ひゃーん。

「スポーツ報知」によると、聖子は
「中央大学で法律を学ぶことができた4年間は、私にとって素晴らしい時間でした。
あたたかくご指導いただきました先生方、関係者の皆様に心より御礼申し上げます」
とコメント。さらに「大学で学んだことを糧にして、
これからも仕事に励んでまいります」と述べたという。”


中央大学?しかも法学部?
えええええ?
すごいなあ。

最近は生涯学習やリカレント教育が叫ばれているとおり、
芸能人の方も何かと大学で学んでおられるというのもたびたび目にしていましたが。

”▼水野真紀 2021年、都内の女子大学教育学科を卒業し、
       幼稚園教諭一種免許を取得。22年に保育士試験に合格した

▼恵俊彰 23年3月、早大大学院スポーツ科学研究科を卒業

▼相川七瀬 今年3月20日に国学院大神道文化学部を卒業し、4月から大学院

▼秋吉久美子 07年、53歳で早大大学院に進学

▼小倉優子 テレビ番組の企画で大学受験に挑戦し、23年4月から白百合女子大に通う”
(https://hochi.news/articles/20240324-OHT1T51240.html?page=1 より)

と結構な数の方が学びなおし&新しい学びを楽しんでおられたと。

菊池桃子さんも法政大学大学院政策創造研究科政策創造専攻修士課程修了し、
母校の戸板女子短期大学の客員教授を務めておられる。

そうだ。
正社員時代に同じ建物で働いていた先輩が、
会社を辞めたあと、早稲田大学に通って修士まで修め、
今では関西の大学で教鞭をとっているってのも聞いたな。
(今調べたら、博士になってた(!)ひゃーん)

おおお。
皆様楽しんで学習して、その後の活躍に活かしておられるのね。

やっぱり「学ぶ」ことは「楽しい」んだよ。
楽しいからやれるし、楽しいから続けられる。

さて、時間がない、余裕がないとばかり言ってないで、
なんかやりなよ>ぢぶんも。
ここ数年はほんとぐーたらしてるんだから。
と中の人に語り掛けたい今日この頃。
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卒業したり入学したり

2024年03月24日 | 色々・モシクハお勉強
3月24日ということは、この日は毎年、法政大学の卒業式(学位授与式)が行われる日。
ご卒業おめでとうございます!

私が卒業したのは21世紀になってすぐだったから、すでに二十年以上前のこと。
式自体は日本武道館で行われ、パーっとした春の日だったなあって思い出しました。
今年は桜咲いてませんでしたね。
わたしの時も咲いてなかったけど。

まだ春本番ではない、今頃の季節は、卒業というセレモニーは
なーんかとっても鼻の奥がつーんとするような想いもあるものです。

本日新聞を読んでいて(2024年3月10日読売新聞)
空想書店というコーナーで相川七瀬さんが出ていた。
著者の略歴の最後の部分で『國學院大を今春卒業し、大学院に進学する予定』とありました。

偶然というか、必然というか。あれま、またお会いしましたね。
それというのも昨日、相川さんの長い記事を読んでいたので、
ああ、相川さんに呼ばれてる~とか思ったりして。
(呼んでへん呼んでへん)

で。
今日が法政の卒業式だってことで、なんとなくそこらへんことをつらつらと。



相川さんが國學院大学の学生だと知ったのは、コロナ禍の最中。
春日大社での若宮さまへの奉納芸能が行われたのですが、
その演者の方の中に、さだまさしさんなどと並んで出ておられて。
さださんは奈良の神社仏閣にあれこれ御寄進を下さっているのは知ってるけど、
「んん?」相川さんってあの、相川さんよね。
パワフルな歌唱で知られる相川七瀬さん。
春日大社に来て下さるの?
とか思ったら、國學院大学の神道文化学部に入学したというのを知りました。

え?そうなの?
相川さんは高校中退だったので、まずは大検
(現在では、高等学校卒業程度認定試験=高卒認定試験)を受けて合格し、
さらに國學院大学へも入学試験を受けて入学されたんだと知ります。
ええええー。すごいパワーではないか。

そこまで相川さんを突き動かしたもとは。
長崎県の対馬などに伝わる古代米の「赤米(あかごめ)」。
対馬の赤米神事は「頭仲間(とうなかま)」と呼ばれ受け継がれてきたが、
後継者問題などで先細り、ゆくゆくはなくなってしまうことが懸念される。

そんな中、相川さんは赤米と出合います。
ライブで訪れた対馬で偶然、赤い稲穂が実る「神田」を見て美しく思う一方で、
頭仲間の存続の危機の話を聞き心を痛め「自分に何かできることがあれば」と
思ったところから活動を始め、そのためには神道を学びたいと思ったそうです。

まず、そこからかー。すごいなあ。
國學院大學に入学し、神道のことを学ぶために周囲の若い同級生たちとも打ち解けて、
芸能活動もしながら大学生もする。
私も通信教育で大学を卒業したから、仕事をしながら学業を修めるってのは
それなりに大変だということもわかっていますが、通信と通学ではまた違いますもん。

そして今年めでたくご卒業。
優秀な成績(1/200という成績を取られたとのこと。ひゃースゴイ)で、
卒業生総代にも選ばれたとのこと。
それのみならず、大学院にも進まれるんですって。
もぉ!素晴らしいの一言です。

卒業式典では國學院OBのさだまさしさんも登場されたとのこと。
あーいいなー(うらやましがるなっての)
國學院といえば、長いこと奈良大で教鞭をとられた
上野誠教授が現在特別専任教授でおられるしなあ。
なんかわたしも國學院行きたくなっちゃったよ(いや、そういうことでは)

私は法政大学を卒業後、ちょっとブランクあけて、奈良大でも勉強をしたのですが。
どちらも通信での学習だったから。
俗にいう「大学生活」とか「キャンパスライフ」ってのはわからなかったりします。
勉学としてはいろいろ学びましたが、クラス会とか同好会とか学生会とか体験してない。
そういうのが特別好きってわけではないのだけど。
ま、ストレートで入学した通学部の学生さんであれば体験したであろうことはできなかったなと。

あと、法政では「文学士」をいただきましたが、奈良大でも学位としては「文学士」
奈良大に入るときに「え?大学院じゃなくて、また大学なの?」と夫にも言われましたが。
いやいや、大学生活もしてないのに、大学「院」生活なんて想像もできないよ。
奈良大が通信でもとれる大学院をやってくれれば続けることも考えたけど、実現せず。
ま、通信じゃなくても大学院に行けばいいだけですけどね。
(私入学した時は奈良県内在住だったけど、卒業時は東京に住んでいたので、
それもなかなか難しくなった)

奈良大を卒業してからですら15年たっているし、
(その後三年間科目履修生で、学芸員資格の勉強もしたが)
だーいぶ頭さび付いてるし、今試験とかやってもあかんやろなあ。
模範解答作っても、覚えておられへん。
やらずに逃げるのはいかんけど。

法政に入る前は「佛教大通信」とどっちにする?と悩んだ時期もありましたが法政に。
奈良大を修了したあとでは、それこそ「佛教大」を再度考えてもいいか?とか、
いや「神社検定」がらみの勉強をしていたから「皇学館」ってのもありか?とか。
(当時は関西在住だったから、國學院ではなく、皇学館って方向でした)
仏教か神道か、いや順番はともかくどちらもかなあ?!とかってんで、
とりあえずお手軽に「お寺検定」だの「神社検定」だの受けたりもしましたが。
(お寺検定は2級一発合格しましたが、検定自体がフェードアウトして終了(?)
神社検定は初回を受け損なっていきなり2級を受けたら落ちまくって、
やけくそで受けた3級が今のところ最高グレードのまま)

まあ、大学で勉強するばかりが「勉強」じゃないし、
「学習」や「学び」ってのは大学や大学院じゃなくてもできることだし。
奈良大卒業後は「奈良検定」で学びは継続していたけど、
それもここ数年(いやもっとか?)もさぼったまま放置してしまっているし。
(あ、メルマガの読者さま、とーとつに更新が停止してすみません。
なんか今どうにもこうにも時間が取れないんで、放置中なんですよ。
かつ、過去のメルマガも読めなくなっているようで、すでに皆様の記憶からも
遠ざかってしまっていることと思いますが、今すぐ再開するという気力もないもんで、
このまま地下に潜伏したままが続くことになると思うのですが。
しかし「奈良検定お勉強日記」というものを放棄したつもりはないので
いつか復活させますけどね。たとえば定年後に、とかね。それでもすぐです、すぐ。
今しばらくお待ちください、て誰も待ってないか)

ということで。
この時期になると「新しい勉強したいな」「新しい学び舎ほしいなあ」
とかってのがムクムクと頭をもたげてくるのですが、
どんどん年を取ってきて、それも「思うだけ」になってしまっているのがちと悲しい。

阪神淡路大震災の後に「法政大学」に入学し、
新潟県中越地震の後に「奈良大学」に入学した私は、
能登半島地震の直後で、今までの法則に従うならば
何かを始めたくなっているだけなのかもしれません。
やりたいことは我慢せずやろうと思って、それらを選び取ってきたので。
いや、それら以外でもやりたいことたくさんあるんだけど、
いかんせん気力が…。過去二回の天変地異の時には心を決めて
飛び込めたことが、今回はなんの準備もなかったためか、
新しいことに進んでいけない。

それでもなんか、始めたくなる季節なんだろうな3月4月って。
てことで。
新しいことを始めるよりも今の私は、
ライフワークの奈良検定でのお勉強を再開できればいいと思ってますが、
こればっかりは、さてさてどうしたもんか。

まずはブログを書くという行為を面倒がらずに、こまめにやれればいいんですが。
(結構下書きってのは殴り書きしてるんですけど、推敲&掲載がなかなかできない)

ま、あんまり気負わず、ゆるゆると、続けていければいいかなと思いたいです。
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昭和は遠くなりにけり

2024年01月19日 | 色々・モシクハお勉強
令和六年の歌会始をテレビで視聴して。
一番心に残った歌はこれでした。
(全首の掲載は→こちらから)

呼びに来てくれたる人を追ひ越して電話に急ぎし昭和の夜道
                  神奈川県 臼杵喜行

この歌を何の説明もなく理解できる人はまごうことなく、昭和生まれの人。
もちろん私も昭和生まれなので、この歌が理解できます。

あ、昭和生まれでも昭和63年生まれの人には理解できないと思います。
うちの姪はその昭和63年生まれなのですが、
彼女が生まれた時には我が家にはイエ電(固定電話)がありましたから。
(そして私の中の一番古い記憶にも、すでにイエ電はありましたが)

小学校の頃。
まだクラス名簿というものが存在していた頃。
クラスメイトのA子ちゃんの電話番号のところに小さく(呼)と追加書きされていました。
(呼)とは、呼び出しのことで、この電話番号の所に電話をかけたら、
電話を受け取ったお宅が、A子ちゃんのお宅に「電話が来てますよ」と
『呼びに行ってくれる』という意味でした。

つまりA子ちゃんちには電話がついておらず、
電話による連絡網で何かを緊急に知らせなくてはならない時、
別のお宅に電話をかけて、そのお宅の方がA子ちゃんに、
電話がかかってきていることを知らせに来てくれるという流れになっていました。

まあ、NTTが電電公社だった頃だし、電話を自宅に引いてもらうためには
電話加入権なんてものが必要だった頃だし、自宅に電話がないなんてことは
結構あった頃なんですよ。(私けっこう年寄りなんでね。そんなの珍しくなかった)

それゆえ、A子ちゃんに連絡取ろうとすると、Bさんちに電話かけなくちゃいけなかった。
Bさんはいい人で、A子ちゃんち(二軒先だったっけな)まで呼びに行ってくれましたっけ。

この詠み人の方は聞くところによると佐渡出身の方で、自宅を離れて就職されたご様子。
自宅からかかってきた電話を受けてくれたのは近所で唯一電話のあるお米屋さんだったとのこと。
夜でも、雨でも、知らせに来てくれた方。
そのかたを追い越してでも、一刻も早く電話に出ようと急いだんだと、その光景が目に浮かびます。

あの当時は公衆電話が三分十円の通話料の時代。しかも自宅を遠く離れての遠距離電話ともなれば、
まさに時は金なり。一分一秒でも早く出てあげないと、電話代がかかってしょうがない。

あー懐かしいなあ。
寮生活だった私も、公衆電話で10円やら100円やら握りしめて電話してたわ。
まあ、その頃は赤電話じゃなくて、緑電話になっていたから、
テレフォンカード(テレカ)ってやつもあって、常時何枚も持って長電話してたけど。
(ババアの昔話かって)

とまあ。
そんなことまで思い出させてくれたのがこの歌でした。

今時は電話は一人一台の時代になったし(いや、二台や三台でもいいのだが)
一周回って、自宅に電話がないという家も少なくなったりして変な感じ。
それでも、つながりたいひとにダイレクトにつながれる時代にはなっていて。
こんなもどかしい感覚がわかる人も少なくなりつつあるんだよなあって、
複雑な気持ちになりました。

まさに、中村草田男の「降る雪や 明治は遠く なりにけり」みたいな感じで、
「昭和は遠くなりにけり」を感じました。
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またこの日が巡り来ました

2024年01月17日 | 色々・モシクハお勉強
令和六年一月十七日。
また今年も一月十七日が来ました。

私が子供の頃はこの日は山口百恵ちゃんの誕生日であり、
大親友のアッコちゃんの誕生日でありました。

長じて社会人になったのち、この日は阪神淡路大震災と名のついた
巨大地震の起こった日となりました。

それから二十九年。
長い時間が経ちましたが、忘れていないし、忘れられないし、
そしてつい最近の能登半島地震とも相まって、
怖さ、悲しさ、切なさ、いろんな感情がグルグルしています。

私自身は東京にいて、その揺れを体感することはありませんでしたが、
東日本大震災や能登半島地震での揺れは本当に怖かった。

私自身は現在祈ることと募金することくらいしかできないのだけど。
被災された方がたが一刻でも早く、落ち着いた生活のめどがたちますように。
私は働いて、モノ買って、旅して、経済回します。
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当たり前じゃなかった元日

2024年01月09日 | 色々・モシクハお勉強
松の内も終わった令和6年1月8日の深夜になってから。
あ、「さだまさしレコードデビュー50周年記念番組1時の鬼の迷い
を聞くのを忘れていたことに気が付きまして。

一週間気ぜわしくて忘れいていたわ。
でも思い出したんだから、聴くか…。
と布団に入ってから聞くことに。

これ、もともと始まったときは深夜1時からの放送で、
それゆえ「1時の鬼の迷い」というタイトルだったのですが。
現在は夕方の6時からの放送です(東海ラジオでは)

そういえばこれって元日の放送だ。
元日の放送?
大みそかはカウントダウンコンサートをして、
そのまま「年の初めはさだまさし」をして、
この放送はいつ収録したんだ?
前どりかな?
じゃあ、地震に関係ない内容なのかな。

と思ったら、中身は落語家の立川談春さんをゲストにしての楽しいお話。
しばらくは楽しく聞けていたのだけど。
「番組の途中ですが、ここで地震のニュースをお伝えします」

ああ、この番組が放送されたのは元日の午後六時。
地震が起こってから二時間後くらいのことだから。
当地もかなり揺れたし、ラジオを聴いていても、情報が欲しい人もあっただろうから、
これは致し方ないことだったと思う。

しかし、一週間後に聞いても、これ、しんどいなあ。
しかも寝入りばな(というか寝るのを惜しんで聞いていた深夜)だから、
この気持ちのまま寝るのはしんどいなという。

その後もたびたびニュースは差し込まれ(後ろで小さい音で放送は続いている)
楽しそうな声が薄く聞こえている中で読まれる地震の情報が、
ああ、そうだった、そうだったと思い出させる内容。

一週間たったけど、まだ一週間なんだけど、この一週間はあまりに多くの悲惨なことが多すぎて。
ああ、そうだった、そうだったんだよねというのを思い出させました。

今回は〆の最後のお便りを時間が押したために読むことができず。
これを収録した時、さださんもこんなことになるとはわかってなかったと思う。

とにかく、まさかめでたい元日の新年一発目の放送が、
こんなことになるなんて誰もが思わなかっただろう。
それをいうなら、まさか新年始まったすぐに大地震が起こるなんて思ってもみなかったし。

始まってまだ九日の令和六年だけど、あまりに多くのことが立て続けに起こっていて、
心がざわついたままです。
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いつも通りの元旦

2024年01月04日 | 色々・モシクハお勉強
今年はブログ再始動ということで。
メモ帳替わりにここを使うことに。

最近とみに記憶力がやばくなってきたので、
記録を残さねばならんと思って、
ここに何でもかんでも書き残します。

とりあえず令和元年の元日の記録。
元日といえば、お屠蘇とおせち。
ということで今年の記録。







大みそかの朝(?)11時から夕方5時まであれこれ作り続けて、
二時間ほどで夕飯のすき焼きや、豚の角煮を作りながら、重箱に詰めて。
今年は紅白歌合戦の直前までには作り終わったので良しとします。

これで七草がゆまでの間はこれをコツコツ食べ続けて、
少しずつ片付いてゆくのが快感(謎)です。

でも酢の物(酢レンコン、紅白なます)はタッパーに一つは作りすぎな気がするし、
かまぼこもまだ紅白の板二つ残っているし、買いすぎだな。
年々食は細くなっているので、来年はもう少し減らしてもいいかも。

手前の長皿は「マメでくりくり、掻き込め掻き込め」と言いながら食べる
「豆&甘栗&柿」
個人的には栗も柿も食べないので、年に一度の食べ物です。
しかも、柿を買うのを忘れていたので、うちにあった干し柿で代用。

お屠蘇は橿原神宮から頂いた屠蘇散を大みそかに清酒に浸しておいたもの。
ありがたやありがたや。

一日仕事のおせち。
いつまで続けられるかなあ。
本人的には作るのしんどいので、そろそろおせち終了のお知らせとしたいんだが。

にしても。
一年に一度のことだし。
これくらいやっておくべきなのか?
日本人としては正月は楽しみなもんですからね。
元旦は楽しかった。
令和六年の元旦は楽しかったです。
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令和六年謹賀新年

2024年01月03日 | 色々・モシクハお勉強
令和六年。
今年もよろしくお願いします。

あっという間に三が日が終了。
今年が始まったばかりだというのに。
新年早々、かつてないほどの大地震。

元日深夜には翌日の一般参賀に向かうために高速バスに乗る予定だったのに、
行くか行かないか逡巡しているうちに、もうキャンセルができないこととなり。
バスは運行しているのか?行ったはいいけど、帰ってこれるのか?
判断できないまま、一か八かで東京へ向かいました。

翌朝二日。
皇居に向かうとヒト気がなく。
一般参賀は深夜になってから急遽中止が決まったとのこと。
私がバスに乗り込んだ後に決定されたようで。
まあ、確かにこの状態では中止やむを得ずだなと納得。

とりあえず、その後実家に帰るために取っていた運休していた上越新幹線と、
帰りの高速バスをキャンセルし、自分が本日中に帰るための新幹線を取り直し。
トーハクなどで過ごして帰ろうとした新幹線の中で、羽田の飛行機事故を知ることとなりました。

三日の新聞では、一面が悲惨なニュースで占められていて。
更に夕刻になってから小倉で起こった大規模火災のニュースを知りました。
休み期間中の新聞を読みこんでいたら、
六日もあった年末年始のお休みが終了しました。

明日から仕事はじめ。
動ける人は普段通りの生活をしましょう。
そして、できる範囲で、できることをしていきましょう。
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師走がやってきた

2023年12月05日 | 色々・モシクハお勉強
おっと、見慣れない壁紙に驚いていたら「60日間更新がないから変えました」
って出てきてしまいましたよ。

お久しぶりです。
更新してませんうちに季節はすっかり冬です。
正倉院展は無事に終了し、ひさしぶりのフルスペックの酔狂会も無事終了しました。
(記録を書いてない)

それが終了したのちは11月には南紀白浜に二度通いまして、
パンダまみれ、そしてなぜかこの秋は京都へも二度行き
(またまた記録をしてない)
あっという間に12月。

うんと、来年から本気出す(笑)

twitterでこちょこちょ書いていますが、
やっぱり私はブログのほうが書きよい気がしてきてるので、
こっちにツイッター並みの短文も書いていこうかなと方向転換準備中です(謎)

とりあえずは師走。
今月のビッグイベントは除夜の鐘の前に、春日若宮御祭りやー!
久しぶりに全行程いくでー!
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どうなる正倉院展2023

2023年10月02日 | 色々・モシクハお勉強
さて、長かった令和五年の夏が終わりを迎えそうな今日この頃。
十月も始まったことだし、酔狂会の開催が近づいてきました。
参加予定者の方にはご連絡をいたしましたので、お会いできること楽しみにしています。

で。
目下の不安は、アレですよ。
年パスを持っている人は、日時指定券は要らないってヤツ。
あんまり不安なので、再度ナラハク窓口で聞いてきました。

◎年パスを持っていたら、日時指定券は不要←その通り
◎当日年パスをもって、待ち行列に並べば、それでOK←その通り
◎日時指定券を持っている人が並ぶ待ち行列と、
 年パスを持っている人が並ぶ待つ行列と、 
 二系統の待ち行列ができたりするのか?(ここが一番重要)←不明です

ここをきちんと答えてくれる人がいないんですよねえ。
ここが一番重要な疑問なのに。

たとえば、日時指定券の人の待ち行列があって、年パス持っているだけの人が並ぶ
待つ行列はまた別にあって、日時指定券を持っている人が先に入場して、
その後年パス持っている人が入場するようなシステムならば、
前もって教えておいてもらわないと困るってことです。
日時指定券とるから。

酔狂会ってのは「初日、初回の時間帯から正倉院展を見学する酔狂な人たちの会」
だからして、それが出来ないのなら、酔狂会じゃなくなっちゃうからです。
そんな大げさなあ~って言われるかもしれませんが、もうすでに20年近く
やっている会なので、そこんとこは譲れない。

まだ日時指定券は発売してません。
今なら用意してとることができます。
「まだよくわからないんですよ」と窓口の方はいうけど。
まだ決まってない、なんてこと、ないですよね?
(本当に決まってないんか?)

なんか摩耗するんだよね、日時指定券とるのって。
その日仕事だし。
それを取らなくても、年パスで入れるなら有難いし、楽だし、簡単。

そう思う人がほかにもいたのか。
私が7月7日に今年の年パスを買ったとき、シリアルナンバーは0087(7/8購入)。
それを使って「南山城」を二回見にいったのですが。
おなじカードでは一つの特別展は二回までしか見られないので、
三回目の観覧(!したのですよ、三回見たの、私>南山城)のために
新たに年パスもう一枚買ったのです。(アホやな)
その時のシリアルナンバーが0372。(8/26購入)



この一か月の間に、正倉院展の入場方法が判って、年パスを持っていれば
日時指定券を買わなくても入れるとわかったので、それで年パスを求めたひとも多いのかなと。

うーん。
どうしよう。年パスの残り枠ありすぎなので、正倉院展二回目も三回目も
これらのカードで観れそうですが。
悩むのは、初日初回の観覧。
年パスで行くか、日時指定券を取るか。
あー悩むなあ。



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