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奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

いろいろバタバタ

2025年05月17日 | 色々・モシクハお勉強
長い人生の中で5月17日に引っ越したことが二度ありますコンニチハ。

gooblogが終了してしまう!というニュースに接してショックを受けた割には、
まだブログの引っ越しに関してなにもしておりません。
身辺もバタバタしてるので、そういう気になれないし。
いつやったらいいんだろう。どこに越したらいいんだろう。
まるで五里霧中です。

ちなみに5月17日の引っ越しは、どちらも平日でして。
ゆえにこの日は引っ越しのあたり日でした。
そのココロはずばり「安い!」
3月4月の引っ越し業者争奪戦から解放されて、
一段落したあたりで、梅雨にも突入してないし、
土日でもないし、わりーとこの時期引っ越し業者は暇です。
ゆえに安い。

あの業者、今でも米もって見積もりに来るのかな?
今年は大変だろうなあ。(コメ高騰で)

てことで、お急ぎでない方は5月の平日を狙って引っ越しをするのもテです。

さて、ブログのお引越しはどうしましょう。
選ばれしお引越し先サイトも用意されているけど、
自分のトコでやるのもいいかなと思うが。
そうなると引っ越しを、自分で、手作業で(まさか?)
ちまちまやるのはしんどいわあ。

そうこうしている内にリミットは刻々と迫ってくるわけで。
どうしたもんでしょうね。

ツイッターは、やっているけど、あっちはブログのような一覧性に優れているわけはなく、
「今だけ」「まさに今」「せめて昨日」くらいの記事しか生きてない気がする(私には)
過去に書いたつぶやきの見方もあるようですが(知ってます、覚えているワケじゃないけど)
他人様のつぶやきはともかく、自分のための記録として書いた分は
残しておきたいので過去ログをとりたいくらいですが。
(その場でつぶやいたことなんて、十中八九忘れてます)

やはり世の中に不変なものなんてないのね。
天下のえぬてーてーだってブログ放り出しちゃうくらいだから。

あー。
どうしたらいいんでしょうね。



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とうとう来たか

2025年04月14日 | 色々・モシクハお勉強
えー?!
gooblog終了ですって?
聞いてないよー。
て、発表は今日でしたか。
あたしだけが出遅れたわけじゃないんだな。

えー、結構な量書いてあるけど、引っ越しをするのって大変かなぁ。
他のブログが終了するたびに、gooblogは優秀だねえと思っていたのに。
とうとう終了かあ。

すべてのものはいつかは終わる。
さて、ゆるゆると引っ越しの勉強しなくちゃいけないわね。




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ふた昔まえの話

2025年03月24日 | 色々・モシクハお勉強
結婚記念日の次の日は、毎年法政大学の学位授与式(卒業式)。
今年は2025年だから、卒業して22年ですね!
はー、びっくりした。

22年、22歳といえば、おギャーと生まれてから大学を卒業するまでの年月と一緒。
そうですかそうですか。
法政大学に入学すると決めてから30年(!)
いやー年取るワケだ。

お勉強が好きだった(?)私は、法政を卒業してから奈良大学に入るワケですが。
奈良大は法政の半分の年月で卒業しましたので、
四年しか在籍しませんでした。
(しかし博物館課程で苦戦して、卒業後も三年間科目履修生として在籍しましたがね)

奈良大を卒業してからでも16年の年月が経っている。
こちらは生まれた子が、義務教育を終えたくらいの年月がたつということ。

なんか後ろ向きなことばかり語っている今年の三月。
本当だったら(?)もう一つ、大学で学びたいことあったんですがね。
ま、別にあきらめた訳でも、やらないと決めたのでもないので、
この先、三度目の大学生になったりなんかしたりなんかして(ナンノコッチャ)

時節柄だから、
斉藤由貴の「卒業」でも、尾崎豊の「卒業」でも、松田聖子の「制服」でも、
松任谷由実の「冬の終わり」や「悲しいほどお天気」でも、
聴きながらウルウルと次の勉強について考えてみたいもんです。
(今、そんな余裕はないんだけどね)
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憂鬱な三月

2025年03月11日 | 色々・モシクハお勉強
今年は昭和100年なんだそうで。
となれば、終戦から80年。
私が奈良大学に入学して20年(あまりにも個人的なハナシ)

でも、今年は私にとって「あれから30年」というのが一番強く感じること。

1995年。平成7年。
1月17日は火曜日。
成人の日の三連休明けで、目が覚めたら関西がとんでもないことになっていました。

3月20日は月曜日。翌日は春分の日でお休みの谷間。
仕事に行ったら、会社にそれぞれの社員の田舎から電話がかかりまくって事件を知りました。

その後、大学に入ったり、大阪に飛ばされたり、
関西で暮らし始めたり、結婚することになったり。

あれから30年ですか。
もうそんなにたちますか。
怒涛の一年だった1995年。

そして、激動の一年ってのが始まるのもいつも四月ではなく三月なわたし。
三月はさよならの月。
今年の末は神戸のパンダのタンタンとお別れして一年たちます。
もう1年たちましたか。
その1年間が30回繰り返されて30年。

その間には14年前に東日本大震災があり、
あの年もひどくつらい年でした。
寒かったなあ。心細かったなあ。
被災地じゃない私ですら、あんなに落ち込んだのに、
現地におられた方の不安な心はいかばかりだったかと。
もうすぐ春が来るよって頃だったのに、
なかなか春は来なかった記憶があります。

なんか、秋よりも、春のほうが憂鬱なことが多い気がする。
私の場合。

四月からこのどよんとした気持ちは少しは晴れるかなあ。
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感染症と修二会

2025年03月08日 | 色々・モシクハお勉強
ツイッターで見かけた記事。
見慣れた背景と、どこかでお見かけしたような風貌。

あ!
笠原先生と、谷口先生と、忽那先生ではありませんか!
こちらを参照してください)

皆様感染症の専門家。
3月1日に奈良市内で感染症の勉強会があったそうで。
そのとき今日は初日だ!ということに気が付いてお参りされたとのこと。

ああ。
コロナ禍の頃には、この方たちの発信する情報を連日読みました。
そう、コロナ蔓延の時期には、修二会も開催が危ぶまれましたが、
感染症対策をして実施されることになりました。
この時に、助言をされたのが奈良県立医大の笠原先生。

2021年の修二会は開催ができるのか?どうしたら修二会を無事に行えるかと
NHKでも番組になりました。
こちらからちょこっと見られます

読売新聞にもその当時のことを記した記事があります。
こちら

しかし我々一般人は現地でお松明を見ることが叶わなくなり、
二月堂に近づくことができなくなりましたが、
それよりなにより、千二百年続いてきた修二会が途絶えてはいけないということの方が大切。
我々一般人は遠くでそれを見守りました。

その厳しい規制も徐々に解除され、年を追うごとにコロナ前のように戻りつつあります。
今年は北の階段が規制時間以外は利用可能になり、
湯屋と参篭所の間にバリケードが築かれることもなくなりました。
(それでも、北の茶屋でのおうどんやお寿司の販売はまだ無いようですが)

2020年1月の日本で新型コロナ感染症というものを知り、
その後爆発的に感染者を増やし、どうなってしまうのだろうと思いました。
あのどよんとした世界を乗り越えてこれたのは、
この方たちの発信があったからだなあと思ったら泣いてました。

もうあの時代には戻りたくないですが、
あの時の一丸となって団結した時のこころを、思い出しました。
ありがとうございました。
私は幸いにも現在までコロナにかかったこともなく、元気に過ごしています。

リボート参拝という新しい祈りの形も得て、
現地に行けない時でも修二会を見守ることが叶っています。

この千二百年の間にいろいろなことがあっても続いてきた修二会。
飢饉も、疫病も、様々なことを乗り越えて続いてきた修二会。

これからも続いていくもの。
その途中を少しだけ眺めることが許されていることに感謝します。

そして、先生がた、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
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春はとくべつ

2025年02月19日 | 色々・モシクハお勉強
奈良博の特別展「超国宝-祈りのかがやき」のチケット前売り券が本日より発売ということで購入してみました。
 
当初はキョーハクで実施される「日本、美のるつぼー異文化交流の軌跡」との
ペアチケットを買うつもりだったのですが。
 
おっと待てよ?私、奈良博の年パス持っているんじゃん?
だったら、どんなにお得でも、ペアチケットは要らないんじゃない?
 
ということで。
キョーハクの前売り券だけ買うことにして。
しかし、本日は仕事で販売開始時間にスタンバイすることはできない。
限定数は思ったより少ないし、どうしたもんだろうと思ってました。
 
そんな心配をしながら、職場で昼休みに販売サイトを覗いてみたら、あれ?
売れ残っているぞ。
およよ。慌ててキョーハクの前売り券ゲットです。
やった♪
 
しかも「韋駄天チケット」なるものをゲットしたら、お値段1600円。
当日券2000円、前売り券1800よりも、かなりお得。
889(ハヤク)にかけて、889枚のみの限定発売。
それが残っていたので、めでたく入手。
やったね。

 

なぜ、韋駄天かといえば「早く買って、早く見に行こう」ってことらしい。

かつて薬師寺展がコロナの時期に三日間だけ開催してその後、休館に追い込まれたことから、

会期がどんなに長くても、さっさと行くに越したことはないと思っているので、

早い時期に見に行くのはオッケー。

まあよかったよかった。

 

夕方仕事が終わってから見たら、売り切れているチケットもありました。

おお、やはりペアチケットは売り切れましたか。

 

ペンケースは確かに売り切れるかもしれませんねとは思っていたけど。

まさか、ぬいぐるみとチケットが売り切れるとは思わなかったなあ。

おそるべし、すみっコぐらし。

 

ここだけの話。

「大阪・関西万博開催記念」だからして、

大阪でやるものとばかり思いこんでいた「日本、美のるつぼ」

キョーハクでやるんですってね(笑)

大阪であそこ見て、ここ行って、からめて行こうと思っていたら、

京都だったという、びっくり仰天。

まあ、久しぶりのキョーハクを楽しみたいと思います。

 

 

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恵方巻被害者の会連絡協議会立ち上げますよ

2025年02月02日 | 色々・モシクハお勉強

物凄く珍しい、2月2日が節分になった今年。

この日は仕事なので前日に恵方巻買っちゃおうかなと買い物に夕方行ったところ。
1軒目、お目当てにしていたものが売り切れ。
2軒目、すし一般が全て売り切れ。
3軒目、綺麗さっぱり売り切れ。
こんなに世の中に恵方巻って受け入れられていたんでしたっけ?
 
私が丸かぶりを知ったのは、関西に住み始めてからなのでかれこれ30年になるのだけれど。
それまでは節分に太巻を恵方に向かって無言で食べるなんてことしたことがなかったので。
私には何の思い入れもありません。
 
これを教えたのがダンナでして。
節分に寿司屋の前で山になって売っていたのを見てなんだこりゃと発言したら、
カクカクシカジカと教えてくれたんだけど。
私が知らないことをいいことに、好き勝手言ってると信じなかった。
しかし次の年も節分に太巻を売っていたので、納得せざるを得なかったという過去がありました。
 
ということで。
節分には丸かぶりしないと気がすまない人が我が家にはいて、太巻を買わねばならんことになってます。
かつては関西に住んでいたから地元ネタということで付き合っていたけど。
今は東海住みなのに、この商売がここまで追ってきて迷惑してるのだよアタシは。
(ダンナ自身小さい頃は東海人だからこんなの小さい頃からのソウルフードでもなんでもない)
 
これに私が最近ついていけなくて。
無職の時は自分で干瓢煮て太巻作ったりもしていたんだけど。
最近はそんな気にもなれなくて。
出来れば買って済ませたい。
 
しかし、しかしだ。
最近は「将軍巻き」だの「海鮮七色巻き」だの「ネギトロ太巻(!)」だの
へんなもの、もとい高いものしか売ってない。
わたしゃ初めて食べた時の干瓢と玉子と胡瓜と高野豆腐のやっすいお手軽なやつが欲しいのに。
 
しかし、しかし、最近では関西でもこの手のゴテゴテした太巻きが幅を利かせているのである。
地元がよそ者の真似してどうする!(怒)
結局中身をグレードアップしたら、高値で売れるからってことなんでしょうが迷惑!
どうせここらへん(近畿以外)の人は太巻き買っても切って食べるんでしょ?
でもあんなバラバラになりやすいぶっとい寿司を切って食べる?
噛み切ったらバラバラになること必定。
いや、醤油もつけずに、無言で、1本丸かぶりのマグロ太巻とか本当にイヤ。
生寿司はあまり好きでなかったので、干瓢太巻丸かぶりはまあまあ許せても、
海鮮9種巻きみたいのは本当に勘弁。
切ってあっても食べないかもしれない。
 
しかし、これ、本当にダンナが年始行事としてやりたがるから困る。
節分の豆まきは私がしていると部屋が汚れるからといい顔しないのに、
何故か頑なに丸かぶりだけは外さない。
なんなん?
 
それで何軒も回ったため私が不機嫌になってしまい
「次に行くトコでなんちゃら黄金巻きみたいなのしか無くても絶対に欲しい?」
と聞いたら不機嫌になり「いいや、欲しかったら自分で買いに行くから」て。
どんだけ楽しみにしてんだろ(呆)
 
結局三軒回ってなかったので、無視して帰りました。
翌日もあえてそのことには触れず出勤したら…昼に「普通っぽいの買って来たよ」とラインが来て。
わざわざ、自力で、買いに行くなんて。
ホンマに好きなんやなあ。呆れたわ。
 
よし、来年からは面倒くさくても作ろう。
買いに行きたくない。
しかし面倒とか思ってられないよ。
だってあんなのに800円も出すなんて考えられないもん!
 
恵方巻で被害を被っているかた!連帯しませんか?
誰や、こんなくだらないブーム作ったやつ!
出て来い!!
 
 
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静かに元日

2025年01月01日 | 色々・モシクハお勉強

令和七年一月一日。

穏やかに終わってくれてよかった。

今年はおめでたさも控えめにということで地味なおせちで。



今年は良い年でありますように。

 
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なんという一年

2024年12月31日 | 色々・モシクハお勉強

2024年はなんて年だったのでしょうかとつくつくと溜息。

なんといっても、元日を襲った能登半島地震。

まさか正月に、しかも元日に、あんなに大きな地震が起こるなんて。

翌日は東京で一般参賀に向かい、その足で新潟へ移動して、

父の誕生日を祝い、友人に会って…と描いていた予定がすべて狂いました。

予約している高速バスはキャンセルすることができず、

とりあえず夜行で東京へは向かいましたが、

私がバスに乗車したあとで、翌日の一般参賀は中止が決定され、

夜明け前に皇居へ向かった私は、それを現地で知る羽目に。

とりあえずそれ以外の東京での行動になんら変更はありませんでしたが、

余震に注意せよということで、その後新潟へ向かうのは断念しました。

 

そして翌日、1月2日はまさかの航空機同士の事故、羽田空港地上衝突事故が起こりました。

前日の地震の救援物資を届けるために飛ぶはずだった海上保安庁の飛行機と民間機との

地上での衝突事故。海保機は新潟へ向けての出航だったとのことです。

地震がなければこんなことにもならなかったはず。

 

三が日最終日は私の父の誕生日。

毎年この日は帰るようにしていたのですが。

今年は「行ったら帰ってこれないかもしれない」と思っていくのを断念しました。

今から思えば、直後には大きな余震は来なかったので、行けばよかったと思うのですが、

それは後になったからこそ思えることで、その時は断念せざるを得なくて。

 

しかし、年末に父は他界。

誕生日祝いをすることができませんでした。

翌月に誕生日を控えての急な旅立ちで、

まさかもう二度と誕生日祝いをすることができなくなるとは思っていなくて。

 

一年の初めの三日間で、この年の一年の前途多難を予測できるような出来事がならび、

その予測は続き、楽しいことも多かった一年ではありましたが、

なんだかどんよりした一年でもありました。

 

「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」

一休禅師

 

まさかの元日の地震に、「嘘でしょう?!元旦から地震だなんて!」

と叫んだわたしですが。

地球のやることに、元日も、大みそかもなく。

正月だからといって浮かれていると、どんどん冥土への道は近づいてくるという戒めか。

「メメントモリ」という言葉も浮かんだ。

「自分がいつか死ぬということを忘れるな」「死を思え」というラテン語だそうで。

死を思うことで、今を生きていることを大切にしろという教え。

 

来年はよい年でありますように。

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転職ならず(笑)

2024年12月30日 | 色々・モシクハお勉強

居住地の博物館で学芸員募集のお知らせが書いてあるのを見かけまして。

応募条件は

「学芸員資格取得者」かつ、

「大学または大学院で日本史または民俗学の研究を専攻した者もしくはそれに類する者」

これに加えて「ある程度のパソコン操作ができること」

とありまして。

すわ、これは転職できるんじゃね?と思いましたわ。

学芸員資格は確かにあるし、民俗学も日本史も履修したぞ。

ある程度のパソコンも操作できるし。

とか思ったものの、最後の最後で、

「いずれの職種も普通自動車第一種運転免許が必要です」

とあって、あえなく撃沈。

運転免許ないのよー。

(取る気もないし)

ということで、私の転職夢見る日記は三分くらいで失われてしまいましたとさ。

ちゃんちゃん。

 

まあ、今更学芸員でお仕事できると思ってませんけどね。

(それよりなにより、大した知識もないし)

私は見せる側よりも、見る側としての楽しみのほうがイイし。

 

あー、一瞬だけでも夢見られてよかった。

 

 

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