奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

御所をウロウロ★取りこぼし取戻し編その2

2018年02月25日 | 色々・モシクハお勉強
1月15日、午前中の見学を終えて。

ここからは一駅分歩いて北上し、次なる目的地を目指します。

新しい道を歩いてもいいのですが、交通量が多い道で、
新しいがゆえにつまんない道(?)だろうからってことで、
旧道の集落の中の道を歩いていくことに。

まず駅前で、目を見張るおうちが…。
後ろの棟まですべてつながっているおうちです。


奥までひとつのおうちのようです


店構えはオオダナ

ここらへんは材木関係のお店が多いようです。
そりゃそうですよね。
吉野口ですから(?)


橋を渡ったところの豪邸もすごかった


奥まで入り切りません(超豪邸)

この後も道すがらの両脇には大きなおうちが並んでいて、
特に有形文化財ってのでもないのですが、
それらを見て歩くだけでもワクワクします。

「この家も大きいね」
「さっきのおうちよりは小さいけど、フツーに大きいよね」
その後、何度も「フツーに大きい」っていうフレーズが口をついて出ました。
フツーに大きいってなんだ!(笑)って感じですが。

ここではない住宅街にあったら「豪邸」といわれるであろうサイズのおうちでも、
ここでは「あー、フツーに大きいね」って感じになっちゃうんですよ。
それくらい大きなお宅が多いここらへん。

奈良県が潤っていたのは、吉野があったから。
山あっての奈良県。
アリガタヤアリガタヤ。


ゲージツ的なシャッター(いきなり現代的なオブジェ風)


鯉が乗った雨どい


近鉄の鉄橋です

こんなところに鉄橋あったっけ?
普段は乗っているだけだから気が付かないなあ。
そういえば、薬水のレンガ造りの橋梁も、タクシーツアーの時みたっけ。

ちゃくちゃくと、奈良検定の公式テキストに載っていて、
自分が行ったことがないところを埋めております。

両脇の豪邸を眺めて歩く集落の中。
何やら石碑がありまして。
よくよく読んでみると、榎本住(すみ)さんという女医さんの顕彰碑でした。


女医さんがいたんですね

なんとこの住さん、
重傷を負った吉村寅太郎の措置を施したらしいです。
へー。

この顕彰碑の道の向かい側には大きな病院がありました。
苗字が同じなので、現在もこの地で血族の方が病院をなさっている様子。


たぶん子孫の方の病院

かなり大きな病院で、地域医療の拠点となっているようです。
そうか、ここに女医さんがいたんだあ。
勉強したから、ここ、奈良検定で出してもよろしくてよ(笑)

てことで、再び「フツーに大きい」おうちを見て歩きます。







川沿いに歩いていたら行き止まりにたどり着いてしまい(!)
慌てて引き返すことも。

この川は曽我川。
吉野口駅前で渡った川も曽我川で、今まで曽我川沿いに歩いてきていたのでした。
この曽我川は西(南)へ向かって流れていたのではなく、
北へ向かって流れており、途中から
「あれ?川の流れが思っていた方向と逆だわ」と気が付きました。

曽我川は北上して広瀬大社のあたりで大和川へそそぐ川。
そこらへんはよく奈良検定でも出ていましたね。
吉野川水系ではないものはどれかとかっていう問題。
おおぅ(笑)初めて川に着目して歩いてみたことが新鮮でした。


曽我川にかかっていた洋風(?)な橋

この橋を渡ると本日の午後の目的地はすぐです。
でもその前に、腹ごしらえ。
昼ご飯は台湾料理です。

汇鑫源(かいしんげん←読めないよ!)という台湾料理のお店。
もともとはローソンだった場所を、食堂にしたらしい。
(地図上はまだローソンってものが結構ありました)

ここは、から揚げがデカいことで有名なので、それも心ひかれたけど…。
やはりエビえび好きだから、エビマヨセットで。

なぎさんの頼んだ八宝菜セットにはドデカイから揚げが来ましたよ(笑)
※写真中にカーソルを置いて、>印が出てきたらそこをクリックすると見れます。

奈良県御所市の台湾料理カイシンゲンさんでランチ。私はエビマヨ定食(≧▽≦) お友だちは八宝菜定食。しかし、八宝菜定食に付いていた唐揚げが、超巨大!横から見た図もご参照下さい💕

カルホさん(@karuhosan)がシェアした投稿 - <time style=" font-family:Arial,sans-serif; font-size:14px; line-height:17px;" datetime="2018-01-15T07:28:34+00:00"> 1月 14, 2018 at 11:28午後 PST</time>




とりあえず午前中はせっせと歩いたので、
たくさんエネルギー補給しておきました★

ふー食べた食べた。
あとはせっせと消費するだけです。

午後の部スタート。
といっても目的地はすぐ。
安楽寺とその周辺を歩きましょうの部です。

お昼ご飯を食べたところから北へ行ったすぐの分かれ道から、
安楽寺→こちら、の道標を見つけてテクテク。


目的地はすぐそこです

あっという間に到着。
安楽寺は聖徳太子草創によるお寺との伝承。
もとは「葛城寺」といったようで。


安楽寺


本堂

いやに建物がキレイなのは、江戸時代に火災によって現地に移ってきたからなんだそうで。
現在のお堂はそんなに古くない(奈良の歴史からみれば、江戸なんて近い近い)


鐘楼

あちこちきょろきょろしていたら、スクーターに乗った坊様が現れ、
「ご参拝の方ですか」って声をかけてもらいました。

なんでもこれから法事だそうで(!)
あまり時間がないのですが、ちょっとだけ説明させていただきましょうか
と申し出て下さったので、お願いしました。

ここで有名なのは珍しい安楽寺塔。
もともとは三重塔だったものが、上部二層を失い、
残った最下層に屋根をかけ、お堂のようにして残されたもの。

あとは、沙羅の木が有名。
沙羅といえば『祇園精舎の鐘の音』で有名なあの、沙羅(双樹)。
釈迦が大往生を遂げる入滅時に、その教場四隅にあった沙羅樹が、
忽然と双樹に合体し、その死を悼んで開花するやいなや、散ったという。
その言い伝え通り、この花は咲くと一日で散ってしまうんだそうで。

別名「夏椿」の名の通り、6月ころが花の時期。
「つぼみになるとあっという間に咲いて、すぐに散ってしまうので。
見頃が難しいのですが。またそのころに、ご参拝いただけたらと思います~」
といってパンフレットだけ持ってきてくださいました。

お堂も前もって申し出たら開けていただけたようですが、
今回は突然の訪問で、かつ、法事のためお堂は開けていただけず。
まあ、この場所ならば再訪問も可能な場所ですので、
それこそ、夏椿の花が咲くころにまた来たらいいじゃん。

安楽寺から見えていた神社にも詣でることに。
御霊神社です。


御霊神社の手水舎


拝殿


本殿

ここの神社のすぐわきに集会所のような建物があり、
そのわきを抜けると、塔婆こちらの看板が…。

あらら、めちゃ近所なんだ。
よかったよかった。

ちょっと急な坂道を少し登っていくと、すぐありました>塔跡。


塔跡の看板


高い所にあります


反りがきつい


礎石もきちんと


脇にはお稲荷さん


鐘があるけど柵の中で鳴らせない

こんなところに三重塔があったんですね。
しかもここらへんはすべて安楽寺の寺域だったようですし。
かつては大寺院だったのでしょう。

ここまではまったく他の方と出会わなかったのですが。
写真を撮っていたら、私たち二人の他に観光客の男性が…。

その男性は、塔跡の写真を撮ったら、
塔の正面の小高い丘のようなところに登ってゆかれましたが、
わたしたちは「まあいっか」と登ってきませんでした。

しかし行けばよかったかな。
下から撮った目線の写真しかないから。
同じ高さから撮った写真だったら、
こんなあおりの写真ばっかりじゃなくてすんだかも。
うーん。

それというのも、その小高い丘が元々の安楽寺の本堂があった場所らしいです。
ここで火事が起こって、現在の場所に移動してきたらしいので。
次回行ったときはここも登ってみようっと。

その坂道を降りて来たら、左手にいわくありげな坂道。


なんだ?なんだと登ってみました

すると朽ちた山門があり、
元ここにあった「宗教法人葛城寺」という寺が引越ししましたよ
というお知らせの紙が貼ってありました。

葛城寺って安楽寺の昔の名称だけど。
現代では二つお寺があったってこと?
さっき見て来たお寺とは違うものなの?
よくわかんないや。

ま、”ここ”にあったお寺は最近移動しましたってことらしい。


入れません(板が打ち付けてありました)


安楽寺の全景

そして本日最後の訪問地は新宮山古墳。
これも、ここからすぐなのでした。
地図で見るとわかりにくかったけど、
案内板だとすぐなのでした。


看板がたくさん出ています

すぐそこ、なのですが、なかなかわかりにくい入口。
「ここは~よそ様の駐車場に入ってるやないかい!」
「こっちへいくと…住民の方の玄関ですね」
とかいいながら私たちも進んでいったので、
いろんな見学者が住民の方に迷惑をかけてはいかんということで、
どんどん看板が増えていったと見た(笑)

看板の通り、細い道に入り、道なりに登ってみると、
「新宮山古墳はこの↑」の表示。


看板あり


急な斜面を登っていきます


入口あった

おー。なんどかこの古墳の写真はみたことがあるぞ。
入口にゲートのようなものはありますが、
固定されてないので、ひらくし、中にも入れます。

まあ、中に入るのは自己責任で。
入口のあたりがぐちゃぐちゃしていて(冬ですからね)
白いコートを着ていたので、中に入るのは遠慮しちゃいましたが、
冬こそ古墳は入らなきゃいかんだろ(謎)


とりあえず中だけ見てみる

帰ってきて調べてみたら、ここの古墳は入ってみなくちゃダメなんだそうです(笑)
確かに、コフンスキーさんが絶賛しているらしい。

あー、入ってくるべきだったか。
また行けばいいか。

とりあえず→こんな素晴らしいらしいですよ、なかは。
あー確かに。
午前中見た、水泥古墳と双璧かも。
うーん、古墳愛がないために、ここをチャレンジできなかったのは痛恨のミスかも。

ま、ここ近鉄沿線といえる場所なので、また行けばいいか(ははは)
一度行ったから、行き方もわかるし。

とりあえず今回はのんびり&ゆっくり歩くことをモットーにしてましたんで、
午後はさくっとこれくらいにして終了です。
時間はまだ三時ほど。
のんびり帰ります。


まだ生っている柿の木と青空

ここから近鉄葛駅はすぐ。
ってことは又これるよね。
近鉄さえあれば私は生きていけるし(大謎)

ってことで今回のミッションは終了。

天気が悪い予定ではありましたが、
雨が降ることもなく、たいして寒くもなく、
本日も晴れ女頑張りました♪

ここらへんのこと、ますます好きになっちゃったなあ。
次回の訪問はもっとちゃんとガイドできるようにしますので(汗)、
再訪問の際は、今回予定が合わなかった方はご一緒下さい。

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御所をウロウロ★取りこぼし取戻し編その1

2018年02月24日 | 色々・モシクハお勉強
1月15日(月)

昨日の徒歩の疲れも取れ、本日はぶらり五條歩きからの御所巡りです。

すごく寒かったですがお布団は暖かく、
朝まで目を覚まさずぐっすりできたので、目覚めもよく。

まずは顔を洗って、お宿を探検たんけん(笑)です。


部屋の窓は昔の手作りガラス


窓を開けると隣はお寺

このお寺は「西方寺」
五條新町を興した松倉重政の記念碑があります。

松倉重政は、関ヶ原の合戦後この二見城に入り、五條新町をつくった人。
ここに商人が集まりやすいように税金を免除したため、
商人が定住するようになり、五條新町は発展しましたとさ。


この階段を降りるとお風呂(昨日入りました)


廊下はいい感じにくつろげるスペース

夏場であれば、ここで風呂上りに夕涼みってのもいいかもしれない。


玄関に降りる階段


昔の電気スイッチ(ガラスの造作もきれい)

「ごはんの用意できましたよ~」の声で階下へ降りてみると、
またしても豪華な朝ごはん。




味付け海苔、ベーコンエッグという朝の定番に加えて、
朝から茶碗蒸し!!
手のかかる茶碗蒸しが、熱々で、具沢山で、ウマウマ~♪
コーヒー好きの我々には、一杯のコーヒーもうれしかったです。

これから昼過ぎまで予定が詰まっていたので、
とりあえず朝ごはんはたくさんいただきましたよ。



玄関わきの神棚とお宿の鑑札(?)


玄関から二階へあがる階段


何処見てもお花が飾ってあります

食事を済ませて、身支度を整えて。
名残惜しいですが、出発しなくちゃいけません。

お宿の清算をして…外へ出て、大撮影大会。
そしておかみさんとの尽きぬおしゃべり(笑)


宿正面から

おかみさんに「こちらがわから撮ってね」といわれた妻側には額があり、
『五二館』>五條の、二見のお宿という意味。


旧名称『五二館』の額がみえます

「そうそう、この通りを歩いた時に、この額だけ見たんですよ~!
中入りたかったんですけど、やっと泊まれてうれしかったです」
また来ますって約束をして(ちゃんと予約してから来ますから★)
おかみさんの魅力は→ここからでもたくさん見られます。

後ろ髪ひかれつつ本日のウォーキングスタートです。

まずは、五條新町をぶらぶら。
以前来た時にも、のんびり歩いてみましたが、
今回は二度目なのでいろいろある「館」に入ることもなく、
他の所に目を向けてみます。
(というか本日は月曜日なので、軒並み『館』が付くものは
お休みなのでした>チャンチャン)



ちょっと歩くと五新線跡。





ここステキよね。
一度も鉄道がとおることなく、廃線となったっていう悲劇もありますし。


たばこやの看板


ホーロー看板もここでは現役

そういえばここらへん歩いたけど、川べりの道は歩いたことないなあ。
ってんで、通りから吉野川の堤防を歩いてみることにします。

現在の新町通りの路面からいったん下がって、
さらに堤防道路まで登る道が付いています。


吉野川へ出てみました


ここで九十度まがっている



今はこんな風に吉野川沿いに堤防が作られているけど、
かつてはこの堤防はなかったはず。

お宿のおかみさんが言っていたように、
宿の裏手がすぐに川になっていて、そこから船を見に行ったという
エピソードがあるから、堤防がなかった昔は
新町通りからすぐ川が見えていたんでしょう。

となれば吉野川が氾濫したら水かさが増して、
新町通りの現在の高さまで水が迫ることもあったんでしょう。

となると、さっき一旦くだってきて…のあたりまでは、
堤防が無い時代は川の水が来たこともあったかも。


↑この道を下がって堤防に出てきました


よくよく見ると、おうちはみんな川側の方が舞台づくりになっている

きっと水が付いたらこちら側は沈んだことでしょうね。

こういうのを何というかというと「河岸段丘」!
なぎさんと二人で「ブラタモリ!!」(笑)

「きっとタモさんここ好きだよね」
「まだ来てないよね。ロケに来てくれないかなあ」
などなど話しながら、写真をパシャパシャ。

前回来た時は気が付かなかったことに気づけたのが楽しかったなあ。

ここに竹が繁茂しているところがありましたが、
かつてはここまで水が来ていたんでしょう。



で。
新町通りの路面まで急激に上る階段があったので、
「登ろう!」
「おおう!」
って”お転婆二人”が喜び勇んで登り始めたら…。


この階段ね

階段の面が狭く、足先しか乗らないわ、両端に手すりが付いてないので、
登るにつれて体がぐらぐらし、不安定なまま登らざるを得なくなり…。
最後は階段の石段に指をかけながら登り切りました。
ひゃー、怖かった。


登り切ったところから見たら、結構な落差


豪邸さんは健在です

五條新町とは川とともにあった町なのだと実感いたしました。
また新町通に戻って、おもむきのある通りを歩きながらきょろきょろ。


映画やCMのロケ地にもなっている五條新町


昔のポストを模した本当に使われている郵便ポスト

そして本日のメインイベント
一ツ橋餅店」で餅を買うっていうイベント。
本日は達成できそうです。



いつも昼過ぎにここを通りかかるとすでに「売り切れ」で
何も買えないということが二連荘だったので。
今度こそはと意気込んできたら本日は大丈夫の様子。

だってまだ9時ですもの。
てか開店直後で、まだ商品が並んでない危険性があるか?
と思ったらひとりのおばちゃまが先客として焼きもちを買いに来られて無事ゲット。
「お先に~」とあいさつされて帰ってゆかれたので
その次のお客さんになりました。

揚げ餅(揚げアンドーナツ)と、焼きもち(中に餡入り)を二つづつゲット。
わーい、買えた。


購入した焼きもちと、揚げ餅(アンドーナツ)

「おばちゃん、いつも通りかかったら売り切れやったから
今日やっと買えてうれしかったわ」
「そりゃすまんかったねえ」
天気のハナシやら、長年の商売のハナシやらをしながら、
餅を包んでもらってめでたくお餅購入♪

「今日の餅は、今日売らんといかんから、
夏場はほかした(捨てた)こともあるしねえ」
いろいろとご苦労もあるのです。
手作りの味、いただきました。

また来るねー。
五條好きだし、絶対また来る。


ウインドーにはカワイイ飾りがたくさん

餅屋さんまでくると、新町通りはもうすぐ終わり。
168号の通りに出てきました。


その角には栗山家住宅

その通りを上がって、R24へ。


伊勢の道標

その角からほど近くには桜井寺@天誅組に殺害された代官さんの、
首を洗ったとされる場所もあります。

現在のメイン道路はR24で、その角を曲がって吉野川を渡ると高野山方面。
この道路ってのが、ここは河岸段丘であることを見せつけてくれる道でして。


坂道急だなあ

その坂道をえっこら登ると、振り返れば、急坂。


たばこ屋さんがナイス


国道24号に出る急激な坂道

本日は御所方面へ行くので、JR五條駅に行く必要があるのですが、
まだ電車の時間まで間があるので、駅前探索。


お風呂屋さんみつけた(現役か)


おうちの表札に鍾馗さん

ウロウロしていたら駅前の墓地に出まして。
この墓地はくだんの鈴木代官さんのお墓があるところ。
この墓地は五條の有名人がたくさん眠っているところで外せない所です。

馴染みのない名前が多いですが、五條市内をぐるっと一周してくると、
「さっき聞いた」って名前が墓地のそこここにあることに気が付くでしょう。
なので、最初に行くよりは、最後に行った方がいいかも。


その墓地の前のボロボロの家>昔は大邸宅だったことでしょう


同じくお墓の前のおしゃれな洋館(風)>ここ歯医者さんだそうで


この建物どうなっているんだろ

そろそろ駅へ向かいましょうってことであるいていると、
以前泊まった旅館にも出会い。
こんなに近かったのか~ってびっくり。
五條駅前にお宿は集中しております。
電車でお訪問も便利です。


駅前真ん前の景色>ここも急激に下っています

五條駅は有人改札なのでちょっと安心(笑)
自動販売機で切符を買い(ICカードは使えません)
とりあえず近鉄との乗り換えの吉野口を目指します。

のんきな車窓を楽しみながら吉野口へ到着。
ここで下車します。

するとJRのホームには見たことない電車がいました。
古臭い(をい)カラリング。


なんだこれー


電気検測試験車だそうです>クモヤ442-2

きゃー、乗り鉄(自称)だけど、
こういう珍しいものも見れたし、ラッキー☆彡
ひゃー面白いもの見た

さて、これから行くのは水泥古墳。
水泥北古墳と、水泥南古墳があり、
北古墳は個人のお宅の裏庭にあるため許可を得て見せていただくかたちになります。
(連絡は御所市観光協会まで問い合わせてください)

以前、タクシー旅行で「奈良検定テキストで行ったことない所に行こうツアー」
(略称:ないとこツアー)をしたときに、
ここの南古墳だけちらっと覗いたことがありましたが、
普段は古墳の入り口に鍵がかかっていて中を覗くだけでした。

今回はちゃんと予約して、中を見せていただくことを許可とってますので、
どちらの古墳も中に入れます。

コフンスキーじゃないですが、
前回「ないとこツアー」で訪問する経路図描いた時に、
とりこぼしたところが結構ありまして、
どうせならば、そこを埋めておくかってことで、
二日目にそれをセットすることにしました。

なので、外側からちらっと覗いただけの南古墳と、
まったく入れなかった北古墳を見られることにまず感動。
直前の問い合わせにもかかわらず、
見学を許可して下さったおうちの方にはもう感謝感謝です。

駅前から歩いて15分ほど。
電車できたみちを戻るような形になります。

すると、後ろから電車が追い抜いていきました。
まずは先ほどの珍しい電車がゆき(動いている状態は撮れなかった)


吉野行きの近鉄電車が抜いて(この色も珍しい)


和歌山への電車が追い抜いてゆきました

ここの線路わきの道を沿って歩き、踏切があったら渡り、
そこから西へは道なりに。
途中、線路に沿うように行き違いが出来ない細い道になります。

タクシーで来た時は、ドライバーさんが
「この道難所で…」といってました。
車中からそれを見たときは「ああ、確かに」って思いましたが、
歩いていったらそんなに難所には感じられませんでした(笑)

途中迷いそうなところには地図が出ているし、
今はスマホの地図もあるので、曲がるべきところも間違わず、
なんとか到着できました。

そうそう、この大きなお宅でした>以前来た時にも見ました。
以前、夏に訪問した時は、門が閉じてあって、お留守でしたが、
今回はちゃんと連絡をしてあったので、奥様に暖かく迎えていただきました。


古墳の管理の方にまずご挨拶

古墳の門扉の鍵(笑)を手にまずは水泥南古墳へ。


水泥南古墳

道から、柵の中を覗き込んだことはありましたが、
今回は鍵を開けてもらって、中にはいることができました


看板

水泥南古墳は六世紀後葉の円墳。
横穴式石室で、玄室と羨道にそれぞれ一基ずつの家形石棺が収められています。

玄室(奥)のものは二上山の凝灰岩
羨道(手前)のものは竜山石(兵庫県加古川流域で産出する凝灰岩)でできているとのこと。

手前の石棺で有名な特徴は、石棺蓋の縄掛け突起。
そして小口部の縄掛け突起に蓮華文があること。

蓮華文様ということは、仏教と深いかかわりがあるということで、
ということは、仏教伝来以降のお棺であることが想像されます。

鍵を開けていただいて中へ入るとまずは手前に石棺。
のぞき込むと奥にも石棺。
ダブルで石棺ならんでいます。


羨道の奥にも石棺




向かって左側はぴったりくっつけられていました

テキストにあった蓮華文もこの通り健在


調査をしたときにかませた現代の石


向かって右側にも石がかませてあります


手前の石棺の中

盗掘穴があいていて、中のお宝はごっそり持っていかれたそうですが、
少しの土器(須恵器)や、手前の石棺内からは金銅製の耳飾りも
出て来たそうです。

夏に来た時は柵の外から覗いただけでしたが、
今回は中に入れました。冬なので、虫もおらず、
快適な中ゆっくり見学ができました。


電気がついているので見やすいですね


ライトが照らしてくれているので見やすいのですよ

昔は柵もなく、中は泥で(水泥の名にふさわしい)埋まっていて、
ほとんど入れなかったそうですが、平成になってからの調査で、
石棺の周囲を取り巻いていた泥も取り除かれて現在の姿になったといいます。

その時に、電気をつけたりと整備されたのでしょう。
ここを管理されている方のご苦労に感謝しつつ見せていただきました。

さて、次は水泥北古墳。
こちらの古墳はおうちの敷地内にあるので、お宅にお邪魔することになります。
表の門を入って、お庭へ続く門をくぐり、その先は裏山。
その一角に古墳です。


ぐるっと回り込んで、お庭の前に出現する裏山に存在する北古墳


入ります

この古墳の内部は石棺はなく、
かえって中に入れて、歩き回れる広さがあり、
先ほどよりも広々とした石室でした。


広い!

こちらの古墳内部は石棺はすでになく、宝篋印塔が置かれていますが
これは後年置かれたものだとのこと。


それでも古そうなたたずまいです

その左奥、石室内に置かれた石は石棺の一部だったものといわれています。


左奥隅のちょっとの石がそれ

さて、石棺何処へ行ったんでしょうねえ。
もしかして、城普請する際に「どこぞのだれそれ」に持っていかれた???
(妄想もうそう)

石舞台の中も広い&高いですが、
ここの古墳も広い広い。高い高い。
いい勝負です。

そして巨石。
これどこからもってきたんでしょう?


一枚石が奥の壁に積まれていて、その上を覆うものも巨石


切り石もちゃんと考えて組まれている

巨石の一枚石もあるけど、小さく(といっても大きいけど)
切られた石も城の石垣のようにきれいに組まれていて、
その技術力の高さに驚かされてます。


▼にあいた空間にはきれいに三角に切った石△がはめこまれてました


両袖式のきれいな古墳でした

古墳を二つ見た後は、資料館を見せていただくことに。
現在の玄関の門、かつてはお屋敷の門番さんの部屋だったところを改造した資料館へ。


長屋門の向かって左側に資料館が作られていました


ガラスケースには出土したものが

南古墳から出土した金の耳環も置かれています。
北古墳からは排水用の瓦質土管が出土しており、
それも展示されていました。

現代ならば、排水管ってのも判りますが、
千年以上昔の人が、水がたまるからってんで
排水管を設置したっての、どんだけの配慮なのかと。


土管もありましたよ


かつてはほとんど土砂に埋まっていたそうでその当時の写真もあります

ここは見学者のおもてなしスペースでもあるらしく、
いろんなものが飾り付けてありました。


天井には槍が…


一角にはオクサマの家に伝わる小物がたくさん


つるしびな

中でも奥様の手作りの”お花を使った絵画”も。
下絵を描かず、お花を置くだけで造形されている「絵」で、
たくさんの絵画が飾られていました。


お花を使った絵画


これもご自宅の桜の花をつかっているんですって

はあ…。おうちの造形も美しく、
本宅の玄関脇のお部屋も見せていただいたり、
あれこれ質問させていただいたりと、いささか長居をしてしまいました。

お邪魔しました。
とっても楽しい経験ができました。


凄いお屋敷でした

所要時間一時間ほど。
「あー、タクシーでくるっとツアーをしている時はカツカツで動いていたので、
もしあの日にここで長居をしていたら、
最後の目的地まではすべては回れてなかっただろうね」
「今日じっくり見れてよかたね」
「じゃあ、あの時北古墳が見られなくてよかったんだー」
「ね♪」
(をい)

で、駅前まで帰ってきましたよ。


見慣れた近鉄が吉野方面へゆくところでした

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今年の予定今年のうちに

2018年02月22日 | 色々・モシクハお勉強
とりあえず奈良検定がらみではないのだけれど。
まだ行ったことがない奈良県内のまつりのうち、
「これ絶対に行きたい!!!」ってのをリストアップ。

★率川神社の三枝祭
今年は日曜@6月17日

★奥田の蓮取り行事
今年は土曜@7月7日
金峯山寺に供える蓮を取る行事

★曽爾の獅子舞
毎年体育の日野前日 今年は10月7日(日)

あとおまつりではないけれど
●戒長寺@宇陀市のお葉付きいちょうの黄色い絨毯が見たい!

●音羽山の尼寺にお泊りに行きたい!
これは真夏の奈良大同窓会の前日あたりを狙ってます(笑)
同行者たらちゃん(だよね)

今年はこれら行けるかなあ…。

求む!同行者!!
オーダーメイドで旅行日程おつくりします(笑)



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五條をウロウロ★鬼が笑った編

2018年02月11日 | 色々・モシクハお勉強
まだ行ったことがない所を求めて。
本日は「五條の巻」です。

いや、五條は何度か行って歩いているし、
(節分の時にも行ったし、重伝建の新町を歩いたこともあるし)
初めてではないのですが。

訪問当日、1月14日(日)は
五條の念仏寺で「鬼走り」が行われるということで行ってみました。

行事のメインは夜からなのですが、昼の部と称して、お子様向けもあるというので、
それも見るために、昼から現地入りすることに。

近鉄とJRを乗り継いで大和二見駅に到着。


とりあえず駅前で腹ごしらえして、
いざ、念仏寺へ。



国道24号線沿いのそんなに面白くない道を歩いていると(をい)
いつの間にかJR和歌山線と並走していました。



すると前方に「犬飼山」という山号のお寺を発見。
先を急ぐたびではありますが、戌年ということもあって、
どうも気になるので立ち寄ってみることに。



犬飼山転法輪寺(転の字は本来、車へんに専という字)


犬飼山です


小楼門の彫り物が立派です。


階段上ってすぐ右手に手水舎


鐘楼門入って左には地蔵堂


その先に本堂

何故弘法大師がここを訪れたかというと…。
中国留学をしていた弘法大師。帰国に際しておっしょさんの恵果和尚から
「三鈷杵」(密教のお道具)をもらい、それを日本に向けて投げましたとさ。

人からもらったものを投げるとはどういうこと?!
と怒るなかれ。そのココロは「私が教えを広めるのにふさわしい場所へ飛んで行け!」
と念じて投げたということで、三鈷杵さんはぶぅんと日本のとある場所へ落ちました。
それが高野山であったということなのですが。

その場所を探し求めて歩いている時にここを訪れたんだそうで。
その時、ここで出会ったのが犬を連れた大男。

弘法大師がこれこれこういう理由で旅をしておる、という話をしたところ、
その場所を知っているという。連れていた犬に「この方の先導をせよ」と命じた。
その出会いの場所が「ここ」なんだそうです。
ゆえに「犬飼山」
なーるほど。

歩き出すと道中でまた一人の山人と出会いました。
その山人は大師にこう言いました。
「ここから南に行くと平原の沢がある。そこがそなたの求める地だ。
…実は私はこの山の王なのだ。あなたに私の領地を差し上げよう」(!)

さらに山の中を進むと一本の松にあの三鈷がひっかかっているのを見つけ、
ここがその場所であることを知りました。
それが現在の高野山。

山人は「丹生明神(丹生都比売大神)」であると名乗り、
さきに犬を案内させてくれたのは「高野御子大神(狩場明神)」であると
名乗られたそうです。
ほー。


神社さんがありました

ということで、ここにお祀りされているのが丹生狩場明神社

向かって右が犬を走らせてくれた狩場明神さんを祀る高野御子大神社、
同じく左が高野山の地主神である丹生明神さんを祀る都比売明神社。
その左手には白髭稲荷明神さんもお祀りされていました。

このお社を囲むように四国八十八か所のお砂踏み霊場が巡っておりました。
それぞれのお寺のお砂を集めてタイルの下に納めているので、
その上をぐるっとまわると、ここだけで八十八か所を巡ったことになるという
お手軽お遍路さんが体験できます。
もちろんやりましたよ。わたし元々真言宗徒だし★

その他にお大師様を祀る大教堂遍照殿や、護摩堂、庫裏客殿などもあります。

ぐるっと一周してせっかくだからと御朱印をもらうことに。
待っている時に、ゴーンというよい鐘の音が…。
おお、腹に応えるいい感じの音。

「良い鐘の音ですねー」
「ああ、そうですか」
「あのぉー、あの鐘って撞かせてもらってもよろしいですか?」
と尋ねたら「どうぞ」とのことだったので、喜び勇んで鐘楼へ。

しかし見慣れた鐘撞堂の様子ではなく、バスのつり革のような紐が下がっていて、
どうやらこれをひっぱると鐘がつかれるらしい。


このレバーで鐘をつくらしい…

一度目、二度目はひく力が弱かったらしく、
三度目に思いっきりひっぱったら、
思いのほか大きな音で鐘がつかれてしまい…ありゃりゃ。
しかし真下で聞くその鐘の音は結構よい音でした。
鐘撞き女としては満足できる鐘の音でした。

思いの他長居をしましたが、これも徒歩ゆえにあったご縁。
ありがたやありがたや。

あれ?でもここ、古墳があるってことだったけど…。
まあいっか。
(後で調べたら、古墳はあのお社があった後ろの”土盛り”だったようで、
古墳の周りに八十八か寺お砂踏み霊場が巡っていたのでした。
どうりで「古墳」を見かけなかったわけだ)

さて、次というか目的地を急ぐ旅に戻ります。
先ほどの道をどんどん歩き「上野町」との看板から左折。
こっちが上野公園に行く道らしいです。


ここらへんから鬼走りの旗がたくさんはためいています

鬼走りに来る方は、お寺の駐車場が狭いので、
上野公園の駐車場に止めるようにとの情報があった上野公園です。
「うえのこうえん」ではなく「こうずけこうえん」ね。

ここは無料駐車場になっていて、ここに車を止めると、
シャトルバスで念仏寺まで送ってくれるそうです。
遠方から車で来た場合はここで車を止めてでかけるのがよろしいかと。



道中趣のあるお堂なども発見。





この橋を渡るとすぐ念仏寺です。


橋から上流をながめる


橋から下流をながめる


橋から本当にすぐでお寺の入り口に到着


お寺脇の駐車場はすでに満杯

カメラマンさんが集結していて、すでに駐車場は満杯。
どうしてもここに止めたいという場合を除いては、
上野公園の駐車場に止めておく方が無難ですね。

私が付いた時にはすでに、昼の部の大般若経の転読は終わってました。
それが見たい方はもっとはやく(午後1時ころ?)に到着する必要があります。


護摩焚きの準備も万端

お堂の後ろがわから前にまわりこんでみると
まだ二時過ぎですが、カメラマンの人たちはスタンバイオッケー。
何やらカメラマン席は向かって左側の前の方に固められているとのことで、
なぜか私はカメラマンでもないくせに、この集団の後ろについていました。
(これが間違いであるのは、昼の部が始まってから気が付いたわさ)

すごく早く行ったんだから、右側のフツーの人席の一番前でもよかったのに。
(その方が写真は撮りやすい)
でっかいカメラを担いだ皆さんは左側にまとめられていますが。
見学する(コンパクトカメラやスマホなどで撮影する)だけなら、
右側の一番前を狙うのが正解かと思われます。
(鬼が登場するのも、向かって右側の端からですし)

とりあえず人が少ないうちに、境内をウロウロしてみます。


実際に使われる松明が置かれていました

この松明がデカい。
高さ1.2m、直径70センチ、重量60キロというのだから、
これに火をつけて、持って歩くの大変だわ。

境内はすでに屋台が立ち並び、すでに営業しているところもあります。
タイ焼き、から揚げ、カステラ焼き、なんか腹にたまりそうなもの多し。
長時間ここに張っている人でも、空腹を満たすのには大丈夫なラインアップ。


念仏寺の看板


鬼走りの説明

この看板の前にある手水舎の、水鉢の中で凍っていたであろう氷の塊が、
無造作に足元に転がっていました。


分厚い氷!!

午後二時を回っているのに、まだ氷の塊のままでいるってことは、
外気温が寒いってことを表しているってことで。
今日。本当に寒いんだよー。


表門から見るとこんな感じ

そうこうしていると、子供たちが集まってきて、
そろそろ子ども部が始まります。





そのうち本堂左手の大きな木の衝立(?)を棒で打ち付け、
拍子木で床をうつようなリズムが聞こえてきました。
これは悪いもの祓いの意味があるんだとか。
俗に「阿弥陀さんの肩叩き」と呼ばれる棒打ち。
手ほどきをするので希望者は誰でも打つことができるとアナウンスしていました。

そしてほら貝を吹き、半鐘を鳴らして開始を告げます。



昼の部、開始です。


赤鬼登場


青鬼登場





茶鬼登場

鬼は、赤鬼(父)、青鬼(母鬼)、茶鬼(子鬼)と三匹おり、

これだけ連続写真ですが。
登場して、松明を持って、担いで、振り回して、ぐるんぐるんする行為をここで行います。
そして、向かって←左へずれてゆく、というのを、赤・青・茶色で繰り返して、
これを三回繰り返す(のかな?)



















鬼についてまわるのは、水天(かわせ)という役。
昼の部では松明に火はついてないけど、
夜の部では火がボーボー燃えてますので危ない。
そこで手に持った桶から笹竹で水をすくって、
火天にかけて火をはらったり床に落ちた火の粉を消してまわるのだそうで。

赤・青。茶が現れては右から左へ移って行って、
お堂の裏側を通ってまた右側から現れて…を繰り返し、
それを三回繰り返して、終了です。

昼の鬼走りが終わると、次なるお楽しみは餅まきです。
周囲の人の情報では、中央にあるやぐらから餅をまくとのことだったので、
やぐらのそばにスタンバッておいたのですが…。
(そのせいで、写真はイマイチな場所から撮る羽目になったけど)


やぐらに登る餅まきの皆様

餅を実際にまくに段階になったら…お堂の舞台からもまいたのですね。
あら、一番前に並んでおいてもよかったのかも。
ぽかーん。

ってことで、早く来たら、お堂のまんまに陣取って見学し、写真をとり、
そこで餅を拾うのが一番よいかと思われます。
カメラマンの人は昼頃からすでに場所取りしていますが、
フツーの見学者ならば、二時くらいにいけばいい場所は取れます。
次回からゆかれる方は遠慮なく、一番前をゲットしてください。

さて、実際に餅まきが始まったら、やぐらの足元はあまり飛んでこず(涙)
投げる人が頑張って遠くまで飛ばそうとするからか、
重さのあるもの(餅)なので、結構遠くまで飛んでました。
嗚呼!場所選び、失敗したんじゃん。

それでも足元のお餅はいくつか拾いましたよ。
てか、エコバックを広げて頭上に掲げておいたら、
そこに何個か入っていた方が多いのですが。

ここのお餅は個包装の市販品ではなく、自家製のまるめたお餅。
大きさもバラバラで、人差し指と親指で作った〇サイズ。
中に一枚だけ平べったくて薄い手のひらサイズのお餅がありました。
(これは紅白の二種類ありましたが、私がゲットしたのは白のみ)

そして、中を見てびっくり。
数字が書いた餅が一つ入ってました。


2と書いた餅

「餅に数字が書いてあった人は景品がありますから本部まで~」
とのアナウンスで、この餅は2等だ!きゃっぽー♪

ウキウキと本部前で並び引き換えてもらったら、
景品は靴下セットでありました。


2等の靴下二足入りした♪

大当たりだ~★
ということで、お堂に近づいて今頃ではありますが、お参り。
(順番ちがうだろー)

これにて昼の部は終了です。
夜の部は午後九時から開始ですので、いったん宿に入ることにします。

先ほど歩いた道を帰るという方法もあるのですが、
行きと帰りは違う道を歩いてみることにしました。


念仏寺の近くのお寺(ここは鬼の参篭所らしい)



お寺の門を出た道をずっと道なりにまっすぐ歩いてゆくと、
住宅が並ぶ道から、田圃道を通って、途中一か所だけ竹藪があり、
ちと怖いなあと思う道を抜けると、車通りのある道に出ますので、
その道を大和二見駅方面へ出る方向へ歩きます。



さっき渡った橋よりも上流の橋を今度はわたります。


上流を望む


下流を望む

途中から国道24号線に合流し、更に北上して、
35分ほどでお宿につきました。

さっきのルートは大和二見駅から40分ほどかかり、
帰りの道は35分くらい。
となれば、この道の方が短くて済むなあと実感。
どちらも歩いてみてわかることでした。

さて、大和二見駅前から新町通りに入って本日のお宿を目指します。


新町通りに入りましたよ


ここから急激に降りている道


フランス料理屋さんになった古民家


ガス灯を模した街灯がキレイ

本日のお宿は『山田旅館』さん。
新町通りに立つ、明治からのお宿です。

以前新町通りをぶらり歩いている時に前を通りかかり、
喫茶コーナーでお茶でも…と思っていたのですがその時は開いておらず。

今回は満を持して宿泊予約!
無事予約取れました。

お宿に着くと、我々一組だけの様子。
あちゃー、また貸し切り状態かあ。

天井の低い一階から二階にあがって一番奥の部屋が我々の部屋。
お茶入れてもらいながら、
床の間に飾られたおかみさん力作のパッチワークによる日の出をながめ、
それにまつわるお話を聞きました。

「以前来た時に開いてなかった~」というと
「私遊びに行くの好きだから、きっと店閉めてでかけたんだわ(!)」
ひゃあ(笑)

「映画のロケにも来てもらって、山本未来@山本寛斎の娘さん見たわよ~」
なんて話をしておりました。
おかみさん話好きなので、
どんどん楽しい話が出てきて止まらなくなります。
「じゃあ、ごはんの支度しますねー」
とおかみさんが去ると、夜の部から合流するなぎさんを待ちつつ、
部屋でしばしくつろぎました。


床の間には日の出のパッチワーク(おかみさんの力作)


旅館!って感じする~

きょろきょろすると、江戸時代からある建物らしく、
なんだか貫禄あります。


部屋の隅には囲碁将棋セット


衣桁も立派ですわ


丹前と浴衣が入った乱れ箱の底は家紋入り!

ほどなく本日の同行者なぎさんが到着して、
またまたにぎやかになり、すぐに夕ご飯。

山田旅館@五條市のある日の夕御飯です。お刺身、煮物、フライ、お肉の小鍋などなど。ウマウマで食べ過ぎました★#五條市#山田旅館#宿のご飯 #夕御飯#

カルホさん(@karuhosan)がシェアした投稿 - <time style=" font-family:Arial,sans-serif; font-size:14px; line-height:17px;" datetime="2018-02-17T14:13:33+00:00"> 2月 17, 2018 at 6:13午前 PST</time>




お造り、おでん、魚のフライ、酢の物、
素麺入りお味噌汁、お肉と肉団子の小鍋…。
食べ過ぎましたけど完食しましたよ(モチロン!)

おなかが満たされたら…お宿でゆっくり…ではなく!
いざ、念仏寺の夜の部の鬼走りを見学にゆくのです。

寒さ対策に一枚余分に持ってきたヒートテックを着こみ、
タイツも重ね履きして、いざ出発!

さきほど学習したルートを思い出し、
後で通った道を選択して、住宅街の中を通っていく道をテクテク。
初めて歩く時は地理が判らずドキドキしながら歩いていたので長く感じましたが、
一度通った道ならば大丈夫。ずんずん進みます。

住宅街の中から、お寺への一本道へゆく小路を抜けて、
ちょっとコワイ竹藪の道も、すでに真っ暗になった中では、
逆に怖くありません。(二人連れだってのもあるけど)

再び人家が近くなってきたら、お寺はすぐです。
到着すると、一時間半前にも関わらず、すでにスタンバっている人も多し。

カメラマン席は相変わらずぎっしりで、
昼の部で見かけた人もそのまま残っているようでした。

すでに護摩行が行われた後で、
昼に積み上げられていた護摩はお焚き上げされたようでした。


護摩壇が燃えておりました


灯りがともった本堂内

あんまり予習してこなかったので、ここでの待ち時間を利用して、
スマホを駆使して鬼走りのお勉強など。

”陀々堂の鬼はしりは、五條市の念仏寺で行われる、年頭に当たり
鬼を追い除災招福を祈る行事である。旧坂合部郷12か村に
坂合部新田・樫辻村が加わった14地区で運営される。
大般若経の転読、昼の鬼はしり、柴燈護摩に続いて、
赤鬼面をつけ右手に斧を持った父鬼、青鬼面をつけ捻木を持った母鬼、
赤鬼面をつけ槌を持った子鬼の3人の鬼がでて松明を手に
堂内をまわる夜の鬼はしりが行われる。”


正月行事の修正会でもあり、追儺会でもあるような行事。
しかしこの鬼は、追い払われる方の鬼ではなく、良い鬼なんだとか。

”この寺の達陀の行法は室町時代中期に領主坂合部是房の弟頼澄別当が
東大寺二月堂の修二会にならって始めたもので、
毎年1月14日の修正会結願に鬼走り行法を創始し厄除福授を願ったもの
と伝えられ、以来500年以上の間一度も欠けることなく行われてきた
行事である。"


そうこうしているうちに、鬼さんを迎えに行く時間に。
松明を持った人が、お迎えにゆかれます。


鬼を迎えに行きます

その間に水桶を持った人が笹竹を水に浸し、
それを敷居や鴨居やらにペタペタとくっつけて水をしみこませます。
これから、「火の行事」ですので、木造家屋が燃えないようにという
準備行為らしいですが、結構な量の水を含ませています。
お堂の中、柱はべちょべちょです。
(まあ、水ですから、いずれは乾くでしょうが)

しばらくして、詰所(っていうな)から鬼と僧侶のみなさまがやってこられて、
お堂の中へ。


鬼さん到着です(赤鬼の斧を持ち、青鬼の捻木と子鬼の槌は写真中に見えてます)

私は昼の法要を見ていないので、今回初めて坊様が経を読むのを見ました。


お経が唱えられます

堂内の壇の周りに僧侶が座り、お経を唱える中、
いよいよ鬼走りの開始です。


赤鬼さん用(?)の松明を担いだ人がスタンバイ

それを受け取って赤鬼さんが登場

昼と同様に松明を振り回してぶんぶんします。
しかし、昼に見たやつは火がついてないものだから、
夜の迫力には負けます。

わたしたちは前から二列目で見ていたけど、
松明の熱がそこまで伝わってきましたから、
持っている人はどんなに熱いことか。


赤鬼さんがずれて青鬼さんが登場


青鬼きたー






(夜の写真は、私のデジカメでは暗くて載せるような写真が少なかったです)

昼と同様にグルグル回ってゆきます。
そろそろ終了か?って時になって、三匹そろい踏みの写真がないことに
気が付いてあわててシャッターを切ったけど…。


三匹そろい踏みの写真がこれしかない(涙)
※前の人のカメラの映像が入っちゃってるよ


松明メラメラ

三周したところで赤鬼さんがはじめに堂外にでてゆくので、
何事かと思ったら、お堂の向かって右に焚かれていた焚火に
その松明を投げ込んで燃やされて終了のようです。

あれれ?
松明って水の中に沈めて沈火するんじゃなかったの?


三周した松明は焚火にくべられて燃やされて終了らしい

このあと、鬼さんたちの体中につけられたこよりを、
参拝者が奪い合って持って帰る(=厄除けになるらしい)、
らしいのですが…この動きもあったんだか、なかったんだか。

情報公開されていたものとちょっと違っていたような気がするのですが、
まあ、楽しめたのでいいとします。

余韻を味わう間もなく、終了のアナウンスが流れて、
堂内ではお片付けが始まりました。


終了するとすぐさま片付けが始まります


べちゃべちゃの堂内


お片付けお片付け

堂内のお餅やら、ろうそくやらを眺めていると、
お堂の前で集合している集団を囲んでいるカメラマン集団。
ああ!鬼の中の人(笑)が鬼の面を手に勢ぞろいしていました。


今年の鬼の皆さん(笑)

あー楽しかった。
本日二度目の怖い道(笑)をガハガハいいながら二人で歩いて帰ると、
ものすごく星がきれいな夜なのでした。

灯りが少ない場所だから、本当に夜空がキレイで。
夜空がきれいに見えるということは、寒いってことで。
例の手水舎の氷の塊が溶けないということからしても判る通り、
本日はとっても寒かったわけなんですが。
それでも、風が無かったのでそれほど寒く感じませんでした。
(風が吹いていたらきっと寒かったと思うわ)
待ち時間も長くなるので、本気出して防寒対策して行って下さいね。

二人で歩けば、あっという間に宿。
玄関開けておいてねってお願いしてあったので、
戻るとおかみさんが暖かく迎えてくれました。

「え?歩いて帰ってきたの?」とおかみさんには驚かれましたが、
いえいえ、30分程度ならば「絶対に」あるきますわ>われわれ(笑)

お風呂入って、次の間に敷かれていたお布団に潜り込み、
(電気毛布が敷いてあるかと思うくらい暖かいおふとんでした)
朝まで熟睡。

よい一日でした。
コメント (2)
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