奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

今年はどこを歩こうかい?

2011年05月24日 | 色々・モシクハお勉強
でもって6月26日(日)のハナシ

この日は正直何も考えてない(をい)。
とりあえず検定ネタで行ってみたいなって思っているのは
「宇陀」「吉野」なんだけど、どちらも奈良市内からは遠い。
あんど、山道を6月に歩くのはしんどい…(笑)
宇陀は桜の時期に行くか、かぎろいの頃に行くか悩むなあ。
(どちらも寒そうな時期だし)

平地で歩くなら
「山の辺の道(南半分)」か
「大和三山を登る(笑)」がいいかなっと。←平地じゃないじゃん。

あとは奈良市西部の渋い寺巡り(長弓寺&霊山寺)とか、
奈良県じゃない奈良文化圏(イワユル極南京都)の寺巡りとか、
柳生&円成寺あたりをウロウロとかとかいろいろ考えるのだけど。

大和三山は結構心惹かれています。
ブログ見るとビールかっくらってから
三山巡りされた方もいらっしゃるようだし、
そんなに高い山ではないとのことなので、
去年の松尾寺行き山道のような
ことにはならないかなーと(希望的観測)。

もしくは山登りはせずとも、
藤原宮跡とか、八木の札の辻とかからめてもいいし。

なんかいい案ないですかねー。

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6月は薬師寺で法要かい?

2011年05月24日 | 色々・モシクハお勉強
6月25日(土)の予定のハナシです。

そろそろハナシを詰めないといかんのでとりあえずの予定。
6月25日に西ノ京~西大寺近辺をふらふらしようかい?(仮称)

<午前中>
薬師寺東塔工事の無事を祈る法要に参加

わたしとpunipuniさんは招待客です。
同伴者一名まで可なので、
私とpunipuniさんの「他に二名まで」参加可能です。

法要に参列したい方は挙手して下さい。先着順です。
希望者は5月28日までにここに書き込んで下さい。
(私29日からちょっと田舎にかえってきます。
しばらく居ませんので、その前に調整済みとしたいんで)

午後:菅原神社で鷽替え行事に参加(13時~)
時間短縮のため西ノ京からタクシーに乗車する予定
毎度のことで恐縮ですが、昼飯はその後になるかと思います。

その後、喜光寺へ移動して参拝。
そのあと、ぷらぷらと西大寺方面へ移動。
ガトー・ド・ボワでお茶してもいいし、
西大寺に入るのもよし。
はたまた足を伸ばして秋篠寺ってのもあるぞ。

この日の夜は飲み食い大会しましょう♪
参加希望者はコメント欄にエントリーしてくださいませ。
(中抜け、途中参加、何でもOK。参加資格なんてないよ)
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秋の本家飛鳥ウォーク

2011年05月19日 | 色々・モシクハお勉強
古都飛鳥保存財団(と名称変更になったらしい)と
奈良大との産学連携による飛鳥ウォークは今年、
秋に行われるとのことで、あっちのサイトにはまだないけど、
奈良大の方にはすでに掲示されてますが…いいのかな(笑)

多武峰から飛鳥を巡るウオーク第二弾(予定)

『集合場所 談山神社 けまりの庭(10時頃)
※受付は談山神社正面入山 入口付近
テーマ 談(かたらい)山から飛鳥へ-秋の飛鳥古道を行く-
定員 80人
実施日11月13日(日)
講師 文学部教授・上野 誠
談山神社宮司・長岡千尋
※ポイントでの解説およびミニ講演会付 』

今年は水野先生はいらっしゃらないのね。残念。
まあ、それもしょうがないのですが。

今年も、談山神社スタートということで。
去年も集合場所がそこだったためか、例年よりも
参加者数が少なかったし、今年もどうなんだろう。

日曜日実施ということからすれば、
多武峰観光ホテルに前泊してしまえば、問題なしかと(笑)
集合時間まで楽々高みの見物できますわよ。
季節柄紅葉も始まっているかと思うし。

しかし今年は参加料高くね?と思ったら、
万葉文化館にも入館するんだ!(笑)
先日行ってきたとき
「いつもここ素通りだもんね」
「中って飛鳥ウォークの時っていっぺんも入ったことないね」
「こんなにキレイな庭があるんだったらここで弁当食べてもいんじゃね?」
とかとか云っていたのを聞かれていたとか?(ナイナイ)

今回のルートは去年のルートとは違うのかな。
談山神社から下界へ降りてくるルートは、
短いけど険しい道と、ダラダラ降りるけど緩やかな道があるとのことだし。
去年はどっちだったんだろう。

談山神社と鎌足の生誕の地はすでに行ったことがある。
目新しさがあるとしたら、歩くルートかなあ。
さすがに「飛鳥」にこだわっての周遊ルートとなると
ネタにも限界があるかと…。
古墳から古墳を巡るってルートでもいいけど、
講師が上野センセだと、古墳解説ってのは厳しいし。
どうしても万葉に向いちゃうもんな。

今年の秋、参加されますか?>みなさま
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6月の予定

2011年05月18日 | 色々・モシクハお勉強
この前、奈良行ってきたばかりだけど、もう6月のハナシ。

薬師寺の東塔が平成30年完成に向けて、
全面解体修理に入ることになりました。
その修理の工事期間の無事を祈って、
「国宝東塔大修理着工法要」が行われることになり、
それおいで~とのお手紙をいただきましたので、
行かんわけにはいかんということで(笑)

日時は6月25(土)、26日(日)両日。
午前10時30分開始。(12時半終了予定)
参列に当たって一名同伴者がいても可とのことで、
どなたか行きたい人いますか?

この時間帯だったら、またしても朝イチ移動すれば
奈良入りできる時間ではあるけど。
土曜にこれに参列して、日曜日に歩くとか、
しちゃいますしちゃいます?(笑)
一応土曜にいく予定ではありますが。
まだ未定。

今年は奈良検定のバスツアーなどには参加しないし、
春の飛鳥ウォークはないしで、足がなまっております(笑)
どっか歩きたいなあ
>なるべく平地がいいけど(暑いし)

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勝手に飛鳥ウォーク

2011年05月17日 | 色々・モシクハお勉強
今年は奈良大&飛鳥保存財団共催による
「飛鳥周遊ウォーク」が春に開催されないと知って
んじゃ、勝手に歩いたるわい!

ということで直前になぎさんを「一緒に行こう」と強引に誘い、
行ってきました、飛鳥歩き。
奈良大卒業生二名による「勝手に飛鳥ウォーク」です。

奈良から名古屋へ試験を受けに行くのに、
近鉄を特急を利用しないで乗りついだ経験の応用で、
名古屋から奈良への「急行を乗り継ぐ旅」で出かけてみましたよ。
名古屋から伊勢中川を経て、大和八木まで三時間の旅。
移動途中の車窓からの風景も楽しみの一つです。

無事大和八木でなぎさんと落ち合って橿原神宮前へ。
そののち、すぐ出発するバスに滑り込みセーフ。
楽して飛鳥大仏まで移動させていただきます。
例年は飛鳥資料館で解散になった後、
ヘロヘロになってバスに乗り込んで帰ってくる道も、
今日はまだまだ元気なうちに逆まわりでバスが進むのが新鮮でした。

飛鳥寺は例によって例のごとく、中へは入らず(笑)
鐘だけつかせていただいて手を合わせます。
「あれに見えるが入鹿の首塚です~」
いつもだったら、あそこで集合してるはずなんですけどね。

その後、飛鳥坐神社にもおまいり。
なんだか案内看板とか、扁額とかがキレイになっていたのは
1300年効果なんだろうか?
持ち上げると願いが叶うという石は今回は持ち上がらなかったわ。
ヤバイではないか。

その後、明日香民俗資料館一階の酒船亭へ。
いきなりここで昼食です(笑)
日曜日ということもあって駐車場はそこそこの混み具合。
大型観光バスも入っていて、酒船亭もその団体さんを受け入れるようで
テーブル席には用意が出来てました。

ワレワレは座敷にて、「創作古代食 飛鳥の宴」なるものをいただくことに。
これ、結構リッチなお食事です。
リッチゆえに、あまり召し上がる人がいないのか、
食事レビューが見当たらなかったのでオソルオソルの予約だったのですが。
見事その不安を一掃してくれる、なかなか美味なものでした。

古代米がもちもちしていたり、醍醐味といわれた古代のチーズ「蘇」があったり、
猪肉やアマゴの姿焼き、干しイチジク、焼き栗、ヤマモモなどなど。
その上、ヤマモモの入った食前酒と、にごり酒もついていて、
気分は曲水の宴です(笑)

なかなか普段味わうものじゃなかったので、
すべて美味しくいただきました。
お土産用に亀形の器もついていて大人のお子様ランチ状態でしたね。
まだどこも歩いてないのに、すでに酔っ払い二人組みです。

とりあえず、食事という重要ミッションを無事終えたあとは、
敷地内の明日香民俗資料館を見てまわります。

食堂の二階は蔵の中に納まっているような農具や道具が並び、
隣の敷地には古民家が移築されていました。
天上の竹組みが煤であぶられていい色になっています。
ここで大名御膳を食べるというのもいいかも。
(食い物がらみのアイディアは良く浮かぶもんだ)

そして、お隣の万葉文化館へ。
実はここ、入ったことがないのだな。
飛鳥周遊ウォークのときは、ここらへんは通り抜けるものの、
中に入れてはくれないもんで。

飛鳥は歩き回るところであって、ハコモノに入るようなところではないので、
こういうところってあんまり入らないのだよ。
ということで今回が初体験。

基本理念としては
”万葉のふるさと・奈良にふさわしい
『万葉集』を中心とした古代文化に関する
総合文化拠点として、国内外から多くの人たちが訪れ、
楽しみ、学ぶことのできる機能と魅力を備えた「万葉文化館」”

だそうで。

まあ、ここできるときもすったもんだありましたしね。
いろんなもの出てきたのに、その上に建物建てちゃったんだから、無理もないが。
まあ、古いもの好きの人たちにとっては「絶対入ってみたい」ものではないけど、
「入っておかないとあれこれものがいえない」ってのも確かにあると思う(笑)ってんで。

今期は一階の特別展では「安野光雅 日本のふるさと奈良」をやってました。
飛鳥のあちこちの風景のスケッチが並んでいたので、楽しめました(謎)
でも会場はかなり広くて、展示されている絵の数も多くて、ちと疲れた。
それを見越したように、会場を出たところには展望ロビーがあって、
ここで休憩をしている方もいらっしゃいましたわ。

次はエレベータで降りて地下の展示室へ。
入り口で万華鏡状態の鏡の部屋が待ち受けていたり、人形が歌垣してたり、商売してたり、
盛りだくさんなのだけど、”人形劇”は音響が効きすぎて聞き取りづらい…。
新しい技法による見せ方に凝っているのは認めるけど、
結構おなかいぱーいになっちゃって、特別展示室を見てくるの忘れちゃったわ。
飛鳥池工房遺跡や、富本銭に関する展示などあったらしいけど
とりあえず、満足(笑)

次へ進みましょう。
ここから歩け歩けの飛鳥歴史公園へのルート。
伝板蓋宮跡も橘寺もふっとばして「アチラに見えますのが…」
を決め込んで遠景のみで、終了。
まあ、毎回立ち止まってみているところではありますので。
今日は素通りです。
(いや、例年も橘寺は素通りですけどね)

メイン車道から一本、南に入って、農道をテクテク。
亀石に到着。着くや否やとりあえず隣の売店で休憩してみた。
お茶を買って一気飲み。
そんなに暑い日ではありませんでしたが、水分補給は忘れずこまめに。
村内に金は落としてもいいけど、ゴミは落としてはいけません。
残していいのは足跡だけ。
とっていいのは写真だけ。
です。

亀石を過ぎたあたりでは謎の新しい道が出来ていて、
どんどん村内の道路事情がよくなっていることを実感。
新築工事は厳しく規制されていますが、道はどんどん良くなる良くなる。

そういえば初めて飛鳥に来た頃って、もっとここらへんは細い
狭い道だったよなあと思いつつ、天武持統天皇陵わきをすり抜け、
今回唯一の上り坂をへーほーと上がりました。

本日最後のイベントは高松塚古墳壁画の修理作業室での公開。
今回は特に、高松塚の玄武と、キトラ古墳の玄武が並んで揃い踏みなんだとか。

集合して、受付して、参加者パスを首にかけて。
事前ガイダンスを受けて、いざ修理作業室へ。
なぎちゃんが「こんなとこ来たことない」っていうけど、
いえいえ、飛鳥周遊ウォークでここを素通りして、
鬼の雪隠と鬼の俎に行ったことありまっせ。
記憶を辿ると確かにあります。
水野先生がスタスタと歩いて先に行っちゃって、慌てて追いかけていったっけ。
結構、飛鳥の道はくまなく歩いているんだなあ…。

修理作業室ではわずか10分の見学ながらも、
部屋中央には左にキトラ、右に高松塚の玄武が鎮座ましまして、
東西横綱揃い踏み並みに感動しましたよ。

剥ぎ取られてきたり、解体して持ってこられたりしなければ、
絶対に両者はここで並んでいることはなかったのだと思うと、
なんて不思議な光景なんだろうと感慨深いものがあります。
スマンのぉ、こんなことになって。
墓を暴くようなことになって。
永遠の眠りを妨げて。
済まんのお。

10分の見学はあっという間に過ぎて、
アンケートを書いて終了です。
いつもは「飛鳥駅」がスタート地点ですが、
今回は飛鳥駅が終了ポイント。
裏道(?)を歩いたらあっという間につきました。
少々時間があったので、駅前の飛鳥総合案内所でぶらぶら。
その後よい時間となり本数の少ない吉野線にも無事乗り込みました。

本日歩いた距離は例年に比べると大したもんじゃなかったけど、
まあ、お天気もよく、疲れきるほどではない程ほどで、
気持ちよく歩けたことに感謝でございました。

自転車で効率よく回るのもいいですが、
やっぱり飛鳥は歩いてまわるスピードが一番にあっていると思う。

八木でなぎさんと別れたあとは、
宇治山田行き快速急行と、名古屋行き急行を乗り継いで帰りました。

浮いた特急代で昼飯をリッチに♪がコンセプトの今回の小さな旅。
近鉄の電車代よりも、昼飯代の方が高かったなんて、笑える~。

また行こう>チープなリッチ旅♪
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昭和の日は大忙し

2011年05月05日 | 色々・モシクハお勉強
4月29日はかなりハードでした。
午前5時半起床。
午前6時半、一の鳥居集合。
神職と歩く朝の春日大社、です。

朝の時間を有効活用しようとすると、こうなりました。
普段の五時半なんて二度寝する時間ですよ。
いかに頑張ったか…お察しください。

時節柄どんな人出かなって思いましたが、集合時間には9名ほど、
歩いているうちに流入されてくる方もいて、程ほどな良い数に。

三条大路、影向の松、馬出橋と馬止橋、お旅所、野守の池、
飛火野、遣唐使などなどのお話しを聞きながらのあゆみ。

いろんなお話しを聞きましたが、一つだけご披露すると。
お旅所では、踊りなどが行われる一段高くなった土盛りがあるのですが、
「普通昔の芸能というのはこういう場所で行われたので、
芝の上で行う≒芝に居る、”芝居”となったそうです」
とのお話しには「おぉう…」
そうだったのかあ。

その後、春日大社本殿につき、皆様でお参りします。
そして「もしよろしければ、檜皮のご寄進を…」というハナシになり、
「おっしゃー、一口のったる」と偉そうに一口申し込みました。
クリアホルダーをもらった上に、回廊の中にまで入れてもらいましたので、
一口のっても、得たメリットのほうが多いと思うのだけど。

とりあえず9時の朝拝までは時間があるので、東大寺へ流れました。
三月堂が面白いことになっているそうで、今のうちに見ておこうかと。
まだ8時過ぎなので若草山前のみやげ物屋も空いておらず、
三月堂も誰もいませんでした。ラッキー。

今まではぎっしりワサワサ収まっていた仏さまたちが姿を消し、
現在は程ほどの間隔で静かにそこにいらっしゃいました。
もちろんというか二月堂にも登ったのですが、
9時の春日大社の朝拝に出るので、そろそろ戻らなくてはいけません。

一生懸命戻りましたが、三月堂から春日大社は若干登りなので、
結構疲れちゃいましたよ。9時3分ほど前に到着したにもかかわず、
すでに朝拝は始まっており(!)慌てて私も上げてもらって大祓詞をあげました。

今日は4月29日という日もあってなのか、参加者は大目。
しかも神式の考え方では、50日祭が一区切りということらしいので、
そんなこともあっての大盛況なのかなと。

大祓詞を唱えたあとは、各お社を回っての朝拝。
「すべてまわっていたらお昼になってしまいます」
というので、主だった所だけ。

春日大社でパワー充填したあとは下界へおりて、奈良博へ。
中国文明展の蝉玉を見るのを楽しみに。
実はこれ、東博でも見ているのだけど、奈良博にも巡回しているということなので、
ついつい二度目の蝉玉と金縷玉衣を楽しみました。

でも、こうしてはいられんのだ。
平城宮跡では、天平行列が始まってしまうではないか!
って慌てて平城宮跡へ。
へろへろになりながら歩いて、大極殿前広場へ出ると行列はすでに入りつつありまして。
天平美人とか、崑崙とかが、すでに行列終了したらしく解散してましたわ。
迦楼羅がいたのでじっと見てたら、向こうも小首をかしげて見てました。

一方メインの行列の方は、各天皇とそのおつきの人が入ってきていたけど、
「孝謙天皇」と「称徳天皇」がいたのには笑っちゃいました。
※同一人物やねんって。
(扮していたのはかなりの別嬪さんでした)

おっと、こうしていたいけど全部は見ていられないのよ>先を急ぐので。
でも、いつの間にか平城宮って囲いが出来ていて、出られない!
大極殿の真北から出ようとしたら、壁が出来ていて再び西側の
囲いの切れいているところまで戻る羽目に。
あ~昔の都は面倒だったんだなあと実感。

ステージでは仏教界の皆様による祈りの般若心経があげられていましたが、
わたしも唱えつつ、足は西大寺駅へ。

そう、これから奈良大に行くんですよ。
間に合うかなあ。高の原からバスあるかなあ。
なんて思っていましたが、乗った電車が普通だったので、
思い切って平城で下りて徒歩にて奈良大裏口へ(笑)

なんとか開催時間には間に合いました(が、プリントが足りず後でもらう羽目に)。
やはり追っかけの多い水野先生らしく、かなりの人が入っていました。
”卑弥呼から光明皇后までを語りつくす白熱の四時間”

久しぶりの水野センセはお元気そうでした。
「あの選挙みたいなポスター」発言には大笑い。

「巻向駅の脇で桃の種がたくさん出た~!からってそれが宮殿になるんか?」
とかセンセのしゃべりは絶好調。
最初はハンドマイクでしゃべっていたのですが、
そのうち身振り手振りが増えてくると、マイクが音を拾ってくれなくて、
後半戦にはピンマイクを付けさせられたセンセ。

しかし私の座った場所が悪かったのか、
二階席ではあんまり声の聞こえがよくなくて、
やっぱ前の席を陣取らないといかんなあと思いしらされたです。
あれこれ欲張ったせいなんだけど。

座って拝聴しているだけでも結構疲れるというのに、
センセは四時間立ったままあちこち動いてしゃべり倒しました。
次お会いするのは夏ですわね。
よろしゅうに。

欲張りすぎて駆け足になっちゃったけど、
それだけ充実していた一日でした。
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奈良で満中陰法要

2011年05月03日 | 色々・モシクハお勉強
4月28日は東日本大震災から四十九日。
十輪院で満中陰法要が行われるというのででかけてきました。
GW直前の平日ということもあって参列者は少なめでしたが、
それでも60名ほどの参加があったそうです。

午後二時から法要開始。
僧侶による読経と、参列者による焼香、
そして地震が起こった2時46分にあわせ、
半鐘を鳴らして参列者一同で黙祷をささげました。

法要の最後にはスリランカの僧侶の方による、
現地の言葉でのお経が心地よくて、不思議な気持ちになりました。
漢語に訳されたお経ばかり聞いているので、大陸にあるときの、
仏教発祥の地に近いところでのお経を聞くという体験もしました。

最後は橋本住職からの挨拶。
「お互い助け合って力強く生きることが、亡き人に対する最大の供養です」

法要終了後は本尊の地蔵菩薩さまにおまいりをしました。
以前拝んだ時にも感動しましたが、今回はご本尊の前に置かれた箱に注目。
これは、被災地に入られた方が、その土地の土を持ち帰り、
それを亡くなったかたがたのお舎利としてご本尊さまの前に安置してありました。
箱に収められた被災地の土。
みなさま、彼の地に到達されましたでしょうか。

法要終了後は隣りの建物で「お茶でも」といわれ、
マジに受け取ってお茶をいただいてきました。
(その前に、五劫思惟阿弥陀さまにもちゃっかり再会)
普通ここには立ち入れないところなので、
室内でもアレコレきょろきょろしてしまいました。
お茶をいただきながら、今回現地へ入られた方や
坊様のお話しを聞き、午後4時には終了。

帰る段階になって「あ!今日、拝観料って納めてない…」
そうなのです。今回の法要にあたっては拝観料などなく、
誰でも本堂に上がれるようになっていました。
慌てて帰り際に本堂前の賽銭箱へ寸志を納めてきました。

その後、元興寺へ。
ここもまた、GW直前の平日だからか、ガラガラ。
というか、いつの間にか本堂はわたしの貸切状態になっていました。
外はぱらりと雨も降っていたし。静か。

ぐるっと一周したあとは、収蔵庫へ。
元興寺極楽坊縁起絵巻を堪能。
極楽坊の由緒縁起と霊験を記した絵巻で、上下二巻。

元興寺にはその昔、智光さんと頼光(礼光)さんがあったとさ。
智光さんといえば彼が感得したという、極楽を現した「智光曼荼羅」が有名。
その智光さんと礼光さんの二人の僧が、縁起絵巻では
実にいい味出しているのであった。

この二人はかの行基菩薩と同時代の人。
行基は不良僧(お上お抱えの坊さんじゃなかったから)だったけど、
行基の持つ能力を高くかった聖武天皇に取り立てられ大僧正になりましたとさ。
(別に行基はそんな「身分」はどーでもよかったと思うけど)

しかし、その「身分」と待遇を羨んだのが智光サン。
「自分の方が行基より優れているのに、キィイイイイイー!」
彼は悶々としたままポックリ逝ってしまった(!)

死んじゃったわりには十日したら行きかえったというのだからミステリー。
この十日間に何があったのかというと。

地獄にもちろんのごとく落ちて、
「何で行基菩薩を嫉妬したんだ?」と鬼たちに攻められ、
「お前には焼けた火の柱を抱かせてやろう」といわれる。
嗚呼!俺はなんということをしてしまったんだろうとそこで後悔。
そこで、「目が覚めて」まさに地獄から戻ってきたらしい。

地獄から戻った智光さんは行基のもとへ出向き、
「嫉妬してスミマセンデシタ!!!!」と平謝り。
(行基はそんなことどうでもいいんだろうけど。
ちなみに行基は文殊菩薩の生まれ変わりなんだとか)

で。
そこからハナシは変わり、智光さんの同僚、礼光さん。
修行の晩年になって、他人と語ることもなくなり、
寝てばかりいて修行もせず、やがて入寂。
そんなある日、智光さんの夢枕に礼光が現れ、
「今極楽にいるでー」と自慢(いや違うと思うけど)。

「ええ!いいなー。どうしたら極楽にいけるの?」
とまたしても羨ましくてたまらない智光さん(笑)
礼光さんに導かれてその前に進み出た仏さんの前で
「わたしもイ・キ・タ・イ!」と駄々をこねると、
阿弥陀さんの手の平から小浄土が出現。
おお、まさに信じるものは救われる。

そして智光さんは極楽浄土に確かに来た証拠としてお舎利をもらう。
「極楽は確かにあるんだよということを娑婆に伝えよ」
ということなので、智光さんは夢から覚めて例の曼荼羅を作りました。
それがあの「智光曼荼羅」というわけ。

おお、智光さんって生臭い坊さんだったのだなって、なんだか親近感。
完璧な、すばらしい、坊さんよりも、
こういう人でも「信じれば救われる」ってのがいい感じでしょ。
礼光さんについても「信じて信じて、後は寝て待て」みたいなのも良し。

気がつくと5時。
いい感じで一日終わりました。

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