奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

アスカでハイジ

2015年02月04日 | 色々・モシクハお勉強
昨日は一日雨の中、西の京巡り
(奇しくも、奈良検定ではようやく(?)ソムリエの400字問題に、
満を持して(?)西ノ京が登場しましたっけ)

そして本日は、一日中、橿原+明日香+桜井をウロウロなのです。
しかも、自転車で、ハイ。

自転車で明日香巡りなんて実に久しぶりだー。
まだ「奈良旅行者」だった頃、初めて明日香を訪れた時に、
橿原神宮前で自転車借りて、ぐるっと明日香をヒト巡りしましたっけ。
それ以来だから、実に二十年以上前だなあ…(遠い目)

その時、岡寺に行くのに急坂を登れず、立ちこぎしても登れず(!)
トボトボと自転車を押して登ったこともありましたっけ。
いや、時代は変わったのだ!!
現在は、「電動アシストつき自転車」というすばらしい文明の利器があるのである!(力説)

ってことで、今回はアシスト自転車を借りることにして、
一日中サイクリング☆サイクリング、やっぽーヤッホーの予定です。

しかも、まわるのは一日中廃寺(笑)
明日香は「遺跡」「遺構」「古墳」と過去の遺物の宝庫ですが、
「やだー、明日香って何にもないのねー」と物知らずな観光者につぶやかれるとおり、
元々建物「跡」ばかりがある場所です。
でも、それでいいのです!
いや、そこれこそがいいのです!

現存する寺が見たかったら、京都へ(ヨソへ)行っとくれ!(をいをい)
明日香は寺があったという過去(歴史)が重要なのであって、
現在そこに伽藍が無いくらい、なんだってんだ!
ゼーゼー…。
ってことで(?)今回は廃寺巡りの旅なのだよ。
(何が、…っということなんだかわからんが)

というのも、奈良検定でも「○○廃寺」は常連問題なのだけど、
どこにあったっけ~?!って意識だったもんで。
こりゃ、一度ぐるっと巡って記憶に叩き込んでおかねばならんってことで、
今回は廃寺巡りの旅とすることにしました。

とりあえず、スタートは坂田寺跡。
泊まった祝戸荘からすぐの場所です。
その前には「飛鳥稲淵宮殿跡」の標柱を見たり、
「マラ石」を見たりしながら、徐々に高くなる道を登って坂田寺跡へ。

”跡”とはいうものの、まさに何もありませんので、
「キター」ってだけのことなんですが。
かつて、飛鳥ウォークでここ来た事はあります。
水野センセの先導でね…。



さて、ここから石舞台方面へ行ってレンタサイクルを借りねばならん。
川沿いの静かな道を通って、飛鳥歴史公園石舞台地区へ。
石舞台の脇を通って、石舞台を見ず。なんという贅沢(笑)
とりあえず本日の”足”を確保しなくちゃいかんので、
まずはレンタサイクルをゲット。

しかし、初めてのアシスト自転車ってことで、
一足踏み込んでみたら、物凄く軽くて、めっちゃコワイ…。
それでも、こぎ始めのふらつきが無くて、軽くスタートできるし、
何よりも坂道が本当に楽に登れるのだあ~。
…でも、慣れてないうちは本当にその軽さが怖くて、
(しかもフラットハンドルってのは普段乗ってないので、これまた慣れてない)
おっかなびっくり石舞台の来た道を戻って、都塚古墳へ。

本当は自転車を借りる前にここに立ち寄るつもりだったのが、
すっかり忘れていて(ガイド役の、わたくしが、忘れていて!!)
後での立ち寄りになっちゃいましたが。
アシスト自転車を借りた後で来たほうが楽だったというオチつき。

ちょっと登ったところにあるので、
ほんのちょっとの坂道なんですけどね。
そのちょっとが登りづらい時には、このアシスト自転車は役に立つのだ~。

それでも坂道やら、カーブやらに翻弄されながら(オオゲサ)
ヨタヨタしながらとりあえず、目的地の都塚古墳に到着です。



都塚古墳といえば去年「すわ、日本にもピラミッドが?!」とかって大騒ぎされましたが、
奈良検定受験者にしてみれば「金鶏塚」といったほうが通りがよいかも。

6世紀後半くらいの方墳で、明日香村内唯一の家型石棺が見られるというこの古墳は、
元旦に、この古墳で金の鶏が鳴くという伝説から「金鶏塚」とも呼ばれるとのことで。




家型石棺が鎮座してました

実は石舞台からすぐの場所にもかかわらず、行ったことが無い!
ということに愕然として、「ここ行きた~い」ということで設定したにもかかわらず、
最初に行くのを忘れていたというのは、
この旅の(度の)先のハプニングの数々をヨカンさせる出来事であったというのは、
まだこの時の私は知らないのであった。
(って、つづく風なのは何故だ)

……続けます(笑)

とりあえずヨタヨタしている自転車が怖かったので、メインルートではなく、
飛鳥川のすぐ西に添って通っている自転車道を走ると…自動車が通ってないし、
人もいないので、ヨタヨタでも快適に走ることができて、あっという間に橘寺。

全然記憶にないと思っていたけど、ここってもしかして、
水野センセに連れられて歩いた飛鳥ウォークの時、橘寺の裏手を通って
石舞台へ抜けたときに使った道ではありませんか…ってなぎさんがいう。
おお、そういえば、そんな感じの道、歩いたことがあったっけ(頼りないガイド)


道中は山の中のような風情でした

左手に見えるのが橘寺です~と車窓、ならぬ、車上(自転車上★)からの見学で通過。
今回は「廃寺巡り」なので、現在堂宇があるお寺はおよびではないのだよ(をい)
ってことで素通りです。

そして正面に見えてきたのが、川原寺跡です~と、これまた車上からの見学で素通り。
川原寺跡は廃寺には違いないが、何度も来たことがある場所は、
時間の関係上、素通りと決めているのだよ(あはは)

なんて、贅沢なルートなんだ!
明日香に初めて来た人がこの通り素通りだったら泣いちゃうところですけどね。
我々は何度も来たので、さくっと素通りです(笑)

そして、現在明日香村のメインルートとなった、明日香村役場から岡寺駅へと通じる道を西へ行きます。
中央公民館から折れて、アップダウンの激しい道を下ったり登ったりしながら、定林寺跡へ。

ここもわたし、すっかり記憶になかったんだけど、
飛鳥ウォークの折に訪問してます。
(なのにすっかり忘れているってどういうことなんだ?!)



この先が細い急坂だったのですが、
力強い味方・電動アシスト自転車ならば、すいーっと上がれましたよ。



現在では土檀があるのみですが、
正面には明日香小学校が見えています。
この景色は見覚えがないんだけど、
「太子の湯」あたりからの小学校脇の坂道を登っていく風景は、
あら見たことがあるわ…って。
あー、覚えてないだけだったのかあ(がっくし)

そこから素直にまたもとの道に戻って、また岡寺駅方面へ。
途中にあるのが、県立明日香養護学校。
ここの建て替え工事で出てきたのが、「小山田遺跡」
すわ、舒明天皇の陵墓かと話題になった遺跡で、昨日ニュースでやっていましたっけ。

朝、お宿の人に聞いたら、どうやら養護学校のあたりで出たとのことなので、
ちょこっと覗いていこうとしたら…。
校門前に、それらしい人が立っておりました(笑)
そして「すみませーん、本日公開はありませーん」と向こうから声をかけられてしまいました。
ははは。
そんな二人連れに見えましたかね>見えましたね。
レンタサイクルだし、旅行者だし、それっぽい風貌だし(謎)

こんなところにすでに人を配置ですか。
手回しのよいことで。
今週末の日曜日に現地説明会はあるけど、
学校の中での公開ということで、
平日(金曜日)の本日は、出入りができないってことでした。
それでも、「よかったらどうぞ」と配布用資料をしっかりといただいてきました。
ラッキー♪

とか思っていたら、周辺にも「同じにおいのする集団」の方がチラホラ。
どうやら、ニュースを聞きつけて、いてもたってもいられなくなったようですね。
まあ、我々もそのうちの一組なのですが。
(駆けつけてないけどね>近所にいるから、ちょっと覗こうってことですが)

この遺跡は石舞台より大きいらしく、どうも舒明天皇の滑谷岡陵の可能性が高いとか。
今までここには何もないと考えられて、学校が建てられたようなのだけど。
こんなものが出てきちゃったら、どっちかってーと、こちらの方が重要になるのではないかと…。
つまり、学校の建て替えよりも、古墳として残すほうが有効、有意義だってこと。
さあ、どうなりますことやら。

で。
廃寺の旅ではあったものの、近所まできたことだしってんで、
菖蒲池古墳にも立ち寄ってみることに。
すると、久しぶりに来た菖蒲池古墳はなんか、鬱蒼感が減って、
石室開口部が道路からも見えるようになっていました。


道から古墳の開口部が見えてました

初めて来たときは、こんなとこに古墳があるのかといぶかしがりましたが、
こんなにすっかり見通せるとなると、入ってみる気にもなります。
上りついてみれば、なんか、家型石棺が二つあるのも見やすくなったような気が…。
「あ!」と思ったら、どうやら覆い屋が綺麗にかかっていて、石棺も見やすいように
柵が作り直されています。昔見たときはもっと判りにくかったのに、
奥の石棺も綺麗にライト無しで見えていましたから。

しかし、石槨に現代のコンクリが地続き(?)で打ってあって、
これってありなの?な風情。
確かに見やすくなりましたけどね…これはこれは、どうなんだ?
そういえばここは橿原市。
こういう工事も、有りというか、出来ちゃうのですね。
(明日香村ではできない芸当)


奥までバッチリ見えてましたよ

道端に戻ってきたら、ここでもおじさんとおばさんが立ち話をしており、
隣のフェンスの中の白幕の中を見て「この中観てきました?」
と話しかけられました。

ん?と思ったら、なんと菖蒲池古墳の脇の道を挟んだ向こうの建物が、
どうやら小山田遺跡の出た明日香養護学校らしい。
そして、その養護学校に隣接しているのが明日香村のゲートボール場。
ここで、明日香ウォークの時に昼食をとったことがありましたっけ。

えええ?そういう位置関係だったの?!
さっき、校門前まで行ってきた養護学校の裏手が、
いまいる、菖蒲池古墳前の道で、あの道と、この道の間に、
問題の現場(笑)があったってわけなのね?!
(そんなこと、今わかったんかいな…と呆れないで~)

現在ではこの道を挟んで明日香村と橿原市に行政区画は分かれているけど、
昔だったら、菖蒲池古墳の隣が、小山田遺跡ってことになる。
おおおおお~。

歩いてみなくてはわからんことだった。(歩いてへんけど>チャリだけど)
地図で確認したら、確かに隣りなのだった。

「ここ(菖蒲池古墳)もずいぶん綺麗になったんですね」
「ねえ、前は結構木が生えていたのに」
「都塚古墳の現説の時は、石舞台からずらっと人が並んで大変でしたわ」
「そうですか~さっき、都塚行ってきたんですよー」
なんてハナシをワチャワチャとしてお別れし、一路西へ。

道なりに下っていくと岡寺駅に到着です。
ここらへんは孝元天皇軽境原宮跡だそうで(石柱には”傳承地”って明記してあった)



岡寺駅北西にある牟佐坐神社(むさにいますじんじゃ)ってのがとっても気になって立ち寄ることに。



ご祭神は当然のように孝元天皇なのだけど、現在までにはいろいろ変遷があったようです。
急な階段を登っていった先にある社殿の両脇には、苔むした狛犬ちゃん。
この狛犬ちゃんがヒラヒラしたオシャレな涎掛けをしているのだが…よくよく見てみると、
レースの”あご”ではなく、カフェカーテンに紐を通してあるものでした(笑)


オシャレさん♪

なーんか下から見上げると、古墳の上に作ってみましたテイストの神社なんだけど。
昔はここら辺が山の始まりだったようで、この先がニュータウンになっている。
ここから坂が連続するニュータウン内を右往左往しながら「益田岩船」を探すのですが、
近代に整備された町はわからん(涙)

予習不足で、行けばなんとかなるだろうと思ったら、古代の碁盤の目のような土地勘は働かず、
綺麗に縦横に走ってはいるものの、規則性がよくわからん道をウロウロ。
もう住宅街もここまでって場所に入り込んで、すでに山道!みたいな場所で、
農作業をしている人に「岩船ってどこですかー!」と叫ぶと、
「あっちでーす」と返事。
うむむ、間違ったようだ。
(しかし、この細い獣道を進むと、どうやらカンス塚古墳方面へ出るらしいことが後で確認したら判明。
道としては由緒正しい(?)みたいだが)

戻って、近所のヒトに聞いたりしながら、目印の小学校と、公園を発見したら、
ものすごーく判りやすい場所にありました>岩船の看板(汗)

益田岩船といえばどうしてこんな巨石がここに?!ってものですが、
住宅地裏山の割には、最後は崖登りですよっていうサイトをちらほら見たので、
「サンダル禁止!」「パンツスタイル推奨!」と足元を固めていざ登山です。
昨日雨が降ったので、どうかなと思いましたが、案外サクサク登れてよかった。
それでも、「ロープが張ってある場所があります」に差し掛かったら、
ちょっと躊躇するほどの急坂でしたが、まあ、私が引率するルートって
一つや二つはこんな坂があるのがデフォルトなので、
山登りが大嫌いななぎさんも諦めて登ってくれましたわ(ははは)

まあ、4分ほどの山道を登ったら…言葉を失う光景がそこに。


あったよ…

なんということでしょう。
近鉄岡寺駅からこの近さで、こんな巨石がひっそりとこんな山の中にたたずんでいたとは…。

まだ姿が見えてないうちは「石、登っちゃう~?」なんて思っていましたが、
ハシゴもない状態で、素手(?)では登りつけないほどの巨石でした。


ドドーン

たいていの人がこのアングルで写真とったんだろうなあという場所から見下ろしてみると、
あまりの姿に言葉を失い、しばし呆然。



天文台だとか、古墳制作時のヒビで捨て置かれたとか諸説あるようですが、
今となってはどうでもよさげ(をい)。
何でこんなものが、此処にあるのかを、現在、自分が、ここで、見ている不思議の方が重くて。

いやー、前から行きたい、見たいと思っていましたが、ここは体験してみてよかった。
しかし、一人でこの山を分け入ってみるってのは結構コワイ。
同行者がいる場合に限るなあ…訪問は。
ということで、なぎさんがいてくれてよかった♪
岩船は一度見ればいいか~って思ったけど、こんなに近いのならば、
また来たいなあって思わせる存在となりました。
(まあ、電動アシストのおかげですけどね。こんな坂だらけの町をウロウロ出来たのは)

帰りは公園の脇を駅方面へ下ってきて、どんつきに来て、
アンダーパスになっている道路の上を渡る歩道橋をとおったら公園の中に出てしまい…。
出口と思しき坂道を下ってみたら、あれれ?
さっきの、神社脇の道に出ました。

ぎゃあああ。
もしかして、ぐるっと住宅街の中を走り回らなくても、
この公園を登って、歩道橋で越したら、一直線に岩船だったわけ?
(まあ、地図上ではそうなっているんですけどね。なんせ私は地図が読めない女なもんで。
これはどういう意味なのかってのが、現地で確認するまではわからんかったんだな)
いつもだったら、行ったことのない場所はストリートビューで予習するのだけど。
行くところは明日香周辺だしなってことで手抜きをしたら、このザマ。
ガイドさん失格ですなあ。

益々、益田岩船は岡寺駅から近いことが判明しました。
次にご一緒する方は、スムーズにお連れすることが出来ると思いますわ。
(なぎちゃん>すまん!(ははははは★))

は~楽しかったということで、次はランチです。
岡寺駅から、畝傍東小学校近くの「サロンあい」さんへ移動して、ランチ。

日替わりランチを予約してあったのですが、
出てきたお料理を見て、二人前?!って思うほどの品数に圧倒されました。


皿数の多さにびっくり★

昼営業のみで、しかも3時には終了というお店ですが、
平日ということもあって、ひたすらゆっくりできました。
あー、ここも自転車があったからこそこれたような場所です。
(車でも来やすい場所なので、穴場ではありますけどね)

おなかが満たされたので、後はサイクリングでひたすらカロリー消費の旅です。
自転車を使ったことにより、時間的余裕が生まれだので、
こりゃピックアップした当初の目的地には全部行けそうだってことで、
ひたすらチャリをこぎます。

まずは北上して、本薬師寺へ。
久しぶりに本薬師寺へ行ったら、周辺が家が建ったり、大きな建物が出来ていたりで、
結構景色が変わっておりました。そういえば久しく来てないなあ。
しかも、いつも来るときは畝傍御陵前方面から来るから、
橿原神宮前からの北上では「?」になってしまい、
しばし道の途中で迷っていたら、バイクの女性がわざわざ止まってくれて、
道案内をしてくれました。

うううー。もと地元民なのに、迷うかなと思いつつ、
奈良県民の観光客には優しい心に感動して。
無事つきました>本薬師寺。

本薬師寺といえば、ホテイアオイってのが今年の奈良検定で出ましたが、
なんかいつも、この受験記念ウォーキングには、直前で出た場所を後追いで歩いている気がします。
(直前だったら、もっとよいのでしょうが>予習というか、問題解く前に歩いてるし)


礎石がゴロゴロ

さて、次は紀寺跡へ行きたかったのだが…。
飛鳥川を隣に南下したらよいのに、なぜか(←準備&勉強不足です(汗))
上飛騨町の集落を抜けてしまい、気づくと藤原宮跡の中をつっきっており、


あれれ?ここに来る予定はなかったのだが…

何故か(とかいうな)行き止まりの先の奈文研についておりました。(大汗)

それでも、なぎさんがここに入ったことがないというので、とりあえず入館。
いろんな廃寺の瓦一覧は、今回の旅と重なるのでかなり楽しめました。
「奈文研もさー、瓦の形でクッキーとか焼いたらいいんだよね。
文様にアーモンドとか埋め込んでさー」
それでは本物の瓦せんべいになるかと…(あははは)

「『明日香の廃寺瓦セット』とか、あなたの好きなお寺のみチョイスとかねー」
いつなんどきも、奈良の観光のためになることを考えている我々である(結構マジ)

館内に大きな地図があったので、あれこれ見ていたら、受付の人が出てきて、
「どこ行きます?」
「えっと、紀寺跡(笑)」
「どこ行って来ましたか?」
「明日香村で…」
「あ、あそこ行ってきましたか?」
あそこでわかる我々(ワッハッハ)
「学校の敷地内だったので見せてもらえませんでしたが、資料はもらえましたよ」
奈文研の人も興味しんしんだった小山田遺跡の現地。
本日一番のホットスポットだったようです。

その後は無事に南下して紀寺跡(看板があるだけ)



大官大寺跡(石柱があるだけ)と到達して、


由緒正しい地で育った白菜ってエリートだよね(笑)

さて、次は奥山久米寺跡へ。

田んぼの中を疾走して、奥山の集落の中を注意深く走っていたら、
小さな看板が出ていて奥山久米寺に到着。

このお寺が実によい塔跡をお持ちで、かつての塔跡の上に、
惚れ惚れするような十三重の石塔が乗っていて、
檜隈寺跡のような感じ。



集落の中のお寺で、集落一丸となって守ってきたんだろうなあと思わせるお寺でした。

さて、次は山田寺跡ね。
勝手知ったる飛鳥資料館の前を素通りして山田寺へ。

ここもかなり昔に来たっきり。
私が初めてここに来た時は、小さな堂宇があるだけで、
ここらへんが山田寺跡ですよーって場所でしたが。
「アノ」回廊跡が出た後は綺麗に整備されたようで、
現在の山田寺跡はかつての繁栄を想像させるような場所になっていました。





「ハブ注意」の看板には驚いたけど、それ以上に足元がグズグズだったことにも驚き。
一段高い土檀の上ですら、足を乗せるとずっしりと水分を吸った藁くず。
確かに昨日雨ふっていましたけど、しかしすごい水分量だなあ。
まあ、この水はけの悪さが、あの回廊跡を水中で閉じ込めて残してくれたんだろうと思うと、
このグズグズ土壌もメリットだったわけで。




昔はこんなお堂があるだけだったのにね

さあ、あとは吉備池廃寺を残すのみ。
飛鳥寺跡から桜井方面への道路はどんなものかわからなかったのだけど、
この道はここらへんまでが上り坂で、あとは桜井方面へは下り坂ばかりでした。
よって電動アシスト機能も不要なくらいの楽々道。
飛鳥寺跡から桜井方面は思ったよりも近くて、このルートでの通行はオススメ♪

坂を下ってきて、桜井の交通量の多い道をヨタヨタ走り、
目的の吉備池はあれっぽいと目処はついたんだけど、
どうやってたどり着けばいいのか判らん。
とりあえず、電池残量はまだあるので、大回りしつつ到着した集落は「吉備」。
をを、方面的には間違ってないぞ。
ここらへんが確かに「吉備」のはず。

そして、近所にある春日神社を発見。
そういえば吉備池の脇に春日さんがあったっけ。
春日神社の隣の製材所の中を遠慮がちにつっきって(いいのか?)いくと、
どうやらそこが目的地の吉備池だったようです。
ついたー。

平地に築かれた皿池で、かなり高い位置まで水がたたえられています。
この池、決壊したら、周囲にある家は水没しちゃいそうな量。
池の周りを歩いてみたら、水面をツツッーと鴨が泳いでいるんですの。
おおお、イメージぴったりじゃないですか。

そして、「ももづたふ 磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」
の大津皇子の歌碑もありました。
この池自体は後世に築かれたものなので、大津がここで読んだってことじゃないんだけど。


大津皇子の歌碑『ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ』


大伯皇女の歌碑『うつそみの人なるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む』

時はすでに夕暮れの時間となりつつあり、西の方角にはニ上山。
おお、ふたこぶ山が綺麗に見えます。

ぐるっと一周したら結構かかるよなと思いつつ、アチコチに石碑だの、
看板だのが配置されており、一周回ってみろといわんばかりの配置。
なので、ぐるっと一回りしてみましたよ。
半周してみたところで、ありました>吉備池廃寺の看板。



南側で二つ張り出した変な出っ張りは、調査の結果、建物の基壇であることが判明。
これが南側からみて右手に金堂基壇、左に塔基壇なんだそうで。
ゆえにこんな変な堤の形をしているんだな。
結局ぐるっと一周してしまいましたよ。

ということで、今日の廃寺巡りはここで終了なのでした。

手前の池には鴨、奥には二上山。
あまりにあまりな景色にしばしうっとり。



はー、落日のニ上山にしんみりしてぐるっと一周して帰ってきたら、
なぎさんからショッキングな一言が…。
「ねえ、これ、エサかなあ」
見ると、池の周りにはられたフェンスの内側に、たくわん色の漬物樽と、
油紙袋の包みがゴロンゴロンと置かれており。

うっ…。鴨のえさ?
大津の歌には鴨が必須。
そして、磐余池にも鴨が必須。(ま、ここは磐余池じゃないけど)

見学に来た人が、歌碑を見て「鴨いないんかい・鴨」とつぶやいたら、
そりゃ場面装置として鴨くらい飼うでしょ>桜井市★

「もしかして鴨の餌代って観光協会の経費に計上されてる?」
「そりゃ、必要経費でしょう」
「はははは」
我々はいい「カモ」だったかもしれません。
ちゃんちゃん♪

とりあえず、本日の予定を無事終了することが出きてほっと一安心。
吉備池から桜井までは旧道を通って走り、駅前で自転車を返して、
コーヒーで一服して、本日の予定はすべて終了となりました。



その後の話・その1。

はあ、良かった良かった…。楽しかった♪
なぎさんと別れて、近鉄に乗って、やれやれと思ったら、一つ重大なミスを発見!

大官大寺に行った後に、向原寺(豊浦寺跡)に行くの忘れた~!!
ぎゃー!!

自分的には、行ったことがないからってんで、楽しみにしていたはずなのに。
地図にしるしは付けていたものの、ちょうどページの切れ目ってことと、
大藤原京の中で迷子(?)になったことでアワアワしてしまい、
先を急ぐあまり、すっとばしてしまいましたわ。
トホホ。

確かに、奥山久米寺からは進行方向に向かって、一旦戻るような形になるので、
後ろを振り返るのがいやなワタクシとしては、前へ前へと進んでしまったので、
すっかり忘れちゃったんでしょうがね。
うーん。
メモには訪問順書いておいたくせに、最後はテキトーな頭の中の地図に従って
チャリこいでしまった為に、すっかり忘れてしまいましたわ。

ごめんねーってなぎさんにメール打ったら、
「あそこはいつでも行けるよね」って返事が来た。
おお、これは自転車旅第二弾のお誘いか?!(←莫迦)
まあ、雷の交差点からすぐだから、確かにバスなどでも行けるしね。
次は行こうね!絶対にね(って、お前が忘れんなってことだ)

ということで、一日中自転車で走り回った割には足も対して疲れず、
希望したところもまわれたのでよかったよかった。
岩船で迷っていた時間のロス分で、豊浦寺跡には行けそうな時間配分だし。
このルートでまわれば、くるっと一回り、アスカデハイジ(謎)な旅ができますよ♪

ってことで、次回は自転車でどこを回ろうかちょっと楽しみです。
最近、飛鳥記念財団のウォーキングに参加してなかったので、
飛鳥を回る旅もご無沙汰だったし。

そして、その後の話・その2。

……とこれらの下書きを書いているときに、
水野先生の訃報を知りました。

今回の旅は「ここ、水野センセと来たねー」の連発で楽しかったですが、
次からは「ここ、水野センセと来たねー」って言っても、
水野センセともうご一緒することはないんだなあと思うと、寂しい…。


『うつそみの人なるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む』


それでも飛鳥をこれから歩くときは、いつも水野センセが一緒の気がします。
ひょこひょこ先を歩いていてくれる気がするので。

また明日香を歩きにいこうと思います。




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