石清水八幡宮がある男山の麓に、飛行神社があります。
大正4年(1915年)に航空界のパイオニアニ宮忠八が創建した神社です。
ここで「旧暦雛飾り」の展示があると聞き、訪れました。
零戦のプロペラとエンジン部が境内の隅に展示してありました。
プロペラが無残に曲がっていますが、
大阪湾で、魚網にかかって引き上げられたものだそうです。
神社奥の資料館には、日本航空界のパイオニア ニ宮忠八翁に関する資料が
沢山展示してありました。
ニ宮忠八は1891年に「無人飛行器」の飛行に成功。
次いで、人の乗れる飛行器の設計に着手。
1893年には「有人飛行器」の設計図も完成させた。
当時の軍の上官に、この飛行器の開発推進を上申したが却下された。
その10年後の1903年に、ライト兄弟が有人飛行を成功させました。
その情報を知ったニ宮忠八は、大いに悔しがるとともに、
その後は飛行器の研究をプッツリやめた由。
飛行神社入り口には、ニ宮忠八の出身地、愛媛の八幡浜に伝わる
雛飾りが設えてありました。
ミカン山や八幡浜の港なども背景になっているようです。
資料館3階には、多くの段飾りが飾られていました。
飛行神社界隈の街角にも、いろんなお雛さんが飾られていました。
八幡まちかど雛まつりは4月14日まで開催されているようです。
それにしても・・・
ライト兄弟のことは知っていても、ニ宮忠八の業績については
知らない人が多いと思います(もちろん私もそのうちの1人でした)
飛行神社を訪れ、何だか自信が湧いてきました。
ニッポン チャ チャ チャ!