写真は、 隠し曲輪の入り口です。
何の表示も無いので、ほとんどの観光客はここを素通りしていきます。
この奥に広場があるとは、誰も気付きません。
細い隙間を抜けたところに、こんな広場があります。
ここは、敵に気付かれないように、こっそり兵士を隠す場所だったようです。
左手に石垣があり、右手の柵の外側は内掘になっています。
広場の隅に、説明文がありました。
この隠し曲輪の石垣では、刻印石を間近で見ることができます。
丸に十の字の刻印などが読みとれますね。
隠し曲輪の外側は、内掘になっています。
天守閣の北側には、刻印石を集めた広場があります。
刻印石がたくさん集められています。
天守閣の南側には、残念石があります。
説明文の両側にあるのが残念石です。
折角石切り場から切り出されたのに、用材として使われなかった石のようです。
天守閣前の広場に、何やら井戸のようなものがあります。
これはボーリング調査をした時の穴だそうです。
豊臣時代の石垣が、この穴を降りていくと見られるそうです(非公開)
現在、我々が目にしている石垣は、
徳川家により築かれたものだそうです。
重文の金蔵。
大阪城を訪れる観光客のほとんどは、大急ぎで天守閣にのぼり
又大急ぎで次の観光地に向かっていきます。
のんびり石を眺めている人は少数派ですが、楽しい石巡りでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます