松島とくれば、瑞巌寺。
♪松島~のさーよー 瑞巌寺ほどの~ 寺もないとね~♪
大漁唄いこみにも詠まれている、奥州随一の禅寺だ。
慈覚大師が828年に建立した延福寺を、
伊達政宗が、5年の歳月をかけ再興、1609年に落成。
瑞巌寺と改名し、以後伊達家代々の菩提所となっている。
芭蕉によって「金壁荘厳」と謳われた、襖絵がすばらしかったが
残念乍ら内部の撮影は禁止されていた。
瑞巌寺玄関扉の上部を飾る、左甚五郎作の彫刻。
リスとぶどうが彫りこまれている。
瑞巌寺参道の石仏。
岩肌にも仏塔が彫ってあった。
瑞巌寺を出て、近くの円通院を拝観。
ここは、伊達政宗の孫、光宗の菩提寺。
光宗は幼少の頃より文武に優れ、徳川幕府にとっては、
恐るべき逸材だったようだ。
光宗は19歳の若さで江戸城内で亡くなる。
死因に関しては、毒殺説と病死説が伝えられているようだ。
円通院の石庭(七福神庭園)
中央の石は大黒天を表しているようだ。
緑の中、緋毛氈が鮮やか。
円通院を出たところに、茅葺の端正なお堂があった。
1682年に瑞巌寺101世、鵬雲によって建てられた
三聖堂というお堂。
観世音菩薩、達磨大師、菅原道真の三尊が祀られているようだ。
昼食後、五大堂にも参る。
写真は、食事をしたレストランから撮った五大堂。
ここは瑞巌寺守護のため、五大明王が祀られているお堂で、
国の重要文化財にも指定されているそうだ。
五大堂へ行くには、この橋(透かし橋)を渡らねばならない。
但しこの橋には鉄道の枕木のようなものがあるが、隙間だらけ。
隙間からは下の海が見える。
足元に注意しながら渡らざるを得ない仕掛けになっている。
これは、参詣に際しては、脚下(あしもと)を照顧(よくみつめる)
して身も心も乱れの無い状態で臨むべし・・・の意味があるようだ。
なかなか含蓄のある橋だ。
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