こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

”怒り”を感じながら”怒り”を考える(下)

2018年02月24日 | 生き方について考える

昨日からの続き

このテーマ”怒っている間”に書き上げようと思っていたら、数日経ったら”怒り”も収まってきてしまった。

なんだか、笑える。


でも、まあ、そんなこと言ったら、挙げた手を下ろすところがなくなってしまうので、京都での学会帰り、発表も無事終えた帰りの新幹線という血圧が普段よりよほど低い状態で仕上げようと思う。

”怒る”というのは、誰かに対して怒るのであり、自然に対して怒る人は少ない。

なぜ、怒るのか?それは、怒ることで相手が自分に合わせてくれる、変わってくれると期待しているからだろうと思う。怒れば、誰かが自分の方を向いてくれて、考えを改める、というか自分に同調してくれる様な期待をする。だから、怒るのだ。怒りを自分の中に収めている人もいるけど、誰か、何かに対して怒っているのは変わらない。

でも、過去と他人は変えることはできない。

怒っても、自分が期待している様に相手は自分に合わせてなんてくれないんだよ。残念ながら。

みんな、自分のことで一生懸命、というか自分のことしか考えていないから、他人の言うことなんてどうでもいい。仮に責任問題が発生しても、真の被害者は怒っている当人で、怒られている人は何も悪いことはしていない。それが悪いことだとしても、やりたくてやったのではないから、そんなに悪いと思っていない。

あと、”やりたくてやった”としたらそれはそれで悪いと思っていない。

こうして考えてみると、”怒り”って馬鹿馬鹿しいし、なんだか物哀しい行為だ。

無闇に怒ったところで、それはあまり自分のためにならない様だし、”相手のことを思って”なんていうお為ごかしの言い訳をつけて怒る必要もない。何かアドバイスを与える時に”怒り”は必要ない。

経時的にみれば、最初の怒りは5〜10秒で80パーセントはおさまる。そして、残りの18パーセントぐらいも翌朝起きるまでにおさまる。

全体の2パーセントぐらいは、結構残っていたけど、3日か4日でⅠパーセントを切ってくる。

1週間もしたら99.9パーセントはおさまるだろう。そうしたら、怒るのも後々のことを考えたら馬鹿馬鹿しいことなのかもしれない。

(このテーマ、おしまい)

喉元過ぎれば熱さを忘れる

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