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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 13 ビジネスでの落ち込みに効く特効薬

2024-05-24 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 13 ビジネスでの落ち込みに効く特効薬 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。
 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。
 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。
 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。
 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。
 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。
 新しいミッションが届きました。その準備の合間にも日常業務もあります。 商社マンの業務の一つである、アメリカ詣でに来られた社長さん達のアテンドには、まだ慣れない竹根です。根っからの性格もあり、誠意を持って対応することに心がけ、子ネズミのように走り回る毎日です。
 アメリカで、自分の判断での初めての営業活動の臨んだ竹根ですが、日本の商品が、そのままアメリカに売れるとは限らないという大きな問題に直面するのです。改めてマーケティングの重要性を認識します。


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた
 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 
 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第
 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 新しいミッションはCIAのスパイではなかった 新しいミッションの準備と竹根の気づき 仕事を通して人脈ができてくる 誠意を持った対応 竹根にとって初めての顧客開拓 アメリカでの初めての商談 原点に戻ってマーケティング
 
■■ 4 迷いの始まり
 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-13 ビジネスでの落ち込みに効く特効薬


 初めての新規顧客開拓活動も、市場調査のマーケティング活動も、竹根の自信をなくすだけであった。
 まだ午後の四時なのに、窓の外が暗く見えた。何もする気が起こらない。
――ここのところ、残業も、休日出勤も重なっているから、今日一日くらい、早退しても許されるだろう――
 自分に言い聞かせて、竹根は帰途についた。自宅のアパートまで、長い道のりであった。
 アパートの薄暗い玄関にある、集合ポストの自分の扉を鍵で開けた。白い小振りの封筒がぼんやりと見えた。何だろうと思って取り上げ、差出人を見た。目を疑った。相本の名前がある。それまで、相本の名前が『かほり』であることすら知らなかった。
 部屋に戻るなぞと悠長なことを言っていられなくなり、急いで封を切りたい気持ちであった。何とか、その誘惑に耐え、自宅に入ると鞄を投げ出し、丁寧に封を切った。薄く印刷されたボタンの便せんに、かほりの達筆な文字が目に飛び込んできた。竹根が、ファイルフォルダーのことでしょげていることを気遣う言葉が並んでいた。涙が、ポツンとかほりの便せんに落ちると、そこの文字が滲んだ。
 その晩は、徹夜をしてでもかほりに返事を書こうと、急いでハンバーグのTVディナーをオーブンに放り込んだ。ハンバーグ、付け合わせの野菜、デザートなどが、プレス型で仕切られたアルミフォイルの皿にのっていて、十分から十五分間オーブンに入れると簡単にできる食事である。アメリカのインスタント食品である。
 それができあがると、食べ終わるまでの時間がもったいなく思えた。そそくさとたいらげ、ざっとアルミの皿を水で流してから、ゴミ箱に投げ捨てた。
 机の便せんに向かったが、自分の気持ちをどこまで書こうか、またこの前のように逡巡した。
――焦って、自分の気持ちを告白して、それで嫌われたらおしまいだ。それに自宅に手紙が送られてきたからと言って、かほりさんの気持ちがこちらに向いているわけではない。ただ、同情心で、手紙をくれただけに過ぎないだろう――
 竹根は、こちらでの失敗談を含め、アメリカでのビジネスの難しさを中心に、自分の未熟さ、それを克服しようと努力していること、前向きな姿勢を手紙にしたためた。今回は、年賀状をもらった時のように、机に突っ伏して朝を迎えることなく、ベッドで眠ることができた。久しぶりに心地よい眠りであった。

  <続く>

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