以前、「作者が骨身を削って魂を込めて書いたもの」だから「同じように魂を込めて訳さないといけない」というようなことをどこかで読みました。
で、それをモットーにしていたはずなのに、ややこしい言い回しに「もっと素直に書いてよ!」と文句を言うし、後注だの訳注だのは面倒だと不満を漏らすし、どこが魂込めて訳しているんだよ状態になっていたことに最近気づきました。
それもこれも、自分で小説を書き始めてから再認識したことです。ロマンス小説という普段の翻訳とは違う分野ですが、やはり書き上げたときには精神的にすり減っていますし(あ、もちろん、ものすごい達成感&充実感もありますが)、ああ、魂込めるってこういうことなんだなって思います。
原文に向き合う自分の姿勢を考えさせられました。
で、それをモットーにしていたはずなのに、ややこしい言い回しに「もっと素直に書いてよ!」と文句を言うし、後注だの訳注だのは面倒だと不満を漏らすし、どこが魂込めて訳しているんだよ状態になっていたことに最近気づきました。
それもこれも、自分で小説を書き始めてから再認識したことです。ロマンス小説という普段の翻訳とは違う分野ですが、やはり書き上げたときには精神的にすり減っていますし(あ、もちろん、ものすごい達成感&充実感もありますが)、ああ、魂込めるってこういうことなんだなって思います。
原文に向き合う自分の姿勢を考えさせられました。