京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

岐阜・恵那の城。

2010-11-12 10:27:51 | 石垣のある風景(大原以外の!)
9月連休、岐阜旅行の続き。

JRパンフレットの写真に一目ぼれしまして
岐阜旅行の目的は、恵那の岩村城に即決!!!

日本三大山城のひとつ
剛健な石垣が多く残っているとのこと・・・

これは行くしかありません!


旅行二日目午後からたっぷりの登城計画で、
照準合わせて行動していたのですが
やっぱり欲張りがたたって、岐阜市内で思わぬ時間超過

お昼ごはんを食べたのが、もう2時前だったと思います。

天気予報も、午後から曇りのち雨、みたいな感じで
やっぱり雲行きが怪しくなってきました

ホームセンターで、傘4本買っての登城になりました。
(車なんだから、持っていけばいいのに・・・・

で、中央道恵那インターから20分ほどの所にある
岩村町

岩村藩城下町を横目に見ながら、山手に行くと
まず目に入るのが
立派な太鼓櫓です!


(最近再建された建物)

剛健な山城の「岩村城」は、江戸幕府以後は使われてなくて
山麓のこちら周辺で、藩政が行われていたようです。




江戸幕府・岩村藩は、三万石の小藩であったが
勉学に秀でた文教藩として知られていたようで
今、私が読んでいる、漫画「風雲児たち」ワイド版13巻にも
幕府の昌平坂学問所の塾長など務めた秀才として、佐藤一斎など
岩村藩出身者が出てきます

風雲児たち


こちらの建物が
1702年に開設された藩校「知新館」の正門(移築)



佐藤一斎をはじめ、多くの門人を輩出しました。



岩村藩では、知がものを言ったようで
武学が多少出来なくても、勉学を積んでいれば
武学修了と同等の地位が与えられたといいます。





知新館を創設した大給(おぎゅう)松平家の家紋:蔦(つた)

江戸幕府・太平の世をほうふつさせる岩村文教藩ですが
戦国時代は
武田信玄ならびに織田信長の勢力圏のはざまに位置し
天下の権力争いに翻弄された悲劇の地でもあります。
  

 
太鼓櫓・藩主邸からほど近い登城口
「女城主」というのが、なにやら意味深です。

森蘭丸が一時期拝領賜ったとも言われています。

ちょっと艶めいた雰囲気を残しつつ
続きは、次回投稿のおたのしみ~