京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

広島わがまま旅行 その1。

2010-04-03 22:43:36 | 妻!日記
2週間前の
実家帰省時の旅行の話。

久しぶりに若!(主人)が実家について来てくれたので
今まで母子連れでは行けなかった場所に行くことにしました。

で、せっかく行くのだから
おばば(母親)も連れて、泊まりがてら行こうかなと考えました。

とりあえず
若!の休暇を3泊(4泊でもいいと言ってもらえた)頂いたので
すぐさま、楽天トラベルで宿を検索し

県北のスキー場近くの
コテージに泊まることにしました。

北広島町芸北
県内有数のスキースポットです。

旅行のちょっと前、まさかの寒波到来で
広島地方に雪が降り
たらーり冷や汗を流しましたが
なんとかOK(というか、雨なんですけど

今回の旅のテーマは
ずばり、ふるさと懐古でした。

ネットで検索したら
すぐさま情報は手に入るんですけど
耳年増になるばかりで、かえってもどかしかったんですよね

この年になると
中学時代まで過ごした田舎が無性に懐かしくなり

さらに一際執着があるのが
食べ物

昔食べたアレをもう一度食べたい
どんな味だったっけ?
似たようなものを買ってきては
あ~でもない、こ~でもない
もっと甘かったやら、なんとか
やっぱり、アレが一番だったな、もう一度食べたい
などと思うわけです。
夢に何度出てきたことか
妙にリアルで、商店街の中の場所も分かってるのに
たどり着けない・・・そんな夢を見ます。



そんな切ない思いを断ち切るためにも
若!に頼んで、連れてってもらうことにしました

思い出の場所は
安芸太田町
もっといえば旧・加計町

私が、中学まで過ごした土地です。

楽しい思い出いっぱいで
でも、幼いがゆえに決まりの中でのみ生きてきた窮屈な所でもあり
でも、悩みらしい悩みもなくて
まだ勉強もまじめにしてたから、挫折を知らない
やっぱり良いところでした。

今思えば、何が一番良かったかって
「田舎だから、ものが入りにくい」
強烈な都会への憧れ・田舎もんのコンプレックス
テレビや雑誌で仕入れた情報から膨らむ想像・・・
そういう意味で、田舎者は向上心が強いと思いますし
どうにかして手に入れようと、あれこれと模索していました。

たとえば、当時流行ってたスーパーマリオのカセットを買ってもらったり
(田舎のおもちゃ屋の店頭にはたぶん並ばない)
マクドのポテト
DCブランド(服は手に入らないから、せいぜいハンカチ)
などなど

買ってもらった時の、天にも上るほどの喜び
忘れられません。

今の時代は、なんでも手に入るから
今の子供たちは、こんな気持ちになることはあるのだろうか・・・
そう思うと、可哀そうかな、と思います。

我慢をして、窮屈な思いもするからこそ
願いがかなった時の喜びが何倍にもなるんですよね。

そんな思いをたくさんしてきたのが
この場所でした。



(わがまま旅行一日目)
朝は9時に実家を出発して
広島東インターから、山陽道・中国道経由で
30分ほどで加計スマートインターに到着

こんなに早く着くなんて
時代の進化
21世紀の到来を実感しました。

(スマートインターの無い頃は、隣町のインターを経由していました)

懐かしの町のスーパーで
コテージ泊の晩御飯の食材を買って行きました。

スーパーの基本的間取りは変わってなくて
懐かしかったです

悪ガキ気取りで友達と行ったゲームセンターで
若!と子達が遊んでました

その後
たぶん安芸太田町で一番有名なお店
タイ焼のよしおで
タイ焼とたこ焼きを大人買いし

たこ焼きとは、こういう味であるべし
というのを確認しました。

(タイ焼はネットで買えますが、たこ焼きは現地買いのみです)

この界隈のお店
全部そうなんですが

幼少時に味わった食べ物が、味覚の基礎になってるんですよね。

タイ焼は、ここのタイ焼の味
たこ焼きも、ここのたこ焼きの味

ソフトクリームはあまり買ってもらえなかったけど
すごく美味しかったのを覚えてます。

そして
この町に来て
一番行きたかったのが
福間 パンやさんです。

保育所・小中
給食のパンにもなっていたので
保育所時代から馴染んだ味
(脱脂粉乳ミルクとアンパン・サンライズなど)

ここのパン屋が
何度も何度も夢に出てきて
そのたびに、「食べれない!」ところで夢が終わってしまう・・・

こちらは、ネット販売・ホームページもなかったですし
情報何もなし・・・

どうしても現地に足を運びたい!と思ったお店だったのです。

かなり雨脚がきつくなってきて
いちいちお店に立ち寄るのも億劫になってきたところでしたが

路駐して
私だけがお店に行く段取りでお店に向かいました。

しかし

お店屋さんは、店舗を改装されていて
入り口は普通の民家に・・・

てことは、すでに引退された、ということか・・・

上には、確かに「福間」の看板が残り
あ~、そうなのか

15年前は営業されてたけど

時の流れを強烈に感じたのでした。

懐かしい土地と
反面
お腹すいた~と騒ぐ子達と
その騒音に、過去を回顧するゆとりもない自分

いや~年をとったな~と思います。

同級生に会っても、わかるかな
気づいてもらえるだろうか

高校の同級生の記憶は乏しくなってきてますけど
こちらの旧友は、まだフルネームで思い出せます・・・

みんな年をとってるんだヨネ・・・



中学校も建て替え
えらい立派な建物になり、後輩たちが歩いていました。
(あの子達の先輩なんだヨネ~)

玉手箱をひっくり返したような気分でしたが

さらに追い打ちをかけたのは
こちらでした。



結構な雨の中
社会見学に出かけた私たち
        


アーチ式ダムでは
日本第二位の規模を誇る
温井ダムです。



住んでた近くに建設事務所があり
小学校では、なんどかダムの説明を受け
「あなたたちが大人になる頃に完成します」と言われ
本当に出来るのか、半信半疑だった
温井ダム

当時の説明では
日本で9番目とか言われてて・・・(すべてのダムの中でかな?)
17歳くらいで出来ると言われて
でも、計画が遅れたのかな
私が20歳ごろ完成しました。

心の中では
「やっぱり、そんな夢みたいなダム、出来るわけがないや」と思っていて

だけど、完成したんだ、と思うと、感慨ひとしおです。
 


それにしても、雨がすごい

人もいない

結局、私たち以外の人は
警備員さん含め、5人以下しか見なかったぞ・・・

もったいないといえば、もったいないが
暖房完備・とてもきれいな建物のダム資料館を見学し
ダムの成り立ちなどを勉強しました。
(というか、雨のせいで、せっかくの遊具で遊べず、超ヒマだったんです)



温井ダムは、多目的ダムとして造られ
最大の目的は、貯水
広島市内をはじめ、瀬戸内海の島嶼部にまで給水しています。

そして、特に建設のきっかけとなったのが
このダム流域の豪雨水害でした。

私も、何度も経験しました。

ダムを作って、治水能力を向上することが強く望まれたのでした。



資料館前のエレベーターで
ダムの地下部分に降りれるようになってました。



そのうち
都市伝説・怪談でも生まれそうな場所



長女は、心細くなって、若!に抱っこです。



ダム資料館が右端
 
地下に降りて、地図の左下まで移動します。



ダムのアーチは
削った山の、堅い地盤に支えられているらしいです。

資料館では、掘削事業についてビデオを見ました。

工事では、
綿密に計算された計画の遂行
ひたすら地味な作業の積み重ねだったそうです。

近所にあった工事事務所は
幼い私たちの目には、牧歌的でのんびりしたイメージに写りましたが
壮大な計画がなされていたのですね。



とにかくデカイ






下流部は、懐かしい滝山川
川遊び・自転車で飛ばした思い出が蘇ります。



小学校高学年?の夏のキャンプで
見学に来た時
「あの山のアソコ(印があった)までダムが出来ます」
なんて、説明を受けました。



ダムが本当に出来た事実にも、びっくり
そこで、こうやって子達が遊んでいるのにも、びっくり

初めてこの地に来た
若!と子たちには、どのように写ったことでしょう。