物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

痛み

2018-01-31 15:12:23 | 日記

思想家の西部邁氏が入水して亡くなったと新聞報道で読んだ。どうして入水することを選んだのかわからなかったが、どうも病気による体の痛みに耐えかねてのことだったらしいと聞いた。

自死を選ぶなどどうかと思っていたが、そうなら仕方がなかったかもしれないと思ったりした。私は現在のところどこかが痛いということはないが、やはり痛みに耐えることができるという自信はない。多分、こんな痛みに耐えて生きるくらいなら、死んだ方がましだと思うに違いない。

痛みというものは耐えたしてもそれがよくなる見込みがあれば別だが、痛みがなくなる訳ではないならば、耐えるべきものかどうかはわからない。単なる痛みという肉体的な問題だが、なかなか難しい問題をはらんでいる。


やるべきこと

2018-01-31 11:46:03 | 日記

がなかなか進まない。私は基本として自分のしたいことをしているのだが、それでもときどき人の期待に応えて仕事をしなくてはいけないこともある。ところがその仕事が思ったほどはかどらない。

もっと時間を使ってやらなければならないのだろうが、それにしても時間がかかる。なんでも自分で納得できないと浮世の義理の仕事も進まないのである。

もともと仕事をするのが遅いということもある。だがそれだけではないのであろう。自分がする仕事はまずは自分が納得しないといけない。ところがそれに意外と時間がかかるという現実がある。

仕事が嫌いだということではなくて、そういうことがある。


Levi-Civita 記号と一般化されたKronecker のデルタ

2018-01-30 15:30:37 | 数学

Levi-Civita 記号と一般化されたKronecker のデルタについての数学エッセイまとめたいとここ数日思っている。しかし、なかなか構想がまだまとまらない(注1)。

なぜこれが重要かと言えば、Levi-Civita記号の縮約した公式がよくベクトル解析で使われるが、それと一般化されたKronecker のデルタとが関係している。もうずっと以前にそのことについて数学エッセイを書いたのだが、それをもう一度見なおしをしたい(注2)。

実は、上に書いたエッセイを書いたが、その内容が私にも十分にはわかっていなかった。それで再度調べたいと思った。それだけではなく、最近Taha Sochiという人が書いた "Principles of Tensor Calculus" という本を購入したら、その本の第4章に Special Tensors という章があり、これらの関係についても書かれている(注3)。

それで、また始めに述べたことをまとめておく気になった。もっとも本を購入したのは冒頭に述べたことをしたいと思ったから購入したのであった。そのことが出ているのではないかと思ったのはアマゾンコムでこの本の表紙の写真が出ていたのだが、その表紙に出ている数式からこの本には一般化された Kronecker のデルタについての記述があるのではないかと見当をつけた。その表紙に一般化された Kronecker のデルタの式が出ていたので、そう考えたのだが、本当にそうであった。

(注1)前に書いた数学エッセイを改定をはじめてはいるが、中途で頓挫している。

(注2)『物理数学散歩』(国土社)掲載のエッセイ「テンソル解析の学習における問題点」に述べられている。私が知る限りでは他には穂苅四三二『テンソルの理論の理論と応用』(生産技術センター、1977)でしか一般化されたKronecker のデルタについての記述を見たことがない。

(注3)Taha Sochiさんは "Tensor Calculus Made Simple"(Great Space, 2016) という本とその演習書も出版している。こちらはどちらももっていないが。

(2018.6.12付記) 応用上と教育上ではすでに「数学・物理通信」1巻2号に掲載の「Levi-Civita記号でベクトル解析の初歩を 1」に書いたことで尽きている。また「数学・物理通信」4巻1号に掲載した「ベクトル代数再考」も参照されたい。後者はベクトル代数に限れば、Levi-Civita記号は不要という話を書いている。

「数学・物理通信」をインターネットで検索すれば、名古屋大学の谷村先生のサイトにすべての「数学・物理通信」のバックナンバーがリンクされてある。

(2020.12.23付記)
「Levi-Civita記号とベクトル解析」をその後「数学・物理通信」9巻9号(2020.1)に書いた。これがLevi-Civita記号とベクトル解析について私の書いた最新の記事である。

これらの記事の改訂はいまのところまだ行われていない。

アインシュタインのメモ

2018-01-30 12:44:59 | 日記

1月28日の朝日新聞に「天才からの贈り物」という記事があった。これは1922年にアインシュタインが日本にやってきたとき、宿泊した帝国ホテルの彼の部屋のベルボーイにチップ代わりに渡したメモが多額で競売で売れたという話である。

ここでお伝えしたいことはその話の内容ではない。ではなくて、その記事についていたアインシュタインのメモの文章についてである。新聞記事ではアインシュタインの写真の右横にそのメモの写真があった。ところがこの写真が小さくて、なかなか文字が読みとれない。「ルーペはあるかな」と妻に聞いたら、「あそこにあるよ」とありかを教えてくれた。それでその文章を読み取ろうとしたのだが、なかなかわからなかった。

その日本語の訳は新聞に出ていたので、ようやく判断して読みとったのが次のような文章である。

Stilles bescheidenes Leben gibt mehr Gl"uck als erfolgreiches Streben verbunden mit best"andiger Unruhe.   Albert Einstein

(シュティレス ベシャイデネス レーベン ギープト メア グリュック アルス エアフォルクライフェス シュトレーベン フェアブンデン ミット べシュテンディガー ウンルーへ)

カナで表記した発音はドイツ語を読めない人のための単なる手がかりだから、少しおかしいのは我慢をして頂きたい。

この訳は新聞に出ていたのでそれをそのままここに書いておく。

    「静かで質素な生活は、絶え間ない不安に駆られながら成功を追い求めるより、多くの喜びをもたらす」。

いかにもアインシュタインらしい警句とも思える文章である。

「質素な」をbescheidenという形容詞を使っているとか、「不安」をUnruheとか言っているところとかがなかなか読みとるのが難しかった。今週のドイツ語のクラスでこの文章について話題にしてみたい。私はbescheidenは「控えめな」という意味で覚えていた。「質素な」という訳語からはschlichtとかいうような形容詞を予想したのだが、違ったようだ。

ちょっと自信がないのは形容詞とか動詞の語尾変化が正しくないかもしれない。これは私のドイツ語力の限界である。

(注)erfolgreiche Streb をerfolgreiches Strebと書いていたが、いま辞書を引いたら、Strebは女性名詞だったので、形容詞語尾のsを落とした。としていたが、もとにerfolgreiches Strebenに戻すことにした。これはドイツ人R氏の指摘による。

私が一時的にerfolgreiche Strebとしたのは、独和辞典でStrebが女性名詞だとみたからであったが、実は Streb は「支柱」とか「はすかい」とかと訳語であるので、「努力」とかいう意味はない。

独和辞書を引くとstrebenという動詞があるが、これが「努力する」という意味を持っている。それを名詞化したものが Streben である。動詞を名詞化するとドイツ語では、すべて中性名詞となるということを知っていれば、R 氏の指摘がわかる。なんだか面倒な説明だが、こういう説明を R 氏から聞いたわけではない。ここらあたりは私の判断である。

さらに、mit best"andigen Unruheを mit best"andiger Unruheと形容詞語尾を修正した。Unruheは女性名詞だからである。ここら辺はなかなか難しい。

bescheidenという語の代わりに私の思いついた「質素な」というドイツ語はschlichtであった。この語のことに触れたら R 氏は「schlichtにはちょっとネガティブなニュアンスがあるかもしれないね」と言われた。

 


オイラーの公式の導出

2018-01-29 17:58:29 | 数学

とはいってもテーラー展開を使わないでという条件付きでどう書いたらいいのだろうか。これはオイラ―自身の発見法的方法によるしかないといま思っている。

「オイラーの公式の導出いろいろ」というタイトルですでに「数学・物理通信」に7つか8つの方法で導出法のエッセイを掲載しているが、その多くが微分積分の知識を使っている。

オイラーの自身の発見的な導出という節で書いたことをまとめるしかないかと思っている。だがこれでも極限の考えをつかったり、三角関数の近似を使ったりしている。だが、あからさまに微積分を使っていないところがいいかもしれないと思う。

(2018.1.31付記)  この「オイラーの公式の導出いろいろ」のエッセイは「数学・物理通信」に掲載している。関心のある方はインターネットで検索して読んでください。名古屋大学の谷村さんのホームページにリンクして掲載されている。

 


ワイル粒子とワイル磁性体

2018-01-29 13:43:19 | 物理学

ワイル磁性体と言われる合金Mn3Snは私の元同僚であった、冨吉昇一さん(元愛媛大学教授)がその磁気構造を中性線で決定したという謂れのある物質である。その磁性体の中にワイル粒子を実験的に発見して、その量子力学的な特性から新しい機能をもった材料として期待されているということを最近知った。

 

研究会か何かに冨吉さんは招かれて、Mn3Snの磁気構造等について講演をしたと先週の土曜日に話してくれた。

 

ワイル粒子とは質量が0の粒子であり、ながらくニュートリノがそうではないかと思われてきたが、ニュトリノ振動の存在からニュートリノには質量があるということなり、その候補から外れたといういきさつがある。

 

ワイル粒子とは1921年にヘルマン・ワイルが提唱した方程式にしたがって記述される粒子であるとのこと。物質内でワイル粒子は異なるカイラリティ(右巻き、左巻き)をもつ対となって発生して、それぞれの磁石のN極とS極とに相当する点(ワイル点という)を形成するとのことである。2015年にヒ素化タンタル(TaAs)で半金属状態の物質中(ワイル半金属)でワイル粒子が発見された。

 

ワイル粒子については何十年も以前に「弱い相互作用」の本で読んだことがあるくらいの知識しかない。その本にだって、ちょっと触れているくらいだったような気がする。

 

要点は、小さな磁場で大きな電流とかをつくることができたりするようで、ワイル粒子を用いて駆動する新しい材料の開発がされると新しい大きな応用分野が開かれるということで注目を集めているらしい。

 

 Mn3Snは廉価で毒性もなく、大型の単結晶も容易に作成が可能だということで、注目されている物質である。磁気構造は冨吉さんが探求して徹底して研究がされている。またその理論も磁気理論の大権威であった永宮武夫先生が関与された論文が出ている。



(2018.1.30付記) 愛知の S さんから添字の入力の仕方を教えてもらった。S さん有難う。これで添字がついた文字の入力ができるようになった。これはhtml言語の一部のコマンドである。私はhtmlを学んだことがなかったので、少し敷居が低くなった。


日曜日の書評欄

2018-01-29 11:49:32 | 日記

新聞の書評欄はもちろん読者に本を勧めるためでであろう。だが、前にも書いたかもしれないが、ほとんどそれでその本を買ったり、図書館で借りたして読むことはない。

しかし、もし別の人生を私が歩んだとしてそのその本のおもしろさに引かれて人生が、または自分の考えや人生観が変わることもあるかもしれない。そういう可能性を感じさせられるので、毎週の日曜日は楽しみである。

書評はもちろんその本を紹介することを一番の目的だろうが、それだけではなく、それを書評した人の人生観も底から透けて見える感じがすることもある。やはり全人をかけて書評だってするからなのであろう。

私がある出版社から数学の本を出したときにその出版社の社長さんから言われた。理系の書籍は特別なものを除いて、新聞の書評欄で取りあげられることがないので、あまり一般的な人に読まれることがないのだと。

その出版社は有名な吉田武さんの『オイラーの贈物』(海鳴社)を出版した会社である。その後、この書は絶版となり、他の出版社から出されているが、3万部を売ったという。


聴覚的人間と視覚的人間

2018-01-27 16:56:04 | 日記

私はあまり視覚的な人間ではない。これは私のブログには写真がまったく出ないということからもわかるであろう。だが、その視覚的な欠点をおぎなうのかわからないが、聴覚的ではある。

これは私の眼があまりよくないということもあるだろう。多くのブログでは写真がたくさん掲載されている。ある人のブログでは庭にくる鳥かどうかはわからないが、野鳥のきれいな写真とか花のきれいな写真とかがたくさん出ている。野鳥とか花とか、はたまた、きれいな夕日とかの風景をよくもこまめにとってブログに載せてくれる人が多い。

ブログを書く人はどの人も多分に勤勉であると思う。イタリア在住のある主婦の方とか、札幌在住の方とか、大阪府の高槻市在住の方とか愛知か岐阜に在住の方とかはすべて文章も書かれるが、写真もたくさん掲載されている。一番最後にあげた方以外は女性である。一般に女性の方が感性が豊かなのであろう。

それらのある方は私のブログに訪問の記録を残してくださる方もある。私自身はかなり自己本位の自分勝手な考え方だったり、生き方であったりするが、やはりお互いさまであって、私自身も人さまのブログを楽しませてもらっているという側面は無視できない。

そういうことにようやく気づき始めた今日この頃である。

 


物理におけるアナロジー

2018-01-26 12:36:31 | 物理学

というタイトルで、講演をしたことがある。高校の先生方と教育についての討論会をしていたころで、講演を頼んでいた物理の先生が急に講演ができなくなった言われたので、しかたなく急遽日頃考えていたことを項目として挙げて数十分の話をしたことがある。

もっともこれは自分のいつも考えていたことであって、あまり突っ込んで考えていたことではない。

その書類が先日トンネル効果のメモを探していたときに出てきた。項目の総数は21もあるので、それをここにすべて上げるわけにはいかないが、今回は力学に関したところだけを挙げて見よう。

1.力のモーメントと角運動量

2.並進運動の方程式と回転運動の方程式

3.解析力学の正準方程式

4.力学系振動と電気回路の振動方程式

これらは実は方程式を書いて説明をしないとわからないのだが、それはここはブログなので失礼をしたい。いつか機会があれば、「数学・物理通信」で述べたいと思っているが、それがいつになるかは予想がつかない。

このブログのタイトルが「物理と数学:老人のつぶやき」である割には物理への言及はとても少なく、圧倒的に数学への言及が多くて、どうも看板に偽りありと言われそうな気がしているので、申し訳にこの文を書いた。


運転免許証自主返上の促進

2018-01-26 11:57:08 | 日記

するには、自治体が自主返納をした人に交通輸送手段の料金を補助したらいいのではないかという話を妻から聞いた。これは高齢者が高齢で車の運転をしていることによって起る交通事故とかその被害を少なくすることに貢献した方がいいのではないかという理由からである。

これは一理がある考えである。しかし、人的被害とか経済的被害があまり大きいと考えられないとすると、自治体はそういう免許証の自主返納者に公共交通機関への半額補助とかをしないだろう。

その辺の経済的、または人的被害の大きさがどうかという話にはなる。車を手放すと、途端に便利さを手放すことになる。そのためにそれに代わる交通手段がないと簡単に免許証の自主返納するわけにはいかない。

田舎の方で生協とかスーパーマーケットが車で食品とか生活用品を売りに来るというところもある。これは徳島県とかにそういう会社があるとか聞いたことがある。しかし、ある人の言では、そういうのはおもしろくはないという。自分でスーパーマーケットのお店に買いに行くほうがずっと楽しいのだという。それはそうだろう。なかなか難しいものである。

高齢になったら、田舎に住むことをやめて町中に住んで、買い物にも病院にも歩いていけるようなコンパクト・シティという構想もある。しかし、そういうことができるには収入があり、かなり裕福でなければそういう生活はできないだろう。自治体の政策としてそういう費用を支出することなど多分できないであろう。もっとも自治体の経済政策としてペイするかどうか検討する必要はあろう。

タクシー乗り合わせ運動というのもあるらしいが、町に出かけるときには帰りには一緒に帰ることができないなどの不便があるという。また、タクシー乗り合わせにしても自宅の前まで来てくれないと実際には機能しないという。

これらの話は、すべて妻が先日会合に出たときに聞いて来たことであるが、自治体の吏員のみなさま、いい方法を考えて頂けませんか。

ひょっとしたら、これは経済学者の政策として実現可能性を検討すべきことなのかもしれない。


雑談会での話

2018-01-25 18:08:36 | 日記

を何にするか。ここ数日それを考えてきた。

前にも書いたかもしれないが、再度項目だけでも述べておこう。

負の数の導入はa*(-1)=-aであるから,実軸上の正の数が原点Oのまわりを180度回転して負の数となり、負の数はすべて逆に正の数となる。ところで-1の演算は-1=i^{2}であるから、* i * i である。* iという演算を2回繰り返して-1、すなわち180度の回転となる。したがって、i の演算は90度の反時計まわりの回転となる。(ここで、* はかけ算記号の代わりに使っている)

これは数 1 に i を演算したときだが、これは一般の複素数 a+bi に i をかけた、-b+ai について複素平面上にこの点をプロットして見れば、すぐにわかる。これは原点と、-b+ai および ai でつくる三角形が原点と、aとa+biでつくる三角形とからどのように回転して得られるかをみればよい。(もちろん、a+biを (a,b) とベクトルと考えて回転行列を使って証明してもいい)。

つぎに、複素数の極座標表示について触れる、三番目にe^{i\pi}=-1であるから、これが原点のまわりの180度の回転をすれば、1が-1になることを示した式であることを述べる。もちろん。ここでオイラーの公式が必要だが、それの直観的な意味がわかることとなる。

さらに、数学史の上では虚数 i の意義が認められるようになったのは3次方程式の解で、実数解だが、Cardanoの公式をそのまま使うと複素数の表示を経由して実数解が得られるという例があるということを述べる。

最後に、四元数の導入がされるきっかけとなったのは i 以外に複素平面に垂直な平面上に i と同じ役割をする j とHamiltonが名づけた虚数単位 j があることの発見であった。それで i と j との積とかが「3元数」の積から出て来て、それを考えているうちに、3つ目の虚数単位 k がどうしても必要になったということを述べる。

もっとも数学をあまり普段使わない人も出席者のなかにはいるので、ここらあたりは単なるお話となる。関心を抱いた方には、詳しいことはすべてすでに「数学・物理通信」に掲載されているので、それらのバックナンバーをインターネットで検索して読まれたらいい。


Fun, Fun物理

2018-01-25 17:34:34 | 物理学

とかいうサイトができており、人気があるようだ。

この中に「ベクトル解析」で押さえておくことと、いったのがあって、それは何を言っているかと思ってちょっと覗いてみたら、gradはスカラー量に演算する、divとrotとはベクトル量に演算するというようなことが書いてあって、なるほどなと思った。なんにでも学ぶべきことはあるということである。

まだ、中身はそれほど高度ではないのかもしれないが、これから発展していくサイトであろう。期待したい。


県立図書館のカード

2018-01-25 14:26:13 | 日記

をどこかへしまってしまったので、それがどこへ行ったかと探していたが、わからなかった。

あるとき自分のカバンを見たら、その中に一つ落ちていた。それで思い出した。国会図書館の貸し出しカードと県立図書館の貸し出しカードを自分のカバンの小さなポケットに入れておいたのだ。

大抵かばんは持ち歩くので、財布にこれらのカードを入れておいて、財布が厚くなるのを避けることのできるいいアイディアだと思ってそうしたのだ。ところがどこにしまったか忘れてしまって貸出カードを再発行してもらわなくてはならないかなと思っていたが、その必要はなくなった。

やれやれ。


最近は何をしているのだろう?

2018-01-25 11:46:33 | 日記

と思うが、私にしてもそれほど怠けているわけではない。もっとも怠けていたとしても普通の高齢者として別になじられることでもないけれども。

だが、年を取って来るにつれて、自分の意見に固執したりするようになっているかもしれない。それは要注意だが、それもまたよしとする気持ちも一方ではある。

ここ数日はトンネル効果の計算とそのまとめに明け暮れた。やっと一つのまとめのノートをつくったが、それをさらにパソコンに入力しておく必要があるのと、計算の途中で生じた疑問点をもう少し計算を進めて矛盾なくいくかどうかを調べておきたい。これが昔の講義ノートを引っ張り出してくる契機となったのだから。

それに、今週の土曜日に話す予定の複素数の導入と関連した話題についてのメモも今日中くらいにつくっておきたい。先日夜にコタツに入ったままテレビを見ながら、その骨子を紙片に書きつけておいたが、さてどうしたらよいか。


『理科系の作文技術』

2018-01-24 15:13:39 | 科学・技術

『理科系の作文技術』というのは物理学者の故木下是雄さんが書いた、中央公論社が1981年に発行している中公新書の1冊である。

この本についてある話を聞いたことがある。それは出版社の編集者がある人に語ったことである。その人は中央公論社から中公新書の1冊書くことを要請されているという。

その人に編集部員はこう言ったそうだ。「『理科系の作文技術』は30年で100万部が売れたんです。私たちはそういう息の長い出版を目指しているのです。すぐにベストセラーになる必要はないのです」。

『理科系の作文技術』は私も1冊持っているが、あまり読んだことはない。だが、卒業論文を書こうとする理系の学生たちが買って一度は参考にする本であろう。この手の本としては最近では結城浩さんがちくま学芸文庫として出版している本があったりする。

言い方が悪いがこういうモノはある種のhow to本であるが、やはりこういう本で勉強できると論文の書き方が違ってくるだろう。how to本がバカにはできない理由がここにある。