物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

川上の赤バット

2013-10-31 10:23:08 | スポーツ

川上哲治さんが93歳でなくなった。

私は川上のファンではなかったが、その人気は私たちの世代の小学生にはすごかった。

あまりにも川上は人気があったので、なんでもそういう一番人気のある人のファンとなることをよしとしない私は彼のファンとはならなかったが。

私が10歳くらいの頃である。川上は私よりも19歳も年上だが、そういうことで計算すれば川上はまだ30歳になってなかったことになる。

川上とか青バットの大下とかの人気があったし、私がファンだった藤村富美男とかが活躍をしていたころであった。

藤村にしろ、大下にしろまた阪神にいた別当だとかは川上よりははやく亡くなったが、川上は93歳まで長生きをした、幸せである。

「打撃の神様」という称号は私の小学生のころにはもう定まっていたと思う。凝り性の人で打撃のセンスも天才的であったろうが、それだけではなく努力の人でもあったらしい。

こういう人にはかなわない。人並み外れた打撃のセンスもあるのに、その上にさらに努力できるというのだから。

戦後の野球界で川上の赤バット、大下の青バットと言われたが、当時はテレビがあるわけではなく、ニュ―ス映画でみることができたくらいである。それもいまのようなカラーではなく、白黒ニュース映画である。

日本シリーズのV9はたぶんこれからも破られない記録であろう。だから破天荒の天才肌だし、努力の人、凝り性の人である。

プロ野球を引退後は少年野球の指導をされたことでも有名である。これは私たちのようないわゆる老後ではないが、現役の後の生活を有益な生き方をされたという点でも私たちのお手本にしたい人である。

ご冥福を祈る。


日展の入選数

2013-10-30 12:33:52 | 日記・エッセイ・コラム

今日の朝日新聞に日展の書の分野の篆刻部門で入選数が派ごとに割り当てられていたとの報道があった。

文展時代から数えると今年は106年目であるという。日展の応募の分野がいくつあるかは知らないが、どの分野にもそういうことはあるのだと思われる。

思われるとしか書けないのは書の篆刻部門でようやく密かにある審査主任の発した文書のコピーが新聞社の手に入ったからわかったが、そのほかの分野ではそこまで秘密を公にする人がいないと思われる。

そしてそのような慣例をおかしいとはその分野の人は考えては来なかったからだと思う。それで文展以来の日展の歴史が始まってようやく100年にしてその一部が公になった。

この指令とか申し合わせがおかしいのかどうかは立場によってちがうだろう。多分に誰が見ても文句なしに入選する価値のある作品はもちろんあるだろうが、そこまで秀逸ではないが、それ相応に優れた作品中には互いに甲乙つけがたい作品はあるだろう。

そのときに派ごとの入選作の数が決まっていれば、その選考に一定の基準が得られることになる。ところが他方では応募者個人にとっては競争相手の作品よりは自分の作品の方が優れていると思いたいものだし、実際にそう思っている人も多かろう。

そのときに派ごとの入選作数が決まっているとすれば、それは公平でないとの不満の原因となる。それらのことをどう考えるのか。

しかし、公平とはなかなか決めにくいことではある。もっともそれだからと言って、派ごとにあらかじめ入選作数が決まっていることをよしとすることはできないだろう。


天声人語より

2013-10-29 15:41:20 | インポート

数日前の朝日新聞の天声人語に、こんな言及があった。

画家の山口晃(あきら)さんは天声人語氏を「すごい絵を描く人」とうならせた。以下は引用である。

山口さんによれば、絵の中途半端なうまさは鼻につく。いやらしい。それなら下手な方がましである。うまい人は、うまさが鼻につかないくらい突き抜けたうまさに達しなければならない(『ヘンな日本美術史』)。これは絵の世界に限ったことだろうか。恐ろしいことをこともなげに言う人である。

以上は、そのままの引用だが、考えさせられる。私のやっていることなどなにをとっても「中途半端なうまさ」にまでも達していないだろうから。


いつものことだが

2013-10-29 11:31:06 | 日記・エッセイ・コラム

『ドイツ語圏とその文化』を発行しようとしていることはいつかこのブログで述べた。

そして、昨日その最終稿をつくったが、それをプリントして昨夜読んで見たら、これが最終稿だなんてとんでもないということがわかった。

これはいままでトナー切れが怖くて、全体をプリントして検討することをしていなかったせいもあるが、それにしても私の頭の粗雑さは自分でもあきれ果てる。

しかし、それにしてもそれが自分自身であるのだからしかたがない。ということで昨夜ボールペンでまたまた赤で大いに修正を入れた。

こういうことを何度も何度もしているのだが、自分の頭の粗雑さは度し難い。出来上がったと外部に宣言してからのこの失態である。

もっとも友人のR氏から共同編集者として名前を出してもよいという、許可を得たので文章を手直しする必要ができた。

もう一度修正をしよう。


困難を克服するには?

2013-10-28 12:07:09 | 日記・エッセイ・コラム

どんな人でも困難に出会わない人はいない。

それは簡単なものなら、生徒の数学の宿題の問題を解くことであったり、また仕事をもっている人なら、自分の携わっている仕事の業績をどうしたら上げられるかであろう。

これはどれもやさしくはない。宿題の問題を解くにはその解き方がわからなければ、テクストをよく読んで、関連した定理の証明のしかたとか例題の解き方からヒントを得るのであろう。もちろん学習参考書に書かれている、いくつかの手法を使ったりする。

比例式がでてきたら、その比をある定数としておき、それを条件として使うなどとは大抵の人が 代数についてどこかで学んで知っている。

しかし、仕事の業績が不振に陥ったときにはどうしたらいいかは誰も教えてくれない。そこで私ならどうするかを考えてみると、まず自分の関わっている仕事がどうして不振に陥っているかの理由を調べてみたり、考えてみる。

なんでもある現象が起きたときにその現象が起こる理由がある。ただ、理由なしに単にある現象が起こるということはない。

その理由がわかれば、つぎにはその理由というか障碍が除去できるものか、除去できないものかの判断がいる。もし除去できるものならば、その除去につとめればよい。

しかし、大体はその障碍を簡単に除去できるものではないであろう。そのときにはその需要があった分野をいままで適用されて利益を上げていた分野から別のまだ需要を感じていない分野に振り向けて新しい需要を掘り起こせないかを考えてみるとよい。

それで一時的にしのぐことができれば、当面の業績の保持をすることができるだろう。

だが、多分に構造不況の場合にはもっと抜本的に考え方を変えねばならない。そのときには前のブログで述べた手法、今までの経験とか技術が部分的に使えるが別の分野に転進できないかと考えることである。その手法が役立つかもしれない。

現在では10年くらいは業績を上げられた業種がそれ以上の年数にわたって業績を上がられるということはほとんど期待できない。会社員には普段の研究というか勉強が必要であり、会社に勤務している人も絶えず自分を向上させていなければ、30年から40年の会社勤務もできない。

技術評論家だった、星野芳郎氏は彼の著書で述べている。小さな改良には原理の変更が必要ではないが、大きな技術の発明には原理の変更が必要であると。

私見では小さな改良を積み重ねることも大切である。そしてそれでも越えられぬ壁があることが判明したときにようやく人は新しい原理を必要とするのである。


将来生き残る産業は?

2013-10-28 11:00:47 | 社会・経済

先日のドイツ語のクラスで「将来生き残る産業は何か(Was f"ur Industrien bleiben noch in der Zukunft?)  」という議論がドイツでしきりに行われているという話が出た。

その一つに運送会社(Bef"orderungsunternehmen)があるという。これはSF映画のスタートレックでは人間などもビーム転送(beamen)できるが、このようなことは現実にはいくら技術が進んでも実用化するとは思えない。

これが困難であるのは物質をエネルギーに変えて再度そのエネルギーを物質に戻すということができないからである。それは情報がすぐに電波で世界中を駆け巡ることとは全く違っている。

そうすると実際にトラック、バス、船、航空機、鉄道等でモノを運ぶ必要はなくならない。いや、モノだけではない。人をも運ぶ交通手段でもある。

妻によるとだんだん人の移動は少なくなるだろうとはいうが、それでも全くなくなることはなかろう。

自宅で勤務して働くということがもっと一般化するかと思ったが、それはそれほどは一般化していない。もちろん、補助的には自宅での勤務もできるようにはなっているとは思うが。

将来まで残る職業はやはり医療、教育、介護に加えて交通運送業であろう。教育はすでに無料のインターネットの講座がどんどん普及しているが、それでも私は人と人とのつきあいとしての学校の意義を低く見るつもりはない。

医療は人間が生きていくために必要不可欠だし、老齢になれば、必ず介護のお世話になる。

ある業種が構造不況に陥ったときにそれから抜け出す方法はなかなか難しい。愛媛県今治市では昔綿織物が盛んであったが、それは他の地方の綿織物産業に地位を奪われてしまった。

そして、今治では綿織物に近いが、それとは違う、タオルの製造に特化して、成功をしている。これは構造不況に陥った業種や分野の脱出とか展開のための一つのやり方を示している。

すなわち、今まで持っていた、技術経験を生かしながら、それでも違った分野への進出を意味している。これは一つのヒントであろうか。


武谷三段階論の実感

2013-10-26 13:33:24 | 学問

科学史の研究者の武谷「三段階論」の評価は人にもよるのだろうが、科学史の実証的な研究者にはその評価は余り芳しくない。

ところが一方では科学の研究者を中心にしてその評価は高いと思う。この落差はどこにあるのだろうか。

私は科学史の研究を主とするものではないので、残念ながら実証的な学風の科学史研究者の意見を支持することができない。

これは科学史の研究として武谷三段階論は確かに成り立っていると思っているということではない。あるいは広重徹が「科学史の研究からは武谷三段階論を正しいということはできない」という、指摘は本当かもしれないとまで思っている。

だが、一方で科学の考え方の新しい一面を開いたということと、それを使っていろいろ考える自分がいるという事実から武谷三段階理論の評価は来ている。

だから、武谷の文献を読んでこれは本物だと思ったとかということではない。または広重の論文を読んでその主張が間違っているとか思ったということでもない。もちろん、直接に広重が三段階論について触れた論説には不満があるのは事実である。しかし、間違ってはいないのではないかと思うところもある。

しかし、そういう話といま現在私が実感としていることはちょっと違う。そうではなくて何かものごとにあたって自分がその困難を克服しようとするときに自然に三段階論的に考えることが多いという、それだけである。これは厳密な意味ではない。

だから武谷は新しい一つの考え方を提供したのだという評価をしている。

もともと、武谷三段階論は大いなる誤解から来ているかもしれないが、それにしても新しい科学の考え方を与えたことは事実である。


30代は新しい20代ではない

2013-10-25 12:45:46 | 日記・エッセイ・コラム

またまたTEDの話題で申し訳がないが、なんとかいう方のTED講演で「30代は新しい20代ではない」という主張を聞いた。

20代をむざむざと過ごさないようにという、ある心理カウンセラーの忠告である。いかに20代が大切かということがわかったが、それにしてももう人生の大半以上を過ごしてきた、私にはもうどうしようもない。

せめて80代は新しい70代ではないとでも言ってくれれば、なんとかしようがあろうが。

と、こうここで愚痴を言ってもしようがない。多分「80代は新しい70代ではない」というのもまた真実なのであろう。

「40代は新しい30代ではない」というのも真実であろうし、また「50代は新しい40代ではない」というのも真実であろう。もっともこの手の文句を繰り返すとなんだか陳腐になってしまうから用心用心。

人間というものは政治思想史家の姜さんではないが、何年生きてもその意味など分からないものだと思う。それでも人生が無意味だとか思ったことはない。


真飛聖さん

2013-10-24 11:31:27 | 日記・エッセイ・コラム

真飛聖さんをお見かけする機会を逃した。

私はよくは知らないのだが、彼女は宝塚歌劇のトップスターだった人である。その人が歌劇団を退団した後で、最近までNHKの「テレビでフランス語」に出ていた。

その放送を私の傍でときどき見ていた妻が品川のPホテルのロビーで彼女を見かけたという。

ちょうどそのときロビーで子どもたちと妻がいたときに顔が身長の割に小さく感じられる背の高いきれいな女性が現れた。それが真飛さんだったらしい。

ちょうどこれから夕食に出かけようしていたが、外は雨だったので傘をとりに私は部屋に帰っていたのだった。

妻が後で、「シャンソンを歌っていた人と会ったよ」と話してくれたので、真飛さんだろうとわかった。

私がそこにいたとしてもうまく思い出せたか、わからない。

世の中では「テレビでフランス語」を見ている人は少ないだろう。だが、それでもその視聴者と放送の出演者が出会う確率はそれほど低いわけではない。


ドイツ語圏とその文化

2013-10-23 13:06:38 | 本と雑誌

本と雑誌に分類したが、これはどこかで入手できる雑誌ではない。

「ドイツ語圏とその文化(DACHL und Ihre Kultur)」はいま私が発行しようとしている、PDFの文書でメール送付予定のサーキュラーである。

DACHLとは比較的新しい語かもしれないが、Deutschland, Austria, CH=Confoederatio Helvetica, Liechtensteinを意味する。CHはスイスのことである。

「ドイツ語圏とその文化」は季刊であり、春、夏、秋、冬の発行を予定している。

投稿を受け付けるつもりだが、当面は誰も投稿をしてくれないだろうから、編集発行人である私が原稿を書いて発行する他はない。

そのうちに他の人々に認知されてくれば、投稿はあるであろう。こういうものは絶対誰かに無理に原稿を頼んでも無理であろう。そうではなくて自発的に投稿されるようでなくては長続きはしない。

これは「数学・物理通信」を発行をしていることによる経験である。こちらのサーキュラーは現在すでに3巻7号が準備万端が整っており、12月になれば、すぐ発行できると思う。

むしろ私の関心は3巻8号が12月中に発行できるかどうかである。

「ドイツ語圏とその文化」に話をかえせば、「特殊相対性理論とミンコフスキー」という原稿を書いて数人の方に読んでもらっている。

そのうちR氏からはいくつかの点でコメントをすでにもらった。それに対しての原稿の変更はすでにした。ところが、それ以外に自分でちょっと怪しげな点が出てきたのでそれを検討しなければならない。

もっとも一番読んでもらって、意見のほしかった、Kさんからはまったく返事がない。少し難しすぎたのだろうか。そんなことはないはずだが。


都会は疲れる

2013-10-23 12:38:14 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の午後東京から帰って来た。

飛行機で70分くらいの旅であり、事故さえなければ、飛行機の旅は楽でこんなにいいものはない。天候は良くまったく揺れなかった。

松山に帰ってきたら、晴れていて天気がよかった。自宅に帰りついて、数日の不在でたまっていた、新聞を読み、コタツ机の前で居眠りをした。夜はできたらテニスに行くつもりであったが、昼食をとった後で、疲れていたらしくまた眠ってしまった。

それで夜間のテニスはパスとなった。思ったよりも疲れが出たようだった。

同窓会の出席が主な行事であったが、妻の両親のお墓参りもしたし、子どもにもあったし、数日のうちにすることが詰まっていた。

同窓会に関して言えば、東京近郊に住んでいる、秀才連は一部を除いて出席はなかった。O, H,N君等の秀才たちは来なかった。S君,もう一人のO君は先回も出席していたから、同窓会に出席することは秀才かどうかは関係ないかもしれない。

I 君には50年ぶりくらいに会ったが、はじめ誰だかわからなかった。格好のいい人がいるとは思っていたが、声をかけずにいたら、I 君だとわかった。

小学校のころに彼の家で宿題をしたことを覚えている。創造性に富んだ、なかなか頭のよい方である。慶応大学を出てから、経理一筋に生きて来られたと聞いた。


読まれた回数

2013-10-19 16:32:14 | インポート

この30日間でブログが読まれた回数であるが、トップの項は別としてLos Alamosというブログが50回を越えている。

なぜなのであろうか。

つぎは遠山啓『数学入門』(岩波新書)である。これが36回と次に多い。これははまたどうしてなのだろうか。

最近、遠山さんの本が復刊されたと聞く。それは私がもっていなかった本なのですでに注文をしてあり、本屋には届いているらしいがわたしはまだ取りに行っていない。

そういうことも理由かとは思うが、なんでもアクセスが多いということはそれなりに理由があってのことだと思っている。

『数学入門』の下巻を読んだのは10年くらい前のことで、上巻はそのときに読むのは2度目か3度目であった。

だが、下巻は拾い読みはしていたと思うが、きちんと通読したことはなかった。最近、サイエンスナヴィゲーターの桜井 進さんがネピア数 e について連続複利法という考えで、朝日新聞に書いていたが、その元ネタは遠山さんの『数学入門』だと思う。私は他ではこのような 数 e の導入法を読んだことがない。

いや別にけしからんとかそういうつもりは全くない。なんでも一般の人にわかりやすく書くということは結構難しいのだから。


明日は上京

2013-10-19 12:50:28 | 旅行記

明日から東京に行く。

21日に高校の同窓会が東京である。先回の松山での同窓会のときに東京近辺の同期生たちは会の前にどこかに集まって絶対に東京または関東ブロックでは同窓会を引き受けないと気勢をあげていたらしい。

ところが実際に会である方が、出席者の希望を聞いたら、圧倒的に東京開催の希望が多かった。

それで世話人を引き受けた方がそこで観念をしたらしい。それでそのA君が東京で引き受けますという意見の表明がされた。

今度の同窓会が最後の同窓会だという同期生もおられる。しかし、実際はどうなるかは私にはわかならない。

東京や大阪に住んでいる同期生のいい分では故郷で同窓会をすれば、そのときにお墓参りをしたりとするから、出身地かそうでなくてもその近くの町で同窓会をしてほしいのだという。

それはそれで筋は通っているが、世話人を引き受けたくないだけともとれる。実際はどうかは私にはわからない。

松山での同窓会の世話人を引き受けたときでも熱心に電話をかけて引き受けてくれという、小学校以来の同期生がいて、その彼の要望をなかなか断ることが難しかった。

そして、こういう世話はだれでもできそうだが、ある程度事務能力が必要である。それと世話することを嫌がらないくらいの気安さをもたない人はできない。


ブログを書くのを忘れた

2013-10-19 12:33:49 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は他の仕事に忙しくてブログを書くのを忘れた。

帰宅する前に今日はブログを書くのを忘れたとようやく気がついたが、もう十分遅くなっているので改めて書くのを止めた。

昨日は数学・物理通信3巻7号の著者からの要請で修正をした。それだけではなく、「ドイツ語圏とその文化」という新しいサーキュラーのこれまた修正をしていた。これは友人でドイツ語の先生でもある、R氏のコメントを考慮して書き直しをはじめていた。

その前にR氏にコメントについての説明のメールをドイツ語で書いていたのだ。だが、別にドイツ語が私が得意なわけではない。それで適切な言葉を思い出さないということがあった。

それで少し辞書を調べたりしたが、それでも適切な言葉を見出したわけではない。でも、そういう経験をもつことも大切なので、あえてチャレンジした。


情報とその悪用

2013-10-17 12:02:58 | デジタル・インターネット

googleで検索するといろいろな情報が出てくる。それを悪用しようとするといろいろ悪用することもできるだろう。

それは私のように単純な頭の持ち主には想像がつかないようなことである。だから悪用ができるだろうということしかわからない。

一方、このインターネットの情報はもう少し精度のいい情報を得たい場合には役に立たないことが多い。もちろん手がかりを与えはするが、それくらいにしか役立たない。

私は武谷三男の著作目録をつくったが、国会図書館の書誌情報でも十分でないことが多くて、結局自分で彼の著作を購入したり、大学の図書館で実際に本を手にとって見たり、そのコピーを図書館の遠隔サービスで取り寄せたり、場合によっては国会図書館に出かけたりした。

私はそれほど頻繁に国会図書館に出かけたりすることはないのだが、それでも数回そこへ出かけたことはある。そしてそこでコピーを依頼したときに著作権の保護のために本の武谷が書いた部分のページの半分しかコピーが提供されなかったことがある。

法律的にはそれが正しいのだろうが、なんだか私には意地悪をされたように感じた。もちろんこれは私の主観的な思いであって、法律的には図書館の方が正しいに違いがない。