物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

anonymous

2012-08-31 12:35:22 | 日記・エッセイ・コラム

anonymousは「匿名の」という意味である。この言葉が示す概念がいろいろの影響を人々に及ぼしていると妻から聞いた。

もっとも妻もどこかのテレビでのある識者の受け売りであるらしい。AKB48が人気であるが、それもひょっとしたら、このanonymousと関係がないでもないと聞くとどうしてと思ってしまうのは私がオジンのせいであるだろうか。

どういうことかというと、最近ではTwitterというものが流行っているので、うっかり自分の本心を友だち(これが親友であっても)にしゃべってしまうとそれがTwitter等で流されてしまうのだという。それでうっかり本心をいうとそれに反対の人とかがいて、攻撃されたり、誹謗中傷されることも多いのだという。

そうすると、うっかり親友でも自分の本心を明かしたりしてはいけない。当たり障りのないAKB48の前田敦子さんのAKBからの卒業等についてよかったとか、話しておくのが無難なのだという。

ここでのキーワードはanonymous(匿名)ということである。誰から漏れ出た話なのかとかいうことの責任追及など、できない。その上に誹謗中傷とか悪口雑言は匿名であり、批判される者はその批判に対しての申し開きもなにもできはしない。

これでは亀のように自分の殻に籠もり、ひたすらに自分を守るしか方法はない。インターネットによって情報が公開されてなんでもわかる時代になったが、これがある意味ではよかったが、別のある意味では新たな大きな問題を引き起こしているということになる。

そしてその利点はまた大きな短所となって、人を自殺に追い込んだり、またはそこまでは行かなくても人を社会的に抹殺することも可能である。そしてそれがanonymousであることから生じている。

一人ひとりの悪意は大したことではなくても多くの人の一言ずつが大きな影響を与えるということが起こりうる時代となってしまった。お互いに心すべきことであろうか。


台風の影響を脱す

2012-08-30 11:29:36 | 日記・エッセイ・コラム

台風の影響かここ数日曇った天気で蒸し暑かった。湿度が高いために気持ちが悪かった。それに風が吹かない。

それが今朝もそうだったが、いま空が晴れてきて、風が吹き始めた。いつものような西風(海風)ではなく、東風(山風)ではあるが、空が晴れてきたので、湿度がすこしづつ下がるであろう。

風も心なしか湿度が下がっているように感じる。台風自身は沖縄を除く、日本列島を直撃するということはなかったが、それでも二つの台風の影響を受けた天候だった。

そろそろ暑かった8月も終わりに近づいた。もちろん9月もまだ暑いのは承知しているが、それでも気分だけでも少し晴れやかになるだろう。

3,6,9,12月は私たちの発行している数学・物理通信の発行月である。今度は2巻34号であるが、およそこの号の原稿の用意ができている。9月のはじめには発行できるであろう。


わからないことが・・・

2012-08-29 12:27:40 | 数学

ある簡単な式をテイラー展開をしようとしている。もっともこの式は1次式なので2次以上の係数はないので、簡単であるはずだ。

ところが、二つの方法のうちの一つの結果がおかしい。それがどうして間違っているのかわからないから、困っている。間違いであることだけは確かなのに。

こういうことがときどき私に起こるようになった。以前にも不等式のことで間違いを起こしたことがある。このときは後で考えると不等号が負であったのに、それを正と思い込んでいたために間違いを起こしたのに、それに気がつかなかった。

今度はなぜかその理由がわかっていない。奥歯にものがはさまったようで、どうもすっきりしない。

(付記) 数学・物理通信2巻4号の原稿の準備ができつつある。今月も積み残しの原稿がいくつかできそうである。


2012-08-28 12:02:21 | 健康・病気

薬というと、「やく」と読んで麻薬のことをいうこともあるが、ここでは普通に「くすり」と読んでほしい。

腕がかゆくなって、掻いてしまうものだから、そのために昨日皮膚科に行った。それで塗り薬と飲み薬とをもらったのだが、飲み薬は眠くなるから、飲んでから車の運転をしたり、機械を操作したりしないようにと注意書きがついている。

これはこの飲み薬を飲むなと言っているに等しい。塗り薬で十分なのだが、医師はそれ以上の処方をしてくれたわけである。これはまったく合法なのでこの医師がけしからんとか思っているわけではないが、どうも過剰に医療をしてくれるという気がしている。

その傾向は別にこの医師だけの問題ではない。日本全国どの医師も大なり小なり似たようなものであろう。

これは日本では国民がほとんど健康保険に加入しているので、逆にそのシステムに寄りかかる人たちが出てくるというわけである。もちろん、明らかな過剰の医療はいけないことだし、医療費の抑制のためにも慎まなくてはならない。だが、どんな場合にも必ずグレーゾーンが存在し、かならずしも過剰医療だと言えない領域がある。

話は突然変るが、アメリカなどは最近まで国民の健康保険がなかったので、高い治療費を払わなければならなかった。それがオバマの政府で曲がりなりにも国民の健康保険の制度が整った。

ところが、今度共和党の大統領候補になるロムニーは大統領になれば、この健康保険制度を廃止するといっているとか。ビル・クリントン政権では当時の大統領夫人であった、ヒラリーがやはり国民の健康保険の制度を充実させたいというのが、念願であったが、それはかなわなかった。

それがオバマの政権で実現した。ところが、それが元の木阿弥になろうとしている。それでもロムニーが大統領に当選するのであろうか。もしそうなら、アメリカという国も日本に劣らずおかしな国ということであろう。

別にアメリカに敵意などは抱いていない。だが、その独立独歩の姿勢に敬意を抱きながらも、やはり弱い人たちをシステムとして助ける気があまりない国は本当のところはどうなんだろうと疑問の念を抑えられない。

本当の貧困層には無料で医療を受けるシステムが完備はしていると聞くが、そこまでではない人々を放っておいてもいいはずがないではないかと思う。だから国民に健康保険の制度ができたことはやはりアメリカという国にとってよかったと私は判断をしている。

それがどうなるのだろう。それは11月の大統領選挙で決まる。


双海へ行く

2012-08-27 13:02:26 | 日記・エッセイ・コラム

土曜日の夜遅くに妻が東京から帰ってきて、私もようやく徳島科学史研究会の例会を終えてほっとしたのが、昨日の日曜日であった。朝早く目が覚めたので、お昼を食べた後で2時間くらい昼寝をしてしまった。

16時ごろになって妻にドライブに行かないかと言ったら、どこに行こうかというので双海の海浜パークに出かけた。昼間は夏休み最後の日曜であったために、たくさんの海水浴客が訪れたと思われたが、私たちが到着したときにはもうそれほどの人でもなかった。

そこのレストランで簡単な少し早めの夕食をとり、その2階のレスラトンから海を眺めた。松山の方の海を見たら、風があったために、空気が澄んで見えて、島がたくさん重なってあることに気がついた。

前に行ったことがある、二神島はブラジャーをひっくり返したように見えるのだと二神島の住民の知人が教えてくれたと妻が言っていた。

二神島は愛媛県だが、もうここは広島県境にとても近い。この島の古文書を調べて、研究をしたのはあの有名な歴史家の網野善彦さんであった。夏休みになると網野さんはこの島に来て民宿に泊まり、古文書を調べ、わかったことを夏休みの終わりにこの島の住民を集めた会で話をしてくれたのだという。

そういうことで、その知人は網野さんをとても尊敬していた。これは自分の研究の成果をそのお世話になった島の住民に直ぐにお返しに話をするという、その姿勢に強く打たれたのだと思う。

米の収穫高を基準にして決められる、その当時の島の租税はあまり多くはなかったが、海産物の収入等で島はかなり裕福だったらしいと古文書からわかったというようなことを話してくれたらしい。

若いときの公式マルクス主義的な日本史研究を恥じて、その後は歴史そのものに虚心坦懐に聞くという風な、歴史研究をされた網野さんの日本史研究は今では高く評価されている。

思わぬ風に話がそれてしまったが、帰りは妻のお好みのスポット、伊予灘サービスエリアに立ち寄り、ソフトクリームを食べながら、瀬戸内の島に沈む、日の入りをながめ、松山市の市街の明かりがぽつぽつと目につくようになっていくのをながめた後、帰途についた。


徳島科学史研究会終わる

2012-08-25 22:28:16 | 学問

愛媛大学理学部で行われた研究会がようやく終わった。

実際にとり組んだのはこの数日ではあるが、それでも気になっていた、この行事が終わった。懇親会まで終えて、いまようやくお役御免である。

もちろん、この会を組織した西條先生の尽力はいうまでもないが、今回は友人のEさんの尽力が大きかった。彼の尽力なくしては会が行われることはできなかったろう。献身的に彼の貴重な時間を割いてくれた。

そういう意味では私はいつもいい友人に恵まれている。前のときには友人のOさんとWさんとが尽力をしてくれた。私自身はあまり人とのつき合いのいい方ではないが、それでもいい友人に恵まれていると感じている。

そういうことを感じたのは実は昨夜寝ながらに感じたことであり、その事実は本当である。献身的に利害を抜きに尽くしてくれる友人や知人がいる。こんなに嬉しいことがあるだろうか。

それは私の日頃のつき合いの成果とも言えるが、基本的には私とつき合いのある方々の人柄によるのであろう。ありがたいことである。


パワーポイントとプロジェクター

2012-08-24 10:20:03 | デジタル・インターネット

パワーポイントとプロジェクターで、プレゼンの様子が変った。

もう10年以上まえになるが、パワーポイントを使って私の研究室の学生に大学の卒論の発表をさせたときにはまだ学科の他の研究室の学生はパワーポイントを知らず、OHPを使っていた。

ところが、つぎの年になるととても遅れた数人の学生だけがOHPだったが、他は全部パワーポイントになっていた。

それからはパワーポイントが普通になり、いまでは写真も図も数式もまたもちろんパワーポイントで見せてくれる。それだけプレゼンの技術は発展している。

昨日、一昨日と愛媛大学理学部に出かかけて8月25日の研究会のプレゼンのための準備でパソコンとプロジェクターとの接続でパワーポイントの画像がうまく出るかを試みたのだが、どうしたものかうまくいかない。昨日は学生のK君が手伝ってくれたのだが、うまくいかない。そしてその対策がわからなかった。

途方に暮れていたのだが、携帯でK君が検索してくれて、その対処法がわかり、なんとか8月25日の研究会の準備が整った。

それに時間をとられたので、私の講演のパワーポイントの原稿がまだできていなかった。それで、仕事場に泊まって、昨夜1時過ぎになんとかパワーポイントの原稿をつくりあげた。もっと時間がかかると予想していたのだが、思ったよりは早くできあがったので、胸を撫で下ろした。

一昨日、友人のEさんと話をしていたら、いまではパワーポイントではなく、PDFの文書をそのままプロジェクターで写すことができるようになっているらしい。PDFの文書だと数式もlatexを用いて簡単に書けるので便利だ。

このころは講演を聞いてもきれいな図や写真入で、視覚に訴える講演ができる。それでもTEDカンファランスでやられているような、プレゼンの工夫はいつでも、もちろん必要ではあるのだけれど。


一期一会

2012-08-23 13:17:54 | 日記・エッセイ・コラム

一期一会とは茶道の言葉である。

お茶をたてて客人に茶室で飲ませる。それだけの単純な行為だが、その行為は一生に一度しかないような不思議の縁だという。

ところで、妻が「歌声エコーズ」という、月一回歌を歌うグループを主宰している。

大手町の喫茶店「路」で一月に一回水曜の午後集まって、歌集本から、好きな歌をリクエストして、一緒に歌っている。私自身は一度もその場に出席したことはないのだが、そういうグル-プができている。

会員の資格とかはまったくない。すなわち、誰かすでに来たことのある会員の紹介があれば、誰でも参加できる。

もともとは松山市民劇場の一つの趣味のクラブとして発足したらしいが、いまでは市民劇場のクラブ活動ではない。

その会に先回と、先々回、私たち夫婦の知人である、Kさんが参加されたが、昨日の会には出て来られなかったらしい。それで、昨夜妻がどうされましたかと電話をかけて様子を聞いたら、最後にみんなが手をつないで歌うのが「子どもっぽすぎる」とのご意見であったらしい。

Kさんは、医師の、優秀な方であり、そのいうことは一応その通りであろう。しかし、妻はそれに対してこう答えたそうだ。

実は私たちの会はなんでもない会のようだが、急に来られなくなった方があり、お家に電話をしたら、先日亡くなりましたということを知ったり、ご主人が病気になって看病で外に出られないとかいった出来事が常に起こっている。

それで、なんでもない集まりのようだが、「一期一会の集まりなんです」と。だから、手をつないで最後に歌うのはそういう事情まで含んでいる。

歌の会に集まる方々はほとんど女性であり、またその音楽を担当してくださる田附里英先生も献身的にキーボードを弾いて下さっている。それもボランティアである。

そういう優れた歌の指導者を気安く使っているというのも本当はすまない話ではあるが、いつも先生のご好意に甘えている。

そして、田附先生の歌の魅力に引かれて、だんだん参加者が多くなっている。また先生のご提案でときどき比較的気楽に歌の合唱の会に参加することもある。

しかし、そのようなことはあってもほとんど会に参加することによるなんらの拘束はない。参加したときにコーヒーなどの自分の飲物を注文してその代金を支払うだけである。定常的に会費を払うことも必要ではない。

もっとも会計の計算の都合上で、飲物代に加えて一人数十円の負担をお願いをしているらしいが、それにしてもこのせちがらい今の世には珍しい、お得な歌のグループである。

そして月に1回のこの会に出てきて、ご自分の生活の気分展開をはかっている、年配の女性はなんと多いことだろう。


円周率の決定2

2012-08-22 12:39:44 | 数学

バビロニアの数学での円周率の決定のことだが、昨日のブログに付記をしたのでそれでいいのだが、今日は書くこともないのでちょっと述べておこう。

円周率そのものは室井さんの求めた3.15でいい。彼にはもうわかっていることなので、新しいことではないのだが、私のわからなかったのはつぎのことであった。

ある近似ではあるが、円弧とその弦で囲まれた面積はその円弧の中心角が120度であると、その面積Sは

S=(b/7)(2a-b)

と表される。ところが室井さんの発見したバビロニアの数学でのこの同じ部分の面積の式は

S=b(a-b)

であった。

あまりに見かけが違いすぎるので、私はどうしてこの二つの式が等しいのか不思議に思った。それで数日考えたのだがわからない。

そのうちにこの二つの式が等しいとすると円周率が決められるということがわかったので、それを求めてみると室井さんのいう通り3.15が与えられることがわかった。

それでも上の二つの式が等しいことはどうしてかわからなかった。それで円の半径がある値のときには上の二つの等式が成り立つが、他の円の半径のときにはその近似が違っているのではないかと思うようになった。

それで半径を変えて、同じ近似で計算をしてみると私の予想に反して、数値的にぴったりとこの二つの式の与える式が等しいことを計算で見つけた。

それではこれらの式は中心角が120度という、ある特別の場合ではあるが、等しいことを代数的に示せるに違いないと思った。

それで、二つの式の違う部分を等しいとおいて、その式を簡単にしていくと、

5a=6b

が成り立つことがわかった。

もともとのa/bの比の正しい式で円周率として3.14を代入してその値を求めてみると1.19・・・できわめて1.2に近いことがわかった。

いま中心角が120度の場合のa/b=6/5=1.2が近似的に成り立つ。ではこの条件を用いれば、二つの式の等しいことは証明できるはずだし、また、実際に証明できる。

以上が、私のお粗末な経験であった。世の秀才の先生方にはこんなことは自明なことであろうが、自分で納得することの難しいことを知った昨今であった。


円周率の決定

2012-08-21 11:00:29 | 数学

このところ私の知人からバビロニア数学で使っていた、円周率の数値が3.15であったということについてのエッセイというか小文が送られて来ている。

話は中村滋さん(東京海洋大学名誉教授)の雑誌「数セミ」(旧数学セミナー)のコラムの原稿が武藤 徹先生(数学思想史研究家)のところへ送られてきたことから始まる。

もっともその前に中村さんは「バビロニアの数学」(東京大学出版会)の著者室井さんの最近の数学史の論文を読んでコラムを書いたらしいから、その源は室井さんまで遡ることになる。

その経緯はともかく、武藤先生は中村さんのコラム原稿を自分で計算して解説を試みる、エッセイを書かれた。武藤先生とはまだ個人的に面識がないが、すでにメールのやり取り等をさせてもらっている間柄であるので、この解説を私にも送ってくださった。

それを読ませてもらって少しづつバビロニアの数学での円周率の決定法がわかってきたのだが、武藤先生の導かれた円周の円弧とその弦とではさまれた(半月形の部分)面積を与える、現在の数学で与えられる式とバビロニアでのわかっていた、と思われる室井さんの発見した式と間にあまりに式の形が違う。

それで、その二つの式の数学での同等性を示したいと数日頑張ってみたが、どうも現在の式からバビロニアの時代の式へと導くことができない。

それでひょっとしたら、円の半径がある特定のところでは一致するが、その他の半径ではずれが大きくなるのかなと予想したので、円の半径を変えて二つの式で面積を計算してみた。しかし、円の半径を変えて計算をしたが、面積は数値的にはぴったりとあっていて、違いはでない。

それで、この面積を与える式の違う部分を等しいとおいて、円周率を計算してみたところなんのことはない、室井さんが推測した円周率3.15が得られるという既知の結果に終わってしまった。やれやれ。

(付記) このブログを書いてから、数時間後に、二つの三日月形の面積の公式の同等性を見つける方法を考えついた。その要点は中心角が120度の場合には円弧aと弦の長さbとがa/b=1.2に近いということがカギとなる。

その後、この顛末は『数学・物理通信』2巻4号に武藤先生の投稿論文の補遺として発表された。


便秘

2012-08-20 11:52:40 | 健康・病気

あまりこのブログで触れたくない話題だが、ここ3週間ほど肩の痛みとか、腕と手の痺れで薬を飲んできた。ところがそれが原因かどうかはわからないが、2週間ほど便意を感じることがほとんどなくなってきた。

それまで少なくとも1日に1回は便意を感じており、トイレで用をたして、そのときだけはすこしばかりだけだが、お腹がへこんでいた。

ところが食べる方は普通に食べるのに出る方があまりでないのだ。それでさすがに昨日には心配になってきた。それにもう肩の痛みもとれているので、薬を飲むのを止めている。

整形外科の先生は肩の痛みや、腕、手の痺れに対応した薬をくれていたのだ。ところがこの中に筋肉の弛緩剤が入っていた。それでたぶん便意を催す筋肉も弛緩されていたのであろう。

それに気がついて、昨日の昼食ごから薬を飲むのを止めてみた。なかなか便意を催さなかったが、さきほどなんとか便意を感じて用をたすことができて、普通に戻りかけている。

そういうことに気がつくのが遅かった。薬はなかなかよく効いて肩の痛みを感じることはなくなった。それで整形外科の先生には感謝だが、他の事も付随して起こることには気がつかなかった。


徳島科学史研究会開催

2012-08-18 12:23:30 | 学問

徳島科学史研究会を8月25日に松山の愛媛大学理学部の4階セミナー室で12:30から17:00の予定で開催する。

今年は私が世話人をしている。これは昨年が愛媛県の当番であったのだが、昨年は徳島科学史会の30周年であったので徳島で2年続けてこの研究会を開いたから1年ずれたのである。

まだ、パソコンやプロジェクターの設置とか借用とかにはいたっていないが、友人のEさんからこの件について昨日メールが入っていた。来週には準備に一度出向かなければならない。

事務局でかつ会の会長さんの西條先生はこの会を30年以上やってこられた方で彼の存在なしにはこの会のことと語れないだろう。今回も現地のお世話は私の責任だが、その他の手はずをすべて整えてくれた。

愛媛大学理学部の粟木久光教授の特別講演が12:35~13:40の予定である。講演は公開されているので、どなたでも参加できる。タイトルは

X線で見た宇宙

である。

愛媛新聞社にこの会の開催の記事の掲載をお願いに行かなければならないのだが、まだ行っていない。

今日かまたは来週早々にも行っておかなければならない。愛媛新聞社には建物の中に入れないのだが、守衛さんに頼んで連絡をしてもらって、担当の記者に1階の玄関のところまで下りてきてもらい、そこで趣旨を説明するという運びになる。

これは先回の松山の開催時に経験済みである。研究会の一般講演の申し込みは9件であり、テーマは多岐にわたっている。

18:00からは場所を代えて懇親会も行われる。


私のフランス語修業18

2012-08-17 13:12:01 | 外国語

私のフランス語修業も今回で18回目となった。不定期に書いているので、最近はいつ書いたのか覚えていない。

今回はちょっと変ったことを書く。とはいっても大して変ったことではないが。今日、NHKのラジオフランス語のアンコール放送を聞いていた。パトリスと国枝先生担当講座である。いつものことでブログを書きながら、聞いていた。

ブログを書き終わったので、あわててテキストを開いてみたら、あまり聞きなれない(見慣れない)言葉を見つけた。それはpendaison de cremaill'ere(パンデェゾン デュ クレマイェール)であった。

テキストの訳だと全体で「新居のお祝い」とあった。ところでpendaisonがどういう意味であり、cremaill'ereがどういう意味か書いてなかった。

大体私は外国語の単語の意味を調べるのに辞書を引くのが嫌いである。最近は年をとってきたせいか以前よりは少し辞書を引く機会が増えてきてはいるが、それにしてもものぐさな方である。

ところが、なぜかこのときはそれぞれの言葉の意味を調べてみたくなった。それはcremaill'ereが火葬とか何かに関係した語ではないかと連想したからである。

これはもう約50年も昔の大学院の学生だったころ、広島に滞在していたイタリア人の開いたイタリア語講座に半年ほど通ったことがあって、そのときにcremareとかなんとかいうイタリア語が火葬するとかいう意味だったことをかすかに思い出したからである。

これはローマ人が軍人として外国に派遣されて闘って戦死したとき、楯の上に載せてその火葬遺体が帰って来るという話を講師のリビオ・アレッシ氏が手のひらの上に棺をおいたジェスチャーをしたのを覚えている。

フランス語はイタリア語と同じラテン系の言語である。だから私の連想はそんなに突飛ではない。実際に辞書でcremaill'ere(クレマイエール)の下にcr'ematoire(火葬の、クレマトワール)とかcr'emation(火葬、クレマシーオン)という語が出ている。

ところで問題のcremaill'ereは「(暖炉の中にかけてなべなどをつるす)自在鉤(かぎ)」だとあった。他の意味もあるが、本来の意味はやはり火と関係があるのだろう。

さて、ではもう一つのpedaison(パンデゾン)の方である。日本語でもペンデンダントという語が使われるから、垂れ下がっているものをイメージしそうである。それでずばりpedaisonの意味は絞首刑とか首つり自殺の意味である。

道理でpendaisonの単独の意味が出ていないはずだ。しかし、pendaison de cremaill'ere全体では絞首刑も自在鉤も関係なく、新居のお祝いという意味で普通に使われているらしい。やれやれ。

つるすという動詞はpendre(パーンドル)という。une pendule(ユンヌ パンデュール)は振り子時計の意味である。

地球の自転を実験室内で実証したことで、有名なフーコーの振り子などもFoucault pendulumと英語でいう。ちなみにフーコー振り子は上野の科学技術博物館の玄関のところで動いている。フーコーの振り子を見たい人はぜひ上野へ行って見て下さい。


消費税増税

2012-08-17 11:11:30 | 社会・経済

先日、国会で消費税の税率引き上げ法案が通った。一つには国の財政予算の半分くらいは国債の発行でまかなっているという現実を見れば、仕方がないのかなと思う。

しかし、現実の自分の生活をみるといまから年間約30万円の消費税を余分に納めなければならないとすれば、いまでも我が家の家計は火の車で年間50万円くらいの赤字が出るのにどうやって生活をして行くのだとは偽らざる実感である。

妻などは民主党が自民党と公明党と組んで消費税の増税したことに対して怒り心頭である。しかし、そうは言っても妻は年金の振り込まれる口座からカードで勝手に生活費を引き出しており、その残高がだんだん減っていくのを気にしている様子もない。

だが、私などは小さくなってどうやって自分のポケットマネーをひねり出すかに、苦心をしている。だから、妻が怒る割には、彼女自身は被害を受けておらず、本当のとばっちりを受けているのは私である。

いつだったか、年間70万か100万円の赤字だとこのブログで書いたところ、東京に住んでいる、子どもたちがびっくりして、大いに問題となったことがある。自分たちが赤字を補填しなくてはならないといけないのかと思ったらしい。

勤めていたときの収入が、勤めを辞めると約1/3になったのだから、定年後の数年はしかたがない。でも現在はもう定年後7年を経過している。それでしかたなく自衛のために、いくつか入っていた学会はたった一つだけを除いて全部辞めた。

購読していた、学術雑誌はだんだん廃刊されていくので、来年からは学術雑誌の購読料を払わなくてもよくなる。一つだけまだ入っている学会の会費も割引料金を何年か前に申請した。

そうやってもなかなか生活費は少なくならない。いや少なくすることには成功しているのだが、やはり病院に行ったりすることが増えてきているからだろう。それでも現在は医療費の負担は1~2割で、支払いは少ない方である。

もうこの年になると、どこかで働こうにも雇ってくれるところはなさそうである。数年前に訳した本の印税は本が売れているのかどうか、払ってもらったのは上巻分が一度だけである。額面は全体では確か40万円足らず支払いであったが、税金を支払いの際に差し引かれているから、3人で分けたら、7~8万円くらいの手取りであった。

下巻の分ももう発行されてからも5~6年になるが音沙汰がない。もっともこちらとしてもあまり印税の支払いはどうなったなどと催促したりするのは好きな方ではない。

それにしても世の中の人はどうやって生活をして行くのだろうか。これは現役で働いている人を除いての話であるが、現役の人にも苦しい人が当然いよう。

富裕税を設けたらなどともいうが、そういう話はなかなか起こらないし、第一そういう富裕な人はあまり税金を納めなくてもいいように税金の安い国に住むことができたりする。企業に高い税金をかけようにも企業は税金が高いと国外に主体を移すという。一体どうしたらいいのか。

などと書いたが、古代のエジプトで幾何学の起源は徴税のためだという内容の、数学・物理通信への投稿原稿を最近受け取ったから、昔から税金をどう徴収するかは問題であったらしい。時代が変わってもなかなか変らない世の中であることよ。


因数分解の公式を忘れたら3

2012-08-16 11:06:57 | 数学

「因数分解の公式を忘れたら」1,2と題するエッセイを書いて、愛数協の「研究と実践」に投稿したのはもう7月のことだったと思う。

それらを並進演算子のエッセイを最近書いたので、一緒に友人の数学者Nさんに送ったら、古いエッセイの方のコメントを昨日郵便でもらった。

私はこちらの方のコメントは求めていなかったが、それでも親切にコメントをくれた。そして、並進演算子の方はもう少しコメントを待ってくださいと書かれていた。

手紙の中にx^{4}+4の因数分解の公式の一般化のコメントを赤字の走り書きでしてくれたみたいだっだ。「みたいだった」というのは実はコメントのいいたいことがもう一つはっきりしないのだ。

それで、仕方なく自分で昨夜考えてみた。たぶん疑問は解決したとは思うのだが、念のためにNさんに電話をかけて8月25日を過ぎたら、話を聞きに行くからと伝えておいた。

x^{4}+4の因数分解の公式を一般化すれば、x^{4}+n^{2}とでもなろうか。n=2ときが件の公式となる。x^{4}+n^{2}は2n=m^[2},m=偶数という条件を満たすなら、因数分解できそうだが、まだきちんと考え尽くしている訳ではない。

そして、このx^{4}+n^{2}の因数分解ができるなら、x^{4}+n^{2}y^[4}の因数分解はとうぜんできるはずだ。

ということで、「因数分解の公式を忘れたら3」を書こうかと考えている。Nさんはこのエッセイを高校の先生に読んでもらったらいいと薦めてくれたが、さてどうだろうか。

また、前のエッセイ1,2にあったミスプリントをNさんが今回指摘をしてくれたので、すでに投稿した原稿を修正する必要ができた。

(2013.3.8付記) 現在までのところ、「因数分解の公式を忘れたら3」は書く途中頓挫しており、完成をしていない。「因数分解の公式を忘れたら」、「因数分解の公式を忘れたら2」とはすでに愛数協の機関紙「研究と実践」に掲載された。もっとも普通の人がこの機関誌に接することはとても難しい。個人的にご連絡を頂けたら、これらのエッセイのpdfの文書をお送りすることはできる。