物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

5月30日

2008-05-31 14:19:34 | 日記・エッセイ・コラム

先日の27日に誕生日が来て、69歳になった。若い頃は冗談で「36歳で死す」とかいっていたが、その2倍近く生きて来た。

長く生きているだけがいいわけではないが、長く生きるのも一つの美徳かと考えている。少なくとも凡人の我々は長く生きて自分にわからないことを少しでもわかって死にたい。またそのことを記録して後から来る人に役立てたいと思う。

死んでしまえば、何かがその人にわかっていようといまいと同じではないかというのは、客観的にいえばそうかもしれないが、主観的にはまったく違う。そこのところが人間の不思議なところである。

ある死生観においては何をやっても無駄という考えもあるが、そこを突き抜けて行くのも一つの生き方であろう。いつもある種の悟りを開きながらも、また大きな未解決の問題にぶつかって行く。それが私の生き方である。


丸亀へ行った

2008-05-29 17:46:26 | 日記・エッセイ・コラム

友人のN先生をを乗せてはじめて丸亀に行った。N先生の先生であるKさんの奥様に会うためである。自宅を9時すぎに出て、丸亀には12時前に着いた。

Kさんのお宅は丸亀の駅前にほど近い5階建てのビルであった。そこから昼食にレストランへ出かけ、その後お宅で数時間お話をして17時になったので、車に乗り松山へと帰った。19時にはNさん宅につき, N先生を届けて自宅に帰ったら19時30分であった。

結構遠出ができることがわかったが、疲れた。


ぐち

2008-05-27 11:39:55 | 受験・学校

この季節になるといつもぐちが出る。講義の内容がわからないという学生が何パーセントか出るのだ。今年はそれほどパーセントが多い訳ではないが、それでも内容がわからないというアンケートが出るのだ。具体的な質問なら説明のしようがあるが、一般的にわからないといわれても対処のしようがない。

私が学生のころに先生に言われたのは「わからないところがわからないという学生には対処のしようがない」と。

いま私の方で分からないという学生の分からないところを推測をしていろいろ説明をするのだが、一向にわかったとはいってくれない。また積極的に学生の方からそれもどこがわからないかを示すこともしない。これは一部の学生の話であってもちろん全体の話ではないが。

だから、本当にわからないことを分かろうとしているのかという疑問が出てくる。授業というのは分かろうとしない人にはわからないものだ。いつも馬を川岸に連れて行くことは出来るが,そこで馬に無理矢理に水を飲ませることは出来ないというたとえを出す。

どんな人にでも分かるところはあるはずだ。その分かる境のところをつきつめていけば、分からないところがはっきりしてくる。そういうアドバイスをしてみようか。


「数学ガール」3

2008-05-26 08:06:23 | 数学

いま、読み終わった。とはいっても最後の方は読み飛ばした。それでも3日かかった。それに2日前の晩は深夜の2時半頃まで読んでいたので昨日は体がだるくてしっかりしなかった。

学んだことは昨日書いたバーゼル問題と下降べきの積の記号を知ったことと微分と差分の定義の対比くらいだろうか。

ただ、一挙に一般的な場合にとは進まず常に特殊な場合(たとえば数が0とか1とか2とかの場合)を調べてから進むというところをこれを読む人は学んだらいいと思う。私などの老人は「考え方」の藤森良夫先生の学習参考書で「小手調べ」という語でこのやり方を教わった。

母関数の方法もこの本のように自分でつくるという考えはいいと思う。私たちはなんでも偉い人が考えたことを覚えるということにあまりにも慣れすぎているから。


続「数学ガール」

2008-05-26 08:03:47 | 数学

バーゼル問題というのを初めて知った。ツェータ関数の和の求め方の一つなのだが、なかなか求め方はみごとである。私は小説としてよりもむしろ数学の本として読んでいるが、バーゼル問題については知らなかった。

このころはオイラーのことが話題となってそういう本がかなり出されている。だからそれらの本をいくつか読めば知ることができたのだろうが、残念ながら知らなかった。

あまり整数とか数についての性質は私には興味がない。それで素数が無限にあることの証明とかは飛ばして読んだ。まだ最後まで読んでいる訳ではない。


「数学ガール」を読む

2008-05-24 11:59:29 | 数学

結城浩の「数学ガール」を読んでいる。いま半分くらいのところか。convolutionというところだ。積分の話かと思ったら、積分の話ではなかった。もっとも章末のまとめを見たら、積分のconvolutionとの関係があることがわかった。また母関数を積極的に使っているところもいい。私などのようにLegendre関数の母関数というような無粋なものを取り上げてはいない。

結城さんが自分の数学の手法を公開されたものだと思われる。これは高校生が読んだら、多分数学に開眼するのではなかろうか。数学の本では事実は書いてあるが、それをどのように導いたかはあまり書いていない。それを惜しげもなく公開したというか、自分の考え方というか解きほぐし方を示している。

取り上げているテーマがあまり難しいものにならないように心がけているのだろう。なかなかできないことである。どうしても難しく書きたくなってしまうものだのに。とはいっても高校数学プラスアルファはある。第一convolutionなんて考えは高校では使わないだろう。後の部分が楽しみである。


四川大地震と生活資金

2008-05-23 12:26:52 | 国際・政治

四川大地震で多くの人が亡くなった。いたましいことである。新聞の片隅にこれらの被災者へ中国政府が当面の生活資金を与えたということが出ていた。これで思い出すのは阪神大震災のときに政府は被災者にはじめ援助をしようとしなかったことである。

あのアメリカでも地震の被災者に生活資金の援助をしていないのだから、ましてや日本は援助できないとかいう論理だった。ところがサンフランシスコの大地震のときにアメリカ政府は被災者に生活資金を出していたということは昨年亡くなった小田実の著書で明らかになった。アメリカではtax payerの危機はアメリカの危機という捉え方が徹底しているらしい。

その後、小田たちの運動によって事後的にいくらかは国から援助が出たのではあろうが、それはとても限れられたものであったことは否めない。今度の四川大地震でも多分少しくらいの生活資金をもらっても、生活の場所や根拠を失った人たちの痛手はとても癒されるものではなかろう。しかし、とにもかくにもすぐに生活資金を出すという国とあくまでも自立という名の放置をする国家との違いは大きい。

これは中国という国が理想的な国だとかいい国だとか言うつもりではない。そういうことではなくて国の政治の態度の問題だと思うのである。一旦税金を徴収すれば、それをどう使うかは国会で決めればいいことでtax payerの国民文句を言われる筋はない。そう思っているのではないかと思えるような振る舞いを多くの国会議員はしている。

確かに間接民主主義の国であるから、ある程度はそのような面があるのは仕方がなかろうが、それは野放図に許されるわけではない。その辺の自己規制が足らないのではないか。


湯川朝永シンポジウムの会議録

2008-05-22 12:26:17 | 物理学

PTPのSupplement no. 170(湯川朝永生誕百年のシンポジウムのproceedings)が昨日湯川記念館から届いた。

朝永さんとのつきあいの回想をした、小柴さんの話と南部さんの話を読んだ。知らない言葉が多く、辞書を引き引きの読書であった。

深夜の2時頃までかかって読んだ。同時に坂田モデル50周年の記念の会議のproceedings(PTP supplement no. 167)も同時購入したのでこちらの方も少しだけ読んだ。

IOO対称性の導入についての話は大貫さんの話が詳しいが、これは素粒子論研究に彼が書いたものほど詳細ではなさそうである。

私の先生の一人である沢田さんの話はPTPのonlineで前に読んだことがあるので、今回は見ることもしなかった。R大学に勤めておられたFさんの退職のときの回想記録と沢田さんの回想というで、彼らの物理観にこれで触れたことになる。

後はもう一人の私の先生であるYさんの話とこれは狭い意味の先生ではないが、広島大学の素粒子論研究室と関係の深いWさんの話を聞けば、おおよその昔の広島大学の素粒子研究はわかることになろうか。

(2014. 7. 23 付記) Yさんに私がしたインタビューは素粒子論研究の終刊の一つ前くらいの素粒子論研究に掲載されたので、後はWさんの話を聞くことが必要であろう。

先々週のNHKのEテレ放送「原子力 科学者は発言する」で武谷さんの関係で元気に出演されていた、京都大学名誉教授の町田 茂さんもこの時期の広島大学素粒子論研究室のメンバーであった。

彼の話も聞かなければならないのだろう。


社会主義の復権 ?

2008-05-21 11:33:20 | 社会・経済

南米に社会主義的政権が続々と生まれているとこの間みた新聞に書いてあった。社会主義国であったソ連が崩壊したのが1989年だったか。ベルリンの壁は1989年9月だから10月だかに崩壊をした。

それは単に物理的な壁の崩壊というよりはもう精神的に束縛を受けたくない、自由を希望した人の量的増加によっていたと思う。経済的にも社会主義が成り立って行かなくなったという感じであった。

社会主義国家が崩壊したのはその理論が崩壊したというよりは官僚制や小回りの利かなさといった実務的側面が大きかったと思う。また、市場経済社会国家の方が豊かだとの情報がインターネットで流れるといった技術面の進歩も大きかった。

そしてこの社会主義国家ソ連の崩壊は社会主義の敗北と言われたが、それはしかしアメリカの宣伝というかいわゆる西側国家の政治家や資本家のPRの気が強かった。その後グローバルスタンダードと称するアメリカの攻勢によって資本主義の市場経済自身にも破綻が見えて来ている。

それは弱者切り捨てとか非正規雇用者の増加とかに見られる。また人材派遣労働者も増えた。これは資本主義はあくまでも利潤の追求をするので、世の中でワーキングプアが出ようとそれは会社とは関係がないという立場だが、社会全体が疲弊して再生産ができなくなるという危惧もあるのだと思う。

これは人材の面でもいえるのではないだろうか。会社は自分の会社の人材だけを確保できれば、当面はいいのだが、それもいつまでもできるかどうか。

介護ビジネスがペイしないために介護に従事する人がだんだん減っている。また人が減ると働いている人に過重の労働を強いることになる。ことは介護士だけの問題ではない。医者も産科の医師とか麻酔科の医師とかはたまた外科の医師とかが減っているという。絶対値は急に減る訳はないかもしれないが、救急病院等に勤める医師は少なくとも少なくなっている。

これらはすべて過酷な労働と少ない報酬とが原因である。それはやはり資本主義国家としてのあり方をいま問われているのだと思う。

原油価格の高騰にしても原油を買い占めて利益を得ようとする資本の動きによるのものであり、それは多くの貧困層を創り出すであろう。したがって、資本主義国家が社会民主義的な政策を取り入れた国家運営をするかどうかしなければ、早晩資本家や経営者を中心にした国家運営は没落するであろう。

日本の企業はここ5年から7年くらい利益を上げて来たが、その利益を雇用者に配分しては来なかった。そのつけが企業に跳ね返って来るのはそんなに遠い将来のことではないかもしれない。


読んでみたい本

2008-05-20 12:04:26 | 本と雑誌

結城浩さんの「数学ガール」、「プログラマの数学」、福岡伸一さんの「生物と無生物の間」。福岡伸一さんの本は朝日新聞の天声人語でウイルスは生物ではないと書いてあったと引用があった。ここ数ヶ月、唇のヘルペスで困っているので、いつか読んでみたいと思っていた。それ以外にもちょっとした動機はあるが。

「数学ガール」はアマゾンコムの広告の書評で面白そうかなと思ったのと私の関心のあることを取り扱っているかもしれないとの思いからである。力のある書き手が理系にも現れたということだろうか。


1km を体感する

2008-05-19 14:02:50 | 数学

土曜日に算数の勉強会に出たら、1kmを子どもたちにどう体感させるかという話が出た。

いろいろ出たが、私は実際に15分歩かせるのがいいと思う。それが大体の1kmの距離だといっていい。

S先生は高い山の上から見れば、1kmを一望できて、視覚に訴えることができるとともに他の長いものと比べることができると言っていた。

1mを何回も測って適当なところで止めるという意見もあった。

現在のSI単位系ではm, kg, s(秒)を単位の基礎にする。1mは極から赤道まで測った距離が1万キロメートルであるから、その10^{7}分の1であるということも言われた。

単位がどこから来たのかという話も出た。一番初めは体の部分の大きさから出たとS先生が話していた。


友、遠方より来る

2008-05-18 12:54:36 | 学問

元同僚で友人のYさんが久しぶりにやってきた。11時過ぎに仕事場へ行ったら、すでに来て待っていた。弁当を二人で近くのコンビニに買いに行き、一緒に食べる。話がいろいろ出る。Yさんは20歳ころからの友人であるから、もう50年近い交友になる。

彼ももう一人の友人のTさんも大学を退職はしたが、まだアイディアをもって実験研究をやっている。私の知人、友人、先輩で大学を辞めた後の生き方として大きく二つに分かれる。一つは勤める先の職がなくなっても研究を続ける人と研究を止めてしまう人である。

この二つの人の割合は半々くらいの比率であろうか。もう職がないのに研究を続ける人は本当に研究そのものが好きなのであろう。一方、すっぱり止めてしまう人には研究がある意味で立身出世の手段みたいな人もいれば、まったくそうではないのだが、単に研究の手段がなくなったために研究を止めざるを得なかった人もある。

Yさんは自分のしている実験のデータを見せてくれて、もしできることなら疑問解決に助力をしてほしいという。私は現在、浮世の義理でやらなければならない仕事があり、それがすまないと手がつけられそうにないというと早くそれを済ませてといわれる。友人というのは有難いものである。

夜20時過ぎ、Yさんが自宅に帰るというので、フェリー乗り場まで車で送っていく。


講義ノートの作成

2008-05-17 16:35:22 | 受験・学校

大学で教える人は講義ノートを作成しなくてはいけない。これが意外と手間がかかる。飯の種なんだからといってしまえば、それまでだが、あのファインマンだってそれで悩んだくらいである。

凡人の私たちが手間がかかるからといって悩む必要はない。確かにはじめの一年は他の仕事ができないくらい大変である。私も新しい授業に何度か取組んだが,そのときどきに講義ノートの作成に時間をひどくとられた。

同じ講義を2年,3年と繰り返しているうちにそれほど時間をとられなくなったが、それでも毎晩遅くまで次の日の講義の準備をした。

いや講義ノートは一度つくれば、それをすこしづつ改訂していき、また講義の仕方を考える。そのことはあまり講義ノートをつくらなくても変わらない。どういえば、よりよく理解してもらえるかそれでいつも悩む。

自分では快心の授業でも残念ながら、学生にとっては分かりやすい授業とはならないことが多い。

いまは先週の講義をつぎの時間でわかりやすく教えて、つぎの内容へと進む。この後半の授業内容は十分に時間がとれないから、学生からの質問がアンケートに出る。それをまた説明してという具合である。

学生からの質問に答えるという形でも講義はある意味で成功を収めている。


「外延量と内包量の訂正」の訂正

2008-05-16 17:50:49 | 数学

今朝、起きたときにちょっと気になったので、高橋秀俊さんの「物理学汎論」を開いてみた。それによると示量変数と示強変数を熱力学での定義よりも広く用いているのを知った。

前に訂正をした理由はインターネットの記事によるのであるが、もちろん熱力学で定義されたように限定したものもあれば、そうでないものも通用していると考えられる。したがって訂正を再度訂正させていただく。ムーアの「物理化学」ではどう書いているか一度調べてみておく必要がありそうだ。

だから、外延量が示量変数、内包量が示強変数に対応しているという前の私の記述は間違っていなかったかもしれない。

高橋さんによれば、仕事の定義における力が示強変数で、距離が示量変数になるとのことであるが、これはもちろんLegendre変換すれば、その役割は変わってしまうので単純ではない。


オフィスアワー

2008-05-16 11:37:30 | 受験・学校

オフィスアワーに木曜日には16時から1時間ほどM大学にでかける。今日は2回目だったが、誰も質問には来なかった。質問に来るためにはかなり勉強しなければ質問できないから,質問に来る人はいないだろう。

そうは思っているが,いちおうオフィスアワーの制度があるということでその時間は詰めている。所在がないので仕方がなく自分の仕事をもっていってそこでしている。

わざわざ大学まで行くのが面倒だが、それも気分転換と思っている。それに教材のプリントを印刷してもらう必要もあるので、まったく無駄というわけでもない。

しかし、人間はそういう制度をつくれば、もう大丈夫とばかり安心している。それでは駄目なのではないかと思う。学校は制度をつくってそれを利用しない者が悪いといわんばかりだが、そういう消極的なことではいけないのだろう。もう一歩どのように踏み込むのか、それができて本当の教育ということなのだろう。

また、先生は薬剤師の国家試験でなんとかということについての試験が出たとかおっしゃる。しかし、それは正規の授業でカバーするテーマである。この感覚のギャップを埋めるのはかなり大変である。いや正直にいうとギャップは簡単には埋められそうにない。