物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

高校受験のための無料塾

2011-08-31 13:28:21 | 社会・経済

毎週、土曜日の午後に数時間、松山市持田町(松山東警察署隣)の教育会館で10月から、退職教員の会が中学生のために「高校受験のための無料塾」を開くことを計画している。

退職教員の会ははじめは教える先生の確保を心配していたが、そのうちの数人を私のグループの先生方に頼むということで確保の見込みがついて、今度は肝心の生徒探しの段階へと進む。

退職した教員の会の事務局長のTさんが無料塾の計画をしたらしいのだが、先生の確保が難しいということでその実現ができないという見通しだった。

だが、私の知人、友人、私の妻と私が医療生協の支部活動の一環としてすでに数回行ってきた無料塾のことを責任者Tさんが知って、訪ねて来たので、協力を約束した。8月始めのことである。それで実現へと一歩前進をした。

保護者の収入が十分あって、塾の授業料を払える保護者は子どもをどこかの塾へ行かせているのだろうが、保護者の収入が十分ではない方々は、連絡を頂けると有難い。連絡先をここに挙げたいのだが、まだ責任者から承諾をもらっていないから挙げられないが。

このブログのコメントにその希望を入れて頂いてもいいし、10月8日の土曜日の午後に持田町の教育会館の1階の退職教員の会の部屋に直接来られたのでもいい。

このブログを見ている方々は基本的には生活に困っておられない方々であろうが、口コミとしてそういう試みが松山市でも行われることをPRして頂ければ有難い。

無料塾の目的は「現在の家庭には格差があるとしても、その格差を子ども世代にさらに拡大させるべきではなかろう」という意図に基づいている。

だから、高校進学を目指させたいとは考えながらも、保護者が子どもを塾にやれない家庭の子どもの学習を援助をしたいという考え方で、全国で無料塾が計画されて、また運営されている。

実際にどのように、この無料塾を運営していくかは皆さんとの相談が必要である。

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久しぶりの肩痛

2011-08-31 12:49:49 | 健康・病気

「あなたが噛んだ小指が痛い」という伊東ゆかりの歌が若い頃に流行ったことがあったが、今日は肩が痛い。これは昨夜のテニスで私よりも10歳くらい若い、元銀行員のMさんとゲームでストロークを打ち合って打ち負けたせいである。

最近はあまり手首だとか、肩だとか痛くなるようなことは久しく経験したことがなかったが、久しぶりに手首と肩が痛い。年甲斐もなくムキになって打ち合ったのがいけなかった。先刻のお昼のラジオ体操をするときにも肩が痛いために手が十分に上がらなかった。

私の経験では、勤務していたE大学でテニスを趣味で始めた頃には、もちろんすぐに手首が痛くなった。つぎに痛めたのはひじであって、普通の人がなる、テニス・エルボウ(tennis elbow)ではなかったらしいが、一人前にひじを痛めた。その後、肩を痛めこともあったかもしれないが、あまり記憶ない。しかし、ひざを痛めてほとんど走れなかったこともある。

テニスの上達につれて手首、ひじ、肩、腰の順に痛めるといわれたが、私はあまりテニスが上手ではないので、腰を痛めるところまでは行かなかった。だが、体重の増加でひざを痛めてほとんど走れないことは何回かあった。

昨夜のテニスには打ち負けたが、それでもなんだか気持ちがすかっとして気分がいい。若いMさんに対してももう少しであまり打ち負けないでテニスができそうな感じがしてきたからである。

それに血圧がこのテニスの後ではいくらか下がるという余得もある。

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3つの仕事

2011-08-30 12:51:18 | 学問

今日のブログは項目としては学問の分野に入れたが、すべて学問に入れるのはちょっとおこがましい。が、いま3つの仕事を平行してやっている。

一つはM. Y. 博士のインタビューのまとめで大詰めの段階に来ている。数日中に脱稿して「素粒子論研究」電子版に送るつもりである。

もう一つは8月27日に徳島科学史研究会で話した内容をまとめることである。これは話をするために大半の文章をつくってはいるが、これはまだ中途で完成はしていない。

もう一つは「数学・物理通信」9号を発行することで、これは原稿はすでに3つあるが、もう一つは友人の数学者Nさんが投稿するという原稿がまだ入手されていない。それを私がとりに行かないと原稿が手に入らない。

Nさんにはインターネットに加入してメールの添付で送ってくださいと頼んでいるのだが、なかなかNさんの重い腰があがらない。それで、しかたなく原稿をスティックメモリをもって、とりに行っているのだが、余計な手間を省くようにしてもらいたいと思っている。

この最後の仕事が実は自分だけの努力ではどうにもならないので、他力依存である。

だが、そろそろ9月の声を聞くので、とりかからねばならない。

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ブログ1500回

2011-08-29 12:45:54 | 日記・エッセイ・コラム

前のブログでようやくこのブログは1500回を越えた。そのことを記念してここに記しておく。本ブログはだから1501回目のブログである。

1000回を記念したブログを書いたのはいつのことだったか。その後、一日に3回ブログを書いたこともあり、1500回目を達成したペースは上がっているにちがいない。別に意地になってブログの回数だけを増やしたいと思っているわけではない。

いつも述べているように、このブログは一定年退職者の暇つぶしのブログであり、これはtwitterではないので、字数の制限がない代わりに何回も書くというものではないと思っている。しかし、それにおつきあいを頂いている方々がおられるならば、感謝を申し上げたい。

少なくとも一日一回書くだけでも何を書こうかとはじめは苦労してきた。いまではパソコンの前に座れば、書くことは自ずから出てくるといいいたいところだが、そんな風ではもちろんない。

だから、やはり苦労は常にあるが、できるだけそのときに自分が時間を使っていることについて述べるということが多い。それももちろん実際にそのことに時間を費やしているときよりは、それから時間的に少し遅れてであることが多い。

もちろん、私も並みの人間だから何もしないでぼんやりをしている時間もあるのだが、そうではなくてできるだけ意思をもって何かをしようとしている。これはやさしそうで、そんなにやさしいことではない。

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普段の自分と別の自分

2011-08-29 12:29:31 | 日記・エッセイ・コラム

あまり旅行をしないが、先日の徳島の1泊旅行で、28日の午前に汽車に乗ってのその帰途に、旅行に出ると普段と違う自分がいるように感じられた。これはいいとか悪いとかいうことではなく、日常から離れることが少ないからであろう。

電車が今治を過ぎるころから、日ごろの自分をとり戻しつつあるなと感じたことであった。今年は例年の5月に上京して子どもたちと会ったり、友人とあったりすることがなかったので、そういう感じが強かったのかもしれない。

一種の精神病みたいなもので、それでどうだということもないし、別に自分の人格が変っているわけでもないし、普通の意味では精神病ではないのだが、はじめてこういう不思議な感じをもった。

若いときは旅行をすることを苦にしなかったが、いまでは旅行が苦手である。これが年齢を重ねるということかもしれない。

自分のした講演はほぼ時間通り行ったと思うし、特にどうということもない。今年は講演に13ページのパワーポイントを用意したが、そのうちで2ページは省略をすることにはじめから決めていたので、パワーポント1ページを約2分間の時間をかけて参加者に見せることができたと思う。これはこういったスライドは最低2分は見せる必要があると一般に言われていることに従ったまでである。

例年、話したいことが多くてそれを絞りきれないために、まだ話すことが残っているのに時間が来てしまい、あわてて、話をお仕舞いにするという「ぶかっこうな」ことを続けてきた。

今年のような心がけで、来年以降も話をするようにしたい。

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徳島科学史研究会30周年

2011-08-29 12:02:06 | 学問

先週の土曜日8月27日には徳島大学の創成学習開発センターで表記の記念大会があった。とはいっても参加者は20名まではいかない小さな集まりである。

しかし、なんでも30年を続けるということはすばらしいことである。そして、その維持はただ一人の人西條敏美先生の努力で行われてきた。最近でこそ研究会が役員を決めて、役割を分担しているようだが、この30年の大部分を西條先生が担われて来られたという。

これを見てみると、一人の人の思いでもそれをしようと思う人がおられれば、できるということになる。もちろん、それを支えた方々がおられたことは間違いがないが、それでも中心になっていく覚悟を持つ人がいることが何でも必要であるらしい。

私が参加するようになってからも、4~5年になる。だんだんなじんできつつある。夕方の懇親会でこの雑誌に論文を出して学位をとれるようにできないかという、要望も出てきたが、それはともかくも発表をする人は少数ではあるが、なかなか各自が深く研究をされていて、味のある話が多く出ていた。

私もここで、毎回啓発をされる。なかなかそこで問題となることを自分の問題とすることまではできないが、問題を探している人なら、テーマを見つけることもできるだろう。

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子どもの訪欧

2011-08-26 13:10:52 | 日記・エッセイ・コラム

毎年、子どもが学会での発表でどこかの外国に行く。今年は現在先日テロがあったオスロに発表に行っている。8月22日に出かけて、27日に帰ってくるとか聞いた。今回はパートナーと二人で出かけた。

最近テロがオスロであったばかりなので、心配する向きもあるだろうが、私はそういうことは続けては起こらないだろうと多寡をくくっている。

妻に「もうオスロは寒いだろうか」と子どもが電話をかけてきた。妻はもし寒かったら、現地で必要なものを買いなさいとアドバイスをした。ただし、「子どもの衣服売り場に行かないとサイズの合うものを売ってないかもしれないけれど」と付け足していた。

日本人は身長が低いので現地の人たちの大人のサイズのコートとかではまったくサイズが合わないことが多い。そういうときにはしかたがないから、子どものサイズのものを買う必要がある。

話は変るが、先日もテレビのフランス語講座でそのスケッチで、「熱(体温)を測りたい」という場面があった。

Je voudrais prendre ma temperature(ジュ ヴュドゥレ プ(pu)ランドル マ タンペラテュア) とか言っていた。翌朝、大修館の仏和辞典を引いたが、このprendre sa temperatureというのは、この有名だった辞典には載っていなかった。それで仕事場に来てから、新しい仏和辞典を引いてみたら、さすがにこれには載っていた。

このことに関して、二つのことに驚いた。

一つは熱を測るときもprendre(プランドル:意味は「とる」)という動詞を使うことである。このprendreという動詞はとても役立つ使い勝手のいい動詞である。食物を食べるときも、飲物を飲むときも、風呂に入るときも、はたまたバスや地下鉄に乗るときもprendreの一語ですむ。

その他には体温を測るときにはお尻に体温計を入れて測るということである。これはさすがにテレビの画面でやって見せるわけにはいかないが。

ともかくも、外国語を学ぶことはそういう事情を知ることでもある。外国人とつきあうと互いの文化や習慣の違いによる、行き違いや文化の衝突も必然的にあるが、そういう衝突を楽しむことが私たちには必要らしい。

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整式をどのように学ぶか

2011-08-25 12:00:58 | 数学

中学校の代数や高校の代数の初歩をどのように学ぶか。

これとは直接に関係がないが、これらのe-Learningのコンテンツを前につくったが、この代数の初歩の部分はどうも陳腐であまりうまくない。

「文字タイル」等を導入して新味を出してはいるのだが、なんだかもう一つ面白くない。対数のところだとかではそれなりに特色が出せていると自分でも思うのだが、この整式の部分はどうもよくない。いや、これは私だけではなく、どの本を読んでもそのように感じるのだ。

どのように自分なりの新味を出したらいいのか今のところはわからない。遠山啓さんなら、「箱の代数」などを導入するのだろうが、私にはまだその処方はわからない。

いくつかの本を読んで、ヒントを見つける必要があるだろう。代数の初歩の導入にあまり手間をかけないで、かつ、興味深い導入の仕方をしたいのである。欲張った話である。

代数の初歩の導入に手間をかけてもいいのなら、いくつか方法はあるかもしれない。手間をあまりかけないでという制約は私が自分に勝手に課した制約かもしれないけれど、やはりその制約は必要のように思われる。

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かけ算がわからないと、わり算がわからないか

2011-08-25 11:30:33 | 数学

先日も移項と同類項とでブログを書いたことがあるが、また、算数の教育を専門にしているS先生のエッセイを会の開催通知と共に送ってもらった。

S先生の結論をいってしまうと、かけ算の構造が分かっていなくともわりざんのことを教えられるし、また教えなくてはならないということらしい。

一当たり量、全体量(分布量)、いくつ分の概念を知らない小学生にもわりざんを教えることをしなくてはならないのが、教師である。かけ算の概念をよく知っていない小学生にもわりざんを教えなくてはならない。

いや、自分自身のことを振り返ってみても、わりざんの意味やかけざんの意味を知ったのは遠山啓の「数学の学ぶ方教え方」(岩波新書)を読んだ後であり、それまでかけ算は足し算の累加の意味でしか知らなかった。

かけ算にしても、(1) その意味、(2) 答えの見つけ方、(3) 九九の3つがこの順に重要になるが、教える順序はこの順番である必要はないという。むしろ九九を歌として先に覚えておいた方がよかろうと、S先生は言われている。

これらの主張は至極当然であり、違和感はまったくない。

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ワン・パターン

2011-08-24 13:17:28 | 日記・エッセイ・コラム

自分ではこのブログではいろいろな話題を取り上げているつもりだが、多分ワン・パターンなのであろう。

ということは自分自身ではなかなかわからない。誰かから君のブログはワン・パターンだねと言われたわけではないが、多分そうだろと思う。その点は読者の方々に深くお詫びをしなければならない。

実は最近「重信川の岸辺から」という松山市かその近郊に住まれていると思われる方の、ブログを見つけたのである。この方はブログはすでに2800回を越しており、私の書いた回数1400回と比べれば、ほぼ2倍の回数である。

だからブログを続けて書くということだけで敬意を表したい。が、ときどき面白いことを書かれてはいるが、どうもワンパターンのように感じられる。(こんな不届きなことを書いてすみません。「重信川の岸辺から」の著者様)

ひょっとしたら、この著者の方を私も存じ上げているのかもしれないなどと推測をしているが、プロフィールには情報があまりないので、特定をするまでには至っていない。知的な方だとは思うが、政治的な姿勢等がどうも一方的なようである。いや一方的だからといって悪い訳ではない。

ただ、続けて読んでもらうためにはもう少し話題の多様性が欲しいのではないかと思っただけである。ということは結局、私のブログでもそうなのだろうなと思った次第であった。

これはブログはある一人の人が書いているので、どうしてもワン・パターンになるのは避けがたい。

もっともブログは本質的に著者の独り言であるから、面白くなければ読まなければよいだけの話である。そう開き直っていることもできるかもしれない。

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今年の夏

2011-08-23 12:59:59 | 日記・エッセイ・コラム

今年の夏はまだ終わっていないが、昨年と比べると曇りの日が多くてそれほど真夏日が続いたわけではない。

もちろん、夏だから暑いことは暑いが、それでも昨年と比べるとずいぶん曇りの日が多かったと思う。今年の夏はだからちょっと昨年とは違う印象をもっている。

それでもテレビでは水の事故で亡くなった人が毎日出たみたいだし、ある個人の人にとって見れば、人生はそう単純ではないということである。また、大雨が降ってそのために亡くなった方もおられる。3月の東日本大震災以降の御難続きである。

笑い話であるが、「台風の予報をする人が台風を呼んでいる」という誤解をした、テレビの聴視者が「この予報者が台風を呼び込んでいる罪で告発する」とか言うと、予報者の方は「その告発を引っ込めないとますます台風を呼び込むぞ」といったとか。

これは誤解を逆手にとっての台風を予報する人の仕返しの笑い話である。

このころはエジプトのピラミッド工事は昔のエジプトの王朝の権力による奴隷労働ではなく、農閑期の公共事業であったとか言われているが、それでも僧職にあった僧侶は地下深くにある水道の水の水位を測り、雨季が来ることや、洪水の予測をして人民を支配していたのだともいう。

だから、科学がまだ十分に人民のものになっていないときは、それで人を支配する道具にすることができた。また、暦をつくり、季節を調べて種まき等の農耕の時期を知らせたりしていたのだという。

こういう話を聞くと原発がないと、電力が足らなくって、人々の暮らしが立ち行かなくなるということで、原発を各地に設置した原子力村の人々のことを思わずにはいられない。

ランスロット・ホグベンの「百万人の数学」上、下(筑摩書房)とか、最近ではJoh(村上曜)さんの「力学」(プレアデス出版)とかには古代のエジプトの話とかも出てくる。この2つの書は別に歴史書ではないが、そういうことにも詳しいのはうれしい。

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Rotations, Quaternions, and Double Group

2011-08-22 12:02:22 | 本と雑誌

昨日、表題の本をアマゾンコムで購入した。先日、「あるいらだたしさ」というブログを書いたが、そのいらだだしさを解消させることができるかもしれない書である。いまはDoverの出版で定価は1475円であった。

先日どうも日本語で書かれたものだけを見ていてはいけないのかなと思って四元数について英語で書かれたインターネットのサイトを少し調べたのだが、そのときにアマゾンでの書籍も調べたのである。Quaternionsについて英語で書かれた本はかなりあるようだが、いま関心があるのは四元数と回転との関係であるので、それに絞って探して表題の本を見つけた。

これとは別だが、日本語でも私と同じような感覚をもって多くの四元数のサイトに不満をもった人の説明を見つけていた。まだ十分に読み解いていないので、この人の説明ですべてが解決となるのかとどうかはわからないが、希望が持てたことは確かである。

以前に見つけたこのサイトの記事をコピーしていたので、今でもそのサイトが存続しているのかわからない。

それを書いたときは、書いた方は高校生のようであったが、いまでは大学生になっている。いやもうすでに大学を卒業されたかもしれない。世の中には優れた人もいるものだと思う。これは年齢には関係しない。

Hamiltonの四元数の発見については、絶対値の条件|ab|=|a||b|が発見の指導原理となっていることは私の「四元数の発見」(愛数協「研究と実践」、2009)というエッセイですでに述べた。このことを私はCroweのA History of Vector Analysis (Dover)から知った。そして、同じことはStillwellの「数学のあゆみ」下巻(朝倉)にも述べられていることを後で知った。

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機械翻訳の迷訳

2011-08-21 15:46:57 | 本と雑誌

今朝、朝日新聞を見ていたら、読書欄に「機械翻訳による迷訳?」とかいう記事があった。

アメリカ人の作家か誰かが書いたアインシュタインの伝記の下巻の13章に迷訳(新聞に出ていたのはなんともまったく意味の取れない日本文であった)が載っていたということで、その本の上巻を訳した松田卓也さんがその事情の推察だかをアマゾンに投書されたのだという。

記事には記者が、その本の出版社の編集部に聞いた話が書いてあって、翻訳の契約期限が迫っていたために出版社はやむなくある翻訳グループにその3つの章の翻訳を頼んだらしい。

ところが出来上がってきた翻訳がひどいということで、編集部で手を入れたらしいが、なぜか13章だけは十分に、または、まったく手が入れられずに校了となってしまい、迷訳がそのまま出てしまった。

しかたなく、出版社はその下巻を回収して、訂正されたものを先月に出版したとかいう。記者がその英文の原文をgoogleだかの翻訳システムにそのまま入力するとほぼ同じ文面の迷訳が出てくるということで、この翻訳グループが機械翻訳を使ったらしいということが判明したという。

このことが「けしからん」と、ここではいいいたいのではない。そうではなくて、この事情が痛いほど私にはわかるのである。

もう昨年のことになってしまったが、昨年2月中旬だったかに約2週間の期限で「再生医学」についての英文の日本語訳を引き受けたことがある。

そのときにどれだけの量の英文の量があるかを十分に確認をせずに仕事を引き受けてしまい、その後とても多量の英文の翻訳の必要があるということがわかって困ったことがあるからだ。しかたなく、その後さらに2週間の猶予をもらった。

(実は翻訳量だけからいうと4週間ですむような英文量ではなかった。実際にはその3倍か4倍の期間がかかるくらいの翻訳量だった。)

このときは私自身も含めて6名の方々の協力でなんとか切り抜けたのだが、そのときにメンバーの中のTさんから機械翻訳を使って少し早く仕事ができないかとの提案があり、少し試みたことがあった。

ところが、機械翻訳は却って翻訳者を戸惑わせるばかりだということで、結局は自分たちの力で翻訳をした。

期限を切られるとどうしてもこういうものに頼りたくなる。それに翻訳を発注した方は期限が守られないと多分支払額を値切るか、または払わないだろう。そうだとすれば、よくないことはわかっていてもそういう姑息な手段に頼らざるを得ない。

いやはや、それにしても身につまされる話である。

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残暑一休み

2011-08-20 13:58:27 | 日記・エッセイ・コラム

厳しい残暑が一週間ほど一休みをしてくれそうである。前線が南下してきて前線の前後で雨を降らし、かつ北の寒冷な(もちろん相対的にだが)気団をしばらくもって来るために数日は残暑が和らぐと天気予報で言っている。

このごろは天気予報はよく当たるので大体はそういうことになろうが、またその後は厳しい残暑になるという。

昨日を含めて3日ほどエアコンなしで午後を過ごせた。これは西からいい風が吹いてくれたからである。今日は曇り空であまり気温は上がらないだろうが、それでも湿度が高くエアコンがいりそうである。

M. Y. 博士のインタビューのテープ起こしの原稿を送っておいたら、今朝速達で帰って来たので、それを見ながら原稿を完成させたい。これは後で「素粒子論研究」電子版に投稿の予定である。

冊子体の「素粒子論研究」はもちろん購読をしているが、これももうじき廃刊となるので、近い将来には「素粒子論研究」は電子版だけになるという。

多分、電子版の「素粒子論研究」は購読料が無料で誰にでも見ることができるようになるのではあるまいか。

そういえば、私たちの発行している「数学・物理通信」も「素粒子論研究」の電子版に投稿してはどうかというご意見を寄せてくださった方があったが、結局この方、名古屋大学の谷村さんのご尽力で現在のところ「数学・物理通信」は彼のホームページにリンクしてもらっている。

「数学・物理通信」で検索するとバックナンバーを見ることができる。いつもながら谷村さんのご尽力に感謝、感謝である。

「数学・物理通信」の次号、9号は、9月発行を予定しているが、これには中西襄先生の「ご冗談でしょう、湯川先生」という湯川先生に係るエッセイも掲載される予定なので、関心がおありの方は「数学・物理通信」9号をぜひご覧いただきたい。

湯川秀樹先生の高弟の一人といわれる、中西先生の書いたこのエッセイは、興味深いこと保証つきです。

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あるいらだたしさ

2011-08-19 11:30:54 | 数学

インターネットの四元数についての記述をプリントしては読んでいる。これはある目的をもっているからだが、そのときに感じるのはある種のいらだたしさである。

いま四元数はコンピュータグラフィック(CG)や自動制御の工場とかで工作物の回転を記述するのに役立つ手法である。ところが剛体や3次元の図形の回転を記述する四元数での表現の仕方はどこにも書いてあるが、それを発見法的に説明したものにまだ出会っていない。

かなり以前から私自身も気にして調べてはいるのだが、この四元数の表現をどのように発見法的に導出するかはまだわかっていない。結果を認めて簡単な例で示したものはあるし、剛体の回転の表現は四元数によるもの以外にベクトルによるもの、マトリックスによるもの等があるので、これらと同等になるということを示したものはある。

だが、それをどのようにして見つけたかということを書いたものをまだ見たことがないということにある種のいらだたしさを感じてしまう。これはある出版社から「四元数」についての本を書かないかといわれて久しいのにその要望に応えられていないためでもある。

これは他人に対するいらだたしさでもあるが、根源的には自分自身に対するいらだたしさである。

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