物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

電磁気学の単位系が難しい理由

2016-04-30 11:46:57 | 日記
という解説論文をインターネットのサイト「FNの物理」からプリントして読んでいる。おおよそは読んだのだが、もうちょっと詳しく読む必要があるかと思っている。

これを書いた藤田さんにはお会いしたことはないが、私の出た大学の同窓である。いつか数年前にもこの人が徹底して考える人だということを実感して賛嘆の念をこのブログで述べたことがあるが、こういう人は得難い人である。

インターネットでは情報があふれかえっているが、それでも何でも突っ込んでその解説をする人は少ない。物事を良く分かる人はもちろん世の中にはたくさんおられてそういう方のそばにいる人は、その人の知恵というか物事の理解の深さを分け与えられているのだが、それでもインターネットでその知識とかknow howを惜しげもなく私たちに教えてくれる人は少ない。

この冒頭のインターネットのサイトの解説を読む必要に迫られたのも、「数学・物理通信」に投稿された S さんの論文がきっかけであった。もちろん以前から「FNの物理」の解説が優れたものであることは知っていたし、以前に一度は表題の解説を読もうとプリントしたこともあった。

ところが今回以前のプリントを探したのだが、どこにいったのかわからなくなっていた。徹底的にしらみつぶしに探せば、出てくることは確かなのだが、それをする時間は一日ではすみそうにない。それであえて再度プリントをした。

はじめから読むといらいらしてしまって最後まで読み通せないので最後の結論の部分から読み始めてから、はじめの部分に帰って読むことに取りかかって、数日かけて一通りざっと読んだ。だが、斜め読みのところもあるので、再度詳しく読まなければならない。

ということで四元数の話の勉強はしばらくお休みである。

緑の日ではなく、昭和の日

2016-04-30 11:18:35 | 日記
一年前の4月29日のことをみどりの日と書いたが、「みどりの日」ではなくいつからか「昭和の日」呼ぶようになったらしい。これは昭和天皇の誕生日だったから、「昭和の日」と呼ぶことは確かにその方が適しているのかもしれない。

こういうことが起こるのだろうが、私は老人なので緑の日と呼んでいた時期があったように思うが、さてはてどうなんだろうか。記憶とはなかなかはっきりしないものである。

よく、因数分解の公式のように若いときにしっかり記憶して死ぬまで覚えているような記憶もあれば、あやふやな記憶もある。私の叔父に40歳を越えても因数分解の公式を覚えているような秀才がいた。

私などはある意味でそういう公式を比較的よく使ったりするほうなので、覚えていても職業柄として当然ではあるが、そんな職業ではない一般の人が因数分解の公式を覚えていたりするとやはり特殊な秀才と思われる。

もっとも大学の理工系の学部を卒業しても人間という者は物事を忘れるもので、因数分解の公式など忘れたという身内のものなどいて、それを題材にして数学エッセイ「因数分解の公式を忘れたら」を2編書いたことがある。

そのときに気がついたのはなんでも自分でも公式をある意味で自己発見したり、導けるようになることも不可能ではないかもしれないということであった。私などの凡人はなんでも偉い昔の学者が考え出したことで、自分のような凡人には絶対に手が届かないと考えがちだが、そうでもないということをこの年になって少しは経験できるようになった。

だから私自身は数学でも物理でもそういう風な学習ができることを願っている。ある種の発見学習ができる方法をもっと広く普及させたいと思う。

これはきわめて優秀な人たちにとっては普通なことではあろうが、それを凡人である私たちも少しでも追体験できることが望ましいと思う。


eine "altere Dame

2016-04-29 16:17:26 | 日記
とeine alte Dameとどちらが年上かというと、eine "altere Dameだろうという返事が帰って来そうである。だって"altereとaltの比較級になっているではないですか。

ところがさにあらず。だからびっくりする。日本語に訳すとeine alte Dameは一人の老婦人となろうか。ところがeine "altere Dameのほうは「中年の御婦人」となってたぶんに中年の御婦人は老婦人よりは若い。

こういうことをドイツ語で試験されると私たちはすぐにドイツ語の読解力のなさというかドイツ語の理解力のなさを暴露してしまう。

もっともこれはドイツ語でも難しい部類に入るだろうか。もう20年以上も前のことだが、都立大学におられた中島悠爾先生がNHKのドイツ語の講座の応用編だったかを担当されていたとき、ラジオの講義でこの違いを強調されたことがあったが、それに対する長文のドイツ文の訳にはその知識を反映したものではなかった。だからたぶんドイツ文の日本訳をつくった人は中島先生ご本人ではなく、多分NHKの係りの方かそうでなければ、中島先生のところにおられた大学院生か誰かがつくられたのであろうと想像された。

上に挙げた比較級の例は絶対比較級とドイツ語の文法で言われているものであり、初級のドイツ語のコースでは学ばないであろう。私にしてもいまこんなことを書いているが、実際に文章の中で出会ったら、きちんと正しく理解できるかどうか甚だあやしい。

zust"andigとanst"andig

2016-04-29 12:52:00 | 日記
zust"andigは「担当の」とか「権限のある」という意味である。anst"andigの方は「礼儀正しい」とか「満足のいく」というような意味らしい。

これらの言葉の意味を昨年のドイツ語検定試験の前には憶えていたが、すぐに忘れてしまったらしい。昨日のドイツ語のクラスでまたこのzust"andigという語を聞いた。そのときに多分「担当の」という意味だろうなとは思ったが、確かではなかった。ましてやanst"adigの方は意味を忘れてしまっていた。

やはりそれらが検定試験のときだけではなく、いつでもきちんと思い出せるようでなければならない。どうも試験だけ通ればいいという気はしない。検定試験に通ってもやはり実力はないという気がする。

昨日もブログに書いたかもしれないが、接続法第二式の用法でマーラーの歌曲にいろいろな日本語訳があるというのはやはりそれくらいドイツ語を私たち日本人には母語のようにはわかっていないということだろうか。

と書いて、昨日のブログを見たら、上に触れた接続法第二式の話は書いていなかった。それでちょっとだけ触れておく。

In diesem Wetter, in diesem Braus,

Nie h"att ich gesendet die Kinder hinaus;

Man hat sie getragen, getragen hinaus.

Ich durfte nichts dazu sagen.

の2行目の訳としていろいろの訳があるというので、「ドイツ語圏とその文化」1-5にこの記事を寄稿された K さんはその訳の広がりが大きいので、その意味をとりかねて悩んでいるというのです。

それで決着をつけようと思ってドイツ語の入門書をとりだしてみたのですが、やはり良く分からないというのが私の現状です。

接続法第二式は普通には非現実話法と言われるものが主な用法ですが、一般には遠慮がちにお願いや依頼をするときに使われます。

接続法ではそれが事実であるかどうかは保証されないというのが、特徴だと大学のドイツ語の講義で聞いたというかすかな記憶があります。だとすれば、

Nie h"atte ich gesendet die Kinder hinaus;

は「決して子どもたちを外に出したりしない」となるのか、むしろそれの非現実性を述べたものとして「こどもたちを送り出さなければよかった」となるのか。

現実には「送り出してしまった」のではなかろうかという気もしてくるから、やはり決着はなかなかつきそうにありません。

In diesem Wetter, in diesem Braus,

を一種の条件文と考えれば、結論部が「子どもたちを決して外には送り出さないであろうに」と考えるとどうも現実には子どもたちを嵐の中に送り出してしまったという風にもとれるので、やはり K さんならずともやはり悩んでしまうのです。

もう一つの解釈は条件文と考えられた

In diesem Wetter, in diesem Braus,

まで否定されているとすれば、子どもを外に出していたのはこんな嵐の天候の日ではなかったということになります。だからそのときにはこのような嵐の天候のときではないので、子どもを外に出してやっていたが、それで不慮の事故が起こり子どもたちの命が奪われたことになります。どうもそう解釈するのがよさそうに思えます。

よく、非現実話法の例として出される文に

Wenn ich ein V"ogelein w"are, flo"ge ich zu dir.

というのがありますが、「もし私が小鳥なら、君のところへ飛んでいくのだが」となりますが、これは条件文の方も非現実なので現実には「私は小鳥ではなく、だから君の所へ飛んでいけない」というのが現実となります。





準一級の試験に合格した人

2016-04-28 15:32:50 | 日記
ドイツ語の資格検定試験の準一級に合格した人の手記がNHkの「まいにちドイツ語」の5月号に載っていた。40歳でラジオのドイツ語講座を聞きはじめ、5年後の昨年見事合格したというからすばらしい。

それも途中で子どもさんが小児がんかなにかで入院をしたとかで、その病室から受験に行ったとか書かれていた。私も準一級の合格を目指して受験をしたいと思っているが、昨年はようやく2級に合格したばかりであったから、秋の準一級はいくらなんでも合格の可能性はないと思って取り止めた。

今年あたりは準一級の試験を目指すべきだろうか。春には準一級の試験はないのと思うので、秋までに受験勉強をしておくべきだろうが、なかなか重い腰が上がらないというのが現状である。

手記を書かれた方は主婦をしながら、それも子どもさんの看病をしながらの受験であり、子どもさんが入院している病院の医師とか看護師さんとかすべての方の激励を受けての受験だったという。

その背水の陣がやはり覚悟を決めさせたとも思えるし、5年分のテキストやCD等の録音教材を持ちこんでの受験勉強であったと書いている。

私にはその覚悟もないし、ドイツ語ばかりに熱中できないという理由もある。それでもこの主婦の方が行ったくらいの努力をすれば、見事合格もできるのであろう。

少し勇気をもらった手記であった。一度ダメでも試みてみるべきかもしれない。

ドイツ語圏とその文化

2016-04-27 19:28:57 | 日記
の1巻5号の編集に今日はかかりきりである。

ドイツ語のクラスでいつもご一緒の K 氏夫人がマーラーの歌曲の一部の訳についての記事を投稿してくれたのである。それを3番目の記事にした。

これでこの1巻5号も文化的な厚みができた。近日中に発行したいが、多分5月の連休中の発行となるだろう。

K さんがメールで送ってくれた原稿を私がコピーして、latex文書に取り込み、PDFの文書に変換して送った後、私がパソコン前で居眠りをしている間に K さんは修正個所をメモしてメールをくれた。いやはや勤勉な人がいるものである。感謝、感謝。

昨年のいまごろは

2016-04-26 10:44:42 | 日記
循環行列式のことを考えていたらしい。その関心は長くは続かず忘れてしまった。だが、一年前に何を書いていたかをgooの方から知らせてくれるので思い出した。

もっともすぐに忘れてしまうようなことはたいしたことではなかろう。いつかこのブログで「FNの物理学」というのを紹介したが、またそのサイトを昨日訪れた。

数年前によりも一段と充実しているらしい。このサイトを主宰している藤田さんは山口県の高校の先生をされていた方だが、なかなかものごとを徹底して考える人で尊敬できる人である。

よくは見ていないので、いつか詳しく読んでみたいのだが、インターネットか何かの仕組みを解説した記事も書かれているらしい。

ウイキペディアの四元数

2016-04-25 12:31:05 | 日記
の説明が「代数的性質」というところが私には難しい。それでなんとかそこを解読することが必要なのではないかと思うようになった。

昨日とか一昨日とか英語と日本語の四元数のWikipediaでの説明を読んでいたのだが、特に英語は難しいことは難しいけれどもこれを日本語に訳されてみるとますます難しく感じられる。というので1ページの半分くらいの説明なのだが、一つのエッセイをつくれるくらいの量の補足の説明をしないと私にはわかりそうにない。

大体、Wikipediaは辞書みたいなもので、その説明は事実だけを述べるといった風である。簡潔を旨とするのでしかたがなかろうが、私のように数学があまり得意でないものにはこれではなにがなんだかわからない。だから解読が必要だと思える。

もっとも全部が分かればいいが、なかなか全部がわかることにはならないかもしれない。クラインの本の理解の方はちょっとしばらくおいておくとしても、こちらを先に解読すべきだろうと思っている。

春季県展

2016-04-25 11:52:32 | 日記
昨日の日曜日に県展の前期の最終日だというので、あわてて妻と一緒に県立美術館の県展を見に行った。主に油絵の洋画を見るのが目的だが、それ以外に水彩画とか写真もあった。

洋画を見るのに疲れて帰ろうと思って2階の階段前にいたら、知り合いの T さんに出会った。この T さんは写真をやる人でヌイサンジョルジュというフランスのブルタニューの朝日の出た写真をとって出したと聞いたので、3階まで上がっていって当該の写真をみた。

朝日が明るくいい写真だった。妻は自分の絵の材題として携帯で写真をとっていた。

ヌイサンジョルジュとはどうフランス語で綴るのだろうか。普通にはNuit-Saint-Georgeとでも綴るのだろうか。ヌイというのは夜という意味しかフランス語では知らない。

71回の雑談会

2016-04-23 17:11:33 | 日記

午後から71回目の雑談会行った。

6年から7年目にもなると話題がだんだんなくなる。ということで私の出番となった。三角形の数を数えてそれを数式に表すというそれだけのテーマの話なのだが、なかなか話が面倒ではある。

それでもいつもよりもレポートは早い時間に終わり、あとは自由に話ができた。いまの世の中がいかに住みにくいかという話に話題が集中したのは時節柄しかたがない。

テーマを毎回設定してはいるが、話はそれにこだわることはない。


ちょっと一息

2016-04-22 10:31:45 | 日記
しようとしている。

四元数のいろいろな文献を調べてそれを理解しておきたいという希望を抱いているのだが、これはまずは日本語の文献に限定する。それも堀源一郎さんの『ハミルトンと四元数』のような本格的な書籍はまず始めから除いておく。将来は挑戦するにしても。

本の中の一部だとか、インターネットの一部だとかの中の四元数に関して個所を理解しようという計画を密かに立てている。

いま取り組んでいるのはクラインの『高い立場から見た初等数学』の中の四元数の個所の解読である。さらにインターネットの四元数の記事もその解読の対象に入っている。

このインターネットの四元数の記事の一部はすでに『四元数の発見』の中で読み解いたが、すべてを読み解いたわけではない。そういう、いわば小さいつみ重ねからまだ私の知らない四元数についての知識を紐解きたい。

こんな考えを最近もつようになった。また、一般の数に関する本の中にも四元数について書いてる書は多い。それらもなかなかすべてという訳にはいかないかもしれないが、解読をゆっくりとしていきたいなどと夢のようなことを考えている。

気の小さい私にそんなたいそれたことができるのどうか。気の遠くなるような話である。しかし、少しづつではあるがやってみようかと思いはじめている。

NHK番組批判?

2016-04-21 11:49:05 | 日記
新学期になってNHKの番組が新しくなった。ところが私にはなんだか政治に厳しく対抗する気概が少なくなったのではないかと感じる。

結構普通の人にとってはおもしろい番組編成になっているのだとは思うが、それだけに番組がおもしろくない。昨夜も迎賓館を爆笑問題の大田さんと田中さんとが訪ねていた。太田さんはなかなか鋭い物言いをするので好きな芸人さんであるが、どうもその鋭さが丸くなってきたような気がする。

いやこれはNHKがそういう風に演出をしているのかもしれないが、むかしときどき見ていたいろいろな大学の先生を訪ねた放送を時々見ていたときと比べて彼のよさが減じてしまったような気がする。

全体では政治批判の番組が少なくなったわけではあるまいが、どうも時間帯が遅くなってしまったので、政治への批判が全体で丸くなってしまったのではないか。

別に政治だけではない。番組がおもしろくなくなった。だが、これが普通の人にはいい放送をしていると受けるのだとすれば、なんだかなあ。日本人の知性の程度が知れるような気がする。

報道機関とすれば、NHKは約1万人の人が勤めているという日本最大の報道機関である。ところが前から時の政治にNHkが牙をむいていたわけではないが、どうもその隠しもっていた牙まで抜かれてしまった。そんな感じがする新年度の番組に対する感想である。

これは単に私だけが感じるところなのだろうか。

脇田 仁先生 

2016-04-20 13:31:23 | 日記

岐阜大学工学部の部長とか岐阜高等工業専門学校の校長を務められた脇田 仁先生は世間的にあまりよく知られた方ではないが、私が数十年前に講義を聞いた先生の一人である。

大学3年か4年のときの物理数学の講師が脇田先生であった。それ以前にすでに物理数学の講義を1年にわたって他の先生から聞いていたから4年生の前期のことだったのだろう。

先生から学んだ内容は複素関数論と変分学だったと思う。変分学は物理学科ではあまり学ぶ機会はなく解析力学の一部として学ぶのが普通であろうか。

脇田さんは東京大学理学部物理を卒業された方だったと思うが、広島県三原市のご出身であった。彼のお兄さんから中学校で数学か理科を学んだ同級の N 君が「理論物理を専攻したら職がないから困るよ」と、お兄さんが N 君に警告をされていたと聞いた。

脇田さんはその当時竹原市にあった H 大学付属の理論物理学研究所の助教授であった。そのころ理学部物理学科の先生が3人も同時に定年退官されたので、H 大学の物理のスタッフが手薄であった。その穴埋めに非常勤講師として教えに来られていた先生の一人が脇田先生であった。

脇田さんは東京大学理学部の自治会の委員長を務められたとかで、大学卒業後に就職口がしばらく大学になかったと聞いている。それでもその後何とかして理論物理学研究所に職を得られ、助手、助教授として勤められていたころであった。

昼食後に理学部の裏庭を散歩されているときに先生とすこし話をしたことがあるが、理学部自治会の委員長を務められた方だとはついぞ思い及ばなかった。

なんの話をしたのか覚えていないのだが、多分その頃に私たちが組織していた物理学科の学生のための組織の話をしたのだろう。

教養部の数学の先生であった、佐々木右左先生から「脇田さんが最近ヒルベルト空間の研究で学位をとった」と聞いたと思うので、そのころ学位をとられたのだろうと推測する。この佐々木先生もこの少し前に数学の学位をとられていたと思う。40歳半ばで学位をとられれば、そのころは立派な学者であった。

変分学はそれが微分学とどう違うかと戸惑うこともあったが、それほど難しいとは思わなかった。もっとも実際に変分学がいまでも身についているかどうかはあやしい。

そのうちに理論物理学研究所に勤められていた若い先生方が理論物理学研究所から別のところに移り始めた。池田峰夫先生は H 大学工学部の応用数学の教授に、脇田先生は岐阜大学工学部の教授になられた。これは当分の間、理論物理学研究所での昇格ができそうになかったためであろう。池田峰夫先生はその後山口昌哉先生の後任として京都大学工学部の応用数学の教授に転任されて研究に励まれていたが、60歳直前に病気で亡くなられた。

脇田さんからは人生について何か言われるというほどの接触もなく、私はほとんど影響を受けなかったが、池田さんからは少なからず影響を受けた。それはまた別の機会があれば述べたい。

いずれにしてももう半世紀も前の昔のことである。


十年以上ブログを書いていると

2016-04-20 12:58:42 | 日記
もう書くことがなくなってくる。いや、そうではなくて自分の感性がマヒしてくるのではないのだろうか。はじめころはなんでも新しく感じてそれをただブログに書き留めていたら、ブログを書くことができた。

ところがもう書くことがないのか、それとも自分の感性が乾ききってしまったのか。私は普通の人よりも好奇心に富んでいると思っていたのだが、どうもそうとも言えなくなっている。

このブログにはもちろん自分の考えたことの反応が反映しているが、それとかまたは自分のしたことを書き記している。だが、ブログに書くということはそれが私のこころの関心事の一つであることはまちがいがない。

他人がどう考えるとかということではない。自分の関心事でないと書くことができないのである。

そういう意味では自分勝手な話ばかりで他人を思いやるというところが少ないかもしれない。若いときには被害妄想的であったが、これだけ自分のことだけはちょっとわかるが、人のことはほとんどわからないという経験をして、それを客観視すれば、被害妄想は多分に自分を他人が大きく思ってくれているという思い上がった思いこみであり、そんなことを他人は思っていないのだと分かって来て、自分勝手な思いだと思えるようになった。

ギャップ

2016-04-19 11:15:20 | 日記
九州の熊本を中心とした地震の災害は意外に大規模であり、心を痛めている。それにつけても政府の首相の発言と災害現場でのギャップを感じている。

災害対策の会議で首相が現地の実状に即して援助をしたいと発言するのをニュースで見たが、それにもかかわらず災害現場ではなかなか物資の供給が十分という訳ではないということを知った。このギャップはどうしてなのだろうか。

私たちは首相が会議で実状に即して救援活動をすると言えば、それがすぐに機能していると思いがちだが、そんなことはないらしい。だが、NHKのニュースではそういう首相の言動は報道するけれどもそれがどうして機能しないかは報道しない。

少なくとも今はそれどころではないけれども、どうしてそれが機能していないのかは後で検証すべきことだろう。だから、私は首相が省庁の大臣等を呼び集めての会合で気持ちを述べること自身を否定しはないが、それがなぜすぐに機能しないのかについては検証が必要だと思う。

こんな事態では首相の発言は単なるショウマンシップではないのかと。道路が使えないとかの問題はあるだろうが、ヘリもあるはずだし、物資の供給が十分でないのはひとえに政治の責任でもあろう。

パナマ文書によって世界の首脳の親戚とか家族や友人が脱税とまで言わなくとも節税で税金逃れをしていたことが明らかになってきている。普通の市民は税金の低いかまたはない国に脱税とか節税のために逃れることはできない。逃れることができるのはある程度資産があったり所得が大きい人たちである。

日本でもそういう金持ちは400人くらいはいると報道されているが、それらの人々の名前はまだ新聞やテレビで報道されてはいない。そのうちに名前が出てくるだろうが、しばらくはまだ出てこないだろうか。

こういったギャップはいくつかのところである。