物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

favism

2012-09-29 13:45:52 | 学問

綴りがあっているかどうか。これはいつもドイツ語のクラスで一緒になる I 医師の書かれたエッセイの題である。

そらまめとこのfavismとは関係している。そらまめのよく育ち、よく食べられる地中海沿岸とか中東、北アフリカではマラリアが多いが、それとこのソラマメとか関係しており、そらまめを食べると体の赤血球が崩壊するという、病気favismにかかることがあるが、たまたまマラリアは健全な赤血球の中でしか育たないので、そらまめを食べている人はマラリアに対して耐性がある人が多いという。

どちら原因で、どちらが結果であるかの因果関係はわからないが、そういう関係があるいうことであり、とてもおもしろかった。いつもこの I 医師の書くものはおもしろいのだが、この話は初耳であった。

そらまめを英語ではbroad beanというらしいが、ドイツ語ではSaubohne(n)という。Sauはメス豚という意味だが、不潔な奴というような意味もあるらしい。

上に挙げたような理由から、そらまめが嫌われているということもあるようである。もっとも日本には幸いなことにあまりマラリアはないのと、このfavismという病気はあまりないそうである。

I 医師は国際結婚が普通になって来ているので、このfavismの劣性遺伝子をもった、人との結婚とかが起こり、favismの影響が日本人にも起こってくる可能性があるとか。

昔、ピタゴラスが豆を食べさせなかったという話があるが、それはこのfavismが原因であったらしい。それに関して私はおもしろいジョークを知っている。

ピタゴラスはこういう風に生きていた時代にはそら豆を食べることを弟子たちに禁じたが、死後にわとりに生まれ変わって庭に落ちている豆を食べていたという話である。(豆を食べなければ、にわとりは食べるものがなく生きていけない)。

なんとも皮肉なジョークである。この話を I 医師はご存じなかったようである。


右脳と左脳(TEDカンファランス)

2012-09-29 13:18:16 | テレビ番組

これは以前にも紹介したと思うのだが、そのときはなかなか理解できなかった。

ある神経医学生理学者が脳卒中にかかった。その体験を語ったものである。左脳と右脳はその働きが違い、合理的な思考とか言語とかは左脳によっている。

ところが脳卒中でその左脳が障害を受けたということらしい。右脳は感情とかなんだか知らないが、情緒的なところを受け持っているとか。そしてその方の経験ではとても普段では経験できないような幸せな感覚を体験したらしい。

その話を聞いていると私はチベット仏教の修行者が経験したという、神秘体験とかに似た話だと気がついた。この修業者として実際に私が文章として読んだことがあるのは、中沢新一の「チベットのモーツアルト」だかに載っていた修業中の幽体離脱のシーンしか知らないが、どうもそれに似ている話も出てきた。これはオウム真理教信者の体験談とも似ている。

そういう秘めた能力というか潜在能力を人間が持っているということをこの神経生理学者は語りたかったらしい。そして右脳が支配する世界では争いも何もなく、人間は幸せ感に浸ることができる。

脳はいろいろな能力をもっており、場合によっては幻を見たり、幻聴を起こしたりもする。そういうものとして右脳があるということは脳卒中にあった人の体験であるだけに妙に納得させられるものであった。

この脳神経生理学者は8年の年月を要したが、リハビリを経て、もとのように復帰することができたので、TEDカンファランスで自分の体験を語ることができた。


友人からの電話

2012-09-28 12:04:11 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、久方振りに友人からの電話があった。彼は私よりは4,5歳年上であるが、ある団体に私たちは所属しているので前には頻繁に電話をかけあっていたが、このごろは電話をかけあうことが少なくなっていた。

昨日、この団体の会報の原稿を見て、コメントを書いたのだが、この友人にもコメントをもらった方がいいかと思い、彼にメールでこの会報の原稿を送った。

それで、実は私の書いたコメントが元の原稿よりは量的にも多くなったので、これを独立した原稿としてくれないかとの依頼だった。基本的にはその依頼を引き受けたのだが、それにしてもなかなか自分のした体験であるのに何かのきっかけがないと思い出さないのである。

そこがちょっと不安なところであるが、まあなんとかならないわけではなかろう。それにしてもそういう気楽に依頼をできる人が少ないことが問題であると考えている。

人間は自分が生きているのだから、多くの経験をしている。ところがそれを文章に書こうとするとそれを書くことができる人は少ない。また、文章を書くことをそれほど苦にはしていない私にしてもそんなに簡単なことではない。

だから、もっと一般の人には難行苦行であるだろう。そうではあるが、そういうことを誰かがしないとやはりいけないと考えている。

話はまったく変るが、私の取り組んでいる一つの試みとして中学、高校および大学の基礎数学などのe-Learningのコンテンツの作成がある。構想はあるが、それが具体化するのはなかなかである。その一部はもちろん公表しているのだが、大学のセクショナリズムなどのために一般に公表するところまではいたっていない。

これはその資料を作成段階で学生のアルバイト料をE大学のあるプロジェクトに払ってもらったとかの義理があるためで、私もそれ以上にはなかなか押して主張できない。だが、本当のところはインターネットで公表したところで、それがE大学の学生の使用に弊害を及ぼすことは考えられないと思う。

そういういきさつのあるものであり、私としても構想のまだ半分にも到達していないのであまり本気でその公表を主張する気が起きていない。もっとも数人の方には公表をしない条件で個人的にそのファイルを送っている。

ところが、それをお送りした人たちからはほとんど「それでここの部分に感心した」とかいうような、または「ここは書き方が悪いのでこのようにしたら」とかいう、フィードバックがほとんどないのである。それもこのファイルをお送りするときに公表は事情によって控えてほしいということと共に何らかの感想を求めているにも係らずである。

現役の中学校や高校の先生が多忙であることは理解しているつもりだが、それにしてもこのとても少ないフィードバックはどういうことなのだろうか。人は自分の感覚も麻痺してしまっているように感じられる。

(2024.3.20付記) どなたが読まれたのかもわからないが、このブログが読まれていた。実は書いてあることが何であったかもまた誰が私に電話してきたのかなにも覚えていないのである。

こうなると過去の私はまったくの他人である。

今月の収穫

2012-09-27 10:43:07 | 学問

今月は9月6日だかに数学・物理通信2巻4号を発行した。この作業は多くは8月中にされたことである。

さらにこの9月になって、「四元数と回転2」の原稿を書き上げた。友人に読んでもらって細かな修正の注意を受けているが、それを修正すれば完成であろう。

さらに、8月の徳島科学史研究会で発表した「安孫子誠也の武谷三男批判 II」の論文を徳島科学史雑誌に投稿する準備もほぼできた。現在読み直しの最中である。

それに、ある報告に啓発されて、9月に「平方根の近似値3」というエッセイを急遽書いた。これは近いうちに愛数協の機関誌「研究と実践」に投稿するつもりである。

これは最近急に入った仕事だが、知人に頼まれてある団体の会報への投稿文を読んでいる。ただ読むのみならずこれは加筆訂正をすることが要請されていると思っている。

その閲読を昨日ほぼ終わったと思ったが、修正した原稿をもう数日手元において置いた方がよいと思い、知人にはまだ連絡をしていない。それで家に帰ってその内容を妻に話したら、私とは別の視点からのアドバイスがあったので、さらに加筆する必要があろう。

今月は22日(土)に愛媛大学のドイツ人教師Reineltさんの主宰する「第7回外国語教育のミニ研究会」に一日だけ参加して刺激を受けた。いつもReineltさんは活動的であり、まわりにいい影響を及ぼしている。彼は愛媛大学に所属する教員として貴重な存在である。

私たち日本人の思考は日本人であるために生まれつき制限されたところがあるが、彼は私たちとは違った発想をするので、貴重なのである。

さて、今日からまたドイツ語のコースが再開する。

(付記) このごろはブログで呟いたことがすぐにどこかに登録されている。先日も知人のことをこのブログで呟いたら、その知人が所属していた(または、所属している)大学名のついたところに登録をされていた。それでわざと今回も愛媛大学の名前をあからさまに書いた。PRはどこの大学にも必要だからである。


人生は退屈か2

2012-09-26 13:04:47 | 日記・エッセイ・コラム

私の知人の女性で老齢のため介護施設に入ったが、日常の退屈さを嘆いている方がいる。確かにいままでの自分での行動とか、活動が制限されて嘆く理由を理解できないではない。

だが、人生は生き方によっては退屈ではない。それは知的に生きようとするかどうかであろう。そのためには老齢になるまでにその準備をしておかなくてはならないだろう。急に行動を制限される事態になってもそれに対応した生活をするということであろう。

私がそれに十分に対応した準備ができているかどうかはわからないが、生き方を選ぶのは自分なのでそういう生き方をしていきたいと常々思っている。

高知県の中学校か高校の数学の教師をしていた方から話をもう何十年か前に伺ったことがあるが、地域の人に数学を公民館かどこかで教えているということであった。この方は2進法か何かの原理を教えておられることを楽しそうに話されていた。

別に人に教えなくてもいい。自分で楽しむことができればいいのだ。だが、実はこれがなかなか難しい。

昨年の秋の高校の同窓会で出会ったクラスメイトだった女性はいま英語とガーデニングに熱中しているのだと話してくれた。彼女はガンだとの宣告を受けたのだが、手術と化学療法でなんとかガンを克服しておられる。そのうちにまた再発するかもわからないということも一応自分の人生の中におり込み済みであるらしかった。

頭のいい人であったが、歳をとってもその頭の冴えはやはりなくなっていないと思った。だから、どう生きるかはその人々のおかれた状況で対処するしかないが、そのおかれた状況の範囲でやれることはあるはずだといつも考えている。

人生の退屈を嘆いても始まらない。どう生きるかは自分で決められるはずだからである。もちろん、物理的にもう体が動かないとか、それぞれのおかれた状況はことによれば、とても厳しいものがあるかもしれない。

だが、自分の頭を使ってそういう状況をどう楽しく生きるかを考えることはそれはそれで生き甲斐のあることにちがいない。

(2012.10.1付記) 武谷三男は晩年には介護施設のラヴィアンローズ(La vie en rose)に入っておられたが、そこをお見舞いに訪れた西村肇氏によれば、枕頭にワイルの『群論と量子力学』(山内恭彦訳)が置かれてあったという。

これは武谷が若いときに読んだ書であるので、初めて読むわけではなかったのだが、晩年には若いときに読んだ書を読み直すということも人生を退屈に過ごさない一つの方法かもしれない。


(続)書評

2012-09-26 11:35:07 | 本と雑誌

アマゾンコムの書評でちょっと触れたいと思った書評があった。それは太田浩一さんの本についてである。

私はこの太田さんの本のファンであるが、アマゾンコムの書評者で、なかなか点の辛い方がいて、太田さんの本の星が2つだったか3つだったかの評価がしてあった。

そして、太田さんは「まとめ方の下手な方だなあ」と感想にあった。それは多分間違ってはいない。ただ、私は太田さんの博識なところというか情報量の多いところや視点の独特なところとか考えの深さとかを評価している。

だから、別にどう評価されようと太田さんの本を購入することを止めない。

でも、一般の人にとってのその辺の評価はどう感じられるのだろうか。特に太田さんがアメリカやヨーロッパに実際に住んでみたり、行ったりしたときの知識や情報は普通の人の得ることの出来ない貴重なものである。それに彼のとってきた写真も彼の著書の中にはたくさん入っている。それだけでも得がたい書であると思っている。

これらは「物理学者がいた街」というシリーズについての感想である。いままでのところこのシリーズは4まででているが、私はようやくシリーズの3まで購入したところである。後もう一つ4を購入したいと思っているが、これは来月以降となる。

私は気に入っている人の著書をできるだけ持つようにしている。先日は西條敏美さんの著書を2冊購入して、彼の書いた本はほぼ全部手に入れたと思う。多くの著書を西條さんから頂いていたので、これくらいは購入したいと思って「単位の成り立ち」「虹」の2冊を購入した。

まだ、私の購入したいと思っている、本に山本義隆氏の「十六世紀科文化革命」がある。しかし、本を購入することを妻が好まないので、一挙には購入できない。少しづつ購入するしかない。これらの本を買ったといっても本当のことを言えば、生きている間に読むことができるかどうかはわからない。

しかし、大抵は積読のようだが、なんでも時がたつとその書が必要になることがあるものである。そういう書にランダウ=リフシッツの量子力学がある。

大体、ランダウの書は私には難しすぎるので、読まないのだが、エアリ関数についてこれを読みたいと思うようになった。これは直接には西條さんの書いた「虹」のできる理由からではなく、量子力学のWKB近似からの要請である。

だが、そのエアリ関数が実は西條さんによれば、虹のできる理論と関係があり、そこでAiryによって調べられたのが、このエアリ関数である。ということでますますエアリ関数について調べる動機ができたわけである。

ランダウ=リフシッツの「量子力学」の日本語の訳書を私はもっていないが、学生のころに購入していた原書が役に立ちそうである。もちろん、原語のロシア語を私は解さないが、数式は万国共通の言語である。また、それに英語への訳書ももっている。それらを駆使してなんとかエアリ関数について知りたい。


アマゾンコムの書評

2012-09-25 12:29:38 | 本と雑誌

今やアマゾンコムで本を購入する人は多い。私もそんなに回数が多くはないが、それでもときどきはアマゾンコムで本を購入する。そのときの購入するかどうかの決定にはアマゾンコムの書評を参考にすることが多い。

ところが、数百以上の本の書評をしている人にも点数の甘い人とかなかなか点数の辛い人がいることがわかった。これはベストレヴューアといわれるような人の話であって、私のような数点しか書評をしていない人の話ではない。

これは人にはなんでも甘口の人とか辛口の人がいるのだから、仕方がない。もちろん、甘口の点数を与える人の書評が役立たないということではない。

私の記憶に残っている人は最近では雑学家さんとかゴルゴ十三さんであるが、この二人はなかなかしっかりとしていてそんなに簡単には五つ星を出されないように思う。それに反してお名前を失念したのだが、かなりの数のレヴューをされているある方は五つ星を乱発されている。

この方は英語と数学の書評が多い方であったと思う。だから、ちょっとこの方の書評では割り引いて考えなければならない。数学の方が専門の方だと思うが、それでも英語の方も詳しい方のように思えた。

私などはブログを書くのが毎日の一寸した仕事であるので、あまり書評などはしないのだが、雑学家さんやゴルゴ十三さんはホームページとかブログもお持ちかもしれないが、それ以外にこの書評がもう名人芸になっている。なかなかできないことである。

このブログにときどきコメントを下さるNさんはやはりいくつかアマゾンコムの書評を書かれているが、さすがに点数は甘くはない。それだけ書評が信用できると思っている。


外国語教育研究ミニ学会

2012-09-24 13:17:23 | 外国語

先週の9月21日の土曜日に愛媛大学であった、表記のミニ学会に出席した。私は別に外国語を誰かに教えたことはないのだが、このことに関心をもっている。

ここ数年私の主宰する雑談会と同じ日程となるので、参加ができなかった。たまたま今月は第5土曜日に雑談会の日程が延期されたので、出席の機会があった。

二つの講演が頭に残った。一つは東海大学のO教授の試みであるが、日本語を英語で書くというときに英語の語順を教えて英文の書き方を指導するという方法よりももともとの日本人の思考法というか文化を反省して日本人はindividual-orientedではなくgroup-orientedであるという文化の違いをまず教えたらどうだろうかと提案であった。

その提案はおもしろいものであるが、むしろその中間の、言語による考え方の違いとか語順の違いに焦点をおく方法とを併用した方がよいというのが私の考えである。

そうすると、これは長年勤めていた予備校での英作文の講義で作家の小田実がしていたように、日本文を簡単な英文で言うとか書くという指導法になるのではなかろうか。

例を上げれば、「これは私が生まれた町です」と日本語で書かれたとき、英語ならまずThis is a city(これは町です)という、そしてつづけてwhere I  was born(そこで私が生まれた)というだろう。

全体を続けて書けば

This is a city where I was born.

フランス語ならC' est une ville 'ou je suis n'e. とでもなろうか。だから、発想が違うのでその発想法の違いを教えて英語を話すときには英語の発想法にならなければならないと教えないとどうしても英語など話せないと思う。

これは長年ドイツ語やフランス語をラジオやテレビで学んできてそう思うのである。だが、普段の生活ではやはり日本語に圧倒的に支配されているので、そういう切り替えがなかなかできない。

いつもドイツ語のクラスで指摘されるのはドイツ人はそういう風にはいわないと言われる。ドイツ語の難しさを感じている。それは別にドイツ語には限らない。外国語はそれを母語にしないしない人にはいつでもそうなのであろう。

それにつけても、テレビに出てくる日本在住の外国人たちが自由に日本語を話すのを聞いているといかに自分の英語とかドイツ語とを話す、レベルが低いことかといつも思い知らされている。

もう一つの講演は小樽商科大学のC先生の試みであって、毎回英語を話す人を呼んでのシリーズの講義である。これはもちろん英語で話されるのではあるが、話す人にとっては自分の人生の生き方を話すという趣がある。

もちろん、こういう試みはあまり多くの大学では行われてはいないだろう。それもほとんどそのための財政的な裏付けのない中で報告者の事務的だけではない、負担で行われているらしい。最近では学長裁量経費からいくらかの支出をしてもらえていたりするようだが、やはり基本的には英語を話すスピーカーを探すところが一番大変の労力のいるところであろう。

もちろん、ふんだんな資金があれば、全国どこからでも英語のスピーカーを呼んでくることは何でもないであろうが、財政的にきつきつであれば、なかなかできることではない。しかし、ここ数年その英語スピーカーのシリーズ講義を行っているというのには頭が下がる。

これは第一に上げた試みとは違って別に語学的に細かなことはなにも言わない。ただ、英語を話す人々が講師となってのシリーズの講義が行われているというだけである。だが、これはこれで意味がある。

なんでも、それを行うという強い意欲(intention)をもつことが大切だと知らされた。強い意欲なしはなにごとも成し遂げられない。


coffee break(コーヒーブリーク)

2012-09-21 11:32:49 | 日記・エッセイ・コラム

coffee break(コーヒーブリーク)などというシャレた言葉を覚えたのは1965年に中間子論30周年記念の国際会議を湯川先生が京都で開かれたときに、そのサテライトのシンポジウムとしてやはり京都で行われた素粒子国際シンポジウムではじめて聞いたときである。

シンポジウムの途中で、ときどき休憩があり、それがcoffee break(コーヒーブリーク)と言われていた。その後1976年に1年間ドイツに留学をしたが、ドイツではKaffeepause(カフェーパウゼ)と言われていた。

ドイツ人は一般にはコーヒー好きだが、この点では紅茶好きのイギリス人とは大きく異なっている。もちろん紅茶を好んで、コーヒーをあまり飲まない人たちもいるらしい。

北海沿岸のフリースラントではドイツ人でも紅茶を好む人が多いと数年前に聞いて意外な気がした。しかし、北海をはさんでイギリスとヨーロッパの両岸で同じような嗜好の人たちが住んでいることはある程度うなづけることである。

coffee break(コーヒーブリーク)はフランス語圏ではpause-caf'e(ポーズカフェ)という。

ドイツへ留学する前にどれくらいの期間ドイツ語の研修を受けたらいいかの判定のために、大阪のゲーテ協会でドイツ語の学力検定を受けたが、そのときにはPauseなどという、日常語を知らなかったので、検定試験の途中でich mo"cte Ruhe haben(イッヒ メヒテ ルーエ ハーベン)と言ったら、Ah ja, Pauseと言われて、なんとか意味が通じて休憩をとることができた。

その後、子どもが半年だけドイツの小学校に通ったときにまずはじめに覚えて帰ったのが、Pause(パウゼ)であった。これは午前中の授業のちょうど中間にパウゼがあり、そのときに子どもたちが校庭でサンドイッチとかのおやつを食べながら友だちと休憩するのである。

その後、松山に帰ってからのことだが、スポーツ少年団がドイツから、松山に来たことがあり、そのときに世話人の一人だった、妻が「おやつの時間だよ」という世話人の言葉にパウゼと叫んだら、ドイツ人の少年たちがOh, ja, jaと集まってきたという後日談もあった。

もっとも、妻の覚えているドイツ語はこの他にはタンクステッレ(ガソリンスタンドのこと)とかアウトバーンとかごく限られた言葉しかない。だから、これは普通の日本人がドイツに行かなくても知っているくらいの語句しか知らないということである。

それでも女性はみんなに親切にされて、もっとたくさんの言葉を知っている、私などよりもパン屋のおばさんとかいった、土地の人とも話が弾んだらしいから、気心を通じるための要は言葉ではないのかもしれない。


暑さ寒さも彼岸まで

2012-09-20 13:00:47 | 日記・エッセイ・コラム

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、ようやく昨日くらいから涼しくなってきた。もっとも東京では例外的にまだ暑そうだが。

最低気温が25度を下回ると、少なくとも朝晩はぐっと気持ちがよい。もっともこれは気温の高さだけではなく、湿度が下がっていることも影響しているので、さわやかさには湿度も大いに関係する。

昨日は私の仕事場にもさわやかな風が吹いてきて久しぶりに気持ちがよかった。さらに一昨日くらいから夜に寝るときにもエアコンをつける必要がなくなった。

昨夜は窓を開けてあるとむしろ寒いぐらいであった。

昨日は宮田町のデオデオでレーザープリンターのトナーのカートリッジの新しいのをようやく購入したので、文書の印刷ができるようになった。もっとも文書の左端に黒い筋が入ってしまうので、これをなんとかしなければならないのだが。ここしばらくは印刷ができなかった。

なんだか、困ったことは続けて起きるようで、トナーが不足して印刷ができなくなっただけではなく、パソコンの不具合でインターネットがつながらなかったりして、弱った。

妻などは車と携帯と手帳がないととても困ってしまうという。車がないと移動にとても制限を受けるし、携帯がないと誰にも連絡ができなくなる。その上に手帳に毎日のその日の予約のすることを書いてあるのだ。

私などは手帳はまったく必要がないし、携帯をもっていない。それでも私はあまり不便だと思ったことはない。でもパソコンが動かなくて、インターネットが通じないとやはり困る。

右手と右腕がしびれたり、右肩が痛かったりしたときに、整形外科で右手を使うなといわれて、そんなことはできませんと抗ったが、やはり医師のいうことは正しかった。

そのうちに右手、右腕がしびれはときどきあるが、それでも痛くも重くもなくなると元の木阿弥で酷使をしそうである。


共役

2012-09-20 11:31:07 | 数学

共役と聞けば、記憶力のいい方は高校で学んだ数学の複素共役という言葉を思い出すだろうか。

その言葉にとても近いことを話題にしたい。四元数の共役のことを、この共役というテーマで話したいからである。

ちなみにいま岩波「国語辞典」第3版を引いてみたら、

共役: 2つが組になって現れ(考えられ)、それらを入れ替えたとしても全体の性質が変わりがないような相互関係が成り立っていること

と説明があった。

複素数a+ibに対してa-ibを共役複素数という。この互いに共役な複素数は2次方程式x^{2}-2ax+a^{2}+b^[2}=0の解である。もし、a+ibがこの2次方程式に解であるならば、a-ibもこの同じ方程式の解であることを示すことができる。

(注:x^{2}はxの2乗を示している。以下同様である。これはlatexの記法にしたがっている)

上の全体の性質が変らないような相互関係とはこのようなことを言っているのであろうか。

主題から外れるが、根と係数の関係(a+ib)+(a-ib)=2a, (a+ib)(a-ib)=a^{2}+b^[2}が成り立っていることも上の2次方程式で確かめることもできる。

さて、この複素数を一般化した数に四元数というものがある。a+bi+cj+dkと1, i, j, kの4つの要素から数が成り立つから、四元数という。

この四元数でa=0のときを「実部のない四元数」と呼ぶことにすると、このような実部のない四元数UとNとの積の順序が変えられると互いに共役である。すなわち、UNとNUとは互いに共役である。

四元数で共役とはa+bi+cj+dkに対して、a-(bi+cj+dk)のことを意味する。

なぜ四元数の共役を今日取り上げたかというと、実はいま書いているエッセイ「四元数と回転2」に関係しているからである。

このエッセイがほとんど書き上げたと思って読み直しているときに、どうも自分の書いた、この共役の関係を私は十分にわかっていなかったと思って、反省をしている。


インターネット故障

2012-09-19 11:34:10 | デジタル・インターネット

一昨日の午後からインターネットが接続できなくなった。

自分のホームページの「電気電子工学科ミニマム」という数学のまとめを久しぶりに開いてながめているうちに、そのページを閉じずに他の作業を始めてしまったことがトラブルの原因だったらしい。

NTTの回路事故係に電話したところ調べてくれて回線の故障ではないことがわかり、それでオフラインからオンラインに戻す方法を逐一親切に教えてくれたので、復旧できた。やれやれ。

ドイツ語ならGott sei Dankというところだ。ゴット ザイ ダンクは直訳すれば、「神に感謝あれ」とでもいうことだろうか。

この言葉は私が存じ上げていた、ある医学者がよく使っていた言葉であった。彼は私が知っている頃はW”urzburg大学で研究をする解剖学者であった。

なかなか朗らか方であった。秋田大学に勤めておられたが、その後琉球大学の解剖学の教授になられたと思う。その後、金沢大学に勤められたと思うが、どうもそこらへんから記憶と情報が定かではない。

ドイツ語やフランス語にも堪能な方であった。あるとき、家族でW”urzburgを訪ねたときに丘の上の教会でたまたま、出会ったがそれ以来もう何十年も会っていない。

実はお名前も田中さんだったかなと記憶は怪しげになってしまった。確か東北大学のご出身だったと思う。


ドキュメンタリー映画「X年後」を見る

2012-09-17 12:02:19 | 映画

シネマルナティックで、昨晩ドキュメンタリー映画「X年後」を見た。

これは土曜日の朝日新聞の人欄に伊東英朗さんの話が出ていたが、そこに15日から東京と松山でこの「X年後」が同時に封切られるとあった。

どこの映画館で上映されるのかわからなかったのだが、そのことを妻に言ったら、妻がシネマルナティックで映画を見たときにもって帰った、この映画館の上映予定の紙片をみつけてきて、上映館がわかった。

この紙片には11時から上映とあったが、実は私が土曜日の新聞を見たのは日曜日の午前11時前であって、この時間の上映には間にあわなかった。

それで仕方なく、夕方まで待って夜の上映を見た。

取り扱っているのはビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で被曝したマグロ漁の船員の話であった。それらの船員はほとんど50代から60代のはじめにガンで亡くなっていたということが最近の調査でわかった。

もちろん、少数ではあるが、まだ生存者がいて、それらの方々はきちんとカッパを着たり、帽子をかぶっていた方々であるという。もっともそういうことは大部分のマグロ漁の船員にはできなかったであろう。このような過酷な漁では、カッパを着ての作業などとてもできなかったであろうからである。

約300艘のマグロ漁船があり、各船がそれぞれ20名の船員を載せていたとすると、ヒバクシャは少なく見積もっても6、000人はいたことになる。多分約10、000人のビキニ被曝者がいたであろう。だが、そのほとんどの方々はすでに亡くなってしまった。この事実に気がつくのがzu sp"at(あまりに遅すぎる)。

ビキニ被曝の追跡調査を行っている元高校教員の山下先生はこれらの船員にも被曝手帳を交付すべきだとの運動をされているとのことであるが、ヒロシマ、ナガサキの被曝とは関係がないということで被爆手帳はまだ交付されていない。

フクシマの原発事故もあったので、将来はビキニ水爆実験での被曝やまた、フクシマの被曝者も含めてヒバクシャ手帳をヒバクシャに交付するのがすじであろう。

だが、そういう時代はいつ来るのかを考えると気持ちは暗澹となる。

映画は9月21日(金)までが1回目11:00から2回目が18:30からである。ただし火曜日は休映とのことである。9月22日から9月28日までは1回目10:00からであって、2回目の上映はない。

この映画は南海放送60周年記念の企画となっている。

もともと南海放送のディレクターの伊東さんが独自に取材したビキニヒバクシャの番組が7本もあり、それを映画化したらしい。私も偶然その一本、メメント モリを見たことがあった。


交通事故

2012-09-15 13:48:44 | 日記・エッセイ・コラム

交通事故といっても、車の交通事故のことである。どうしたら車の交通事故を起こさないか。これは神のみぞ知るであるが、私の心がけていることは「なんでもあわてない」ということである。

会の開催に間にあわないとか思ってあせっていたら、事故を起こすことが多い。だから、空港に行くのも、会に出かけるのもできるだけ、十分な時間の余裕を見て出かける。また、会に遅くなっても交通事故を起こすよりましと思ってあわてないことにしている。

また、もう一つは車間距離を十分とるということである。自分ではすぐにブレーキを踏むつもりでも年のせいで反射神経が鈍っていて、ブレーキを踏むのが遅くなっていたりする。だが、車間距離を十分とっていれば、それにも対応できる。

これは自動車学校では必ず教えられることなどだが、妻のように40年以上車を乗り回していれば、前の車がちゃんと動くと予想して車間距離をつめてしまう。これはいけない。ブレーキも安全装置の一つだろうが、車間距離は重要な車の安全装置なのである。

ある警官にいつか教えられたのだが、ブレーキを踏んでもそれが作動するまでに0.3秒か0.8秒かかるのだそうである。だから車間距離はそのために必要となる。このことを教えてくれた警官は実は私が工学部で教えた学生だったらしい。あとで、妻にその警官がそっと言ったと聞いた。

交通事故とは違うが、原発があまり人の住まない辺鄙なところにつくられるのも実は原発が基本的に危険だからである。そういうことをはっきりと意識していた、武谷三男を原発の設置場所も大事な安全装置だと述べている。

瀬戸内海ような内海に原発をつくったり、河川の近くに原発をつくったりするのは、実はいけないことである。そうことでは愛媛の伊方原発は危険防止の大原則を破っているのである。

もちろん、外海に面していれば、原発をつくっていいかはやはり問題である。だが、本当にやむを得ず、原発をつくるのならば、せめて外海に面したところにつくるべきであった。

愛媛の場合にはそれぞれの地域の事情があって、内海に面したところに原発がつくられたのであるが、経済的貧困からの解放との名分が原発の設置と合わせ鏡となっている。これは福島県とか福井県の事情とも同様である。


ある日常生活での経験

2012-09-14 13:17:48 | 日記・エッセイ・コラム

電気ポットでときどき湯を沸かす。そのときに水を入れて、湯が沸いたシグナルの音が鳴って、すぐに急須に湯を注ごうとするとなかなか湯が出てこない。

「あれポットが壊れた。そろそろ買い換えないといけないのかな」と思ったことがあった。ところが別のときにはちゃんと湯が出てくるような経験をした。「あれ、ポットが直ったのか」などと思った。

ところが、先日湯が沸いたので、すぐに急須に湯を入れようとしたらなかなか入らない。「あれ、直ったと思ったのは間違いだったか」とそのときに思った。

ところが、どちらにしても湯がはかばかしく入らないので、そのまま1時間ほどして急須に湯を入れたら、普通に入った。

もちろん、勢いよく湯が出るわけではないが、それでもなんとかある時間辛抱すれば、湯がたまるくらいには入るようだ。それで気がついたのだが、湯が沸騰した直後だとまだポットの中の空気の圧力が外の圧力よりも強く、ポットのボタンを押しても湯が出なかったのだと推察された。

もっともポットが新しいときにはこういうことはなかったのかもしれない。ポットが古くなって本来の機能が劣ってきたためではあるかもしれないが、ポットの外からの空気の圧力でポットの中の湯を出しているらしい。