物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

講師の言葉から

2020-12-30 11:54:43 | 本と雑誌
NHKのラジオのフランス講座「まいにちフランス語」に講師の大塚陽子さんがつぎのようなフランスのことわざを紹介されているのを見かけた。

 C'est grand on aime quelque chose que l'on progresse.
 好きこそものの上手なれ

と訳がついている。訳があまりにこなれすぎているので、直訳して見ると
「何かを好きなら、進歩は大きい」とでもなろうか。あまり文法的にどういう風になっているのかはよくはわからない。

逆に言えば、「進歩をするのは物をすきになることである」と言ってもよいかもしれない。

ちょっとしたエッセイでも

2020-12-30 11:47:06 | 本と雑誌
ちょっとしたエッセイでもなかなか仕上がらない。昨夕、予想よりも一時間早く妻が迎えに来たので、あわてて昨日入力した分をプリントして持って帰って夕食後に見たら、またあちこち修正しなくてはいけないところが見つかった。

言葉足らずのところもある。十分説明したつもりだったが、そんなことはなかった。

如何に私は粗雑な頭をしているのかが思い知らされた。もっとも文章を書くときはいつもこういうことをしてはいるのだが。


「四元数とLagrangeの恒等式」2

2020-12-29 12:24:24 | 本と雑誌
「四元数とLagrangeの恒等式」のエッセイがなかなか入力できなかったが、やっと昨日まがりなりにも入力をした。

この原稿を家に持って帰って見たら、都合の悪いところだけたくさんが見つかった。それで今日はその修正をしなければならないことになった。

どうもしかし文章と数式の入力自体がどうもあまり気が進まなかったというかぐずぐずした。最近は本を読むことの方が主となっていたので、文章を入力するのがおっくうになっていた。

エッセイと言っても3ページの短いものである。それでもおっくうになるなどとは歳は取りたくないものだ。




『数の世界』をほぼ読んだ

2020-12-28 12:41:25 | 本と雑誌
昨日の日曜日に『数の世界』の四元数の前の部分をほぼ読んだ。これで四元数のところは読んでいたから、ほぼ90%くらい読んだことになる。

ちょっとした刺激をこの本から受けた。それは中学校程度の数学について書きたいということであった。

小学校のレベルではすでにいくつかの本が数学教育協議会に集う人たちからドリルを含めてたくさん出されている。私の知人もたくさん本を書いているらしい。

中学校レベルもその手の本はかなりあるだろうが、やはり「ちょっとしたことでいくつかの新味を加えることができるかな」とも思うことがいくつかある。

readの意味

2020-12-28 11:56:43 | 本と雑誌
英語の得意でない人でもreadは読むという意味だと知っているだろう。ところが アメリカの人類初の月旅行のときだったかに。do you read me ?とかいうのを聞こえますかと同時通訳の方が訳されているのを聞いたことがある。

こういう意味がreadにあるのはこの時まで知らなかった。最近知ったのはまた別のreadの意味である。

これは英文の論文とかの正誤表のところで間違った英文の正しい英文を書いたところにshould readとあるのですが、これをこう読むべきだあるノーベル物理学賞受賞者が書いていたが、そうではないと指摘するインターネットの記事である。

このshould readはと言われてあわてて辞書を調べてみたら、本当にいろいろな意味があると知りました。

「訂正してこう読む」とか「・・・を読みかえる」とかいう意味だとか、ほかにも「温度計や時計が時刻や温度を示している、表示している」というときにも使えるという。

そういえば、bookでも本という名詞としてだけではなく、「予約する」という動詞の意味もある。


12月31日大晦日はドイツ語で何というか

2020-12-26 12:29:26 | 本と雑誌
まだ大晦日には数日あるので、ちょっと気が早いが12月31日大晦日はドイツ語で何というか書いておこう。das Silvester(ジルヴェスター)という。

いまSylvesterと書いて辞書を調べたら、ここには出ていない。それであわててSilvesterのところを見たら、こちらにあった。綴りをいい加減に覚えていた証拠である。

もっとも口頭でいうときにはそのまちがいをしていることはドイツ人にわからないから、綴りは英語ではspellingというだろうか。ドイツ語ではBuchstabeといったはずだ。buchstabirenという動詞もある。もっとも収容語数が少ない辞書には、この動詞は載っていないかもしれない。

Wie schreibt man das Wort ジルヴェスター auf Deutsch ?
(ヴィー シュライブト マン ダス ヴォルト ジルヴェスター アウフ ドイチュ)  

とでもいえば、ドイツ人がその綴りを教えてくれるだろう。 

四元数とLagrangeの恒等式

2020-12-26 12:11:56 | 本と雑誌
Lagrangeの恒等式の証明方法はたくさんあることを以前に数学エッセイに書いた。たぶん、5回くらいだったろうか。

そして、そのLagrangeの恒等式の四元数とか複素数により証明法が私に四元数に関心を持たせる動機となった。そしてその末には自分自身で四元数についてのの本を書かせる動機とまでなった。

時は流れて今年の2月に出たブルーバックス『数の世界』でも四元数によるLagrangeの恒等式の証明が出ており、私がした証明よりもそれだけを見れば、簡明な証明となっている。

それで、「四元数とCauchy-Lagrageの恒等式」というこの証明の仕方をレビューするエッセイを昨日から書きはじめた。Lagrangeの恒等式の証明だけから見れば、『数の世界』の証明は私が与えた証明よりも簡明になっているが、そもそも私は四元数を発見する指導原理としての絶対値の法則をとったので、そもそもの前提がちがう。そのためにLagrangeの恒等式の証明としては、ごてごてした証明になっている。

数学者はどこかで与えられた定理や法則を証明はしてくれるが、それがどのように見つけられたかを示してくれることは少ない。

そういう意味で私の書いた本の存在意義はあると思っているが、そういうことの意義を認めてくれる人は少ない。その点は私が数学者でないためでもあろうか。もっとも結城浩さんは私の本を数学書と書いておられるので、数学者でない人から見れば、数学書なのであろう。


三角関数の加法定理の導出法をどうまとめるか

2020-12-25 13:22:07 | 本と雑誌
しばらく休んでいる、三角関数の加法定理の導出法をどうまとめるかの作業を再開したいと考えている。

だが、数日前から四元数について書かれた本を2冊ほど読んだので、それの理解がまだ十分ではない感じがしている。

四元数によるLagrangeの恒等式の証明は実は私の四元数への導入の役を果たしたので、関心がある。『数の世界」(講談社)には私が3次のLagrage恒等式と名付けた四元数による証明があった。これには気がつかなかった。

そのことも含めてあらたに数学エッセイを書いてみたいと考えている。これは年末から年始にかけての私の密かな仕事になるだろうと思っている。

仕事の実状

2020-12-25 13:14:06 | 本と雑誌
ブログを書くことは私の仕事の一部である。そして新しいブログを書くだけではなく、以前のブログに現時点での付記を書くのも仕事の一部だと考えている。

ブログは私の私的な歴史の一部であるので、その後の経過とか現在の状況を付加することもある。

また本文に手を入れて、少し文章自体を修正することもある。だからきちんと言えば、私の文字通りの私的歴史ではないかもしれない。

そういういきさつから、先刻も四元数の改稿という2011年9月のブログに付記を付け加えた。



La vie en rose

2020-12-24 12:34:12 | 本と雑誌
La vie en rose(バラ色の人生)とは有名なフランスのシャンソンのタイトルであろうが、物理学者の武谷三男が最晩年に入っていた老人施設の名前でもある。

ラビアンローズと続けて言うのが普通であろう。なにか一語のようであるが、一語ではない(注1)。

2000年4月に武谷さんが亡くなったときに、哲学者の鶴見俊輔さんが武谷さんのobituaryを朝日新聞に書いていたが、亡くなる前年の1999年にこのラビアンローズに武谷さんを訪ねたと書いてあった。

そのときに、そこでも武谷は元気でだいぶん鶴見さんと話をしたらしい。ある意味では論争と言ってもよかった。

また別の人の証言では入院した病院のベッドの傍には彼が若いときに熟読したと言われる、ワイルの『量子力学と群論』(山内恭彦訳)の訳書があったという。

その本の現物を一度 M さんの事務所で見たことがあると思うが、もうほとんど二つに分解していた。そこには細かな書き込みがあったと記憶する(注2)。

いつかこの書き込みをよく読み込んでみたいと思っているが、そういう機会が私に訪れるとはとても思えないというのが本当のところであろうか。

(注1)ラビアンローズは意味ごとに、きちんと分けて発音するとラヴィ アン ローズであろうが、そうは発音しない。そこがフランス語の音の「きれいさ」であり、また「難しさ」でもある。

(注2)Mさんは武谷さんの死後、彼の残した資料とか書籍の遺族からの寄贈を受けた責任者である。武谷三男史料研究会の会長をされている。武谷家のMさんに対する信頼があついということだろう。





21日は冬至だった

2020-12-24 11:48:23 | 本と雑誌
12月21日は冬至だった。一年で一番昼の短い日だと言われている。

私が子どものころは家で冬至の日にはカボチャを食べる習慣があった。これは長寿を願ってのことだったのかどうかよくは覚えていない。

カボチャはもちろん夏にとれる野菜である。私の父はカボチャの好きな人であったが、私自身はどちらかといえば、カボチャは好きな野菜ではない。嫌いなのかと言われるとそこまで嫌いではないが、どちらかというと好きな野菜には入らない。

そういう冬至の日にカボチャを食べるという習慣から遠ざかってひさしい。いまではもう記憶の中にしかない。

それはそうと私のお得意の外国語ドイツ語ではこの冬至のことをdie Wintersonnenwendeという。こういう語は文献から学ぶ人もあるだろうが、私はドイツ人の R 氏から耳で聞いて学んだ語である。だが、いつも知識があいまいになる。

Winterwendeだったかな、といつのまにか途中のsonnenの部分が脱落してしまっていた。「いまさっきお得意のドイツ語だと言ったのではなかったかい」と悪友からの突っ込みがありそうだ。いくらお得意とかいってもそれくらいのことであるから、あまり真剣にとらないでほしい。

おしゃべりをもう少し続けると、夏至は-e Sommersonnenwendeとなる。つづりの長い言葉だが、Sommer夏、太陽Sonne、Wende転換の3つの部分から成り立っている。

Wintersonnenwendeも同様である。さらに冬至と夏至というと春分と秋分はどういうかと聞きたいといわれるかもしれない。

春分と秋分に区別がされているのかどうかは知らないが、die Tagundnachtgleicheという。これも分解すれば、Tag 昼、und と、Nacht夜、が等しいGleicheという意味である。分解すればわかりやすいが、しかし、味もそっけもない言葉だとも言えるかもしれない。


Heiligabend

2020-12-23 16:22:46 | 本と雑誌
明日はクリスマスイヴだが、これはドイツ語ではHeiligabendというと毎年聞くのだが、今年も聞かれて忘れていた。

そろそろ覚えておかないとドイツ語のクラスの先生のR氏に、愛想をつかされそうだ。ハイリッヒアーべントと発音する。ドイツ語は合成語が多くて、どこで切って発音したらいいかわからないことがある。まだこれくらいの語ならば、まだまだやさしいほうである。

いま年賀状を書き始めたところだが、ちょっと休憩時にこのブログを書いている。ちなみにクリスマスはWeihnachtenという。フランス語なら、joyeux No"el(ジョワユー ノエル)で、ドイツ語なら、Frohe Weihnachten(フロエ ヴァイナハテン)で、日本語なら「クリスマスおめでとう」であろう。

ちょっとしたことだが、

2020-12-23 13:17:44 | 本と雑誌
ちょっとしたことだが、意外と知られていないことから、数学でも数学ではない外国語でもつまづいてしまうことがある。

それでそういうことがないようにと私自身の意見で経験でこのブログに書くこともある。ドイツ語でつまづいたことに文のカッコだとか枠構造とか言われるものはそういうつまづきの石の一つである。

これはこのブログで数回にわたって書いたことがあるが、それほど読まれたとは思わない。しかし、そういう機会の一つとして『ドイツ語への招待』(大学書林)という本を紹介したことがある。

この本にはあまり詳しく書かれてなかったのが、文のカッコだとか枠構造である。これが少なくとも私にはドイツ語学習のつまづきの大きな石であった。

今日も「Levi-Civita記号とベクトル解析」に関係したエッセイを紹介しておいた。これは「数学・物理通信」に掲載したものである。これと『物理数学散歩』(国土社)掲載の「ベクトル解析学習の問題点」は役に立つだろうが、『物理数学散歩』はあまり売れなかった。それでも一時はこれの無料のpdf文書が出回ったりした。その有用性に気がついた方がおられたということだろう。

『数の世界』で書いてほしかったこと

2020-12-22 15:37:49 | 本と雑誌
ブルーバックス『数の世界』(講談社)では掛け算とか割り算での符号の規約の意味については述べていない。

中学校で学ぶ掛け算とか割り算の符号の規約をマイナスの数をかけると原点を中心にした数直線が180度回転するので、符号が変わるのだといえば、
プラスの数にマイナスの数を掛けてマイナスの数になるのはちょうど原点を中心にして数直線が正の部分が負の部分に移っていく。

また負の数に負の数をかけると数直線の負の部分にあった部分が原点のまわりの180度の回転で正の数直線の部分に移っていく。

こういうことを負の数と負の数とをかけると正の数になるのだとか。このことが正の数と負の数の掛け算とか負の数と負の数の掛け算の符号の規約になっているのだとか説明をしたほうがよかったのではなかろうか。

いろいろ複素数についても多くの説明があるのだが、どうしたことかそういう説明が落ちているのは残念である。

それと虚数の評価が3次方程式のカルダノの解の公式においてようやく定まったということも、もうちょっと強調してもよかったのではあるまいか。それらしきことが書いてはあるのだが、読んでの印象としてはあまり強くはない。

『数学ガールの秘密のノート・複素数の広がり』(SB Creative)にはこのことがきちんとかかれている。

(付記)結城さんと同様に私も負の数の含んだ掛け算についての規則の意味の説明を「複素数の導入」というエッセイに書いた。これは「数学・物理通信」10巻4号(2020.6)に掲載してあるのでインターネットで検索して読んでみてほしい。

もっとも最近ではこのような説明が他のインターネットのサイトでも見られるようになった。

昨夜のNHKのEテレ「旅するドイツ語」から

2020-12-22 10:21:34 | 本と雑誌
12月21日に夜の「旅するドイツ語」で名言の紹介があった。

Gl"uck ist Liebe, nicht anderes.  幸せは愛である、他のなにものでもない。
(グリュック イスト リーベ、ニヒト アンドゥレス)
Wer lieben kann, ist gl"ucklich. 愛することのできる人は幸せである。
(ヴェア リーベン カン、イスト グリュックリッヒ)

これは私の聞き間違いでなければ、Herman Hesse(ヘルマン・ヘッセ)の名言だという。

こういう言葉はすぐに忘れるので、このブログに書き留めておきたいと考えた。