物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

さて、これから?

2014-09-26 11:28:50 | インポート

昨日、徳島科学史雑誌に投稿原稿をe-mailで送った。

さて、これからの1か月ほどが比較的自由な時間である。どうしようか。

三角関数の還元公式の導き方のいくつかをまとめてみようかと考えている。すでに構想はあるのだが、うまくまとめられるであろうか。

最近、著者から送って頂いた、『算数・数学活用辞典』(日本評論社)に、武藤 徹先生が電卓の普及でこの還元公式の必要性が薄れたと書かれている。

その通りではあろうが、ここは自分なりのこだわりかたでまとめてみたいと考えている。


四元数のブログのアクセス

2014-09-25 11:13:22 | インポート

最近、『四元数の発見』(海鳴社)を出版した。

そして、そのことをこのブログでも述べたので、私の四元数を話題としたブログのアクセスが増えている。とはいってもごく少数の人に限られているのだが。

昨日、義弟と子どもたちにこの本を送った。それから姪にも送った。今日か明日には届くであろう。次兄に電話して読んでみるかといったら、読んでみたいというので、次兄にも送った。

もっとも彼が読んで理解するかどうかはわからない。前に『数学散歩』(国土社)という私の退職記念に発行した書を送ったら、時間がかかったが、読んだらしく、親戚の集まりがあったときに、感想を述べてくれた。

次兄は法学部の出身だが、姪の結婚式のときに高校時代の友人がその祝詞に花嫁の父はもともと理系型の人間だと言っていたので、そうかもしれないと思った。

私の兄弟姉妹は彼を除いて理系人間である。だからかどうかは知らないが、彼は常に話が理屈っぽい。

子どもころには彼は気難しい感じがいつもしていた。いまはそれほどないが、それでも小さいときの片りんはある。

私は自分で言うのも変だが、そういう気難しいところがないはずである。またあまりプライドももっていない。

一方、妻はときどきプライドの強さが現れてほとほとその強さに困ることがある。まあ、そんなに大変なことは35年間にいままでにところ2, 3回であるから私も救われているけれども。


扇型の面積

2014-09-11 15:10:38 | インポート

先日、このブログで円弧の長さと扇型の面積について書いた。

扇型の面積が中心角に比例することを示した、ようやく文献を見つけた。

『現代の綜合数学II』(現代数学社、1973)という古い本である。

中心角alphaに対する、扇形の面積をg(alpha), 中心角betaに対する扇形の面積をg(beta)とすれば、中心角alpha+betaに対する扇形の面積はg(alpha+beta)となる(これは図を描いてみると一目瞭然である)。すなわち

      g(alpha)+g(beta)=g(alpha+beta)  (1)

が成り立つ。これからalpha=0, beta=0のときにはg(0)=0であることがわかるから

  g(alpha)=k alpha                              (2)

と表せて、扇形の面積は

中心角に比例することがわかる。これがわかれば、

  g(alpha)=(1/2)r^{2} alpha                 (3)

であることを示すことは簡単である。

いろいろ調べてみたが、これほどはっきり述べた文献はなく、「扇形の面積は中心角に比例する」という事実を事実として述べたものが多かった。高校の参考書とかにはこの事実も書いていないものが大部分である。

(1)は関数gが線形であることを示しているので、(2)が成り立つのは当然であるともいえる。

(2017.8.31付記)「研究と実践」(愛数協)116号 (2014.11)に「扇形の面積」というタイトルでエッセイを書いたが、その中でも述べたが、もし中心角\alphaに対する扇形の面積をSとすれば、中心角が2 \alphaに対する扇形の面積は2Sとなり、また中心角が2\alphaに対する扇形の面積は3Sとなる。円の中心角がn\alphaと中心角\alphaの n 倍になればそれに対する、扇形の面積は nS と S の n 倍になる。すなわち、円の扇形の面積はその中心角に比例する。

すなわち、(2)が導かれる。このことは誰にでも明白なことなので、上に述べたようなことをわざわざ考えなくてもよいと考えるのが普通の人の思考であったのだろう。それをそういうことを考えられなかった、私はよほど「トンマなやつだ」ということであろう。


Kinderfreundlich, oder ?

2014-08-13 12:01:54 | インポート

Bist du kinderfreundlich ? (こども好きですか)

Ja,  eigentlich bin ich kinderfreudlich. (はい、子ども好きです)

Kinderfreudlich, oder ? というと「(君は)子ども好きだよね、そうじゃない?」と同意を求める表現であろうか。

子どもにとって、ドイツはあまりいい国ではない。おとなしく(brav)することが求められ、夜は早く寝ることが求められる(注)。

夜の時間は大人の時間であり、子どもが遅くまで起きていることは歓迎されない。

子どもは自分たちの寝室で一人で寝ることを求められる。子どもにとってはドイツは厳しい国である。電車などでもし子どもが騒いでいたら、近くの大人に叱られるのがオチである。

子どもが騒いだりするのを良しとはしない。子どもが電車やバスの中で騒いだりすれば、大人は黙っていない。

これは日本の現在のことだが、知人の女性の孫が夏休みに1週間ほどやってきてどこかの集会に連れて行ったら、そこに来ていた大人を叩いてまわったとかで、妻がその子を叱ったらしい。

さらに、その子の祖母にちゃんとしつけをして叱らないと意見したらしい。その祖母は妻の仲のいい友人だが、彼女はやはり孫がいた1週間ほどは大変だったらしい。

妻がその人に昨日電話したら、ようやく孫が帰ってくれてほっとしたという話だったらしい。

(注)bravというとどうも英語のbraveを連想する。独和辞書によれば、bravで「勇敢な」という意味は古語としてはあるらしいが、普通にはbravといえば、子どもがおとなしいとか従順であることを意味する。

従順という意味ではgehorsamという語が思い浮かぶ。こちらはまったく従順で言いつけをよく守るような感じがするが、本当のところはどうだろうか。


子どもはおとなしいのがいいか

2014-08-11 11:09:37 | インポート

「子どもはおとなしいのがいいか」などと書くと、今子どもを育てているお母さんの検索からのアクセスが多いかもしれない。

ここでは子育てに役立つことを言うつもりはないと明言しておく。

数年前に医療生協の支部活動の一部として夏休みに無料塾を行った。松山地方で最初に無料塾を行ったのは多分私たちであろうか。

そのとき、介護施設「あったか拓南」の会議室にやって来たのは小学校3年生と5年生の姉弟であった。

姉の方は5年生であったので、少し抑制が効いてはいたが、3年生の弟の方はいうことを聞かない。

常にいうことを聞く必要はないのだが、数十分を集中するという我慢ができない。お母さんが来ているときはお母さんの言うことだけは聞くが、無料塾とはいっても母親の意向で子ども自身は来ているので、先生である私たちのいうことを聞かない。

母親の要望でつぎの年も無料塾は開いたが、私たちの熱意がなくなってしまった。

これは別にこの子どもに特異なことでもなさそうである。3年目に書初めのための塾を妻が正月明けに開いたときには、3年坊主が5年生になっており、以前と比べればだいぶん大人になっていた。

現在、お隣の子どもさんたちは小学校の1年、3年、5年である。5年ともなれば、やはり大人びてくるが、1年、3年ではまだまだ子どもであり、わがままがときどきでる。

それでもお母さんのいうことはきちんとまもるから 、お母さんは子どもにとってやはり特別な存在なのであろう。

一言つけ加えれば、別にお隣のお子さんが性質が悪いということではない、むしろ普通の子どもと比べれば、格段におとなしく、聞き分けのいい子どもさんたちである。


愛媛日独協会総会(2014)

2014-07-19 21:54:31 | インポート

今日、2014年度愛媛日独協会の総会が愛媛大学であった。

講演はKさんの内子町とローテンブルク市との交流の歴史とYさんのカフカの話であった。

どちらも質問が多く出された。いつも質問が少ない方ではないが、今日の総会はとりわけ質問が多かった。

これはそれぞれのテーマについて関心をもっている方々が多いのだとは思うが、それにしても例年よりも多かった気がする。

これは愛媛新聞にその開催情報が載っていたためと思われる。この機会に愛媛新聞に愛媛日独協会の関係者として感謝をしておきたい。

特にカフカの話についての講演は独文学会での発表をアレンジしたものである。

だとすれば、愛媛県の知的レベルが相当のものだということを示している。

カフカについての講演をされたYさんは魅力的な女性であるが、松山におられる年数は5年間と限られているらしい。


7月14日

2014-07-14 12:43:52 | インポート

7月14日といえば、le Quatorze Juilletである。今日はフランスの国民の祝日La fete nationaleである。日本では映画「パリ祭」にちなんでよく7月14日をパリ祭と言ったりするが、フランスではそんなロマンチックな言い方はしない。

シャンゼリゼ―では日中は軍隊のパレード行進(d'efil'e militaire)があり、夜にはいたるところでダンスパーティがあるという。

シャイヨ宮の側のトロカデロ広場でも花火をあげ、町のいたるところでダンスパーティがあると聞く。

エッフェル塔のセーヌ川をはさんで対岸のシャイヨ宮に向かってはゆるやかな坂になっていて、そこから若者がスケートボードに乗って降りてくるのを見たのはもう40年近く前の3月のことである。

そのときにはエッフェル塔からパリの市街を見物した後でシャイヨ宮に向かって坂を一家4人で上がって行った。まだ子どもが4歳と6歳のころである。シャイヨ宮の方からエッフェル塔を見るのもまたいいながめであった。シャンドマルス(Champ-de-Mars)も下方に見える。ちろんその前にエッフェル塔に登ってパリの展望をした。遠くのモンマルトルの丘の上に白いサクレ・クールの寺院が見えたと思う。そのサクレクールに行ったのはその次の日であったか。そういえば、セーヌ川での数時間の遊覧船観光もした。いわゆる大きな船のバトームシュbateau-mouche(注1)ではなかったが。

その後はエトワール広場(この頃はドゴール広場というのか)に出て凱旋門を見学した。その後はシャンゼリゼ―を下って行き、そこの近くのレストランで食事をして、地下鉄で宿まで帰ったのだろう。

最近ではパリの地下鉄の駅の内装がとても明るくなっているとかいうことだが、そのときにどうだったかは覚えていない。

シャトレーという地下鉄の駅station(注2)でいつも乗り換えていたと思う。パリ郊外の田舎の町に宿をとって、パリ市内の観光に数日をかけたと思う。とはいってもたいしたものを見たわけではない。

(注1)moucheは蠅の意味だと聞いたことがある。なんでそんな名前がついたのかの由来は知らない。 (注2)la staionは地下鉄の駅であり、鉄道の駅はla gareである。バスの停留所は覚えていなかったので辞書を引くとl'arretだとある。

動物と植物のちがい

2014-07-12 13:33:49 | インポート

動物と植物のちがいをよく知っているわけではない。

動物は自分で動いて獲物や植物を食べることができるが、植物は特別な植物は自分で芳香を放って、虫とかを呼び寄せて食べる花もあるとかだが、大体は動物を食べたりはしない。

これは一般的かどうかはわからないが、炭酸同化作用で植物は炭酸ガスを吸い込んで酸素を放出する。SFではそうでない植物も出てきたりするようだが。

動物の方は人間も含めて酸素を吸って、炭酸ガスを排出する。

そのために火星への人間の移住計画では炭酸ガスの多い火星の大気を少しづつ変えて、酸素を増やすために苔のような植物を火星にロケットで送りこんだらとかいう考えをもう20年以上前に聞いたことがある。

中学校の頃に友人から、植物の方が動物よりも地球上に先に現れたということを聞いた。なぜなら、動物は植物なしでは生きられないからだとか。その真偽のほどはいまでも一度も調べたことはない。

人間が自宅の庭に植物を植えたり、集合住宅に住んでいる人なら、バルコニーに草花とかを育てていたりするのも、心が癒されるということもあろうが、植物が炭酸ガスを吸入して、酸素を放出するということとも本能的に関係しているのかもしれない。

話は違うのだが、私のブログの中で意外とよくアクセスされるのが「気体と液体とのちがい」というブログである。どうしてこのテーマがよくアクセスされるのかはわからないのだが、毎年ある時期になるとアクセスが増えるという現象がある。


私の人生の10曲(3)

2014-06-20 13:09:52 | インポート

私の人生の10曲もすでに10曲をすぎてしまったが、その(3)を述べておこう。

シャンソンのAux Champs-Elyseesはテンポがよくていい。

Aux Champs-Elysees, Aux Champs-Elysees, ・・・

シャンゼリゼ―には欲しいものがなんでもある(il y a  tout ce que vous voulez aux Champs-Elysees) という。本当にそうかどうかはあやしいが、そんなことはどうでもいい。

それからムスタキのma solitudeであろう。ムスタキはギリシア生まれのフランス人であるが、ひげを生やしたchanteurであった。

je ne suis jamais seul avec ma soltiude.

私はもう孤独ではない、私の孤独と一緒なのだからと歌うレフレーンは心に沁みこむ。

そして最後はモーツアルトの魔笛(Zauber fl"ote)の中のパパゲーノの歌う曲であろう。

V"ogelf"anger bin ich ja, ganz heu ca (?)・・・

とかなんとかいうのだが、どうも記憶が怪しい。しかし、人生の最後に聞くのなら、やはりこのオペラ魔笛の曲であろう。


私の人生の10曲(2)

2014-06-20 12:41:19 | インポート

中学時代に流行って覚えた歌は春日八郎の「お富さん」である。

粋な黒塀、みこしの松にあだな姿の洗い髪・・・

とかいう曲であり、当時住んでいた I 市ではある電機店の店頭にテレビが据えつけられて、多くの人が野球の中継や相撲とかプロレスの放送を見ていたものであった。中学生のころの夜の塾帰りにナイターの中継を見かけたこともある。

高校のときの思い出の曲はやはりフランク永井の「有楽町で逢いましょう」であろう。高校3年のときの卒業記念の演奏会か何かで音楽好きの友人の何人かがこの歌をうたったり、ギターやマンドリンで演奏したことで印象深い。

あなたを待てば、雨が降る。濡れて来ぬかと気にかかる。ビルのほとりのティールーム、・・・

それから大学へと進んだが、大学の頃にもいくつかの歌は流行ったのだろうが、思い出せない。大学院のころに友人のI 君が歌っていて、覚えたのが、「もず」であった。

もずが枯れ木で鳴いている。おいらはわらを叩いてる。みんな去年とおなじだよ。けれども足んねーものがある。兄(あん)さの薪割る音がねぇ。ばっさり薪割る音がねぇ。・・・(これはだいぶん歌詞が落ちている。2021.3.1付記)

これは哀愁を帯びた歌であるが、反戦歌だと後で知った。

これに似たシャンソンで「サクランボの実るころ(Les temps de cerises)」というのがある。歌詞はもう思い出せないが、これ男女の恋歌のようだが、やはりある種の反戦歌なのだという。

それとは違うが、有名なのは「雪は降る(Tombe la neige)」であろう。

Tombe la neige. Tu ne viendara pas ce soir.・・・

雪は降る、あなたは来ない。・・・

という曲は歌う人が男性であれ、女性であれ心に真に迫る。

ということですでに10曲となった。番外ではあるが、実はここら辺から私の心情にあった曲をなお、いくつか「 私の人生の10曲」(3) で紹介する。


angeblich

2014-06-13 11:30:54 | インポート

angeblichという語を使った会話を最近聞いたのだが、このangeblichの意味が頭に残らない。いまも辞書を引いてみたら、ちゃんと赤鉛筆でアンダーラインを引いていた。

だから、前にも辞書を引いてみたことはまちがいがない。だがいつも頭に残らないのである。

ちなみに、辞書では「自称の、表向きの、そう思われている」という訳語がついている。Langenscheidtsを引いてみるとwie j-d behauptet (was jedoch nicht als sicher od. bewiesen gilt)とある。

昨夜のドイツ語のクラスでR氏に聞いてみたが、本人がそう言っているが、大抵本当かウソわからないようなことを言うという説明であったから、上の独文の説明と同じである。

だが、このR氏の説明を聞かなかったら、やはり納得できなかったに違いない。

私がangeblichに関心をもつようになった文章はつぎのものである(NHKのドイツ語講座、応用編テクスト から)。

Angeblich (sollen) die ersten Kaffeeh"auser nach dem Ende der Zweiten T"urkenbelagerung Wiens im Jahre 1683 (er"offnet worden sein). (注)

(訳:言い伝えるところによれば、最初のカフェハウスはオスマン・トルコ軍によるウィーンの第2次包囲が終わった1683年に開店したそうです。)

である。この言い伝えは歴史的な事実かどうかはわからないことがわかる。 

(注)(  )の挿入は私によるもので、ドイツ語の文章に特有な動詞の枠構造を示すためである。定動詞は話法の助動詞のsollenで、本動詞はer"offnenである。受け身の完了形となっている。主語はdie ersten Kaffeeh"auserである。

(2018.4.6付記) ドイツ文がものすごく難しいように思われるかもしれないが、それほど難しい文ではないと思う。


wieder was gelernt

2014-06-02 12:27:15 | インポート

wieder was gelerntととは「また勉強になった」という意味である。しかし、今日の内容はドイツ語に関することではない。

ちょっとだけ説明をしておくと、この場合のwasはetwas(somethingにあたる)の意味で、英語のwhatにあたる、wasではない。

今朝、新聞を読んでいるときに短歌の投稿欄をちらっと見たら、知らない言葉が出ていた。それが「木通」であった。

知らない言葉であったので、妻にこれは何と読むのかと助けを求めた。妻はすぐにスマホで検索をしてくれて、これはアケビと読むとわかった。

アケビは蔦式の低木であり、春に花を咲かせ、秋には実がなるという。花の写真とその実の写真も見せてくれた。

しかし、こういう写真を見せてもらってもすぐに忘れてしまう方である。花は白に縁が赤かったように思う。

それにしても「短歌とか俳句をする人は私たちの知らない言葉を知っているね」というのが夫婦の結論であった。

短歌は、空き家に今年もアケビの花が咲いたが、空き家は空き家のままである、というような内容であった。


HTML

2014-05-19 10:11:48 | インポート

HTML(Hyper Text Markup Language)はホームページをつくるコンピュータ言語である。

それを勉強してホームページをつくろうなどとは考えたことはなかった。

最近ホームページはいくつかのソフトがあってワープロ感覚でホームページが作れるようになっている。

しかし、場合によっては、このHTMLを知っていてそれでプログラムを組めば簡単にホームページができるところがあるのかもしれないということを知るようになった。

それでHTMLに関心が今少し出て来ている。それとホームページを作成するソフトではHTML言語の表示もできることを知った。

リンクの張り方を知れば、階層構造をもったホームページをつくることが容易にできるかもしれない。それがHTMLをほんの少しだけだが、学んでみよかという動機である。

本当にHTMLを学ぶかどうかは分からないが、リンクの張り方だけわかればいいと思っている。

というのは、公表したいPDFの文書自身は結構手元にもっているので、トップページのそれに続く詳細な目次があれば、そこから各文書にリンクすればいいからである。

後はアカウント数とかメールとかをつければいい。


そにどり

2014-05-12 11:03:11 | インポート

昨日、声楽のコンサートに妻について出かけた。

上野学園大学音楽部声学科の卒業生の中で松山在住の4人の方々が先生だった上村京子先生を迎えてのコンサートであった。

市民会館中ホールに結構いっぱいの観客であった。第一部はフランス語のシャンソンであり、原語で歌われたが、私には一部の言葉が切れ切れに聞き取れたくらいであった。

歌はその言語をかなりよく知っていても難しいが、このフランス語のシャンソンはほとんど聞き取れなかった。

dans la nuitとかその他の少数の語が聞き取れたくらいで、何年フランス語を勉強しているのだろうと思われた。

4人の中ではさすがにT先生のフランス語の発音がよかったと思う。ここでは優劣を論じるのが目的ではないので、イニシャルだけで失礼をする。

ちなみに「そにどり」は緑の古語だそうである。


debris,overhaul, fix

2014-04-23 13:05:30 | インポート

debris,overhaul, fixとはもちろんすべて英語の単語である。(この3つの語の発音をカタカナで書けば、デブリ、オーヴアホール、フィクスである)

先日、NHKで原子炉の炉心融解のごみをどう回収するかという放送があったときに、debrisという語を初めて知った。

space debrisという語でよく使われているらしい。これは宇宙空間のごみであり、最近このゴミが多くなったとして問題になっている。debrisと書いてカタカナでつたなく発音を記すと、デブリであり、最後のsは発音しない。

どうもフランス語風の発音である。ちなみに仏和辞典を引いてみるとやはりdebrisがあった。もっとも英語の辞書にフランス語起源とも書いてないのでもっと由来は古いのかもしれない。

overhaulは大学に勤めて、まもないころに聞いて覚えた語である。実験室で「装置を修理しなければならない」という意味に出入りの業者が使っていた。いま辞書を見ると「分解して修理する、点検する」というような意味が出ている。

fixは日常用語として使われると思うが、「固定する」という意味ではなくてこれも「直す」とか「修理する」という意味で使う。しばしばfix upという連語として使われるとある。

こちらは英語会話の放送で使われていたので知ったと思う。このfixは日常語として「用意する」とか「(食物・飲物を)作る」という意味もあり、便利な語であるが、自分で使うという機会はもったことがない。口語表現なのだろうか。

小学館のプログレッシブ英和辞典ではfixはさすがに「物を修理する」という語の意味が最初に来ている。「固定する」という意味は三番目である。辞書も新しい物でないといけない。

そういえば、先日聞くともなしに聞いていたNHKのニュースで英会話でpollというのがあり、選挙という意味だと知った。

英語を読むことをあまりしない方だが、そのせいもあるかもしれないが、知らない英語の単語はいつまでたってもたくさんある。