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物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

『物理数学散歩』の紹介

2028-01-31 12:00:00 | 物理学
小著『物理数学散歩』(国土社、2011)の紹介のためにまず目次を挙げておこう。
 
1. 単振動の合成
2. 立体角
3. 自然対数の底eの近似値
4. arcsin x+arccos x=n/2を理解する
5. 微分をして、積分を求める
6. 母関数の方法
7. 関数の定義
8. ラプラス演算子の極座標表示
9. Legendre変換
10. 分岐点の定義
11. 積分公式の場合分けはいらない?
12. ベクトル積の成分表示
13. ベクトルの3重積の公式の導出
14. rot rot A=grad divA-ΔAの導出
15. テンソル解析の学習における問題点
16. 「Levi-Civita」再論
17. 「Levi-Civitaの記号の縮約」再々論
 
である。
 
この本はアマゾンコムでもAmazonのマーケットプレイスに出品されているものであるが、自著でもある。委託して販売をお願いしたのであるが、本当はとても役立つ本だと思う。
 
出版社との関係からうまく売り出せていない。それで、まずはお披露目したい。売価1,300円は安い(注)。安いと価値がないと思われるのが、残念だが値段以上の価値があると思っている。
 
内容の一部紹介をしておこう。
 
(2. 立体角)
だれにでもわかる立体角の説明はいまでは各所でみられるようになったが、私が書いたころには立体角の説明はほとんどなかった。いまでは「予備ノリたくみ」さんの本には私の本よりも詳しい説明がある。しかし、本質的なところは逃してはいないつもりである。
 
(5.  微分をして、積分を求める)
これは『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波書店)のある章のエピソードをエッセイの書く動機としたものだが、そういう動機づけが面白いと自分では思っている。この同じことをエッセイとして取り扱った本やエッセイもぼつぼつ現れてきている。
 
要するに、定積分の被積分関数の中にパラメータがあれば、そのパラメータで微分することによって定積分の値を求める方法である。この方法を使って多くの積分をファインマンはやって見せたので、積分なら何でもできる男との評判をとったという(2024.5.13付記参照)。
 
ファインマンは単に自分の知っていた方法が役立っただけだと言っているのだが、この方法はあまり学校の講義では強調して教えられることがない。それで私も悪乗りしてみたのだ。
 
私も「数学・物理通信」に3つほどその後同じタイトルでエッセイを書いている。関心のある方はインターネットで検索してみてほしい。
 
(6.  母関数の方法)
これは伏見康治先生の本『伏見康治著作集』(みすず書房)のある巻のエッセイからヒントを得て書いたエッセイであるが、中身は量子力学でも出てくるエルミートの多項式について述べている。要するに母関数の方法が重要だとの認識を伏見先生に教えてもらったから書いた。エルミートの多項式は母関数の方法の使えるほんの一例にすぎないが。
 
(7. 関数の定義)
高校の数学の先生なら、「ははあ、関数をブラックボックスと見るという関数の定義だな」と推察されるだろうが、そういう見方だけではなくもっと広い関数の定義について述べている。
 
もっともそれを知っていて、高校で数学を教えるときに役立つかなどと功利的な考えの人にはまったく役立たないだろう。だが、いろいろの関数の定義のしかたがあるのを楽しむ余裕のある人には世界が広がるかもしれない。
 
最近では若い人は私のような老人とはちがって特殊関数のことをあまり学ばないとか言われている。なんでもコンピュータが計算してくれるからだとか。
 
(8. ラプラス演算子の球座標表示)
量子力学、特に、水素原子の電子の状態やエネルギー準位を求めるときに球座標表示(3次元の極座標表示のこと)を使う。もっとも直交座標から球座標にラプラス演算子に変換するのは一苦労である。普通には一度直交座標系から円柱座標系にしておいて、それから続いて極座標系に変換する方法が用いられる(注1)。
 
だが、そういう便法を使わないで直接に直交座標表示から球座標表示にするのが正道の方法ではないかという思いにとりつかれてしまった。
 
このやり方でその途中の計算をきちんと書いた本は最近はないわけではないが、昔はそんな面倒な計算を書いた本などなかった。これはE大学に勤めるようになってから、佐々木重吉先生ご本人から先生の著書『微分方程式概論 下』(槙書店)に書いてあると教わったが、それを参考にしている。
 
だいぶん後になってだが、上の方針でまともに計算したエッセイを読まれた、場の量子論で高名なN先生にこういう計算を学生にやらせるのは数学嫌いを助長するのではないかとのご批判をいただいた。もっともである。
 
その後、「数学・物理通信」に類似のエッセイをいくつか書いている。そしてそれらの中には、肝を冷やすようで面倒なこの種の計算を少し簡潔にできる方法で述べているものもある。関心のある方はインターネットで検索してほしい。
 
(9. Legendre変換)
Legendre変換の一番よく知られた例は解析力学のラグランジアン L からハミルトニアン H への変換である。H=p \dot{q}-Lだったかな。
 
もっとも解析力学を学んだ頃はそういうことはまったく知らなかった。ハミルトニアン Hへの変換は変な変換だなという印象しかない。 これがLegendre変換であることを知ったのは大学に勤めるようになってからである。このことは後年私も訳者の一人となったゴールドスタイン『古典力学』(吉岡書店)の初版を読んで知った。
 
だが、それよりも熱力学の第2法則での内部エネルギーUから、エンタルピーH=U+pVへの変換、ヘルムホルツの自由エネルギーF=U-TSとかギッブスの自由エネルギーG=H-TSへの変換がLegendre変換だとは物理化学の本でようやく知った。これらは物理化学でも天下りで定義として、教えられているのではないだろうか。
 
これはムーアの『物理化学』上(東京化学同人)を読んでようやく知ったことである。熱力学を学ぶのは物理化学の本からがわかりやすくてよいとは伏見康治先生のご自身の経験による教えだったらしいが。
 
(10. 分岐点の定義)
私のような頭のわるい者には複素解析の本に書いてある分岐点の定義はわからなかった。それがようやくわかったという、お粗末噺である。
 
だが、世の中の人はみんな頭がよくてわかってしまうらしい。
 
(12. ベクトル積の成分表示)
ベクトル積の成分表示を求める方法を書いている。最近ではこういうことを書いた本もときどき見かけるようになった。特に外国語の翻訳書に多く見かけるような気がする。私は原島鮮先生の力学の本から知ったと思う。『Feynman物理学』III(岩波書店)でもこの謎は解けないが。
 
(13. ベクトルの3重積の公式の導出)
ベクトルの3重積の公式 A*(B*C)=B(A・C)ーC(A・B)いわゆるbac-cabルールをどうやって導くか(注)。この公式の発見法的な導びき方を書いた本はいまではないわけではない。私はこれを原島鮮先生の力学の本から知った。最近ではこれについて書いた本もぽつぽつあるが、まだ一般的ではないのは残念である。
 
またここには書いていないが、ベクトルの3重積の公式の記憶法としては中央項ルールというのもある。記憶法は単なる記憶法ではあるが、計算するときには役立つ。
 
(注)bac-cabルールはベクトル三重積A*(B*C)=B(A・C)ーC(A・B)の記憶法の一つである。同じベクトル三重積(A*B)*C=B(A・C)ーA(B・C)をどう覚えるか。これにも役立つのが中央項ルールである。この中央項ルールの説明も「数学・物理通信」に掲載してある。インターネットで検索してみてほしい。
 
私自身はこの中央項ルールを知った後ではベクトル三重積の計算が嫌でなくなった気がする。
 
(14. rot rot A=grad divA-ΔAの導出)
これは『Feynman物理学』のFeynmanの発見法的な導き方と伝統的な、ただ公式を既知の事実として、その両辺を比べて正しいことを検証する方法とを並べて書いた。
 
なお、表題の公式の導出にはLevi-Civitaの記号を用いた方法が、Feynmanの発見法的な導出法以外にもある。
 
これは(15. テンソル解析の学習における問題点)の(3節 ベクトル解析への応用)で述べてある。ただし、Levi-Civitaの記号をフルに使ってではあるが。
 
(15.-17. 「ベクトル解析」関係)
標題はテンソル解析とかあったりするが、実は応用としてベクトル解析のベクトル代数関係には「Levi-Civitaの記号の縮約」再論とか再々論とかが役立つし、その前の「テンソル解析の学習における問題点」なども大いに役立つ。
 
この薄い本がすべてのことに役立つはずもないが、ベクトル解析の一部にはとても役立つ。ただ、あまりこの本の存在が知られていないのは出版社には、この書の価値がまるでわかっていないから。それよりもあまりに価格が低くて出版社の利益が出なかったことが理由だったかもしれない。
 
しかし、私のような多くの普通の人たちには目から鱗が落ちるような衝撃を与えるだろう。
 
(注)本来の定価は1、200円である。アマゾンマーケットプレイスに出品するにあたって、いくらか売価を値上げして申請されている。それがいくらだったか覚えていない。(2025.2.5注記)上にはまちがって売価2,200円と書いてあった。1,300円が正しいです。
 
 
(2024.5.13付記)
積分が上手だと聞いて記憶のいい人はマリー・キュリーの伝記を思い出すかもしれない。マリー・キュリーが積分が得意だったということがその伝記に書かれていたからである。
 
これは夫のピエール・キュリーは、学生が積分できないとか嘆いたら、「マリーが来るまでちょっと待ちなさい」とか言っていたとか書いてあったと思う。これがどこに出ていたのか、二女のエーブ・キュリーが書いた『キュリー夫人伝』にでもあったのだろうか。
 
要するに、微分は誰にでもできるが、基本的な積分を除いて、積分ができるためには、ある種の能力が必要だという証拠ではないかと思っている。
 
(注1)学生だったころにラプラス演算子の極座標表示に挑戦してみたことがある。1週間ほど頑張ってみたが、どうも計算がなかなかあわず残念ながら断念してしまった記憶がある。円柱座標を経由して球座標(3次元極座標系のこと)に変換する方法は当時学んだ高橋健人『物理数学』(培風館)に載っていたので、こちらの方は簡単にチェックできたと思う。
 
(注2)日本人は自分を自慢するのはいけない、慎むべきこととなっている。私自身も日本人だからそういうことも思わないでもない。しかし、外国人にとっては自己PRは普通のことである。そういう観点から自己PRすることにした。鼻につくと思う方はそう思えばいい。その覚悟はある。むしろ控えめであって他の人に役立たないよりは。
 
(2023.7.26付記) 実はこの本『物理数学散歩』と『数学散歩』についてはこれらの本のpdf文書を無料配布するというかなり多くのサイトができた。これは自慢しているわけではなく、事実を述べているだけである。
 
3,000円もしない本の無料pdf配布のサイトができたのはなぜなのか。多分、大学での数学のある分野に役立つからと思われたからであろう。そのときに著者の私のところには『物理数学散歩』の数百部の本が在庫していたというのに。これははっきり言って流通の問題であった。だれが価値がない本を誰がそのpdf資料を配布したりするだろうか。
 
インターネットの古本市場で一時14,000円などという高値がついていたこともある。そういう高い値段がつくのは著者としては心外であるが、「安かろう、悪かろう」の本ではないのだ。
 
昔、外国で出版された書籍を国内で闇で印刷して売るという海賊版があった。これはその当時日本円はとても弱くてそういう外国で出版された本など購入することが普通の日本人にはできなかったからである。いまでは私たちも外国の書籍をちょっと無理すれば、購入できる時代になった。だが、国内で『物理数学散歩』のような、現在の日本ではありえないような安価な書籍の海賊版が横行するとは信じられなかった。
 
(2023.7.27付記) ご注意を頂いたので付記しておく。『物理数学散歩』がインターネットで14,000円もの高値がつくのなら、2,200円で何冊かを買い占めてそれを14,000円で売ることを考える人がいるのではないかという心配である。
 
もっともなご心配だが、そういうよからぬことを考える人は成功しないことを知っておいてほしい。私は買っていただくことには反対はしないが。
 
ちょっと考えたらわかることだが、いくらいい本だと言っても、これは値段との相談であって、14,000円も出してこの本を買う人はいない。2,200円ならお買い得品であるが、そこを間違えてはいけない。私は14,000円という値段をつけた人がいたとは言ったが、それが売れたとは思わない。私だってたとえ喉から手が出るほど欲しくてもその高い値段を考えてやめにするからである。
 
小著『四元数の発見』(海鳴社)もpdf版が出回ったことがあった。いまは出まわってはいないと思うが。いまどき2,200円で買える本などあまりない。税込みだとそれよりはすこし高いが。それだって相当に安価な本である。それだのに無料のpdf版が出回るとはどういうことだろうか。日本の文化のために嘆かわしいことである。著作権もなにもあったものではない。
 
安いことが価値がないことだとは思わないでほしい。価値のあることを安くても良心的な気持ちで提供していることもあるのだから。この物価高の世であっても。
 
ちなみに私自身は著作権が死後50年というのを延長したいという考えには反対である。アメリカでディズニーの著作権を50年から70年に延長するという試みがあるとか、またはその延長が認められたとかとも聞くが、これはあまりに利益偏重で文化をないがしろにする話である。
 
(2024.6.23付記)
小著『数学散歩』だが、神田の有名な自然科学の古本店「明倫館」で6,000円で売っているのを今さっきインターネット「日本の古本屋」で見かけた。この書は私の手元にも自分用の数冊しか残っていない。
 
一方、『物理数学散歩』は多量の在庫があるのだが。
 
(2024.9.30付記)
小著『物理数学散歩』だが、神田の有名な自然科学の古本店「明倫館」で1,000円で売っている。
 
(2025.1.14付記)
実は『物理数学散歩』はちょっといまでは不十分であり、新しい書を出すべきかもしれない。というのはこれらの原稿の多くはかなり改訂されて「数学・物理通信」に出ているからである。
 
ただ、それらはあちこちに出ているので、あまり使い勝手がよくない。それといまではあまりにエッセイ風のものの寄せ集めは世間には好まれないらしい。
 
体系的なものが必要とされているのではなかろか。しかし、これは私のような者には難しい。
 
(2025.2.20付記)
アマゾン・マーケッティング・プレイスで売っていただいているはずの、この『物理数学散歩』を先日検索しても消えており、「この書籍はお取り扱いできません」とあった。どうしてかわからない。販売をお願いしてある書店の方からはもう全部売り切れたという連絡は私の子どもを通じても、もらっているわけではない。
 
私の手元にはまだ100部以上残っている。開封していない箱が2箱は残っているのだから。だいぶん売れたとは思うが、それでもまだ残部はあり、きっと皆様のお役に立てるはずだ。

このブログの基礎的なことが読まれている

2025-06-02 11:00:00 | 物理学

物理の基本的なことを書いたブログが読まれている。

「熱力学第一法則の完全微分と不完全微分」の話だとか、「ポテンシャルと力の関係」だとか、また「波と振動の関係」だとか「波動の数学的表現」だとか、「遠心力は見かけの力か」だとか。こういう話題をもし大学で物理を学ぶ初級の学生がもし気にされておられるとしたら、優れた学生だと思う。

少なくとも私にはそういう疑問は初級の学生の頃には起こらなかった。長い間物理を教えている間にひょっと疑問になりだしたことである。

このブログには式を書くことをしないので、突っ込んだ議論はできないが、それでもどこを見れば、わかるかという文献等は書いたつもりである。Legendre変換の話もそういう話題の一つであろうか。これは解析力学でLagrangeの方程式からHamiltonの正準方程式に移って行くときにLagragianからHamiltonianへと変換される時にLegendre変換が使われている。

これなど黙ってこういう定義で変数を変換するとかいうだけなのである。もっともこの辺をごちゃごちゃ講義で話されても理解する人などいないのだろうか。親切な先生がいれば、一言これを「Legedre変換というものですよ」とかなんとかいうのだろうか。

これは熱力学の関数についても同じであろう。内部エネルギーUからエンタルピーHとかヘルムホルツの自由エネルギーFだとかギッブスの自由エネルギーGだとか。これらは全部対象とする変数を変える変換だということを知ったのは大学院を卒業して、それも大学に教師として10年以上も勤めたころであった。


「数学・物理通信」の編集を

2025-05-26 12:35:56 | 物理学
そろそろ「数学・物理通信」の編集を考えなければならないのだが、どうしようか。

二人の方の投稿があり、私も旧稿の改訂稿を投稿したいと思っている。それにいつも難しい論文を投稿されるSeさんの投稿もあるであろう。

私はちょっと四元数の改訂に頭が向かっているので、他のことに時間を取られたくはないのであるが、しかたがない。もう一人の方の投稿である、Shさんの投稿論文は私が読んで引っかかってしまったのだが、どのように処置するべきなのか。

私の引っかかったところは私以外の他の人にはどうでもいいことなのかどうかはわからない。Shさんのこの前の論文投稿のときも引っかかったところがあったが、あのときは私が自分で了解した経緯を添えて投稿したので、同時に発表ができたという経緯がある。今回もそうすべきなのか考えているのだが、まだ結論にいたっていない。

他の人に読んでもらうことも考えなくてはならないかもしれない。ただ、私は他人の論文を読むのがなかなか気が進まないので、自分の気が進まないことを人に押し付けるのは気がひける。これは私があまり頭がよくないからであって、他には理由はないが、その上に投稿論文はいくつもある。

投稿論文としては I さんの論文は読む気も起らないが、彼は信用できる人なのであまり問題はないだろう。

ミンコフスキーによる特殊相対性理論

2025-05-06 11:13:04 | 物理学
特殊相対性理論のミンコフスキーによる論文が出てようやくアインシュタインの相対性理論が多くの人に認められたといういきさつがある。もちろん、特殊相対性理論はアインシュタインの提唱によるのだが、それを数学的にわかりやすくしたのにはミンコフスキーの論文が大いに寄与したことは事実であろう。

ところが普通の大学の基礎課程での物理テクストでもそういう風な記述はあまりない。私が特殊相対性理論の解説論文を書いていたのは、このミンコフスキー風の解説である。そしてそういう風な解説をした本はあまりない。それで改訂が頓挫しているという側面もある。いや、そういう風な解説が渡辺慧さんの『時間の歴史』(東京図書)にあって、それに依拠して以前の解説を書いた。

ところが普通はx系とx'系との二つの座標系があり、x'系の方を静止系のx系に対して一定速度で移動させる。ところが『時間の歴史』ではx'系の方を静止という系としてx系を一定速度で移動させていた。それを普通のように改訂しようとしている。

ところが困ったことが起こった。それをx^{2]-(ct)^{2}=x'^{2}-(ct')^{2}を不変にする座標変換にどうやって適合させるかということでちょっと疑点が出てきているのだ。そこがクリアできれば、あとはあまり問題はないだろうと思っている。

ここでエピソードを付け加えておけば、ミンコフスキーはETH(チュリッヒ工科大学と訳されている)時代のアインシュタインの数学の先生である。もっともアインシュタインは講義にはほとんど出席しなかったので、アインシュタインの相対性理論の論文がでたときに、「あのさぼりのアインシュタインが・・・」とミンコフスキーが言ったとか、言わなかったとか。

ちなみに試験はアインシュタインは学友のグロースマン(後年には数学者となる)に講義ノートを借りて勉強し、パスしたらしい。

これほど大掛かりではないが、私もあまり講義に出席しないで関数論の2単位(これは必修科目だった)を可で取得して大学を卒業したという経験をもっている(注1)。この認定をしてくれた関数論の先生は後年に東京大学教授になられた故及川広太郎先生であった。及川先生に「まだ関数論の単位が学務係に出ていないのですが」と申し出たときに「君はお情けの可だったかね」と聞かれたが、黙っていると「いや、君は堂々たる可だったね」とご自分の成績簿を見て言われた(注2)。

しかし、こういうことはするものではないとの経験を私の人生の大部分でしている。不勉強のつけは一生つきまとわるということだ。

(注1)関数論の講義全体では6単位が開講されていたと思う。そのうちの私の学年まで2単位は必修だった。この2単位がないと大学を卒業できない。私より1年下の学年からは物理学科の学生には関数論の必修の単位はなくなったと思う。

(注2)数学科の掲示板に関数論1の単位取得者名簿が及川先生の名で張り出されていた。私には可の評点がついていたが、その横に「お情けの可」という評価の一群の人たちの名が出ていた。物理学科の学生にもお情けの可をもらった人たちがいたかもしれないが、数学科とか教育学部の理系の学生たちの名前がほとんどであったと思う。

特殊相対性理論

2025-05-01 12:21:02 | 物理学
「特殊相対性理論」について昔の講義資料をこれから改訂しようとしている。

ところが、以前に依拠した文献から別の文献に依拠する文献を変えようと適当な文献を探しているのだが、なかなか思ったような頼りになる文献を見つけることができない。私がこの講義資料を作ってからもう何十年も経っているのだが、思うような文献を見つけられないとは思いもしなかった。

相対論一般で啓蒙的な書籍はいまではもう日本語だけでも5冊以上は出ているだろうか(注)。いやひょっとしたら10冊以上になっているかもしれないのに。そのうちの全部を持っているとは言えないが、少なくとも数冊は私も持っている。困った、困った。こんな事態になるとは。これでは「特殊相対性理論」の改訂に暗雲がかかっているのはしかたがない。

2005年にこの講義資料は自著『数学散歩』の末尾に所収されたが、12ポイントの活字を使っているせいもあるが、図も含めて20ページにも及んでいる。

この講義資料をつくった1986年当時は「応用物理学」という講義を前任者のA教授から受け継いで、工学部2年生に原子力工学の初歩を講義していた。そのときに質量とエネルギーの同等性を示す E=mc^[2} という式を天下りではなく導いた方がいいと思って、この「特殊相対性理論」について2回にわたる講義をしていた。その資料として学生に配布した資料がもとになっている。

いわゆる大学の基礎教育課程では理工系の学生はすでに物理学を取得しているはずなので、ひょっとしたら、この講義はする必要がなかったかもしれない。そのころはそういうことにもまったく思い至らなかったという考えのなさである。

私のすることは一事が万事こういうことが多い。もっとも話題としてはちょっと面白いことも含んでいるのだが。

(注)相対論一般で啓蒙的な書籍と書いたが、ここでの啓蒙的な書籍とは文章だけで説明するという類の本は含めていないことを注意しておきたい。啓蒙的な書籍とは言ってもすべてきちんとした解説書である。

ソクラテスのような人

2025-04-03 21:23:53 | 物理学

どういう人をソクラテスのような人というのか。私自身はソクラテスがどんな人であったか全く知らないのに。

これは私が大学院博士課程の後期学生のとき、特に2年から3年の終わりまで指導を受けた方である。イニシャルで Y さんと言っておこう。毎日だったかどうだったかは忘れたが、大学の学生研究室でなにか作業とか仕事かをしているときに回ってきて私の研究のできなさ加減を聞いては意見をくれるのであった。

博士課程1年の頃まで私は S さんの指導を受けていた。そして S さんの示唆でH君とある簡単な仕事をして、生まれてはじめてショート・ノートとかレターといわれる短い研究ノートの研究をした。もっともそれを論文したのはすでに後期博士課程の2年になっていただろう。

これは修士課程で S さんの出してくれたある課題が迷路の入ってなかなか思うように解けないので、その副産物biproductとしてできた研究であった。もっともこれは私の創意も部分的には含まれていた。残り半分はもちろん S さんのアイディアであった。

それの研究の見込みがほぼ立ったころ S さんは他大学に転出されることになった。それはほぼ同じ年齢の S さんと Y  さんとが同じ大学の助教授にはなれる余地がなかったからである。もっとも S さんは私のいた大学よりも格上の大学への移籍であり、栄転でもあった。これは S さんのそれまでの業績を見ればその資格はもちろんその当時十分にあった。

Sさんの物理観ははっきりとは知らないが、簡単(simple)であることを一つの物理観にしているようにも思えた。これは私だけではなくて、ほとんど年は違わないが、先輩のMさんなんかもSさんの物理観はそういうものらしいといわれていたことがある。

Yさんの物理観には簡単さという気持ちがないかというとないとは言えないと思う。しかし、Sさんに私が感じたような簡単さで徹底して押していくというような感じはあまりしなかった。どういうのかわからないのだが、ある種の叡智が含まれているような感じがした。

いや、十分に説明することができない。以前にもこのブログで書いたことがあるのだが、ある種の懐の深さとしか言えない感じを与える人だった。前にも書いたが、これは頭のよしあしとか業績の優劣を言っているのではない。

SさんもYさんも優れた物理学者であったろう。これは門下生の私などとは全く違う。

しかし、ドンな私が一見変なことを言ってもそれを即座に否定したりしないで、自分の思考の中に取り込んでから私の考えている方向で、あるいは違ったコンテクストでアドバイスをくれるという感じだった。こういう方にあまり私はその後の人生の中でも接したことがない。ソクラテスのような人という由縁である。


山本、中村『解析力学 I 』の序章

2025-02-10 14:14:45 | 物理学

スピヴァック『多変数の解析学』を読む前にと思って、山本、中村『解析力学 I 』の序章を読み始めた。

とはいうもののなんだかはじめが読めないので、1章3節から読み始めた。昨夜のことである。ところが意外に興味深い。昨夜は就寝したのは深夜1時半であった。この本を前にも読もうとしたのだが、そのときは読むことができなかった。

はじめの1章2節の部分が読めないのである。だから興味深い所へ行く前に沈没してしまった記憶がある。私はきちんと本をはじめから読めない気質なので、今回は途中の1章3節から読み始めた。

しかし、今回のやりかたは成功をしそうである。もっともまだ1章3節を読み終えてないので、この読み方が成功するとは断言できない。

クリストッフェルの記号のところがちょっとまだ十分に納得していないのだが、まあいいのだろう。

(2025.2.13付記) 今日一年前の病院の予約があったので、午後病院に行った。そのときに待ち時間が退屈だろうと思って、『解析力学 I 』を持って行った。前に読まなかった1.1節を読むことができて、前に読めなかった1.2節も半分くらいは読めたが、途中で時間切れとなった。

後の続きが読めるかどうか。1.3節からの読みは1.4節の前半が読み終わったところだ。だんだん読んだ箇所がつながってくる。


アイディアがでない

2025-02-04 10:17:44 | 物理学
「Laplace演算子の極座標表示」という文書をlatexにしようとしている。だがどのように改訂するのかアイディアが出ない。 いちいち演算子の2乗の部分を積を作った計算をしていたのだが、そのところの演算子の前の係数を文字で置き換えた文書は一度「再考2」というタイトルで書いている。だから別の表現法を探しているのだ。だが、どうしたらいいのかわからない。 前の計算を直交曲線座標系の部分を除いて削除するというアイディアもある。それだとこの文書は直交曲線座標系についての説明の文書にするという考えである。しかし、どうもそこまで進んでもいいのかいまのところはわからない。 面倒な計算をそのまま残した説明をしておいた方が教育的にいいのではないかという考えが捨てられない。さて結局はどうなるのだろうか。 (2025.5.2付記)昨日だったかようやく「Laplace演算子の極座標表示」を改稿し終えた。面倒な計算をそのまま残した説明をするという考えを捨てた。円柱座標系を経由して球座標系表示を求めることを改稿のアイディアとして採用した。そのかわりに元の面倒な計算のところはそういう計算を行ってある文献の紹介に費やしている。

Laplace演算子の球座標表示

2025-02-03 22:54:58 | 物理学

Laplace演算子の球座標表示の文書をlatexに書き換え始めた。もっともこれについてはすでに新しい文書「ラプラス演算子の極座標表示再考2」を数学・物理通信に工夫した計算を掲載している。だから、前の計算をどう処理するのか問題である。

普通にあまり大変な計算にしないためには一度円柱座標系を経由して球座標にするのが計算が簡便である。学部の4年生のときにそういうことをしないでまともに取り組んで1週間ほどかかって失敗してしまったことがある。

それが気になっていたので、大学で自分が量子力学を教えるようになってから計算をして、それを愛数協の機関紙「研究と実践」に発表したのが今改訂をしようとしている文書である。

そこではまともに計算をする前に直交曲線座標系での計算をはじめにしている。もっとも直交曲線座標系を当時も今も十分に理解してはいない。だから、まともに計算をしようとしたのである。

その計算はE大学に勤めてから知り合いになった数学の佐々木重吉先生の本に大いによっている。佐々木先生の本ではこの面倒な計算をしていたからである。

さてこの記述をいまどうしたらよいのだろうか。

(2025.2.4付記) 「Laplace演算子の球座標表示」はタイトルはこれと同じではないが、『物理数学散歩』(国土社)に所収している。アマゾンコムのマーケット・プレイスでも買うことができるので、1350円だったかの安い本だから買って読んでみてほしい。もっとももっと工夫した計算は「数学・物理通信」を探せば、書いてある。


velocityとvelo-city

2025-01-31 11:16:21 | 物理学

velocityとvelo-cityとはどうちがうのかわかりますか。

velo-cityはvelocityを分けて書いただけではないですか。velo-cityは朝日新聞を読んでいて物理用語の「速度」(velocity)の英語が書かれてあると思った。ところがそうではなかった。

velo-cityは自転車国際会議というつもりだったらしい。この会議を現愛媛県知事が松山で開きたいという記事であった。そういえば、自転車のことをフランス語でveloともいうなと思いついた。

mon veloというと私の自転車という意味である。bicylcetteというフランス語もある。

(2025.2.2追記) 物理学の初歩を学んだ人は速さと速度とはどう違うか知っている。速さはスカラー量であり、速度はベクトル量であるという風に物理学の初歩では学ぶ。

スカラーとベクトルを知らない方に付け加えて説明すれば、スカラーとは大きさだけあって、方向とかは持たない量のことである。例としては温度とかである。一方、ベクトルとは大きさだけではなく、方向(向きも含む)も持つ量である。ベクトルの例としては力とか速度とかがある。

 

 

 

 

 


古い原稿

2025-01-31 10:29:28 | 物理学

古い原稿をlatexの文書にしている。これは『数学散歩』という自費出版の本の原稿である。『数学散歩』は全体で38編の文章からできていた。

そのうちの4編がまだlatexの文書にすることができていない。これらはほとんどどこかに修正したい個所がある文書である。残りの4つのうち一つだけほぼそのままでいいと思っている文書を昨夜からlatexの文書にしている。

それが終わると残りの3つの文書のうちで比較的問題がない「ラプラス演算子の極座標表示」を修正しながら、latexの文書にしたい。これは直交座標ならなんてこともないラプラス演算子を球座標表示に変換することを馬鹿正直に行ったという文書である。

残りは「特殊相対論入門」と「テンソル解析の学習における問題点」である。この最後の文書は実はベクトル解析の学習に役立つのだが、どのように修正したらいいのか方針も立たない。

これはこの文書が間違っているということではない。もっと一般的な立場にどうすれば立てるのかが私にもまだ十分わかっていないということである。

「特殊相対論入門」の方は私の昔の応用物理の講義の一部として行ったノートの一部だが、これはエネルギーE=mc^{2}が天下りに出てくることを避けるための措置であった。

これもなかなか修正が難しいところがある。だが、時間をかければ修正は可能だろう。


どうして熱は高い方から低い方向に流れるのか

2025-01-28 16:32:28 | 物理学
「どうして熱は高い方から低い方向に流れるのか」
 
これはいまさらのような疑問かもしれない。実は昨夜ベットに横になってそういう質問を高校時代に物理の先生にしたなあと思い出したのだった。
 
いまに至るもその答えは知らない。ちなみに高時代の物理の先生だったⅠさんがどう答えたと思いますか。
 
「おい、K、それは熱の性質だよ」こんな答えに満足するくらいなら、そんな質問などしない(注)。物理の I 先生、ぶったまげたかもしれない。質(たち)の悪い奴だと思われたかも。
 
受験勉強中にかなり多くの物理の問題を解いてもらった大恩のある先生である。浪人することなしに物理学科の受験に成功したのもこの I 先生のおかげであったかもしれないのだ。どうやって物理の問題を解くのかの基本を教えてもらった。
 
もうとっくの昔に故人になっている I 先生のことを思い出した。その後に知ったことだが、この私の疑問はいわゆる「熱力学第2法則」と関係した重要な事実であるということだった。
 
(注)このKは私のペンネームを入れてあります、念のため。
 
(2025.3.15付記)
この質問をした後で自宅学習の時期となって一人で大学受験の勉強をしていた(1958年1月)ころに高校の物理のテクストを読んでいたら、高温側から低温の状態の方へと移動するのは、日常生活での言葉をつかっていうと、場所(状態の数)が狭い方から熱は広い方に流れるのだと書かれてあったと記憶する。ちょっと専門用語的にいうのなら、とりうる状態の位相空間の狭い方から広い方に熱は流れるとか。
 
これはちょっと本質が違うかもしれないが、類推的にいえば、ある道路に車が縦列に駐車しているところで、車の駐車していない隙間の場所に車を路肩によせて駐車させようとするのと、その路肩に駐車していた場所から車のいない通路の中央に車を出そうとするときには、圧倒的に後者の方がしやすいことは誰が考えてもわかることだろう。熱が高温の方から低温の方へ伝導するのはこういう考え方に近いかもしれない。
 
こういう説明を高校の物理の I 先生もされたらよかったのではないかと、そのとき思ったことを思い出した。

『力学講義ノート』

2025-01-02 12:27:46 | 物理学
畏敬する元京都大学の北野正雄先生の『力学講義ノート』(サイエンス社)を正月の1日に送っていただいた。

北野先生にお礼のメールを書く前にこのブログを書いている。私もあまり力学の講義をしたことがない。それでも1度か2度はしている。

力学については独自の意見はあまりないが、遠心力とか慣性力が見掛けの力だといういい方には以前から疑問に感じている。そこははっきりと北野先生のこの新しい本では書かれているらしい。

この本のレベルでは関係がないが、大学受験程度では力は遠隔力と接触力との二つに分かれるとの指摘も必要だろう。

この本では双対性という考えを大事にしているらしい。そのために独自の記号が導入されている。双対ペアリングという用語が使われている。

この記号がこの本の普及のために障害とならなければいいのだが。この本の成功を祈っている。

この本を出版されたことによって、北野先生は電磁気学、力学、量子力学の3つの分野のテクストを書かれたことになる。

日本の優れた研究者でかつ教育者の一人で北野先生はあるだろうと思う。

物理学から遠ざかって

2024-12-13 16:40:03 | 物理学
物理学から遠ざかって久しい。

元々物理学が専門なのだが、どうもあまり専門というには学がなさすぎる。

現在は数学教育に関心があるのだが、これだってもともと私が数学がわからなかったことが原因である。

だから「ただ塾」で数学ができないのではなく、それと接触したくないと思っている生徒さんと出会うと昔の自分を見ているような気がする。

数学と接触したくないと思っている生徒さんだって本当の心の底ではわかりたいとは思っているのだと想像をする。しかし、あまりにもわからないから、自分の数学のわからなさと向き合うのが怖いという感情がめばえてくるのだろう。

それでついつい持ってきたパソコンのゲームとかチャットを見てしまうという心理状況なのではなかろうか。

しかし、デカルトかだれかが言ったように、理性は万人に公平に分け与えられているので、その気になると数学だってできるようになるという素地は誰でも持っているのだ。

要は自分の数学のわからなさとじっくり対面できるかどうかであろうと思っている。それは一朝一夕にはできないが、そんなに無限の時間をかけなくてもできるのだと確信している。

問題はあまりにも無残な自分の現状から逃げないという気概ではなかろうか。しかし、それを持てと言うのは簡単だが、そういう心理状態をどうやって克服するのかという具体的手立てはどうしたらいいのかわからない。

しかし、この覚悟はなかなかつかないものだ。

Nさんの原稿から手が切れた

2024-09-27 19:24:27 | 物理学
今日、Nさんからメールが入って点検した原稿のプリントを送れと言ってきた。それで近くの郵便局に行って、レターパックを買ってきて、夕刻速達で出した。

実はすでに2度目のメールであわてて朱を入れた原稿のプリントを送らなくてもいいですとのメールをもらってはいたのだが。

自宅に置いてあった原稿のプリントを妻に持って来てもらい、ちょっとだけ疑問の箇所を検討した後にである。ポストに投函できないかもしれないとか郵便局の人には言われたのだが、悠々と投函できたのでやれやれであった。

ほぼ一か月この原稿に取り組んできた。これは偏に現在の社会の人に武谷三男の社会への大きな寄与を分かってほしいと思ったからである。多分、2000部の初刷でもなかなか全部を売るきることが難しい時代となっている。

だが、たとえば、武谷がその意義を明らかにした、許容量の概念にしてもこれは大いに日本の社会のみならず世界の人々に有用な概念である(2024.10.17注)。それとかECでは予防防御の原則とかいわれている原則があるが、これだって武谷の言い出した概念である。

もっともECの科学者にも同じことを考えた人がいるであろうと思われる。

ICPCだったかの放射線防護の原則を決めるときにも岩波新書の『原水爆実験』放射線許容量の考えのところをアメリカの核物理学者J. Orearが在米中だった日本人の物理学者(大阪大学名誉教授になった森田さんだったか)に英訳させて、それを参考にしたと聞く。

だから、ICPCの放射線防護の原則は武谷の考え方に基本的によっているという。

(2024.10.17注)世に許容量という語が使われている。この言葉を、たとえば、人体に受けた放射線量で説明すれば、このときの許容量は人間が受けても無害な線量を意味するのではなく、そうではなくて放射線は人間にそもそも有害なので受けないですめばそれに越したことはない。

だが、放射線を受ることによって受ける利点があるのならば、その利点との兼ね合いで放射線量を我慢できるというような意味であるという。

利点とはたとえば、放射線技師なら、職業上の給料を得て自分の生活を成り立たせているというようなことをさす。もしそういう利点がないのならば、放射線を受けることは人間にとって有害であって少量であっても受けるべきではないという。

こういう概念はなかなか普通の人が理解するのが難しかもしれないが、わかっていただけだろうか。