物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

そろそろ3月だが

2017-02-27 11:16:13 | 日記

どうも3月になるという心の準備が私にはできていない。別に特別な準備がいるわけではないであろうが、それでももう3月とは月日の経つのは早い。

本を読むことは最近ちょっとよくしている。先日に県立図書館に返却した「昭和後期の科学思想史」は関心のあるところだけだが、2回ないし3回読んだ。

こんなにくり返し本を読むことは私には珍しい。いまは吉岡斉さんの古い本『科学者は変わる』を読んでいる。もっとも私のあまり関心を引き起こさないところもあるのだが、それでも全体を読んで見ようと思っている。

どうもはじめから順序よく読むことができない性質なので、自分の関心が持てるところから読んで他の部分を読むようにしている。どうも推理小説を終わりの種明かしの部分から読むような興ざめの感じもあるのかもしれないが、どうも本を初めから読むことなど大分以前からできなくなっている。

今年になってから一種の数学の本である、『不思議な数eの物語』(岩波書店)なども一番終わりの章のひとつ前の章から一つづつ前の方の章に帰っ育読み方をして、かなりの部分を読んだが、その後止まっている。


武谷批判の本は

2017-02-25 12:07:10 | 日記

たくさんあるということの一端を昨日知った。県立図書館で『科学者は変わる』(社会思想社)という吉岡斉さんの本を借りて来た。昨夜12時前になってちょっと拾い読みしようと読みはじめたら、1時半過ぎまで読んだ。

早くに寝るつもりだったので、思い通りにはいかない。この書は吉岡さんの処女作といっていいらしい。そのせいかなかなか論考がしっかりしていて、読み応えがある。

また取り使っている対象の科学者たちが著名な人たちであり、その人たちを常に批判的に見るということはなかなかできることではない。

もっとも昨夜は拾い読みだったので、これからすこしづつ読んでいくつもりである。


一年前に

2017-02-24 13:53:16 | 日記

ボルケナウの『封建的世界像から近代的世界像へ』(みすず書房)を若いときに歴史を専攻している先輩から読むことを勧められたと書いた。それから一年経ったが、結局読んでいない。

この書を図書館かどこかで見かけたことはあった。訳本はみすず書房から出版されていて、かなり分厚くまた重厚な感じの書である。もっともその書を読まないまでも開いてみたことがあるかと言えば、それもない。

だが、やはり一度読んでおかないといけないだろうか。県立図書館に所蔵されていないかこの後検索してみよう。

といっていま県立図書館の蔵書目録で検索したら、県立図書館には所有されていないことがわかった。なんて頼りのない県立図書館なんだろう。


Mona Lisa

2017-02-24 13:20:39 | 日記

先日の夜たまたまテレビのチャンネルを変えていたら、放送大学のフランス語の講座の放送を見かけたのでしばらく見ていたら、モナリザの絵か写真が何とかというフランス文の例を先生が挙げていた。

そのときに直接的にle tableau de Mona Lisaとあったので、私はちょっと驚いた。フランス語ではMona Lisaのことはla Jocondeというと思っていたからである。日本ではもちろんダヴィンチのモナリザと呼ばれて有名であるが、フランスではla  Jocondeというというのはフランス語を学ぶ日本人の常識ではないかと思っていた。それがはずれたわけだが、両方の言い方があっても不思議ではない。

ちなみに私などもモナリザが日本に来たときにわざわざ見に行った手合いだが、ルーブル美術館では別にモナリザの前に人だかりなどしていない。そしてこれが有名なモナリザだと思ってよく見ようと近づいてみたら、このモナリザには無数のひびが入っているということにむしろ驚いた。

話はモナリザからはずれるが、ちょっとフランス語を話せる人などがよく言う話題にモザールというのがある。これはフランス語ではモーツアルトのことである。

これはいつだったか大学でフランス語を少し勉強した学生が友だちにモザールと聞いてなかなかモーツアルトのことだとわからなかったと話しているのを聞いたことがある。

なるほど、なるほどそうなんだとそのときに思ったものである。私はそのときにはすでにモザールはモーツアルトのことだと知っていたのだが。


トレモロ

2017-02-23 17:54:27 | 日記

先日、市民コンサートでギターの演奏を聞いた。朴葵姫という韓国出身の女性ギタリストの演奏会である。そのときにトレモロという演奏法があることを知った。

タレガという人の「アルハンブラの思い出」という曲がこのトレモロを使って演奏される曲であった。親指とか人差し指とかの動きとかを見ていたら出てこないと思われる音が聞こえる。まるでさざ波がおし寄せるみたいな奇妙な感覚をもった。もちろん奇妙とはいえすばらしい音楽である。

いま日本語の辞書を引いてみたら、「音楽で同一音の急速度の反復。ふるえるように聞こえる。震音、tremolo(イタリア語)」とあった。ギターでの音楽の演奏をいままでに一度も聞いたことがないなんてことはないが、このトレモロははじめてであった。

不思議な感覚を呼び起こさせる演奏法である。

フランス語でtrembler(トランブレ)は震えるという動詞である。こちらの語はいまフランス語の辞典を引いて知った語であるが、tremblement de terre(トランブルマン ドゥ テール)とはフランス語で地震のことだと知っていた。

トレモロの響きに寄せる夢をみる  徹


今日は書くことがない

2017-02-23 12:22:33 | 日記

と書いたが、これは「『この白壁に落書きするな』と落書きする」みたいなことか。

弁証法というのは現象が常に変化して流動的で固定的でないという見方だと若い学生のころに学んだ。ところがもしそうだとするとそういう弁証法の固定的な考え方は弁証法に矛盾にしているのではないかという指摘がありうる。

もっともこれはある日本人のドイツ語言語学者からあるときに聞いた話ではこういう法則というか、ものの見方には上部の決まりがあって、例えば弁証法の場合だが、弁証法自身に弁証法の考え方とか見方は適用しないという約束事があるのだと聞いた。

自分に言及するというときには法則にもある程度あやふやというかあいまいになるということがある。

よく言われるものの言い方に『「クレタ人はみなうそつきだと」あるクレタ人が言った』というのがある。

もしか「クレタ人はみなうそつきだと」命題が正しいとすると、『「クレタ人はみなうそつきだと」あるクレタ人が言った』全体の命題からはあるクレタ人は嘘をついていることになるので、「クレタ人はうそつきだ」ということが否定されるので矛盾が生じる。

もしか「クレタ人はみなうそつきだと」という命題が正しくないとすると『「クレタ人はみなうそつきだと」あるクレタ人が言った』という全体の命題は正しいので、はじめの「クレタ人はみなうそつきだと」という命題が正しくないとする仮定が成り立たなくなり、矛盾する。

こういう自己言及型の言及はいつも議論を起こすようである。

上のことわざというか。例はどうも(-1)*(-1)=1となることをなんらかの文章で表しただけのような気がする。否定の否定がどうなるとか昔学んだ弁証法の一例にあったかもしれない。


Box 16の目録が

2017-02-22 14:15:13 | 日記

数日で完成する。急にbox 16の目録がといっても誰にもわからないが、武谷三男の遺した資料の30数箱かの資料の一つの箱の資料の目録の作成である。

1月の三連休のときに東京で仲間が集まったときにBox 16を担当をしていたのだが、A4の用紙で33枚になった。他の方々はみんなラップトップのパソコンで直接入力されていたのだが、私は昔風のA4の用紙に書き写すというふうに仕事をするただ一人であった。

それを松山に帰って来てからExcelのファイルに入力しているのだが、今日までのところ28枚の入力が済んだ。あと4枚を残すこととなった。一日に2枚ずつ入力しているので、順調にいけば明後日には終わるはずである。

もっとも25日の今週の土曜日には雑談会をするので、そのとき私がレポーターを務める予定なので、明日も明後日もひょっとしたらいそがしいかもわからない。そうだとしても来週早々には作業が終わる予定である。

もっとも3月初めにはまた東京に行く予定である。


ディープラーニング

2017-02-21 14:24:11 | 日記

についての解説記事が2月19日の朝日新聞に載っていた。

ところがこれがこれがなにがなんだかわからない記事で、ディープラーニングの正体はあくまで「プログラム」ということになるとあった。どんなことを原理にしたプログラムなのかを書くのが記者の仕事ではないのか。ということはこの記事を書いた人自身がディープラーニングを理解していないのか。

正しいかどうかはわからないが、ある元大学の物理学科の卒業生が書いた人工知能の説明書ではデータを回帰曲線にあうようなパラメータをも見つけることが本質だと書いてあったような気がするが。気がするとしか言えないのはそのとき読んだ本の内容をはきっりと覚えていないからだ。

こんな記事ならいらないとまではいうことができないが、もうちょっと突っ込んだ記事を書いてほしいものだ。


「数学・物理通信」の編集を開始?

2017-02-21 12:11:12 | 日記

しなくてはいけない時期にきているのだが、なかなかそれにとりかかれない。原稿が少ないわけではない。むしろもう満杯になっている。ありがたいことに。

だが、なかなか気がのらない。気がのらないことは今回が最初ではない。だが、こんなに気がのらないのは珍しい。体調が悪いわけでもない。「角度の導入」という武藤先生の原稿をどうしようかと考えている。この原稿と関連して惑星(特に地球)の運動について触れたいのだが、そこが難しいのだ。

惑星の運動を解くことはそれほど難しくはないのだが、それからがどうしていいのかわかっていない。一番初めはゴールドスタインの『古典力学』(吉岡書店)で惑星の運動をフォローした。そのつぎに武藤先生の著書『ミクロとマクロをつむぐ』(日本評論社)の最終部分の「ケプラーの法則」をフォローした。これは19日の日曜日にした。

つぎに昨日だが、原島鮮著『力学 I』(裳華房)の惑星の運動の部分をフォローした。いずれもちょっとずつ記述が違っていて、またそれぞれに特徴があり、おもしろかった。

コンパクトにまとまっているのは最後の原島著の『力学 I』である。武藤先生の『ミクロとマクロをつむぐ』もまとまっているのだが、一部初めて見たときにわからない関係があったが、それはちょっと考えたら、わかった。

その関係を黙って武藤先生は使っていたのだ。だが、さすが原島先生はちゃんと説明して使っている。


軍事予算か学術予算か

2017-02-20 14:00:07 | 日記

学術会議等で軍事研究をするということの議論がされているらしい。

防衛予算とかから委託研究を引き受ける大学の研究者が増えているのだが、これは大学に来る予算がぐっと減って来ていることから研究に財政的に困っている研究者が防衛予算からの委託研究を引き受けるということが多くなっている。

すぐに軍事研究とみなされるものはそう多くはないらしいが、どんな研究もそういう目で見れば、デュアルユースがかなりできるものであり、私なんかは現状の大学予算が少ない現状では防衛装備庁の委託研究に応募する研究者が増えるのも仕方がないかななんて思っていたが、私よりも若い人からは厳しい批判を聞いた。

同じ国がすることで一方で大学での公費を私たちが勤めていたころの1/3くらいに絞られており、科研費等から何とか研究費をもらえる人はともかくとしていわゆる公費では研究がほとんどできないような状況が生じている。

一方では朝日新聞(2017.2.18)によると防衛装備庁の予算が15年度は3億円だったものが、17年度には110億円に一挙に37倍に増加している。これが本当にいいことなのかはよく考えてみたら、わかりそうなものだが、そんなことは議論がされない。

中国の海洋進出が新聞やテレビ大きく取り上げられて、防衛予算を増やすことはあまり反対の議論がされないために、どんどん増えていく。トランプ政権でも日本の防衛予算を増やせという要求は強いだろうし、安倍政権でもそれに迎合的であろう。これは本当は中国の膨張的な主義もよくないのだが、それでなくても防衛予算は増える方向に行きつつある。

大体、防衛省になったのが、そもそものはじまりである。これで「たが」がはずれてしまった。防衛に値する国でなくなりそうなのに、防衛だけに専心するという気持ちがわからない。日本の国の自尊心はどこへ行ったのか。


惑星の運動

2017-02-20 12:30:24 | 日記

かなり力学を勉強しても惑星(たとえば、地球)の運動を運動方程式から導いたりすることはあまりしない。だが、このところそのことを学んでいる。

ゴールドスタンの『古典力学』(吉岡書店)の上巻を読み返して軌道の式を求めたりしたのだが、その後で武藤 徹先生のテクストを昨日自宅でフォローした。

コタツの上はめちゃめちゃになっているので、あまりきちんとはフォローできないのだが、場合によっては本に書き込みをしたり、斜線を入れたりした。楕円の性質が分からなかったりして、解析幾何の本を一部読んだりした。

これは武藤 徹先生のエッセイを、「数学・物理通信」用の文体に書き換えをするためである。もとのエッセイは角度という概念が日本とか中国とかにはなかったのが、バビロニアから角度の概念が入ってきたということである。そうすると角度という概念はけっこう難しい概念なのであろう。

そこのところを少し文章のギャップを埋めたいとやっているのだが、どうもギャップが埋まらないような気がしている。というか、どのようにしてギャップを埋めているのかが私にはまだ理解できていない。


スーパ―ムーン(super moon)をドイツ語では

2017-02-18 13:01:01 | 日記

何というか。これはいつかのドイツ語のクラスでR氏にきいたのだが、それによるとSupervollmond(ズーパーフォルモーント)だという。der Mond の最後の d は語の最後なのでトと発音する。まちがってもフォルモーンドと濁って発音してはならない。

これとよく似たことでドイツはドイツ語ではDeutschlandであるが、ドイチュラントであり、ドイチュランドではない。もっとも私などは発音するときに間違えてドイチュランドと発音しているかもしれない。

それにドと発音してもドのところにアクセントを置くはずはなくきわめて軽く発音するので、それほど違和感を感じさせないで済んでいるだろう。要するに私たち日本人にならこの語尾のトとかドは濁ったか濁らなかったかの判定ができないくらいにしか発音しない。

スーパームーンは満月または新月のときに起きるが、新月のときには月は見えないので、そのときはスーパームーンであっても私たちにはわからない。

ちなみにドイツ語で満月はVollmondであり、新月はNeumond(ノイモーント)である。abnehmender Mond(アプネメンダー モーント)(欠けていく月)とかzunehmender Mond(ツーネンメンダー モーント)(満ちていく月)などという語まで知っているようなら、相当のドイツ語通であろう。

ドイツ語を知らない人のために一言つけ加えれば、ドイツ語では固有名詞でなくても名詞は大文字で書きはじめる。


(2023.9.15 注)スーパームーンのときの月の明るさについて「数学・物理通信」7巻2号(2017.3.20)に書いたことがある。インターネットで検索してみてください。「数学・物理通信」で検索したら、出てきます。

物理の問題の解き方

2017-02-17 11:26:08 | 日記

を詳しく解説した文献を探している。

これについては私が高校3年生だった、1957年の10月から12月くらいの間に『科学の実験』という雑誌に出た記事があると思っている。これを探しに大学の図書館に行ってコピーをとりたいと思う。

その紹介を私の発行する「数学・物理通信」に載せたらどうかと思っている。「数学・物理通信」自身に投稿される論文はかなり程度の高いものであり、それはそれでこのサキュラーのレベルを示しているのだが、もうすこし誰でも読めるようなものも、ときには掲載した方がいいと考えている。

今日はあいにく雨なので、大学の図書館に行くのはあきらめた。もうすこし暖かくなるのを待ちたい。


Tizkの本

2017-02-17 11:21:27 | 日記

Tizkの本がそろそろ出ているのではないかと検索してみたが、日本語の本はアマゾンで調べた限りではでていない。しかし、英語では1冊出ているが、いまは品切れらしい。

その代わりに電子書籍で読むことができるので、早速ダウンロードした。もっとも英語で書かれているのだが、なかなかその英語がわからない。

本ではなくて、インターネット調べてみる方がよかったのであろうか。後で検索をしてみよう。


お腹をこわしてしまった

2017-02-16 11:22:31 | 日記

大体、あまり病気にならない方だと思うのだが、お腹をこわしてしまった。

だから、トイレに始終行きたくなる。こまったものだ。昨日、血圧の薬を朝飲むのを忘れて検診に行ったので、夕方頭がおかしくなった。それであわてて血圧の薬を飲んだのだが、もちろん空腹というほどではないが、すくなくとも食後ではなかった。そのせいかどうかはわからないが、今日はもう数回トイレに駆け込んだ。

さて、夜はドイツ語のクラスだが、行くことができるだろうか。こういうことは珍しいのだが。