「大学と国家」などと書くとたいそれたことを書くのではないかと思われようが、そうではない。
しかし、やはりタイトルとしては、「大学と国家」であろう。
先日から書いている、鶴見俊輔さんのことである。先日、『「思想の科学」私史』で知ったのだが、鶴見さんはアナーキストの疑いをかけられて、アメリカの官憲に捕まっていた。
そのうちに日本とアメリカが戦争状態に入り、アメリカにいた日本人には日本に帰るか、それでもアメリカにとどまるかの選択を迫られた。
鶴見さんは必ず日本は戦争に負けるとわかっていたが、敗戦する日本に居りたいという思いがあり、日米交換船で帰国するのだが、その前に在学していたHarvard大学は留置所にいる鶴見さんに卒論を提出するならば、卒業を認定するという裁定を下す。
ここが面白いところで、もし当時の日本ならば、敵国のアメリカ人の卒業を認めたりするだろうか。大学と国家とは独立であるという見解が大学人にあって、卒論を提出するならば、卒業を認めるというところがすごい。
しかし、今回私が知ったのはそれ以上のことである。鶴見さんはまだ2年半しかHarvard大学に在学していなかったらしい。日本ならいまでも在学期間が4年に満たないならば、それは大学の規定を満たさないという風な議論で卒業証書を与えることはたぶんしないであろう。
だが、そういう杓子定規な判定をHarvard大学はしなかった。そこが単に「大学と国家」というタイトルからもはずれるくらいの措置である。
大学の中でも議論はあったろうが、それでも戦争は国家が行っていることであり、学生個人の責任ではないこととか、もしここで卒業を認定しないならば、大学としてその措置を悔やむことになるだろうという判断を、鶴見さんが、実際に指導を受けていた教授たちがした結果だと思われる。
ともかくも彼は大学からBachelor of Sciencesの学位を得て、Harvard大学を卒業した。実は卒業式は彼が日米交換船でアメリカを離れた日であったという。
これは鶴見さんの晩年のことになるが、私は大学の理学部の出身なので、このBachelor of Sciencesの学位について「私と同じですね」と鶴見さんに言ったら、彼ははにかんで「ラテン語が読めないということですよ」と返事されたことを思い出す。