をMさんが最近書いた。まだ最後まで読んでいるわけではないが、なかなかよく調べた科学史の論文である。そのコピーを徳島科学史会を主宰する西條先生が送ってくれた。
昨夜、1時過ぎまで読んだが、4節の中途までしか読んでいない。もちろん、飛び越してまとめのところは読んだ。
木村駿吉の四元数理解と「万国四元法協会」の提案
と題する科学史論文である。木村駿吉がどのように四元数を理解していたかに肉薄するものである。この掘り下げについては評価をしたい。が、やはり現在からの評価としてはちょっと違和感を感じるものがある。
というのは四元数は現在ではベクトル解析の陰に隠れているテーマであるからである。20世紀の終わりくらいから、21世紀のはじめに3DCG(3次元コンピュータグラフィックス)のために四元数がよみがえったことは周知の事実であるが、それでもそれは四元数が全面的に復活したということではない。
Mさんもそこは心得て、まとめをされているが、やはりちょっと物足りない。四元数のベクトル部を取り出して、それからベクトル解析ができたとはいうが、それ以後の発展はやはりベクトル解析の明晰性によるところが大きい。ベクトル解析は四元数と比べて、それが表現方法だけのものかどうかを私は疑問に思っている。
すなわち、四元数のほうがベクトル解析よりも数学的に優れているという評価はあっているのだろうか。これが現在から見た「木村駿吉の見解への異論」である。
それに、いまでは大学の基礎数学の最終目標が「ベクトル解析」だということを主張する「森ダイアグラム」という数学教育協議会で共有されている、優れた見解というか視点がある。この目標を「四元数」に置き換えることなどできないと思う。
Mさんにこの辺を再度深く掘り下げてもらいたい。もっともMさんにしたら、私のこのような主張ははた迷惑のものかもしれない。
四元数の意味を評価する、志村五郎さんの『数学をいかに使うか』(ちくま学芸文庫)の言説もあるが、これだって他の分野への発展のきっかけとしての四元数の評価であったと思う。