物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

金曜日にはほっとする

2007-06-29 14:46:11 | 日記・エッセイ・コラム

数年前には水曜日の夕方にはほっとすると書いたが、いまは金曜日にはほっとするというのが実感である。

木曜日にオフィスアワーがあったり、ドイツ語の教室があったりする。それで金曜日にはほっとする。

それはそうと「ほっとする」というのをドイツ語ではerleichtertとと言うことは何年か前に知った。「気が軽くなる」というような意味からきているのだろうか。「わくわくしている」Ich bin gespannt. とか「ほっとする」Ich bin erleichtert. とかいう形容詞がうまく使えるようになると表現の幅が広がる。 


辛淑玉さん2

2007-06-27 12:06:57 | 国際・政治

辛淑玉さんは愛媛の歴史教科書採択反対の裁判をやっているグループの招きで松山にやってきたのだが、それ以前から彼らのグループを取材していたらしい。辛さんの話を聞いていて、しきりに運動が市民として自立したものであることおよび自分たちの目線でやられていることが彼らの運動の秘訣なのではないかと考えた。

彼らがいかがわしい人だとまでは思わないが、世間的な常識からいってかなり破格の人たちであることは確かである。そして、彼等はやはり戦後民主主義が生んだ人たちであるとも思った。

世界的な注目を集めていることを辛さんの話で知ったことが、彼らに自信を与えたことも確かなようだ。これは辛さんがアメリカや韓国で聞いてきたことによるのだが、期せずして新しい運動の形態を作り出しているとの評価がなされたことは注目すべき点であった。


辛淑玉さん1

2007-06-25 15:32:09 | 国際・政治

辛淑玉さんの話を聞いた。若いときにモデルをしていたとかだそうでなかなかスマートな人である。話もおもしろい。ちょっと口が悪いがそれは仕方がないだろう。またなかなか頭もいい人なのだと思う。

在日3世とかで東京生まれの東京育ち。なかなかの苦労人でそれが反権力の感覚と結びついている。インターネットで検索をしてみたら、辛淑玉さんの発言を集めていちゃもんをつけているのがあった。これは逆に辛さんを持ち上げているようなものなので本人もこうまでしてもらえれば満足だろう。

辛淑玉さんは市民派で反権力の人だが、これは彼女が在日でかつ女性であることから来ているのだと思う。小田実以来のなかなかの人物であろう。


わかることは誰のためか

2007-06-20 11:26:31 | 受験・学校

今週の学生の反応はどうだったろうか。よくわかるという学生たちと全くわからないという学生たち。わからなかったところを質問として書く学生たちとの3つにわけられる。

質問をする学生はいい。しかし、具体的な質問をしないでわからないのは先生の講義が悪いからだという学生には処方箋はない。理解するのは学生個人なので理解の行為を私が代わる訳にはいかない。どこがどのようにわからないというのならわかる。

唯一私が非難されてしかるべきなのは学生がいかに努力して理解しようとしても理解不可能な支離滅裂なことを講義したときであろう。そういうときには教師は責任を問われても仕方がない。

講義ノートは渡してあるし,質問に対する回答や必要な補足説明は各講義のはじめにしている。また講義の補足の資料もプリントして渡してある。また自分で調べようとすれば,本でもインターネットでも調べることは出来る。しかし、学生一人ひとりがわかろうとしなければ、わかろうとする意欲をもたなければ、私の努力ではどうにもならない。

大体数学とか物理の授業で先生の話を教室で聞いてそのまま理解できるなんてことはまことに疑わしい。聞いたことを自分で反復して大切なことは理解をして、さらに推論の過程を覚えておくことが必要とされる。 

もちろんすでに自分がなんらかの努力をして理解をし,覚えていることならば先生の話でも理解することができるが、そのような主体的な努力なしに数学とか物理のような学問がわかるはずがない。


日記

2007-06-15 12:19:32 | 日記・エッセイ・コラム

生まれていままで日記というものは小学校で絵日記というのを夏休みの宿題に課されてから書いたことがない。しかし、このブログはある意味で日記の役割も果たしている。

テーマを決めて書くわけではないが、日々の何らかの感想を書いていることになる。もちろん自分自身の全生活におよぶなどということはないが、それでも自分の心で感じたことや考えたことの一部は述べている訳である。誰か黙ってこのブログを読んでいる人がいたとして私の精神の分析をするとどういうことになるのだろうか。そういう暇な人はいないとは思うが、もしかそういう人が私を脅迫するというような犯罪行為の材料に使うことができるものだろうか。

physicomathといういわば何がおもしろいのか分からないようなテーマだから、いままでのところは反応はほとんどないが、これは自分のメモであるからそれでいい。

高校のときに漢文で老子の思想を学んだが、その当時からそのような思想に関心がある。もっとも完全に吹っ切れてはいないが、世間的に有名になりたいという気はあまりない。しかし、自著の「数学散歩」は売れてくれたらという願望は少しはある。

もっとも著者の私のところにはまだ100部以上の在庫があるのにそれを13,000円近くの値をつけて古本(新品同様とあった)として売ろうとしておられる方がいるのにはびっくりした。amazon.comでもまだ2,625円で入手できるというのに。まあ、世の中にはいろいろな人が居られるということだろう。


今週の授業の反応は?

2007-06-14 11:57:26 | 受験・学校

今週の授業はまた一転して不評。だが、仕方がない。熱はなぜ高温の物体から低温の物体の方へ移動するのか。というある意味でprimitiveな疑問に答えようとするものだから。第一そんな意地悪な疑問をもつ人は普通の人にはいない。物理学者というのはひにくれた人種なのだろうか。

そうではないと思っている。しかし、私の講義の意図は一部の学生にしか伝わっていない。大多数の学生はなんだか面倒なことを考える先生だという印象であろう。自分たちに分かって単位をとりやすいそういう授業内容ならいいということだろうか。基礎物理学とはやさしい物理学だと思っている。そういう考え方もあるだろうが、やさしくても本質をつかないようなものは単なる知識に過ぎない。そういう考えには多くの学生が到達をしていない。

何の予備知識ももっていない学生が多いからこそこういう講義をしているのだ。もしなんらかの予備知識をもっているのなら、講義のやり方は違ってくるだろう。それに「物理学」という必修の講義もあるのだ。専門的な講義はそちらで学べばよい。それに物理学は一つのはずだから物理学の方の知識が必ず「基礎物理学」の方の理解へもいい影響を及ぼすはずだ。そうではないというのはどうしてか理解できない。

しかし、まだ熱力学はいい。電磁気学はどうしたらいいのだろう。困り果てている。


何で多忙なのか

2007-06-10 12:42:24 | 日記・エッセイ・コラム

なかなか時間がとれない。

たった週に1時限90分の講義をもっているだけなのに、その準備とかその授業のオフィスアワーの勤め、木曜日のドイツ語のクラスのための前回の要約の作成と約2時間のクラスそれ自身もある。毎日の日課になっているラジオを2時間ほど聞くこと、また火曜(と土曜)の夜のテニス。

2ヶ月に一回の市民コンサートを聞きに行くこと。またライフワークとしての武谷三男の著作目録作成のために「日本の古本屋」への彼の未発見の書があるか調べるためのインターネットのチェック等。

この間はホームステイのドイツ人女性の世話もあった。ホームステイは世話のできる年齢の限界に近づいて来たので今回が最後だと思う。私は久しぶりにドイツ語で話が出来て楽しかったが、時間を取られたことは間違いがない。

妻もはじめホームステイに対して不機嫌であったが, 実際に人が来てみるとサービス精神が旺盛だから、必要以上(?)にサービスをしてしまう。しかし、サービスをすることはいいことだ。少々のワインを飲みながら寝る前に歓談もした。これはある意味では至福の時だったともいえよう。

ホームステイはしかし数年に1回くらいの頻度だから、たまたま今年の私の日々のルーチンに割り込んできただけにすぎないが。

翻訳のための時間もなかなかとれないので、検討が進まない。自分のために自分で決めた毎日の予定に縛られている。おかしな話だが, 人生ってそういうものかもしれない。
他の人はどうしているのだろう。


気持の変化

2007-06-08 11:02:15 | 受験・学校

講義をしての反応が悪いときにはこちらも意地悪な気持ちになってしまう。しかし、先回の授業で説明を繰り返したり、補足したりし、またテニスボールとかビールの空き缶を使って説明をしたのでわかりやすかったという感想が多かった。すっかり気分をよくしてしまった。

E大学工学部の講義ではこれがいつも悪循環であった。M大学薬学部での講義ではこちらが構えていないこともあるだろうが、これで少し好転をしたと思う。人間けなされるよりはほめられた方が誰だって気持がいい。さあまた張り切って挑戦しよう。


「群と代数」再学習

2007-06-07 11:18:26 | 数学

ゴールドスタインの古典力学の付録の「群と代数」のところの翻訳を1週間ほど前に終えていたのだが、ホームステイで時間がとれなかった。やっと検討を始めた。それで、参考にJohさんの群についてのところを印刷して読もうとしている。かなり大部の内容なので読み通せるかどうかもわからない。

Johさんの書き方は平易なのだが、問題は根気が続くかどうかであろう。それにあるところではやはり急勾配で分かりにくいところもあるかもしれない。また、一番の問題は当面の問題とか用事で読む暇が取れなくなることであろうか。きちんと読んで語句の脱落したところとか、式の書き間違いとかも指摘してあげたい。いままだ2つの記事しか読んでいないが、始めの「群の公理」のところでも例5の逆元の存在のところのfまたはf^{-1}の式の中のax+bはxの間違いであろう。これは計算をしておかしいことがわかった。


ひそかな希望

2007-06-05 15:41:35 | 国際・政治

約1週間にわたって我が家に滞在していたドイツ人の2名のお嬢さん方が昨朝早く発った。妻は彼女らが滞在中には大忙しであったが、それなりに楽しんだようである。

その内の一人のLさんは日本人ならそれほど小柄という訳ではないが、ドイツ人としては小柄でなかなかかわいい人である。実現するかどうかは知らないが,息子の嫁に来てもらえないかとひそかに考えている。ドイツ文学語学を専攻しており、 いまフライブルク大学に勤めている。

私たちの長男は今年やっと学位をとったと彼女に空港からの帰りに車中で話したから、彼女も少しは関心を持ったようだ。やはりかなり家柄のいい育ちのようである。彼女の祖母が女学校をボンに昔創設したと聞いた。すてきなお嬢さんなのですぐにでも彼氏を見つけそうだが,やはり自分と同じくらいの学位をもった男性を見つけたいと思っているようだ。

妻も彼女に好意をもっていることは確かだが,まあこれは本人たちの気持がまず大切なのであろう。ちょっと最終日の昨日のパーティではLさんが引けているようにも見えたのでどうだろうか。年の差もあるし、長男には皮膚のアレルギー性の病気もあるので,進展は楽観を許さないがいままでそういう気に私たちもなったことがなかったので希望としてそんな考えまで起こしてしまった。

台所まで自分たちが食べた食器を運んだり、妻と一緒に天ぷらを揚げたりした、ドイツ人女性はLさん以外にいままでいなかった。多分家庭のしつけがいいのだと思われる。

一緒に滞在したBさんは弁護士さんだったが、ドイツ人は日本に憧れをもっているというようなことを最後のパーティで話してくれた。また、彼女自身は同じStuttgartの出身の同級生と結婚してあまり面白みがないのだがと断って、自分の家族とか親戚はいろいろなところの人と結婚していて広がりがあると話してくれた。ひそかに応援をしてくれているかのようだ。

そういう観点からは全く望みがない訳ではない。