物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

車に見る社会

2012-10-30 11:09:20 | 日記・エッセイ・コラム

今週の日曜日に知人のご夫妻と今治市大島下田水の七輪焼きをまた食べに行った。しかし、話はそのことではない。

この知人ご夫妻と待ち合わせのために、ある大きな店舗の駐車場に車を停めていたら、本当にいろいろの車が買い物にやってくる。社会の縮図を期せずしてここで見ることができた。

日本車の方は概して大きな車に乗っている方が多い。日本は不況で沈みいく日本などというマスコミの文句は果たして本当だろうかと思うほどである。

BMWとかメルツェーデスも来る。本当に多種多様である。もちろん軽の車も来る。これは大体女性が運転していることが多い。ということはバイクに乗っていた人が、ランクアップして軽に乗るようになったと思われる。

2,30分の待ち時間にこういう多種な車が来ることを知り、楽しませてもらった。そしてやって来た知人はトヨタのクラウンであった。

お隣に住んでいた、Aさんがこのクラウンに乗っていたことがあったので、「一生に一度はクラウン」のクラウンですねといったら、知人もまんざらでもなさそうだった。もっともとても古い車で買い換えることが財政的に出来なのだとか言い訳をされていたが、これは単なる言い訳であろう。


Fusspilz(水虫)

2012-10-29 12:03:34 | 外国語

Fusspilz(水虫)という語が私の独和辞典には載っていないと先日のドイツ語のクラスで言ったら、R氏から「いいドイツ語しか載っていない辞典だね」とからかわれた。

隣に座っていたKさんがもっていた電子辞書の独和大辞典にはFusspilz(水虫)が載っているとその画面を見せてくれた。

それで今朝気になって私のもっているシンチンガーさんの編纂の独和辞典(三修社)を引いてみたが、載っていない。それで、ひょっとするとその前の時代の木村・相良の独和辞典(博友社)にも載っていないのではないかと思ってそれも引いてみたが、やはり載っていない。

辞書というものは独自に見出しの語を検討して採用するとは聞いているが、どうしても先行の辞書に採用されている語が優先されるだろう。それで、Fusspilz(水虫)なんて語はこれらの辞書に載っていなかったのであろう。

ちなみに私が今使っている独和辞典(郁文堂)は富山芳正編のもので、収録語数は11万弱である。これは子どもが大学のときに使っていたものであり、その当時は最良ものであったろう。

確かに説明が詳しくて訳語だけではない説明が随所にされている。だが、Fusspilz(水虫)は載っていなかった。

R氏によれば、独和辞典は新しいものが一番いいという。だから、彼の判断の基準はとても簡明でその辞書の発行の年月が最新のものかどうかである。

辞書を発行するときにはそれ以前の辞書を参考にしているので、こういうことになっているというのがR氏の見解である。

念のためにLagnenscheidtsを引いてみたら、この辞書の見出し語は66, 000語とあったが、Fusspilz(水虫)は載っていた。

Eine Hautkrankenheit (ein Pilz) zwischen Zehen (足の指の間の皮膚病)

と書かれていた。Zehen(ツェーエン)は足の指Zehe(ツェーエ)の複数である。さてはたして最新の独和辞典にはFusspilz(水虫)は載っているのだろうか(注)。

ちなみにPilzは普通には食べる茸のことである。

(注:2014.7.20)フロイデ独和辞典(白水社)は収録語数75,000とあるが、Fusspilzは載っている。

クラウン独和辞典(三省堂)には載っていない。新アポロン独和辞典(同学社)には載っている。この辞書は収録語数53,000だという。

どうも収録語数の問題ではなくて辞典編纂者がどの語が重要と考えるかによるのかもしれない。


また夢の話

2012-10-27 13:09:15 | 日記・エッセイ・コラム

いつも夢を見ている。

その夢の内容を覚えていることは珍しいが、ときどきは覚えていることもある。

この夢というのはあまり合理的ではなく、脈絡がないことが多い。ところで、これは夢ではなく、現実のことだが、昨年の今ごろだったが、50年以上前に卒業した高校のクラスの同窓会を松山で私が世話をして行った。

そのせいかどうか、どうも今朝の夢はその高校の同窓会に関係している。それがどこで行われたのかはよくわからないが、どうも広島だったようである。もういまでは元の大学跡は広島市の公園になっているが、夢の中ではそこにまだ古い大学の建物があり、そこを私は高校の同級会のために訪れたらしい。

そして、いまは藤沢に住んで、その地である演劇のグループを率いているS君がその広島の大学に勤めているという、脈絡のない話である。もっともそのS君に会いに彼の研究室に行こうと思うのだが、どうも違う方向へと行ってしまってS君の研究室には行きつけない。

だから、もちろんS君には会えない。そして私が歩いていったところは地学か何かの研究室があって、その廊下には採集された岩石の標本かなにかが所狭しと積まれている。そういうところをあてもなく歩いていく。

私の現実の生活でしていることは、そういうあてどもなくどこかをただ歩き回っているだけかもしれない。その気分を多分に反映した夢であったのだろう。この夢は本当に朝のことであって、夢から眼が覚めて置時計をみたら、もう9時20分前であった。


私のフランス語修業20

2012-10-26 15:02:11 | 外国語

いま、NHKのラジオフランス語講座の梅本洋一さんの応用編で映画の話が出てくる。私のようなあまりフランス語のあまりできない者には梅本さんの達者なフランス語はなかなか難しい。

それでもなんとか聞くのを楽しみにしている。今日の放送に中に「M'etier d'acteur 俳優という仕事」というのがあり、そこに印象的な文章があった。ここで引用しよう。

Quand  Mozart  'etait enfant et on lui demandait de jouer, il  repondait: " Je m'en vais te jouer tout ce que tu voudras, mais dis moi d'abord que tu m'aimes.

(カン モザール エテ タンファン エ オン ルィ ドマンデ デュ ジュエ,イル  レポンデェ: ジュ マン ヴェ  テュ ジュエ トュ ス ク ヴュドラ, メェ ディ モア ダボール ク チュ メーム) カナで無理矢理に発音を真似ているので発音が十分再現できないのはお許しください。

モーツアルトが子どものときに、演奏を頼み来られた人に 「何でもお好きなものを演奏しますよ。でもその前にぼくのことを好きだと言ってください」と答えた

とあった。これは本当にこんなことをモーツアルトが言ったかどうかはわからないが、こういう心理が俳優にはあるという。とても興味を惹かれた。


グリーン関数入門2

2012-10-26 11:33:59 | 数学

2004年に雑誌パリティ(Parity)にグリーンの伝記というかグリーン関数の初歩的な解説が載った。

その記事を読んで自分のためにメモをつくっておいたのだが、それをもとにして数年前にグリーン関数の初歩についてのエッセイの草稿を書いていた。

それに複素積分の積分路の図を2つ入れたかったのだが、その図が描けないのでそのエッセイはここ数年は草稿のままであった。

それを半円の図をpicture環境で描いて、昨日ほぼ完成した。まだ文章をよく見直してはいないが、私よりはすこし若い知人にそれを送ってあげた。

彼は原発に反対の裁判に関心をもっていて、その裁判を法廷に傍聴に行き、またそこに提出された資料みたらしい。それは原発の近くにある断層の危険性について電力会社が評価した資料だかにでてくるのがグリーン関数だった。

その話を聞いたのはもう数年前のことであるが、エッセイができたら、送ってあげると約束をしたのだが、けっきょくそれからまた数年が経った。ところが最近になって半円の図がかけそうな気がしたので、とりかかったら、思いもかけず数日で描けたのであった。

そういういきさつであるから、専門家のためというよりも、素人のためのグリーン関数入門である。とはいうものの複素積分もフーリエ変換もこの解説には必要である。それで付録にそれらの簡単に説明したが、まだ十分ではない。

だが、今村勤さんの「グリーン関数と物理」(岩波書店)とかいった専門的なグリーン関数の本を読む前の準備となればよいと思って書いた。

(2013.1.9付記) グリーン関数入門という題の上に述べたエッセイは2012年12月発行の「数学・物理通信」2巻6号に掲載された。関心のある方はこのエッセイを読んで頂きたい。

いつも述べているように「数学・物理通信」のバックナンバーはインターネットで検索すると名古屋大学の谷村省吾さんのサイトにリンクされているので、すぐに検索してダウンロードできる。


Twitter 依存症

2012-10-25 11:31:51 | デジタル・インターネット

先日のNHKの7時のニュースの直後のクローズアップ現代でTwitter 依存症を取り上げていた。

こういう病気にかかる人が結構多いということらしい。私はTwitterもfacebookもやらない。SNSで仕事も転職もうまく言ったなどという話もないわけではないが、そういううまく行く話ばかりではないらしい。

ブログも中毒になる可能性がないわけではないが、幸いなことにコメントがあまりないので、そのコメントに応えて頑張るということはあまりないので、中毒まではいっていない。

もっともTwitter 依存症の警告では一日のTwitter に使う時間を20分以内に限るという厳しいこととを言われていたので、それ以上の時間を使っている私は立派な中毒かもしれない。自分で注意が肝要であろう。


JIS Full Basic

2012-10-24 10:52:02 | 科学・技術

最近はパソコン等でプログラムを組んで数値計算をすることはほとんどなかった。

ところが、武藤 徹さんの高校数学のシリーズ叢書「武藤 徹の高校数学読本」(日本評論社)の第6巻(統計編)にこのJIS Full Basicのことが出ていた。そしてそのソフトを無料でインストールできるという。

1ヶ月前くらいにインスートルをしておいた。そのマニュアルも印刷をしておいたので、数日前に最低必要な箇所だけを読んでみた。

2項展開で平方根の近似値を前に電卓で計算していたのだが、それを今回全部JIS Full Basicでの簡単なプログラムを作って計算をし直した。

私はもともとプログラムをつくるのが下手なので、不恰好なプログラムだがそれでも、久しぶりのプログラムである。このJIS Full Basicにはグラフを描く機能も備わっているらしいが、それらを使ってみることはまたいつかやってみたい。

\sqrt{2}とか\sqrt{3.15}とか\sqrt{3529}とかの平方根の近似値を求めてみた。もちろんこのごろは電卓やパソコンで入力すれば、このような平方根の近似値はたちどころに計算できる。

そういうことで、小学校の算数を教えている人にもこのような平方根の近似値の求め方についてもエッセイを書いてもその評価はとても低い。というか、評価などしてくれる人などいない。

それでもいろいろな平方根の近似値の求め方をsurveyサーベイしておくことは意味があると考えている。今度のはこの平方根の近似値の求め方についての3番目のエッセイである。まだもっと計算法はあるのだが、そのまとめをしたいと思いながらも他の仕事もあって、まったく進んでいない。

算数教育としては、どうやって平方根の近似値を求めるかではなく、その意味を教える方が重要であることはいうまでもない。というのは電卓やパソコンの普及で面倒な方法で平方根の近似値を求めることなど必要がまったくないからである。


女性は複数に似ている

2012-10-23 12:02:05 | 外国語

これはドイツ語の名詞の冠詞類の格変化の話である。

女性の冠詞類と複数の冠詞類は1,2,4格は一致しているが、3格だけ違っている。それで、女性と複数は似ていると思う。

そういうことでいえば、男性と中性もよく似ている。これは、男性と中性も2,3格で一致しているからである。定冠詞では1、4格では男性der, denと中性はdasでもちろん違っているが、不定冠詞では4格では男性がeinenであり、中性のeinであり、違っているが、1格はeinで一致している。

だから、現在アンコール放送されている毎日ドイツ語では男性、中性、女性、複数の順序に並べて格変化を覚えさせているであろう。

普通には冠詞類は格変化では1格、4格が同じだが、男性の4格は1格と冠詞類の形が違っている。「男性に注意」とよくいわれる。

名詞の性については長年まったく覚えられなかったが、具体的なものの名詞についてはようやく最近になって自然に口から出てくるようになった。しかし、抽象的な名詞の性はまだなかなか間違うことが多いが、これはしかたがない。

(名詞の)「複数3格 n 終わり」と覚えなさいとは以前にラジオ講座を担当されていた、境一三先生の口癖だったが、なかなかこの複数3格の n と複数名詞の変化語尾で n がつく場合との区別が私には難しいと前にもこのブログで書いたことがある。

これは複数の形をきちんと覚えていれば、まったく問題がないのだが、そこがしっかりとしていないからである。まあ、素人の私などにはしかたがない。

(2012.10.24付記)

単数の2格では名詞の語尾にsまたはesがつくが、昔ドイツ語を学び始めた1958年頃には3格にもeという語尾がつくことがあった。

しかし、1976年にフライブルクのゲーテ・インスティチュートでドイツ語を学んだときには先生から慣用的なものを除いて単数3格にはもうeをつけないと教わった。つけるとsehr alt modisch(ゼア アルト モーディシュ)だと。

よく使われる慣用表現にzu Hause sein (在宅している)があるが、いまではzu Haus seinでもどちらでもいい。これは

Nachmittag  bin ich zu Hause (午後には在宅しています)というように使われる。

またはIch moechte lieber nach Hause.(家に帰りたい)とかいうときも同じである。いまではnach Hausという人もいるらしい。

das Kind, des Kindes, dem Kinde, das Kindと変化したときのdem Kindeのeはいまではなくなり、dem Kindと言わないと100歳くらいのおじいさんかおばあさんのように思われるだろう。([2020.12.14付記]これはフライブルクのゲーテInstitutで学んだことである。そのとき1976年だが、それからでも44,5年経った) 

これらのドイツ語の冠詞類の変化で思い出したことがある。もうずっと以前だが、NHKのラジオのドイツ語講座のテキストだったと思うが、不定冠詞と定冠詞の格変化で

   男性  中性  女性  男性  中性  女性  複数 

N 格 ein(%)    ein(%)  eine       der        das       die       die

A格  einen    ein(%)     eine         den      das        die       die

D格 einem    einem  einer         dem      dem      der      den 

G格 eines     eines   einer         des       des       der       der 

上の表で左から縦に不定冠詞の格変化を男性のN格(1格)、A格(4格)、D格(3格)、G格(2格)、中性の・・・とみていくと、今上に示した不定冠詞の変化表で3箇所だけ私が (%) で表したところに四角の箱 □ が描かれていた。これは □のところは何も語尾がつかないということを意識させるために示したものである。

IMEパッドではこの四角が正方形のきれいなものが描かれているが、ここに取り込むと小さな長方形になってしまい、迫力に欠けるのは残念である。それで(%)で代用をした。

そういう工夫を誰が思いついたのか知らないが、数学教育協議会での数学の教え方の一つとしてゼロを教えるのに団子がお皿の上に4つ、3つ、2つ、1つ載っているが、最後のお皿には皿の上には団子はなにもなく、お皿だけの絵が描いてある、という風な工夫がされている。

こうやって、小学生に皿の上のあるべきところ団子がない状態をゼロと教えている。これと同じ類の工夫だとそれを見たときに思った。

ちなみに言うとこういう表で冠詞類の変化を覚えていてもなかなか使えるようにはならない。それで最近はもちろん先生がまとめでこれらの表を示すことはあるが、文章の中で格の役割とともに覚えさせるという指導法がされている。 

(2020.12.14付記) ドイツ語は難しい言語ではないが、はじめが難しいという気がする。しかし、長年学んできて愛着ができているのは確かである。英語から入るとフランス語の方が学びやすい。しかし、奥深さではフランス語もけっこうある。フランス語の接続法とかは日常会話では特定の表現にしか現れないとしてもそこまで身につくのは時間がかかる。

1000週は何年か

2012-10-22 12:30:38 | 数学

先日のドイツ語のクラスで1000週はおよそ何年かと聞かれた。私にこのことを尋ねたR氏はすぐに自分で約20年だろうと答えた。

私にはそのことには答えられなかったが、しばらく考えて1年は約50週だから、1000を50で割れば、約20年で正しいですねと答えた。それにしても数分の時間ががかかった。

そういった種類の話の一つであるが、1年は何秒かという話がある。

およそ10^{7}秒であるが、その前につく数字をおよそ円周率のパイと覚えておくという話を宇宙線の研究者だった、Hさんから聞いたことがあった。1年はおよそ3.14*10^{7}secだというのである。

これはおよそなので、正しくは1年は3.155*10^{7}sであると素粒子データ表に出ていた。いまこの数値が素粒子データ表に出ているかどうかは知らないが、覚えておくといいかもしれない。

こういうことは単に棒暗記の問題かもしれないが、優れた科学者はこういう数値もよく覚えている。残念ながら、私はこういう数値にはとても暗い。

(2012.10.25 付記)

1時間は3600秒である。一日は24時間である。したがって、1日は8.64*10^{4}秒である。1年は366日のこともあるが、普通は365日である。したがって、1年は3.15*10^[7}秒となる。

この尺度を変えてみるということを、ときどきは考えて見たいと思っている。


サイエンスナビゲーター

2012-10-22 10:57:39 | 学問

変った職業もあるものだ。サイエンスナビゲーターという。それで食べていけるというのはすごい。

20日の土曜日の朝日新聞にフロントランナーという記事で、桜井進さんという方がサイエンスナビゲーターとして紹介されていた。

いろいろな科学的な講演をされたり、また著書を数十冊書かれており、いまや引っ張りだこで大忙しなのだそうである。結構なことである。その彼の言い分では日本は数学大国なのだそうである。

アルバイトとして予備校で「東大・東工大の数学」という題で講義をしていた頃、「こんな数式はすぐに使わなくなるのにな」と考えていたという。それで、「受験にでない科学教室」という講義を有志の人たちと始めたという。

学校時代に試験のための数学に苦しめられるが、学校時代は人生のまったく一時期で永久に続く訳ではなく、学校時代以後の人生の方が長いので、試験から離れた数学とか物理とかが大事なのだと私も思っている。

桜井さんは物理や数学を学ぶ理由はその感動にあるという。その通りであろう。

ところで、彼の紹介の記事の最初の方にクイズみたいな問題が出ていた。それは数の3から12まで10の連続した数を足したら、いくつになるか、とか8から17までのやはり連続した数を足すときに速算法である。

前の方の問題をとりあげると、3から数えて5番目の数に5を加えて、75とすればよいという。不思議に思えたので、等差数列の公式を導く考えで答えを求めてみると、確かにあっている。しかし、そのときはどうしてだかわからなかった。

昨日の日曜日に大江健三郎氏の講演「今、希望を語る」を聞きに行き、帰って夜の10時過ぎにこの便法がどうして成り立つのかもう一度考えてみたら、ようやくわかった。

数列の初項をaとすれば10項の和は5(2a+9)=10a+45であるが、これを10(a+4)+5として答えを求めたということがわかった。a=3を代入すれば、答えが正しいことがわかる。

もっとも私の考えでは、この連続した10個の数の和を求める便法は小学生を驚かせるためにはいいが、そのことのみが頭に残って後の等差数列の和をどうやって導くかが頭に残らないとすれば、どれくらい効果があるのだろうと思う。

実は私もこういった手法を大学の物理の授業で使って来たので、私には桜井さんのやり方を非難したりする、資格はまったくない。

しかし、彼がとてもポピュラーに世間でもてはやされていることは日本社会の希望を示していると思う。

ちなみに、等差数列の公式を私も覚えている訳ではなく、その公式を導く方法を覚えているだけである。それで十分だと思う。

もちろん記憶力が抜群の人がその公式を死ぬまで覚えていることを非難するつもりはない。ただ、私はもう覚えていないということである。


闇夜にバットを振る

2012-10-20 15:43:56 | 学問

今年ノーベル医学・生理学賞を受ける山中伸弥教授がニュース番組のインタビューで言っていた。自分たちの研究は「闇夜にバットを振る」ようなものだったと。

もっともどこにボールが飛んでくるかはわからないが、ボールが飛んでくるのはわかっていたという。それでも闇夜にバットを振らなければボールにはあたらない。結局、バットにボールがあたって今回のノーベル賞になったという。

だから、彼は言う。自然の真理のベールは何枚も何枚もあり、それを一枚、一枚めくっていかなければ、真理には到達しない。自分は幸運にもその真理に到達する一枚のベールをめくっただけだ。

謙虚であるが、多分それが彼の偽らざる心情であろう。

話は突然飛ぶが、昨夜シンガーソングライターというNHK教育の番組で、主宰する佐野元春が大木伸夫にいろいろ聞いていた。大木はacidmanという変な名前のグループのヴォーカルである。化学を知っている人なら、acidというのは酸という意味だと知っていよう。

はじめ変な名前のグループだなと思ったが、大木は薬学部の出身だと聞いて納得がいった。

彼が歌の詞を書き始めたときには、薬学部で学んだ彼には普通で珍しくもない概念や用語が、実は普通の人にはチンプンカンプンだということがはじめはわからなかったという。

そのうちにそのことに気付くようになったが、それでも化学用語や科学用語や宗教用語のよく出てくる詞を書くという。これは多分彼の自然観を反映しているのであろう。

そして、彼の心には自然界の中の小さな一員にしかすぎない人間の、自然への畏怖の念と謙虚さがあるという。これは私にはよくわかる話であった。

Musicianもいろいろなバックグラウンドをもった人がいるのだなといまさらながら、その音楽の幅の広さに感心した。


apeとは

2012-10-19 12:50:40 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、朝食のテーブルに妻が買ってきたパンが出ていた。それで「どこで買ったの?」と聞くとアペapeだという。

すぐにはわからなかったが、apeとは国道11号線沿いにある、スーパーの中にあるパン屋である。それで「一度一緒にそこへ行ったことがあるね」という話になり、apeはアペではなくて、エイプだろうといったら、このパン屋でパンを入れてくれたビニール袋を取り出してきてアペと振り仮名がついているという。

前にこのアペに行ったときに、「apeとはお猿さんかなんかのことではなかったしら」と言ったよねと私が言ったら、妻が辞書を持ち出してきて、apeを引いてみた。

しっぽのない猿とか類人猿とかチンパンジーとかの訳があり、それに結婚しなかった女性という意味もあるという。いま私のもっている辞書には最後の意味は載っていないが、black peopleの蔑称として出ていた。

ブーランジェリboulangerie(フランス語:パン屋)とそばに書かれていたので、フランス語にapeがあるが、手元の仏和辞典で調べたが、猿という意味はなかった。

それにフランス語では猿はsingeといい、これにカタカナでつたなく発音をつけておくとサーンジュである。

結局、よくはわからないので、妻がいつかまたパンを購入するときがあったら、お店の人に聞いてみるということになった。

年取った女性がやっているパン屋だろうかというのが、妻の推論であるが、多分そうではあるまい。しかし、どういう由来でapeなどという名をつけたか、知りたいものである。


Deception(TEDカンファランスから)

2012-10-18 12:01:55 | テレビ番組

Deceptionとはだますことである。人にだまされて愉快のことは一般にはない。

ところが、Enjoy deceptionと言われると「えっ」と思うが、手品は実はだまされること楽しむことだと言われるとなるほどと納得する。

今週のスーパープレゼンは最新のコンピュータを使って、手品をしている人の話しであった。もっとも聞いていて何がその方の主張であったか、もう数日経ったら覚えていない。

後で、Jyoi Ito さんが普通に教育でみんなの教育で記憶に残るのはたったの6%だと言っていた。だから、このコンピュータを使った手品をしている人は教育家としても大いに評価されると述べておられた。

好奇心をどうやって掻き立てるか、教育ではそれが一番重要であると私は考えているが、現役の教師であったときに、それに成功したことはまったくなかった。

伊藤穣一さんのことをJyo Itoだと思っていたら、Jyoi Itoだったといつかこのブログで書いたが、このころはNHKの放送でもJyoiと英語でも出るようになった。ひょっとしたら、はじめから出ていたのかそれはわからない。

担当者が私のブログを見て、その英語名を入れたなどとは考えないが、JyoなのかJyoiなのかは本人の発音を聞いていてもなかなかわからないものである。


水曜日は病院通い

2012-10-17 12:43:43 | 日記・エッセイ・コラム

病院通いと書いたがた、医療関係にはこのブログを分類しなかった。それは別に医療とは関係がないと思うからである。

今日は水曜日だが、いつも眼の検診に行く近くの眼科に毎月の恒例の検診に行った。水曜には比較的に患者さんが少ないという現象的な規則を見つけたので、いつも病院通いはできる限り水曜日にすることにしている。

水曜に患者が少ないのはどうしてなのかはわからないが、街の中心の商店街が水曜日が定休日なのでそのことと関係しているのかとも考えている。街の駐車場も水曜日は空きが多いような気がする。

昔、子どもたちがまだ小さかったころ、火曜日はカレー曜日というCMがあったが、これは多分に火曜の「か」という音とカレーのカという音とのごろ合わせから来たCMであったろう。えらくうまいことを考えたものだと思う。1週間に一度各家庭がカレーを食べてくれれば、カレーの製造業者はほくほくであろう。

いつだったか、水曜日に行きつけの診療所に行ったときに、インフルエンザの注射の予約をしたが、その注射は木曜か金曜にということだった。

そのときに何曜日が患者さんが少なそうですかねと受付で聞いたのだが、木曜も金曜もあまり変らないという返事であったが、金曜に行ったらその日は患者さんが多くて、待ち時間が長かった。やはり曜日によって、病院の患者さんの来る数は大きな変動がある(はずである)。

患者である私たちは勝手なもので、自分が行ったときにはできるだけ早く先生に診てもらいたいと思っている。先生や病院の方ならば、多くの患者さんが来て、大いに病院が流行ることが大切であろう。

そこが、立場が異なると観点も異なるのである。


合同変換

2012-10-16 12:00:22 | 数学

合同変換に関心が出ている。これは私にはもともと四元数と回転からの出てきた関心である。

私のもっている数学教育関係の辞典を調べると、図が出ていて、ある物体に平行光線があたり、その物体に平行な図がそのままの大きさでできるときに合同変換とある。

しかし、ユークリッド幾何学では図形の性質は図形を平行移動させてもまたは回転させても性質が変わらない。だから、合同変換はとても大切な変換のはずだが、あまりこの用語を聞いたことがなかった。

小学校では相似図形を取り扱うが、その場合は相似変換である。

ということで変換一般にも関心が出てきたが、これを図で説明したり、式で説明したりという、いつか自分なりの説明を試みてみたい。そう考えるようになった。

誰かの書いた群論の書物のはじめの方にそういうことを書いた本があったような気がする。しかし、その変換自体に関心をもって調べるという時間はまだとれない。しばらくは四元数に関心があり、そちらの方に手をとられるからである。