物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

「はれ」と「け」

2010-12-29 12:02:13 | 日記・エッセイ・コラム

「はれ」と「け」という言葉を聞いたのは羽仁進さんの講演で聞いたので、もう50年前くらいになる。「はれ」は特別なときのことで「け」は日常生活に属することである。

いま気になって広辞苑を引いたら、「け」にはふだんのこと、おおやけでないことといった説明があった。「け」には難しい漢字があるのだが、現在ではこれをひらがなで書くほうが普通であろう。

私にとって「はれ」とはコンサートに行ったり、旅行したり、何かの行事に参加したりすることが「はれ」であるが、実は特に変わったことのない、たんたんとした「け」のことの方が多い。

その「け」の中でブログを書いていくわけだから、書くテーマにいつも困っているはずである。はずであるなどと他人事のように書くのはおかしいので、実は困っている。ところが毎日なんとか長いか短いかは別にしてなんとかブログを書いている。これはなかなか自分で言うのもおかしいが、タレントを要することである。

どうしても困ったときには外国語関係のことをテーマにすることにしている。確かにパソコンの前に座って何も書くテーマのアイディアが浮かばないことなど日常的なことである。そういうときには外国語の話題を書くことにしている。

このブログに読者がいるとして、またかと思うことだろうが、大抵外国語のことなら、何かを書くことができる。だがそれにしてもかなり毎日ブログを欠かさず書くことは苦しいことである。いや別にブログを毎日書くと誰かに約束をしたわけでもなく、書かなかったら、刑務所に入れられる訳でもない。

だから、気楽に書いたり、書かなかったりすればいいのだが、どうも強迫観念的に書かずにはおれない。そういう自分の性質にはほとほと困ったものである。


第二回無料塾

2010-12-28 16:29:23 | 日記・エッセイ・コラム

妻の活動している医療生協での第2回無料塾(小学生対象)が小坂の医療生協の「あったか拓南」の組合員ルームであった。今日は二日目で昨日は書初めを小学生がした。これには私はまったくの補助要員であった。

今日は補助要員というわけにも行かず、主たる人の一人として働いた。妻は今日は補助要員兼主たるアルバイター兼監督者兼主催者という立場である。夏休みのときには私が無料塾をやったらと言い出したのだが、いまでは妻の主催する行事である。このノリのいいことといったらない。

昨日は組織部の人が写真を写しに来たが、今日はそういう人は来なかったが、昨日よりも盛況で生徒の参加者は6人であった。それに母親の参加もあり、教える方の要員も私を含めて3人であり、10人近くが常時組合員ルームにいて盛況だった。

来年の夏の日程もある程度決まった。少しづつ参加人数が増えてきつつある。


冬の合宿研究会

2010-12-27 14:38:03 | 数学

四国数学協議会が主催する冬の合宿研究会が内子であり、参加した。25日(土)午後と26日(日)の午前の約一日であった。

どうして参加する気になったかというと「水道方式とは何か」「その応用」についての市川良先生の講義が行われると案内に書いてあったからだ。

ところが市川さんの講義はなかなかくだけた(informal)ものであって、正面からがっちりと受け止めたという風ではなかった。彼が用意したプリントは「水道方式とは何か」「その応用」を簡潔に書いてあったが、講演はもっとくだけたもので、あちらにとびこちらにとび、脱線があり、きわめて面白いものであった。

水道方式について真正面から論じると思っていたので、ちょっと予想がはずれたが、それだからつまらないではなく、むしろ興味深々の講演であった。市川さんは東京書籍発行の数学教科書の編集委員の一人で、他の偉い先生方に伍しての編集会議への参加であったらしい。

そのためのいくつかの面白い裏話も聞くことができた。日本を代表する数学者で、東京図書の教科書の編集委員の小平邦彦、広中平祐さんの意見とか考えのごく一部だがうかがい知ることができた。

小学校の先生がこれらの偉い編集委員を全部ではないにしても相手に自説を曲げずに議論をしているさまを想像すると痛快でもある。

東京書籍というアカデミックな雰囲気の教科書の編修委員会の中に入った異質な編集委員である。これも、しかしながら、ある意味では数学教育協議会の実績を評価してのことであったろうとのことである。

ただ、彼の意見が通ることは少なかったということである。いろいろ原稿はたくさん書いたらしいが、それのごく一部しか採択をされていないという。

彼の話を聞いていろいろと感じるところがあったが、また徐々に披露していこう。


トリオ・ミンストレルの演奏

2010-12-24 13:14:30 | 音楽

21日の火曜日の晩にトリオ・ミンストレルの演奏を聴いた。いつものことながら音楽に暗い私にはその演奏の良し悪しはわからない。

主な演奏曲目は4曲だが、今年生誕200年を迎えたショパン(Chopin)のトリオ ト短調 作品8とか同じく生誕200年を迎えたシューマンのトリオ第一番 二短調 作品63は30分の長い演奏時間であった。

びっくりして脳が活性化されるのではないかと思ったのはピアソラ(Piazzola)の「アディオス ノニーノ」でこの演奏にはびっくりした。こういう音楽がタンゴのなかにはあるのだということをはじめて知った。

これはピアノ(piano)の北住淳の演奏でピアノ(piano)の下側をバンと叩いたりというのが脳を活性化するようなと感じたものである。

音楽に暗いにもかかわらず、このごろいろいろな音楽を聴く機会が若いときに比べて増えて来ている。若いときには音楽には失礼ながら眠たくて、退屈なだけで鑑賞するという気などはまったく起こらなかった。それくらい音楽には縁がなかったということである。

アインシュタインは「死ぬとはモーツアルトが聴けなくなることだ」と言ったというが、その言にしてもいまなら少し実感をもって感じられるが、若いときにはまったく何の感興も引き起こさなかったであろう。

トリオ・ミンストレルに帰るとアンコールが5曲もあって最後には八木節を編曲した曲が演奏された。その強烈な印象のためか演奏を終わった後で、CDを買い求める人でロビーが込み合っていた。

ミンストレルというグループの名はどうも造語のようで、フランス語の吟遊詩人を意味するmenstrelとプロバンス地方に冬に地中海を通ってきて吹く季節風のmistralとをイメージしたものらしい。私自身もミンストレルと聞いてすぐに連想したのはこのミストラルの方だった。

(注意) I さんのご指摘ではじめて気がついたのだが、piとローマ字入力してもぴ(bi)としか表示されない。私自身が間違ってビアノと入力をしているわけではない(すなわちpianoと入力しているのだが)。読者の方が変換して読んで下さることをお願いしたい。正しい入力方法を知っている方は教えてください。

そういえば、亡くなった河辺六男さんのつくった湯川秀樹著作目録(素粒子論研究)ではpaのひらがなとカタカナが「ば」とか「バ」になっていたので、それはミスプリントだと思っていたが、どうもシステマティクに正しく変換されていなかったのだろうとようやく気がついた。


森毅の世界

2010-12-23 13:40:09 | 日記・エッセイ・コラム

「数学教室」(2011.1)1月号に数学者の森毅さんとつきあいのあった4人の方々がそれぞれに追悼文を寄せている。

その中に森さんの著書「自由を生きる」(東京新聞社)が何回か引用されていた。私はこの本を読んだことがない。

かなりの森さんの本を買い込んだ方だが、それでも彼は200冊くらい本を出しているのでもっているのはそのうちのごく一部にしかすぎない。とはいっても20冊を越えるとは思うが。

「自由を生きる」は森さんの自伝みたいなものらしいが、古本で手に入るなら読んでみたいと思う。

もう何年前になるか忘れたが、一度だけ数教協の全国大会(高知)で一度だけお目にかかって話をしたことがある。彼はアルコールが駄目なのだが、それでもコーヒーを飲みながら、いくらでも話すというタイプである。

数学者の野崎昭弘さんが森さんの特徴を評して「本質的なことを短くすぱっという」と言っている。また、知識が豊富で独自の視点があって、たいていの人が思いつかない観察や評価が話せるとも言っている。

銀林浩さんは森ダイアグラムのあとづけを「量の世界ー構造主義的分析」(麦書房)に書いたと言っている。また、森ダイアグラムも必ずしも森さんの発案だとも言っていない。だが、森ダイアグラムの名称はもう定着してしまっている。

銀林さんの、「癒しの術を知った人としての森毅」という像は当たっているのだろう。


松前町第九を聴く

2010-12-22 12:40:55 | 音楽

先日の日曜日の午後に松前町第九を聴きに行った。開始時間に少し遅れて着いたが、会場に入ると指揮者の長谷川さんが歌劇魔笛の序曲の解説をされているところだった。

ダイジェスト版のCDながらこの魔笛は何度も聞いたことがあるので、懐かしい感じがした。この魔笛の完全版のCDを購入したいと思いながら、まだ果たしていない。

指揮の長谷川さんは伊予高校の音楽の先生らしいが、長身でノーブルな感じのするなかなかイケメンの先生である。彼が伊予高校の吹奏楽部を育てたのだろうか。コントラバス以外の弦楽器がないので、ちょっと普通の交響楽団の演奏とは感じが違うが、それでも立派な演奏である。

続いてエグモンドの序曲も終わり、休憩になった。そこで後ろの立ち見をしていたのが、ようやく会場の最前列に空いていた座席に座ることができた。

第2部はようやく当該の交響曲第九の第4楽章の歓喜の歌である。第九は第3楽章までが結構長くて合唱団は後ろに立って自分の合唱の部分が来るまで待つのが普通だが、単刀直入に第4章楽章なので、直ぐに合唱になる。

妻が2年前に第九の合唱に出たことがあり、毎晩その練習を聞かされていたが、いまでも私が覚えているのはその一部にしかすぎない。先日のエミフルであった彼らのリハーサル(プローベ)では、知っているところを合唱について小声で歌ったら、妻にたしなめられたので、今回は自重した。

昨年から松前町第九の演奏は行われている。昨年は上京の日程と重なったので、聴くことができなかったが、今年は聴くことができてよかった。

こういう行事は費用もかかるのだろうし、それに合唱に出る人の熱意がなくてはできない。関係者のご尽力には頭が下がる。来年以降もこのコンサートが続いてほしいと願っている。

会場は満席で町民のみならず、この演奏会が多くの人たちから支持されていることを示している。

(2011.12.19付記) 昨日また松前町の第九合唱のコンサートがあったらしいが、私は聞きに行かなかった。それにもかかわらずこのブログが検索にかかったようで、検索された方々に申し訳ないので、補足を付け加えておく。

プレリハーサルを松前エミフルで聞いた妻によるとさすがに歌いなれをしてきてメンバーの歌が上手になっているということであり、喜びに耐えない。ただ、第九はドイツ語の歌であるので、ドイツ語にも関心をもってもらいたいと切に思っている。

ただ、ドイツ語を学ぶことはそんなに楽ではないので、その要点を私が世話人をしていて、一ヶ月に一回開催している、雑談会でドイツ語の文法の要点をレポートするから、松前町のコーラスグループに参加している妻の友人のKさんに参加してくれるように、頼んでみてくれないかと私は妻に言っているのだが、どうも妻は積極的にこのことをPRしてくれる気がまだ起こらないらしい。

残念である。


女性の自立

2010-12-21 12:01:06 | 日記・エッセイ・コラム

私の妻などはグジグジした女性が嫌いで、自分の意見をもった女性が周りに集まっている。

私たちのいろいろな集まりでも、自立していない、消極的な女性はいない。一つには経済的にも自立した女性が大半を占めるということもあるが、これはいい傾向である。

よく女性を何かに誘うとだれそれさんが一緒に行くならだとかいう人がいたりする。

確かに誰か懇意にしている人が一緒だとある意味で仲間はずれにならず安心して居れるということはあるのだろうが、仲間はずれでもなんでも一人でもいられるという強さがほしい。そしてそういう強さをもった女性は必ずしも孤立はしない。

そういう女性は気が強すぎるのかもしれないが、必ずしもそうでもなくて、とてもやさしいのだが、自分をしっかりともっている女性が増えて来ているのはうれしい。できれば経済的にも自立しているともっといい。

女性は男性(はっきりいうと夫の)付属品みたいな考えはもう古いと思う。選挙でも夫の意見に従ってではなく自分の意見にしたがって投票してほしい。

その一方で自分勝手な考えの女性もまだまだいるようで、自分の思い通りできないとヒステリックになったり、自分が言い出した計画でも計画がうまく行かないときに責任をとるという考えがなく、すっとどこかに姿を消すというような女性を妻は知っていて、そういう人はもちろん他の普通の女性からも好かれていないらしい。

世の中には理想的な女性ばかりでもないし、もちろん理想的な男性ばかりでもない。人間誰でも完璧ということはないのでどこか欠陥があるものだが、それはしかたがない。だが、それでも人として信頼される(またはできる)人でありたい。


懇親会を終えて

2010-12-20 12:55:28 | 日記・エッセイ・コラム

土曜日に懇親会を行った。全員で11人か12人の人が来たと思う。シェフKさんが、料理の腕を発揮して牡蠣を電子レンジで5分間という時間間隔で焼いてくれて、暖かいのを食べることができた。とてもおいしかった。

これはEさんの教え子からちょうど土曜の朝に送ってきた新鮮な牡蠣をEさんがもって来てくれたために私たちが食べられたのだった。牡蠣をもってきてくれたEさん、料理してくれたシェフKさん有難う。

雑談会の代表世話人のNさんのひとことご挨拶に続いて、シェフKさんの乾杯の音頭で懇親会をはじめる。シェフKさんといったが、彼は別にシェフをしているわけではない。しかし、彼が持ってきた大根の煮付けは彼がタネから育てた大根を煮たもので、なかなか味がよくしみておいしかった。それで誰いうとなくシェフKさんとみんながいうようになった。

Kさんはなかなかタレントをもっていて、Nさんが酔いが回ってきてアカぺラで日本の歌を歌いだしたときにはパソコンのインターネットからその曲を探して、伴奏音楽としてくれた。また、食器の後片付けにも腕をふるってくれたので、妻は大助かりであった。

はじめはビールではじまったが、後はワインと冷酒で盛り上がった。その中にはまったく飲めないTさん、 I さんとか私の妻とかもいたが、それでも盛り上がったのでとてもよかった。

各人が自己紹介をしたり、唯一全員のことを知っている私が自己紹介の途中でその人について補足の紹介をしたりして、他の人から質問が出たり、話が別の方向へはずんだりして、パーティの終了予定の時間の30分前くらいにやっと全員の自己紹介が終わった。

時間が十分にとれたので、お互いの懇親が深まった。ある人には深い印象を与えた思い出になるかもしれないし、またある方にはこれからの活動の上での今まで知らなかった人を知って顔が広がったという利点もあるかもしれない。

集まったのは基本的には私の友人・知人と妻の知り合いである。声をかけたが、都合で参加ができなかった人も数人はいた。確かに、こういう集まりはいつでも、友人・知人が全員集まることができない。それぞれの人の都合をすべてクリアする日程など組めないものである。

すばらしい料理や飲物をもってきてくださったそれぞれの方々に感謝をしたいと思う。つぎには6月に懇親会ができるだろうか。


sin xの展開

2010-12-18 14:04:23 | 数学

sin xの展開についてのエッセイを書こうと思って昨日書き始めた。その内容はニュートンがテイラー展開よりも前にいまでいうsin xのテイラー展開にあたる式を見つけたという話である。

ニュートンは二項展開は自分で見つけて知っていたが、y=sin^{-1}xの方の展開を先に見つけてこれを使ってsin xのテイラー展開にあたる式を求めた。これを志賀浩二先生が「無限のなかの数学」(岩波新書)に書いているのだが、それを求める方針は書いてあるが、実際にどうニュートンが求めたかは書いていない。

それで、その箇所を読んで気になり、昨年だったかに1週間か2週間かけて計算をしてみた。腕力づくの計算法を計算したのだ。それについてまとめてみようと思い出したのである。計算の詳細はまとめたノートをつくってあるが、エッセイはまた別である。

だから、数学の事実としてはまったく新しくはないが、それでもニュートンの天才の秘密の万分の一でも知ることができるのではないかと考えている。


星占いを二つ見たら?

2010-12-17 15:10:03 | 数学

昨夜はドイツ語のクラスの忘年会であった。占星術がドイツで流行っているかというOさんの問いから、Yさんはいつも2つの星占いを同時に見ていると話が発展した。

その星占いは、もちろんというべきかどうかは知らないが、その予言の内容は違っているらしい。そのときYさんは、どちらを信じるのであろう。そのことをききもらした。楽観的な人は自分に都合のいい星占いを信じるだろうし、悲観的な人は悪い方を信じるのであろうか。

もともと、星占いなどというものは手相・運相とかと同じであたるも八卦当たらぬも八卦であるが、R氏ははじめに見た星占いが有効なはずだという。

それで、私の思ったのは無限級数の和のことである。無限級数では和をとる演算の順序を変えると和の答えが変わってしまう。これはいかに多くの項があっても無限級数でなくて有限級数では和をとる順序を変えてもその和の答えは変わらないのと対照的である。

代数を学びはじめたころに、四則の交換則だとか結合則が成り立つと教えられる。ところがこれは有限の項の和について正しいが、無限級数でその足す順序を入れ替えたら和が変わってくる。

こういうことを2つの星占いを見ているという人の話を聞いて思い出してしまうのは、因果な話であって、そんな話をしたら、その場を白けさせるのに十分すぎる。

星占いにしても、またはおみくじにしても普通は一つしかみない。おみくじをいい予言が出るまで引き続けるという人は聞いたことがない。もしそういうことをしたら、そのための費用がかさむということの他に、そのどれを信じるかという問題が生じてくるであろう。

近代科学のさきがけをなした、ケプラーは実はこの占星術を職業として皇帝に仕えていた人だが、その一方で太陽の周りの火星の軌道について研究し、その軌道が実は円ではなく楕円であることを突き止めた。

彼の見つけた3つの法則はニュートンの力学のきわめて重要な先行研究であり、ケプラーはガリレオ・ガリレイと並んで近代科学をもたらしたが、彼自身はかなり神秘的な思考の持ち主であって、ガリレオ・ガリレイの合理的で近代的な思考とは違っていたらしい。


忘年会

2010-12-16 13:21:50 | 日記・エッセイ・コラム

今夕はドイツ語のクラスの忘年会である。19時からはじめたいという幹事の意向であったが、18時30分からの方が私と他の方々の都合がいいのではということで開始の時間を早めてもらった。

特に年末の寒さだと早い時間にはじめた方が夜の寒さが厳しくならないうちに会を終えることができるだろう。日中でそれも太陽が出ていれば、それほど寒さは厳しくはないが、晴れている夜にはさすがに夜は放射冷却で冷えてくる。

寒さは高血圧にはよくない。もっともいままでのところ自分が高血圧だとは思っていないが、やはり血圧が寒いと高くなるであろう。

もう、いまではクラス会の幹事が忘年会の幹事も勤めるようになった。そして会場も南堀端のアミティエにいつも決まっている。このレストランはシェフがフランス人であるためか、なかなか異国情緒のある、懐かしいような雰囲気のお店である。いつ行っても店が一杯である。

もっとも私たちの行く曜日がいつも木曜なので、木曜はお客の多い曜日なのかもしれない。今年は来週の木曜日が12月23日の天皇誕生日の祝日なので、クラスが早めの12がつ9日に終わった。そのために今日の16日に忘年会が設定されたらしい。

世話人のO氏はもう70歳を越えた方であるが、いつも元気一杯の方である。もっとも冬は趣味の魚釣りに行くと足が膠着して引きつるとかでちょっと行くのが億劫になっているという。

それにしても忘年会に出ることは少なくなった。昔はあちこちからお声がかかり、6回から7回もあった年もあったが、いまではうそのような思い出である。もっともつきあいの広くない私は毎年そんな回数の忘年会に出ていたわけではない。


坂本龍馬と板垣退助

2010-12-15 11:03:10 | 日記・エッセイ・コラム

先日新聞を見ていたら、板垣退助のことが出ていた。今年世間の話題をさらった坂本龍馬とどうもほぼ同じぐらいの年の生まれのようだ。

福山雅治の龍馬がかっこいいので、今年は龍馬、龍馬であるが、土佐出身で現代の民主主義の基となる自由民権運動等から考えてみると板垣退助の方が影響が大きいともいえる。

ところが板垣退助は歴史家の研究対象となるとしても、小説にする人がいないためか、あまりとり上げられない。もっとも紙幣の人物像に取り上げられていたから彼の影響が大きいことを世の人はすでに知っているのであろう。

退助が民権運動をしていて、暴漢に襲われたときの言として「板垣死すとも、自由は死せず」は有名である。この板垣の気概とか見識がしっかりしたものであったことがちらっとだが、この言葉から窺われる。

この板垣は土佐の上士の出身だったらしい。そこが龍馬とは違うのだが、ドラマには龍馬と退助との交流は描かれてはいなかったようだから、まったく交流がなかったのかもしれない。

上士と下士はいつかもこのブログで書いたが、山内家の家臣団が上士で、元の長宗我部家の家臣団が下士だった。そして、その長宗我部家の家臣の系列の人の16代目の子孫が松山の近郊の山の中に住んでおり、その人と最近知り合いになったと7月か8月のこのブログで書いた。

その16代目の当主は松山の卸売市場に勤めて居られる。そういうことを知ると歴史は現在につながっていることを実感する。

ごく最近になって龍馬を世間に知らしめた、新聞の連載記事の書が岩波文庫になって今月か出たか来月かに出るようだが、それまでは龍馬のことを世間的には知られていなかったというのが真相らしい。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」のテレビドラマ化で、昨年末から松山も観光ブームの恩恵を少し受けているが、今年の龍馬伝で、いまはしばらく高知県には行かない方がいいというくらいの人出らしい。

テレビの龍馬伝では薩摩と長州からも最後ごろには龍馬は必ずしも好ましい人物と思われていなかったような節々が見られた。主戦派の西郷隆盛や桂小五郎からはあまり快くは思われていなかったという風である。

そして、NHKの龍馬伝は国内内戦を避けたかった平和主義者としての龍馬という描像をつくろうとしているかのようである。本当のところを私は知らない。だが、歴史家はその点について異論があるのかもしれない。


苦境はチャンス

2010-12-14 16:34:08 | インポート

「苦境はチャンスだと思えるか」というと一般の人は苦境は苦しいだけでチャンスだなどと思いたくても思えないものである。

苦境の種類は人それぞれである。ある人は自分の商売や事業が行き詰っているかもしれない。だが、それを機会に打開策を考えてその工夫なり、資金ぐりなりがうまく行けば、大いに商売や事業も進むものである。

だが、残念ながら凡人のわたしたちにはそういう発想の転換ができない。ただ単に苦境を苦境としか捉えられない。だから人にあたったりして自分自身の苦境を乗り越えようとしたりする。

だが、苦境を他人に転嫁してみても転嫁されたその他人が苦しむだけであって根本的な解決にならないことが多い。

最近、NHKのプロフェッショナルの条件という番組を見ることが多いが、ここで出てくるプロは大抵はじめからうまく行っていた人はいない。

むしろ、行き詰って困っていた人がその苦境から出るためにあがいて創意工夫を重ねて成功に至っているように思われる。だから、失敗をしても何度も立ち上がり、アイディアをしぼってなんとか苦境にたち向わなくてはならないのだろう。

苦境の種類もそれぞれの人によって多種多様である。人に話せないような苦境にたつ人も多い。

しかし、絶望はいつでもできるから、絶望をしないでアイディアをふりしぼることが必要であろう。


無事帰松

2010-12-14 13:06:29 | 日記・エッセイ・コラム

11日の午前に上京し、13日の夕方松山に帰ってきた。11日はお墓参りをし、その後義弟の夕飯のご招待にあずかった。毎度のことながら彼に厚く御礼を申し述べておきたい。

そこまではすこし鼻水が出るくらいでどうともなかったのだが、テレビの政治討論を見て11時前に寝る頃から胃腸の調子がおかしくなり、重くてよく眠れなかった。どうも寒気がしたので、風邪を引いていて、それが胃に来て胃が重くなったらしい。

胃が痛いというほどではないが、どうも重くて次の日の朝食を食べて出かけようとしたのだが、スクランブルエッグを食べただけで他のものはのどを通る気がしないし、食欲がない。それだけならいいのだが、足腰の節々が痛くて、うまく歩けない。妻だけ外出させて私はホテルに帰って日中は寝ていた。

夕方には子どもたちと会うので、下のロビーに妻と出て行ったら、二男夫婦はすでに来ていた。長男とその連れは少し遅れると電話があったという。それで、4人で予約しているレストランに先に行って待つことにした。

そのうちに長男が連れを連れて現れた。ところが私の調子がまだ完全には直っていないので、ほとんど食欲がでない。大きな卵焼きを半分ぐらいだべただけでそれ以上食べる気がしない。こういうことは本当に経験したことがあまりない。ビールとかのアルコールも飲めない。仕方なく冷たいウーロン茶や暖かいお茶を飲んだりした。

9時近くになったので、そろそろにしようかといったら、二男が立ち上がって兄の連れのT.O.さんが家族の一員に加わってくれてうれしいということを私の代わりに言ってくれた。妻も私も同感だったのでいい締めをしてくれた。二男本人も嬉しかったからその言葉が自然に出たのだろうが、二男が私の予想よりもしっかりしていることをいまさらながら実感した。


ブログのお休み

2010-12-10 23:54:39 | 日記・エッセイ・コラム

明日の11日から来週の月曜日の13日までブログをお休みします。これは恒例の年に2回、子どもたちに会うために2泊3日で上京するためです。

飛行機事故とか東京で交通事故にあわずに無事に松山に帰ってくれば、14日(火)からブログを再開します。

ブログを書くことは楽しみでもあるのですが、いつでも書く話題を見つけなければならないので、つらい作業でもあります。

それでもなんとか私の身の回りに起こったことを書いているだけで話題には一応事欠きません。もっとも私が話題にした人の中には心が傷ついている人も居られるかもしれないと密かに思っています。その節は申し訳ありません。

できるだけ話題にした人たちについてはいい面だけを見て、批判的なことは書いていないつもりですが、それでも私の深層心理が出てこないとも限りません。

もっとも人をあまり批判的に思ったりすることはほとんどなく、自分のもっていない、その人のいいところに素直に感心してしまうのです。

人は本当は十分に何ごとにも批判的であるべきでしょうが、私は頭が鋭くはないのでそれがちょうどいいということかもしれません。(文章を書くことが好きなのは母親譲りの遺伝的な性質だと思っています。別に母が何かを書き残したということはないのですが)

帰ってきたら懇親会と忘年会を兼ねたいくつかの会が待っています。今年も大分残りの日数が少なくなってきました。

少し早いですが、

Frohe Weihnachten und guten Rutsch ins neue Jahr f"ur alle Leser !

すべてのこのブログの読者の方に楽しいクリスマスとよい新年がきますように!

(付記: 2011年1月8日)

上のドイツ語の文でins neue Jahrなのかins neuen Jahrなのかいつもわからなってしまう。それでneuen Jahrとしていたのだが、Yさんから頂いたメールでins neue Jahrだったようなので、修正をした。形容詞の弱変化の場合だが、なかなか覚えられない。形容詞の弱変化は語尾はeかenである。1格、4格は語尾変化はeだったと思う。ということで修正をした。