強く生きるために何が必要か。いや別に強く生きることは必要ではないのかもしれない。だが、なんらかの生きる糧を与えてもらえれば、それに越したことはないだろう。
ここでいう生きる糧とは経済的な意味で使ってはいない。私がいまそうだというのではないが、人には言うに言われぬ苦しみとか悩みを持っておられる方もいる。その苦しみとか悩みを人に打ち明けられるようになれば、その苦しみがなくなるわけではないが、少し楽になる。
そして、その悩みのもとがなくなれば、それにこしたことはない。だが、そういう状態からなかなかなんらかの事情で抜けきることができない方もおられる。私自身がそういう経験をしてきたし、またそういう苦しみからまだ完全には抜け切れてはいない方も存じ上げている。
もっともそういう苦しみを人生の生きる糧と転化できれば、その苦しみ自身はなくなっていないとしてもご本人の生きる糧となっているのかもしれない。苦しみや悩みから抜け出ることができればそれが一番いいが、そうでなくても心の持ち方一つで場合によってはそれが生きがいにすることもできないわけではない。
いや、これはしかし、建前はそうかもしれないが、やはりなかなか難しいことではある。具体的な例を挙げると支障があることなので抽象的なもって回った表現しかできないのがもどかしい。
敗北主義にならずにいいことを少しでも認めて、強く生きていくしか私たちにできることはない。そしてその悩みと苦しみからいつの日か抜け出ることができると信じて生きていきたい。いわゆる楽天主義でありたい。
これはなんの努力もしないことではなく、いま自分にできるあらゆる努力はするが、その成果はいい方に転げるという気持ちを常に持ち続けることである。そうでなくては人は生きていくことなどできないだろう。