物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

義父の絵の寄贈

2009-02-28 12:43:41 | 日記・エッセイ・コラム

数年前に亡くなった義父のいくつか残った絵のうちでかなり大きな1点ともう一点の人物像を昨日義父の出身の中学校、いまの吉田高校へもって行って寄贈した。

なかなか吉田高校の前の庭は広く立派な外観の高校であった。吉田町は教育熱心な町であったらしくはじめ女学校ができ、つづいて中学校ができていたという。

それらが合併していまの吉田高校ができている。いまの校長先生が3月末で退職をされるということでその前に寄贈をしてくれませんかとの校長先生の要請に応えたものであるが、中学校を創立するときに吉田町出身の有力者に多額の寄付をお願いしたらしい。

それで県もその出資を認めてそれを基に中学校が創設されたという説明を受けた。それらの方を記念した記念館ができていて、そこに義父が若いときに描いた、(この多額寄付をした)ある方の肖像画がかかっていた。

1936年の絵であり、昭和でいうと昭和11年の作ということになる。10時前に家を出発をして11時半ごろには吉田高校に着いた。思ったより早く着いたが、これは最近大洲から延長された高速道路のお陰である。

帰途の途中で昼食をとったが、3時前には家に帰ることができた。


e-Taxによる確定申告

2009-02-26 11:34:42 | 社会・経済

今年も確定申告の季節となった。昨日は1年ぶりに所得税の還付の申し込みをした。順調に作業ははかどったが、最後にactiv-Xなんとかが出て、中断したがそれも指示に従ってなんとかクリアした。

ここ数年は計算書をプリントして税務署にもって行っていたが、昨年からe-Taxを使うようになった。1昨年だったかそのときは税務署に書面をもって行ったが、ぐっと税務署に来る人数が減っていると感じた。昨年はe-Taxを使った人は2割とのことであったが、今年は利用がもっと進んでいることであろう。自分で書類を作り出しようになったのは退職後した4年前のことであった。

それ以前は税務署の人がちゃんと書類の記入にも手伝ってくれていたとは妻の話である。それが税務署も忙しくなったのか自分で書類を作りなさいという風になり、それから計算書はインターネットを使えば、簡単にできるようになった。

それがこのころは税務署にも行かなくて済むようになった。労力は大いに省けるようになったが、昨年はその準備がなかなかできなくて1週間ほどかかったが、今年は数時間の手間ですんだ。


追悼文

2009-02-25 12:41:13 | 日記・エッセイ・コラム

つい最近私の知っている二人の方があいついで亡くなったので追悼文を書くつもりでいるが、なかなかその気になれない。書くことはそれほど難しくはないかとは思うのだが、取り掛かるという気が起こらないのである。

それはその亡くなった方のこの世での寄与を小さかったと私が評価しているということではない。むしろ評価は大きい。Hさんについては私以外にもう一人の人と二人で書こうとしている。この方は私よりはHさんに近しく接していた方である。それで私が下書きを書いて、それをもう一人の方が補足するという風に進めるつもりである。

もう一人のY.Y.さんの亡くなったのは1月2日だったらしい。家族は誰にも連絡をせず、ごく最近になってわかったということらしい。先日奥様に連絡の電話を入れたが、どうも急に亡くなられたので、奥様もなにをどうしたものか手につかないような様子が感じられた。

人はいつかは死ぬものだが、幸いにしていつ死ぬかは前もって分からない。急に死ぬことが多い。家族には意外だったりする。それで十分に手を尽くしたと感じている人でもなんとかまだやりようがあったのではと感じるものである。しかし、それが人間が生きているということであろうか。


対数のシェーマ?

2009-02-24 14:44:00 | 数学

数学エッセイ「対数とは何か」をほぼ昨日書き上げたが、その終わりに対数のシェーマを考えられていないと終わりに書いた。だが、今朝の早朝にどうも円柱に巻きついたつるのようなイメージはどうだろうかと思った。

その円柱にまきついたつるの各点には実数値がくっついているというイメージである。これは実数が直線と1対1に対応しているということと同じことであるが、このらせんは、それをその円柱に垂直な面に投影すると円となる。その円周上の点は仮数を与えるというイメージである。指標はその円柱に沿ってその値が同じ円柱状の垂直な直線に沿って与えられる。(これはもともと森毅先生の提起するシェーマ(イメージ)である)

こう考えるといいのだが、結局は指数のときには急激な発散が対数では抑えられるというところをこのイメージでは十分に示せない。だから、対数の性質の一部しかこのイメージで示すことができない。

なんでもイメージ化しなければならないわけではないが、それができると対数というものがわかりやすくなるというようなシェーマはないものだろうか。


カウンターカルチャー

2009-02-23 11:38:52 | 社会・経済

カルチャーに対してカウンターカルチャーという語がある。

これは何を意味するのかと思って、検索をして見ると伝統的・支配的な文化に対する対抗文化だとある。またはヒッピー文化だとある。

インフレターゲット政策がカウンターカルチャーなのかどうかはよくはわからない。特に経済政策のことだからこれは文化とも言えないだろうか。

ともかくも世の中の経済学者の中で主流を占めている人たちはインフレターゲット政策を支持はしていないようである。

ブログにはインフレターゲット政策を支持するものがあるが、世間的にはなかなか風当たりが強いのではないかと心配をしている。

新聞に少なからぬ経済学者が書いているところでは日本の金利が低かったことで日本の円を借りて、アメリカをはじめとした世界に投資し、利益を得ようとしてきたことの結果が今回の金融危機だという。

それと現在の危機では金利を下げて金融を緩和して投資を誘っている。これらの意見の間のギャップは大きい。少なくとも現在の危機的状況においては金利を下げることは許されるとしてもこれはいつまでも続けることではないという気がする。

しかし、実際には円安誘導とか輸出拡大のためにこういう金利を低く抑えるという措置が長く取られてきた。

こういう議論を見ているとまるで進化論と分子生物学とのギャップを見ているような気がする。

個々の遺伝現象と大きな流れとしての進化論には理論的なギャップが存在しているようだというのが、私の理解である。

これは遅れた理解であるかもしれないが、まだすっきりとはしていない問題ではなかろうか。

進化論と分子生物学のそれぞれは正しいのだが、それをうまくつなぐリンクはまだはっきりとはしないようだという感じを生物学の門外漢としてはもっている。


Y. Y. 先生の死去

2009-02-21 15:27:28 | 日記・エッセイ・コラム

今日久しぶりに算数の勉強会に出かけた。発達障害を抱えたらしい子とそのお母さんが来られていて、その子を相手にしてY先生が模擬授業をされた。後でS先生やY先生等が感想を述べられた。

今日の学習会のメーンはそのことであったが、その後で私も知っているY.Y.先生が1月に亡くなれたことをS先生から聞かされた。愛数協の機関誌「研究と実践」はY先生のご尽力なしではここまで成長をしなかったであろう。先生のはっきりした年齢は存じないが、80歳ちょっとすぎではなかっただろうか。

私が愛数協に入って初期の頃に熱心に学習会に出たのはY先生の魅力によるものである。考えが透徹していたし、数学の理解が深かったと思う。Y先生は大学の数学科の卒業生ではなかったが、理学部を卒業されて高校の数学の教師として長年勤められた方で、数学をよく勉強されていた。水道方式についても自分がはじめ懐疑的であったということから、一歩一歩と納得いくまで学習されたと伺っている。水道方式の計算問題の型分けについて何度か即席の講義をしてくれたことがあったが、よくは覚えていない。

こういう深みのある人は少ない。日本評論社から数教協の編纂で出された二つの数学教育関係の辞典にもいくつか寄稿をされている。ここ数年は健康状態が思わしくなく、あまり人に会いたがらないと聞いていたので、あえて訪問するということをしなかったが、残念なことをしたと思う。いろいろとお考えを聞いておくべきだったと今になって思う。

Y先生が著した著作は何冊か市販の本ではないが、出ている。その中には私がいま参照している「中学・高校における水道方式」(愛数協ブックレット1)もある。これがH先生の実質的な最後のまとまった著作となってしまった。私自身はこの「中学・高校における水道方式」を大学の専門基礎教育の範囲くらいにまで広げようという考えでe-Learningのコンテンツの作成に取り組んでいる。Y先生のお考えを聞きたいと思ったのもこの分野のご見解である。

国民の最低限の教養としての数学教育と理科系の最低限の基礎教育とはかなり違っている。しかし、そこへ踏み込んでY先生のお考えを拡大する必要があると感じている。


カーニバルの季節

2009-02-20 11:03:18 | 国際・政治

中川財務前大臣の辞任騒動があったが、酒に酔って(本人は否定しているが)公式の場で発言がしどろもどろになるのは洋の東西を問わずあることらしい。昨夜のドイツ語のクラスでR氏がそれについて言及していた。ただ、面白い話題にはなるが、それが恥だとは考えないらしい。そこのところが日本的な感性とちがうところだろうか。

ときにカーニバルの季節であるので、からかいの対象にされたり、笑いものにはなるが、酒の上の失敗ということで人間的と考えるらしい。もっとも現今の日本では派遣労働者が何万人も首を切られて生活が立ち行かなくなっているときだから、世論にも大目には見てもらえないというところはある。

カーニバルの行列にはそういう素っ頓狂な話題を提供した人の顔を形どった山車が出るし、みんなでそれを見て楽しむというところがある。それに対してあまりまじめに対応して自己弁護をしたりはしない方がいいらしい。

そこのところが何事にもまじめな日本とは違うのであろう。ユーモアを楽しむ余裕があるといっていいのかもしれない。もっともいまの日本みたいな市民の生活の窮状であり、それに対処するといいながらのぬるい政治の情勢なら笑いごとではすまないというのが日本での一般の判断だろうか。それぞれのお国柄であるから、どうだこうだといってもはじまらないのだが、感覚の違いを知った。


西島和彦さんの死去

2009-02-19 11:41:31 | 物理学

西島和彦さんが2月15日に亡くなったと新聞報道で見た。

NNG(中野・西島・ゲルマン)ルールで有名な方である。西島さんはイータ電荷と量子数に名前をつけたのだったが、これ現在ではストレンジネスという名の量子数として知られている。

Q=I_{z}+Y/2(Yはハイパーチャージ)の規則がいわゆるNNGのルールだが、強い相互作用ではストレンジネスSは保存されるが、弱い相互作用ではストレンジネスは保存されないという発見である。これが宇宙線中に見つかったV粒子の振舞いを説明した。

どうも素粒子の分野から離れて時間が経つので、記憶があいまいだが、こんなことだったろうと思う。

しかし、私が大学院生だった頃に勉強した彼の著作Fundamental Particles(Benjamin)の方の印象が強い。その後これをもっと場の理論的に取り扱ったFields and Particles(Benjamin)もよく計算に参照した。

わかりやい著作を書く人で、場理論の専門家というイメージのほうが強い。その後、紀伊国屋から「場の理論」いう本を出されているが、これは値段が1万円近くしたと思うのでもっていない。

NNGルールから坂田モデルを経て、私の先生たちの業績であるIOO対称性に行き着く。これがゲルマンのクォークモデルへとつながっていき、現在の素粒子の標準理論を形成している。

もちろん、南部の自発的対称性の破れの概念を取り入れたゲージ理論であることが重要なのであるが。

 


ハングル語

2009-02-18 11:46:51 | 日記・エッセイ・コラム

ハングル語を習ったことはないが、それでもいくつかの単語は知っている。韓流のドラマで出てくる「やんばん」もその一つである。いま土曜のNHKの放送でファン・ジニというのがあるが、それにもいつも出て来る語である。金持ちのことだと思っていたが、30数年前にドイツのマインツ大学でオフィスのルームメイトだったKimさんからそれは貴族のことだと教わった。

小さいときにご飯のおかわりをして少しという意味で、「ちょっこん」といったらそれはハングルだと笑われた。もっともそれは日本に帰ってきてからの話である。もう少しハングルを知っていそうに思えるが、いざ書こうとすると思い出せない。泣くときに「あいごう(哀号?)」と泣くとかは覚えている。

30年以上昔のことだが、ある方に誘われて朝鮮人学校を見学した。中学の数学の時間であったので、正比例と反比例が出てきて、これを「ちょんびれ」「たんびれ」とハングルでいうとはそのときに知った。そういえば、いまe-Learningでその比例と反比例のところの教材をつくっている。

ハングルの字はとても体系的合理的にできているそうだが、なにせ小さいときにローマ字でpとbとをなかなか区別できなかったくらいだから、ハングルの字は混乱をしてしまうような気がする。文法としては日本語と同じ語順だと聞くので、ただ単語を置き換えればいい話だが、なぜかハングルを学ぼうとする気が起こらない。これは英語なども長い間あまり勉強しようと思わなかったことと類似している。


ブログの読者

2009-02-17 10:53:09 | 日記・エッセイ・コラム

このブログは基本的に私のモノローグであるが、それでも最近数名のつきあいのある方からブログを前に読んだとかなんとかいう便りをもらった。これはもちろんインターネット上だけのつきあいのある方を含んでいる。

このごろのブログなら、写真付きだとか楽しいものが多いが、その中には何を言いたいのか意味不明のものも多い。ブログについた広告を読者がたどって見てくれたら、そのブログの作者が利益を得るという仕組みになっているブログも多いらしい。

先日もOCNからなんか連絡が来ていて、今までどおりにブログを書こうと思ったら、もう一度登録をしなくてはならないようになっていた。

私のブログは「はじめの一歩」という初心者向けのものであり、いまのところ無料である。さらに進んだサービスを受ければ、料金を払うようになる。残念ながらそういう進んだサービスを受けるほどの技術が私にないし、それにそういうサービスを受けてもその料金を支払えそうにない。

そういうとても制限された範囲のブログではあるが、ときどきコメントをくださっている方も単にときどき読んでくださっているだけの方にもこの際に感謝をしたい。


I I T

2009-02-16 11:28:00 | 日記・エッセイ・コラム

I I Tとはインド工科大学(Indian Institute of Technology)の略である。いまインドのIT産業の発展がめざましいらしい。もうずっと以前だが、その当時のドイツのフンボルト財団の事務局長だったOstenさんが松山に来られて話していたところでは学術の分野での中国、インドの発展ぶりがめざましくそれに応じてドイツへの留学生もこれらの国の留学生が急増しているとのことであった。

その後のインドと中国の経済発展は目覚しいものがあるらしい。特に中国はもう世界の超大国の仲間入りを果たした。中国はGDPではアメリカ、日本についで第3位の地位を占めているという。(2010年に中国は世界第2位のGDPの国となった(2011.5.15付記))。

それに、このところのインドのIT産業の急発展である。しかし、これは基礎科学教育に支えられている。I I Tは優秀な卒業生を世界に輩出して供給しているという。また、この I I Tに学生を入学させるための学校にも優れたものができているらしい。

中国とはちがってインドでは英語が一般的である。そういう点もインドが世界のIT産業を席巻する重要な要素になっている。また、数学での 0 という概念を生み出した国というお国柄も有利に働いているとも見られている。

もっとも 0 という概念は昔の話なので、それが本当に今に生きているのかは疑わしいが、そういう説明を受け入れてしまえるほどに基礎科学教育はすばらしいらしい。

それにつけても思うのはわが国の教育のことである。優れた数学教育や科学教育の芽はあるのにもそれがまだ十分には一般化していない。個々には優れた実践もあるが、それが国力を隆盛にするといったほどの影響は与えていない。

これはもちろん国が主導するのではいけない。もっと民間の教育団体がしっかりしなくてはいけないのだ。国民のための一般教育といった面と一歩進んだ科学者や技術者の養成のための基礎科学教育が必要である。

どうも富国強兵の思想のようで恐縮だが、そうではないしっかりした、数学をも含めた基礎科学教育の充実がいまほど望まれる時代はないのだ。私も及ばずながらそれに尽力をしたい。


経路積分の定積分公式

2009-02-14 16:32:47 | 数学

今日計算をやり直して見たら、どうも項を一つ落としているらしい。そう思ってもう一度昨日の計算を見てみるとやはり一つ項を落としていた。その項をつけ加えたら、係数は確かに数学公式集の通りとなった。

cot xの展開といったが、もちろん実際の計算はxcot xをxのべき級数で表すことをしたのだ。これにsin xの無限積の表示をつけ加えれば、証明したいと思っていた3つの式を証明できたことになる。

あともう一つFeynman-Hibbsにも載っている式が「経路積分ゼミナール」には出ているのだが、これはいまのところ証明の見当もつかない。少なくともSchulmanの本に出ている定積分の式は全部導出できたことになる。

経路積分に出てくる定積分公式の導出でこの数日を過ごしたので、元へ戻って実験室系から重心系への変換のまとめを来週からしたい。

(2014.4.16付記) Feynman-Hibbsの本に載っている、10個の定積分の公式の中でまだ4つの積分公式が証明できていない。

どこかにヒントとか証明を書いた書籍があるのかどうか知らない。10の全部の定積分公式を証明してどこかに発表しておきたいが、さてこれができるのかどうかはいまでもわからない。

証明を知っている人から教わりたいと思っている。


cot xの級数展開

2009-02-14 11:38:32 | 数学

cot xの級数展開を昨日計算したが、xの10乗の係数があわない。

これはtan xから計算をするもので岩波の数学公式集のIIに載っているものである。経路積分との関係でチェックしている。

xの8乗のところまでの係数の計算はあった。xの10乗の係数の計算があわないので、見直したのだがどこが間違っているかわからなかった。

帰宅したら、友人のN先生からのコピーが届いていた。これはn次元の球の体積を求める新しい方法を述べたものである。

昨夜12時過ぎまでこれを読んでいた。大体のところはわかったと思うが、まったくn次元の球の体積を求めるという意識なくこれを求めてしまうというところがある。

すくなくとも、愛数協の「研究と実践」に3回私が書いた方法とはちがったcontextから導かれたように思われる。

詳細に検討してみれば、その一部はまっとうなやり方と並行的な議論になっているのかもしれないが、わたしにはそのように思われた。

また、ここは飛ばして読んだのだが、Gauss積分の公式の導き出し方の証明が5つほど与えられていて、これはよく知られた2重積分に変換する方法ではない。

また、以前から何回かN先生の草稿のコピーを頂いているのだが、彼の微積分の再構成した書が早く出版されることが望まれる。


宇宙という漢字

2009-02-13 11:25:35 | 物理学

佐藤勝彦さんの「宇宙論入門」という岩波新書がでているそうだ。まだ購入していなくて読んでいないのだが、近いうちに読んで見たい。

今回の話題はそのことではなく漢字の不思議ということである。朝日新聞にその書評が出ていたのだが、その宇宙という字を眺めているうちに不思議な気がしてきた。どうもこの字が正しいのかどうか。間違っているはずはないのだが、ほんとうに不思議な気がした。この字が英語でCosmosという概念のものと同じものなのかと。

高校の頃に敬愛する国語のN先生もおしゃっていたが、漢字というのはじっとよく眺めて見るとこれが本当に正しい字なのかと疑問に思ったりするのだ。そういう風に漢字をじっと見つめたりすることは普段はないので、何の気もなしに字を読んだり、書いたりしている。

一瞬だが、そういう不思議な感覚にとらわれた日曜日の午前であった。


計算できない数式

2009-02-12 17:56:10 | 数学

日曜日の朝日新聞に数学者の新井紀子さんが書いていた。「計算できない数式」という題で。

その題には「自分では」計算できない式と形容詞がついていた。この話は高校生に行っているネット授業に出てくるという説明があった。

「計算できない数式」とは記事全体を読めば、近似値しか求められないような式(無理数を含む式なら近似値しか求められない)ということだと思うのだが、ちょっと誤解を生みそうな表現である。

もし、数式が計算できないということであれば、これは論理的に間違った式だということになる。そうでなければ、計算はできるはずだとは誰にでもいえることだろう。

その後に例としては円周率のパイを7.5の平方根で割ってcos 11゜をかけるという式が出ていた。「これが1より大きいか小さいかすぐにはわからないですね」と書いてあって、電卓で計算すると1.146---と求められるとあった。

それでちょっと考えたのだが、パイは3.14なにがしでルート7.5は2.828よりは小さそうだし、それにcos 11は1に極めて近いだろうから、1よりは大きいだろうと見当をつけた。

もちろん電卓で計算すれば、1より大きいことはわかるのだが、こういう見当をつけることも大切ではないか。

数の計算の見当をつけるということをここで強調したいわけではなく、標題のつけ方が誤解を招きそうだというのが私の今回ブログで取り上げた趣旨である。

短いコラムに文章を書くことは難しい。

大学入試問題で説明が込み入って難しいのはいろいろと誤解を招くのではないかと出題者がいろいろ心配をして注意深く問題の文章をつくるからであり、わかりやすくて、かつ誤解を招かないという両方の要請を満たした文章を書くのはとても難しい。