物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

lecture

2009-01-31 14:17:47 | 本と雑誌

岩波書店のPR誌「図書」はもう50年以上購読している雑誌だが、2月号にlectureという語が英語とフランス語でつづりは同じなのに意味が違うと載っていた。そういえば、発音もちがう。カタカナ表記をすれば、英語ではレクチャーだろうが、フランス語ではレクチュールだろうか。

英語ではlectureはもちろん講義とか講演という意味だが、フランス語では読書を意味するという。このlectureという語はもともと教会の牧師が聖書を音読した後でその内容を解説するという「説教」に由来するそうだ。

ドイツ語で読むとか読書はlesenだろう。名詞のときはLesenと大文字で書く。また、講義は教室の前で先生が講義の内容を音読したことからか、vorlesenと文字通りにとると「前で読む」という。講義という名詞はdie Vorlesungであろう。

これも昔に『図書』で読んだ受け売りだが、lesenは摘むとか選ぶという意味もある。ドイツワインでは遅摘みのワインをSp"ateleseという。また多分えりすぐりのワインという意味だろうか、Ausleseというのもある。

これらはドイツワインのmit Pr"adikat(称号つきの)のついたワインの等級を表している。mit Pr"adikatのワインには法律的に加糖が許されず、むしろ素人の私たちがワイン飲んだときには、人工的に加糖の許されるQBA(Qualit"at Wein)の方が甘くてうまいと感じられることもある。QBAよりも等級の下のワインとしては水の代わりに飲むといわれるTafel Wein(table wine)がある。これらのことはその当時日本人の先輩に教わったことである。自分で進んで勉強したことではない。

さらに昔を思い出せば、住んでいたことのあるMainzの近くにはSp"ateleseの発祥の地として知られる、Johannesbergというワインの栽培地がある。ここはライン右岸の河畔の丘陵地で南向きの斜面であった。この銘柄のワインは近くのワインよりも少し値段が高めである。これはこの近くのRhein Gauのワインと同様によく太陽の日があたるから、いいワインができるという定評があるからであろう。


Wein, Weib und Gesang

2009-01-30 11:37:32 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜のドイツ語のクラスでWein, Weib und Gesangという言い方がたまたま出た。

そして講師のRさんは日本語で言う「飲み、打つ、買う」にあたるとつけ加えた。そのとき、K夫人「打つ」がないのではと疑問を呈した。それに対するRさんからの返答はなかったが、本当のところはどうなんだろう。

そういえば、Wein, Weib und Gesangというのは名古屋工大の先生だった方のブログかインターネットの題でもある。

この方はドイツとかヨーロッパの事情に詳しい方でよくドイツ語圏の国へ行かれている。この方の名前は忘れたが、機械工学の先生だったと思う。Gesangが何を象徴しているのかどこかで知ることはできないだろうか。

因みにWeibはいまは差別用語で普通に女性を意味する言葉としては使われない。女性を意味する言葉としてはFrauを使う。ただ、慣用的にいくつか使われるときがある。


老齢化と睡眠

2009-01-29 11:27:26 | 健康・病気

老齢化によるものだろう。夜中に目が覚めることが多くなった。別に健康を害しているとは自分では思っていないが、夕食に少しアルコールが入るとテレビを見ていたのに眠ってしまうことがある。

だからかどうかはわからないが、4時ごろに目が覚めてもう眠れないことが多くなった。私自身は大抵いつでも眠い方だったのにやはり老齢化の波は私にもやって来ている。

12時過ぎて1時頃までと思って本を読んでいるつもりがいつのまにか寝入っているということがしばしば起こる。昨夜も京都の酒店「月桂冠」の博物館で買って帰った梅ワインを少し飲んだせいか9時のニュースを見ながら眠ってしまった。11時前には目を覚まして英語会話の放送を見てから寝たのだが、6時頃には目が覚めたので今日は私にしては早く起き出して新聞をを読んだ。

こういうことが頻繁に起こるようになった。


高校数学+α

2009-01-28 12:42:49 | 数学

「高校数学+α」という本を以前に購入してもっている。553ページにも及ぶ大著であるが、この本も購入時に期待して買ったほどではなかった。

まえがきで「負×負=正となるように数学がつくられている。文句があるか」といったことが書いてあるが、これは頂けない。というのはこれのいい説明は遠山啓の「数学入門」に載っているからである。

しかし、昨日「理系数学サマリー」について書いた苦情のいくつかはこの本にはあてはまらない。というのは部分積分の公式は二つの関数の積の微分公式から導くと書いてあるし、三角関数の半角の公式も導き方を書いている。

また、最近私が書き上げた数学エッセイの主題である、グラフの平行移動についてもその理由をちゃんと書いてある。

ただ対数の意味は書いていない。指数関数の逆関数として対数関数を導入するという方法はオーソドックスなものであるが、もう一工夫が欲しい。テイラー展開も説明は悪くない。


理系数学サマリー

2009-01-27 12:40:52 | 数学

「理系数学サマリー」という本を購入した。

副題に「高校・大学数学復習帳」という題がついている。一読しただけなのでその評価は早すぎて間違っているかもしれないが、ちょっとがっかりするような内容である。

数学公式を集めたような内容であって、新味が少ないのではないかと思う。証明が割愛されているのはまあいいとしてももう少し特色を出せないものだろうか。

たとえば、3次元の空間のラプラシアンの極座標表示であるが、この形が間違っているわけではないが、記憶するための工夫がされてしかるべきだ。これは私が小著「数学散歩」(国土社)で書いたような。

また、三角関数の倍角公式でも同じことがいえる。また、半角公式はこのcosの倍角公式とsinの二乗とcosの二乗の和が1となるということから導くとよい。

積分には部分積分の公式がない。そして部分積分の公式は二つの関数の積の微分から部分積分の公式を導くとかそういったことを知りたいではないか。

また、フーリエ級数でも0から2\piまでのときから任意の区間-LからLまでの変換するにはどうするかとか工夫が欲しかった。

八つ当たりしたが、いいところもある。球面三角法を取り上げたことやarccosとarcsinの関係を書いてあること、二重級数の変換等は他の文献であまり見られないことである。


社会のあり方

2009-01-26 11:28:43 | 日記・エッセイ・コラム

中谷巌さんが新自由主義経済から反省したという本を書いたという本の書評か広告を読んだ気がする。気がするというのは読んだとすれば日曜のことだが、すぐに忘れてしまうからである。どうも私はぼけ老人の仲間入りをしそうだ。

成長産業であった車の会社もアメリカの金融危機以来車が売れなくなっている。製造業がなくなるわけはないし、それらの産業が絶対必要なのは当然だが、そういう大量生産大量消費の時代から構造改革されねばならない。これからの時代は環境エコ、老人医療、介護、教育等のいわゆる成長産業でないものが主になる必要がある。

これらはどうしても必要なものであるが、ものすごい成長は望めない。しかし、人間の生活に必要なものである。

私の息子の一人はマクロ経済学をやっている。マクロ経済学が何を研究するのか知らないが、金利とかなんとかだけをやっていてもいまの苦境は抜けられないのではないか。どうも産業等の構造改革や経済等の考え方を変えなくてはならないときである。

今日の新聞で野口悠紀夫さんが述べているように金利を安くしたつけが結局日本に帰ってきたということらしい。現状としては仕方がないとしても早晩その点は是正がされなければならないだろう。そうだとすれば、息子の主張のインフレターゲット政策が現状ではいいとしてもいつまでも正しいという保証はない。経済政策は難しい。


新年会

2009-01-24 13:58:28 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜に毎年の恒例である私たちのテニスクラブの新年会を市内某レストランで行った。K弁護士さんが幹事でお世話を頂いた。幹事さんの要請で挨拶をした。そのときに日ごろお世話になっている方々の苦労をねぎらった。

私の責務はそれだけで後は乾杯と食事と歓談となった。また、途中で3分間を目途にした各自のスピーチをしたり、クイズみたいなものもあった。

参加者は20名でこんなに大勢集まったことは今までにはなかったように思う。もっとも昔の私の自宅で妻が恒例に行っていたバべキュー・パーティのころを除いての話であるが。

幹事さんは2次会も企画されており、この場所は I 弁護士さんのいきつけのパブであったらしいが、老年の私は失礼をして1次会で帰った。そして仕事場で超幾何関数の原稿を見直し、プリントして、読み直していたら、居眠りをしてしまった。夜中の2時ごろに目が覚めたので着替えてベッドで寝た。

こうしてみるとあまり多くはないが、私は恒例の年行事に参加していることがわかる。


楽しい人

2009-01-23 11:47:13 | 日記・エッセイ・コラム

「楽しい人」というのは冗談をいつも言って愉快なとか楽しいという意味ではない。なんでも仕事をするのにも一緒にすると気楽に仕事ができたりするそういう人のことである。

同じ仕事をするのではいつも好奇心をもって苦労も苦労と思わず楽々とこなしているという風に思える人がいる。その人はその人なりに苦労はしているのだろうが、いつも前向きでニコニコしており、人には言わずに自分が率先して働く、そういう人である。

妻の友人にそんな人がいる。妻とその友人がいるとなんだかその話を傍で聞いているだけでそのやっていることが面白そうだと思える。妻がもともとそういう性格なので同じような人と友達になるといこともあるらしい。

子どもが小学生の頃だったか算数の宿題があったとき、それを絵に描いて妻は子どもと考えていた。私などはそういうことができない方だが、楽しくやっているのを見るのは楽しい。問題を解くのには困っているかもしれないが、それへの取り組みが積極的というか自分の得意な領域にもってきてそこで考えるという風であった。

そういえば、私の先生のYさんなども研究を手伝ってくれて、グラフを描いてくれたりもした。もちろん計算で困ったときには相談に乗ってくれ、計算法を考えてくれたりした。私の博士論文の研究の作成のときにもそうであったから、頭が下がる。だから、一緒に仕事をしていてもその重荷が大いに削減されたと思う。そういう人にはしかしそうたびたびはお目にかかれない。


iKnowの待った?

2009-01-22 11:31:34 | 日記・エッセイ・コラム

昨日いつもようにiKnowにアクセスして学習を続けようとしたら、5つしか単語が出てこない。理由はわからないが、それを済ませてつぎを学習しようとしたら「今日の学習はははこれまで」というメッセージが出た。続きは明日だという。先週から少し急いでやりすぎたようだ。

多分システムの判断として一度にたくさんのレッスンをこなしても身につかないから、一日にこなす量の標準を決めているのかもしれない。なかなかいい教育的配慮ではある。先々週にはあまり進まなかったので先週少し余分にレッスンをこなした。お陰で順位が2000番くらい一挙に上がったが、それを今週はもっと促進しようと思ったのに。

それに今日の木曜日はドイツ語の先週のクラスででてきた単語や言い回しをまとめてLatex入力する作業を午後に行うので、あまりiKnowを勉強する時間はないと思ったから、昨日勢い込んで何課か上げておこうと思ったのにうまく行かないものである。


超幾何関数のエッセイ

2009-01-21 14:47:26 | 数学

超幾何関数のエッセイを昨日やっとあらかた書き上げた。しかし、無理やりこれでこの件を終わりにしようと昨日はしていたのだが、一晩寝て今朝の夜明けにはどうもやはり続きを書く必要があるとわかった。

第一部は超幾何関数の導入と初等関数を超幾何関数として表すところまでを述べた。

続きの第二部ではGaussの超幾何関数からの一般化を取り上げたいと思う。それと知りたいと思っている、Gaussの超幾何関数で表されない関数の例をいくつか考えたい。これが一般化されたGauss関数に入っているのか、またはそれ以外の関数なのかはソーヤーの本を読んだだけではわからない。

日本語でも数冊の超幾何関数の専門書が出ていることは知っているが、残念ながらそれらを手に入れることは経済的にできない。わずかに私のもっているのは木村弘信「超幾何関数」のみである。愛媛大学の図書館に行っても他の本は入っていないだろうと思う。

(2010.12.9付記) 超幾何関数のエッセイ1は愛数協の機関誌「研究と実践」に載せたが、もしそれを読みたい人はこのブログのコメントにその意思を表明してもらえれば、PDFファイルをお送りすることができる。このエッセイの2はまだ書いていない。

(2014.2.24付記)  日本語で書かれた他の超幾何関数の書も古書として手に入れたが、どうもGaussの超幾何関数で表されない関数の例は出ていないようである。

そうするとソーヤーの書いたことをどうやって知ったらいいのかわからなくなる。この3冊の超幾何関数の本を書いた著者のいずれかに手紙を書いて、教えを乞う以外に方法がないのだろうか。


コミュニケーション能力

2009-01-20 12:29:45 | 日記・エッセイ・コラム

コミュニケーション能力に優れていることが明日大統領に就任するオバマの特質であるという。どうもこういう話を聞くといつも恥ずかしくなる。というのは学生からの評価で話し方が下手だといつも書かれていたからである。

熱力学とか量子力学とかわかりやすくはない学問を教えてきたのだからそれは仕方がないとも言えるかもしれないが、そうとばかりは言い切れないところがある。確かに簡単なことでも説明が下手である。

授業はいつも考えに考え抜いて教えてきたのだが、相手のレベルに気を使わなかったかもしれない。しかし、これはカリキュラムのせいもある。学科では3年で教えたいことが軒並みにあるからという理由で本当は2年ではまだ数学的準備が十分ではない2年で量子力学を教えるようになったし、熱力学でも偏微分をどしどし使った。もっとも偏微分の説明はしたし、ごく少しだが演習もした。偏微分はそれほど難しいことではない。また、全微分の説明もしたが、これは自分にはわかっていても学生はあまりよくはわからなかった。

いまでも私の「基礎物理学」では偏微分こそ使わないが、べき関数の微分や積分はどしどし使う。そしてもちろんその説明もする。しかし、微分積分を習わなかった学生もいて、かなり不平が出る。微分積分を使わない、高校の物理の教え方は結局その微分積分の考え方を使っているだけで、微分積分の演算を使わないだけである。はじめにこの概念をマスターして、これらの演算をどしどし使った方が却ってすっきりしていることはいうまでもない。


前進座新春公演を見る

2009-01-19 12:41:12 | 芸能ネタ

17日に京都南座で前進座の新春公演を見た。出し物は「出雲の阿国」である。松山市民劇場のみなさんとご一緒をしてのバス旅行である。

なかなかの見ものであった。阿国は歌舞伎の創始者として知られている。16時の開演であるが、その少し前に南座に着いた。その前に加茂川畔の阿国の像を見てから劇場に入った。

踊りを中心にした劇であるので、日本舞踊を俳優さんたちがどう演じるかが関心であった。俳優さんたちは踊りの専門家ではないはずだが、結構上手で感心をした。後で交流会でテーブルに来られた俳優さんたちによれば日舞を習うことが一つの必須事項になっているとのことであった。

俳優さんたちによれば、どの日本舞踊のお師匠さんも厳しくて怖いくらいだとのことであった。俳優というのは演劇をすることで日ごろの糧を得ているわけだが、なかなか厳しい修行である。舞台の歴史的背景を勉強したり、日舞を練習したり、狂言を習いに行ったりするらしい。芸には限りがない。


ある推測

2009-01-16 12:45:52 | 社会・経済

これはまったくの推測であるから統計とどれくらいはずれているかを誰か調べて欲しい。

いま派遣労働者は300万人といわれている。これは全労働者の1/3といわれているが、そうだとすると1200万人の労働者がいることになる。

いま日本の全人口は1.2億人である。それ全体が家族4人の標準家庭とは考えられないが、簡単のために仮に就業人口は全人口の1/3としよう。そうすると4000万人の就業者がいることになる。この就業者は自営業や農業、漁業もあり、公務員や教師の方もいるだろう。

また、労働者といわれる企業で働く人もいる。この労働者としては一応技術者や管理部門の総務、人事、販売部門の人は入れないとする。

いま、1200万人の労働者うちで、300万人が派遣労働者であるとすれば、他の分野でもそれくらいの割合で非常勤の人がいると単純に仮定してもよかろう。そうすると全就業人口の1/3の1333万人の非常勤就業者がいることになる。

特に20代、30代のうちでこの非常勤または派遣またはパートタイムの雇用が多いと考えられるが、それでもすべての年代にわたってこういう不安定な雇用で働いている人の割合は1/3とする。これらの人は収入が少ないとか不安定であるために結婚をしたくてもできないと考えられる。

そうするとこれらの若年人口からの子どもの出生率はとても低いことになる。現に出生率は1.56?とか2を切っているが、これだけではなく人口を増やす政策は労働政策からも期待できないことになる。

もっとも私個人の考えでは日本の人口は8000万人くらいが適当ではないかと考えているけれども、それとは別に人口の減少を食い止める政策をとりたいのならば労働政策をまず改めなければならないと考えるがはたしてどうだろうか。

(2012.2.17付記) 現在では将来の少子高齢化が憂えられているが、私は老人と女性をもっと働く環境におけば、それほど問題がないと考えている。もっとも老齢になって働きたくないという人に無理に働かせることはない。

そうではなくて健康で働く意欲のある人に働く場所とか機会を与えるべきだと思うのである。もっとも老齢の人がいつまでも現場で権力をもつような環境には反対である。相談役や実務のような職に退くべきだろう。

それと女性が子育てをしながら、または子育てを終わった後にまた社会で働く場所と機会を与えるような社会になれば、それらの人からも所得に応じて税金を徴収することができる。または年金を減らすことができる。そのような仕組みはできないものだろうか。


三角関数の超幾何関数表示

2009-01-15 11:34:53 | 数学

sinとcosおよびsinhとcoshの超幾何関数表示をようやくチェックした。理工系の人なら知っている岩波の「数学公式集III」の該当の部分が間違っているので、チェックをした。

Gaussの超幾何関数にパラメータの極限をとる操作でこれらの関数を表すというチェックをした。以前にもチェックしたが、これとはチェックする式が少々異なっている。

指数関数も一つのパラメータについて極限をとる必要があるが、冒頭の4つの関数は二つのパラメータを無限大にしなくてはならない。それで昨日インターネットを切ってから机に向かい計算をチェックした。

そう難しい計算ではないのだが、こちらが疑心暗鬼になっているので、計算を間違っているのではないかと途中で思ったが、計算はあっていた。これでまたこのエッセイの続きが少し書けるようになった。

(2014.10.10 付記) 愛媛県数学教育協議会の機関誌「研究と実践」第103号 (2009.12)に

「超幾何関数1」として発表してあるが、この機関誌はあまりサーキュレーションがよくないから、普通の人にはこのエッセイ「超幾何関数1」を読むことができないだろう。

それとこの続きの「超幾何関数2」を書く必要があるのだが、まだ書くことができていない。

最近、問題点をクリアできたかと感じているので、近々書くことができるかもしれない。


ラジオ体操

2009-01-14 12:33:59 | 健康・病気

昨年の11月から正午の時間に放送されるラジオ体操をしている。もっとも日曜日はしていないが、それ以外の日はラジオを聞きながら体操をしている。お陰で少し体が柔らかくなっているような気がする。3ヶ月くらい前には前に体を曲げても手がほとんど地面につきそうになかったが、ほぼ着きそうになってきた。

これは私の中学時代には手のひらがペタンと地面についていたから、ようやく元に戻りそうになってきた。まだまだ地面に手のひらがペタンとつくには程遠いが、年をとってもある程度若いときに身体的に帰る可能性があるということであろう。

肩が冬には硬くなってテニスをするときにとても信じられないようなボンミスをするのだが、これが少し少なくなっているような気がする。もっともテニスはみんなそれ相応に長くやっている人たちなのでやはり一番私が下手である。その私が私的なテニス愛好会の元締めをやっているのはおかしいが、これには歴史的な理由があるからである。