物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

どれくらいブログを書いて来たか

2018-05-31 13:35:19 | 日記

というと、記事一覧というところに4357回と出ていた。年に300日書くとして、10年以上ブログを書いて来た。正確には2005年の4月の終りにブログを始めたと思うから13年目に入っているわけである。もちろんブログだけにうつつを抜かしてきたわけではない。

1984年から現在までに書いて来た、数学物理関係のエッセイは165編となる。しかし、これはトピックが前の版の改訂版とか修正版とかの数を含めてのことである。これは純粋の論文を除いてのことである。あまり意味のない大学の紀要とかの論文の数を数えたことはないから、何編ぐらいあるかはわからないが、たくさんあったとしても40篇もはないであろうか。

人の一生に書ける論文数としては私はあまり生産的なほうではない。それも多変数複素関数論の世界的権威であった、岡潔先生のような論文数は10数編であってもそれぞれが珠玉のような論文ならいいのだが、残念ながらそういう価値のある論文でもない。

私は自分で考えるとどうも研究者ではなく、教育者としての側面の方が強かったと思う。じゃあ、とてもいい講義をしたかと言われれば、そうとも言いかねるのが残念である。


「数学・物理通信」通巻70号

2018-05-31 13:00:24 | 数学

まだ6月になっていないから、「数学・物理通信」8巻4号、5号を発行していないので、70号には達していないのだが、いずれ数日中に発行する予定なので、8巻5号で70号に達する。

しかし、今回は記念号とはしないで、記念号は100号まで待つこととした。あと30号であるので、あと数年は100号には到達しないが、あまりたびたび記念号として発行するのははばかられる。

しかし、最初にこのサーキュラー「数学・物理通信」を発行を始めたときにはこんなに発行できるとは予想もしていなかった。年に3回か4回発行できればいいほうであり、それもすぐにタネ切れになるから、継続ができるとは全く思わなかった。

私が個人的にメールでお送りしている、このサーキュラーのアドレス数は多くても40人を下回るであろう。だが、名古屋大学の谷村先生のサイトにリンクがされているために、それを見て、いろいろ投稿をされる人もおられたりして、その広がりがどれくらいあるのかは予想もつかない。

メールのアドレスに載れば、私から直接にメールの添付書類としてお送りしているし、そのリストに載っていなくても、googleで検索すれば、すぐにpdfのバックナンバーに到達できる。これはインターネットが普及したおかげである。

そして、「数学・物理通信」の投稿者とかがこのブログを見て下さるということもあるようなので、このブログもまあまあ、ある程度盛況という訳である。

(2022.5.20付記)2021.9付で「数学・物理通信」は100号に達した。いまは104号か105号に達している。「ちりも積もれば、山となる」である。

200号は私に達成できるかどうかわからない。人間なんて一瞬先は闇である。200号にはならなくてもいい。そこに達することを努力していたということが大切なのではないかと思っている。

(2022.6.23付記)  昨年ある人からどれくらいの人に「数学・物理通信」を送っているのだと言われて数えてみたら、82名の方に送っていた。その数は時間の経過とともにいつも増減する。これは人間であるから、死亡したりして宛先の方が少なくなることもあれば、新しく知り合いになって宛先が増えたりもするからである。

82名という数を数えたときからでも、数名の出入りはある。正確にはあまり数を数えるという機会は誰かから聞かれるという機会でもなければ、特に数えたりすることはない。


Les mots, c'est la vie.

2018-05-30 11:46:29 | 日記

Les mots, c'est la vie. (レ モ、セー ラ ビー)「言葉、それは人生だ」とでも訳せようか。

昨夜の12時からのNHKのEテレの「旅するフランス語」で出てきたいくつかの言葉の中でやっと書き留めたものである。毎回いくつかの文章だとか文句が出てくるが、大体は書き留めることなどはしないので、右から聞いて左から忘れるというふうである。

もちろん、その中で話される言葉の大部分は私には復習になっているのだが、それでも新しいコトバもときどきはある。もっともそれは聞いては忘れ、忘れては聞きである。

言い回しを説明するときには詳しい説明があるのだが、それらは大抵知っていることではある。だが、その詳しい説明は初心者のためにはぜひ必要であろう。たとえば、auxであるが、a+lesの縮約形であるとか。


Humpty Dumpty

2018-05-30 11:23:53 | 日記

はハンプティ ダンプティと発音するのだろう。今朝、新聞にはさまっていた広告だったかにHumpty Dumptyと出ていたので、何かなと思って高校の学習英和辞典を引いてみたら、童話かなにかの卵型の人で一度転げるとなかなか立ち上がれない人物を言うのだとあった。

いま、小学館のプログレッシブを引いてみたら、童謡集『マザー・グース』の中の擬人化された卵で、塀から落ちて割れるとあった。まったくこういう話は知らなかった。

一度、妻に知っているかどうか聞いてみよう。


誕生日のお祝いが

2018-05-29 12:42:28 | 日記

方々から寄せられた。これは取引銀行だとかメガネ店だとか車の代理店とかからであった。鉢植えの花だとか生け花だとか、はたまたJALからまでメールがあった。これはときどき東京までJALに乗るからである。

これらはすべてこれからの商売がらみの思惑から寄せられたものである。もっとも人間としては誕生日を祝ってもらって、うれしくないわけがない。もっともそれ以上でもそれ以下でもない。なにか取引の回数がとくに急に増えるわけではない。

最近は若い人は収入がすくないが、老人は比較的金持ちであるとか、言われているようだが、そういうことは少なくとも私に限ってはない。すなわち、あまり豊かだとはいえない。何もしなければ、いいのかもしれないが、しかし、そうもいかないからである。

本はできるだけ買わないようにすでにしているが、それでも全く買わないということでもない。だが、現職で勤めていたころのようには買わない。できるだけ図書館で借りられる本は借りて読むようにしている。


テニスをやめてから

2018-05-29 12:10:57 | 日記

ほぼ2年が経った。77歳の誕生日を迎える数日前に、もうテニスをやめると言ってやめた。なかなか体力的に難しくなってきたからであった。それまでもあまり体を動かす生活をしてはいなかったので、なかなか走ることができないということもあった。

それでもいまのところ特に体の異常を感じてはいない。たぶん、ガンとかが体のどこかにすでに発生していたり、はたまた心筋梗塞とか脳梗塞だとかのタネはすでにもっているかもしれない。しかし、これは私自身のあずかり知らぬところなので、まあどうでもいい。

79歳までまあなんとか健康で来られたのだから、自分の体に感謝せずにはおれない。病院には2週間に一度とか4週間に一度とか通っている。飲む薬も少しづつ多くなってくる。ただ、そのことがまだフェータルなものではないだろうと思っている。

いつまでも生きていることがいいことだとはあまり思わなくなった。本来、私は「人が長生きすることはいいことだ」と思ってきたが、それが自分のことにおよぶとやはり簡単にそうは言いかねるという気がする。だが、西部邁さんのように自死を選ぶほどの覚悟もないし、自然に任せざるをえない。

だが、そのことは別にして、いくつかのことでまだやっておきたいというか、自分ですっきりと理解できたと思わない、数学のベクトル解析の中味だとか、熱力学や統計力学もある。

それだけではなく、量子力学でもよくわかっているわけでもない。そう考えるとなかなか人生をおさらばする覚悟はできない。


論文の投稿希望者

2018-05-29 11:45:02 | 数学

「数学・物理通信」の投稿者の候補が潜在的にどれくらいいるかであるが、その数はおよそでも推定できない。数人から10人くらいであろうか。

こちらからお願いをして少し時間がかかってでも投稿してもらったこともないではない。だが、個人的に努力してインターネットで配布しているサーキュラーであるので、原稿料を払えるようなシステムになっていない。自発的な投稿者に依存したサーキュラーである。

そこらあたりが、出版社が出版している数学関係の雑誌、たとえば、「数学セミナー」(日本評論社)とか「数理科学」(サイエンス社)だとか、「現代数学」(現代数学社)とはちがう。だからといって文章がいい加減であってもいいということにはならない。どうもそこらあたりを勘違いしてもらっては困る。

いままでの投稿者にはその辺の見当違いの不心得者はいなかった。もしいたら、投稿を断るであろう。だが、これからどうであるかはわからない。

だが、あるレベルに達していなければ、無理に発行する必要はないのであるから、その気がありさえすれば、なんということはない。それに投稿原稿はlatexであることが最低限必要である。latex原稿でないと編集ができないからである。

 


自分の原稿を読み返したら

2018-05-29 11:17:30 | 日記

「数学・物理通信」8巻5号に掲載予定の私の二つの原稿を昨日読み返したら、小さなことだがやはりミスがあった。

書いてから、しばらく見ないでいる時間をもつというのが、私のいつもすることである。そうしないとのべつ幕無しに原稿をみていると、まちがっているところもなかなか見つけられないのである。

しばらく、それは数日でも1週間でもいいが、間をあけてから読み返すと自分のミスを発見しやすい。頭に空白の期間ができたら、また新しく自分の原稿を読むことができるのである。

もちろん、時間をおいたからといって、なかなかエッセイが完成しないこともある。特に、自分の考えに進歩がないこともある。また、どこかでも学びができないこともある。それでいつまでも完成しない数学エッセイもいくつかある。それでファイルキャビネットの私のフォルダーの中で眠ったままのものもいくつかある。

先日、「数学・物理通信」8巻5号の編集後記にそのことを書いたが、あるえらい先生から恐縮されたが、別に彼への当てこすりを書いたつもりはない。むしろ自分の自戒の念を再度確認するというつもりであった。

文章をやすやすとそれも名文で書けるような人も世の中にはおられるのであろうが、凡人の私どもはそういうふうにはいかない。いつも文章を書くのは身をけずるような作業である。

 

 


『エントロピーのめがね』(最終)

2018-05-28 11:47:20 | 物理学

『エントロピーのめがね』を読み終わって。

ちょっと読後にしばらく味わったことのない気分を味わった。なんといったらいいのだろうか。戸田盛和『エントロピーのめがね』(岩波書店)は基本的にはその当時流行したエントロピーという用語をテーマとした本である。

ところが最後の章の「文明とエントロピー」のところに著者の戸田先生のいろいろの思いというか、思索がつまった感じがしていろいろと考える機会となったからである。この書は必ずしも科学書ではない感じがしたものである。文明批評というモノかともいえるし、ある種の哲学だといってもいいかもしれない。

やはり、最高の知能の一人の物理学者の書いたある種のエッセイという感じもした。戸田先生は大学ではあの朝永振一郎先生とも長い間同僚であった方である。

それに東京教育大学が筑波に移転して筑波大学となったときにも一緒に移転はしなくて、横浜国立大学などに勤めた方である。彼からは別に筑波大学移転への批判は語られたことはなかった。

その話とはちがって、これは武谷三男とかも生物の進化との関連で述べられたことのある、力学の時間反転性の不変性と関連したこともちょっと触れられている。そういう意識がすこしはあるのだということがうかがわれた。

久しぶりに余韻のある本を読んだ。

私はなんでも徹底して理解したいと思っており、自分の書く数学教育的なエッセイでも透徹した論理で書くのを目標にしている。それがいつでもできているとは思わないけれども。

しかし、その場合には読後感としての余韻はまったく残らない。だから、もちろん、結論として自分になにか決定的に言えることがないとしても、ああも考えられるとかこうも考えられるとかという、ある種のふり幅の大きさが読後に与える大きさがあるのだという感じをもった。


しばらく普段とちがうことが続いたが

2018-05-28 11:26:28 | 日記

ブログのアクセスがもとに戻った。日曜に100代の前半のアクセス数に戻った。大体日曜は100代を切っていたのだから、以前と同じところへ帰ったわけである。

私のブログは普通のブログで特に私はアイドルでもないのだから、これが普通のことである。やれやれ。

別に自分が人気者であるとは思っていないが、ちょっと浮かれた気分がしていたことは事実である。普段とはちがったことをするという意識がまったくなかったとは思えない。

そこらが恐ろしいところである。


Levi-Civitaの記号でベクトル解析の初歩を

2018-05-26 16:53:56 | 日記

という名前の文書が「物理のかぎしっぽ」のJohさんのベクトル解析の中の付録としてつけられてからもう10年以上が経つ。これの記事について初めての反応を今日もらった。

メールでもらったのだが、お礼を言われるほどのことではないが、うれしかった。たぶん、これはすでに「数学・物理通信」のほうにも転載をしていると思う。すなおに御礼を表明して下さる方などはいないと思っていた。

もっともあそこに書いた、Levi-Civita記号の導入のしかたは私のアイディアではなく、元岐阜大学の川崎さんのものである。彼は頭が鋭いだけではなく、教育的でもある。最近では一石賢さんの「ベクトル解析」の本にもこういう説明は出ていたように思うから、私だけがこういう説明をしているのではない。

もっとも、ベクトル解析ではなく、ベクトル代数の範囲だけならば、このLevi-Civitaの記号を必要としないことを「数学・物理通信」に載せている。もし関心のある方は名古屋大学の谷村先生のサイトの「数学・物理通信」のバックナンバーを検索してほしい。

(2020.3.6付記) 表題の数学エッセイを「数学・物理通信」9巻9号に「Levi-Civita記号とベクトル解析」というタイトルで改稿して載せている。参照されたい。

『エントロピーのめがね』4

2018-05-26 13:26:06 | 日記

『エントロピーのめがね』を読んできて、ようやく最終章「文明とエントロピー」に差し掛かってきた。その前の章の「生命の不思議」のところが意外におもしろかった。この章にウランの熱拡散の話にちょっと触れている。この話が原爆の基礎研究だとは戸田さんは思わなかったという話である。

何の話か分かる人はわかるのだが、核爆弾をウランでつくるときに使えるウランはウラン235である。

天然のウランはウラン238と235の混合しており、その大多数99.3%はウラン238であり、これは高速の中性子でしか核分裂をしない、減速された熱中性子で核分裂するウランは天然のウランの中に0.7%しか含まれていないウラン235である。だから、熱拡散によってこの二つを分離して、ウラン235が濃縮されたものをつくる。

これは、いわゆるエントロピーが増大するという方向とは反対の変化である。その話が科学雑誌に出ていたということらしい。アメリカは熱拡散によるウランの分離の大きな工場をつくり、いわゆる濃縮ウランをつくって、原爆を製造した。

そういう詳しい話は『エントロピーのめがね』には載っていない、しかし、普通のエントロピーを増大させる変化ではなく、まちがいなくエントロピーを減少させる変化であるので、例として挙げてあるのであろう。

太平洋戦争中の日本では熱拡散によって、ウラン235の濃縮をしようとしたが、実際にはなにもできないうちに終わってしまった。


「エントロピーのめがね」3

2018-05-25 12:57:01 | 物理学

戸田盛和先生の『エントロピーのメガネ』(岩波書店)の第3章をいま読んでいるのだが、これは竹内淳さんの『高校数学で分かるボルツマンの原理』(講談社ブルーバックス)を読んだことが機縁になっている。

そういえば、熱力学や統計力学の解説として有名なのは朝永振一郎先生の『物理とは何だろうか』上巻、下巻(岩波新書)である。ところがこれが以前になかなか読めなかったという記憶がある。特に下巻が力作だというので有名である。だから、『エントロピーのめがね』を読み終わったら、再度『物理とは何だろうか』に挑戦してみたい。

まあ、『物理とは何だろうか』を読んだころはまだ大学で熱力学を教えた経験がなかったころでもある。その後、3年か4年だったが、熱力学を基礎教育課程で教えるという経験をもった。

それにムーアの『物理化学』(東京化学同人)を読んだりした。だからすこしづつ経験を積んでいると思う。


zust"andig

2018-05-25 12:35:17 | 日記

angeblichとともになかなか覚えられないドイツ語にzust"andigがある。意味は「権限(資格)のある」とか「担当の」とか「当該の」というような意味である。

これとよく似た語にanst"andigがある。こちらは「礼儀正しい」とか「満足のいく」とかある。例として Sie ist einfach, aber anst"andig gekleidet. (彼女は質素だが、品がよい)とか、eine anst"andige Firma (ちゃんとした会社)だとかがある。

ein anst"andiger Preis(まずは適当な価格)とかある。こちらの方もあまり聞いたことがない。というか言葉を知らないと、たとえいつかその言葉を聞いたとしてもなかなかわからない。また頭に残らない。

外国語を聞き取ることがでときるというのはやはり語彙力だと思う。a

(2019.5.27付記) angeblichの意味を1年がたって忘れている。「自分がいうところでは」とか「自称の」とかいう意味ではなかったかと思う。これからちょっと辞書で確かめてみたい。今確かめてみると、辞書では「そう思われている」とか「表面上の」とかの訳も出ている。


数学・物理通信8-4, 8-5

2018-05-24 15:52:54 | 日記

著者に点検のために編集したものをお送りした。

もっとも、発行は6月に入ってからになる。だから、ちょっとどんな体裁でどんな内容かということを見せるというところに重点がある。もっときちんとした検討はすべきだが、いまは単に原稿をくっつけたという段階である。

今回はどうも編集ができず、発行もできないのではないかと危ぶまれたのだが、なんとか発行にこぎつけそうである。投稿者の皆様には頭が下がる。