物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

夏が来た

2015-07-31 11:27:17 | 日記
「夏が来た」などというと「以前から夏は来ているよ」といわれると思う。

私の言いたいのは梅雨とも夏ともとれるようなどっちつかずの夏ではないという意味である。空が青く晴れ渡ってそれだけ太陽が容赦なく照りつけるから暑くなって気温が上がる。

30度を越えた日が続くようになる。だんだん湿度がさがてくるのだが、まだそこまでは行っていない。メリハリのあるほんとの夏が来たということである。

雲も積乱雲を多く見るようになる。もうすぐ夏の甲子園大会も始まる。

ということで、仕事部屋でエアコンをかけて仕事と思いきや、ときどき昼寝の生活である。

無料での活動

2015-07-30 17:38:32 | 日記
現代では、無料での活動が大切になっているのではないかと思っている。

私が行っている『数学・物理通信』の発行でも、投稿料などはとっていない。そのせいもあってかときどき見ず知らずの人が投稿されることもある。

別に見ず知らずの人だからと言って断る訳にも行かないのだが、どうもちょっと問題意識がずれているのではないかと思うものもある。そこらあたりがいうに言われぬ難しいところである。

すでに今までにそういう方の投稿が3つあったが、一人は掲載をお断りをした。一人は大きく書き改めてもらって、掲載を認めたのだが、まだ掲載はされていない。9月以降の発行の号に掲載を予定している。

現在も一人の方とメールでやり取りしている。私は掲載をお断りするつもりであるが、共同編集者が強い意見で掲載を主張されたら、掲載をするしかない。

これは『思想の科学』の編集方針の一部をまねたものである。基本的に『数学・物理通信』は私と共同編集者の N さんが個人的に出しているメール配布のサーキュラーである。

名古屋大学の T さんという方がボランティア的に彼のサイトに『数学・物理通信』のバックナンバーのすべてをご自分のサイトにリンクして掲載してくださっているので、それを見て投稿されるというケースがある。いままでに投稿された3人の方々ともにそうである。

もともと個人発行のサーキュラーであるから、個人的に気に入らなければ断ってもいいはずである。理由は鮮明にできないことが多い。ただ、やはりちょっと奇妙に感ずるというぐらいしか言えない。

同人誌的に出しているサーキュラーだから、どなたかの同人として登録されている方で、信用のある人の紹介があれば、いいのだが、私も知らないし、誰も知らないという場合にはそういう素姓を自己紹介してほしいという、お願いのメールをまず返事に出している。なんでもそこからはじまるのだ。自己紹介もされないで、投稿される方がいままでの3名のうちの2名はそうだった。

別に自己紹介がなければ、無礼とかいうつもりはないが、私たちのサーキュラーは学会誌の代わりではない。学会誌ならば所属(または元の所属)を書けばそれでいいだろうが、やはり個人発行のサーキュラーである。そこらあたりの感覚が私には理解できない。

そんなことはもともと投稿規定には書いてないではないかと言われるのかもしれないが、もともと N さんと二人で始めた同人誌的サーキュラーである。一般の人からの投稿があるとは想定をしていない。同人の間で「投稿規定があった方がいい」ということでつくられた投稿規定である。

同人の方からの投稿が結構数が多いので、当初は3の倍数の月に1号だけ発行するので、すむものと思っていたのだが、それでは原稿がたまりすぎるという事態になったので、2号または3号を発行するという事態にまでなっている。

そういう事態を同人でない人が知ることは難しい。それだのに長文の投稿があったりすると途方に暮れる。それもどこか奇妙だと思う場合には掲載を断るというのはしかたがない。

このブログにこんなことを書くつもりはまったくなかった。私はすぐに筋道をはずれてしまう。いけない、いけない。

要するに現在ほどほとんど無料できるボランティア的な活動が大事だと思っている。これは私自身が生活に汲々としているためもある。それだけではなく、友人たちも年金生活で汲々としている。そして日本の国もそうである。

そして大学でも研究プロジェクトを出さないと研究資金を得られない時代になっている。これは友人が最近の雑談会でふと漏らした言葉だが、「研究プロジェクトでは成果がわかっている研究しか資金が出ない。それはすぐに成果を求められるからである。だが、研究成果が出るか出ないかわからないのが、研究というものである」と。また数年で結果の出る研究など大したものではないとも。

彼はなかなか独創的な研究者であったが、その彼の言葉を本当にかみしめた方がいい。だが、そういう余裕もなくなっているのが、現在の大学である。

特に、野心的な研究であるならば、失敗する確率が大きい。だが、その失敗を許容できなければ、大きな成果の得られる研究もできない。

こんな当たり前のことも国家的にはできないので、無料の活動が重要な時代だと思う。

『数学・物理通信』の発行も、雑談会もタダで私がやっている活動である。






南の島に雪が降る(松山公演)

2015-07-30 11:48:57 | 日記
昨日、前進座の「南の島に雪が降る」の松山公演を見た。

最前列で見たのだが、なかなか迫力があった。この芝居は先日広島ですでに見ていたのだが、やはり2度目に見ると細かなところも気がつく。

先回はモノローグをしている役者さんだけに注意が行ったが、それだけではなく、そのモノローグがある間中に他の舞台にいる人がどういう表情をしているのかをちらっと眺める余裕があった。

なかなか自分が何かをしゃべっていないときでも観客が見ているのだという緊張感は舞台に出ている人しかわからない緊張感であろうか。

チケットは540枚を売ったとかで、観客席はいっぱいに詰まっていた。拍手も多くて、最後に嵐芳三郎さんから一言ご挨拶があった。前進座としても喜んでいるらしいことが伝わってきた。よかった、よかった。

安保法制法案の審議がされている今の時期に適した芝居だあったのではないかと思った。私には芝居の設定状況から今回は仕方なかったのだが、女性が出てこなかったことは物足りなかった。

私の妻はこの公演の成功のためにかなりの力を注いできたので、抜け殻になっているかと思ったのだが、案に相違してまた趣味の籠バッグが編めると意気揚々としている。

もっとも彼女は何でも張り切り過ぎて、ときどきダウンしてしまう。ちょっとセーブをしてほしいとも思うが、なんでも全力投球だからしかたがない。

鶴見俊輔さん

2015-07-29 15:39:42 | 日記
朝日新聞で、鶴見俊輔さんの短い評伝が昨日に出ていた。

亡くなってから3日にわたって記事が出ることはなかなか珍しい。それだけ人々に大きな影響をを与えた人だということになる。それには私も異存がないが、それでも武谷三男が亡くなったときには鶴見さんの追悼記だけであったので少し考えさせられてしまった。

科学者はなかなか普通の人に影響を与えることが難しいということである。これは実は世の中がやはり科学的なことの理解が難しいことを示しているということではなかろうか。

哲学者も科学者と同じに難しいことを考える人であろうが、鶴見さんの場合には大衆的な芸術とか文化にも深い関心があったから、理解が文系の人にも理解しやすかったのであろう。

鶴見さんが武谷さんについて書いていることとかインタビューに答えていることではいくつかあるが、武谷さんと「うそをつくことはいけないか」という議論を徹底してしたこととか、雑誌『思想の科学』の多元主義はアメリカ帰りの4人の創刊時の同人の影響ではなく、武谷によるものだという発言は見逃せないと思う。

思想の科学の創刊同人は7人で渡辺慧、都留重人、武田清子、鶴見和子、鶴見俊輔、丸山眞男、武谷三男であるが、前から5人が海外留学組であった。渡辺慧はヨーロッパ留学であり、都留以下の4人はアメリカ留学者であった。

だが、思想の科学の多元主義は武谷から来ているという。そこら辺が不思議なところである。いかに思想の科学が武谷の意見によってその基本的な性格づけされたかがわかる。

徹底して議論をするということで鶴見さんは武谷さんを自分とってグル(導師)とまで思うようになったという。

鶴見さんは言っていた。私には哲学の先生は数人いるけれども、徹底して議論をするということを本当に身をもって教えてくれたという点で一番の師であると(注)。
人々はこういう徹底した議論は好まない。私なんかもそうである。だが、このことを身をもって教えてくれたということを鶴見さんはちゃんと見ている。

もっとも鶴見さんは弱いものにはやさしい人だった。権威とか権力をかさにきて弱いものをいじめる人には厳しかったけれども。

鶴見さんが日本でいえば、理学士の称号を持っているということを聞いて「日本風に言うなら私と同じ理学部の出身ですね」と言ったら、はにかんで「つまり理学士とはラテン語が読めないということですよ」と言われた。こういう謙虚な人なのであった。

(注)鶴見さんは別のところで都留重人さんは自分の師であると書いている。そういう意味ではいいところがあれば、すぐにそのいいところを誰からでも学んだのであろう。

エミー・ネター

2015-07-28 11:49:15 | 日記
女性数学者エミー・ネターについて不定期刊行の『ドイツ語圏とその文化』で取り上げようかと考えている。

物理を学んでいるものにはネターは「ネターの定理」で有名である。一方、数学者の間ではむしろネターはかつて抽象代数学といわれた新しい代数で有名なのであろう。

ネター環という理論で有名らしい。これはちょっとネットで調べたが、私には理解できないので紹介できるような気がしない。昨夜、wikipedia のネターの定理を読んでみたが、もうわからなくなっていた。もっともこれはちょっと努力をすれば理解可能であると思っている。

それで内山龍雄さんの『一般相対性と重力』をとりだしてきたが、これは友人の E さんが何十年も前に手ほどきしてくれたことがあるが、そのときのノートを参照しなくてはわかりそうにない。そのノートはどこかにあるのだが、まだどこにあるのか見つけてはいない。

そうはいっても文章だけの説明でネターの定理の説明をすることはしたくない。解析力学の範囲でもいいから数式を用いた説明をつけたいと思っている。

ネターは予想に反して結構多くの人の関心を集めていると見えてネターに関係するサイトは多い。

私はここで、ネターと書いたが、どうしたものかインタネットでも文献でもネーターとなっている。これは日本風になった発音なのか、それともこの発音のほうが正しいのか調べていない。

Noetherをネタ―とカタカナで表したのだが、発音はNertherだと、ある英語のサイトの記事にはあった。とするとネーターと表すのがいいのだろうか。太田浩一さんの『ほかほかのパン』(東京大学出版会)にもネーターの表記である。

特に女性の書いたネターの伝記等がたくさんあるようだが、これはネターの生きた時代だけではなく、現在でも女性のおかれた環境が厳しいことを物語っているようでもある。その業績からいえば、ネターは抜きん出ている。

批判される人

2015-07-27 15:59:41 | 日記
私が関心をもっている武谷三男は他人から称賛されることもあったが、大いに批判される人でもあった。

それで批判した人の書いた本を先ず記録にとどめておかねばならないと考える。

それらは

1.広重 徹『科学と歴史』(みすず書房)
2.中村静治『新版・技術論論争史』(創風社)
3.伊藤康彦『武谷三男の生物学思想』(風媒社)
4.伊藤哲郎『日本の社会主義』(岩波書店)

等である。他にもあるかも知れないが、特に2と3とはそのことに丸々1冊の本をあてているというすごさである。昨日の日曜日に3の『生物学思想』を少し読んでみたが、この中で伊藤さんはかなり徹底的に武谷を批判している。そしてそれがどうもかなり正しいのではないかと思った。

これは面倒なことになったものだ。もっとも私は武谷は間違わないなどという、武谷無謬説をとる、武谷信者ではないので、別にあまり困ることはないのだが、それでもその取り扱いをどうするかが思案のしどころである。

1についてはすでに私も広重の批判については自分なりの見解を『徳島科学史雑誌』で述べた。4の本は購入したはずなのだが、いまどこを探しても見あたらない。

3は生物学のルイセンコの獲得形質の遺伝を武谷が晩年まで否定しなかったという批判だが、武谷が妙に進化論と遺伝学の間のギャップについての自分の問題意識を固執したためにだろうか、伊藤さんから不勉強と批判されている。

4ではいま手元にその本が見当たらないのでちょっとしようがないが、武谷が原子力の平和利用を認めたがために、福島第一原発の事故が起きたというような話かとと思うが、それはそうではないので、ちょっと言いがかりであろう。

戦後の一時期、原子力の平和利用について述べたこともあったが、次第に原発については武谷は批判的になった。

2は技術の定義に関する論争であり、中村さんは技術とは労働手段の体系であるという立場の方だと思う。

そしてその書き方がところどころいやらしい書き方をされているので、それを除いてみたときにどれくらい本質的な批判があるのかはちょっと詳細に調べて見なければならない。

看護学の観点から武谷技術論を学んだ方で、中村静治さんとちょっとかかわりがある方に川島みどりさんがおられる。川島みどりさんは中村先生の技術論と武谷・星野技術論の優劣とかにはまったく触れられていない。

ただ、言えることは川島さんたちが中村さんの意見を取らずに武谷技術論を採用していることである。すなわち、看護学上の実践には武谷技術論が有用であるとの判断をしている。

水俣病に取り組んだことで知られる、原田正純さんは裁判のときに彼自身が法理論的にはおかしいと感じておられたことが結局は武谷の「安全性の考え方」にもとづいて法理論的な裏付けを得て裁判をすることができて、勝訴したと言われている。

こういういくつかのところで実は武谷は大いに貢献をしているのだが、そういう風には武谷を批判する人たちは見ない。そこらあたりが、どうかと思うところである。

それはともかく、部分的な伊藤さんみたいな批判のしかたは論としてある程度成功を収めているのではなかろうかと思うようになった。

掃除をした

2015-07-25 12:34:39 | 日記
毎月、第4土曜日に雑談会という会を友人、知人としている。

今日はその第4土曜なので10時半に仕事場に来て、掃除をした。とはいっても窓を開け放って掃除機をかけるだけである。

その機会にゴミ箱を空けたり、机の上を拭いたりする。ついでにマットを干したりする。それくらいだが、会にやって来る人に少しでもいい印象を与えるようにと努力をしている。

トイレと洗面所のタオルを洗濯すみのものに代えて、使っていたタオルを洗濯をしてバルコニーに干す。

それくらいの事前の作業が約1時間続く。昼食をか軽くとってそれを片づけしているうちにそろそろ早い人はやってくる。

おしゃべりをすることが好きな人が大抵早くやって来る。ちょっとした社交の場となる。あまり日頃私も他人と会話をしないということで、雑談会という試みをすることを思いついた。

私の高校の亡くなった T 先生が高校を退職してから、やはり雑談会という名の会をされておられた、が彼は意見をお持ちの人だったので、議論がその雑談会では行われたであろう。

私たちの雑談会も議論はあるが、それほど白熱した議論にはならない。あまり白熱した議論になるとその後が大変だから、適当なところで収めた方がよかろう。
















鶴見俊輔さん逝去

2015-07-24 12:11:47 | 日記
今朝起きてくると、妻が「鶴見さんが亡くなったよ」と知らせてくれた。悲しい知らせである。

鶴見さんと知り合うようになったのは私が武谷三男の論文リストや著作リストをつくってその別刷を送ったことからである。

鶴見さんの武谷さんに対する信頼は大きかった。これは彼によると当然でもあろうか。鶴見さんといえばもちろん雑誌『思想の科学』の創始者であり、およそ50年にわたって発行人兼編集人を務めて来られた。

もちろん、鶴見俊輔の業績は『思想の科学』の発行だけではなかろうが、それでも鶴見俊輔の名を不動にした大半はこの『思想の科学』と『転向の研究』によるであろう。

お姉さんの鶴見和子さんが弟の俊輔さんのためにお父さんの祐輔さんに頼んで『思想の科学』がはじまったのは間違いがなかろうが、それでもこの和子さんのお考えで『思想の科学』は廃刊の危機にあった。

だが、それに反対されたのは武谷さんであった。日本共産党がしっかりしてきたので、もう『思想の科学』はいらなくなったのではないかとの和子さんの意見に対して、一つくらい日本共産党とは独立なリベラルな雑誌があってもいいのではないかという意見を武谷さんが述べられた。

それで『思想の科学』は廃刊を免れた。これには鶴見さんは生涯恩義を感じていたであろう。鶴見さんは近代的な自由で独立した精神と義理がたい魂をもたれた方であった。

そういうこともあってか、いつか私のその当時所属していた団体が京都で集会を開いたときに少額の講演料を承知で講演を引き受けて下さった。鶴見さんがどれくらい優れた方なのかは私を含めた集会の参加者はだれもが理解をしていなかったと思うが、それでも鶴見さんの一言、二言から多くの人がこの哲学者の生き方に感銘を受けた。それは言葉で表される以上のものが、おのずから体からあふれているからである。

その数年後であったが、松山で「九条をまもる会」の総会での講演をお願いしたところ、快諾をされて松山まで来てくださった。

お姉さんの和子さんがもう余命いくばくかもないといわれていた頃であり、ひょっとすると途中で急遽京都に帰られるかも知れないという状況ではあったが、松山大学であった講演会は満員の盛況であり、立ち見こそ出なかったが、階段教室の階段に座って、講演を聞いた若い学生もたくさんおられた。

はじめJRで京都まで帰られるという予定だったが、大阪まで飛行機で帰られることに予定を変更されたので、松山空港まで妻の車でお送りして別れた。それが生前に直接に接した最後の機会であった。その後もテレビ等で九条をまもる会の講演会の報道等をお見かけしたけれども。

ご冥福をお祈りしたい。

鶴見さんについては細かな配慮をされる方であり、そのことについては別の機会に述べてみたい。

二休さんになった

2015-07-24 11:25:33 | 日記
昨日、家に帰ったら、「郵便が来ているよ」とそんなことを言ってくれたことのない妻が言う。

見たら、机の上にドイツ語技能検定を行っているドイツ語学文学振興会から二つ大きな封筒が来ている。あわてて一つを開けてみるとドイツ語技能検定試験の3級合格証である。

これはまあ予定したことであるから、特にうれしいこともない。だが、もう一つ同じような封筒があった。これもあけて見るとこちらは2級合格証であった。

3級の合格は確信していたので別にうれしくもなかったが、さすがに2級は期待していなかったのでうれしかった。

もっともさすがに2級は難しかったので、100点満点に換算して78点未満だった。2級の最低点は約58点であった。ちなみに3級の私の成績は96点未満である。完璧に満点という訳には3級でもいかないものだ。

それでおどけて「やい、二休さんになった。二休さんになった」と家で言っている。これは1級(一休)さんをもじった言い方である。

2級は自分の予想よりは成績がよかったが、これは実力というより運が作用している。長文の独文がきちんと読解できたというよりはむしろ推理があたったということであろう。

2級に合格したのでつぎの段階に進むことができる。目標は準1級である。これは難しい。なかなか合格はしないであろう。

1級は私が多分いくら頑張っても合格しないであろう。これに通るということは多分問題を出す試験官くらいの実力を示すのだろうから。

でも世間は広く、この1級に合格する人もいることは世間は広いし、また外国語の能力のある人がいるものだと思わせられる。

(付記)

自分一人で2級合格したような書きぶりだが、もちろんそうではない。いつもドイツ語を母語としている R 氏のご尽力はいうまでもない。それにドイツ語クラスのメンバーにも感謝をささげたい。

それに私が50年以上(?)の長い間の視聴してきた、NHKのテレビやラジオの講座の担当者の先生方のご尽力の賜物である。私がはじめにNHKラジオのドイツ語講座を聞き始めたころの担当者であった藤田五郎先生は三つの「キ」が大切だと常々言われておられた。「暗記、根気、年季」である。

年季だけは積んだが、根気とか暗記はどうもまだまだである。

海賊行為

2015-07-23 13:26:21 | 日記
海賊行為があった。

これは私の著書『四元数の発見』がpdfのドキュメントとして配布されているらしいということで、出版社に連絡を入れておいた。

海賊行為をされるくらい本が評価されているとすれば、出版社も驚きであろうか。多分新しいサイトであり、出版社がそれに対してどういう対策を講じるのかはわからないが、面倒な話である。

放っておいても大した被害もないかもしれないが、やはりこういうことが起こるとは全く予想もしていなかった。これは出版社の同様であろう。

『四元数の発見』の世間の認知度は低く、誰も注目しているとは思えないくらいだのに現実には海賊行為である。

プロバイダーに注文を付けてそのサイトを削除してもらうということなのだろうが、なかなか海賊行為も堂々としている。まいった。まいった。

『数学セミナー』とか『数理科学』とかの一般的な数学関係の雑誌にも『四元数の発見』の書評が出ることもなく、だれも関心をもっていないと思われるのにちゃんと海賊行為だけは行われたということで被害は大したことではないだろうが、その評価をした人の眼力に変な感心をしている。

本当はかんかんになって怒るべきなのだろうが。

南の島に雪が降る

2015-07-22 14:52:32 | 日記
「南の島に雪が降る」は加東大介が原作のドラマである。

昨日に広島公演があったので、妻と出かけた。朝9時のスーパージェット(高速艇)で約1時間の海の旅の日帰り往復であった。

T1 さんがツア―コンダクターを務めてくれたので、楽しい旅行であった。演劇の直前と直後に楽屋を訪ねたりもした。

パプア・ニューギニアで起こった実際に太平洋戦争中にあった話を書いたドラマである。安倍政権が安保法制でどうも戦争しそうな国づくりをしているというので、いま世間の関心を集めたドラマでもある。松山に1週間後に来演するのだが、それの準備ということもあって実行委員会の事務局長である T2 さんと妻が実行委員の一人であるので、その妻に引率されての観劇であった。

夕方広島港を6時30分発のスーパージェットで帰ってきた。家に帰ったら、9時のニュースが始まっていなかったから、なかなかコンパクトな観劇旅行であった。

1月ほど以前に昔つくられた映画を見ていたのだが、演劇ということでちょっと内容や演出は変わっていたが、生の演劇はさすがに迫力があった。

広島市の本通りからアストラムに載って10分くらいでついた白島で駅を降りたら、すぐ下が演劇があった、上野学園のホールであった。広い会場で観客は5~600人だったと思われるが、その人数が少ないように思われる、広い会場であった。


時をかける少女

2015-07-19 09:31:36 | 日記
「時をかける少女」というアニメを途中から見た。主人公の真琴は女子高校生である。日頃恋人とも友人ともつかぬ二人の男子高校生とキャッチボールをして楽しんでいる。

この二人の男子高校生との間に起こる出来事をいつしか自分が操作できるようになったある種のタイムトラベルの能力によっていろいろ回避しようしたりするという物語である。

ところでこの話で話で気がついたところはこういうことである。時間は前後にもどしたりといろいろ操作はできるが、「真琴の記憶はまったく変わらない」ということである。

だから、なにか交通事故でボーイフレンドの男子高校生が自転車に同乗させていた真琴とは別の女子高生とともに死亡するということが起こるというときにはそれを知って時間を巻き戻し、その事故が起こらないようにするとかである。

もっともその時間操作ができる回数も10回とかの回数制限があり、いろいろなことにその時間操作の能力を使っているうちにその回数がきれるとかなんとかいう興味深い話である。

しかし、途中で女主人公の真琴の記憶が変わっていないことに気がついた。タイムトラベルの話は映画のバック・トゥ・ザ・フュチャーを何回も見たことがあるが、記憶が変わらないということでは同じである。

元々この「時をかける少女」は筒井康孝の原作だというから、私は見たことがないが、劇映画としても作成されているはずだと思う。

筒井さんにもし会うことがあったら、この小説の意図はと聞いてみたくなった。









小説は何を意味するか

2015-07-18 21:30:28 | 日記
昨晩(2015.7.17)、NHKのEテレで「文学白熱教室」というKazuo Ishsiguroさんの話があった。

Ishiguroさんは日系のイギリス人の有名な作家である。なんでもイギリスで権威のあるブッカ―賞を受賞された方だという。

Kazuo Ishiguroの名は鶴見さんのエッセイから知っていたとは思うが、どんな人かは知らなかった。

その方が日本に来られての講演である。

Ishiguroさんはいう。小説のテーマは数行の短い文章で要約できるものでなければならない。

それと小説は大きな隠諭でなければならない。Ishiguroさんの主張はこの二つに尽きると言っても過言ではない。

直接的な比喩ではなくもっと大きな意味での隠諭だというのである。そしてそれは事実ではないかもしれないが、真実であるべきだという。

真実と事実とはどう違うのかよくはわからないが、事実をfactと訳するとすれば、真実はtruthであろうか。

なんらかの普遍的な真実をそこに小説は含むべきだという。それは個々の事実とはちがうかもしれないが、やはり世間または社会のなんらかの真実を反映しているはずだし、また反映していなくてはならない。それが小説の意義だという。

時代、国、背景、おかれた状況等はいろいろおれぞれの小説において異なるが、それでもそれらに通底するものがある種の真実を示すという。それでなければ、事実とは異なるフィクションである、小説を書く意味がない。

Kazuo Ishiguroさんの覚悟のほどがここに表れている。彼は現在60歳だというから私よりも15,6歳下の人である。長崎生まれで5歳まで日本にいたが、父親の仕事の関係でイギリスにわたった。父親は5年後には日本に帰国するつもりであったらしいが、結局帰国しないでイギリス滞在を続けたためにイギリス人となったらしい。

その理由ははっきりとは語られなかったが、父親は生物か医学の研究者であったような気がした。

Ishiguroさんは5歳までの日本の記憶を自分の中に留めておきたいという願望から自分の頭に残る日本の小説を2つ書いて成功を収めたが、それはしかし特殊な日本における話としてイギリスやアメリカでは取られた。しかし、自分の小説はそうではないと思うようになり、舞台や時代背景をイギリスに移した英国のある貴族の館に勤務する執事の小説を書いたという。

要するに小説の主題は別におかれた場所が日本である必要はなくヨーロッパでもはたまた中東でもどこにあってもよい。表現形式もSFでもよいし、ラブロマンスでもまたはコメディでもよいという。そういう設定した場所を自由に選べるということに気づいたためにIshiguroさんはどこに場所を置くかとか表現形式はとかの設定を考える自由度ができ過ぎてそれを考えるのに多くの時間を使っている。

ある一人の作家の話ではあるが、こういう打ち明け話は聞いたことがなかったので、とても興味深かった。

ここに書いたことは文章の言葉こそ私が勝手に選んで書いてあるが、内容やその意図または言わんとするところはIshiguroさんの考えの一端を示すものであると思っている。

安倍政権の誤り

2015-07-18 11:11:11 | 日記
安倍政権には4つの大きな誤りがある。

列挙しておこう。

1.安保法案と集団的自衛権の是認
2.巨額の新国立競技場の建設
3.辺野古基地建設
4.原発再稼働

これらはどれも重大なものであるが、どれも政権としては推進していた。ところが安倍首相の一番自分の信念からは遠いところのものが2の巨額の新国立競技場の建設であった。

それであまりにも政権支持率が下がりそうなので、人気回復のために2を白紙撤回するということになった。

しかし、本当はこの4つの項目はどれも重大な影響を持つものであり、どれも日本の将来を誤らせる大きな原因になろう。

ちょっと経済政策がよくても安倍政権はどうも度し難いと思っていはいたが、それでも世間の眼をごまかすことができて、2度目の政権を担った。だが、どうもとんでもないことになった。

安倍政権の比較的良かったところはリフレ派の経済学者たちの進言を取入れた政策を採用したことであるが、それも実は巨額の国家債務という大きな問題を抱えての一時しのぎにしか過ぎない。

もっともそのことを一時しのぎにしかすぎなくてもそうぜざるを得ない状況に日本がおかれていることも実情であろう。さてこれからどうするのか。大きな構想を持った政治ができるのかどうか。

これは少なくとも経済学者の問題であろう。

南部さんの死去

2015-07-18 10:48:10 | 日記
7月5日に物理学者の南部陽一郎さんが亡くなっていたことが昨日報道された。

偉大な物理学者だということは聞き及んでいるが、私にはまだその偉大さはよくはわからない。もっとも南部さんの提唱された「自発的対称性の破れ」については短い論文を友人たちと出版したことがある。それはもっとも本質的な議論ではまったくなかったが。

一年のうち何ヶ月かを大阪大学で研究されていたので、大阪大学で大学の定年後も研究を続けている友人から南部さんのことをちらっと聞いたことがある。

南部さんの頭脳は働きは晩年にも衰えなかったと聞いているが、しかし肉体的には足取りとかが危うそうなことがあったとこの友人は語っていた。これはしかたがあるまい。

友人は私よりの数歳下なので、70歳をちょっと越したぐらいだが、彼でもときどきは急病で入院を余儀なくされたりとかするらしい。年は争えない。

しかし、それほど偉大な物理学者の南部さんではあるが、ノーベル賞の受賞は89歳の時と遅かった。これは彼の研究が深くていつも何十年もしないと一般の物理学者に理解できなかったためとも言われている。

1940年代後半には東大出身の優秀な物理学者が輩出し、それらのその当時の若者は東京大学には職がなかったために大阪大学、大阪市立大学等に勤めるようになった。南部、早川、木庭、山口、西島さんたちである。

その関西の大学への東大からの流出の先頭を切ったのが南部さんだったとか聞く。ご冥福をお祈りする。