物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

素粒子論の発展

2009-03-31 12:47:39 | 物理学

岩波書店から南部陽一郎著「素粒子論の発展」が発行されて、編者のE先生から本を頂いた。もっとも直接にではなく友人のEさんに送ってこられたのをEさんが昨日持って来てくれたのだ。

家に帰って昨夜はこのごろにしては珍しく深夜の2時半くらいまで拾い読みをしてしまった。南部さんの書いたものは気をつけて読むようにしていたつもりだが、読んだことのないものもあった。私は武谷三男のことを調べているので、彼との関連を中心にして読んだ。

かなりページ数の多い本であり、値段もそれ相応に高いのだが、いくつかの英文のエッセイを一々訳されたE先生のはたらきにはいつものことながら頭が下がる。勤勉なことこの上なしである。私もそれほど怠け者ではないつもりだが、E先生の勤勉さにははるかに及ばない。G大学を退職されてから、この数年の間に数冊の本を出版され、外国に講義に行き、論文を書かれ、はたまた今度の南部さんの本の編者になられているのだから。

南部さんの本はブルーバックスの「クォ―ク」と「素粒子の宴」を除いて日本語の本はなかったと思うので、一般の人に南部さんの業績が紹介されるのはとてもいいことだと思うが、H大学出身の私としては南部さんの目には私の先生たちの一連の研究はほとんど目には入っていないのだと残念に思ったことである。


本をなぜもつか

2009-03-30 14:28:07 | 本と雑誌

「なぜ本をもつか」というと私の場合には自分の頭があまりよくないからだと答える。

というのは例えば、いまある定積分公式を証明したいのだが、それを証明する方法をなかなか思いつかないからだ。それで何かヒントになる文献はないかと探したが、なかなか見つからなかった。

昨夜、それでも応用数学の演習書を探して見たら、その中にヒントとなる演習問題があり、ようやくこの定積分公式が証明できそうになってきた。

だから私の考えでは、なんでも自分で計算ができてしまう人には文献としての本などは不要だろう。残念ながら私の頭はそう鋭くはない。それでヒントとか証明そのものが載っている可能性の多い本をもつことが必要なのだ。

数学計算のテクニカルのところですぐにつっかえてしまう私のような者はなんでも修得することが難しい。それでも数学や物理で比較的簡単なことはいくらかは修得しているが、いつでも計算につまってしまう。

それで経路積分の本の中に出てきた有用な定積分公式のいくつかを証明しておこうとして、まだ全部は証明ができていないが、証明したい式もだんだん少なくなってきたという経過をたどっている。

いろいろな大学の理工系学科で演習書が必要なのはそういう分野ですぐに計算にすぐに手が動くようになるようにするためということであろう。しかし、現実はなかなか厳しいものである。

アメリカの大学教育では演習書としてSchaum's Outline Seriesというのがあり、いつだったかアメリカで大学院教育を受けた同僚の先生からこのシリーズのベクトル解析の演習書を借りて、テンソル解析の箇所をコピーさせてもらったことがある。そういう演習教育が日本では十分ではないが、アメリカではされているということを感じた次第であった。


シクラメン

2009-03-27 12:40:20 | 日記・エッセイ・コラム

65年以上昔になるが、釜山(プーサン)からバスで数時間のところにある鎮海(Tin-hage?, チネ)という小さな町に住んでいた。その当時はまだ幼稚園にも通うようにもなっていない、本当に幼児の頃である。少し字が読めるようになって見た童話が何かの本の中に知ったのがシクラメンという花であった。

とはいっても当時シクラメンという語を知っただけで、実際にシクラメンを見て知っていたわけではない。その後、私は花とか植物とか昆虫とかにはほとんど無関心だったので、シクラメンを知らないで何十年か過ごした。

結婚して子どもをもつようになって何年か経って、はじめて実際にシクラメンを見た。そういういきさつで言葉を覚えることが先行して実物はその何十年後に見るという経過を辿った。

数年前に定年退職してから、年に一度か二度か友人を呼んでパーティをするようになった。そのときに友人の奥様がシクラメンの鉢植えをお土産をもってきてくれた。鉢植えはもちろんきれいなシクラメンが咲いていたのだが、暖かくなると葉も枯れてしまった。後には大きな球根が残った。

それでもうどうしようもないかと思ったが、それでも毎日その鉢植えに水をやっていたら、冬に近くなって葉が出てきた。別に花が咲くことなど期待しないで、続けて水をやっていたら、つぼみが出てきて花が咲きそうになった。

それでも寒いときには花は咲かずもう駄目かと思っていたら、ごく最近にきれいな花が咲いた。ピンクのもの、真紅のシクラメン、真紅とピンクの混ざったもの等の4鉢が仕事場のバルコニーに咲いている。いずれも小さな鉢だが、それでもけなげに咲いている。


Feynman & Hibbsの積分公式

2009-03-26 13:58:01 | 物理学

「Feynman & Hibbsの積分公式」とはFeynman & Hibbsが著した本「経路積分と量子力学」(みすず書房)の最後にある定積分公式の意味である。

この定積分公式を全部を導出していないとこのFeynman & Hibbsの本を読むことができないということはないのだろうが、やはり読んでいる途中で数学的計算でつっかえるのは好きでないので、これらの公式を証明しておきたい。

ということで、公式のいくつかはSchulmanの本を参照して証明をしたのだが、まだ5つだけその導出法がわからないのが、残っていた。

その内の一つをこの数日計算していたのだが、どうも計算が合わないので簡単な微分積分の計算が間違ったと思って数日心が暗かった。

そのうちにどうも原著の方にミスプリがあるのではないかと思って岩波「数学公式集I」を調べたら、やはり私の計算は間違っていなくて原書がミスプリらしいことがわかった。

それで公式の一つは導出がわかったのだが、後まだ導出法のわからないのが、4つも残っている。そのうちのまず2つが何とか導出できないか考えて見よう。

同じような有用な定積分公式というのがRyderのQunatum Field Theoryにあるが、これは証明つきであってその証明は昨夜確かめることができた。


対数のシェーマ

2009-03-25 11:30:36 | 数学

昨日は何をしていたのかブログの更新を忘れていた。私にもこういうところがあるのです。

さて、対数のシェーマだが、無限に続くらせん階段のようなものを考えてそのそれぞれの位置に対数を指標部と仮数部をあわせたものを対応させることにする。そしてそのらせんをらせんの進む方向に垂直な平面で切ってその平面にらせんを射影すれば円となるが、その円に仮数部の値が対応している。指数部はらせんの進む方向、すなわち、平面に垂直な方向に目盛る。円のある一点を始点としてそこに接した接線上に指標が目盛られるという具合である。

円の部分に仮数を対応させるという考えは森毅さんのアイディアである。上に述べたような対数のシェーマは言葉で書くと分かり難いが、図にでも描くとそれほど難しいことはない。

数ヶ月前にそういうイメージをやっと思いついたのだが、どこにも書いていなかったので忘れそうになるのでここに書いておく。


平方根の求め方

2009-03-23 11:37:01 | 数学

昨日は日曜日で午前中は妻に付き合って外出したが、午後はこたつで本読みと昼寝をした。何を読んだかというと遠山啓の「関数を考える」、その中に平方根の求め方が出ていた。これはいわゆる普通の求め方であるが、その中の説明が途中から分からなくなった。

どうも一般論として書いていることと計算している数値が一致しないような気がしたのだ。それで昼寝の後でもう一度考えたら、結局は一箇所p.117の数値の2.7が1.7のミスプリであるとわかった。これは多分ミスプリではなく、遠山さんの勘違いなのだろうと思う。それはともかく、この平方根の求め方の説明は新機軸を出していると思う。

この本は30年以上昔に出た「岩波科学の本」というシリーズの第1巻である。いい本だが、きちんと読んだ人がどれくらいいるのだろうか。中学校の数学の先生が読んでも面白いと思うので、誰かすでにミスを指摘しているだろうか。


言葉・ナショナリズム

2009-03-21 13:34:23 | 本と雑誌

「言葉・ナショナリズム」は加藤周一の「私にとっての20世紀」の第4章の標題である。この章の始めのほうは読むと眠たくなるので読むのを止めようかと思ったほどだったが、読み進むうちに興味深いところが出てきた。

彼の著作である「日本文学史序説」を書いた動機も書かれているので私はこの本を読んで見たくなった。しかし、ここで触れたいことはそれではない。

「文学の仕事」という節に書かれたことである。

孔子は重い荷物に苦しんでいる1頭の牛を見て、かわいそうに思って助けようと言った。すると弟子は中国にはたくさんの牛がいるのだから、一頭だけ助けたってしょうがないのではないかと言った。孔子は、しかし、この牛は私の前を通っているのから哀れに思って助けるのだと答える。それは第一歩です。

と書いている。続いて他の例でこういう孔子のような考えの大切なことを述べている。それで前から私の思っていることを述べてみよう。

インドは興味深い国だという。一度インドの魅力にとりつかれるとまたもう一度行きたくなるという。

私の聞いた話では例えば空港について降りてくると物乞いの少年や少女がやってくる。もしある少年または少女にいくらかの施しをすれば、他の多くの少年少女の物乞いが金を恵んでくれて手を出してくるという。

その話を聞いて私はインドへは行けないと感じるようになった。誰か一人二人は助けることができるかも知れにないが、その他大勢の人をすべて助けることはできないから。

まず眼前の一人を助けられないならば、他の多数を助けられないというのは加藤周一が言うように真理なのであろうが、すぐに他の人は助けられないという現実に突き当たる。そういう事態を避けたいと思うとやはりインドには行くことはできない。これが私の結論である。

こういう思考をする私のような輩は、加藤周一の主張では「けしからんやつ」ということなのだろうか。どうも難問がここにあるように思われるのだが、このブログの読者は、読者がいるとして、どうお考えでしょうか。


もくれん

2009-03-20 11:27:29 | 日記・エッセイ・コラム

今日は本当は別に書きたいことがあるのだが、もくれんのことを書こう。車で仕事場への途中いくつかのところで白いもくれんが咲いているのを見た。昨日と今日と暖かいので寒いのが苦手な私にとっては大いに助かる。暖かさにつられて数日前からもくれんが咲き出した。

H市での10年にわたる大学と大学院の生活を終えてK市に出向いたのはいまから数えてちょうど41年前のことである。K大学の研究所に一年の予定でいることになったのだが、その4月の研究所の3階の一室がKさんと私の研究室であった。Kさんは在日の物性の研究者であったが、それほどは研究所に出てこなかったので、部屋には私一人のことも多かった。その研究室の窓の外に白いもくれんが咲いていた。4月はじめだと思うが、雨が降ってきてその雨に打たれてもくれんのはなびらが一枚一枚と散っていった。

私は研究としてもあまり人からは認められないようなことに関心をもっていたが、その続きをやった。しかし、その成果は結局出なかった。いくつかのレポートを「素粒子論研究」に日本語で発表しただけであった。その当時核力研究のサマリーのある章を書いていたO教授がそのいくつかのレポートについても彼のレビューに取り上げてはくれたが。

その後、私は6月半ばに結局定年退職まで勤めることになったE大学に就職が決まった。一応9月までこの研究所に居ていいということになり、その代わりにE大学で7月に集中講義をした。これが私のはじめての講義であった。

その頃の私の講義を聞いた学生がすでに大分以前にやはりE大学で教授になっている人もいる。それから約37年を経て定年退職して、いまは自分の好みの仕事をしている。趣味といえば趣味だし、仕事といえば、仕事だが狭い意味の学術的な仕事ではない。

昨日、その仕事のために描画の支援マクロemathをインストールしたが、そのときにFtextというフリーの数学の教科書を見つけた。大学入試にも役立つようなというフレコミのテクストである。私たちはe-Learningのコンテンツを目指しているが、これはいわゆる大学入試などをクリアーすることを目指してはいない。そこがちょっと違うところである。もっとも大学入試というのは学生が勉強する動機付けの一番初めに来るものかもしれないが。


新学期の授業プリント

2009-03-19 12:41:02 | 受験・学校

M大学の新学期の授業のプリントをやっと教務課にもって行くことができた。例年講義のノートと称するプリントとその中の演習問題の解答とその他の副教材である。

これは物理のe-Learningの資料ともしているが、そちらの方はどうなったか分からない。W先生に講義のノートを渡してあるのだが、入力をしてくれたかどうか。

M大学への非常勤講師も今年で4年目だろうか。はじめの年はある有名な方の本を教科書としたが、これは難しすぎた。それで反省して自分で講義ノートを作ってそれを使うことにした。


emath

2009-03-18 11:41:43 | 数学

初等数学のtexマクロ集emathを昨日インストールした。本当に使えるようになっているのかどうかはわからない。数学エッセイを書くときにもちろんlatexを使っているのだが、説明の図を入れたいことが多い。

ところが適当なソフトを見つけられなかったが、今度はいいソフトらしい。

いままでGRAPESというソフトを一時的に使ってきた。グラフを描くにはこのソフトは悪くないが、自作の図形とグラフを組合そうとするとあまりうまくいかない。それで悩んできたところだ。

それともう一つlatexとの相性がよくない。一応私のlatexで取り込みができるので使ってきたが、これからはemathの出番となろう。

でもどのソフトにもなじむのに時間がかかる。

(2023.4.27付記)結局、emathには全くなじまなかった。いまではlatexでのTikzを使って図は入力している。emathの開発者様には申し訳ないことをお断りしておく。Tikzを使う前はpicture環境を使っていたが、これはすべて現在ではTikzにしている。

遠山啓と唯物弁証法

2009-03-17 12:40:54 | 数学

定期購読している「数学教室」(国土社)の4月号で小林道正(数教協委員長)さんが標題のようなエッセイを書いている。遠山のもっていた哲学はやはり唯物弁証法だったのではないかとの推測を述べたものである。

あまりあからさまに書いてあるのでやはり大学の先生という気がした。いや別にあからさまに言って何も悪いことはないのだが、そういうことを気にせずに臆せずいうところが大学の先生らしい。小学校や中学校の先生だと周りを見渡して恐る恐る言うのではないか。

唯物弁証法が遠山の哲学だったかどうかは定かではないが、彼の「数学の学び方」とかなんかの本を読んでいると確かに数学といえども「もの」が一番底にはあるという語り口である。

もう半世紀前にもなったが、私が大学に入った頃に数学の先生からHilbertの公理主義というのを教わった。そしてこのような公理主義とは違った考えとして特にその頃のソ連の数学者は事物を根本に置いた考え方をすると聞いた。そのときにはHilbertの公理主義が目新しくて事物を根底に置く数学は泥臭く思えた。

しかし、その後50年を経て今考えてみると、実在と呼ばれる事物とか自然に根底をおいた数学がやはり本当だという気がしている。

ただ、数学を含めた科学はやはり人がするものという感じも一方では強く、物理の受験参考書に出ていたアインシュタインの言葉である、「科学は人間の創造したものである」との見方も一方ではもつ。

だから、ヨーロッパの科学者がもっているといわれる、神様のつくり給うた自然のメカニズムの一部を自分の研究によって解き明かすという感覚を私はあまりもっていない。数学とか科学の見方も私自身にとってもなかなかやはり一筋縄ではいかない。


社会主義 冷戦のかなたへ

2009-03-16 13:21:40 | 本と雑誌

「社会主義 冷戦のかなたへ」は昨日書いた加藤周一氏の「私にとっての20世紀」の第3章のタイトルである。この章を全部読み終わってはいないが、いろいろな国の成長の評価を含むこの章はなかなか興味津々である。

社会主義の功罪の評価を含んでおり、また資本主義の国々の評価も含んでいる。ソ連の崩壊によって社会主義は滅んだといわれるが、それはソ連型社会主義の崩壊を示すだけで他の形の社会主義がありえないわけではないと感じがする。社会主義がどうしても業績が上がらないというのは本当のことでそこをどうするのか。しかし、あるところまでは業績が上がったというのもまた動かせない事実だという。

だから、社会主義の全体の評価としてはかなり難しくなる。全く間違っていたというのははばかられるし、また、よかったと全面肯定はもちろんできない。ただ、このような論を始めて知ったことはよかった。まだ読まれてない人には強く読むことを勧める。


私にとっての20世紀

2009-03-14 12:42:20 | 本と雑誌

加藤周一の「私にとっての20世紀」を昨日から読み出した。まだ第1章と最後のメッセージという第6章だかを読んだに過ぎないのだが、それでも透徹したものの見方に強い印象を受ける。

なぜ、「戦争に反対するか」を明確に語っている。それは戦争は人間を非条理に押しやるからということであろうか。一人ひとりの人間の性格は善とも悪ともなる。それは状況次第だという。

加藤周一は昨年の12月5日に亡くなった。「九条をまもる会」の発起人の一人である。彼はなぜ若者が選挙で投票に行って戦争に反対する候補者に投票しないのかという。まさにその通りである。現在の状況において沈黙は現状維持の意思表示だという。そして現状は放っておいていい状況ではないとも。

一つひとつの現象なり、法案なりはそれほど怖くはないようにみえるが、それが一挙に危険なものに転化する。それが戦前の日本だったという。彼は1936年の2.26事件がその分岐点になっているという。その後軍部の統制派は内閣に陸軍大臣を入れるという法律を通してそれから軍部の政府支配が始まったという。歴史的には全くその通りなのであろう。

第1章ではユーゴのことが書いてあってEUのNATO軍によるコソボの空爆の是非について解説している。この是非はヨーロッパでも大きな議論を引き起こしたという。このことはドイツ語のクラスで以前R氏から聞いたことがあったが、それを再度確認したことになった。


雨に詩を感じるか

2009-03-13 12:40:00 | 日記・エッセイ・コラム

「雨に詩を感じることができるか」。これは詩人でもない身にはなかなか難しい問いである。小学生の頃に父が失職して、貧乏のどん底だったことがある。母がよく私たちの学校にもっていく費用がなかなか出せなくなって、妹の貯金箱の中までさらって、お金をなんとかしたことがあり、いつもよくあの頃の苦しかったときを回顧していた。

その頃に兄が新聞の朝刊を配るアルバイトを始めた。まだ中学生の頃であった。そのためもあって私もその新聞の夕刊を26部だったか配達するということをした。少しでも家計の足しにしたいとの考えからであった。部数は少ないが、遠く離れた家があって、2時間ぐらいはかかったと思う。

そういうときに小学生の小さい身には雨はつらかった。特に冬の時雨は手がかじかんできかなくなる。そういう体験をした身にはとても雨に詩を感じる余裕などはなかった。

中学生になって、国語の教科書に仏文学者の辰野隆さんが雨が好きだというエッセイを書いていて、「自分の前世は田んぼのタニシかなんかだったにちがいない」とあって「ほうっ」と内心思ったものだった。そういうことは家族にも友達にも言ったことはないが、それが実感だった。

その後、雨についてはそれほど悪い印象をもったことはないが、それでも好感をもったとまではいえない。多分、中性的な感じでもあろう。これは室内にいて、屋外にひどく雨が降っているとき夏ならやっと暑さが少ししのげるかという期待感もあるだろうし、冬ならそしてその雨を重ねながら春を待つという期待感があるからでもあろう。

wet to the skinという英語の表現は日本語のびしょぬれという感じで小さいときの経験にぴったりだし、またOn  va  sous  la pluis. というフランス語の表現は日本語なら雨の中を歩くとなろうか。フランス語では雨の「中」ではなく雨の「下」を歩くとなる。その発想が微妙に違っているのがおもしろい。

しかし、いずれにしてもなかなか「雨に詩を感じることができない」のはもって生まれて詩心がないせいであろう。


ブログと「おれおれ詐欺」

2009-03-12 11:33:03 | 日記・エッセイ・コラム

ブログのタネについては以前にも書いたが、やはり書くタネがなくなることもある。ではタネがなくなったとき何もしていないかというとやはり何かはしているのである。

でもやはり当然のことだが関心事をすべてを書けるわけではない。個人的な家族の事情等は最小限にしか書かないつもりだし、また数学エッセイ的なことでも差しさわりがある場合もある。私の考えとかなんとかの一部はブログに書けるが、それだけが一人の人の人間生活のすべてではないということである。

やはり人間にはいろいろの側面がある。特に家族の事情等はあまり書かないといいと思うのは最近「おれおれ詐欺」とかいろいろあるからである。詐欺が行われる前には前もってその家庭の事情や様子を探るということもされているらしいと聞いては用心に越したことはなかろうと思う。

それでもブログを書くというのも人間のすることであるから、少しは家族状況がもれ出ることはあるだろう。でもそれは最小限にしておきたい。

しかし、これはたかがブログであるからどうってことはないが、作家の心はその創作によって一部を外に出すということなのでフィクションという形をとるとしてもやはり重いものがあるだろう。