DJという職業がある。
この職業に就く人はどういう経歴の人なのだろうか。ということが少し前から私の関心の一つである。
もっともDJになった人の書いたエッセイとかを調べたりしたことがあるわけではない。DJであるから、音楽の好きな人であることはまちがいがないだろうが、音楽家になろうとした人が音楽家にはならないで、DJになっているのだろうか。
車に乗って自分で運転をしながら、FMのラジオを聞くことがある。その音楽番組では大抵音楽を紹介する人がいて番組が進んでいく。
あまり飛行機には乗らないが、それでも1年に1回か2回乗ることがある。そのときの飛行時間の1時間と少々の時間をクラシックの音楽の放送を聞いて過ごすことが習慣になった。
そういう経験から、DJをしている人は音楽にもちろん詳しい人だと思うが、どういう教育を受けた人なのかに関心が生じたというわけである。
なんでも一つの職業を深く極めようと思うと自分に不得意なことでも学ぶ必要があろう。
これはE大学に勤めて間がないころであったが、大学の付属図書館の司書の人から電話をもらったことがある。
どういうことだったか忘れたが、たぶん購入したドイツ語の書籍の分類だったか、それとも書名の意味だったかそういう種類のことだったような気がする。
大学の図書館だから、もちろん日本語の書籍はあるが、それだけではなく外国語の書籍も購入することがあるだろう。だから、司書の人がたとえドイツ語やフランス語に弱くても何とか分類して図書目録をつくり、しかるべき箇所に配置しなくてはならない。
そのための仕事は最小限しなくてはならないだろう。もちろん、大学でちゃんとした司書になる教育を受けた人もあるだろうが、それだけではなく単に一つの職として配置された方もいるかもしれない。
そういう方でも仕事となれば、自分に不得意なことでもしなくてはならない。そしてそれなりに努力をしていることが窺われて専門家ともなれば、さすがだと思った。
DJの話と離れてしまったが、DJとはどういう教育を受けた人なのだろうか。
昨日の朝日新聞の書評で「デレク・ベイリー」(工作舎)という音楽家の伝記の書評があった。
私は音楽に暗いし、ましてやデレク・ベイリーという音楽家を知らない。この書評で関心をもったことはインプロヴィゼション(即興)ということに関してである。
ベイリーはイギリス生まれのギタリスト(1930-2005)である。フリー・インプロヴィゼションと呼ばれる特異な音楽の創始者の一人である。
ジャズのアドリブとは全く異なる「即興演奏」の可能性を発見し、追究し始める。それは過去には存在していなかった決定的に新しい音楽だったという。
ベイリーいわく。『インプロヴィゼションであるからといって、それは出鱈目とは全く違う。ギターであれ何であれ、その楽器に徹底的に習熟した上でそれを乗り越えるようにして、あるとあらゆる「音楽」の起源に潜在する一度切りの「自由=フリー」に賭けること。「フリー・インプロヴィゼション」とは「世界」に向き合う「自由」のレッスンでもあるのだ。』
私の関心があるのはジャズの即興とどう違うのかとかいうことである。ここではジャズの場合にはアドリブと表現されているがどう違うのか。そういうことである。これはここで、読んだ範囲ではわからない。
ベイリーが出鱈目とは違うとはいうが、擬似乱数をつくることを考えるときにこの出鱈目とは何かがよく考えるとわからないというか、なかなかランダムであることが難しいことを擬似乱数をつくることを考えた人はよく知っている。
昨夜、松山コミュニティセンター(コミセン)で成田達輝さんのバイオリンのコンサートを聴いた。
なかなか繊細な音を演奏されていた。パリ在住の演奏家である。まさにTres bienだと感じた。あまり音楽のことに感心しない妻もしきりに関心をしていた。特に最後のリヒャルト・シュトラウスの曲がよかったと思う。
ピアノ伴奏はフランス人の若い人であり、私などあまりピアノの音が好きでないのであるが、やはり音の重厚さを与えているのだろうと感じている。
簡単なフランス語でアンケートにちょっと書いておいたが、フランス語というほどのものでもない。
現代時評かなにかで高橋さんが今朝の朝日新聞で書いていたことの中に表題の音楽に関係すると思われる、話が出ていた。
ピアニストの森下唯さんのブログ(http://www.morishitayui.jp/samuragochi-niigaki/)に「より正しい物語を得た音楽はより幸せである」というタイトルらしいが、つぎのように書いてあるとのことである。
(引用はじめ)私は、純粋に(どんな付帯事項もなく)音楽を聴くことは不可能だし、そんなことを目指す必要もないと考えている。「彼」の「作品」は薄ら寒い「物語」を背負っているにもかかわらず、丹精込めた「工芸品」のように聴こえ、初めは違和感を感じていた。事実が明らかになった後、感じたのは、ふだん報われることのない現代音楽作曲家がある拘束の中で、想像力を解き放ったという「より正しい物語」の中でこそ、よりよくその曲を理解できるということだった・・・。(引用終わり)
この意味するところがわからなかったので、妻に読んで聞かせたが、妻は真実がわかって曲がすなおに聴くことができ、評価できたという風にとっていた。
私にはこの文章の意味を正確に理解できていない。妻はすぐにスマホで検索して交響曲Hiroshimaの一部を聞かせてくれた。私にはその曲が悪いとは思わなかったが、妻は少し古くさいようだと言っていた。
最近STAP細胞の報道で驚かされたが、それを批判する報道も出て来ており、そういうインターネットのサイトもあるらしい。こういうことは素人には判断がつかないことなので、コメントはさけるが、他の実験者の追試がもうされていたのだと思っていた。
ところがそこら辺がまだはっきりしない。特に難しい実験かどうかは知らないが、短時間で成否が決まるはずなので、いずれ結果の成否はわかるであろう。
私はSTAP細胞が疑惑とかとは無縁な確かな成果であったとしても、それの目鼻がつくのは10年とか早くても5年くらいはかかるだろうと述べた。そういうものであろう。
私たちはマスコミとは違うので、別に熱くなることはない。冷静であることが必要である。
今日の朝日新聞に「佐村河内氏問題への自戒」という氏に取材して記事を書いたことのある、Y記者の記事が載った。
それによると交響曲「Hirosima」の専門家の評価は必ずしも高くなかったらしい。ということは専門家はある程度きちんと曲のレベルを分かっていたのかもしれない。専門家の評価のことは分かった。
問題はその評価を知りながら、あるストーリを記事にしたり、放送番組にした担当者の識見が問われる。
なんでもあるストーリの記事をつくったり、番組を編成するにはそれは曲を鑑定をした専門家の仕事ではない。担当の記者の役割であったり、ディレクターの役割であろう。ある重要な役割をその担当をした人は担っている。
朝日新聞のそういうコラムの担当者ともなれば、私のような音楽の素人であるとは考えられない。NHKの番組のディレクターもそうであろう。そのときに自分の構想とは違った意見も聞いたのであろうが、自分の記事や番組のためにはそれらを切り捨てないことには記事や番組ができない。
そういうことがあるのである程度はしかたがないが、それでも常に報道に携わる者としてはいつでもそのストーリから外れた意見や考えにも注意しておかなくてはならない。
Y記者は書く。「しかし、音楽を聴くことは、そうした評価を越える、極めて個人的な体験である。」と。そのときにご自身の個人的な体験まで含めておられるのであろうか。そこら辺が知りたい。
一般にいろいろなストーリに私たちは惑わされやすい。それでできるだけそういうストーリを知らない方に音楽を聴いてもらい、その方々の意見を参考にする方法でしか惑わされた自分を正す方法がない。
朝日新聞の記事を書いたY記者やNHKの担当だったディレクターを糾弾するというそういう意図を私はもっていない。
いつでも私たちはそういう間違いをする可能性をもっているのだから、いかにそれから逃れる術を身につけたらよいかということについての一提言にしかすぎない。
昨日の朝日新聞に桜井進さんが音楽の音階のことを説明されたコラムを書いていた。
以前から音階と数学との関係についてきちんと知りたい思っていたので、そこを読んだのだが、まずピタゴラスの音律のつくり方がわからない。
ド、ソからレをつくり、それからラをつくるとあるのだが、その原理がはっきりしない。妻がこたつにそばに一緒に入ってテレビを見ていたのだが、冬季オリンピックを見たくない私はこのコラム記事を妻に読んでもらった。
だが、その原理はわからなかった。つぎに12平均率の方へ行ったが、これはなんとかわかったつもりであるが、本当にわかったか疑わしい。
そうこうしているうちに妻がスマホでgoogle検索してくれたが、なにせ画面が小さいのでうまく読めないし、画面では読みにくいので明日(それは今日のことだが)もう一度パソコンで検索をしてそれをプリントして読むことにした。
前から、一度そういうことを音階と数学との関係を調べてみたいと思いながら、今まで一度もしたことがなかった。今回もそれができたわけではないが、そういう関心を私がもっているということを妻も知ってくれた。
佐村河内さんは全聾の作曲家で現代のベートベンとまで言われていたが、彼は曲を18年前から他人に頼んでつくってもらっていたと本人と代わりに作曲をしていた当人の新垣さんが発表して問題となった。
これらの方々のした行為は簡単には許されるようなものではなかろう。コマーシャリズムに走ったことはあまりほめられたことではない。だが、ここでは彼らのしたことを断罪することが目的ではない。
一つの考え方として言いたいのだが、佐村河内さんの作曲と称する交響曲「Hiroshima」が賞賛されたのにはマスコミでほめられたということも少なからずある。
ストーリ性もあり、話題になるということもあったろうが、NHKにしても他のマスコミにしても音楽がわからない人たちばかりであるということはなかろう。そうだとすれば、やはりいくばくかのよさをこの交響曲がもっていたはずである。
もしそうだとすれば、当面この曲を演奏することは交響楽団も自粛すべきではあろうが、何年かの停止期間の後にストーリ性とかとは別に再度演奏するときがきてもいいのではなかろうか。
その演奏停止の期間が10年なのか、20年なのか、30年なのか私には判断がつかないが、いつか曲を曲として純粋にストリー性とは別にして鑑賞できるときが来ることを願っている。
このことがまず第1点である。第2点はストーリ性とから離れて”交響曲「Hiroshima」”を本当のところはどう評価していたのだろうかということである。これは私のような素人の出番ではないが、音楽の玄人である、専門家はいるはずである。それらの方々の判断はどうだったのであろうか。
クラシックとしてはCDが18万枚も破格に売れたということである。NHKの放送を見た後で私もCDを購入して聞こうかと心が動いたが、私自身は音楽に暗いのとあまりCD店に行くこともないので、そのうちに忘れてしまっていた。
これはCDを買って聞いた人がどう思ったのか。率直にどう思ったのか知りたいところである。私自身の判断ではNHKの放送で部分的に聞いた限りではそう悪くはなかったと思う。
言いたいのはウソをつくのは悪いが、曲そのものがいいなら、ある期間をおいた後に復権の機会が与えられてしかるべきだということである。
(注) 音楽業界に詳しくないので、著作権とか何かの問題とか要するに経済的な収益の問題があるのかもしれない。
こういう場合に著作権等がどうなるのか知らないので、何とも言えないが、著作権とかのすべての権利をCD製作会社とか作曲者が放棄するとかいう処理のしかたもあるのかもしれない。
だが、この点については全く疎いので、もしかしたらとても大きな問題があるのかもしれない。その場合には私のようなあまちょろい意見は通らないことはいうまでもない。
2010年に「松前第九を聴く」を書いてから、3年ぶりに第九を聴きに行くことができた。
今回は13時過ぎに家を出て、知人を誘い、13時45分くらいについた。先回よりも少し時間の余裕があったが、すでに前の方を除いて席はほとんど埋まっていた。しかし、3列目に座ることができた。
伊予高校の吹奏楽部の演奏も以前よりは洗練されたものになっているように感じた。また、松山市内から伊予高校の長谷川先生を慕って、伊予高校へ進学した生徒もいるとの話を後で聞いた。
松前町長のご挨拶がはじめにあったが、今年は5回目だということとつぎは10回目を目指したいという意思表示があった。こういう文化的な行事がいいと思っている町民は市長を次回の選挙でも支持するであろうから、いい選挙活動でもあろう。
それにやはり町長自身がこのイベントを誇りにしていると感じられた。松山という大きな町が隣にあるのに、そこでは第九の演奏会は行えていない。それよりも小さな町である、松前町が第九の演奏会を5年も続けているということに。
それは隣の市にある伊予高校とその音楽の指導者、長谷川先生の熱意が実ったものであろう。
第2部が第九の第4楽章であり、すぐに合唱を聴くことができた。合唱の参加者数も今年は208人だというから、舞台がもう狭いという感じだった。ソロの大森いちえいさんの歌声もすばらしかった。
もっとも合唱の人数が多くて、大森さんが舞台の全面から落っこちるのではないかとちょっと心配までしたが、そういうハップニングは幸いなことに起こらなかった。
合唱の迫力が3年前に比べて格段に大きくなっていて、合唱に参加している人たちものびのびと歌っていると感じた。
それにプログラムの裏表紙に第九の歌詞がドイツ語で出ており、第1節だけカタカナで読みがついていた。コンサートの最後にその意味がわかった。これは場内の観客にこの第1節を一緒に歌って貰うという趣向であった。
そして、そのこころは会場の観客の一部が合唱に来年以降参加してほしいということにあった。
多分この試みは成功であり、来年以降も合唱に参加したいという人は増加するであろう。曲の合間の指揮者の長谷川さんの解説も適切なものであった。
ひとつだけ驚いたのは吹奏楽の始めの曲目が変更になった理由を先生が楽譜が日本になく海外に注文したが、間に合わなかったという理由を述べられていた。
日本はなんでもある文化的な国であると思っていたが、曲によっては楽譜が日本にないこともあるのだと知った。長谷川さんは楽譜とはいわず、スコアが国内になかったという風に言われたと思う。
昨夜のNHKの教育テレビのTEDのテーマが表題であった。ボストンフィルハモニーの指揮者Zarpan(?)さんの講演である。
指揮者は自分でわずかの音も出すわけではないが、演奏者の可能性を信じてその眼の輝きをさせるような指揮をすることがその役目だという。
ショパンの前奏曲preludeを例に自分でピアノでその曲を弾いて、この曲がどのようにできているかを彼は説明した。クラシック音楽は全人口の3%くらいの方々の熱心な支持を得ている。それを4%にすれば大成功ととらえる音楽家が多いが、そうではなくてすべての人々に理解をしてもらえ、かつ喝采を受けることが可能だとZarpanはいう。
表題のTransformative power of classical musicは、クラシック音楽がすべての人々に訴え、受け入られる力を基本的にはもっているという論にウソはないだろうが、それに加えてこのZarpanさんの情熱が人々に伝わらないはずがない、と感じた次第であった。
伊藤穣一さんのまとめ「情報の伝達も大切だが、情熱の伝達の方がより大切なのではないか」という所見は本当にそうだと思わされた。
jam sessionもimprovisationもジャズに関係した言葉なのかもしれない。
というのは私はもともと音楽に暗いからである。jam sessionとはひょんなことから知った言葉であるが、いま辞書を引いてみるとジャズの即興演奏とかその演奏会の意味だそうである。
このjam sessionより前にジャズは基本的には即興演奏なのだと誰かから聞いた覚えがある。もとっとも完全に即興ばかりではなく、決まりきった部分もあるらしいのだが、そのことについてはよく知っていない。
即興という意味のimprovisationという語を知ったのはjam sessionよりは前だが、それほど前ではないように思う。第一、音楽でジャズは即興で演奏するのが普通だとはまったく知らなかった。
この語は間違ってimprovisionと覚えていたので、今日辞書を引いてみるとimprovisonという語はなくて、improvisationというのだとはじめて知った。
こういうことで人間の記憶などというものはあてにならない。
昨晩、市民コンサートでコントラバスの四重奏(Beato Bass Quartet)を聞いた。
もちろん、その中ではソロもあり、デュオもあり、かつまたトリオ演奏まであった。コントラバスは大きな楽器であり、大の大人がよいしょと持ち上げて運ぶ必要がある。
コンサートの中でも演奏者から説明があったが、普通のオーケストラ等のコンサートでは控え目に低音で演奏するパートを引き受けている。そして、今回のようなコントラバスだけのカルテット演奏はとても珍しいのだという話である。
そういうコンサートの構成の提案をどなたがされたのかはわからないが、なかなかのアイディアであった。カルテットでの演奏ということになると4人のうちの1人または2人がメロディを演奏して、他の人がベース部分の低音部を演奏するということに基本的にはなるのであろう。
だが、面白い試みで楽しんだ。前半部は普通の音楽であったが、後半部は少し普通の音楽というよりは実験的な試みが行われた演奏だった。
だが、コントラバスの好きだった作曲家のコントラバスのための曲の演奏もあり、結構楽しめるものであった。
もっとも私のように音楽を解しないものが何を言っても専門家とかペダンティストから見れば、的外れもいいところであろう。
市駅前の近くのビルの地下室にあるカフェsing outで阿部一成さんとそのお弟子さんたちの篠笛コンサートとゲストの田付里英先生のコンサートを昨日聞いた。
阿部さんのお弟子さんたちは結構たくさんいて、多くの曲を聞いた。習い始めの人とか結構長くやっている人とかいろいろであったが、それでも狭い会場は満席であり、たぶん聴衆は100人を越えたのではないだろうか。
阿部一成さんはヨーロッパで10年ほど活躍していたそうだが、現在では新居浜在住の由である。
「月の粉」という篠笛とギターの合奏がよかったと思う。さすがにヨーロッパで活躍されるだけのことはあると思われた。最後は「永遠」という題の曲だったが、これをそれぞれ英語やドイツ語やフランスではどういうだろうかと思った。英語ならeternityかなと思ったが、foreverだろうか。
foreverは辞書によると副詞であるので、題としてはふてきとうだろうか。フランス語ではeternelがあるが、果たして適当だろうか。
第2部はゲストの田付先生のシャンソンである。再会(原題:私は決して忘れない je n'oublie jamais (?))などは昔恋人だった男性と年を経て、出会ったという内容の歌らしいが、田付先生が歌うと本当にそういう実体験をしたのでないかと思われるのような情感たっぷりの歌い方であった。その歌われている瞬間はその歌の文句通りの気持ちをもたれなければ、ああは歌えないだろう。
声楽家というのは素晴らしいものである。
フランスのシンガーソングライターのジョルジュ・ムスタキさんが亡くなったと新聞で読んだのはいつだったか。
6月のことだったかなと思ってインターネットを検索したら、2013.5.23のことだった。とすれば私の誕生日の直前だったことになる。彼は1934年5月3日生まれというから、私よりも5歳年上ということになる。
ムスタキを知ったのはNHKのテレビのフランス語講座で彼のMa solitudeが演奏されたときだった。多分そのときの講師だった丸山圭三郎さんが一度演奏会に行って、とても感銘を受けた歌手だと述べておられたと思う。
ムスタキはギリシア系のフランス人であり、なんだか深い感じのするシンガーであった。Youtubeで、この「私の孤独」を聞いてみたが、リフレインの
Non, je ne suis jamais seul (ノン ジュ ヌ スイ ジャメ スル)
Avec ma solitude (アベック マ ソリチュード)
をムスタキについて歌ってしまった。他の曲も聞いてみたが、私にはやはり聞き覚えのあるこのMa solitudeが一番胸にジンとくるようだ。
ムスタキのことを書こうと思いながら、忘れてしまっていた。ようやくムスタキのことを書けて肩の荷が下りた感じがする。Youtubeでときどきムスタキの歌を聞いて彼を偲ぶことにしよう。
音楽評論家の吉田秀和さんが93歳で亡くなってもう一年になる。
それでだろうか、土曜日の深夜にNHKのEテレで吉田さんを回顧した放送の再放送があった。前のときには見た覚えがないので、今回初めてみた。
なかなか優れた音楽評論家であり、また音楽を普及したり、子どもの音楽教育にも熱心な方だったらしい。
世界の指揮者として知られている、小沢征爾氏もその薫陶を受けたということである。いま桐朋学園となっているところが、吉田さんたちがつくられた、その子どもの音楽教育機関の後身である。
フランス語にもドイツ語にも堪能な方だったらしいが、放送の中で出てきた音楽評論の中ではドイツ語としてはSeligkeit(これは浄福という語の訳)だけだった。
どうもそれほど外国語に強くもないのに、たびたびフランス語やドイツ語を引用する私などは恥ずかしい次第である。
彼の全集は24巻かそこいらの大部にわたるらしい。私自身はそれらをほとんど読んだことはないのだが、図書館等で読むことができるだろうか。