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物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

『武谷三男の生涯』の意義

2025-09-02 00:19:28 | 本と雑誌

西谷正『武谷三男の生涯』(鳥影社)が武谷三男の死後25年になる今年の出たことの意義は何か。武谷の物理の研究成果についても全く評価がされていないし、不満だという方もおられよう。かく申す私もそういう意味ではまったく手放しで「いい、いい」とかいうつもりはない。

確かに武谷三男の少年時代くらいからの残っている資料をフルに使って人物像に迫ったという点では類を見ない書である。その功績は大いに認めていいのではないかと思う。だが、武谷三男の思想にどこまで迫れたかとか、物理の論文というか研究での現在での評価とかをもっときちんとすべきではなかったかという点ではそれに迫れているとはあまり言えない。

だったら、この本は陳腐でつまらないのかというと、そういうことはなかろうということだ。まず死後25年が経って、もう世間の人は武谷がいろいろ強調した主張についてどうもいい加減になっているということだ。そういう意味では世界が社会が少しでもいい方になるべきだという強い気持ちを彼ほど持ち続けた人はいない。

死後25年の現在でも彼の思った良識ある方向に社会は向かっていない。そういうことをあからさまに世間に向かって言う気力とか志向や思考を持った方はもういないのだ。

それだけでも武谷三男の伝記が出る意義がある。

世界を見ても政治的にはどの国もこれは日本も含めてであるのだが、いわゆる民主主義国と言われていた国々でも独裁的な政治の様相を呈している。一応選挙という民主主義の形態を取ってではあるのだが。国が大きいことはまあいいとしても、大国主義としてふるまうようになることがよくないことだと武谷は思っていた。

ところがどの国も現在ではそういう様相を呈してきている。一番困ったことは国連が安全保障理事会の横暴で機能していないことである。こういうことをはっきり言う人はもういない。密かに困ったとは内心では思っていても。

そういう勇気のある人だった。『武谷三男の生涯』が出ても今の時代の風潮を変えることはできないかもしれないが、少しでも今の困った風潮を防ぐつっかい棒にでもならないか。こういう気持ちを持っている識者はまったくいないわけではない。


論文を読むこと

2025-06-04 11:01:02 | 本と雑誌

論文を読むことは私のような者にはある種の義務だろうが、なかなか読めないといらいらしてくる。これは誰のせいでもないが、自分の頭の悪さを嘆きたくもなる。

というのは私は「数学・物理通信」というある種の雑誌を発行しているから、そこに論文を投稿される方がおられるのだが、読まないでもある程度しっかりした論文を投稿される方だと思える方にははじめからある種の安心がある。

もちろん、どんな論文も全く読まないことはないのだが、それでも少し表現を変えてもらうくらいですむ人は問題がない。ところがそういう方々ばかりではない。論文の意義とかではなくて、論文の表現とか著者の感性とかを私がなかなか理解できない方がおられる。

これは私との単に相性の問題なのか、私の理解力の不足によるのかはわからない。雑誌の表紙に名前の出ているのは、3人の編集者であるが、一人の筆頭に出ている編集者のNさんは、長い間の病気で編集にはまったく物理的にかかわることができない。

そして実働で働けるもう一人の編集者のSさんは何でもこなせる優秀な方である。だが、最近は彼の優秀さに頼ることが多かったので、自分でも少し動かなければという気持ちから投稿された論文を読もうとしている。それで自分の非力を嘆いている。


posthumously

2025-06-03 16:07:51 | 本と雑誌

posthumouslyなどという英語を知っている人は日本人にはあまりおられないのではなかろうか。これはもちろん英文学や英語学とかを専攻している人とか、研究者とかは除いての話である。

私もどこかで見かけたような気がしたが、すぐにはわからなかった。だが、その文の出てきた前後関係から死後に発表された論文のことを言っているのだなと見当がついた。それで辞書を引いてみるとその推測はやはり当たっていた。

これに意味が近いことはないが、連想される語としてephemeralという形容詞を思い出す。高齢まで生きておられた、Dysonというアメリカの物理学者の論文集にDysonが数学の論文は永久に真だが、物理の論文は短命であると書いていた。そこでephemeralという英語を知った。もちろんその時に知らない英語だったので辞書を引いて知った。

Dysonを私たちは物理学者として知っているのだが、若い時はむしろ数学専攻であったという。だから数学の論文も多く書いているらしい。

数年前にNHKのフランス語講座の放送でephmereとかいう語が好きなフランス人の女性が出てきた。そのときにすぐには思い出さなかったのだが、「はかない」と字幕に出ていたように思う。「はかない」などというと日本人好みの思考かもしれいのになどとその時に思ったりした。それでephemeralという英語を思い出した。


自分の本を読んでくたびれる

2025-06-02 00:01:40 | 本と雑誌

今日は暇だったので、自分の書いた本を読んで見たのだが、結構くたびれる。第1章「四元数に近づく」を午前中に読んで、午後に第2章の「四元数の発見」読み始めたのだが、途中で頭が働かなくなって椅子にもたれて昼寝をした。実はいま「四元数に近づく」の章の改訂原稿を書いているのだ。

目を覚ましてから、この章を読んでしまい、つぎに第3章「Hmiltonのノートの解読」を読んだ。この第3章は自分で書いておきながら、言うのもおかしいが、難しい。最後の箇所を読むことが残ってしまった。

この第3章は故森田克貞(元名古屋大学)さんを悔しがらせた章でもある。森田さんは『四元数・八元数とディラック理論』(日本評論社)という難しい本の著者である。もちろん私などより何年も前にこの書を上梓しておられた。

もっとも森田さんはメールで、このことを正直に私に書いてこられたので、私は森田さんは率直でいい方と感じた。そういう理由もあって私は森田さんのことを悪く思ったことはない。むしろある種の同志だと思っていた。

どうしたものか、私は『四元数の発見』の第2章を改訂しなければと思い込んでいたようだが、2章と3章は改訂の必要はあまりない。x^{2}=-1の解が四元数では無限にあるということを第2章に書く必要があるのだが、どうするか。このことは本の中では補注に書いてあるのだが。それを本文にいれるか、どうするか。考えなくてはならない。そのことを除いて改訂の必要はあまりない。

むしろ改訂しなければならないのは第4章である。ここは新しい知見ができている。四元数で空間回転を表す式の導出がちょっとエレガントになったのである。この導出は元の原稿はKuipersという人の本を見てほぼそのままに書いたのだが、その考えを敷衍したちょっとエレガントに導く方法を「数学セミナー」2月号に書いたので、その知見を取り入れた改訂をしたいと思っている。これは「数学セミナー」編集部とのやり取りから自然に出てきたものである。

こういう導き方をしている文献を私は見たことはない。なかなか発見法的に式を導くというのは何であっても難しい。これは実感である。

第1章はぜひ改訂した方がいいと思って改訂原稿を書いたのだが、元の文章を読み直してみるとそれほど悪いという気もしなくなった。もっとも私の感じた証明に見通しのわるさはあるのだが、それほどの欠陥なのかどうか、第1章を何度でも読み返す必要がある。

話は変わるが、「数学セミナー」2月号は「四元数の特集」であった。だが、私以外の他の方は難しい論文を書かれている。多分多くの人に読めたのは私の寄稿文くらいであったのではなかろうか。

 


86歳になった

2025-05-29 11:31:35 | 本と雑誌

私はもう28日になろうかとした、5月27日の深夜に生まれたらしいのだが、先日無事に誕生日を迎えた。それで86歳になった。

また年を一つ重ねてしまった。ただどこも体に痛いところがないのは幸いである。もちろん左膝が上がりにくいとか歩くと左膝が痛いとかはある。しかし、普段の生活で痛いところはない。

よく痛いところのある人は痛み止めの薬を飲んだりするが、痛みはとめられるが、その時にその痛み止めの薬が腎臓を傷めたりすると聞く。でも痛いのはつらいのでついつい痛み止めを飲むのだとか。

だから顕著に体の痛みがないことはどれくらい幸せなことか。もっとも少し立っていると腰が疲れて痛くなってきたりする。そのときは体を反り返らせて腰の痛みか疲労をとることにしている。

食後の食器を洗うのはたいてい私の仕事に最近はなっているので、食後に流しの前に立って食器を洗うのだが、その途中で腰が疲れてくる。これは腰とか尻の血管が詰まっていたとかで人工血管をそちらにも配置して下さったらしい。これは先日の手術のときに。だが、まだ十分に血流が復活してないためであろう。

だが、それくらいのことしか私の体の不調はない。

サルトルは「親が子どもにできる一番のことは早く死んでやることである」とかの言葉を残したという。もっともサルトルに子どもはいなかったと思う。それとサルトルの父親は彼が幼少のときに亡くなっていたという。

長生きをすると、こういうサルトルの言には反することにはなろうが。


Sさんの投稿

2025-05-22 11:57:45 | 本と雑誌
「数学・物理通信」にSさんが何回目かの投稿をされている。ご本人はいままでの投稿と比べてわかりやすいものではないかと言われている。

ところが凡人の私にはそうではない。それであちこちで投稿された論文の内容に関係したことを読み散らかしている。昨日も武谷三男の『科学入門』(勁草書房)だとか『物理学入門』(季節社)だとかを読んですこしづつ知識を補充してSさんの論文を理解しようとしている。

ようやく彼が話題としていることの背景がわかってきたのだが、それはそれだけであって彼の問題点に触れるところまでは行っていない。だから、意見を述べて返事をしなくてはいけないのだが、考えがなかなかまとまらない。

このブログはその当該のSさんも読まれるので、私の現状をお知らせすることにもなるのだろう。Yさんのケプラーの発見の契機の読み取りが不十分だというのがSさんの意見である。もしかしたらYさんはケプラーの『新天文学』の日本語訳は読んでいないのかもしれないと思った。

それで今朝 Y さんのたくさんある著書の中のある書を調べたのだが、ケプラーの『新天文学』の原文にはあたっていると思われることを確認した。『新天文学』の日本語訳は読んでいないとしても原文を少なくとも一度は見られたことがあるだろう。

Yさんは科学史家であるし、ラテン語を勉強して読めるようになっているとか。『新天文学』の書には触れたことがないのだろうが、ケプラーの論文・著作全集Gesammelte Werkeを見たことはあるらしい。それがいつか知らないが、発行されている。その中に『新天文学』はもちろん含まれているだろう。

ますます考えはまとまらない。

どういたしまして

2025-05-20 15:30:03 | 本と雑誌
Danke schoen !(ありがとう)とか

Vielen Dank !

とか言われたら、「どういたしまして」と返事するのが普通であろう。

そのときにどのようなドイツ語があるか。
一番普通には
 Bitte schoen !  (oeはo Umlautである)

であろう。
  keine Ursache ! (直訳はお礼を言われる「何も理由がない」)
といういい方を教えてくれたのは私たちがドイツにいたときに付き合いのあった若いドイツ人である。

他にも
 Nichts zu danken ! (直訳は「お礼を言われることは何もない」)
とか
 Gern geschehen ! (直訳は「喜んでしたことです」)

とかいうのだろう。気分によってこの4つの表現を使い分ければよいのだが、私にはなかなか出てこないのは最後のGern geschehen !であろうか。「喜んでしたことです」というような意味合いがあるのだが。

前つづりverのつく動詞

2025-05-20 14:51:53 | 本と雑誌
ドイツ語のことですみません。NHKの「まいにちドイツ語」でもきょうverlangenという語が出てきた。
一番普通の訳語は「要求する」であろうか。この語の中にはlang長いという言葉が隠れているとは思いつかなかった。「求める」とか訳語も出ていた。

数日前からこの前つづりver-のついた動詞について書こうかなと眠りに落ちる前のときに考えていた。しかし、いいアディアもなくそのままとなっていた。

昨日出ていた「まいにちドイツ語」の一言は

  Man muss vom Frueling nicht verlangen, was der Herbst erst bringt.
  マン ムス フォン フルーリング ニヒト フェアランゲン、ヴァス デア ヘルプスト
  エアスト ブリンクト
  春に秋がもたらすものをもとめてはならない (注)
 (直訳は、「秋にようやくもたらせるものを春に要求してはならない」であろうか)

であった。
  (カタカナはドイツ語を知らない人のためだから、ドイツ語を知っている人は無視してください)

verは後に何かが残るというような意味を持つと聞いている。それがあまりい結果出ないような気がしていたが、verlangenではむしろいい結果なのであろう。verspaetaenとかだったら、汽車に乗り遅れるとだったと思うし、verderbenなら食物が腐るとか台なしになるとかあまりいい意味ではない。

verbrechenなら「悪いことをする」だが、結果が残るとしてもわるいことばかりではなさそうだ。verstehenは「理解する、わかる」という意味である。ich versteheと言えば「わかります」という意味である。

もう何十年も昔のことだが、ドイツ人の若者が私の友人のドイツ人を訪れてきたときに、他の日本人と一緒にどこかに食事に出かけた。そのときにドイツ人の友人は用事があって後から来ることになっていたので、少しその若者と話したが、なかなか思うように話すことができないのですが、話はかなりわかりますといったら、Ich verstehe, dass Sie auf deutsch Verstaendniss habenとか何とか言われたことを覚えている。

あまり記憶がしっかりしないので、いい加減な再現しかできないのだが。

続・ラプラス演算子の球座標表示

2025-05-18 23:04:02 | 本と雑誌
ラプラス演算子の球座標表示については前にも書いた。そして私の知る限りではいくつかの導出法の記述を尽くしたと思っていたが、昨日だったかひょっと前野昌弘『物理数学ー多変数関数と偏微分』(東京図書)を見たら、別の導き方があった。

これは∇演算子を球座標系の単位ベクトルで求める方法でちょっと普通の方法よりも簡単そうである。最後までチェックして場合によってはこの導出法について書いておきたい。

広い意味では直交曲線座標という範疇に入るのであろうが、前野さんはそれにはほとんど触れないで導いている。この方法は知らなかった。この導出自身は付録に書いてあるのだが、その前の第5章に準備の説明がある。第5章はおよそ昨日と今日の日中に読んだが、当該のところにはまだ至っていない。

前野さんの本はとても評判のいいものらしいが、私にはちょっとごちゃごちゃして見えるのでもっとすっきりした書き方があるのではないかと思ったりもする。わかりやすさを目指してかえってすっきりしていない本の例ではないかと思ったりしているが、現在において学生の方々の意見は違うのかもしれない。

すくなくともベクトルは太字で表すことにして、その上に矢印を書き込むことは特別な場合を除いて止めた方がいいと思う。これは著者の意見をそのまま編集者も採用したのかもしれないが、やはり止めるようにアドバイスをすべきであったと思う。

アクセス解析で

2025-05-17 11:34:18 | 本と雑誌
このブログには「アクセス解析」というのがあって、どんな10時間以内にどういうブログが読まれたかを知ることができる。過去の自分と対面するような感じである。それで最近読まれた過去の文章の細部を手直ししている。

もっともこのブログのサービス終了は9月だということなので、このブログもそれまでの寿命ではある。これまでのブログの書籍化だとかを考えではないのだが、なにせ書いたブログの回数は7330を超えている。最近ではほぼ毎日書いている。

子どもが教えてくれたのだが、書籍化すると100ページ内だと10部印刷して1500円掛ける10部の費用がかかるとか。いや1冊あたり1500円ではなくて、5000円であったかもしれない。それだと少なくとも5万円の費用となる。

電話で子どもと話したときに聞いた話なので、記憶がはっきりしない。もっともブログの記事が8000まではいかないにしてもそれくらいだとやはり100ページには収まらないだろう。500ページには届かないだろうが、400ページには届くかもしれない。

そうすると1部6000円としても最低6万円はかかることになる。 いやこれは最低の話ですぐに10万円は超えるだろう。どうしたものかと思案をしているが、名案はない。

ちなみに有名人で私の知っている人だと衆議院議員の有田芳生さんが彼のブログを本にしている。彼は有名人なので彼の本を購入してくれる人もいるのだろうが、私は単に親戚や友人に配ることくらいしか思いつかない。

ブログならタダだから面白がって読んでくださる方も数人はおられるのだが、それらの方に本代まで払って読んでくださいとは言えない。どちらにしても決めかねてぐずぐずしている。 

昨日書きたかったことは

2025-05-16 10:45:23 | 本と雑誌
昨日書きたかったことはオナラのことだった。

3月末に手術で数日入院したのだが、そのときに看護師さんがしきりに同室の方々にオナラが出たがどうか尋ねていた。そしてオナラが出たといった人には「ああ、では腸は活動を再開していますね」と言っていたので。それでオナラと腸の活動が関係しているのだと知った。

外国ではわからないが、日本では他人がいるところでオナラをすると不作法だと思われているが、それもこれも人間が生きている証なのだということである。

友人に小腸を悪くして病院に入っている人がいる。小腸はとても重要な人間の臓器であるということを聞いたことがある。もっとも人間一人が生きていくためにはどこが悪くても困るのは当然ではあるが、すぐに命に係わるという意味では重要な臓器であろうか。

オナラを不作法とは思わないことにしよう。むしろ人間の生きている証だと。ああ、これは私の独り言ですから、みなさんに押し付けるつもりはまったくありません。

人前でくしゃみをするのも不作法だと思われているかもしれない。ドイツではGesundheit !(ご健康を)と近くの方から必ず声をかけられる。ヨーロッパではドイツ以外でも同じらしいが、かける言葉が各国で異なっているだけだと聞いている。

すみません。ヨーロッパの国だけではなく、イスラム教の国々でも同じようなことが言われているとか朝日新聞の天声人語で読んだことがあったような気がする。くしゃみと共に魂が抜けるというような感覚があるとか。

よく暗いところから明るい太陽の下に出たときなどにくしゃみが出ることが多い。亡くなった私の友人も大学の教室で講義を聞いた後で昼食のために戸外に出たときにくしゃみを連発していたことを思い出している。これには個人差もあり、あまりくしゃみの出ない人もいる。

くしゃみにしろオナラにしろこれは生理反応なので、これを不作法とか言ってみてもはじまらないのである。

reunion

2025-05-13 11:34:21 | 本と雑誌
reunionとはスペイン語で会議を意味するという。このことはNHKのラジオのスペイン語講座で話しているのをたまたま先刻聞いたばかりである。フランス語でもreunionは会議とか集まりを意味するから、この言葉を知っていた。

そういえば、ドイツ語で会議はどう言ったかなと思った。meetingという英語を使うドイツ人もいたが、すぐに思い出さなかった。和独辞典を引いてみたら、die Sitzungとあった。そうだった。もう50年近く前のことだが、留学先のマインツ大学での教官だった方が、「これから会議がある」という意味でDa habe ich eine Sitzung.と言っていたことを思い出した。

そのときにSitzungという語をきちんと知っていたわけではないが、ああ会議があるのだなと推察できた。sitzenという語は座るという意味であるから、Sitzungを類推するのは難しくなかった。

そういう因縁のある語であるが、もう長くドイツ語から離れているので忘れてしまって思い出せなかった。言葉は常に使っていなくては忘れてしまう。

この年になると日本語でもなかなか出てこないことがある。85年も日本人をやっているのにである。5月生まれであるから、もうすぐ86年になるというのにである。

フランスの海外県だったかにReunion島とかいうところがあったと思う。ついでにいうと、hexagonal(エグザゴナール)とは元は「六角形の」を意味するのだろうが、「フランス本土の」を意味するとか。これはフランスの国土の形が六角形の形をしているからだという。

『東京塾戦争 板橋開戦』を読む

2025-05-10 12:14:06 | 本と雑誌
『東京塾戦争 板橋開戦』(鳥影社)という小説を購入して後ろの方から読んだ。後ろの方から前に方へと書かれた順序など全く無視した読み方である。5月8日に赤十字病院に手術後の検診に行ったが、そのときに病院前にE大学があるので、そこに待ち時間を利用して前に注文していた小説を生協書籍部に取りにいったのであった。

大体私は小説は読まないことにしている。これは小説が好きでないためではなく、小説を読みだしたら、数学とか物理の本とかを読むことを止めにしてしまうからである。そういうことを恐れて小説を読むのを控えている。

ところで、これはこのブログにMさんからコメントがあったのが、きっかけでこの小説を購入して読んだのである。これは私が研究対象としている、武谷三男と関係があった。武谷三男には『現代生物学と弁証法』(勁草書房)があるが、それが参考文献として挙がっていたことから購入して読んだのである。このことをコメントを下さったMさんにここで感謝をしておく。

これは著者の三尾野秀代さんが伊藤康彦『武谷三男の生物学思想』(風媒社)から一部のヒントを得ての創作に使ったのであろうか。メンデル=ルイセンコ論争などを知っているのは私ぐらい以上の老人であろう。今の若い人はまったく知るまい。だが、そういう思想の残存を知っているのは三尾野秀代さんもそれ相応のお年と推察する。

ただ、私の読みが足らないのかもしれないが、その記述は一面的であるようだ。まあ小説だからあまり深刻に取ることはないのだが。

この遺伝学との関係を除いての話だが、主にこの小説は東京都板橋区での塾の生存競争の話を中心に繰り広げられているのだが、数学の塾教師をしていた青砥和子を中心にした話だが、あまり中学校とか高校の数学の話が具体的に出てこない。ちょっと不満に思っている。

中学校とか高校数学では比を比の値だと教えるとか、代数のある数と負の数の掛け算を、たとえばある数にー1を掛けると数直線上で原点Oのまわりにその数が180度回転して、+3にー1をかければ、ー3に移って行くとかいう風に教えるとか、いったリアルな話題があった方がよかったのではないか。いくら小説でも読んでよかったとか教えられたとか思えるようなエピソードが欲しかった。

斜め読みなので感想は全くの的外れであるだろう。その節は平にご容赦のほどをお願いしたい。

不確定性原理(私自身は不確定性関係と呼んでいるが)の説明ももう少しはっきりと書けなかっただろうか。これは間違ったことを書いているわけではないのだが。薬剤師の免状も持った著者だからもっと突っ込んだ話が書けたはずだ。

メールが届かないことがある

2025-05-09 11:18:04 | 本と雑誌
「メールが届かないことがある」という経験をあまりしたことがなかった。

ところが、そういうことを最近経験した。「はてなブログ」のID申請をしたのが、最終手続きのためのメールが届かなかった。それだけならなんてこともなかったのだが、ある方から「数学・物理通信」への投稿があったのだが、届かなかったらしい。

この方は前のメールで投稿を再度してくださったのだが、それでメールが少なくとも一時届いていなかったことがわかった。

こういうがあるということである。これからこういうことがあるということに心しなければならないだろうか。

はてなブログのIDを取ろうとしたが、

2025-05-07 10:23:58 | 本と雑誌
goo blogの9月末の閉鎖に伴ってどこかに引っ越ししたい。

それで、はてなブログのIDを取ろうとしたが、なぜか最終手続きのためのメールが届かない。だから、IDが取れないという異例の事態が起きた。再度アクセスして、はてなブログのIDをとろうとするべきなのだろうか。わからない。

あまり事情通ではないので、当惑している。もっとも通知が届かない場合には再度メールしてくださいとあるから、同じようなことをしてみたのだが、やはりメールは届いていない。

まあ慌てることではないのだが、「お前のメールアドレスを閉鎖するリストに入れた」というメールが届いているので、ちょっと慌てたという事情がある。実は9月28日までだったかまで、このブログをできるそうなので、慌てて他のブログに移ることはないだろうと思っていた。

それだのに「お前のメールアドレスを閉鎖するリストにいれたというメールが届く」ということはどういうことか。理解しかねる。この通知が9月初めに私のところに届いたのなら、理解ができるが、まだ5月のはじめである。

一方では、4月5月は引っ越し準備する人が多いので、しばらくしてから引っ越しの準備をするようにとの要請もあったりする。

私の知人のブロガーの方はすでにamebaブログに登録して画像というを移動している人も知っているのだが。