物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

世の中は

2019-04-30 13:53:58 | 日記

世の中は10連休の真最中だが、私は日曜日以外は休まないので、休みはない。

もっとも10連休とはいっても、だれでも完全に10連休を享受できる方はすくないのであろう。会社勤めの方では納期までに製品を納める義務のある方もおられるだろうし、また客商売でむしろ忙しくしている方も多いだろう。

世の中そんなに甘くはない。それでも土日くらいの休日だったのが、数日は休むことができた人もおられようか。

自宅の前の田んぼが宅地になって、住宅建設への下作業が始まっていた。職人さんには日曜日でもあまり休日を取られないで働く人がふつうである。

病院でも正規の休日だが、余分に開院するところもあるようだ。E大学の図書館も5月6日には開いていると言っていた。

その日に返却する本を3冊借りている。すべてベクトル解析の本だが。 


フランス語の俳句2

2019-04-30 10:36:08 | 日記
昨日の続きである。

Un arc-en-ciel
dans New York
traverse les bureaux

ニューヨーク事務所を虹の渡りけり

これはなんだろう。ニューヨークの事務所(たち:複数)の上にかかって
見えた大きな虹のことだろうか。

L'air que l'on  respire
sent
la frite

吸い込んだ空にフライドポテトの香り

la friteはpommes frites(ポム フリット)というのが正式の呼び名だろうが、friteで使われている。sentirは「においがする」という意味である(注)。

Ca sent bon. ならば「いい匂いがする」という意味である。caのところのセディーユは省略している。

ちなみにpommeはリンゴのことであり、pommes fritesのこのpommeはpomme de terre、すなわちジャガイモのことである。

La campagne
on sort
on est dehors

田園や外へ出かけて外におり

もう一句で紹介をおわる。

Faire pipi
loin
brillent les chaussures

おしっこをするその果てに光る靴

フランス語でのpipiは知らなかったが、ドイツ語でやはりPIpiという。これは本来、幼児語である。

(注)「la friteはles fritesが正しいだろう」などとうそを書いていたので、削除した。数えられないものとしてfiriteを考えるべきであろう。

フランス語の俳句1

2019-04-29 12:42:20 | 日記

岩波のPR誌「図書」の5月号にフランス語の俳句の紹介があった。小津夜景さんの「ジャン=マリー=グリオの俳句を読む」の中にである。少し紹介してみよう。

 Au cinema

Les acteurs s'endorment 

Quand ca commnce

役者たち睡るシネマの幕開けに

L'autobus arrive

Un zazou a chapeau monte

Un heurt il y a

Plus tard devant Saint-Lazare

Il est question d'un bouton

あしふみの

 長きバス首

  さわげども

   のちのボタンは

    さん=らざりけり

    (朝比奈弘治訳)

これにはzazou(ジヤズ狂の青年)とかheurt(対立)とか知らない語がある。

訳を読んでも意味がわからない。zで始まるフランス語は全く知らなかったが、初めて知った。それにしてもzで始まるフランス語はとても少ない。 

(バスが到着した。帽子をかぶったジャズ狂の青年が乗った。

後で、ちょっとした騒動がサン=ラザールの前であった。

その原因は一つのボタンのことであった。)

とでもいうことなのだろうか。知る人ぞ知る。

On parle sans savoir

on 'ecoute sans savoir

je mange chewing-gum

知らず言い知らずて聞くやガムを噛む

Une seule abeille

achete les fleurs

pour la ruche

一頭の蜂が花買う長屋かな

rucheは知らなかった。これは「巣箱」の意味らしい。rucheは人間で言えば、長屋にあたるのだろうか。その訳者の発想がおもしろい。

まだ、数句あるが、紹介は明日にしよう。

 「図書」を読む人はインテリだとは思うが、どれほどの人がフランス語を解するのだろうか。でも、それを紹介しようとする私のようなものもいる。

 

 


軌道角運動量演算子

2019-04-27 17:16:44 | 物理学

軌道角運動量演算子とCauchy-Lagrageの恒等式とが関係があることは昨日まで知らなかった。Gasiorowiczの"Quantum Mechanics"を読んでいて、不思議なことが書いてあるなと思って、それがどうしてなのかがわからなかった。

が、よく考えてみたら、これはCauchy-Lagrageの恒等式を下敷きにした考えであることがわかった。Gasiorowiczにはそのことが明確には書かれていないが、そういうことであったのか。

このことはちょっとおもしろいことなので、いつか数学エッセイに書いておきたいと思っている。だが、Gasiorowiczは先刻そのことを承知していたのであろう。量子論では、実はCauchy-Lagrageの恒等式から導かれる関係から、ちょっと量子力学の特有の交換関係によって、補正が必要である。

そういう話をテクストには普通は書かないのであろう。だから、Gasiorowiczのテクストの書き方が悪いとは言うことができない。こんな抽象的な言い方をして、すぐにそれが何か、わかる人は相当の量子力学の知識と素養のある人であろう。

 


雑談会終了

2019-04-27 16:42:03 | 日記
毎月第4土曜に自宅でしている、雑談会が今終わった。

来月は私が松山にいないので、雑談会はお休みにすると宣言をした。

今日は久しぶりにKさんがやってきてにぎやかだった。常連だった方が来れなくなって雑談会もだんだん寂しくなって来ている。

常連のメンバーの中にはKさんと言われる方が3人もおられることに今ようやく気が付いた。そのうちの一番若い方が今日出席されたKさんである。

もっとも健康上のことなら急に話題が盛り上がる不思議なものである。

はな(た)かニャンコ

2019-04-26 12:22:57 | 日記
ながら族であるので、午後4時前まではラジオをつけて仕事をしている。

そのときにときどきNHKの「みんなのうた」で「はな(た)かニャンコ」という歌が歌われている。リフレーンの「ニャンコ、ニャンコはな(た)かニャンコ」というのは聞こえるが、他の歌詞は聞こえない。

それでそういうことを朝食後に妻に言ったら、妻がスマホで検索してくれた。

それによれば、「ニャンコ、ニャンコはな(さ)かニャンコ」と歌われていた。「はな(た)か」ニャンコではなく、「はな(さ)か」ニャンコであった。

「はな(た)か」とばかり思っていたので、まさに目から上のうろこが落ちた。

ニャンコが歩いたところに花を咲かすというもので、宇宙の銀河にもブラックホールにも花を咲かせようという歌の歌詞でもある。

地球上にだっていたるところ花を咲かすのは難しいが、それを宇宙に花を咲かすことがいかに難しいか、そういうことは思いも及んでいない、無邪気な歌である。

最後には「ブラックホールに花を咲かせましょう」に至っては何をかいわんやである。

しかし、そういうことを言ってしまっては身もふたもない。「夢のない、いけ好かないやつ」とのレッテルを貼られてしまうのがおちである。

角運動量の理論

2019-04-25 11:15:32 | 物理学

角運動量のところでKさんから記号の変更か記述の修正をアドバイスされた。昨日も書いた小川修三「量子力学講義ノート」の仕事である。

それで、急遽、角運動量のことを調べている。ところが日本語で書かれた本はあまり記述かよくないように思う。それでGasiorowiczの"Quantum Mechanics"を取り出してきて、読もうとしている。読めるかどうか。

日本語で書かれたものでは、江沢洋『量子力学』(裳華房)が一番わかりやすいと思った。それはともかくGasiorowiczは難しいテーマでもわかりやすく書く才能がある。

話は全く新しい別だが、Sidney Colemanという学者がおられて、難しいテーマをやさしく説明されるというので、Colemanはほうぼうの物理研究者の夏の学校等で、引っ張りだこの講師であった。

そのColemanの講義録だったかの集めたものがどこかで発行されているらしい。こういう才能を持った人はどこにもいる。

角運動量から話がはずれてしまったが、この角運動量の説明は数章にわたっているので、全体を読むことができるかどうかはわからない。なにせすぐに好奇心が移ってしまうので。


一休み

2019-04-24 09:58:01 | 日記

この3週間ほど「量子力学講義ノート」の編集に時間をとってきた。だが、昨日は雑誌をE大学の生協書籍部からもらってきたためにこの作業がお休みになった。

もともと文章を読むのはキライではないが、なにせ気が短いというかじっくりと読むという気質ではない。どこかを拾い読みしては早とちりするタイプである。だから、だいたい私の考えは皮相的だし、よく考えられたものとはいえない。

ただ、ものわかりがとてもわるいので、他の人ならとっくの昔にわかってしまうようなことがなかなかわからない。これは若い時には自分でも困ったものだと思って頭のいい人をうらやんだりしたものだが、この年になってくるとこれも自分の個性だと思えるようになってきた。

元岐阜大学のKさんに「量子力学講義ノート」第2部の原稿を読んでもらったら、多くの箇所で修正箇所が入ったり、疑問点を指摘された。

彼は小川修三さんの量子力学を講義を聞いた、初めての学生である。多くの学生が小川さんの量子力学の講義に魅せられて、彼の学年の学生は4~5人も小川さんの研究室に入りたいといったとか。

これはKさんの同級生の、その4~5人の枠からはみ出して素粒子実験の分野を専攻せざるを得なかった別のK君から聞いた話である。

この後者のK君はしばらく素粒子実験を専攻していて、学位もそれでとったと思うが、彼の妻のお父さんのやっていた、会社に入り、その後、当時私の勤めていたE大学にも求人に来たこともあった。

その後、定年後だったか、どこかの高専の先生をしているとか聞いた覚えがあるが、その後の様子は知らない。そういえば、大病をしたとか風のうわさで聞いたような。

 


月の終わりの方なので

2019-04-23 14:26:12 | 数学

E大学の書籍部に雑誌や本を取りに行った。1か月に最低1回は雑誌や本を取りに行く。

今日は数冊ベクトル解析の本を買った。演習の本も1冊買ったが、壁谷喜継、川上竜樹『ベクトル解析入門』(共立出版)と清水勇二『基礎と応用 ベクトル解析』(サイエンス社)である。

先にあげた『ベクトル解析入門』がいい本かどうかは自信がないのだが、巻末にほかの本の参考書が出ていたので購入した。関心のある積分定理、グリ-ンの定理、ストークスの定理、ガウスの定理の証明が分かりやすいかどうかはよく読んでみないとわからない。

乾杯のしかた

2019-04-23 13:47:23 | 日記

ビールとかワインとかの乾杯をどうするか。それらにたいして面倒な作法があるわけではないだろう。たいてい、お互いの健康を祝してzum WohlだとかSanteだとか言いながら、ビールのジョッキやワインのグラスを軽く打ち当てる。だが、ちょっとした細かな注意がなくもない。

ワイングラスの場合は台の上の支柱の部分を指でもって、ワインの入った部分には指をかけないで、グラスとかグラスを軽くあてる。そうするとグラスが響いて乾杯する感じが出る。映画なんかでも注意して見ていると、たいていそういう風にして乾杯をしているようだ。

最近、知ったのだが、ビールグラスなどで分厚いジョッキではない場合がある。縦長の比較的細いグラスの場合には上の方はガラスが薄くなっているので、そこを互いにあてると割れてしまう可能性がある。

そういう場合には下のガラスが厚い部分をあてて乾杯をするそうだ。これはあるとき、NHKのテレビのドイツ語講座の中で見て「ああそうすることもあるのだ」と思った。いわば、教えられないで自分で発見したのだが、そのあとで、その前の回の放送を見たら、そういう説明がされていた。

もちろん、ミュンヘンでもマースと呼ばれる1リットルのビール・ジョッキは分厚いので、たぶん少しくらい強くグラスどうしをあてても割れたりはしないだろう(注)。

ちなみに、ジョッキでも蓋つきのものがある。これは-der Krugと呼ばれる陶器製のものである。私たちもドイツから帰るときに、一つお土産として買って帰ったので、いまでも家のどこかにあるはずだ。

ミュンヘンのHofbr"auhausではマイジョッキを預ける制度があり、そういうジョッキをカギのついた場所にしまって帰るというのを昨夜テレビで見た。そうできることはとても名誉なことだという。

(注)ドイツで1杯のビールは普通は500mlであるが、ミュンヘンだけは普通のビール1杯は何も注文をつけなければ1リットルで提供される。

これはフライブルクのゲーテ・インスティテュートでドイツ語の先生から教えられた知識である。

確かに二度Hofbr"auhausでビールを飲んだことがあるが、いつも1リットルのマース・ビアであった。

そして2回目に飲んだときには飲みすぎて二日酔いにまでなった。ちなみに二日酔いはドイツ語でKater(カーター)という。私は二日酔いだ(Ich habe Kater.)。

Katerはオス猫のことだったかな。

『量子力学の冒険』四読

2019-04-22 10:14:41 | 物理学
第3話「マトリックス力学の誕生」の四回目を読んだ。最近では続けての2回目だが、すでに一年ほど前に2回ほど読んでいたらしい。これはブログの記録からわかった。

その前に第2話「前期量子論」を読んだ。この箇所には疑問に思ったり、ひっかかるところはなく、読めた。その後に再度、第3話を読んだ。今回はあまりひっかかるところはなかった。しかし、ここは概念的に難しい。読むのに土曜日と昨日の日曜日を費やした。

前にも述べたように数式の計算自身は難しいところはない。もっとも私なら普通に使われている、記号を導入したり、共通因子をくくったりしてもっと数式を簡明に表すのにと思っている。そういう考えを反映した自分なりのまとめ直しはいつかしてみたいと思う。

それでもマトリックス力学のところが概念的に難しいと感じるのはどうも私だけではなさそうなので、高林武彦『量子論の発展史』(ちくま学芸文庫)を取り出してきて、行列力学の章を読もうとしたが、本が文庫で字が小さいので、読めないのと高林さんはあまり詳しくは行列力学の誕生のいきさつをたどっていない。

これはもう詳しい分析は朝永『量子力学』I (みすず書房)に任せたという気持ちだったのかもしれない。もちろん、高林さんも、何かをマトリックス力学についても書いてはあるのだが、そういう印象を受けた。

朝永『量子力学』と関連していえば、土屋秀夫『朝永振一郎著の「量子力学の」研究』(創栄出版)という本があり、これは自費出版の本であり、市販された本ではないが、式の計算は逐一追った本である。

もっとも私が関心をもって調べた、ある箇所ではどうも勘違いをされたのかと思われる箇所もある。いや、しかし、2冊の本を詳しく読んで計算をフォロウされたのだから、少しくらいの間違いがあっても、それはあまり大きな瑕疵ではない。

朝永『量子力学』の研究というか、量子力学の概念を追及したりしたのは『量子力学の冒険』であり、現在では量子力学に関してもっと深いものが書ける一般的な環境にはあるのだろう。


ブログの回数

2019-04-20 13:14:15 | 日記

ブログを10年以上続けているのだから、それがどれくらいになるかは気になるところである。細かい回数ではないが、おおざっぱに分野のかなり投稿数の多いところだけを足してみたら、4596回となった。

それにこまごましたのを付け加えれば、4700回は越しているであろうか。正確な数を知る気はない。だから話題にした、タイトルには重複もあるだろうし、一人の人間の関心事はそれほど大きくはありえないので、話題が限られているのはしかたがない。

政治に対する注文がすくないのはあまり政治的な人間ではないためである。それでも今の世の中がなにか間違っていると思うことは多い。

小学校や中学校の先生が何でこんなに忙しくなっているのか。大学では運営交付金が減ってきていて、研究にならないとかは、現在すぐには影響はないかもしれないが、20年30年後には大ごとになることには間違いがない。

それだのに防衛予算だけはどんどん増えていく。本来は平和であるはずの日本の軍事予算はもう世界全体に影響を与えるくらいに大きくなっている。

だが、それだのに現政権を支持する人たちが35,6%もいるとはどうなっているのと心配になる。

(2019.4.26付記)いま、過去の投稿数を足してみた。5,000回にはまだたらないが、4,839回のブログを書いたことになった。今年中には5,000回を超えるであろう。

主語のない文

2019-04-19 11:59:42 | 日記
大体、外国語はイタリア語とかスペイン語とかは除いて、主語がないといけないと言われる(注1)。ところがドイツ文でも主語がない文があるから、主語がいつもあると思っている私たちには奇妙に映ることがある。昨夜のドイツ語のクラスでもそういうことが起きた。

これは受け身の文であり、それも形式的な主語があるとすれば、esという形式主語を使うような文である。

ちょっと難しい文だが、あげてみよう。
"Ubrigens (wird) auch heute noch gern auf Namen der Verwandtschaft (zur"uckgegriffen).(注2)

という文章である。この文に対してKさんから主語はどこなのと疑問が出た。それに対してR氏の答えはこれは受け身の文だから主語はいらないのだと返答された。

"Ubrigensで始まるからこの文には形式的な主語はない。もし文頭に"Ubrigensがなければ、

(Es) wird  auch heute noch gern auf Namen der Verwandtschaft zur"uckgegriffen. 

となるのであろうが、"Ubrigensで始まるから、上の(es)とわざわざ付けた形式主語は落ちてしまうのが通常であるらしい。すくなくとも私はそういう風に理解している。この文は外国人の私たちにとって、なかなか難しいものであることは確かである(注3)。

上のドイツ文の正確な意味は知らないが、「好んで今日でも親戚(たとえば、父とか祖父とか)の名前が再利用される」というのであろう。

(注1)イタリア語では主語が省略されるのはよく知られたことであろう。「わかった」ということをho capitoという。私を意味するIoは普通入らない。

(注2)(wird)と(zur"uckgegriffen)でドイツ語特有の動詞のわく構造が現れている。ちなみに、ドイツ語の2つの大きな特徴は、文章のわく構造(Satzklammer)と冠飾句(Linksattribut)である。

冠飾句(Linksattribut)の方は話ことば(口語)にはあまり現れないので、初心者がこれで困ることはすくないが、わく構造(Satzklammer)の方は私などがドイツ語がわからないと数年にわたって悩んだ主な原因でもあった。

(注3)(es) のかっこ ( ) は主語 es を強調するためであって、他の意味はない。



今日は本を返す日

2019-04-19 11:45:13 | 日記

今日は2週間目前に借りたベクトル解析の本を返す日である。2週間前にE大学の付属図書館で借りて来た本を返却する最後の日である。実は借りて帰った数日はかなり読んだのだが、その後読む時間はあまりなかった。

だが、返却の期日が来たし、それにもうだれか借りたい人の予約まで入っているらしい。借りた本の1冊は演習書であった。ところがこの本は読んだだけではすぐにわからないようだった。自分でもすこし考えてみなければならない。

演習書なのだからそれは当然ともいえるが、私のようにあまり理解力のないものにはかなり厳しい感じを受けた。

もう1冊は演習書ではなかったが、一日見ただけで返すことになった。アマゾンコムの書評で酷評されていたのが心理的に影響したかもしれない。私は肯定的にこのブログでかいたつもりではある。


もう一度読み返そうと

2019-04-18 12:15:06 | 日記

『量子力学の冒険』(ヒッポファミリクラブ)の「行列力学」の章をもう一度読み返そうと思って、昨夜は夕食後にテレビの前のこたつに座ったが、その後、居眠りをつづけており、真夜中の12時ころにようやく目を覚まして気が付いてテレビを切り、寝た。

ということで読み返しはならず。すでに2回は読んでいたらしく、今回は3回目を読み終わっていたらしい。

わからないというかもうちょっと深く知りたいと思っていたところはやはりわからずじまいだった。これはこの本を書いた人には不思議とも思われなかったところだろうが、私としてはちょっと説明がいるのではないかと思ったところがある。