大体、外国語はイタリア語とかスペイン語とかは除いて、主語がないといけないと言われる(注1)。ところがドイツ文でも主語がない文があるから、主語がいつもあると思っている私たちには奇妙に映ることがある。昨夜のドイツ語のクラスでもそういうことが起きた。
これは受け身の文であり、それも形式的な主語があるとすれば、esという形式主語を使うような文である。
ちょっと難しい文だが、あげてみよう。
"Ubrigens (wird) auch heute noch gern auf Namen der Verwandtschaft (zur"uckgegriffen).(注2)
という文章である。この文に対してKさんから主語はどこなのと疑問が出た。それに対してR氏の答えはこれは受け身の文だから主語はいらないのだと返答された。
"Ubrigensで始まるからこの文には形式的な主語はない。もし文頭に"Ubrigensがなければ、
(Es) wird auch heute noch gern auf Namen der Verwandtschaft zur"uckgegriffen.
となるのであろうが、"Ubrigensで始まるから、上の(es)とわざわざ付けた形式主語は落ちてしまうのが通常であるらしい。すくなくとも私はそういう風に理解している。この文は外国人の私たちにとって、なかなか難しいものであることは確かである(注3)。
上のドイツ文の正確な意味は知らないが、「好んで今日でも親戚(たとえば、父とか祖父とか)の名前が再利用される」というのであろう。
(注1)イタリア語では主語が省略されるのはよく知られたことであろう。「わかった」ということをho capitoという。私を意味するIoは普通入らない。
(注2)(wird)と(zur"uckgegriffen)でドイツ語特有の動詞のわく構造が現れている。ちなみに、ドイツ語の2つの大きな特徴は、文章のわく構造(Satzklammer)と冠飾句(Linksattribut)である。
冠飾句(Linksattribut)の方は話ことば(口語)にはあまり現れないので、初心者がこれで困ることはすくないが、わく構造(Satzklammer)の方は私などがドイツ語がわからないと数年にわたって悩んだ主な原因でもあった。
(注3)(es) のかっこ ( ) は主語 es を強調するためであって、他の意味はない。