物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

マンデルブローの死

2010-10-31 12:53:28 | 数学

数学者マンデルブローの死(2010.10.14死去)が報じられたのはいつだったろうか。

最近彼のobituaryが朝日新聞に出ていた。マンデルブローはフランス風の名前のような気がするが、ポーランド生まれだったと思う。もっともいまではアメリカの数学者といっていいであろう。

フラクタル幾何学という自己相似な図形の幾何学が彼の独創である。もういまではなくなった、広島県竹原市の広島大学理論物理学研究所で高安秀樹氏からフラクタルの話を聞いたことが私にははじめであった。

微分は普通は整数階の微分しかないが、このときに整数階でない微分のことを聞いた。誰でもオヤッと思うようなことなので誰か偉い先生、木村利栄さんか横山寛一さんかが質問した。

もっともその答えは別に驚くことではなかった。日本ではフラクタル理論は高安さんが一番熱心に解説をして彼がフラクタルを日本に定着させた。この講義の直後に高安さんはマデルブローのところへ2年ほど留学された。

20年くらい昔にはアメリカの情報科学のオリジンは大抵ヨーロッパ出身のアメリカの自然科学者によるといわれていた。

その源はどこにあるかということが一時注目を浴びたが、これは結局ヨーロッパ的な教養が役立っており、それをアメリカという土地で開花させたということだと解釈された。

だから情報科学では広い一般教養を身につけるべきではないかという議論があった。いまは議論がどうなっているかは知らない。

第三の波のアルビン・トフラーにしても、マンデルブローにしてもヨーロッパ出身だったと思う。

カオスのメイとかローレンツはアメリカ人だと思うが、バックミンスターフラーはどうであったろうか。

八角形の建築構造物を推奨した彼は私の子どものお気に入りの学者というか建築家であった。バックミンスターフラーは私の子どもが一時熱を上げていたが、一般にはフラクタルとかカオスほどは広がらなかった。

カオスの前はカタストロフィー理論がもてはやされ、それを広めたのは日本では早稲田大学に居られた野口広さんとか京都大学の山口昌哉さんであった。

山口さんはそのうちにカオスの普及にずいぶんと尽くされた。初期の頃に、このカオスの理論を山口先生の愛媛大学での集中講義で聞いた。

ところが、このカオスの何たるかが、山口さんの日本評論社から出ている、講義録を読んでもよくわからず、今年の5月に亡くなった技官のOさんと苦労した。

メイの一次元写像を自分たちでパソコンで点を描かせてみてやっとその意味がわかったのであった。

今ごろは私たちのやったようなことを描いた図が多くのカオスの入門書に出ている。そういう書は私たちが試行錯誤した頃には少なくとも日本語で書かれた本にはなかった。

(注) どこか別のブログでも書いたが、戸田盛和、渡辺慎介著「非線形力学」(共立出版)だったかにこのメイの一次元写像を図示したものが出ているのをその後見かけた。私たちと同じようなことを考えたのかなと思って心強かった。

ちなみに渡辺慎介さんにはお目にかかったことはないが、私の甥の先生である。


ある同級生の話

2010-10-30 14:20:39 | 日記・エッセイ・コラム

先日、小規模の高校の同期会があったということはこのブログでも書いたことだが、その中で世話人のK君の話が興味深かった。

それは3年前に徳島で同期会があったときに、このK君は同期のA君と徳島に行く電車で一緒になった。そのときに、これからはインターネットでのビジネスが大切になるとのヒントをA君からもらったらしい。

そして、その同期会から帰って新聞を見ていたら、楽天のインターネットビジネスの説明会が I 市であることが出ていた。それで彼の子息と社員の女性をつれて、その説明会に参加したという。それから帰って楽天のインターネットビジネスに参加するようになった。

彼は理容器具とか理容用品の販売が専門なのだが、その手始めに理容用品か何かをインターネット販売をはじめたという。ところが8千円くらいの定価のものを間違って1800円の定価をつけたら、注文が殺到した。その数は数万だったという。はじめは大赤字を覚悟でその商品を販売したが、それではたまらないということで楽天と相談の上で間違ったというお詫びのお知らせとお詫びの粗品とを送って定価を訂正した。

その後売り上げは順調に伸びて、彼の会社の売り上げの半分を超えて2/3に迫っているという話であった。その話の後で当のヒントを出したA君ともちょっと話したが、彼は当然だという感じで別に大したことを教えたという風でもなかった。

別の同期生によれば、ヒントを与えた方も方だが、それよりもそのヒントを直ぐに生かすことができたK君の賢さに感心していた。K君は人と人との出会いに感謝の念を強くしていると感じた。

私自身もK君の今度の同期会をするときの用意周到なことに感銘を受けた。そういう才能を彼がもっていることまったくいままで気がつかなかった。


県知事の候補

2010-10-29 13:09:02 | 国際・政治

現県知事が今月末に辞職することを表明しているので、知事選挙があることは確かなのだが、その知事候補の一人になると表明している方の後援会からポスター等が届いた。このポスター等で県知事候補になるとこの方が言明をしたわけではないので、事前運動ではないのだろうが、当惑している。

この人の人格を疑っているわけではなく、この方が候補として出るだけで知事として当選できる可能性がないと思っているからである。この人を私に推薦をしてきた人は私の長兄の友人で私もよく知っている人だけにむげに断るわけにも行かないのだが。

大体、選挙は大学に勤めていたときでも、学部長の選挙に出たい人から、応援を頼むといういうような暗々裏の要請を一度ならずも受けたことがあるが、いずれもお断りをしてきた。それはそういう任には私はまったく不適切だと自分で思ってきたからだ。それくらい選挙オンチの人に後援をお願いする組織とはどういう組織なのだろう。

個人として一票をこの人に入れてほしいと言われたら、それはいいですよとは言うかもしれないが、私は政治的にはまたったく無力である。

政治的に無力なだけではない。私の無力さは妻を説得することもできないくらいなのだから。いや、どうしたものか。困った、困った。


本の判定基準

2010-10-28 12:01:47 | 本と雑誌

ヒッポファミリクラブの出版物だった『フーリエの冒険』『量子力学の冒険』が復刊されるらしい。私は元の版をもっているので、復刊本を必要とはしないが、それでも復刊は結構なことだと思う。

だが、『量子力学の冒険』の方でいつだったか朝永の『量子力学』I (みすず書房)を読んでもう一つはっきりしなかったところをこの本でどのように書いてあるかを見てみたが、残念ながら私の疑問を解消するようには書かれていなかった。しかし、これは私の疑問なので普通の人には十分わかりやすく書かれていると思う。

複素解析(関数論)の本では新しく発行された本を書店で見たら、すぐに分岐点の定義と解析接続のところをどのように書いてあるかを見るが、両方とも私の満足できるような書き方をされたものはまだ見かけたことがない。

もっとも、分岐点の定義の方は私の『数学散歩』(国土社)で元愛媛大学教授だった安倍斉先生の定義(『応用関数論』(森北出版)にある。これと同じ定義がベルの『数学を作った人々』下巻(東京図書)にある)を紹介したので、解決済みだ。他では見たことがない。

しかし、解析接続の方は松田哲さんの『複素関数』(岩波書店)の解析接続の書き方が一番いいと思うが、もっと詳しく書いたものがほしい。

初等的な物理の本でいうと、交流回路の電流回路でコイルやキャパシタが入っているときに交流電源の電圧が正弦波で変化するときに電流の位相が遅れたり、進んだりするが、その説明をきちんと書いてあるかどうかがその本がいいかどうかの私なりの判定基準である。

もちろん、こんなことはとても細かなことだとは思うが、そういうことにも配慮が行き届いていることを私自身は複素解析とか物理の本の判定に使っている。

他の分野の本にもいろいろ私なりの判定基準をもっているのだと思うが、いま当面思いつくことはこんなことである。


無意識の作用

2010-10-27 13:37:54 | 日記・エッセイ・コラム

無意識の作用とは自分でまったく自覚していないのに、なんらかのアイディアを思いついたりすることをいう。

ところが意識してというか夢とか自分ではっきりと意識していないが、それでも無意識とはいえないような範囲があるような気がする。無意識と意識の間というようなところである。

無意識の作用についてのエピソードで有名なのはポアンカレの話であろう。

数学の問題を考えていて解けなかったのだが、どこかへ出かけようとして馬車のステップに足をかけたときにその問題が解けたとかいう話である。ここでいう数学の問題とは私たちが受験勉強とかで解く数学の問題ではないが、それに置き換えても話としてはよい。

数学者アダマールの書いた『発明の心理』(みすず書房)には、科学者のアンケートの中にアインシュタインへのアンケートがあった。その中で彼は思考は言語では考えていなくて、何らかのイメージみたいなものだという答えをしていた。

世の中には言語で思考をしているという風に信じている人もあるらしいが、言語で考えているという説にはアインシュタインではないが、だから私自身は懐疑的である。

言語になるとかになってくれば、それはかなり思考が固まってきたときで、そんなときはもうかなり煮つまってきているときだ。そんなはっきりとしたものではない時期がずっとあるのだと思う。

「芋虫数学」という言葉を使ったのは物理学者の山内恭彦であったが、これはアゲハチョウのように数学がきれいに出来上がる前には「芋虫のような醜い、というか洗練されていない、段階がある」のだという。

こういうことを知っている人は、やはり何事かに苦心したことのある人なのであろう。


微積分のコンテンツ

2010-10-26 11:30:32 | 数学

e-Learningの微積分のコンテンツをつくりはじめたと先日書いたが、べき関数、指数関数、対数関数、三角関数という個別の基本関数の微積分のコンテンツをほぼ書き終わったので、昨日からその一般論を書き始めた。ところが前に「電気電子工学科ミニマム」を書いたときにはすべて証明を省略していたが、今度はそうもいかないので、いくつかの公式の証明を入れることにした。

ところがこれが意外に面倒である。一番なじんでいる微積分のテクストは大学の教養時代に使った矢野健太郎著「微積分学」である。それで仕方なくこの本を脇においてコンテンツ(その4)をつくりはじめている。もともと「電気電子工学科ミニマム」に書いたところを書き換えているのであるからぶかっこうである。だが、文章をはじめから書くとこれは大変な作業になるので、それでも幾分かは作業の軽減になっているだろう。

もともとの原稿をWさんからメールで送ってもらったのだが、どうも変に文字化けしていたりして変わっているのでそれを復元しながらであるから、カタツムリのようにゆっくりしか進まない。だが、やるといった以上やるしかない。


同級生の死

2010-10-25 16:40:01 | 日記・エッセイ・コラム

昨日高校の同期生の小さな集まりがあり、そのときに同期生の数人の方々が亡くなったことを聞いた。

そのうちの二人は物理学者で、K君は京都大学理学部の出身で、物性論専攻であった。もう一人は厳密には同級生とは言えないかもしれないが、高校2年から松山東高校に転校したN君である。彼は大阪大学理学部の出身で原子核実験の専攻であった。

それぞれの人のその後の詳しい経歴を存じ上げていないが、K君の方は中学校以来の同期生でもあり、実際にクラスが中学と高校で一緒になったことも何度かある。

N君の方はクラスまで一緒になったことはなかったが、どうしてだか知っていた。多分生徒会で委員を私と一緒にした別のN君が小学校以来の彼の親友だったから、彼から話を聞いたのだろう。

このN君(もちろん物理学者の)のお母さんと私の母とが女学校の同級生だったので母が同窓会から帰っての話として彼の様子を聞く機会もあった。このN君のお父さんも物理学者で京都大学で力学演習などを担当されていたらしい。ゴールドスタインの古典力学の初版の訳者の一人であった。

N君の方は何で亡くなったか聞かなかった。N君は今治の沖にある大島という島の出身であったが、それは彼のお父さんが肺結核を療養するために故郷の島に帰ったからであろう。

N君は高校一年のときにランスロット・ホグベンの「百万人の数学」(筑摩書房)を自分で読んでいて、放課後に数学の先生にわからないところを聞き行くのをときどき見かけた。

K君は定年退職後、住んでいる、奈良路を歩き巡っていると聞いていたので、健康に恵まれているのではないかと思っていたが、ガンで亡くなったらしくそれなら仕方がないのかもしれない。

K君は誰でも認める秀才であった。なんでだったかいきさつは覚えていないが、英語の時間に英語の先生が彼にどうやってビールをつくるかと尋ねたら、それに即答したので英語の先生の方がびっくりしたということがあった。

数学の時間でも数学の先生がうっかり間違えたようなことでもちゃんとその指摘をしたりしていた。それでも彼は別に自分の知を開けかすようなところがなく、誰にでも好かれていたと思う。

K君とは彼の亡くなる前に3年前と1年前の2回、同期会で一緒になったが、1年前のときに少し立ち入って話をしたのが最後となった。髪が真っ白になり、どうも元気がないような気がしたが、本来落ち着いた人なのでまさかそのときが最後の出会いになるとは予想していなかった。残念である。


ゴルフコンペ前夜祭

2010-10-24 13:20:47 | 日記・エッセイ・コラム

ゴルフコンペ前夜祭という名目で10月に高校の同期生有志が集まるから出席をしてくれと高校の同級生のK君が自宅に電話してきたのはいつだったろうか。多分3月か4月のことだった。半年後に前夜祭をするから参加してくれと依頼と合せて来年の高校の同期会の世話の一人として働いてくれないかとのことだった。

私はゴルフはまったくしないので、ゴルフコンペはそのものはお門違いもはなはだしいが、前夜祭ということで旧交をみんなで暖めようということらしい。

およそ20年前に松山での同期会の世話をしたW君は私たちの出身高校の松山の同窓会の事務局長もしているので、今回は私とM1君に主になってやってほしいという。また、もう一人のM2君はあるテレビ会社の専務をしたようなえらい人なので、同期会の挨拶とかいったようなことを頼んだらいいという。

まあ、こういう世話役は仕事が大変だから、代わりあって世話役を務める必要があるだろう。昨夜はそれとは別だが、高校の同窓会の松山支部の総会があったので、久しぶりに松山在住の同期生たちと出会った。だから昨夜に今夜も続いて同期会がある。

昨夜の同窓会の総会でM2君から、お前を世話人に推薦しておいたとの話があった。どうもいまの I 市での同期の世話役のK君とこのM2君とは懇意らしい。


矢野健太郎の『代数入門』

2010-10-23 11:53:35 | 数学

岩波全書に矢野健太郎氏の『代数入門』がある。

現在は出版はされていないようだが、以前に購入してもっている。あるサイトでこの書が名著だという風に書いてあったので、どこが名著なのでしょうかとコメントした。

今朝、私には珍しく7時半頃に眼を覚ましたので書棚を整理していたら、この書が目についたので開けてみたら、平方根の近似値の求め方の説明があった。

平方根の近似値の計算法は中学校の数学で教わった。その求め方がどういう考えにもとづいているのかは知らなかったが、その説明もこの本にあった。他の本にもこのような平方根の近似値の筆算での計算法の意味を書いているのかもしれないが、私は読んだことがない。

そういう意味では名著といってもいいのかもしれない。

この本の他の箇所で特徴があるようには以前は思えなかったが、いま見てみると数の計算の法則、結合法則、交換法則、分配法則をブロック図で表してあり、私の考えている図とは違ったが、それにしても図示することを試みているという点で先駆的であるかもしれない。

私の考えている数の計算法則は加法に関してはいわゆるテープ図を使うというものであり、乗法に関しては面積図または体積図を使うというものである。

こういう私の考えに近い、数または代数の計算法則の図的表現をした書籍には『大道を行く高校数学』 代数・幾何編 (現代数学社)とか武藤徹先生のシリーズ『数学読本』 代数学・幾何学(三省堂)がある。

近いうちに数の計算法則を図的に表すことを述べた、エッセイを書きたいと思っている。

(2013.5.31付記) 数の計算の法則「結合法則、交換法則、分配法則を図で示す」というエッセイはすでに書いてもいいはずであるのに、まだ書いていない。

事実はよく知られたことで、ことさら書くほどのことでもないのは確かだが、それでも教育的見地からは書いた方がいいのだろう。 図を描くのが面倒だというのがそのエッセイを書くことが遅れている原因である。

(2020.5.5付記) 矢野健太郎さんはよく知られた微分幾何学者であった。またエッセイの著者としてもよく知られていた。この矢野さんのことを覚えておられる方もいまではすくなくなっているのであろう。

すくなくとも私の世代に者には近しい感じを抱かせる数学者の一人であった。

森永覚太郎先生

2010-10-22 12:01:21 | 数学

昨日のブログで森永先生の親戚の学生さんからコメントを頂いたので、森永先生の思い出を書いておこう。

森永先生の解析幾何学の講義を聞いたのはもう50年も前の1960年のことである。

解析幾何学とはいうが、内容は射影幾何学や固有ベクトルとか、またあまり日本語で書かれた本のない内容だった。誰かが困って先生に講義の内容を書いた本がないのかと尋ねたらしいが、あまりないとのことだった。

特に後期になってある友人が先生に尋ねたら、それはNull Systemという分野なのだといわれた。その内容を書いた日本語のテキストがあるかどうか尋ねたらそんなテキストはないだろうとのことだったという。

森永先生の講義は丁寧なもので、前回の講義内容を30分くらい毎回復習をしてくださるのだが、ほとんどわからなかった。

固有ベクトルの説明では「こんな感じがするでしょう」と言われたが、前にも書いたようにそういう言い方は数学の講義では初めて聞いたので、どうも森永先生の数学が頼りのないもののようにそのときは思われてしかたがなかった。

しかし、そう感じたのは私の方が悪かったので、数学といえども感覚が大切なのは当然であった。しかし、学生のころはそういう感覚にまったく考えが及ばなかった。

森永先生は冬の朝片手をポケットにつっこんだまま講義をされていた。そのことに私たちは気がつかなったが、ある寒い冬の朝の講義で先生が原爆に被爆されて、冬に手が痛むのでしかたなくその痛みを和らげるためにポケットに片手を入れて講義をしているのだと告白されて、やっと先生が原爆を被爆されたということを知った。

講義ノートとかはまったく持ってこられず、チョークと出席簿はもってこられたかと思うが、出席をとられたことはなかったと思う。それでもするすると講義をされて、よどむことはなかった。数学者は記憶力も優れていないとできないものだと思わされた。

森永先生といえば、一時注目された波動幾何学の一番重要な研究者の一人であった。これは大学院の数理物理学の講義で担当の竹野兵一郎先生が彼の精勤ぶりを驚嘆しておられた。

もっとも森永先生ともう一人の重要な研究者の柴田先生はこの波動幾何学の研究でずいぶん無理をされたので、このときに相ついで病気になられた。だから、ほとんど睡眠時間もとられないで研究に精励されることについては竹野先生はむしろ否定的であられたと思うが、その当時の波動幾何学一派の研究者グループの精勤振りの一端が窺われる。

戦後、そういう業績のせいもあったのだろうか、森永先生はプリンストンの高級研究所に招聘されたとは大分後になって小林稔先生(京都大学)から聞いた。同じ時期に小林先生もプリンストンに滞在しておられたらしい。

その後、一時のことだが、波動幾何学の成果を素粒子論研究者が見直してみようということで、竹原市にあった、広島大学理論物理学研究所で研究会を開いたことがあった。その前日にも理学部の宿直室で職員の人と碁を打っておられ、つぎの日には何も持たないで波動幾何学の講義をされたと、私の先生の一人のSさんから大分後になって聞いた。Sさんも「数学者は記憶力もよくないといけないのだね」と言われていた。

波動幾何学が何かはよくは知らないが、Minkowski空間での線素ds^{2}を線形化して、dsから出発するというようなアイディアであるらしい。そのアイディアのもとは波動力学へと導いたような発見のアナロジーとか、および、シュレディンガー方程式からディラック方程式が出てくるのと似たようなアナロジーに基づいた推論によっていたと思う。

これらのアイディアの主な部分は三村剛昂先生によるのだと聞く。だが、その展開は当時の広島文理大学にいた数学者と物理学者の共同研究によっていた。この波動幾何学は自然現象の実験的事実との乖離が大きく、物理学としては成功しなかった。

波動幾何学をあの波動力学という名の量子力学を創ったことで有名なシュレディンガーは「額縁があって絵がない」と評したというが、それはともかく広島島文理科大学(現在の広島大学)に世界で第4番目の理論物理学研究所ができた。この研究所は現在京都大学の基礎物理学研究所と統合されて、その一部となっている。

また、これも前に書いたが、このころに岡潔先生がフランスからの帰朝後、広島文理大学の数学の先生として勤めておられ、波動幾何学の進展ぶりに対抗心を燃やしておられたという。そのせいかどうか、岡先生が多変数関数論の偉大な業績の初期の論文のいくつかを発表されたのもこの時期である。

岡先生の詳しい伝記がこのごろ出版されているが、多変数複素関数論は波動幾何学との関連はないので、このことにはまったく言及されていないと思う。しかし、こういう心理的な動機もあったらしい。岡先生の場合は名誉心で学問研究をするというような人物ではまったくないが、それでもそういう動機も見逃すことはできない。



肺の検診

2010-10-21 21:19:17 | 健康・病気

6ヶ月後の肺のCT撮影が今日あった。CTスキャンそのものは数分で終わったが、内科の先生の診察が16時20分前くらいになった。それで、2時間半ほど待たねばならなかった。前の2回と肺の影は大きさは変わらず、また6ヶ月後の検診となった。

多分、肺がんではなかろうと医師は言っている。だが、私の母が肺がんで亡くなり、それもはじめの数回の検査で影の大きさが変わらなかったので、検診を怠っていたら、肺の影が大きくなっていて、手遅れ状態になっていたといういきさつがあるので、油断はできない。

つぎの6ヶ月検診のつぎはようやく10ヶ月検診に移行するらしい。CTの被曝の方が影響が大きいかもしれぬが、まあ仕方がなかろう。リスク・ベネフィット論でいう、ある程度のベネフィットがあるのだから。

それで、昨日ドイツ語の要約をつくるのに十分時間をとれなかったので、その検診の後に仕事場に来て昨日の続きの作業をしたが、時間不足で出来上がらなかった。来週までに作成しておこう。

今日はがんセンターの駐車場が空いていた。どうしたことだろうか。天気が悪いせいだろうかと妻に言ったら、がんセンターはそのほとんどが予約なので予約が少ないのだろうと言われた。そうかもしれない。がんセンターに行くのはやはり一般には重症の人だと思うので、現在の私の状態だとその人たちにはすまないぐらいである。


e-learningの作成再開

2010-10-20 11:31:50 | 数学

先日ブログに「ピンクのシャツ」というのを書いたら、アクセス数がいつもより少し多かった。そういう意味では気楽に書いたら、アクセス数は増えるのだが、ここは私の個人のブログなのでいつも、いつもそういう気楽な話を書けない。一言お断りをしておく。

昨日から微積分のe-Learningのコンテンツの作成を再開した。「微積分ミニマム」と題したコンテンツである。これのいま「その1からその4」までの草稿を用意している。その1と2は演習問題およびその解答も含めて一応書き上げたが、いまその3に取り掛かっている。これは三角関数の微積分である。

「問」の解答をつけたのを以前につくってあったのだが、まだ演習問題が欠けている。それに参考文献をつけておいたのだが、ところがこの文献がどの箇所に関係しているのか記載がされていなかった。

それで、本文をよく読んで必要な参考文献を補充したり、該当箇所に註を入れたりしはじめている。ところがこの作業が意外に難航しているのである。自分の書いた文章なのに時間が経つとどこに、なんためにどの参考文献をいれようと思っていたのか、なかなか思い出せないのである。

昨日は「平方根の近似値1」の図をpicture環境で苦心して入力をした。この図は意に満たないが、このエッセイの一応の完成である。

今朝、妻が出かけるときに「平方根の近似値1の原稿を読んで見てくれないか」と尋ねたが、迷惑そうな顔をされた。


個人的な数学の体系

2010-10-19 11:35:26 | 数学

日本の社会では数学を教えるのも受験と大きく関わりあっている。

それで昔から考え方の藤森良蔵、良夫親子の大学受験参考書(昔は旧制高校の受験)とか秋山武太郎の数学の叢書とかが有名である。私もそれらの全部ではないがあるものは集めてもっている。

私の年代だとチャート式数学とかいうものがあったが、私自身はこのチャート式を買ったことがない。しかし、これは有名であったので何度か覗いて見たことがある。

今もっているのは「チャート式物理」でこれは数学者の友人のNさんから勧められてインターネットで購入したものである。

受験から外れると志賀浩二先生の数学のシリーズがあるが、そのうちの岩波書店発行の「数学の生まれる物語」「数学が育っていく物語」はもっている。

しかし、朝倉書店から出されている志賀先生のシリーズは1冊ももっていない。その代わりというわけではないが、松坂和夫さんの「数学入門」「解析入門」(いずれも岩波書店)はもっている。

もっていても通読をするということはないが、いつも辞書代わりに使っている。知らないことが出てくると索引を調べて説明があれば、読む。

これと同じようなシリーズを遠山啓さんが書いている。これは数の広場シリーズで、幼稚園から高校程度くらいまでである。これも辞書代わりに使っている。これはホルプから出ていた。いまは絶版で古本市場でぐらいしか手に入らない。

その他に最近だと秋山仁さんのいくつかのシリーズがあるが、これはかなり広範になりすぎてとてもではないが、集め切れない。

それにあるシリーズはもう絶版で、どうしてだかとても値段が高く2万円くらいするものもある。その他のものでも5000円から8000円もするのがある。その駿台文庫に入っているもの以外はそれほど高くはない。

私の知らないものがこれ以外にもあるかと思うが、これらは個人的な数学の体系をつくっていると思う。

(2024.5.8付記)
遠山さんの「数学の広場」シリーズは日本図書出版会だったかによって、再版されたし、秋山仁さんの発見的推論的受験書のシリーズは森北出版から出版されて、いまでは法外な値段の古本を探す必要はなくなっている。

遠山さんの「数学の広場」シリーズは買い集めるとかなり高価になるが、秋山仁さんのシリーズは全部を買い集めても2万円もかからなかったと思う。もっとも利用価値は特別な人にしかないかもしれないが。

e-Learningの感想

2010-10-18 11:01:37 | 数学

e-Learningのコンテンツをつくって、10人くらいの人に送ったが、どこがよかったとか、どこはもう一つすっきりしないとかいうようなメールをもらったことがない。これはもちろん閲読者になってもらった3人の方を除いてである。

まったく感心しなかったということでも、便りをくれないよりはましである。大部なコンテンツなのですぐに返事をもらいたいとは思っていないが、送りっぱなしである。普通に自分が実践的に教育を行っているのならば、ここはちょっと自分は採用できないなとか、または、ここは自分の知らなかったことなのでこれからの自分の実践に取り入れたいとか言ってきてもよさそうなのだが、そういうことをメールする時間はないらしい。

そこらが皆さん忙しいことはわかるが、なんとかならないものだろうか。もっとも送ってほしくもないのに私が押し売り気味で送ったのだから仕方がないのかもしれない。

「コンテンツをつくる、つくる」と私が言い出してからでもほぼ5年を経過している。たった257ページのコンテンツでもそれだけの時間はかかっている。だが、人々には感情がないというのか気持ちが凍っているのではないかと思われる。そしてある人たちにはコンテンツの内容は初めて見ることもあったかもしれないし、ある人たちにはもううんざりするくらいご存知のことばかりだったかもしれない。

そこらあたりをいってほしいと 思っているのだが、ピンと来るような返事を頂いた方は少ない。日本人は人をほめない。これは私も含めてなので、この批評は私自身に返ってくるのだが、どうも意気喪失すること甚だしい。

そうはいっても私などはある意味では自信過剰であって、人からほめられようとけなされようとだからといってへこむ方ではない。多分私と同じような考えや感覚をもっている方が少ないのだろうと思っている。それはある意味の個性というか独自性なので、それを失いたくはない。

話は違うが、3人の閲読者の方の注文にはできるだけ応えようと改訂と補筆の作業をした。それが十分に閲読者の意を満たしたものであったかはわからないが、現在の時点で自分のできることはした。その分ごちゃごちゃして読みにくくなったかもしれないのだが。


愛媛オペラLa boheme

2010-10-17 18:21:12 | 音楽

2010年愛媛オペラを県民文化会館で見てきた。La bohemeという題のプッチーニのオペラであった。知人がソリストではないが、出演するというので2枚のチケットを購入して最前列で妻と二人で見た。これは原語のイタリア語で上演されたが、その訳が舞台脇の電光板に出た。

あまりイタリア語を知っているわけではない。歌の声量とか音のきれいさとかオーケストラのよさぐらいが素人としては評価されるのではないかと感じた。二人の主役の女性はいずれも松山市出身であり、オーケストラの指揮者は八幡浜の出身である。斎田正子さんは9月の市民コンサートでその声を聞いたばかりであった。

ミミを演じた森三記さんははじめてだったが、美人で背の高い人であった。悲劇のヒロインであるが、なかなか声もよく申し分のない主演であった。

素人の私は音楽はわからないのだが、オーケストラの音楽もよかったと思う。ただ、チケット代が5000円と高い。はじめは6000円だったが、県の文化振興財団が1000円補助をしてくれたので5000円でチケットを購入できたのはラッキーだった。

指揮者の菊池さんはプログラムの写真を見たときには私より若いのかと思ったが、1961年に東京芸大を卒業しているのでほぼ私と同年齢である。菊池さんの方が1歳か2歳上かもしれない。

愛媛で上演するオペラだから、程度が低いということはないと思われた。最後の挨拶には出演者と手をつないで県知事を退任する加戸知事も出てこられた。彼の最後を飾る花道になったことだろう。

(2011.5.5付記) la bohemeとは「気ままに生きる作家・芸術家たち」という意味だそうであり、これは集合名詞である。また、bohemi'en とはボヘミア人の意味である。

bohemi'en の発音はボエミアンで、「ヘ」という音は入らない。h 《アッシュ:フランス語のエイチはアッシュと発音する》はフランス語では無音である。たとえばフランス人は広島はイロシマと発音する。

ちなみにbohemiaは今のチェコあたりを指す。ところで、bohem'ien はロマを実質的には意味するという。ロマとは昔はジプシーという語で言われていたが、今ではこれは差別語ということでロマという。