物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

柳瀬正夢

2011-10-31 13:02:32 | アート・文化

昨日の午後、妻と二人で「柳瀬正夢作品を語る集い」という集まりに県の美術館に出かけた。これは妻に聞いてみると年金者組合で一緒になった人から、いくつかの集会への参加を要請されたので、そのうちの一つの一番文化的と思われる集まりに来ることにしたという。

それでずっと以前だが、世話人に夫婦で参加するとメールをしてくれと妻に頼まれでメールをした。

柳瀬正夢は無産運動に関係していたらしく、愛媛県の美術館にその作品の大部分が収蔵されるまでになかなか紆余曲折があったとか聞いたが、世話人からもその辺はあえて詳しくは触れられなかった。だが、愛媛県のような保守的な県ではなかなかその遺作を購入するということも予算の計上段階でお偉方の認可がなかなか下りなかったのであろう。

芸術派その人がどういう政治思想であるかとは無関係のことのように思うが、それが県レベルの政治では大いに影響を与えていることは十分にあり得ることである。

柳瀬の母方の実家の白石家は今治市の波止浜だというので、今治市出身の私はなんだか縁ができたようにも感じた。講演をした甲斐さんの声がよく聞こえなかったのだが、お父さんももともと今治の出身であるように聞いた。松山に出てきてそれでもうまくいかずに正夢が中学生のなる前に北九州市(昔の門司)に移ったらしい。

それで、正夢は門司の出身ということになるが、松山は幼少時を過ごしたところということらしい。演劇人で、松山出身の丸山正夫との接点もあるとか聞いたが、定かではない。

北九州で柳瀬の展覧会が開かれるらしい。


同窓会疲れ

2011-10-29 16:50:33 | 日記・エッセイ・コラム

23日の同窓会のために自分自身の普段の生活を取りもどすことがなかなかできない。気苦労があったというよりも、その後遺症でなかなかアカデミックな方への頭の切り替えができないのだ。

これは私などはいつも一人で閑居して自分の好きなことをしているのだが、それがこの同窓会をするという行事でその日常が揺らいでしまったのである。そのうちに元にもどるとは思うが、なかなかもどらない。

一つには同窓会に出席を予定していながら、急用が入って欠席した人への会費の払い戻し等の事務がしばらく終わらないからでもある。まだ3人の方からどの口座に払い込んだらいいのかの連絡をもらっていない。そうするとなかなか清算することができない。

会は会費等の清算が終わってようやく終わりになる。そういう意味ではまだ私の体の中では同窓会は終わっていない。

これはこういう会の世話をしてみたことのない人には理解ができないことであろう。それとも気持ちの切り替えが私は特に悪いのであろうか。そうかもしれない。それでもようやく普通のモードにもどりつつある。

私の生活がどんなであるかに、関心をもってくれた友人もいたが、それに対して答えるのは難しかった。2年前の同窓会のときにも2次会である方に問われて数学エッセイみたいなことを書いているというと「?」という顔をされたので、今回はそのことについては用心して触れないようにした。

だから、私が日常的に何をしているのかわからなかっただろう。午前中に、毎日ブログを書いてとかはいったが、それからのところをごまかしておいた。

T 市からきた、A さんは数年前にガンにかかったと話をしてくれたが、それによって人生の考え方が大いに変ったと言われていた。そしていま、英語の勉強と野菜作りに励んでいるとのことだった。23日も朝早く起きて野菜の収穫をされてこられたと言っておられた。

それで、「それはそれでいいけれど、少しボランティア活動をされたら、どうですか」と言ってみたが、彼女はどうされるであろうか。私自身は無料塾の手助けをしていることを伝えた。

Nobless obligeという語がフランス語にあるが、彼女のような賢くてエリート階級的な人にはもってほしい考えである。彼女は懇親会の席上では和服を着て出席をし、2次会のときには赤のワンピースを着ていたことに記念写真をみてようやく気づいた。女性の変身はすばやい。


ドイツ語で大切なことは

2011-10-28 11:09:12 | 外国語

昨日のドイツ語のクラスで、 I  さんの書いたドイツ文の修正箇所が議論された。そのときにあまりに修正箇所が多いので、I  さんはショックを受けたような感じがした(私の受けた印象だから本当はまったくちがっているかもしれない)。

だが、本当に修正箇所で I  さんが気にしなくてはいけないところはほんの2,3箇所であり、残りはドイツ語を母語にしていない私たちにとっては仕方がない誤りであり、気にする必要がない。

最近のドイツ語の教え方はあまり語の変化には厳しくない。というのは日本人のドイツ語の先生でも語形変化を正しく使って話すことのできる人は少ないからである。また、ドイツ語のよくできる人はそれだけ誤りをいままでにたくさんして、恥をかいてきたにすぎない。

だから、いろいろな名詞の格変化や形容詞の語尾変化を学生に対して試験に出したりする日本人の先生でも、じゃあ、ちゃんと正しく話せているかといえば大抵間違いをしている。これは時間をかけて長い間に少しずつ正しい語形変化ができるようにするしかないということであって、私たちが間違うのは当然である。

ドイツ語の語形変化についてはもちろん正しく使えればいいが、正しくなくてもそれほど気にする必要がない。もちろん、直してもらったときから、機会があれば正しく使えるように注意する必要はあるが、それでもミスはなかなか直らない。だから語形変化は正しく使って話ができるかどうかはあまり気に病むことはない。

むしろ気にかけるべきことは動詞の位置なのである。動詞の位置は文の統語法についての文法事項に属しており、時代によって名詞や形容詞の語形や語尾変化の仕方が変っても、この動詞の位置は変らない。

もっとも文型が変ってきて、副文章で言っていた表現が二つの主文で表現されるというような変化は、時代と共にあるようである。たとえば、Ich glaube, dass er Artzt ist.と言っていたのをIch glaube, er ist  Artzt.というような言い方をすることが最近は好まれているらしい。

上に挙げた例文の Ich glaube, (dass) er Artzt (ist).ではdass以下の文章は副文章になっており、定動詞は後置となっている。この副文ではdassと定動詞の istで枠がつくられている。(dass) と(ist)につけたかっこは文のカッコを強調するためである。

ところが第2の例文ではIch glaube, er ist  Artzt.とコンマの後にはつぎの主文の主語  er (彼は)が来ており、そのつぎに定動詞 ist が来ている。

「副文章では定動詞(主語の人称に応じて変化している動詞)は副文章の最後に来る」のは詩などを除いて鉄則である。ローレライの詩でその鉄則に従わないのがあるが、詩では韻を踏むためにこの副文の鉄則ですら、変えられることがある。

ところで、ドイツ語の「文のかっこ (Satzklammer)」(枠構造(Rahmenbau)ともいう)というこの特徴を別の文で説明すれば、例えば

Dieses Geb"aude (wurde) 18. Jahrhudert (gebaut). (この建物は18世紀に建てられた)などいうときに顕著に現れるように定動詞wurdeは文の要素の2番目の位置にあるが、過去分詞gebautは文末に来て、wurde・・・gebautと二つの動詞成分で枠がつくられている。これは現在完了のときや話法の助動詞の構文でも同じである。

英語ならば、

This building was built in 18 century. とwas builtとが密接にくっついているが、ドイツ語では密接なものほど文末と定動詞第2位とに分かれて離れるという傾向がある。

これらの少数のドイツ語の特徴をしっかりつかんでいれば、後の語形変化の間違いはドイツ語を母語としない私たちがまちがえるのは当然なのであり、その間違いの数がいくら多くても気にする必要はまったくない。


「この数学書がおもしろい」を読む

2011-10-27 12:44:39 | 数学

先日、E大学の生協書籍部に行ったら、「この数学書がおもしろい」(数学書房)があったので買って帰った。次の日に斜め読みをしたのだが、私にわかったのはどうもこの書に推薦されているような書をほとんど読んだことがないということであった。

数学者の読むであろう書をほとんど読んでいないのは当然としても物理学者として私が存じ上げている方々の読んだという書もほとんど読んだことがないとはさびしい限りである。もちろん「ほとんど」ということであって、「まったく」読んだことがないということではないが。

それにしても私は若いときに何をしていたのであろうと不思議になる。もともと私があまり読書家ではないとしても。ベルの「数学をつくった人びと」(東京図書)にしてもそれを通読したことはない。もちろん、いくつかの部分を拾い読みをしてはいる。

そして、ベルが複素関数の分岐点の定義について「一般の多価関数において、ある特殊な点においてこの多価性が成り立たない点があり、この点が関数の分岐点である」(この文はこの通りではもちろんないが)というようなことを書いてあることを知った。

しかし、これは普通の読み方ではなく、目的をもってこの本の一部を読んだということである。だから読んだとは言えないであろう。

学生のころ、私の先生の一人のSさんが量子力学の本を1冊ではなく、数冊を拾い読みして身につけたとか聞いたが、それをもっと悪くしたような勉強の仕方しかしてこなかった。

だから、こういう数冊の数学書をじっくりと読んだ人の書いたものを読むと「なんと私は粗雑で散漫なことよ」といまさらながら、恥ずかしくなってしまう。

ということでこの書は私にはあまり心地のよい書ではなかったが、他の方々がどのような書を読んでいるかが(もちろん限られた方々ではある)わかった。が、もうこれは私にはあまりに遅すぎたようである。


再びS君のこと

2011-10-26 12:48:17 | 日記・エッセイ・コラム

2年ぶりにS君に会った。これは10月23日の同窓会に彼も出席していたからだが、私は同窓会の司会進行をしていたので、親しく話をしたのは2次会であった。

彼はシナリオライターでもあり、劇団を主宰している。昨日インターネットで検索したら、たくさん出ていた。もっとも彼がつくったサイトというよりも彼のシンパというか協力者がつくったり、彼を評価したサイトだった。

彼は中学・高校の頃は映画に夢中であり、彼の父君( I 市の著名な外科医)が医師であるのとはまったく違って、医学には関心はあまりなかったと思う。一番私が彼と親しくしていた頃は中学時代であり、高校でも中学ほどではなかったが、親しくしていたと思う。

その彼ははじめ映画監督を目指したが、そのうちに出版に携わるようになった。あるときその事業を誰かに譲り、演劇に没入するようになったと聞いた。

これは出版社をやっていたときに詩人で劇作家・演出家の寺山修司と親しくなったからかもしれないが、彼からそのいきさつは聞いたことはない。

遊行舎とかいう、劇団を主宰しているらしい。が、いまはともかく以前は赤字続きだったらしい。それを彼個人がその負債を営々と支払い続けていたとはインタネットで昨日読んだところである。

彼は誰かの質問に答えて、「もし中小企業だったら、一家心中ものだった」と答えていたらしい。だが、彼は演劇は自分の求めている、最後の表現の仕方とでも思っているらしく、それをどうにか切り抜けてきたらしい。強靭な精神である。

2年前にあったときよりも、今回の方が自信に満ちているように思われたのは私が彼の親友としてのひいきであろうか。多分そうではあるまい。彼自身の中の充実感が2年前と比べても格段に上がったのだと思う。

この古い友人のS君の一層の活躍を祈っている。

ちなみに、彼はすでに発行された、寺山修司の著作集の3人の編集人の一人である。またさらに、彼の全集の発行を計画しているということである。


白熱教室Japan

2011-10-25 12:55:16 | テレビ番組

マイケル・サンデルのHarvard大学の白熱教室が評判になったので、その擬似番組がNHKでされている。ところがサンデルの白熱教室になかなか負けず劣らずの講義らしいのだがあまり見たことがなかった。

先週の土曜の深夜にその一つを見た。これは日本と欧米の考え方の違いを考える講義だった。

途中で見たので、十分理解ができなかったが、4回の講義の3回目だということがわかった。それと外国から来た留学生も聞いているという講義らしい。

「安全と安心」とは違うが、その違いを示すような例を学生に挙げさせるということをしていたが、的確な例は出てこなかった。先生は将来おこりそうなことをつぎのような例として挙げた。

それは生まれたときに体のどこかにICのチップを埋め込んで、その人がどこにいるかをGPSで常に監視するというシステムをつくる。そのときには犯罪はなくなるかもしれないが、それを安心と人は感じるだろうかと言われていた。

もっとも如何に監視されていても人は犯罪を犯すものだし、GPSでそんな莫大な費用をかけてやることが利益にあっているかはわからないから、これはあくまで仮想的な例であろう。

もっとも仮想的というと英語ではvirtuallyという語で表すだろうが、これは日本語に直すと実質的にと訳すのがいいらしいので、仮想的という日本語での感じと英語の意味とは隔たりがあるようである。

「もの」と「こと」とのどちらを重視するかというような議論もされていた。日本人は「こと」を重視するという傾向があるのにたいし、欧米人は「もの」を重視する傾向にあるとか。

「信用」と「信頼」との違いとかopinionを「もつこと」とその「善し悪し」のどちらを気にするかということも学生に聞いていた。

debatのルールも話されていたが、そのルールはよく了解ができなかった。これは説明が悪いのではなく私が了解できなかっただけである。Agree with disagreeとか言われていた。意見の違いを認めると言うことであるらしい。

だから、日本では論争をすると感情のしこりが残ったりするが、そういうことはないのだと言われていた。

普通の日本人としてはっとさせられるような事柄であった。皆様にはどうでしょうか。

(2011.10.26付記) 

欧米の人の3つのモットーがあると、この講義で言われていた。

1)  Be fair

2)  Be patient

3)  Be calm  (do not be panic) 

の3つである。ところでこのBe fairというのがよくわからなかった。アメリカにはスーパーマーケット等でエクスプレスゾーンというのがあって、3,4品を購入する人には多くの品を購入する人たちとは別の支払いカウンターがあり、すばやく買い物を済ませるということだった。

これをたとえば、一つのfairの例としていたように聞こえたが、日本ではこういう支払いカウンターは根付かないとのことであった。fairということに対する感覚の大きな違いがあるようである。

私個人はエクスプレスゾーンというのはいいアイディアだと思うが、やはり日本ではそういう考えは馴染まないらしい。fairという概念を私は「ある種の合理性だ」ととったのだが、違っているかもしれない。この考えをよく理解している人のコメントを待ちたい。


同窓会終わる

2011-10-24 14:36:51 | 日記・エッセイ・コラム

高校の同窓会を昨夜終えた。最後の最後まで参加人数が変化して、当日の朝になって急病のため出席できないという電話がかかってきたりした。

これは19年前に幹事をした、W君から「当日まで出席の変更があるよ」と聞いていたので、びっくりはしなかったが、それでも疲れた。15時30分にホテルのラウンジで待っていたが、誰も来ないと思っていたら、4階の会場の前の一角で他の幹事と世話役が集まっていた。

Mさんが呼びに来てくれてわかった。受付は同期生で松山在住の6人ぐらいの方がやってくれた。それで、私は受付の仕事にはほとんどたずさわらなかった。

18時30分に会を始めるので、その前に写真を撮ることにしていたが、その通知をしていなかったので、出席者がいつ集まるかが問題だったが、18時15分頃に最後の一人がやってきてくれた、ときには女性たちが抱き合って喜んでいた。

それで、写真撮影も時間通り終わり、懇親会が時間よりの3分くらい前に始められた。開会のあいさつを頼んだF君はなかなかスピーチがうまく感心をしてしまった。

私は今日はサービス係に徹するといって、ワインの瓶をもって各テーブルを回ったが、短い時間ではすべてのテーブルに行くことはできなかった。日本酒とワインのどちらかを選ぶというところで、私の好みでワインにしたが、女性も含めてワインを飲んでいる人が多くて、ワインを選んだのは当たりであった。

意外だったのは次回の同窓会を I 市か東京かという問いに出席者の過半数以上が東京へ行くと答えたことであった。東京地区の幹事のA君はその総意を無視できず2013年は東京で同窓会をするというあいさつをせざる得なかった。

2次会でT市在住のAさんから、人生20年説を期せずして実行されているという印象的な話を伺ったがそれはいつかの機会に述べることにしよう。

今朝はホテルのダインニングルームでバイキング形式の朝食をとったが、14階のこのダイニングルームの眼前に松山城の城山を眺め、そのふもとにある、優美な万翠荘を眺めた。この万翠荘と城山の緑がとても美しかった。遠くには瀬戸風峠を望み、西の端には通称「中村城」も眺められる絶好の場所をしばし楽しんだ。

松山の観光地としての価値はこの辺にあるのだと思われる。城山のどっしりした緑の木々は何ものにも代え難いといまさらながら感じた。何十年も松山に住んでいながら、松山の魅力を十分にわかっていなかった。


数学・物理通信への投稿

2011-10-22 13:37:49 | 物理学

世の中には数学嫌いの人も多いのだが、ミニ・サーキュラー「数学・物理通信」は投稿が絶えない。いまも二人の方からすでに原稿を頂いている。

私も一編「四元数の発見へ」という原稿をほとんど完成しているし、また共同編集人である数学者のNさんも14,5ページの論文を投稿すると言っている。それにまだ原稿を頂いてはいないが、もうこの人なしでは数学・物理通信は考えられない感じのN先生からの投稿も予想される。

そうすると、今年の12月に10号を発行して今年を締めくくり、第1巻を閉じようと思っていたが、12月に10号、11号を発行しなければならない可能性が大きい。これはこのようなミニ・サキュラーの編集人としてはとても嬉しいことである。

11号で一巻を終えることはちょっと気が引けたので、共同編集者のNさんと相談した。しかし、原稿の積み残しをできるだけしないという方針で編集をしているので、今年で1巻を終えるのがよいとのNさんのご意見であった。ちょっと不恰好ではあるが、11号で第1巻がようやく完結するということになろう。来年の3月から新しい第2巻が発行されるという予定である。

冊子として印刷された形で読みたいという希望もときどき聞く。それはそれで無理からぬご希望だとは思うが、PDF文書としてつくったものをメールで送付するという、いまの形態の利便性は捨て難い。メールのアドレスをもっていれば、添付書類で簡単に送ることができるし、プリントするかどうかは受け手が決めればよい。

半ば冗談、半ば本気で言っているように、送られたファイルがすぐにクズかごに直行しても誰にもとがめる人はいない。また、以前のバックナンバーが必要と思ったときには名古屋大学の谷村省吾さんのサイトにアクセスすれば、いまのところは直ぐに手に入る。「まことにいうことなし」である。

もちろん、そのためには谷村さんのようにボランティアで、ご自分のサイトにリンクしてくださる篤志家のご尽力に深く感謝をしなければならない。

ともあれ、投稿者がいて、数学とか物理の関係の論文やエッセイを投稿をして下さることは編集者としてはとても有難いことである。


西表アサガオ

2011-10-21 12:56:07 | 日記・エッセイ・コラム

庭に季節はずれのアサガオが咲いている。それで「あれはアサガオかね」と食後に歯を磨きながら妻に尋ねたら、西表アサガオだという。

私のところを訪ねて来た、妻の友人が心配をしてくれるという。これは西表アサガオはとても強くてどんどん繁殖して家屋の近くに生えていると家をも壊してしまうくらいの繁殖力があるからだそうだ。

このアサガオは水色で、なかなか大きな花が一輪だけ咲いている。ツルがどんどん成育していくので、夏の終わりごろに一度途中でその茎を切ったらしいが、またどんどん生えて支柱にまきついて伸びている。この生命力の強さよ。

ブロックの塀を好きでない妻がブロックの塀にツタを這わせていたら、このツタが近くの下水口のところへ生えて生育して、困ったことがあったらしい。この土の中に深くツタの根がはびこり、出入りの工務店の主人が掘り起こしてくれたのだが、ツタを二度と這わせないで下さいと厳しく注意されたと今朝聞いた。

その工務店のご主人だった、Oさんが病気で亡くなって久しい。まったく金銭に執着のない人であった。そのことで松村正恒さんという、私の自宅の設計をしてくれた設計士さんの工務店を専ら引き受けておられた。

松村さんは、愛媛県の生んだ有名な建築家の一人であり、もう半世紀ほど昔となるが、雑誌「文芸春秋」が選んだ、日本の建築家10人の一人に愛媛県出身者としては今治出身の丹下健三氏と共に選ばれて知られるようになった。この松村さんは工務店のOさんよりもさらに数年前に亡くなられている。

八幡浜に日土(ひづち)小学校という小学校があり、その校舎が松村さんの設計で、それが評価されていたと思う。しかし、この日土小学校の校舎も古くなり、再建するか取り壊すかが数年前に議論されたが、再建をすると八幡浜市が決めたと新聞で読んだ。


高校の同窓会近づく

2011-10-20 12:47:47 | 日記・エッセイ・コラム

高校の同窓会が近づいている。単に私が出席者の一人であるのなら、ここで述べることもないのだが、一番重要な幹事を務めているので大変なのである。

これは日曜の1月23日夕方から夜である。はじめは96から97人の申し込みであったが、健康上の理由等から10人ほど出席ができなくなって、いまのところ87人くらいであるが、それからも1人か2人の人が出席が危ぶまれている。

本人の健康が心配な人もいるが、身内の健康状態が心配な方も居られる。それでも同窓会が近づいてきて、まだよんどころない事情でのドタキャンがあるのをある程度覚悟はしているが、いままでのところそれは少なそうである。

むしろ私の方に身内に急病が出たので、出席が危ぶまれるかどうかの事態になったので、どうなるかと思っていたが、今朝電話で事情を聞いてみたら、なんとか最悪の事態は免れたらしい。

本人にとって深刻な事態であることは変わらないが、少なくとも意識がもどって普通の病室に移ることができたそうで、身内としても少しほっとしている。

早期に頭の内出血かなにかを気づいて、救急車で病院に運ばれたらしい。家族がそばにいたのでそれが迅速にできたことに感謝をしている。

私などは日中はほとんど一人であるので、もし私に何かの不調があれば、手当てが遅くなる可能性があるが、これはもしそうであるならばこれも運命であろう。

そうは思ってはいるが、まだまだ元気に自分で自分に課した仕事を片づけたいと思っている。


もうあと何回の正月を?

2011-10-19 13:36:07 | 日記・エッセイ・コラム

「もうあと何回の正月を迎えられるだろう?」とは私の言葉ではない。

昨夜テニスが終わって駐車場に向っていたとき、私より1歳年上のMさんが漏らした言葉である。

まさにその通りなのであるが、その言葉とは裏腹にあたかも無限に生きられるような日常感覚で生きているのが私の生活である。

もちろん、実際は無限に生きられることはないので、意識して自分にとって重要性の低いことはできるだけ排除して生きるようにしている。ごく最近でもあるテーマに係ってしまったことがあった。

このテーマを議論をしている、サイトには私が最悪の処置をとったという意見を述べられた方もあったが、そういうことに拘泥していては自分の生活のもっと大事だと思っていることへの努力目標を果たすことなどできない。若い人とは今後生きられる時間的な条件が違う。

それでもどれだけ努力をしてみても人間の人生なんて未完のものであろう。また、もし完成してしまったら、面白くもなんともない。常に未完に終わるから面白いのであろう。

一日に1回か2回私のブログを閲覧した履歴をチェックしている。検索で引っかかったかどうかは知らないが、私の書いたブログの記事をその閲覧リストから辿ってもう一度読み直している。

物理的な話題とか数学の話題とかは普通はあまり閲覧をされないが、それでもときどき集中豪雨的に閲覧をしてくださる方がいる。

閲覧をされてコメントを下さる方はさすがにほとんどいないが集中豪雨的に集中して読んでくださったということは、その方になんらかの印象を与えたということであろうか。

そういえば、徳島科学史研究会を主宰されている、西條先生から十分に材料はたまったと思うので何か本にしたらどうですかと勧められたことがあったが、そのときはまだ時期尚早であるように思われた。そろそろ時期が来ているだろうか。

このブログには式や図を載せられないのが話題の言及の仕方に制限を与えている。


まぎらわしい外国語

2011-10-18 12:30:32 | 外国語

以下に書くことはもうすでに書いたことがあるかもしれないが、自分でも忘れるくらいであればまた書いてもいいであろう。

外国語と言ってもいまの場合にはドイツ語のことだが、Das ist mein Bierといえば、「これは私のビールだ」と訳してしまいそうだが、これは傍から何か言われて「お節介だ」という意味である。

先日のドイツ語のクラスでKさんがこの表現を使っていて、感心をしてしまった。私は知識としてはそういうことを知っていても自分で使うということは思いもよらない。

やはり、この日のクラスで出てきた用例だった思うが、例えばein alter Mannとein alterer Mannという表現が出た。altは英語で言うとoldであるから、ein alter Mannは老人ということになる。

alterはaltの比較級だから、ein alterer Mannは「老人よりももっと年をとった人」かと思いきやこの場合は「中年の男」という意味だという。文法用語では絶対比較級とかいうらしい。

(因みにalterの後ろの-erは形容詞の語尾変化である。このことを知らなかったころドイツ語はどうなっているんだろうと思ったものである)。

この絶対比較級のことを始めて知ったのは東京都立大学のドイツ語の先生だった中島ゆうじ(名前の漢字は失念した)先生のNHKの中級講座だった。もっとも彼の採用したテクストのドイツ語の訳文はこのようには訳されていなかったから訳文は中島先生が訳をしたのではないということがすぐわかった。

「ドイツ語はすばらしい言語だが、形容詞まで語尾変化があってわずらわしい」と小塩 節先生が昔のテレビ講座で話しておられたが、これは小塩先生の実感なのか、それとも視聴者の気持を慮っての発言であるだろう。多分後者であると思う。

もっともこのころはドイツ語の教え方も発達していて、あまり難しくは教えないで徐々にこの形容詞の語尾変化に慣れていくという方針で教えられているし、それに語尾がわからなければ-eか-enをつければ大抵あっているのである。

もちろん、いわゆる強変化語尾で、-erとか-esがつくこともあるが、大抵は-eか-enですむ。


新聞がとりあげると

2011-10-17 15:57:16 | インポート

「惜櫟荘だより」から、という今月の始めに書いたブログの閲覧が20件となった。それも今日になって急に増えたのでどうしたことかと調べたら、毎日新聞のコラム余禄が惜櫟荘について取り上げていた。新聞の威力はすごい。

それに触発されて私の密かなブログまで小さな影響を受けたのであった。その余禄の記事によると昨日だったか、この惜楽荘の改築が終わって完成のお披露目があったらしい。それで、今日の新聞にその記事が出ている。

それを読んだ人が同じ箇所の引用元に載っていた私の小さなブログにも立ち寄った人がいたということらしい。もっとも私は『「惜楽荘だより」から』では岩波茂雄が好んだという漢文の詩のことを書いたので、読者にはあまり関心を惹かなかったと思われる。

しかし、急にドタドタとアクセスが増えると不安になる。それで引用元を調べた結果としてわかった。私のブログを余禄子が読んでいるはずはないから、引用元の機械的なトレースがこういう結果を呼んだのであろう。

惜楽荘からは熱海の海がよく見えるらしいが、そこに行くことはないから、新聞の記事から推量してその景色を想像することで満足するしかあるまい。

それにしても佐伯泰英さん、惜楽荘の改築完成おめでとうございます。新しい仕事場でますます面白い時代小説を書いてください。


技術英語論文の書き方

2011-10-16 16:06:52 | 本と雑誌

「技術英語論文の書き方」(共立出版)という出版されて間がない本を著者であり、かつ編者も勤められたUさんから数日前に送ってもらった。お礼の手紙を書こうと思いながら、一日二日と延ばしている。

このUさんは何十年も昔にE大学工学部の同僚であったが、その後生まれ故郷のF県のF大学に勤めて数年前に定年退職された方である。活発な研究活動を展開される電子工学を専攻した実験家であったが、物理学者ではない。

その彼が技術英語の論文の書き方の本を送ってくるとは想像すらしなかった。この書の主要な著者の一人でもあり、編者の役もしたらしい。彼が書いたところを読んでいて、あまり英語がうまくないなと思ってよく見たら、それは彼の担当のところではなかった。

危うく、あまり英語が上手でないねとか書かなくてよかった。それでちゃんと彼の書いたところを読んでみるとたくさん論文を書いているだけあって、その英文はさすがにこなれている。もっとも英語の書き方の一般的な注意として彼が述べた点が忠実に守られているとは言い難い、

これは一般論と実際とは少なからず違うからであろうか。一般的な注意では文章はできるだけ短くとあるのに、実際の例では結構長文になっている。もっとも悪い英文ではないので、単に短くすればよいというものでもないけれども。

そしてこれらの例文は彼が学会誌に発表した論文からとられているので、悪いはずもない。

数日中には必ず返事を書くことにしよう。


半導体は世界を拡げた

2011-10-15 16:53:57 | 科学・技術

今朝新聞を見ていたら、、真空管の耐用時間は約1000時間だったという。

それで真空管を約1000本用いたコンピュータはしきりに故障を起こして、演算をしているよりも休止して真空管を付け替えている時間の方が多かった。したがって世界最初のコンピュータeniacは常に故障がちであったらしい。

いまなら、使い物にならないといってすぐに廃棄処分されるところであろう。それでもこのeniacでFermiやUlamがエルゴード問題を数値的に解こうとしたとか聞いている。

エルゴード問題がどういう問題なのかよくは知らないが、相空間で一度通った場所には二度と時間経過をしても通らないという風のことかと勝手に解釈している。どなたか専門家の方教えてください。

その論文は、Fermiの論文集の中には載っていたと思うが、そういう論文があるということを知っているだけで自分で読んだりしたことはまったくない。

いまでいう、数値実験のはしりの試みであったと思う。いまでこそシミュレーションは有力な研究の手段の一つになっているが、そのころはとても手間と暇のかかることであって、誰でも簡単にやれることではなかったろう。そしてそのような手間と時間をかけた数値実験が数値計算をも得意とした物理学者Fermiとか数学者Neumannとかが行ったというのはまた不思議な気がする。

その真空管が半導体の素子トランジスターに変って約1000時間の耐用時間数が無限に伸びたのだという。現実にはもちろん現在のパソコンでも無限の耐用年数があるということはないが、直ぐに故障してどこの真空管が切れたかを調べて交換する代わりに半導体では、いわば、無限の耐用年数であるかのごとく人間は振舞うことができるようになった。

第2次大戦後の世界の進歩はまさに固体エレクトロニクスと共にあった。そういう世界観を教えてくれた今日の新聞記事であった。