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物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

数学・物理通信の論文が引用された

2025-06-05 12:10:42 | 数学

雑誌「数理科学」6月号は「物理学と特殊関数」の特集だった。それを見るともなしに見ていたら、「数学・物理通信」の論文が引用されていた。

これはびっくりであった。もちろん、うれしいびっくりである。著者は佐藤勇二さん(福井大学)という方で、論文のタイトルは「ベッセル関数と物理現象」であり、引用された論文は中西襄先生と世戸憲治さんの共著の論文「多重振り子と鎖振子」である。私は数学・物理通信の発行者だが、佐藤勇二さんにメールで数学・物理通信を送っていない。

ということは谷村さんのサイトで佐藤さんはこの記事を見たのだろうか。谷村さんの日頃のご尽力に感謝しなくてはならないだろう。名古屋大学の谷村さんは「数学・物理通信」の発行のはじめから、彼が京都大学に勤務されていたころから、ご自分のサイトに「数学・物理通信」のバックナンバーも含めてすべてを掲載をして下さっている。

私がメールで送っている方々を延べで数えると100人は超えているのだが、お送りしている方々は人間だからやはり病気で亡くなるということが起こってくる。それも両手の指にあまる数の方々がすでに亡くなった。きちんと数えたことはないのだが、20人以上を超えているだろう。

メールでお送りしている数を数えたら、87人だったが、それからでも数人の方が亡くなっている。もっともお送りする方で新しい方にもお送りすることも出ている。でもなかなか100人は超えない。これは個人のできることの限界であろうか。

「数学・物理通信」は購読料を取ったりしていない、まったくのボランティアの事業である。だから資金がなくて発行を中止するということはない。だが、私が倒れれば、発行は続かないだろう。


四元数に近づく

2025-05-31 14:46:32 | 数学

「四元数に近づく」という章が小著『四元数の発見』(海鳴社)の第1章である。この章にあたる文章を昨夜書き変えてプリントして見直していたら、まちがっていそうな箇所を見つけた。

いろいろな試みをしているので、書かないでもいいことを書いたのかもしれない。どこかにそのノートを作っているので、そのノートを読み返して見るべきなのだろうが、今日は他の用事が忙しくてまだノートを見直していない。

そのうちに見る時間ができるだろうが、なかなか忙しい。午前中は四元数関連として自分が調べたり、計算したりしたり、コピーしたりしたファイルの置き場所を確保する作業をしていた。

100円ショップで買ってきた、ファイルフォルダーがいま14個目となっている。ひょっとしたらこの14個のフォルダー以外にもまだ四元数関連ホルダーはあるだろう。

遠山啓さんの著作目録に関するフォルダーだって2つしかないのに。武谷三男のフォルダーも同じく2つしかないのに。

昨日の午後は妻の留守をいいことに妻の定席に座って、これらのフォルダーに何がファイルされているかを調べていた。そのときに以前に自分がプリントしていたインターネットからコピーした文献の計算をチェックした走り書きのノートを見つけたりした。

「日暮れて道遠し」である。


フルヴィッツの定理

2025-05-30 13:54:30 | 数学

フルヴィッツの定理というのがある。その証明はまだ知らないのだが、これは四元数とも無縁ではない。それでそのことを知りたいと思っている。

フルヴィッツの定理は証明は難しいかもしれないが、定理そのものは私にも理解できる。

もっともそれとLagrangeの恒等式との関係が矛盾するのではないかと思って調べたが、もちろん矛盾するはずはなく、私の心配は杞憂に終わった。

4平方和の恒等式というのがある。「4つの2乗の和と4つの2乗の和の積は、また4つの2乗の和となる」という文で表される。文章で言うと難しそうだが、式で書けばそれほど難しいことではない。しかし、ここでは式を書くことは止めておこう。

latexで書けないことはないのだが、latexでの式は知っている人にはなんでもないが、知らない人には難しく感じるので。それを一般化したような命題が成り立つか。というのだが、それはある場合に限られる。

私はLagrangeの恒等式から四元数を知ったという経緯がある。それでこのフルヴィッツの定理との定理との関係が気になってようやく数日前に数値的に調べてみた次第であった。

 


交換した、交換しない?

2025-05-28 10:22:41 | 数学

「交換した、交換しない?」とはまたなぞなぞみたいですね。

いま、同じ一そろいのトランプのカードが2つあって、そのことを知らないあなたに友人がクイズを仕掛けるとしよう。

しばらく目をつぶって開けないとする。その間に友人は二つのカードを置き場所を入れ替えることにしよう。二つのカードは違う種類のカードなら、あなたが目をつぶっている間に友人がそのカードを入れ替えたかどうかは、ちがったカードの配置になるから、あなたにもわかるだろう。

しかし、2枚のカードが同じ種類のカードだったら、それを目をつむっている間に友人が入れ替えたかどうかを知ることができるだろうか。

第三者がいれば、実際にあなたの友人がカードを入れ替える行為をしたかどうかによってカードを入れ替えたかどうかがわかるが、第三者がいないときにはあなたは友人がカードを入れ替えたかどうかはわからない。

なんでだろうか。それはカードを入れ替えても入れ替えなくても同じカードだからである。もちろん前もって何かのしるしはそれらのカードにつけていないという前提である。

こんな変なことをなぜ考えたのかそれは数の積の交換について考えていたからである。普通の数はa*b=b*aが成り立つ。多くの方々が知っている数はそういう性質がある。

ところが、a*b=b*aが成り立たない数がある。それが四元数である。ところがその四元数でもある数にその数と同じ数をかけても交換する。すなわちa*a=a*aであるから。それは当然だが、それ以外にa* \bar{a}=\bar{a}*aも成り立つ。

ここで、\bar{a}はaの共役四元数である。こういうことを知識としては知っていたのだが、私は認識していなかった。

 a が実数とか複素数の場合にはa*b=b*aが成り立っているのは、だれでもご存じであろう。こういう場合には数の積の交換則が成り立つという。

四元数の場合には一般には数の積の交換則は成り立たないのだが、特殊な場合には交換則が成り立つ場合があるということである。


新しい原稿の試み

2025-05-27 10:53:19 | 数学

『四元数の発見』はある意味で私の自慢の書である。

そしてその第1章は「四元数に近づく」であった。この章の記述が間違っていたわけではないのだが、書き変えた方がいいことがわかった。まだいまのところ全く原稿を書いてはいないのだが、6月中に発行するいずれかの「数学・物理通信」に発表したいと思っている。

原稿がきちんと出来上がってからそういうことは言えという意見があるのはわかっている。だが急にそういうことを思いついた。昨夜、そのためではないが、改稿するための準備をしていたときにはちょっとした手直しをするくらいの気持ちであり、どこかに発表するほどのことではないと思っていた。

一夜明けて急に新しい原稿を書いた方がいいのではないかと思いついた。これは前の四元数を用いたCauchy-Lagrangeの恒等式の証明を別の証明に置き換えたほうがいいのではないかと。

もうちょっと見通しのいい、証明があったのである。そのヒントは複素数を用いた私が2次のCauchy-Lagrangeの恒等式の証明と同じ着想によっている。これは四元数はその積においては一般に交換しないが、特殊な四元数である、ある四元数とその共役とは交換する。そのことが複素数を用いた恒等式の証明の発想を使うことを可能にしたのである。

私はバカだから、そんなことにも気がつかなかった。自分のバカさ加減が嫌になる。

 


続々・ラプラス演算子の球座標表示

2025-05-19 12:46:59 | 数学
一晩明けただけで新しいアイディアが湧いたわけではないが、原島鮮先生の本に幾何学的な導出があったのを思い出した。

図を描くのが面倒だが、それを描ければ、数式の計算はほとんどいらない。これと昨夜書いた前野さんの導出とは別の導出だが、それらをまとめておきたいと思い出した。

それも球座標系を後に導出するという述べ方もあるのだと思っている。これだと前野さんの付録の部分を先に述べてそれから逆に球座標系を導入するという風に書いたらどうかなどと想像しているが、果たしてそれができるかどうか。

5つの数学エッセイの改訂

2025-05-17 11:59:32 | 数学
昨日、5つの数学エッセイの改訂をした。一つは「テンソル解析の学習における問題点」という古いエッセイである。これは初稿は1985年だったかのものである。初稿から見ると40年も前の昔のものである。それの3訂目の原稿である。

それと4編の「三角関数の還元公式」という数学エッセイである。それらを一応仕上げてある方に送付した。検討が十分でなかったかもしれないが、ともかくも終えることになった。

その後でちょっとした虚脱感を味わっている。何もする元気がでない。これは数学・物理通信の発行後に感じる虚脱感と似ている。しばらくは何事もしたくはない。

とは言いながら、お前はブログを書いているではないかと言われそうだが、これは仕事の種類が少し異なるからなんとかできるのだ。

「テンソル解析の学習における問題点」は6月発行の「数学・物理通信」に投稿したいと考えている。これは1回も「数学・物理通信」には掲載したことがなかったと思うので。ちょっとまだ改訂した方がいいかと思う部分もないではないが、しかたがない。

ちなみに改訂前の4編の「三角関数の還元公式」は「数学・物理通信」に掲載されている。そして高校の数学の学習参考書でみると、「三角関数の還元公式」について詳しく書いてあるものはいまではあまりない。ということはこれは、いまではあまり困難に感じる問題ではないということであろうか。確かに初等的な数学の教え方も少しづつだが、進歩していると感じる。


書くことを持っていたはずだのに

2025-05-15 10:55:11 | 数学
書くことを持っていたはずだのに、パソコンの前に座ると何も思い出さない。

そうそう思い出した。三角関数の還元公式の便宜的な記憶法を折に触れて書いたのだが、それにはいくつかの前提条件がある。それについて書いておいた方がいいのではないかということだった。

\cos \theta =x/r, \sin \theta =y/r という余弦関数と正弦関数の定義だとか、座標平面でy 軸より右側では変数 x はx>0 だが、y 軸より左側では変数 x はx<0 である。また x軸より上ではy>0であるが、 x軸より下ではy<0である。こういうことはだれでももう十分に知っていることだが、きちんと述べておいた方がいいのではないかということだ。

こういうことはきちんと高校数学を学んだ人はだれでも知っているし、身についている。だが、初学者にはどうなんだろうか。上では半径 r の円で余弦関数と正弦関数の定義をしたが、普通には単位円(半径1の円)で定義するのが普通である。このときには r=1 とおけばよいのだが。

そういうことを数学エッセイとか高校数学の学習書に書くことは言わずもがなのことを書く感じもする。なかなか達意とは難しいものである。いわば「むつこい」という感じがするのだろうか。「むつこい」と書いたが、この感じが分かる方がどれくらいおられるのであろうか。

そういえば、いつだったか『四元数の発見』の書評で先生然として嫌だというアマゾンコムでの感想があったが、この書評を書いた人は頭のいい人でもう何回も繰り返しての説明にうんざりしたのかもしれないと、やっと思い至った次第である。それなら続く箇所を読まなければいいだけの話ではあるのだが。

取り越し苦労が多くてバカみたいな話だが、本当のところはどうしたらいいのであろうか。悩みは尽きない。

三角関数の還元公式

2025-05-14 15:00:12 | 数学
三角関数の還元公式のシリーズのエッセイを4つ以前に書いていたのだが、それの改訂をしようとしている。その中の3つは簡単に改訂ができたのだが、シリーズの2だけはかなり加筆がいるようだ。

三角関数の還元公式などという用語は聞いたことがないという人も多いだろうか。そういう人でも余角公式だとか補角公式だとかは聞いたことがあるだろう。それに類似の公式とかに名前を総称としてつけたのが、三角関数の還元公式である。適当な名前として重宝している。

これは高校の数学教師として著名だった武藤徹先生の使っていた用語である。私もそれに倣っている。要するにx+\piとかx+\pi/2とかの偏角をもつ三角関数をxだけの三角関数に変える公式である。

以前に、このブログで書いたことが数回あるが、高校で「解析 I」を学んだときに、私の教わったM先生はこれらの公式をよく覚えて使えるようになさいと言われた。その通りにしようと思ったが、数日は覚えていられるが、それ以上時間がたつとどれがどれだかプラスとかマイナスの符号等が分からなくなるのである。

そして、これは丸暗記するようなことではないということを知ったのは私が数学がわからなくなって、学習参考書で数学の勉強を自分でやり直していたときであった。だからこの公式には私の当時の怨念が混じっていて涙なしには語れないのである。

数学のよくできる人にはおかしい話だし、いい先生から数学を学ぶとそういう過ちはしないで済むのだろう。私は自分も心がけがわるかったが、それだけではないと思っている。最低の先生に数学を学んだという気持ちがある。数学教育に関心があるのはひょっとしたら、自分のもっている遺伝的な性質も大いに影響をしているとは思うが、基本的にこのことに起因していると思っている。

それも私の通っていた高校では数学を教えている先生にはいい先生が多かったのに、私はその中の最低のレベルの先生に教わったと確信している。それも高校1年と2年との2年間もの間である。

高校に入って席次を争うようながり勉は止めたし、小説とかの本を読んで楽しく過ごそうとの思いはいつの間にか吹っ飛んでしまった。そしてそのころは比較的に英語が得意だったので、一時は大学では英語学か何かを専攻しようと思っていたが、高校2年のときに自分の行く末を考えて理系志望に戻る決心をした。そしてこのことを後悔したことは一度もない。

あまりに数学ができなくなっていたので、独学で数学を学んだ父親にも教えを乞おうとしたが、彼の独学の数学は私にはまったく役立たず、結局私もまたある学習参考書で自学自習をすることになった。これは1956年(高校2年のとき)夏休み前のことだと思うので、もうおよそ70年近く昔のことである。

1957年(このとき私が高校3年生だった)の秋にソ連の人工衛星が上がって、急に理工系の科学・技術の重要さが認識されて、大学の理系の学生の定員がすこしだけ増えて、数学に不得手だった受験生の私も運よく入学を認めてもらえる大学に入学できたのであった。

『数学散歩』に所収のエッセイ

2025-05-12 20:49:13 | 数学
『数学散歩』に所収のエッセイは今日図を描いた「テンソル解析の学習上の問題点」が完成すれば、「特殊相対性理論」を除いてすべてlatexの原稿になる。

ただ、先日来このブログでボヤているようになかなか講義資料「特殊相対性理論」は改訂ができそうにない。しかし、『数学散歩』の38編の数学エッセイはほとんどlatexの原稿に変更できたことになる。

以前には『数学散歩』はすべてwordの原稿だったので、ずっと読みやすくなっていると思う。それも図がTikzで描けるようになったので小回りが利くようになった。

これは『数学散歩』に収録した数学エッセイではないが、三角関数の還元公式というシリーズのはじめの方のエッセイを改訂したいと思っているのだが、それがどれだったのかよく調べてみないとわからない。この三角関数の還元公式シリーズのすべてを改訂する必要はなかったと思うので、その中の一つか二つを改訂すればよかったと思う。

それがすめば私のもっている数学エッセイとしては四元数に関係した『四元数の発見』の原稿となった、いくつかの原稿の改訂のみとなる。これらの改訂はなかなか気が重いが、球面線形補間の章だとか気になるところもかなり残っている。この章は本質的なことはすべて解決済みだが、やはり表現のしかたとか気になるところがやはり多い。

ふたたび『ベクトルとテンソル』

2025-05-12 10:11:46 | 数学
『物理のためのベクトルとテンソル』(岩波書店)を取り出して読んでいるのだが、4.6 「共変成分と反変成分の見つけ方」でひっかかっている。p.132の図4.16の下の式がわからないのである。

訳者も注釈をつけていない。その下の式とかをみれば、わからないでもないのだが、e_{1, x}とかe_{2, x}とかの記号の定義がないのだ。著者はしかたがないのだが、訳者がなんらかの注釈をつけるべきだったのではないだろうか。

せっかく図をつかった詳しい説明があるので、とてもいいのだが、これでは後の説明を読む気が起きない。直後に例があるのだが、やはりすっきりしない。いや直後の説明がすっきりしないのではない。直交座標との関係をつかっているような気がするのである。それならそうとはっきり宣言してくればいいのだが、そこがすっきりしない。図には直交座標の軸が描かれているので。

肝心のところではやはりしっかりと、ここのところでは直交座標で考えるとか言明すべきではないのか。「全体してみれば、わかるでしょ」ではいけないと思うのは、わたしだけであろか。前提をはっきりさせないといけない。

テンソル解析の学習上の問題点

2025-05-10 17:58:42 | 数学
エッセイ「テンソル解析の学習上の問題点」の改訂をしていた。根本的な改訂をすべきかと思ったが、私が改訂の主眼としていた箇所は前の文章に戻した。友人のEさんに改訂しようとしていた箇所を読んでもらって、もし思ったような改訂ができれば、その原稿を同じ内容であるが、表記がちがうので、付録としてつけるべきかとも思っている。

私にはテンソル解析のことがまったく分かっていない。だから改訂ができないのだ。ただ、このエッセイは私には捨てがたいところがあるので、根本的な改訂を一時諦めても発表しておいた方がよいとの判断をしている。もちろん、すでに『数学散歩』とか『物理数学散歩』には掲載されている。しかし、それらは発行部数がとても少なかったので、社会的影響はあまりなかったと思う。

それで先刻一応改訂を終わったので、これから1週間か10日ほどかけてゆっくりと読んで訂正した箇所を中心に検討をするつもりである。そして早ければ、6月発行の「数学・物理通信」に投稿したいと思っている。


つい先ほど病院から帰ってきた

2025-05-08 16:33:11 | 数学
つい先ほど病院から帰ってきた。16時は過ぎていた。朝の10時過ぎには出かけたのだが、検査検査と多くの検査を受けた。

これは3月末に行った手術の結果を調べるものである。特に医者からの注意はなかったので、順調な回復ととらえていいのだろう。もしか重大な結果があれば、医者が全く言わないはずがない。つぎは半年後の定期検査となった。

もっとも今日もそうだが、なかなかいろいろな検査があった。血液検査をはじめとして血管の検査または造影材を使った血管のCT検査もあった。それだから10時過ぎに出かけたのだが、帰りは16時少し前となった。その間私はもちろん昼食をとっていない。いやこれは医学的に止めれているというよりも私の志向である。

そして、このブログを書こうとしていた時に外出から帰ってきた妻の要請でいくつかの用事をするために妻と共に外出していた。先ほど夕食を済ませて、いつもの皿洗いを済ませた後でこのブログの続きをようやく書いているということである。

仕事しては「テンソル解析の学習上の問題点」という数学エッセイを改訂しようとしていたのだが、それをほぼ元のまま少しの修正で再度原稿としてまとめようとしているところである。これは私にとってはとても記念すべきエッセイであるのだが、さてはて他の方の評価はどうか。

直交曲線座標系

2025-05-04 21:55:30 | 数学
直交曲線座標系という章がほとんどのベクトル解析の書籍の一つの章となっている。ところが私にはこの章が全く読めない。高橋秀俊『線形分布定数系論』(岩波書店)にはこれのフォーマルではない説明がありそうだ。

まだ読んでいないのだが、ひょっとして私も理解できるかもしれいない。それに原島さんの本にも直交曲線座標系という用語もなしに球座標とのかかわりを導いてあるらしい。これは自分が書いた文章の中にそう書いた箇所を見つけた。

一度そこも私に理解できるかどうかよく調べてみたいと思ったりしている。以前にはまじめに読んで見るということはあまり考えてなかった。

季節というのでもないだろうが、昨年のいまごろも特殊相対性理論の原稿の改訂を考えていたらしいが、そのときには作業は全く進まなかったらしい。現在もなかなか進まない。

寝ている間も

2025-05-03 10:31:19 | 数学
寝ている間も朝方のうつらうつらの状態になると何か考えているらしい。

いわゆる意識のある状態ではないのだが、全く意識がない状態とも言えない時がある。無意識と意識のある状態の中間くらいの状態がある。

そこで何かをいつも考えているらしいが、それは意識のあるときに考えていることの延長にあるようだ。これは最近考えていることではないが、自著の四元数の本の欠点をどう修正するのかについて今朝は考えていたらしい。

四元数による空間回転の式は、単位四元数とその共役単位四元数で、ある四元数をまるでサンドイッチのように挟んで計算をする。このときに私が『四元数の発見』を書いたころには、四元数としては実数部のない純虚数部だけの四元数を単位四元数とその共役単位四元数で挟んでいたのだが、最近は実部もある普通の四元数を取るのが普通になってきた。

そのときにもともと挟まれる四元数の実部と虚部とが、前後に挟む四元数でまじる心配があるが、それが起こらないようになっていることの証明が昨年の12月にきちんと証明ができた。

これは数学セミナーに四元数入門の原稿を頼まれて書いていたときに、編集部とその原稿についてやり取りをしていたときに示唆された方法だった。そのことで編集部に感謝をしている。自分一人ではまったく思いつけなかったろうから。思いついてくれた方法をエレガントにしてその証明としたのであった。

前に本に書いた内容がまちがっていたわけではないが、ぐっと深みのある理解が今ではできたと思っている。こういう風な修正をいくつかの箇所でしたいという気がしている。

分かっていることを単に正しいと確かめるということで、満足してしまうというのが普通の数学の本の書き方である。それが私の気に入らない。すでに出来上がった数学だって自分でも再発見するような方法で理解できないのか。

これは私だけの考えではない。こういうのを発見法的理解とか発見法的方法と言っている。英語ではheuristic methodとでもいうのだろう。ヒューリスティックな方法である。

もちろん、こういう方法は私が言い出したことではない。これはPolya(ポーヤ)というハンガリー生まれでアメリカで活動した数学者の提唱である。彼の一番有名な著書は「いかにして問題を解くか」(丸善出版)である。この本は私が中学生のころ(1950年代半ば)翻訳されたと思うが、半世紀以上を経ていまでも売られている。