物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

乾杯をどう言うか

2012-05-31 13:16:48 | 外国語

ラジオとかテレビでドイツ語やフランス語のいつも初歩を学んでいることから来る学習の不十分さについて、今日は述べたい。

たとえば、ドイツで車に乗るようになれば、ガソリンスタンド (Tankstelle,タンクシュテッレ) でガソリンを給油しなければならないが、そのときに必要な言い方 Volltanken, bitte (フォルタンケン、ビッテ)などはもう30年以上にわたって初歩のドイツ語講座を聞いているが、そういう言い方を学んだことがない。

ところで、「満タンにしてください」をフランス語ではどういうのだろうと思ってフランス語の辞書で plein(プラン)のところを引いてみたら、faire le plein (フェール ル プラン)とあった。満タンにしてくださいなら、Faites le plein, s'il vous plait .(フェット ル プラン、シルブプレ)というらしい。

もっともその言葉だけならなんてこともないので、すぐに現地に住めばすぐに覚えてしまう。だから、なんてこともないというのが講座の先生方のお考えであろう。それはそれで間違っている訳ではない。

昨夜、テレビを見ていたら、英語で「乾杯しましょう」とは Let's have a toast ! というと知った。これなどもしドイツ語ならLass uns anstossen ! (ラス ウンス アンシュートセン)とでもいうのだろうか。

anstossen とはグラスをかちんと合わせることを意味すると思うが、この言葉を数年前まで知らなかった。ちなみに、乾杯に当たる、掛け声は普通は Prost ! (プロースト)または Prosit !(プロージット)である(注)。

もっともこの anstossen はラジオのドイツ語講座で知ったのであるが、それにしても30年以上も講座を聞いていて、数年前にようやく知った次第である。

英語の Let's have a toast ! を知って、さてドイツ語でどう言うのだったかなと思い、zustossenだったかなと辞書を引いてみたが、そこには該当した意味はなく、しばらくしてanstossenだったと思いついて辞書で確認をしたというお粗末である。

それにしてもいまフランス語で乾杯をどういうのだったかと思い出そうとしてもa votre sante(ア ヴォートル サンテ)しか思い出さないから、なんてことだろう。他にも言い方はあったはずなのに。

(注)ビールの乾杯のときはこれでいいが、ワインのときはちょっと気取ってZum Wohl(ツム ヴォ―ル)(健康を祝して)というとかもののは本にあったと思う。両方を知っておきたい。

(2024.3.9付記) この冒頭の車の給油に関してのフランス語であるが、ヴェルサイユ宮殿に近いガソリン・スタンドで給油したことがある。そのときにplein ?と聞かれてoui,ouiと答えた。そのときにはじめてpleinという語を聞いた気がする。

もっともアラン・ドロン主演の映画に「太陽がいっぱい」というのがあるから、plein de soleilというのかしら。少なくともpleinは初めて知るフランス語ではなかったはずだが。

高齢者の活躍

2012-05-31 12:31:37 | 日記・エッセイ・コラム

最近、映画監督の新藤兼人さんが100歳で亡くなり、さらにその数日前には音樂評論家の吉田秀和さんが98歳で亡くなったとニュースでみた。

これらの方々の業績については新聞報道等でいわれているくらいにしか存じないので、それぞれの方々の業績をここで論評はできない。しかし、これらの方々が高齢まで現役として活躍されていたことは間違いがない。

映画監督の新藤さんはもちろん世間的にもよく知られており、最近ではその映画監督の現場の現状をテレビでも見たことがあったし、吉田さんはつい先ごろまで朝日新聞の音楽時評のコラムを担当されていたと思う。

それくらい日本人が長寿になって来ているという証であろう。100歳以上の方々が日本では3万人を越えたとか。おめでたいことではあるが、社会福祉の面からはその高齢者を支えるコストの面で問題も指摘されている。これは政治問題になっているが、だからといって昔みたいに姨捨山に老人を追いやることなどできるわけがない。

そういう高齢者が多くなっていることを若者はだから自分たちは圧倒的に少数者であり、政治的にもマイノリティだと思っているから、選挙で自分たちの意見が通る社会が実現するとは思えないので、選挙にも行かないとか。

すべての若者が選挙に無関心だとは思わないが、そういう風潮だと先が思いやられるであろう。もう少し積極的な思考はできないものだろうか。老年はどの人にも等しく訪れるのだから。

ともかく、単に生存しているというのではなくて、仕事をして生きていくという風で私もありたいとこれらの方々の生き方を知って思っている。


14座登頂

2012-05-31 11:59:53 | スポーツ

竹内洋岳さんが8、000メートルを越えた山の全14座の登頂を日本人ではじめて果たした。日本人に優れた登山家がいままでにいなかった訳ではないが、いろいろな不運によって10座を越えて登頂を果たした人が他にはいなかった。

そのジンクスを撥ね退けての快挙だという。まことにおめでたいと思う。竹内さんは世界的にはすでに27,8人の登山家がこの14座の登頂を果たしているので、「いまさらなんですけれども」と取材に答えて言われていたが、それでも日本人のもっていたジンクスにもあたるものを退けた意義は大きい。

竹内さんは41歳とかで私の子どもくらいの若さである。これからも活躍を祈りたい。


ゲーデル

2012-05-30 12:55:46 | 数学

ゲーが出るではない。

ゲーデル(G"odel)は数学者であり、「不完全性定理」という定理で知られている。内容を私はまったく知らないのだが、いつか『ドイツ語圏世界の科学者』というエッセイで取り上げたことがあり、ゲーデルに関心をもっているが、なかなかその「不完全性定理」を理解しようという意欲は湧いてこない。

これは私のような頭のよくないものにはなかなか理解できないのだろうというあきらめの方が先に立つからである。

先日書庫から「ゲーデルの世界」(海鳴社)を取り出して来たので、暇つぶしに昨夜その伝記部分を読んだ。

「不完全性定理」については岩波文庫にその翻訳と詳しい解説が出ているので、すこし忍耐強い人なら、それを読み解くこともできるのかもしれないが、まだその気にはならない。

いや、生きている間にその気になるかどうかもあやしい。まだ、その彼の問題意識が自分の問題意識にはなっていないからだ。

よく、ハイゼンベルクの不確定性関係とゲーデルの不完全性定理が世の中を変えたとか言われる。不確定性関係は最近名古屋大学の小沢さんによって少し修正されたが、それにしてもその意味を理解することはそれほど難しくはないと私は思っている。

だが、ゲーデルの不完全性定理の方はどうなのだろうか。


久野収

2012-05-29 14:16:22 | 日記・エッセイ・コラム

以前に購入して、読んだことがあったはずの久野さんの伝記を読んだ。

「人間 久野収」である。以前に買ったときにはなんだかおもしろくなかったという気がしている。それが今度はなんとかすべて読むことができた。

まったくの積読であったのが、はじめから最後まで曲りなりに読んだ。佐高信さんの書いた久野さんの伝記も読んだと思うが、覚えていない。今回読んだのは村上義雄さんの著書である。

久野さんは武谷三男の僚友であり、武谷が自分単独の名前で出した論説にも久野収と議論したと終わりに書いてあるものも少なくない。

私はこのころすぐに物忘れするので、久野「おさむ」とか「しゅう」とか名前を音では思い出したが、その「しゅう」の字を思い出せなかったが、「おさむ」と入力したら、「収」と出てきたので「ああそうだった」とようやく思い出した。

村上さんが書いていないことで一つ思ったことは、「科学者京都会議」のことである。

これは湯川、朝永、坂田の三博士が世界のパグウォシュ会議に対応した国内の原水爆戦争を防止するための会議である。そこに久野さんは招待されたメンバーとして議論に加わっていた。

久野さんのことははじめ「ひさの」と読むのかと思っていたら、「くの」と読むのだと知ったのも大学院の学生のころで、そのころ(1960年代前半)には私の物理の先生方のある人たちは、京都科学者会議の事務局員として働かれていたと思う。

久野さんはそのころすでに私たちの先生方からも尊敬をされていた、哲学者だったと思う。

しかし、武谷はこの会議には加わっていない。武谷が書いたものの中にはそれについて触れたものはないと思う。

坂田昌一は武谷にととても近い物理学者だし、また久野も武谷にとても近い哲学者だから、武谷がそこに入る必要はないとも思えるが、しかし武谷にまったく声をかけなかったのだろうか。

武谷はそういう会議は生ぬるいと思っていたのかもしれないが、その辺の事情などのこぼれ話はないのだろうか。役割分担という考えは彼らの頭にはあったと思うが。

亡くなった物理学者の牧さんの見解では、武谷と坂田とで役割分担をしていたという。世間的にはだから武谷が憎まれ役をしていた。これはそれぞれの役割をしっかり認識しているということであろうが、結構複雑なものである。


理系のための英文作法2

2012-05-28 12:39:23 | 学問

杉原厚吉著「理科系のための英文作法」(中公新書)の紹介を続けたい。

わかりやすい英文をつくるというのが、この書の目的であるが、文章をなめらかにつなぐ4つの法則としてつぎのものをあげている。これはよくは知らないが、談話文法と言われているものらしい。

1. 話の筋道に道標を

2. 中味にあった入れ物を

3. 古い情報を前に

4. 視点をむやみに移動しない

この4つが杉原さんの勧める方法である。細かなことはまだこの本を詳しく読んでいないので説明できない。

3. 古い情報を前に

はドイツ語文でも古い情報要素ほど文の前に来ると聞いているので、これは文章の構成にも使えるのだということがわかる。

ところで先日久しぶりに庭にある、書庫に入って木下是雄著「理科系の作文技術」(中公新書)を杉原さんの書と共に取り出してきて、読もうかとしたら、昨日の朝日新聞の読書欄にこの書の紹介があった。偶然ではあるが、おかしなものである。季節がまだ大学の学期始めだということであろうか。

もっとも私のもっている「理科系の作文技術」は1992年発行のもの(子どもが購入)と私が購入したもの(1981年発行)であり、この書は2001年に改版されたと新聞にはあった。75刷を重ね、発行部数は88万8千部とまさにミリオンセラーになろうとしている。


理系のための英文作法

2012-05-26 12:46:40 | 外国語

実は「英文を書くには」といっても私の方法ではなく、杉原厚吉著「理科系の英文作法」(中公新書)の内容を紹介したいのだが、今日は本を仕事場にもって来なかったので、その周辺の話となる。

ドイツ語の入門書である、万足 卓著「ドイツ語への招待」(大学書林)に万足先生が述べていることだが、言葉には内法と外法というものがある。そして文の内法は文法という形でまとめられており、一つの文章の構成の仕方を教えてくれる。

ところが、文と文をつなげて一つのまとまりのある文章をどう構成するかは、この内法では教えてくれない。しかし、それはその言葉を母語にしている人には当然のことであり、こと改めて法則にするようなものではない。

ところがその言葉を外国語として学ぶ人にはそれを身につけるのは文法というような形で学べないだけに難しい。それでそれを学ぶのはドイツ語の場合なら、ドイツ語それ自身から学ばなければならない。

それには日本人の特有のうしろから折り返して意味をとるとか、訳していく方法ではだめであり、ドイツ語を出てくる順番に理解し、また文と文の緊密さをドイツ語の文自身から学ぶ必要がある(注)。

そういう観点から、ドイツ文を暗唱するくらい何回も繰り返し読め。これが万足先生の主張である。そのための最低限の準備に最低の文法というか決まりを「ドイツ語への招待」のはじめにまとめてあり、それを1週間くらいの短期間で読み切れという。

その後は選ぶ抜かれたドイツ語の原文を暗唱できるくらいに音読せよ。この練習を一年間くらいせよ。これが万足流ドイツ語修得法であった。この方法では私は結局ドイツ語を学ばなかったが、妻はこの方法を使って、まるで一言もドイツ語を話さない状態からある程度話せるようにまでになった(30有余年後のいまはまたほとんどドイツ語を話せないと思うが)。

冒頭の杉原さんの主張はしかし、英語を話すということではなくて、それも理系の英文を書くということに特化してはいるが、この言葉の外法に関係している。

今まで杉原さんの本を読んでいるところでは、文と文のつながりを明示すると文章が書きやすいし、また読みやすいと主張されている。文を書くための規則は4つとあまり多くはない。これは次週以降のお話としたい。

(2015.8.28 注)私がはじめて英語を中学生の時に教わった塾の先生は旧制の中学校しか出ておられなかったが、英語をうしろからひっくり返して理解することに大反対の先生であり、頭から順々に理解せよとの教え方であった。そういう意味では私はよい先生に出会った。 この T 先生は私の母の先生でもあったが、英語の力は確かなものであった。先生の若い時には愛媛県には中学校がなく、中学校に行くため岡山まで行かれたという。そこではもちろんイギリス人の英語の先生がおられたらしい。

武谷三男と辛淑玉さん

2012-05-25 13:31:36 | 日記・エッセイ・コラム

武谷三男に関係した記述がある書を私の眼に留まったものを購入している。

昨夜アマゾンコムで佐高 信著「抵抗人名録」(光文社)を購入して読んでいたら、辛淑玉(Shin Sugok)さんと武谷とのやり取りが、辛さんの項に書いてあった。

佐高は武谷に会ったことはなかったそうだが、辛さんは武谷とつきあいがあったらしく、晩年武谷を病院に見舞ったことがあるらしい。

このとき辛さん、外交辞令として、「もう少し早く知り合ったら、恋人になったのに」と言ったら、武谷答えて曰く、「いまじゃダメなのかい」だったという。辛さんのサービス精神もすごいが、それを受けとめて返した武谷のユーモアのセンスもすごいと思う。いやこれは佐高さんの受け売りです(笑い)。

武谷三男は、なかなか皮肉な方であり、気難しい人というのが、物理学の研究者仲間の評価であるが、こういう当意即妙の受け答えができるところが武谷のセンスのよさであろう。

辛さんは在日三世の方であるが、江戸っ子の三代目でもあり、なかなか歯切れのよい話をされ、とても魅力的な方である。辛さんは高校時代にあまり高校には行かなくても、すでにモデルとして働いていたとかいう。

歴史教科書裁判を行っている人たちが、辛さんを講演のため松山に招待した時に、私も一度だけ彼女の講演を聞き、かつそのときに彼女の著書「悪あがきのすすめ」(岩波新書)を購入して、それにサインをもらった。これは2007.6.23のことであった。彼女のサインと日付が入っている。

辛さんが、魅力的な女性だというほかにとても頭がよく、また在日ということもあって、いろいろな世の中の矛盾にも立ち向って来られた方である。

そういう点でも尊敬すべき人であるが、私は辛さんは作家の故小田実夫人かと長いこと思っていた時期があった。それは事実ではなかったが、なぜかそう長い間思い込んでいた。

辛さんの著書として岩波新書に「怒りの方法」というのもあるので、いつか購入して読んでみたいと考えている。


認知症

2012-05-24 13:01:09 | 健康・病気

認知症は本人にはどうってことはない病気だが、まわりの人には場合によってはパニックを与えたりする。亡くなった私の叔母がやはり死の直前には認知症にかかっていたので、私にもそんなに遠い病気ではない。

叔母は私の母の妹だったが、人生の大半を住んでいたところから遠く離れたところに晩年に移り住んだ。そのために認知症が進んだのかもしれないが、子どもが一人しかいなくてそれも遠くに住んでいたので、子どもと同居するしかなかった。 

認知症の人はその現在の時点のことは分かるが、すぐ以前のことを忘れてしまう。小川洋子さんの小説「博士の愛した数式」の博士のように30分だけ記憶があるのなら、まだましで数分前のことを忘れてしまう。

これは私自身がそうで、毎朝食後に血圧を下げるための薬を飲むことにしているのだが、よく注意していないと薬を飲んだのか飲まなかったのか分からなくなる。

これには妻は薬に飲む日を記入するとかして、その記憶の衰えから来る、弊害を防ぐような方法もある。しかし、私はそういうことはしていない。

さらに妻は手帳に毎日の予定を書き込んで行くという方法をとっている。彼女は日に午前、午後、夜と3つくらい予定があることは稀ではないので、当然であろう。

が、私は大学在職中に就職担当となった年度に会社の求人担当者との会う予定を記録するのに手帳をつかったくらいでそれ以外では使ったことがない。これは手帳を使うほどいろいろな予定が入らないというのが一番の理由であるが、要するに手帳を使いこなせないのである。

だから、ときどき日に2つ以上予定があったりすると、その内の一つを忘れたりして不義理をすることになる。しかし、そういうことは幸いなことに限られている。

このブログのテーマとして書こうと思っていたことをパソコンの前に座るとまったく思い出さないという現象もしばしば起こる。これも認知症の初期段階なのであろうか。


スカイツリーの開業

2012-05-23 13:07:39 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日の金環日食と昨日の東京スカイツリーの開業で、ニュースがにぎやかである。

地方に住んでいる私などはスカイツリーの開業とかは別にどうってことはないが、これでわかったことはこういう大建築物ができるときは多くの人が係っているということであった。

ツリーの建設には技術者だけで500人がかかわっているというからすごいものである。それに労働者や事務の係員とかを含めるとその数は1000人を超すかもしれない。そして、それで食べていける人が出ているということである。

そんなことを感じたのは実はスカイツリーのせいではない。自宅の前の田圃だったところに2階建ての借家が建ち、その建物を立てるために多くの車が朝早くから来て、工事をしているからそういう風に感じている。

正に住宅の建設にはやはり多くの人の手を煩わしており、それで食べていける人がかなりいるのだと知った。

ましてやスカイツリーの建設は小さなマンションの建設ではない。天望回廊にはレストランもあるだろうし、そこで働く人も出てくるのであろう。そうするとスカイツリーを見学にやってくる人たち目当ての土産物店やその他のレストラン等もその地元ではできて、活性化するであろう。

なんでもスカイツリーにあやかって一商売を考える方も地元には居られるであろう。それが悪いということではなくて、そういう依存関係ができるということである。


金環日食

2012-05-23 12:46:11 | 学問

5月21日朝の金環日食で小学生がその観測をして、感銘を受けたとかのニュースがあった。その中の一人は将来的には天文とか宇宙の研究をする学者になりたいという希望を述べられた。

その夢に水を注すわけでないが、知り合いの方の息子さんでそういう職につくことが出来なかった方を存じ上げている。日本でもちろん天文とか宇宙の関係の職についている人はもちろんいるが、その数は限られており、誰でも希望すればそういう職につけるわけではないことはまことに残念である。

知り合いの息子さんは私の子どもの友人でもあって、世間的に言うと優れた方である。そういう方でもなかなか職を得られないという現状はとても考えさせられる。

もちろん、誰でも自分の思い通りにはならないのは当然であろう。しかし、天文とか宇宙の関係は一般の物理の研究者とかよりもさらに一層狭い門だと思う。

天文とか宇宙の研究を行っている、大学も少ないから自ずから若い研究者がむやみやたらに輩出している訳ではないのに、その中でも職にあぶれる人が出てくる。

確かにもう高度成長時代ではないから、大学とか研究所の研究職がどんどん増えるという時代ではないが、それでもなんだか日本の科学技術はまだまだだという気がする。

もちろん、それにもかかわらずなんとか日本人がいい仕事を自然科学の分野でしているとすれば、これはかなり個人的な努力の多いことに思いを致すべきであろう。


TEDカンファランス3

2012-05-22 13:19:15 | テレビ番組

昨夜またTEDカンファランスの番組を見た。

Deb Roy (MIT media lab)のトークであまり内容はわからなかったが、Debの子どもが2歳数ヶ月になるまでに水をはじめgagaと発音していたのをwaterになる様子を40秒に短縮して聞かせていた。だから、このトークの題はThe birth of wordだった。

一度聞いただけでこのプレゼンを私などはなかなか理解できない。再放送があれば、ぜひ聞きたいものである。このごろはNHKも料金を払えば、放送を再度見ることができるようだが、そこまではする気がない。

だから、お金を払って何かをするというのはとても大変なことだとわかる。論文でもアメリカ物理学会等では料金を払えば、直ちにこのごろはphysical reviewの論文などのPDFファイルをダウンロードできるが、それが結構高額であるので、二の足を踏むことが多い。

大学や研究所に所属している方々はすぐに論文をインターネットでダウンロードできるので、雑誌の論文のコピーを簡単に手に入れることができる。しかし、研究機関には所属しない、普通人にもインターネットで無料で入手できる情報も結構ある。

四元数を考え出した、Hamiltonの論文などもいまではインターネットでたいてい手に入れることができるが、これらは彼の四元数関係の論文は読みにくいので、なかなか普通人の私などには取り付きにくい。

TEDカンファランスの話からいつものごとく脱線してしまった。テーマを見てこのブログに関心をもった人を別の世界へ引き込んでしまう恐れがあるが、読むのが嫌な人はすぐに読むのを止めればいい話なので、別に罪悪感をもってはいない。


四元数の課題

2012-05-21 11:08:39 | 数学

先週の土曜日5月19日に積年の四元数の課題だったことが解決した。とはいっても私が解決したわけでなく、単に私の課題としていたことを書いたある本の箇所を見つけて読んでわかったというだけである。

帰宅して妻に喜んで「わからなかったことがわかった」と言ったが、妻は冷ややかで別に感動したようでもなかった。そういうものであろう。私には何年も未解決のことであっても他人には別にどうってことはないのだから。

それにしても誰かが私と同じような疑問をもっていて、その説明をしていてもいいはずだと思っていたが、なかなかそういう説明を書いた論文とか書籍を見つけることができなかった。

これはインタネットのサイトでの説明でも同様であった。ただし、英語のサイトは十分に読んでいないのでひょっとしたら、説明があったのかもしれない。

Pujolという人の書いた論文では他のことは詳しく書いてあって大いに学ぶところがあったが、肝心の私の知りたいところだけは彼もここのところは「よく分からない」という風な書き方であった。

それにしても世の中には優れた方がいるものである。この書の著者Kuiperには感心した。

(2012.5.23付記) 一昨日くらいから、このブログのアクセス数がいつもよりちょっと多くなっている。それで、この四元数関係の話題がアクセスが多くなっているのかと思ったが、この「四元数の課題」は12人ほどのアクセスしかないので、この話題が特に強い関心を引いているわけではないらしい。

もっとも私にとっては12件のアクセスは結構アクセス数が多い方だと判断している。近いうちにこのブログで書いた私の四元数についての課題についてはそのことを「数学・物理通信」に発表をしようと思っている。

ごく一部の人にしか関心を引かないかもしれないが、四元数に関心をもっている、多くの人が密かに思っている、胸のつかえをとれるようにすることができるのもそう遠い先のことではないと考えている。


フィシャー・ディスーカウ氏の死去

2012-05-19 14:11:18 | 音楽

今日の新聞を見たら、フィシャー・ディースカウ氏が亡くなったとあった。ドイツ歌曲の歌手であり、NHKのラジオのドイツ語講座などでも何回も氏の「冬の旅」などを聞いた。

失礼ながらまだ、生きておられたとは思ってもいなかった。86歳だったとあった。

きれいなドイツ語の発音で音も明瞭であった。曲の解釈も深いものがあり、後進の歌手にも大きな影響を与えた方だと書かれていた。日本にも何度か来演されたことがあるらしい。ついにその歌を聞くという機会に恵まれなかったが、冥福を祈ろう。

CD等でその美しい歌声を聞くことができる、私たちは幸せである。

(2012.6.19付記) フィシャー・ディースカウと名前の書き方を今日変更した。Fischer-Dieskauが姓のようである。彼はドッペル・ナーメ(Doppel-Name)だったのだろうか。いわゆるドッペル・ナーメで一番有名な人はF. Joliot-Curieではなかろうかと思う。JoliotはCurie夫人の長女と結婚したので、そのCurieとあわせてJiliot-Curieとドッペル・ナーメしたのだと思う。そういういきさつを書いたものを読んだことはないのだが。


計算ノート

2012-05-19 12:00:37 | 数学

初等数学(高校程度の数学)とか大学程度の数学とか、はたまた古典力学の本の一部とかの計算メモをつくってはそこらに放り出してあった。それではいけないと思って一昨日からまとめの計算ノートをつくっている。

しかし、このノートは単に清書するだけと言っていいくらいだのになかなか手間がかかり、途中で嫌になるから、私は勤勉とはいえない。それでも昨日2件ほどようやく計算ノートをまとめて、19時前に家に帰った。

いつも帰宅は19時を過ぎることが多いのだが、昨日は妻の誕生日だったのと運よく仕事の区切りがついたからである。途中でスーパーマケットの花屋に寄り、バラを一輪だけ買って帰った。花など妻に贈ったことはないが、ときにはいいかと思った。

まだ、計算ノートをつくる作業は今日も続くが、これからはその勉強の成果を文章にする必要がある。もっともそれがうまく行くかどうかはわからないし、また勉強が不十分であるということが判明するかもしれない。だが、まずはいままでの計算メモからノートをつくっておかねばならない。