岩波の「図書」9月で山本義隆さんのエッセイを読んだ。これは彼が書いた、岩波新書『
近代日本一五〇年』が科学技術ジャーナリスト賞を受けたので、その受賞記念の講演を再現したものらしかった。
この山本さんの岩波新書をもっているはずなので、書棚を探したが、いまのところみつからない。しかし、久しぶりに旧知の知己にあった気がした。
山本さんには失礼だろうが、実はその新書を読んであまり感動をしなかったと思う。これは私の読み方が悪いせいである可能性も多い。
岩波の「図書」9月で山本義隆さんのエッセイを読んだ。これは彼が書いた、岩波新書『
近代日本一五〇年』が科学技術ジャーナリスト賞を受けたので、その受賞記念の講演を再現したものらしかった。
この山本さんの岩波新書をもっているはずなので、書棚を探したが、いまのところみつからない。しかし、久しぶりに旧知の知己にあった気がした。
山本さんには失礼だろうが、実はその新書を読んであまり感動をしなかったと思う。これは私の読み方が悪いせいである可能性も多い。
楽しいときは文章を書いているときだと思っていたが、どうもそうではなくて、そういう仕事からフリーになって、自分の関心のあることについて本を探してその個所を拾い読みしているときであるらしいことに気づいた。
実際に文章に書くこともきらいではないが、ほんとうに自分で楽しいと思っているときは、それからすこし外れたところにある。いままでそういうことに気がつかなかった。
むしろ、ああでもない、こうでもないといろいろ文献を探して読んでいるときが、どうも楽しいのだと。
現在の課題はいろいろある。三角関数について三省堂の数学のテクスト『高等学校の基礎解析』(ちくま学芸文庫)、『高等学校の微分・積分』(ちくま学芸文庫)の該当箇所を昨日ちらっと見た。書き方が魅力的とまでは感じなかったが、これも一つの書き方であろうと思う。
このテクストには三角比への言及はあまりない。これは書き方として参考になるかもしれない。
先日、ブログのタイトル「グラフの平行移動」で武藤徹先生の説明で私の直観とうまく合った説明をしてもらったかのごとく思って疑問解消と書いたが、どうもそれは間違っていたらしい。
どれをみても疑問解消とはいかないらしい。説明としてはわるくはないのだが、どうも私みたいな疑問を感じる人はいないのだろうか。
もしそうだとすれば、私の直観がいわれのない直観だということになるのだが、はたしてどうだろうか。武藤先生の説明もはたまた私のもっている高校時代のテクストの田島一郎先生の説明もわかりにくくはない。
ただ、私の直観的な疑問に答えることはしてくれない。何回かこれらの説明をくりかえし読んで、そういう風に思った。まだ読み方が足らないかもしれないし、その考えも変わるかもしれない。しかし、現在のところの理解では、まだその説明に対する注文はないが、私の素朴な疑問の答えとはならないらしい。
いま、何を優先してするかを迷っている。「グラフの平行移動」のエッセイを書こうとして昨日少し用意してみたが、なかなか書き始めることができないのが実情である。仕方なく、数日前から始めていた「Pauli行列の導出」にもどることにした。
もう、8月末で大雨が降ったりして、暑さはすこし程度が下がったが、それでも湿度と暑さは涼しくなったとはいいがたい。それでも一日中エアコンをかける生活からは抜け出せるようになった。夜だとか朝は少し気温が下がってきた。
もっとも残暑はまだまだ厳しいので、そう簡単ではない。それにまた明日は病院の検診に行かねばならない。
中学生のころから、グラフの平行移動があまりよくわからなかった。そのためにそれをどう理解するかについての数学エッセイまで書いたことがある。
それで武藤徹先生がどのように書かれているか、いま彼の書いた本をちょっと覗いてみたら、うまく書いてある。
これだと私の年来の疑問はなんだったんだろうと思うほどである。ということでまたグラフの平行移動について書いてみたいと思っている。
武藤先生の書き方は、あるグラフを右にp、上にqだけ平行移動したグラフから出発している。そして、これを平行移動する前のグラフに返せば、という風に論を進めている。これを取り入れて、もう一度グラフの平行移動について数学エッセイを書きたい。
工夫によっては話が簡単になる例と言ってもいいかもしれない。
気持を新たにして、数学エッセイを書いたり、武谷三男についての論文を書いたりしたいと思っている。「徳島科学史雑誌」への投稿予定論文は「他人から見た武谷三男5」である。これは10月1日が締め切りである。
それに9月は「数学・物理通信」の発行月でもある。なかなか忙しい。先日このブログに書いたことをほとんど変えないで、「数学・物理通信」に掲載したいと考えている。
それ以外に、数学エッセイ「Pauli行列の導出」は書くつもりである。球面三角法の基本は書けるかどうかはわからない。それに「徳島科学史雑誌」の編集者からは、締め切りよりも早めの投稿を例会のときに促された。
共同編集者の N さんも今回はなにか投稿すると言われている。期待はしているが、いつももう数年その期待は裏切られ続けている。しかし、現在のところ完成した原稿は何一つもない。
コンピュータの計算速度が2倍になるのはおよそ何年かという。これは朝日新聞(2019.8.24)の第1面の右下の方にある「しつもん!ドラエもん」にあった。
解答は29面にあり、「およそ1年半から、2年」とあった。その詳しい説明は以下のとおり。
計算速度が上がるペースの経験法則として1965年に「ムーアの法則」が発表された。半世紀たって、ほんとうに予測通り1oo億倍くらいになったよ。
とあった。あれれ、どうやって計算したんだと思って、森口さん増補の『高等関数表』(岩波書店)を取りにいって、2のべき乗の表を探した。
およそ1年半から2年とあるので、まず2年として半世紀50年を2で割って、2^{25}の数値をみると
2^{25}=33,554,432
である。しかし、これだと3千3百万倍くらいで、まだ100億倍には届かない。じゃあ、1年半は1.5年だから、50年を1.5年でわって33.3を出して2^{33}の表をみれば、
2^{33}=8,589,934,592
これだと85億くらいでまだ100億にはとどかない。それで2^{34}の表の値をみると
2^{34}=17,179,869,184
とある。しかし、これでは170億くらいでoverestimate (大きく見積もりすぎ)である。
もうちょっとくわしい値を知りたい。
それなら、対数の出番である。
y=2^{33.3}
とおこう。これの常用対数をとれば、およその数を計算できるはず。
log y=33.3*log 2
となる。log 2=0.3010であったから
log y=33.3*0.3010
=10.02330
ここで小数点以下は省略して
log y=10
とすると
y=10^{10}=100億
となる。いかにもお粗末の一件であった。
(注)log y=10 は y=10^{10} の違った表わし方である。先日もこのブログで述べたが、y=10^{10} すなわち10の10乗の方をわからない人はいないのに、log y=10 の方になると急にわからないという人が少数だがいるのは、まことに残念なことである。
高松であった、今年の徳島科学史研究会から帰ったところである。
今年の研究会は科学史のテーマから外れたものもあったが、大勢の女子学生の参加でおもしろかった。別に女子学生が来たからといって鼻の下を長くして言っているわけではない。
「恋人のDV問題」だとか「不登校の問題」だとかは、あまり科学史の研究会らしからぬという年配の先生からの批判はあった。それはそうだが、いままでそんなトピックを取り上げるとは思ってもみなかったものを、取り上げられてみると、その発想の柔軟性に驚かされる。
いじめが不登校を生んでいる大きな原因だとしても、そのいじめをする人たちがやはりいじいじしているから、いじめがなくならないのだとまで考えが及べば、これは単に不登校の生徒や子どもの問題からもっと社会の問題へと視点は広がる。
やはり社会をどうするかという視点なくしては、不登校の問題だってなくなりはしないだろう。もちろん、対症療法的に不登校の子どもを救うことを忘れてはならないが、そこだけで話が閉じるのではやはり、構想のスケールが小さいのではなかろうか。
私たちは三角関数の加法定理とか三角関数の合成とかを、それらを数値で学ぶことはたぶんしない。だが、これらを数値的に確かめることから、始めるという方法もある。
確かに手間がかかってかなわないが、それもかえって新鮮に受け止められることがあるかもしれない。
同様なことが、三角関数の微分公式にもありうる。たとえば、sin xのグラフを描き、そのある x の値での接線の傾きを図上で計測して、それがcos xのその x での値になっていることを、いくつかの x のところで確かめるという操作をする。この操作はsin xの微分がcos xになるということを数値で実感する(注)。
こういう授業は確かに手間がかかって面倒である。しかし、そのことがわかった時点でのわかり方には、その後にはちょっとした違いが生じるかもわからない。
これはもう80年近くも昔のことだが、私の父は朝鮮(いまの韓国)の海軍工廠で船の進水したときの動き始めからの時間と船の停止時の先端からの距離を測って、いわゆる進水曲線のグラフに描き、そのグラフの接線の傾きから、その地点に船の先端が来たときの、船の速さを計算して出した。
これはもちろん一人の人ができることではなく、数人の同僚との共同作業であった。
父の上司の技師も昔の中学校では微分は学んでいなかったから、そういうことで船の進水時の速さを推定(または計測)できるとは知らなかった。
職場での一番の下っ端で、あまり頭のよくない父も、そのことですこしはまわりから見直されたらしい。そのときの高揚した気分を何年も後になっても興奮して話をしてくれた。
ちなみに、私の父は旧制中学校の中退の学歴しかもっていない。だが、そういった微分とか積分を独学で学んだ技術者でもあった。
思わず吹き出してしまった。
雑誌「数学セミナー」の9月号の巻頭言の「Coffee Break 」に原啓介さんが大学での自分の講義の思い出として語っていることである。
原さんは、情報理論の講義を文系の数学の講義としてしていたのだが、美人の女子学生が講義の途中でよく中座して教室からでていくことがほとんど毎回あったという。
その理由はわからなかったのだが、セメスターの最後に課したレポートの最後にこう書かれていたという。
追伸:時々、心を落ち着けるために退室しましたこと申し訳ありません。高校のとき、どうしても対数が理解できず、いまでもlogの記号を見ると悲しくなってしまうのです。(引用おわり)
いやはや、数学教師というものは悲しいものだ。情報理論にはエントロピーの定義に対数 log が出てくる。
私も M 大学で非常勤講師をしていたころ、物理の授業のはじめに数学の初歩を教えたときに、やはり指数の方はわからないという人はいないのに、対数の log の記号がでてくると10%くらいはわからないという学生が出てきた。
x=a^{y}
と
y=log _{a}x
の同等性を教えたその直後にである。
そういうこともあって、「数学・物理通信」8巻3号にエッセイ「対数と指数は同じ?」を書いたときにこのlogという記号を難しいという学生が少数だが、確実にいるということを脚注に書いた。
どうしていいのかわからない(注)。「定義にもどれ」というしかないのだが。
(注) x=a^{y}と y=log _{a}x の x, y, a に適当な数値を入れて x=a^{y} から y=log _{a}x への変形を10問くらい練習させたり、反対に y=log _{a}x から x=a^{y} への変形も10問くらいさせるのはどうだろうか。もし、それでも定着しないなら、またもっと別の対策を考えねばならない。
(2019.9.24付記)
またはx=a^{y}と y=log _{a}x は同じものの、別の表し方であることを強調するために、私の年来の主張のように x=a^{y} を「指数表示」と名づけたり、 y=log _{a}x を「対数表示」という用語をつかったりして、これは同じものだという意識を高めることである。
しかし、ここであわてて付け加えておかなければならないのは、これは対数関数と指数関数とが同じものであるということを言っているわけではない。
指数関数と対数関数は互いに逆関数であり、同じ関数ではない。すなわち、グラフ的に表すと、指数関数と対数関数は直線 y=x に対して互いに対称な関数である。
付言すれば、指数関数は指数表示で表すことが通常であり、対数関数は対数表示で表わすのが通常である。
だから、私は「指数表示」と「対数表示」という用語を用いたらどうかと提案している。これは量子力学で「位置表示」と「運動量表示」という用語を用いていることから、類推として思いついた。
「球面三角法かPauli行列か」 これはこれからどちらのテーマでのエッセイを書こうかと思っている。いまのところPauli行列を優先しようと考えている。
9月にはまた「数学・物理通信」の発行月になる。それで投稿をお願いしている人もあるが、それらの人々がきちんと投稿してくださるかどうかはわからない。
いずれにしても、まったく原稿がないと発行に困るのは明らかであるから、いくつかの原稿を用意しておくにこしたことはない。
しかし、問題は9月には徳島科学史雑誌への論文の投稿をすることに決めている。それでその原稿を書かなければならない。
その合間をぬってエッセイを準備しなくてはならない。そこに難しさがあるる。
前立腺ガンへの怖れということでここ何年か半年ごとにPSAの検査を受けてきたが、検査に定期的に来なくてもよいと言われた。
それでも結局は地域の健康検査でまた精密検査が必要といわれることだろうが、そのときにはまた、ここ松山赤十字病院に検査にやって来ることとした。
昨年だったかMRIの検査も受けており、そのときにガン化はしていなかったと言われた。
それででもあろうが、泌尿器科としてはしてあげることはありませんという。しばらく考えて、じゃあ、また地域の検診で引っかかったらお願いしますと返事をしておいた。
これも半年ごとの検診として腹部大動脈溜がある。これもい4㎝くらいの大きさで5㎝になったら、手術しますと言われている。年に2㎜くらい大きくなるというから、だいたい5年後には手術である。
年をとると予想外の病気になる。
オム エ ファムはhomme et femmeであろう。これは前にもずいぶん以前にこのブログで取り上げたことがあるが、松山のビューティサロンでオム エ ファムという名のお店があった。もっともファムでなく、フェムとあった。
しかし、これはもちろんフェムではなくて、ファムが正しい。意味は「男と女」である。女性ばかりではなく、男性もうちの美容室に来てくださいという趣旨でつけられた店名なのであろうか。
箴言である。パスカルの言葉に
「人間は一本の葦にすぎない」
というのがある。これはなんというのか。
L'homme n'est qu'un roseau.
というのだそうだ。横文字の弱い人にカナで発音をつけておくと
ロム ネ カン ロゾー
であろうか。hommeは男という意味もあるが、ここでは人間一般をさす。
フランス語文法的にいうと、ne ・・ que で「~しか・・・ない」という意味である。
知ったかぶりして「しゃらくせえ」と思ったこのブログの読者の方、私のフランス語の復習なのです。ごめんなさい。
あまり身につまされてフランス語を学んでいるわけではないので、何回学んでもすぐ忘れること、忘れること。