物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

この夏を顧みて

2007-08-31 11:21:03 | 日記・エッセイ・コラム

8月も今日で終わりである。今年の夏は特に暑かった。では仕事は程々にして秋への精力を貯めたられたか。どうもそうでもないようだ。もっともあまり無理して働いたという気持もない。

7月、8月をどう過ごすかが日本では問題だといつも思っている。冬はこの地ではそれほど寒くはない。しかし、若いときは夏はそれほど苦にしなかったが、冬はまるで冬眠しているみたいだった。

もっとも生まれて初めて発表した長い論文(といっても10ページくらい)は冬に書き上げたと思う。短いレター論文はもちろんそれより早く6月頃だったろうか。

いまは論文を書くという研究からは遠ざかっている。またつまらない研究でもいいから研究できたらいいなと思う。論文を書くときには昔は寿命が縮むような思いをしたものだ。そういう感覚から遠ざかって久しい。


熱は高温から低温へ

2007-08-30 11:28:43 | 物理学

熱は高温から低温の方へ移動する。これはどうしてか。これは熱力学では答えない。それは熱についての自然法則として熱力学第二法則としてある意味で要請されている。

しかし、そのことに答えないということでは物理学は成り立たないだろう。そういうことがあるからか統計力学が出来て答えられるようになった。

熱平衡状態となるような場合の数が他の場合の数よりも圧倒的に多いという訳だが、そのことを朝永の「物理学とは何だろうか」では十分な説明がなされていないと思う。いや、されているのかもしれないが、少なくとも私にはそれが読み取れていない。

それを実感的に説明する試みを和田さんの本ほどしっかり書いたものは私はいまのところ知らない。正確な本の名は忘れたが、「物理講義のききどころ」だったか岩波の4冊か5冊のシリーズの1冊である。

今年は熱がなぜ高温から低温へと移動するかをわかってもらうことに重点をおいて松山大学で講義をしたのだが、難しいという評判しか得られなかった。


熱の移動

2007-08-28 15:54:36 | 物理学

熱は温度差があれば移動できる。これは誰でも知っている事実だ。だが温度差がないと熱は移動できないのだろうか。

これは物質の体積の変化とか形の変化を許せば原理的にできる。たとえば、気体をシリンダーの中に封入して高温熱源に接触させれば、この気体は熱源から熱をもらって膨張することによってその気体の温度を上げることなく熱源から熱をとることができる。

このことはどの熱学の本にも書いてあるのだろうが、私がこの事実を朝永の「物理学とは何だろうか」上を読んでやっと認識した。

また二つの熱源の間の温度差による熱の非可逆的な移動が起こらないようにするためには断熱膨張と断熱圧縮とを使う。このことを数年前に熱力学の授業の準備のためにこの本で読んだときなんてすばらしいことだと思ったものだ。

Carnotのサイクルの意味がこれらによってはじめてわかった。


ロジスティック写像

2007-08-27 12:22:30 | 数学

ゴールドスタインの「古典力学」の第11章の後ろの方を訳している。

ロジスティック方程式というところだが、これを訳しながらずっと以前に山口昌哉先生の集中講義を聞いたこととそれから数学セミナーの別冊だったかのカオスについての山口先生の解説がわからなくて苦労したことを思い出した。

分岐が2重、4重...になっているというなんでもないところがわからなくて,技官の人にその反復写像を実際にコンピュータでプロットしてもらってやっと意味が理解できた。

その後戸田、渡辺両先生の「非線形力学」(共立出版)が出版され、その中に同じようなグラフが出たので同じようなことを考えるものだと思った。いまではどのカオスの本にも出ていることだが。

山口先生の集中講義を聞いてしばらくしてからこの写像が乱数の発生法として使えるのではないかと思ったが、そういうことを私の周りで関心をもって考える人もあまりいなかったし、自分でも研究として真剣に考えなかった。

しかし、学生の卒論課題としてH君という人に調べてもらったことがあった。反復を繰り返すと意外に早く、変な値(たとえば0)になるが、この原因がつかめずそのままになってしまった。その辺の理由も後に見た文献で追求がされていた。

その後またこのことに関心が戻って来たことがあったが、インドかパキスタンの人がPhys. Rev. に論文を書いていたり、日本でも同じようなことをする人が現れた。それも単にアイディアだけでなくきちんと調べられた。

周りの環境は研究には大事なことと思う。特に議論できる人がいることが大切だ。そういうものが私には欠けていた。


エッシャーの展覧会

2007-08-24 11:59:44 | アート・文化

一昨日エッシャーの展覧会に行った。はじめてエッシャーの版画その他を見たのだが、たくさんの人が子供連れで訪れていた。これもちろん夏休みということもあるのだろうが、それだけではなくエッシャーの絵の不思議さが基本にあるのだろう。

正則分割といわれる技法が特に目についた。また騙し絵というかこれもいくつかあった。しかし、目の錯覚を誘うこの絵よりも正則分割と言われる方法とか変容と言われる手法の方が面白かった。

固体物理学の格子空間では同じ模様とか立体図形で空間や平面を隙間なく埋めて行くということが知られているが、正則分割はそれの応用のようだ。ただ、とかげとか馬とかの図をうまく配置して正則分割しているのには感心した。

ゆっくりと見たかったが、どうも展覧会ではそうもいかないところがある。それに説明がついていてもなかなか理解がすぐにはできない。それで画集を1冊買って帰った。

そういえば、5月のホームステイのときに弁護士のベアーテさんが「エッシャー、バッハ、ゲーデル」というホッフスタッターの大著のことを話題にしていた。私も大学にいたときに公費でその訳本を購入していたが、通読とまでもいかなかった。もっとも読まなくても絵とか写真を見るだけでも面白かったのだろう。

二男のTetsuroによれば、「エッシャー、バッハ、ゲーデル」のモチーフは繰り返しというか反復というかぐるぐる巡り巡ってもとに戻ることだという。そういえば、バッハの音楽は繰り返しが多くてなかなか前に進まないという感じである。だから、バッハは重たくて嫌だというのもある意味ではあたっているのだろう。いやこれはむしろ私の個人的見解だ。

エッシャーの騙し絵もぐるぐる回りだ。ゲーデルにおいては繰り返しとか反復がどういうことだかわからないが、彼は数学の公理がその理論の範囲内では真か偽か証明できないものがあるという定理を数学基礎論の論文で証明したというからやはり一巡りして元に戻ったということであろうか。


波源が波の進行速度より速い現象

2007-08-23 13:56:47 | 物理学

「波源が波の進行速度より速い現象」のことを学んだのは多分流体力学の講義のときだと思う。流体力学の何たるかは結局わからずじまいであったが、この現象がどんなところに現れるかは頭に残った。

この現象の一番いい例は船のつくる波である。この波の速さよりも船の速さの方が一般に速い。

次の例としては衝撃波であろう。例えば、ジェット戦闘機が急降下して衝撃波をつくる。そしてこの波によって家のガラス窓がブルブルと震えたりすることがある。このようにして音速より速く飛行する飛行機によってつくられた衝撃波も波源の速度が衝撃波の速度よりも速いという特性をもつ。

第三の例としては水中を走る荷電粒子の放出する、Cerenkov(チェレンコフ)輻射である。光は真空中では10^{8}m/sの3 倍の速さであるが、水中では荷電粒子の速さの方が、その荷電粒子から放出される光の速さより速くなることがある。

というのは真空中での光の速さcをその媒質の屈折率nで割ったものがその媒質中での光の速さになるからである。媒質の屈折率 n が1より大きいとき、この媒質での光の速度はもう真空中の光ではなく、c/n となる。このような場合にはその荷電粒子の放出する電磁波の速さよりもその荷電粒子の速さの方が大きくなることがある。

原子炉屋さんなどはこういう原子炉の燃料棒がある水中で発生するCerenkov輻射を日常茶飯に見ているらしい。もう亡くなられたが、私の友人の核化学者であった Tam さんを京都大学の原子炉実験所に訪ねたときにそういう話をしてくれた。

私の知っている例としてはこの3つであるが、他にも例があるかもしれない。多分この現象のことは流体力学の講義で M 先生に教わったのだと思うが、それはもう定かではない。それともそのときのテキストに使われた谷一郎先生の『流れ学』(岩波全書)の中に書かれていたのだろうか。

(2013.2.18 付記) このブログは2007.8.23付けの古いものであり、まさか隕石が落ちてきた時に生じる衝撃波で1000人を超える人が負傷をするなどということが起こるとは予想だにしていなかった。

そういうことが最近、現実にロシアで起こったので、このブログもどなたかの検索にひっかかって読まれたということがわかった。

朝日新聞の隕石の被害の解説にも波源の移動速度(これは隕石の落下速度のこと)が音の伝わる速さよりも速い現象であると説明がされていた。それがどれほど他の現象でも一般的なのかということは、隕石とは関係がないので書かれていなかった。

昨日の朝食の時に妻にその話をしたが、妻はまったくの素人なので、理解は難しかったであろう。しかし、ここに書いたようなことも理解されるとか関心を持たれるというのは、ある種の進歩だと思っている。

昨日、谷一郎『流れ学』(岩波全書)をひさしぶり取り出してきて調べてみたが、ちょっと見たところでは表題に書いた、「波源が波の進行速度より速い現象」の説明はなさそうである。もしそれが正しいとすれば、私たちに流体力学を教えた、三村洋一教授の講義から知ったことであったろうか。

その後 2008.6.27 日付のブログで『湯川秀樹と隕石』という記事を書いている。

(2013.5.8 付記) 5月5日の日曜日にEテレのサイエンスゼロを見ていたら、上の衝撃波による圧力波のことをソニック・ブームと言っていた。ジェット旅客機はこの何十年かで断然安全になってきたが、ソニック・ブームの被害のためにジェットの速度は音速を越えることを控えているのだという。

コンコルドというジェット機が超音速の飛行機としてフランスとイギリスの手で共同開発されたが、ソニック・ブームの被害のためにあまり使われなかったという。製造は20機だったという。

ところが、最近ソニック・ブームなしの超音速旅客機ができそうになっているのだという。技術の進歩だが、果たしてそういうことが私の生きている時代に実現するのだろうか。

(2017.1.27付記)  私のブログの中のランク10位で検索をされていた。このブログの扱っている内容が内容だけに普通の人の関心を引く内容ではない。それでも検索されたということはこういう現象に関心がある人が私以外にもおられるということである。

「波源が波の進行速度より速い現象」の説明をどこかで読んだことはなく、どうしてそういうことを私が知ったのかもいまではわからない。M教授、すなわち、三村教授の講義でそういうことが説明されたのかどうかもわからない。しかし、現象自身は多分流体力学の講義で触れられたのであろう。

谷一郎さんの『流れ学』(岩波全書)に出ていたと思って数年前に探したのだが、載っていないようだったが、それも探し方が十分でなかったのかもしれない。多分、大学のときの物理の同級生に聞いてみてもこんなマニアックな内容を覚えているかどうかはわからない。

(2024.3.4付記)今日のブログのアクセス数で4回とこのブログとしては珍しくアクセスが多かった。どこかの大学の流体力学の講義でこのような現象について述べた先生がおられたのだろう。

私のブログのこのトピックだけではなくときどき検索されるブログのトピックがある。最近では逆格子とか双対空間とかもときどきアクセスが多くなる。もっとも多くなったと言っても一日に10回ものアクセスではないが。

フーコーの振子1

2007-08-20 12:23:52 | 物理学

フーコーの振子って知っていますか。名前は知っている人でもそれが何を意味するのかは知らない人が多いだろう。大学4年のときに相対論の時間にS先生に授業で聞かれて、27、8人はいる物理学科生(4年生)が誰も答えられなかった。

それも2年のときに力学でフーコーの振子について詳しく教わったにも関わらず。それでそのときはじめてフーコーの振子の実験の意味を知った。これは地球が自転していることを実験室で証明するという実験であった。

上野にある国立科学技術博物館にはフーコーの振子が動いているので、それを見てすでに地球の自転を証明するためだと知っている人もいるだろう。北極(南極も?)でなら24時間で振子の振動面はちょうど1回転するが、その他の地球上の地点では24時間経ってもちょうど1回転はしなかったと思う。これは直観的にわかるはずだが、いまその説明はちょっと自信がない。

コペルニクスの地動説によって太陽が動くのではなく、地球の方が動くということにはなったが、それは単に考えの上の話であって地球の自転は実験的に証明されなければならない。そうフーコーが考えたのかどうかは知らないが、そういう根拠を求めるというのはやはり物理学であろう。


徳島科学史研究会の講演

2007-08-20 12:13:17 | 学問

一昨日(8月18日)徳島大学で徳島科学史研究会の総会と講演会があった。十数人の発表があり、題目とか取り上げられたテーマも豊富で面白かった。

徳島県のある地方では昔は雷が多かったそうだが、それがごく最近は少なくなってきているという話があり、これは海水の温度が2度ほど上がったために海風が吹かなくなったためと言う説明があった。

おかしいなと思って海からどれくらい離れているのですかと質問したら、60キロぐらい離れているということだったのでこれは海風がなくなった訳ではなく、海風の勢力が昔は強かったがこのころは以前ほどの勢力ではないという意味だとわかった。

徳島大学の先生が総合講演をされたのだが、これが興味深い立派な講演で、X線で材料の残留応力をどうやって測るかということについての詳しい話だったが、時間の関係で途中を省略されたので、素人にはもう一つわかりにくかった。でも立派な仕事をされているということはよくわかった。

ここには挙げなかったが、それぞれ興味深い話で質問をしたいと思ったものがほとんどだったが、時間が限られていたので質問ができないものもあった。

講演15分で質疑5分となっていたが、これを守った方は少なかったのだろう。主催者はこういう前提で会を催しているのだが、それを守る人と守らない人がいるということだ。

質問は参加者がお義理にするという傾向もあるが、そうではなくて本当は聞きたいことを聞けないという時間の問題もある。もちろん懇親会に出ればそういう質問も出来たのだろうが、日帰りということで懇親会は失礼をして帰って来てしまった。


赤と緑のコップ

2007-08-16 14:47:12 | 日記・エッセイ・コラム

赤と緑のコップが子供ころ家にあった。といってもこれは朝鮮に住んでいたころのことである。親戚とか知り合いの人と一緒に父母に連れられて町の近くの山にピクニックにいったときに兄が小川の水を赤いコップですくって飲もうとして流れにそのコップを取られたことがあった。

おじがそのコップを追いかけていき流れの中から拾い戻してくれたので、しばらくはその後もその赤と緑のコップが家にあったが、そのうちに赤いコップの方はなくなってしまい、緑のコップだけがその後も残った。日本に帰ってきてもいつも歯磨きをするときのうがいの水をそれで汲んでいた。

そのうちに緑のコップもどこかへなくなってしまい、ずっと忘れていたがどうしたものかひょっと最近そのことを思い出した。それだけの何てこともない話だ。

幼時に鎮海という小さな町に住んでいた。ここはごく最近では韓国の桜の名所として特に有名で、桜の季節には数十万人の人出があるという。数年前にいとこたちと一緒にほぼ60年ぶりにこの町を訪れた。数時間の滞在ではあったが、とてもなつかしかった。また、この第二のふるさとを訪ねてみたいと思っている。


ヒロシマナガサキ

2007-08-13 10:55:29 | 国際・政治

昨日ドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」を見た。広島と長崎で被爆した14人の被爆者の証言を残っているフィルム映像を交えながら、原爆の無残さを訴えるものである。監督はSteven Okazakiという日系2世か3世である。原爆投下後62年の今年にこのドキュメンタリーが公開されることは意義深い。また、日系とはいえアメリカ人の手によってこれがつくられた事はなお注目すべきことである。なかなかアメリカ人は原爆投下の非を認めないそうだが、それも少しづつではあるが、変わろうとしているかと思われる。

右翼の人も左翼の人も(こういった言葉は現在死語かもしれないが)見てほしいものだ。論を立てる前に事実を知りたいものである。事実の前にはいかなる論理も沈黙せざるを得ないところがある。

現在の状況をつくりだしている一番の原因はやはり超大国アメリカなのであろう。核爆弾を一万発以上保有しているといわれるのだから。イランの核開発がどうこうといわれる。もちろんそれは憂慮すべき事態ではあるが、もともと核の優位をまったく譲ろうとしないアメリカが一番の問題なのである。そのことを除外して核問題を語ることはできないだろう。


武谷三男の資料

2007-08-13 10:35:27 | 物理学

オンラインサービスで武谷三男のプログレスに出た論文はおよそプリントした。一つか二つだけ私の前のレポートで落としていたのが今回見つかったような気がしたが、どうもはっきりとはわからない。いまのところ過不足はないみたいだ。

ある論文のページ数がどうしたものか間違っていたのに気づいた。その他収録すべきものに落ちがあるのかどうかはもう一度調べて見る必要がある。

湯川、朝永、坂田の三博士の論文集は出版されているが、武谷の論文集は出版されていない。これは出版するとするとかなり大部なものになり、その費用は膨大なものになる。

またそれだけの業績を上げたのかという点の世間的な評価では残念ながら上記三博士ほどではないかもしれない。しかし、重要な論文を選んだ論文選集ということなら可能性があるかもしれない。だが、彼の物理にかけた情熱はこの論文のページ数の多さからも伝わってくるようだ。

ダイソンが彼の論文選集で述べているように、物理学の論文は歴史的に回顧するとかならずしも全部が意味を持って生き延びる訳ではない。

それが数学との違いである。それで物理学者については論文全集ではなく、論文選集が発行されるとダイソンは言う。それに比べて数学者は論文全集が発行される。

武谷三男は論理的にも行動でも潔癖な人で他人に対して批判が厳しかった。それで熱狂的な信奉者がいる一方で物理学者の中でかっての門下生にも晩年そっぽを向かれたという風でもある。

これは単に風評とか単なる私の感じている雰囲気にしか過ぎないので歴史的な研究としてはその裏付けとかをする必要がある。

その評価を自ずと伝記とか年譜を書くとすれば、しなければならない。そのときには自分がどういう立場に立つかをしっかりさせなければならないと思う。

メモとして記しておくとゲージ理論の創始者の一人である、内山龍雄氏の武谷に対する拒絶反応(下記の付記参照)とか高木仁三郎氏との「時計か金鎚か」という論争もある。そういうテーマを一つ一つ調べて行かねばならない。

(2013.3.16 付記)上に書いた内山龍雄氏の武谷に対する拒絶反応というのは私の推測であって、内山の回顧には武谷に感謝していると思われる一節もある。

それに伏見康治の書いた文には内山にゲージ理論のはじめの論文(ネターの論文?)の存在を教えたのは科学史に関心のあった、武谷であるとの記述があった。

内山はその点を武谷に感謝していると思われる。


Online Service

2007-08-09 12:05:58 | 学問

Progress of  Theoretical Physicsという理論物理学の専門雑誌のonline serviceが最近できあがった。

それでさっそく一昨日から武谷三男のProgress掲載論文をプリントしている。かなりたくさんあるので一昨日と昨日の短い時間ではまだ全部はプリントができてはいない。それを調べているうちに自分の作った武谷の論文リストの間違いや不備があることがわかってきた。それも自宅にいながら作業できるのはとても便利である。

武谷の論文リストのチェックは時間がかかるのですぐには完了しないが、でもチェックのチャンスが与えられた訳である。

またこのonline serviceがまだ不備であることもわかってきた。しかし、それは当然かもしれない。というのはこのserviceでは参考文献から論文へとダブルクリックで飛べるようになっていたりするが、これは膨大な労力でミスがあるのは避けられない。現に私の見たところでもいくつかのミスがあるのを見つけた。

入力ミスもあるし、もともとの論文のミスもあったりして参考文献から飛んでみるとそれに当たる文献はないというメーッセジがでたりする。

それで思い出したが、いまの世間の話題は社会保険庁の年金問題だが、この記録の不備もさもありなんと思われた。もちろん、この年金台帳の不備はあってはならないものだが、そういうクロスチェックをする人がいないと記録の不備は簡単に起こってしまいそうである


土屋秀夫という人

2007-08-06 17:05:08 | 物理学

先日書いた「朝永振一郎著の「量子力学」の研究」の著者土屋秀夫という人の消息を探している。創栄出版社によれば、前橋市に住んでいたらしいが、今は電話も不通になっているという。それでそちらからの追跡はできなくなった。

前記の著書は自費出版だったために全冊を著者に送ったため出版社は1冊ももっていないという。東大の物理教室と東北大学の図書館に1冊づつあることがわかっているので、東大または東北大の物理または数学の卒業生かと思われる。物理学会の会員に土屋という名の人は何人かいるので、一人ひとり親戚かどうかを問い合わせてみることはできようが、ちょっと気が重い。でもやるしかないだろうか。また古い物理学会の名簿を調べてみることも考えなくてはならない。

土屋秀夫さんという人はたくさんいてNHKに勤めていた方とか建設会社の社長さん、カネカの社長さん、栃木県だかの県庁の部長さんとか何人かいるようだ。破廉恥罪を犯した若い人もいた。

なんでもインターネットで調べられるようになっているようだが、まだ世の中は完全にそうはなっていない。楽しみが増えたということだろうか。

(2011.113 付記)

土屋秀夫さんは

東京大学の応用化学科かどこかを卒業した人だったと思っていたが、「朝永振一郎著の「量子力学」の研究」のコピーにはそのことを記したところはない。原書にはそのことを書いたところがあったように思うのだが、そこをコピーしなかったのだろうか。 いまとなってはまたわからなくなってしまっている。

8月6日

2007-08-06 12:20:11 | 国際・政治

今年も8月6日が来た。戦後62回目だという。毎年ではないが、テレビで平和記念式典を見るようにしている。今年も見た。

私の先生の一人S先生はこの原水爆運動の運動家であった。出張で研究室にいないことが多かったので、大学院の学生のときにはあまりこのS先生からは物理は習わなかった。もっとも学部の学生の時には講義は聞いたが、数式が多くてあまり感銘を受けることはなかった(これは私の講義についていま学生が言うこととまったく同じである)。

S先生は原水爆禁止運動の歴史を書くのだとおしゃっていたが、書いたのかどうか私は知らない。彼はもちろん被爆者の一人であったが、九死に一生を得て82歳まで生きた。

考え方が少し古いところもあったが、それでも世間を知っていることが彼をごりごりの保守主義者にはしなかった。いつもS先生は自分はそんなに進歩的な人間ではないと言っていたが、もう一人の私の先生Oさんによれば、それでも広島文理大出身の先生としては出色の先生であるということだった。O先生が本当にそう思っていたかどうかはわからないが、私にはそう言われていた。まあ、許容できる範囲ではあったのだろう。そのO先生も先年80歳で亡くなった。

私が学生のころといってももう50年にほど近い昔のことである。


朝永振一郎著の『量子力学』の研究

2007-08-04 13:57:25 | 物理学

標題の本を出版している人がいる。土屋秀夫という人である。

どういう人かわからないのだが、東京大学と東北大学の物理の図書室にこの本は登録されている。国立国会図書館には所蔵されていないようなので、これは自費出版の本かと思われる。ページ数が521ページと分厚い本なのでかなりの大著といえる。

出版社の創栄出版に問い合わせたのだが、今日は土曜日なので返事は月曜日以降になるだろう。創栄出版は仙台の出版社で自費出版等を盛んに行っているとある。

googleで検索したら、日大の東北高校を平成11年に退職した人に土屋秀夫さんという方がいる。日大東北高校は野球で有名な高校であるから、調べてみると福島県郡山市にあることがわかった。創栄出版の返事が不発に終われば、ここに照会をしてみるつもりである。

詳しい朝永の量子力学の研究がなされているとすれば、やはり一読に値するだろう。『朝永振一郎著の「量子力学」の研究』を手に入れて、ぜひ読みたいと思っている。

(2011.11.3付記) 

この書を東京大学の物理図書館から借り出して、コピーをとった。だからこの書のコピーをいまではもっている。詳しい計算とか内容の解説をした書である。

これは自費出版された書で、出版社にも問い合わせたが、1部も残っていなかったということは別のブログで書いたかもしれない。また、出版社に著者への連絡先がわからないかと尋ねたのだが、いつのまにか出版社でも連絡先がわからなくなったとのことであった。

私自身も朝永の『量子力学 I 』 は2回ほど講義をしたことがあるので、そのノートをつくってもっているが、そのノートとこの著書と比べてみたいと思ってもいる。

ともかく、なかなかしっかり計算をしてある書で、内容の解説も書かれている。この書が一般書として出されていないのは残念である。

しかし、前にも書いたかもしれないが、式の表わし方を工夫するとかは必要だと思っている。また、この書の活字はあまり感心しないし、式の表示も現在ではlatex等で表示すれば、もっときれいで見やすくなるであろう。どこかの出版社で出版をしてくれないものだろうか。

内容の問題ではなく、本の活字とかの見かけが問題だというつもりであるので、上に書いた批判についてご寛容をお願いしたい。

(2020.2.7付記) 土屋秀夫さんは他でも書いたと思うが、東京大学工学部化学工学科を1971年に卒業された方である。私よりも7歳か8歳若い方である。