E大学に勤めていたころは大学の構内の木々にいる、ツクツクボウシが「つくつくぼうし、つくつくぼうし」と鳴き始めると「ああ、今年も夏が終わるな」と感傷的になったものだ。
そういう年を何年も経て、そのうちにその1階にある研究室から突如して、9階の研究室に移転したが、そこで8年か9年過ごして、定年退職を迎えた。それが2005年の春だった。
3月に定年になったのだが、研究室の整理ができず、4月末までの猶予をなんとかもらった。それも私一人では片付かなかったろうが、事務の方の手助けと妻の手助けを受けてようやく5月の連休が始める1週間ほど前には片付けることができた。
なにせ私の研究室を継ぐ人はまったくいなかったので、自分で開いた研究室を自分で閉じるという、その片付けがあったから、時間がかかったのである。
現在では大学の研究費はプロジェクト研究等の費用は出るが、普通の研究の経常費とかとても少ないから日本の研究は急激に落ち込んでいるといわれる。
そういうことをいう人もいないくらいに、大学の研究者も隘路に押し込まれている。心寂しい財政状況である。数十年前の研究の遺産で、ここ数年は日本人のノーベル賞受賞者が続いたが、これは数十年先にはもうそういうことはまったく望めないだろう。
国の財政がとても厳しい時代だし、大学生の数もぐんぐんと減っている時代である。研究者を目指しても一度外国に研究に出ようものなら、帰ってきたときにはもう大学とか研究所には自分の席はないとか聞くと、これでは日本の学術研究の将来は開けるはずがないとまで感じてしまう。
だが、そういう政策をとっているのが現在の政府と与党なのである。安倍首相は20年後、30年後には日本のノーベル賞を100人規模にしたいとか口では言うが、やっていることは全くの逆である。
また、そういう辛口の意見を表明する人も極めて少なくなってしまった。残念なことである。
それで最近知ったのだが、大雨の世界記録はフランスのレユニオン島で24時間の雨量がなんと1,870mmだという。レユニオン島はインド洋に位置するフランスの海外県だという。マダガスカル島の隣の島だという。
こんな雨量の世界記録のときには人はどう対処できるのだろうか。
そういうことがようやく了解できた。これは昨夜12時少し前から読みだして、2時間ほどで読んだ。伝記の作者はなかなかむつかしいことを書かないで一般の人が分かることだけを書いて話をつないでいくのだから、やはり芸がいる話である。
しかし、そういう芸ができないと科学者の伝記は書けないのだと思う、たしかに一般の人にわかるように話の筋をうまくつないでいるのは確かである。
ファインマンの伝記部分では量子電気力学に貢献した、ほかの他の人のこともかなり書いてあり、ファインマンだけには偏ってはいない点でなかなかよいとは思ったが、ゲルマンの部分にはそれはちょっとお添えのようであった。
先日、雑誌「窮理」の10号が出た。
その中に原康夫さんの朝永振一郎さんとのやりとりのいくつかが記されたいたが、その中で先日にはふれなかったことをここで書いておきたい。
これは何かの機会に原さんが朝永さん宅にいくことがあったときに、朝永さんに質問したときの返答である。原さんは朝永さんの著書「『量子力学』II(みすず書房)の前半は後半ほどには興味深くはないですね」と尋ねたという。
そうすると朝永さんはそれはそうだと答えたという。それは「前半はSommerfeldの著書に沿って書いたからという」のである。原さんはいう。朝永さん自身が量子力学の理解が難しかった個所は、朝永さんの独創的な説明があるが、理解のやさしいところはSommerfeldの本に沿った説明をされたのだろうという。
朝永の『量子力学』ではいわゆるDiracのhが使われてないために式がとても見にくい。これをどうしてDiracのhを用いて書き直さないのか不思議に思っている。いま英語版も見てみたが、修正されてはいない。
これらは天才的な学者であった、二人の家庭環境から来ているらしい。
Diracの父親はスイス出身のフランス語教師であり、夕食のときにDiracにフランス語を話すように強制したために、英語でもDiracはほとんど話さないようになったと言われている。
誰かがフランス語圏からDiracに会いにやってきたときに、フランス語をDiracが解しないと思って一生懸命に英語で話そうとしたとかいう話があり、そのあとでDiracがランス語が話せることを知っておどろいたとか読んだことがある。またフランス語で書かれたDiracの論文もあったはずだ。
同じようにGell-Manも心理的要因から文章が書けなくなるという症状をもっていたらしい。卒業論文は完成するどころか、書き出すこともできなかったというから、Gell-Manのライターズ・ブロックは重症である。そういう病気があるとは私自身は聞いたことがない。
Yale大学では大学院には進めなかったので、MITに進んだという。そこで、Weiskopfにつく。
Wesikopfからは実践的な物理学を学んだという。「数学的洗練さよりも、証拠と一致するかどうかを重んじろ。できる限り単純さを追い求め、決まり文句やもったいぶった言い方は避けろ」
これはなかなかいいアドバイスである。こういうアドバイスをする人はその当時はほとんどいなかったのではないか。私などが育ってきた研究雰囲気と似通っているが、それは横道にそれる。
Gell-Manの優れた点は問題の表面的な細部に惑わされずに、「分析的な目」で、その裏に隠されたパータンを見抜く才能にあったという。
ただ、列伝の著者も彼が少し嫌な性格の持ち主であったことをほのめかしているようだ。
中川さんの生前には面会の内容を出版しないようにとの要請が中川さんからされていたという。それでトウ教授は出版を控えていたらしい。
それでも先日の中川さんの刑の執行でその約束を守らなくなくてもよくなったので、出版をしたらしい。そのうちに日本語訳も手に入るようになるのであろう。
トウ教授は中川さんは聡明な方であるから、その論文の執筆はそれほど苦労しなかったというようなことを述べていた。
今朝起きてみた特記すべきニュースである。
武谷批判もあるが、これはあまりにも武谷はあまりにも科学主義だというものだ。どうもそうではないらしいというのが八巻さんや私の考えである。
科学至上主義だというのは金山浩司さんを筆頭にする人たちであり、塚原さんもそうであるかもしれないが、塚原さんは一面では武谷におおいに共感を覚えると言っている。
それが本当だと思う。武谷は文学にも音楽にも理解や造詣の深い人であり、単なる科学至上主義者ではない。
もちろん、運動のある段階では科学至上主義に見える振る舞いをしたり、ヒューマニズに訴えてみたり、なかなか一筋縄ではとらえられない。
これは皆さんがパワーポイントで発表するのが普通となっているからである。参加者はあまりおおくはないが、それはしかたがない。
夜は南堀端のアミティエで懇親会をする。最近の数年間は松山で総会をするときには懇親会場にはいつもアミティエをつかっている。
ファインマンは若いころ原爆の開発に加わった。そしてそのことで苦しんでいたというのだ。
ファインマンと言えば、その物理学の特異さで有名だし、道化師のようなところもある。また、『ファインマン物理学』6冊(岩波書店)でも有名である。
この原子爆弾を開発したという、心の重荷は1945年から1947年に量子電磁気学研究をするようになるまで彼の研究を妨げていたという。
広島にもファインマンは訪れたことがあると聞いているが、そのときに平和記念博物館をファインマン夫妻が訪れたかどうかは大学での私の先生の一人である、故人のS先生からは聞いたことがない。
結構ナイーブな人だったのだとすれば、平和記念博物館を訪れることはできなかったかもしれない。
2番目の奥さんと結婚していた当時らしく、宮島の厳島神社を夫妻が訪問した時、ファインマンの奥さんが、釣り下げられた灯篭だったかの由来を話をしていたとか聞いたことがある。なかなかいい奥さんだったとはS先生の評価だったが、ファインマンの2度目の結婚はうまくいかなくて、数年で離婚してしまった。
山崎正勝さんの「マンハッタン計画と科学者たち」という記事も読んで考えさせられた。ドイツが原爆を開発する可能性がないと知ってマンハッタン計画から離れた科学者はロートブラットただ一人だったが、それはイギリス人の科学者でロートブラットの先生であった、チャドウイックからそのことを聞いたただ一人の科学者であったという。
他の大多数の科学者には秘密にされていて、知らされなかったという。
和田純夫『物理のききどころ』全6巻(岩波書店)はそういう体系的な書物の一つであろう。私も『量子力学のききどころ』をのぞく5つの巻は購入してもっている。
調べてはいないのだが、和田さんはほかの出版社からもそういう体系的な本を書いているから、そういう
体系的なことに関心をもつ人なのであろう。
数式が読みやすくていいのだが、見開きの2ページで説明をするのはなかなかつらいところもある。
力学、電磁気学、量子力学、熱・統計力学、振動・波動、相対論的物理学の6つの巻である。
確かに、新聞記者は新しい概念を知っておくことが必要であろう。もっともそれほど新しい概念なのかどうかは疑問である。むしろ適切な用語が考えられなかっただけである。
武谷三男が農薬の人間への悪影響ないとはっきりしないうちは使うべきではないといい、悪影響が証明されていないからと言って、それは無害であるかのような言説は人体実験であるとまで強い言葉で言い切った。
彼がはじめてこういう状況に接したのは核実験の放射線被害のことであったが、人類が全滅した後になって放射線の被害が証明されるというのは科学の無力を示すものに他ならないと述べた。
独占資本は利益があがるとなれば、まさに人類が全滅の危機に瀕していても利益上げようとするものである。もっとも害がはっきりとしている場合にはさすがに利潤を優先はしないだろうが、害がはっきりしないならば、自分の利益を上げることを優先する。
Un chasseur sachant chasser san son chien est un bon chasseur.
アン シャスーウル サッシャン サシェ― サン ソン シアン エ タアン ボン シャス―ウル
(犬を連れないで狩りのできる狩人はよい狩人だ)
少し練習するとうまく発音できるようになる。
sachantは動詞savoir(知る、できる)の現在分詞である。できるという意味のことばにはフランス語ではpeuvoirとsavoireとがある。「車の運転ができる」とはOn sait conduir. などという。
習得してできるようになったことはsavoirを使う。Je sais nager, mais je ne peux pas nager.
などという。すなわち泳ぐことはできるが、風邪をひいているからいまは泳げないという風に。
いままで数日latexの表として表を作成してきたのだが、これだともすごい時間がかかる。もしか、表を画像として取り込むことができると作業は大いにはかどることに気がついた。
そういう考えをもったが、問題はワードの表をlatexにうまく画像としてとりこめるかである。前にもそのようなことをした覚えがあるが、どうやったのかは覚えていない。
それで今日はその可能性を調べることにしよう。
昨日でいちおう8月25日の徳島科学史研究会総会のパワーポイントの原稿をつくったので、ほかの作業をする余裕がでた。
数学・物理通信の発行の準備は6号、7号に関してはかなりできあがっている。ただ、8号に関してはまだまだである。2つのlatexに変換する必要のある原稿が手元にある。
それに処置を決めかねている原稿もいくつかある。